大庭 - みる会図書館


検索対象: 湘南散歩 境川・引地川
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1. 湘南散歩 境川・引地川

引地川索引 イ石川橋 稲荷橋 ェ円行大橋 円行新橋 オ大下さくら橋 大庭大橋 大庭鷹匠橋 御嶽橋 カ柏山橋 上河内橋 上草柳 2 号橋 上草柳 4 号橋 上村橋 ク鵠沼橋 熊野橋 サ境橋 作橋 笹山高架橋 山王橋 シ清水橋 下山王橋 下草柳橋 下上棚大橋 湘南台橋 城下橋 新道下大橋 神明橋 セ関下橋 ソ草柳 1 号橋 草柳 2 号橋 草柳 3 号橋 草柳 6 号橋 草柳橋 タ大平橋 高名橋 高山橋 チ長後橋 テ天神橋 ナ長久保緑橋 中村橋 [ 橋 ] 221 241 217 217 195 229 223 199 231 2 15 189 189 234 243 212 196 239 188 198 237 198 191 213 2 15 228 201 205 228 194 194 193 194 195 239 230 236 210 224 238 214 ハ八幡橋 ヒ東ヶ里ふれあい橋 東山田橋 引地川橋 引地橋 日の出橋 フ福田 1 号橋 福田 5 号橋 福田 6 号橋 福田 8 号橋 福田 10 号橋 福田 1 1 号橋 福田 13 号橋 福田 14 号橋 福田橋 富士見橋 ホ本八幡橋 マ馬渡橋 、緑のかけ橋 / 、去 0 十喬 ヤ柳橋 山下橋 山田橋 ョ横浜水道 引地川水道橋 リ龍宮橋 ロ六軒支線 1 号橋 ワ若宮橋 [ 水源・支流等 ] 水源涵養林 水源地のしくみ ム 202 190 219 232 232 240 197 204 205 205 207 207 209 205 209 237 202 217 188 213 2 16 201 219 223 242 192 205 186 186 187 187 213 228 244 [ 神社 ] オ大庭神社 大庭神社旧跡 大庭天神社 御嶽山神社 カ柏山稲荷神社 将監稲荷 将監淵 亀井神社 烏森皇大神宮 キ鬼子母神 ク鵠沼伏見稲荷神社 熊野社 熊野神社 サ佐波神社 鯖神社 山王社 山王社 シ白山神社 神明神社 ス諏訪神社 タ田中八幡宮 テ天神社 天満宮 石灯籠 石造狛大 ヤ山神社 ワ若宮八幡宮 [ 伝説 ] 姥山伝説 舟地蔵伝説 224 228 224 200 231 231 231 218 235 203 242 212 190 222 222 209 222 214 207 218 203 222 211 211 2 1 1 192 207 208 227 泉の滝 水源 ( 地 ) 蓼川 小糸川 引地川の河口 引地川索引ー 1

2. 湘南散歩 境川・引地川

[ 寺院 ] ェ永明寺 自性院 常泉寺 ( 花の寺 ) かつば七福神 旧中根家墓地 セ善徳寺 善然寺 ソ宗賢院 蛇骨納骨堂 フ普門寺 ホ本願寺 マ万福寺 ョ養命寺 オビンズル様 木造薬師如来坐像 龍見寺 レ蓮慶寺 木造優婆尊尼坐像 [ 公園・樹木等 ] 泉の森 森のはらつば しらかしの家 しらかし広場 水車小屋 しらかしの池 しらかし林 ふれあいの森 ふれあい広場 やまと冒険の森 引地台公園 御嶽山公園 タブノキ ( 保田宅 ) 桐原公園 大庭城址公園 舟地蔵公園 臺谷戸稲荷のタブノキ 臺谷戸稲荷の森 柏山公園 長久保公園 [ 地名・人名その他 ] シ リ 213 , 219 212 222 206 206 206 195 214 230 230 236 232 235 233 233 233 222 208 208 187 187 188 188 188 189 189 190 190 196 197 200 203 218 225 227 229 229 231 238 ア朝岡丑之助 朝岡久兵衛国豊 アヒル天国 イ石川五人衆 ウ上杉朝興 上杉朝良 円行 オ扇谷上杉 大下村 太田道灌 大庭景義 大庭三郎景親 カ鎌倉権五郎景政 亀井六郎 ガル池 環境管理センター キ桐原工業団地 ク鵠沼 権現谷戸 サ沢柳村 シ渋谷村 下福田中学校 神明下 ツ釣り堀 テ天神添 ト東海道新幹線 中根貞次 中村 ー聶耳記念碑 フ福田 福田九人衆 藤沢市中央卸売市場 舟地蔵 ホ北条早雲 マ俣野景久 ヤ鰯干場 ( ヤシバ ) 柳橋ふれあいプラザ 藪鼻 山下惣左衛門 老人福祉センター 六軒村 工 コ ナ ム ロ 引地川索引ー 2 211 211 239 216 230 226 217 226 192 226 226 226 226 218 236 196 218 243 223 195 2 1 1 209 207 189 2 1 1 205 222 192 243 204 204 229 227 226 226 242 196 211 201 229 192

