川上穆 回 ( S 37 年架設 ) 青少年センターからの山道と城山 湖から下って来る道と交わる三叉 路地点に川上橋がある。 民家を縫って流れた川は比較的広 いこの道路を横切って左折し道に 沿って流れて行く。まだ水量は少 ない。この三叉路の角に地蔵尊と ラ第を第い。 2 基の石標がある。 地蔵尊 この地蔵堂は昭和 58 年 12 月に新築され たもので、地蔵尊の由来について次のよ うに書かれている。 本地蔵尊は嘉永 3 年 ( 1850 ) 雨降の当地 に安置され、その名を子育地蔵尊として伝 えられ、古くから子宝に恵まれぬ人たちの 熱心な参詣があり、その甲斐あって子供を 授かった話も数多く伝えられている。また 当地に疫病が流行し、山里離れて居り医者 にもかかれず、お百度詣りで治してもらっ ( H11. 4.27 撮影 ) た話なども伝えられ、またイボ取地蔵尊と 石標 も呼ばれ多くの人に親しまれております。 地蔵尊傍にある石標はその昔甲州路への 近道として旅人が一休みし、行き先を確か めて旅立った形跡も残っている。 蔵尊の由来を掲げると共に諸人の和と安 泰を御祈りする次第であります。 雨降講中 平成 1 年 10 月吉日 右の石標 : 第第・を新新 ( H11. 4.27 撮影 ) あめふらし ( 正面 ) 御成婚記念 東堺村大戸ヲ経テ木村久 ( 右面 ) 右高尾山近道・右山道 ( 左面 ) 左川尻村小学校樹栽地及戦勝記念 ( 正面 ) 馬頭観音大正 5 年 3 月建之 左の石標 : 20
らずしも川の流れと一致していない部分があるが、恐らく現在の境界線が元の境川 の流れであったのであろうと思われる。 ー最初の「一の橋」から最後の「片瀬橋」まで橋名が分っているもの だけでその数は支流のものを除いて 118 ある。本書に掲載する橋の総数は、 2 つの 水道橋と支流の 7 橋を含めて 127 橋である。 これらの中には同じ名称が付けられている橋がいくっかある。最も多いのが「境橋」 で「新境橋」「増堺橋 ( 以前はいずれも境橋といわれていたようである ) 」も含める と 7 橋あり、「境川橋」は 3 橋 ( 「境川大橋」「境川高架橋」も含めると 5 橋 ) 、「両国 橋」、「鶴間橋」、「大正橋」、「小山橋」、「鹿島橋」がそれぞれ 2 橋ある。また、相模 原市の宮下本町には「大正橋」、「昭和橋」、「平成橋」と年号名を連続して付けられ ている橋がある。橋の名前も時代によっていくっかの変遷があるようで、例えば遊 行寺の前の「遊行寺橋」は、古くは「菊名橋」とか「喜久名橋」、明治時代には「大 鋸橋」とよばれたこともあったとのことである。 一方これらの橋の形状、大きさ、使用材料等は架設場所の川幅や流れの状態、交通 の条件、架設年代、その地域の住民や行政の考え方などが反映されているように思 われる。「一の橋」のように木板を渡しただけの橋、ガードレールを取り付けただけ の橋、欄干も含めコンクリートで造られた橋、シンプルなスマートな橋、その地方 の特徴を示すものをモチーフにした飾を取り付けた橋、どっしりと重厚な橋、華麗 な橋等様々である。相対的には下流になるほど、交通量 ( 人通り ) の多い橋ほど、 その造りは立派になる。中でも河口に近い「弁天橋」はその形状、色彩のほか橋の 中央に彫像を配するなど工夫され通行するのが楽しくなる人道橋で、「神奈川県の 名橋百選」の一つに指定されている。 