3. 湘南散歩 境川・引地川

臺谷戸稲荷のタブノキ ( H10. 11. 16 撮影 ) 大庭神社旧跡の南台地に小さな だいやと 稲荷 ( 臺谷戸 ) があり、そこにタ プノキの大木がある。 これは昭和 59 年 12 月に神奈川県 の名木 100 選に選定されている。 このタブノキを取り囲むように ケヤキ、エノキ、ツバキ等が混生 し一つの森を形成しており、藤沢 市はこの森を昭和 48 年 3 月に天 然記念物に指定している。 樹齢約 300 年 樹高 18m 胸高周囲 7m 大庭大橋 ( H10. 10.26 撮影 ) ( s 56 年架設 ) 川の東側の稲荷地区には藤沢市中央 卸売市場や老人福祉センターがあり、 大庭大橋の道路はそこへの幹線道路 でもある。 戸 西側から見た大庭大橋 大庭大橋の全景 229

4. 湘南散歩 境川・引地川

この大庭城にまつわる歴史を要約すると次の如くである。 ①平安時代末期、この地を支配していた鎌倉権五郎景政が田畑の全くない荒地だったこの地域 -- - 一帯の 開発を進め ( 1104 年 ) イ尹勢神宮に寄進したこれが大卸厨の始まりで室田」時 ( 弋まで続いた ②景政の子孫は御厨司となり大庭氏を名乗った景宗のとき鎌倉の館にいた源義朝が鵠沼郷に乱人し た景宗の子景義・覯は義朝の家人となり保元の乱 ( 1156 年 ) に参加した ③治承元年 ( 1177 年 ) には大庭三郎覯が大庭庄司となった ④石橋山合戦治承 4 年 ( 1180 年 ) で景親の兄景義は頼朝に属しと弟俣野景久は平家方として戦っ たが源氏が勝利を収めたため景親は兄景義の手によって固瀬 ( 片でタリされた ⑤鎌倉幕府成立後も大庭の支配権は大庭一族を代表する景義にあったが建久 4 年 ( 1193 年 ) に景義は 失脚し、室叩寺代中期には扇谷上杉氏が支配権を握るようになったその家臣で江戸城築城にも実 績のあった太田道灌が : 大庭城の本格的築城を行った ⑥その ) 灯成も永正 9 年 ( 1512 年 ) 上杉朝良が北条早雲に攻められ落城してからは早雲が鎌倉に築い た玉繩城の支酉勺役割しかなくなり、次第に城としての機能を失っていっ 現在は、山は削られ谷戸は埋められ住宅地ライフタウンとなり、南側の長坂山はゴルフ場 に、城山は大庭城土止公園となっている。 ほったてばしらたてものし 館址広場の「堀立柱建物址」の前にある 。 ~ 簽を掲示板には下記のように記されている。 堀立柱建物址 大庭城は台地上を東西に横断する 3 本の 空掘によって、一の郭、二の郭、三の郭、 こは最南の郭 四の郭に分かれている。 に当り、北縁の空掘によって北側の郭と 区画されている。周囲には土塁の跡が部 分的に見られ、東斜面には腰郭、西斜面 には 2 段の空掘や帯状の腰郭が残ってい る。この石柱は昭和 43 年の発掘調査で 確認された高床建築の柱穴の配列 ( 堀立 柱建築址 ) を示したもので、実際の柱穴 館址広場 ( 堀立柱建築址 ) は現地表下 50cm に保存されており、 れは原位置ではない。この他にもいくっ かの遺構が発見されているが、この郭が 大庭城の中でどのような役割を果たし たかは、今後の全面的な発掘調査を待た なければならない。 「空掘」跡 の一つ 市制 50 周年記念「足型の丘」 226