ー今こそ境川は河川改修や護岸工事が進み安全な川とな。ているが、 昔の境川は暴れ川ともいわれ氾濫などによる被害が絶えなかったようである。従っ てそれにまつわる伝説や信仰も生まれている。「二十三夜様」「瞽女淵の碑と土手番 様」などはその例である。また、村の鎮守としての神社や極楽浄土を願う寺院が数 多く建立されている。本書で取り上げたものだけでも、神社は 67 社、寺院は 61 寺 に及ぶ。これらの神社仏閣にはそれぞれ独自の歴史があり、その由緒や縁起には歴 史上の有名な人物や言い伝えが数多く登場しており誠に興味深いものがある。 花応院や遊行寺の「小栗判官と照手姫」伝説、龍ロ寺の「日蓮上人の龍のロ刑場」 伝説などはその代表的なものといえよう。また中には有形・無形の重要文化財に指 定されているもの、境内に 300 年以上も大切に保存され天然記念物あるいは名木古 10
長後橋 ~ 南台橋 福 3 号橋 大不 市 引地川はいよいよ藤沢市 へ流入し、鐘淵橋等 4 っ の人道橋の後に長後橋を くぐる。その下流にある 熊野橋は綾瀬市と藤沢市 の境界に架かっており、 熊野社の近くにある。 の両市の境界線は熊野橋 から引地川の左岸に一部 食い込んだ形となってい るので、川はこの部分だ け綾瀬市を通過すること になる。以降は藤沢市の ほぼ中央を南下し一路河 ロへと流れて行く。 長彳オ喬 ( H10. 10.29 撮影 ) ( S43 年架設 ) 県道 42 号線 ( 藤沢座間厚木線 ) にあり東南に直進すると小田急 電鉄江ノ島線長後駅に至る。 この橋の下流右岸側に長後高等 学校がある。車の交通量が多い が橋に並行に歩行者用側道橋が 敷設されており歩行者の安全が 東南側から見た長後橋と歩道橋 確保されている。 上谷台 上上棚北 大山橋 山王添 天満宮 鐘淵橋 42 上上棚中 綾瀬市 天神添′ 宿下分 卍永寺′ 蓼 長後橋 熊野社 、野橋 上上棚南月 下へ 、ム同 下土棚大 長後駅 新屋敷′ 卍善然 . 幵山神社′ 中村 藤 , 沢市 尊中村 2 上河内 湘南 湘南台橋 210
境川索 引 [ 河川・湖・海岸 ] 境川の源流地 城山湖 真米川 目黒川 相沢川 和泉川 宇田川 白旗川 柏尾川 片瀬海岸 境川の河口 [ 橋 ] 13 カ金山橋 19 上瀬谷橋 29 上段木人橋 89 上鶴間橋 1 1 1 上中村橋 127 上俣野橋 131 上山本橋 136 上和田 1 号橋 156 , 158 上和田 2 号橋 177 川上橋 177 川堺橋 川島橋 川名橋 ア相沢橋 1 1 1 キ菊名橋 相原橋 34 喜久名橋 東橋 155 共和橋 新屋敷橋 161 ケ下馬の橋 14 源流地橋 イーの橋 127 コ幸延寺橋 一丁田下橋 稲荷橋 37 高鎌橋 今飯橋 125 御所ヶ谷橋 99 御殿橋 人村橋 ウ宇田川橋 131 寿橋 ェ榎堂橋 66 サ境川大橋 162 境川上高倉堰 江ノ電鉄橋 堰跡橋 153 境川高架橋 オ大清水橋 135 境川橋 16 境川橋 大地沢橋 大道橋 156 境川橋 159 境橋 奥田橋 42 境橋 47 境橋 小山橋 23 境橋 カ風戸橋 24 境橋 風間小橋 ( 武川橋 ) 69 坂本橋 鹿島橋 99 シ島橋 鹿島橋 176 下森橋 片瀬橋 金沢橋 131 下分橋 境川索引一 1 78 シ昭和橋 92 白鷺橋 18 白田橋 ( 白鳥橋 ) 76 新川名橋 47 新境橋 127 新田橋 160 新中里橋 110 新道大橋 110 新緑橋 神明橋 20 21 ス水道管橋 27 水門 ( 橋 ) 156 住吉橋 142 セ千寿橋 142 タ大鋸橋 50 大正橋 25 大正橋 14 高飯橋 67 高木橋 119 高砂橋 155 鷹匠橋 136 高橋 41 立石橋 136 谷口橋 117 段木入橋 83 チ長寿橋 62 ツ鶴金橋 118 鶴瀬橋 161 鶴間 1 号橋 48 鶴間橋 60 鶴間橋 69 テ出合橋 105 電柱橋 162 ト東海道新幹線 44 64 東西橋 68 常盤橋 1 1 1 ナ中里橋 -4 9 、 8 一 4 「 / 「ー「 / LC ワん tC っ 0 → 1 9 、一 8 っ 0 一 8 一 8 一つん「ー 4 8 一、 6 ( 0 一 4 4 、つんっ乙「 0 っ 0 つん LC -0 一 1 上 8 一りん、 6 、 6 4 -4 LC りん「ー 4 ・つけ 4 っ 0 、 6 11 っ「ー一 8 一 8 一「ー 8 一 1 工 11 - 一 1 1 ー 1 ー 1 11 11 高架橋 11 っ乙 tC
◇目 はじめに ・・・ 9 ~ 11 瑞光寺、両国橋 小山橋、宝泉寺 次◇ 小山橋、長泉寺、上中村橋 中杓橋、高橋、馬場橋、境橋、薬師堂 御嶽神社 47 48 49 7 ~ 177 境川を訪ねて 木道橋、小仏層 電柱橋、出合橋、大地沢橋 大地沢青少年センター ーの橋 ( 源流地橋 ) ーの橋 ~ 風戸橋 境川源流地 ( 大地沢 ) 境川の流域全体図 上段木入橋、段木入橋、若宮八幡 江柄神社、子ノ神社、風戸橋 八木重吉記念館 大戸観音、川堺橋 川上橋、地蔵尊、石標 城山湖 ・・・ 12 ・・・ 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 40 41 42 43 49 44 45 46 ・・・ 14 ~ 23 共和橋 ~ ひのき橋 共和橋 宮前橋、日枝神社 箭幹八幡宮 両国橋 島橋 ~ 境橋 母智丘神社、熊野神社 芹ヶ谷公園 宗保院、勝楽寺 鹿島神社、青柳寺 鹿島橋、千寿橋、境橋 日枝神社、下森橋、谷口橋 幸延寺橋、幸延寺 榎堂橋、神明橋、妙延寺 住吉神社、森野橋、住吉橋 島橋 鹿嶋神社、八坂神社、ひのき橋 境川橋、大日堂 覚円坊、木曽一里塚 境橋、伝重寺、金毘羅社 八坂神社、龍像寺 秋葉神社、縁切り榎と別れ橋 忠生公園 新中里橋、中里橋 おきぬさま信仰、淡嶋神社 皇武神社 根岸橋、八王子千人同心旧家、 高ヶ坂石器時代遺跡、杉山神社 長嶋神社、金山橋、西田橋 金山神社、鶴間橋、金森天満宮 上鶴間橋 上鶴間橋 ~ 鶴間 1 号橋 町田天満宮 ・・・ 50 ~ 63 ・・・ 64 ~ 75 風間小橋 ~ 常盤橋 風間小橋 明観寺、下馬の橋、下馬梅 円林寺 原宿用水取入口跡、増堺橋、川島橋 行昌寺、おさる様 ・・・ 24 ~ 33 新田橋、白田橋 ( 真米川 ) 、 華蔵院、八幡橋、正泉寺 相原八幡宮 陽田橋、長寿橋、常盤橋 長福寺 新境橋 ~ 蓬莱橋 新境橋、相原橋 諏訪神社 香福寺、寿橋、日枝神社 二州橋、稲荷橋、稲荷社 吉田橋、青木家屋敷 清水寺 二国橋 ・・・ 34 ~ 43 高木橋、鶴間橋、定方寺公園、定方寺 八坂神社、熊野神社 