5. 湘南散歩 境川・引地川

城下橋 ( H10. 10.26 撮影 ) ( S61 年架設 ) 江戸時代の初期まで大庭の領主 が住んでいた大庭館があったと かくれざと いわれる隠里の東に「城下」 ( 城 しろした 山の西の「城下」とは異なる ) と せきした 「関下」がある。その城下の東を 流れる引地川に小糸川が合流し 西側から見た城下橋 ており、その地点の引地川に架か る橋が「城下橋」で、小糸川に架かる橋が「関下橋」である。 関下橋 ( H10. 10.26 撮影 ) 引地川に流れ込む小糸川の合流地点と関下橋 228 たてした しろしたばし 大庭神社旧隣 この神社は御霊社又は権現社とも呼ばれ ていますここが式内社の大庭社旧跡と されたのは江戸時代 ( 文化・文政 ) のこ とです。式内社は平安時代 ( 醍餬天皇の とき ) につくられた延喜式 ( 法律の一種 ) の神名帳にのせられている神社です。石 造の鳥居は天保四年 ( 一八三三 ) 山崎兵 衛雅彦が寄進しました。 褪団去ん集尺腎午灸羲听 にる ( 神社入口にある掲示板より ) 中ある のがあ たな気 しさ囲 と小雰 め撮蒼に、 鬱奥し の 、た寂 面 方っ 方 西切な 流 のりれ 上 下登ら 跡城をじ 日は段感 の 跡階。 ら、イ旧いれ 神社細訪 下庭神。の 関 大庭る人 大あが

6. 湘南散歩 境川・引地川

3 、第当第第第■第第■・■第■第■■■第画一 横浜水道引地川水道橋 ( H10. 10.26 撮影 ) この橋は水道の橋で人や車は通ることができない。 横浜水道局が敷設した水路道で相模川から横浜市水道局小雀浄水場 ( 戸塚区 ) までつながっている。この付近では狭い土地ながら稲作等農耕が行われている。 鮮やかな水色の水道橋と収穫期の黄金色の稲畑との対照的取り合わせの趣きあ ー・んげんやと る風景を作り出している。石川最南端にあるのが権現谷戸 ( この水道橋のトン ネル入口北にある権現社からつけられた地名 ) で昔ながらの田圃の地形である。 大庭鷹匠橋から見た水道橋 大庭鷹匠穆 回 ( H10. 10.26 撮影 ) ()6 年架設 ) 下流側の欄干柵にはトンボの飾りが取り付 けられており、また橋の中央と両袖には昆虫 取りをする子供の彫刻が影絵のように飾ら れていて微笑ましい。 東側から見た大庭鷹匠橋 上流側の欄干 西側から見た大庭鷹匠橋の全景 223

7. 湘南散歩 境川・引地川

石川橋 ~ 引地橋 石川 神町 社耳 佐 自性院 F 河内橋 山王社耳 地 = 石一橋 ー道橋 、、浜 、、横 湘南ライフタウン 大壬匠橋 4 大 庭 43 善行団地 藤沢西部団地 大庭城址、 大庭台墓苑 小 神橋 庭神社 糸 ◆舟地蔵 舟地蔵公園 大庭神社旧下橋 庭大橋 豆谷尸、 , 荷のタブノキ 宗賢院卍 稲荷△市 -1 央卸売市当 ァンター 城下橋 関ド 橋 1 柏山橋 卍本願 山稲荷神ネ 城南 羽良 寺卍 引地橋 引地川は藤沢市の中央に向って南下し、途中大庭城址を過ぎた付近で支流の小糸 川と合流する。このあたりからは川沿いの道も整備されている。 国道 1 号を過ぎるころには、それまで見られた田園風景は消え住宅地など街中の 風景に変わる。なお、山田橋と石川橋の間にある 3 つの橋の内秋本橋と石川岡田 橋が平成 12 年に更新される予定である。 220