浅間神社、下鶴間甲一号遺跡 境川高架橋、二津屋橋、水道管橋 高砂橋、蓬莱橋、二十三夜様 大正橋、昭和橋、平成橋 天縛皇神社、福生寺 坂本橋、小山白山公園 坂本橋 ~ 境橋 ・・・ 44 ~ 鶴間 1 号橋、鶴間公園 鶴瀬橋 ~ 鹿島橋 鶴瀬橋 第六天神社、鶴間山観音寺 大山阿夫利神社御分霊社 ・・・ 85 ~ 104 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 81 82 83 84 85 86 87 ・・・ 76 ~ 84 4
白鷺橋 ( S54 年架設 ) かってはこの付近に白鷺がいたのであろうか。 この白鷺橋の東から南へ相模鉄道いずみ野線の高架線路が見える。いずみ中央か ら湘南台まで最近延長されたのである。藤沢市側の橋の傍には「一般道路・藤沢 大和自転車道」と標され、川に沿ってサイクリング道が整備されている。 白鷺橋の下流 ( H11. 6.26 撮影 ) 相鉄いずみ野線の高架が見える 西側から見た白鷺橋 ( H11. 6.26 撮影 ) 鯖神社 境川の西側、白鷺橋と今 飯橋の中間ぐらいの位 置に鯖神社がある。入口 の掲示板には次のよう に由来が記されている。 ( H11. 7. 1 撮影 ) 鯖神社本殿 鯖神社由来 例祭 10 月 1 日 祭神源義朝公創立元禄 15 年 ( 1702 ) 当地住人井上瀬兵衛により造立される。祭神源義朝が佐馬頭であったことから鯖神社と称 する。文政 9 年 ( 1826 ) に再建し、昭和 8 年氏子中により本殿拝殿が改築される。 ( 藤沢わがまちのあゆみより ) 例祭日には子供神輿や山車が出てにぎやかである。 124
山本穆 回 ( s 62 年架設 ) 国道 467 号に近く、湘南海岸を走る国道 134 号に通じる道に架かっている橋で、 橋の西側には山本公園がある。 , ⅢⅢ川ⅧⅢい い川いⅱⅢ 東側から見た下流側の欄干 ( H11. 5.31 撮影 ) 本蓮寺 当寺は推古天皇の 3 年 ( 595 ) 聖徳太子 の師により開かれ、三輪、天台、真言 等兼学の道場であった。源頼朝の再建 にかかり、 14 世紀初め日蓮宗に改める。 江戸幕府は慶安 2 年に 100 石の朱印地 を与えた。「御朱印の標札」がある。 ( 以上「ふるさとまつぶ」より ) 本蓮寺の裏山墓地の奥 ( 山の中腹 ) に は釈迦多宝塔がある。 西側から見た山本橋 ( H11. 5.31 撮影 ) Ⅲ ! Ⅲ ! Ⅲ 本蓮寺の山門 ( H11. 5. 31 撮影 ) 釈迦多宝塔 ( H11. 5.31 撮影 ) 本蓮寺本堂 ( H11. 5.31 撮影 ) 166
稲荷橋 ( H10. 10.22 撮影 ) ()I 年架設 ) この橋は本鵠沼と鵠沼海岸を縦断する主要道路と海岸沿いの国道 134 号線をつな ぐ橋である。黄金色の美しい橋である。近くに鵠沼伏見稲荷神社がある。この辺り は引地川から灌漑用に水車で汲み上げ掘割に沿って水を流していたことがあるの で鵠沼では引地川を堀川とも呼びそれが集落の名前にもなり、この辺りの水田を 堀川田といわれた。その豊作の願いがこの橋にも込められているように思える。 ほりかわだ 西南側から見た稲荷橋 ( 下流側の欄干 ) 上流側から見た稲荷橋 右の記念碑は日の出橋・稲荷橋間の右岸 の遊歩道脇に設置されている。 