8. 湘南散歩 境川・引地川

天神橋 ( H10. 10.26 撮影 ) ( s 63 年架設 ) 橋の欄干に飾られているカエルの表情 がおもしろいユニークな橋である。 小林一茶の句を思い起こす雰囲気である。 東側から見た天神橋 ( 下流側の欄干にカエルの鋳体が置かれている ) しきり 勝ちカエル 負けカエル ノコッタノコッタ ハッケョイ 天神橋の名は近くにある大庭神社 ( 大庭天神社 ) に由来する。大庭景親が大庭城を 築いたときに辰巳の方から福徳を授かり戦勝祈願をして天満宮をこの地に移した といわれている。延喜式内社の旧跡。 ノ験主光勧安神セ地祀当 シ大 神灼山格請永ラ 大庭神社 トニ崎天セ六庭レ鎮延庭 ( H10. 10.29 撮影 ) 世シ六皇ラ年三当座喜神。大 ? 代テ郎ノレ十郎地セ式社 入口の鳥居の前にある掲示板には右記 ニ普兵御同月景 ′、ラ内 / 、 昭伝ク衛代ジ神親往ル卿御神 のように由来が記されている。 和ラ庶包天ク祇公古相社祭社 五レ民高明配白 , 、ヨ模ナ神之 十マノ等三神川第リ十リト由 四ス 守ノ年菅従百旧三藤 護願秋原ニ十地社沢テ 年 神ニ地道位八ナノ市曠 デ依頭真伯代リー稲古 月 十 アリ諏公資桃トニ荷神 リ勧訪ハ顕園伝シ九皇 日 氏請部第王天承テ百産 子セ定百ニ皇ス小九霊 崇ラ太十依ノ当社拾尊 敬レ郎九リ御社ニ八ヲ 者霊名代テ代配列番奉 大庭神社の本殿 224

9. 湘南散歩 境川・引地川

大庭城址公園 チビッ子 天神橋の西方の小高い大地に大庭城址公園が 冒険広場 ある。西側の正面入口から石畳のゆるやかな坂 館址広場 道を上がると広々とした大芝生広場、チビッ子 ( 堀建物址 ) 冒険広場が続いてある。ここの桜は美しく春に は花見客で賑わう。また、大芝生広場の北側に は城郭をイメージした藤棚のパーゴラ、東側奥 には市制 50 周年記念モニュメント「足型の丘」 があり、チビッ子冒険広場から東の奥へ行くと 花の広場がある。更に南方の奥へ進むと館址広 場がある。こは多数の石柱が置かれた「堀立 柱建物址」となっている。 右の写真の記念碑は公園南端 ( 南側入口から上 がった所 ) に建立されているものである。 ( H10. 11. 16 撮影 ) 正面入口 リ入口 型の 大芝生広 管理事務所 花ム場 南但 大庭城址の記念碑 らを 大芝生広場の南側 大芝生広場の北側 225

10. 湘南散歩 境川・引地川

万福寺 ( H10. 11. 16 撮影 ) 万福寺は上村橋の近く東方にある。 入口の門に 「関東六老僧 荒木万福寺」 「真宗大谷派 鵠沼山清光院」 とある。 万福寺の境内と正面の本堂 % 森皇大神宮 ( H10. 11. 16 撮影 ) 万福寺から更に東へ行った所に烏森皇 大神宮がある。 第 53 代淳和天皇の天長 9 年 ( 832 年 ) を 社殿造立の記録がある。祭神は天照皇 大神。第 60 代醍醐天皇のとき延喜式が 選進されたころ、奈良時代以来今の藤 沢、西富、大鋸、鵠沼、辻堂などの地 域を合わせて唱えられていた相模国土甘郷の総社に列せられ、以来「相模国土甘 郷総社神明宮」と称された。その後長治元年 ( 1104 年 ) 鎌倉権五郎景政が所領の 大庭荘を伊勢神宮に寄進し大庭御厨となってから「伊勢神領大庭御厨総鎮守」と 定められた経緯がある。例祭は 8 月 17 日。当日 9 基の盛装した人形山車の参進は 壮観で神奈川県の民族芸能として指定され、また藤沢市の重要有形民俗文化財に 指定されている。境内には延喜式内石楯尾神社はじめ多くの神社が同座している。 とかみごう 235