碑には下記の通り記されている。 この鵠沼耕地整理事業は旧引地 川以東の鵠沼地域を中心とした 水田の用水を確保し米の生産性 の向上と安定的な生産をはかる ため昭和六年四月組合を設立し 直らに事業を着手しました またこれを機会に県町の強い要 請によりたびたび濫を繰返し ていた引地川の抜本的な改修を 伴う区画整理を併せ実施しまし しかしながら戦中戦後等はげし い時代の変遷と種々の事情によ り換地処分が未処理のまま半世 これをこのまま放置することは 権利者はもとより行政上にも重 大な支障があるので昭和五十五 年新役員を選出し県市の強力な ご指導と役員をはじめ組合員一 同が渾然一体となって冏題解決 のため最善を尽し本事業も五十 五年有余の歳月を経て総面積七 十五ヘクタールの耕地整理事業 が完了したのでこれを記念して ここに碑を建立しました 昭和六十一年十一月吉日 高座郡藤沢町鵠沼耕地整理組合 241
町田天満宮の入口 ( H11. 7.22 撮影 ) 町田天満宮は県道 51 号の東側、 J R 横浜線の南側にあり、線路の北側から 参宮橋を渡って直接参詣できるよう になっている。町田市内で最も人気の ある神社の一つであろう。 参宮橋から鳥居をくぐると正面に本 殿がある。この社殿は昭和 42 年 9 月 竣工した尾州檜、屋根銅版葺、本殿流 造、拝殿権現造である。 その左横に旧社殿 ( 境内社 ) がある。 これは明治 27 年 4 月再建され新社殿 造営時に移設されたものである。 この境内社には、大物主神 ( 金比羅 宮 ) 、素盞鳴命 ( 八雲社 ) 、蛭子大神 ( 恵 比寿社 ) 、火産霊神 ( 秋葉社 ) 、聖徳太 子、以上 5 神を祀っている。 なお、この境内では毎月 1 日に「がら くた骨董市」が開かれる。 境内 ( 参道の右 ) には「臥牛」の像が 2 体奉納されている。これは「丑年生 まれの菅原道真は牛車の牛を大いに可 愛がったので、亡くなられた時御棺を 牛車で墓所へ移そうとしたところ途中 ねうし 円画当 町田天満宮 臥牛像の一つ ( H11. 7.22 撮影 ) で牛が臥て動かず、仕方なくそこにお祀りした。その場所が太宰天満宮である」 ということに因んで、境内に臥牛が奉納されているのである。 75
引地川索引 イ石川橋 稲荷橋 ェ円行大橋 円行新橋 オ大下さくら橋 大庭大橋 大庭鷹匠橋 御嶽橋 カ柏山橋 上河内橋 上草柳 2 号橋 上草柳 4 号橋 上村橋 ク鵠沼橋 熊野橋 サ境橋 作橋 笹山高架橋 山王橋 シ清水橋 下山王橋 下草柳橋 下上棚大橋 湘南台橋 城下橋 新道下大橋 神明橋 セ関下橋 ソ草柳 1 号橋 草柳 2 号橋 草柳 3 号橋 草柳 6 号橋 草柳橋 タ大平橋 高名橋 高山橋 チ長後橋 テ天神橋 ナ長久保緑橋 中村橋 [ 橋 ] 221 241 217 217 195 229 223 199 231 2 15 189 189 234 243 212 196 239 188 198 237 198 191 213 2 15 228 201 205 228 194 194 193 194 195 239 230 236 210 224 238 214 ハ八幡橋 ヒ東ヶ里ふれあい橋 東山田橋 引地川橋 引地橋 日の出橋 フ福田 1 号橋 福田 5 号橋 福田 6 号橋 福田 8 号橋 福田 10 号橋 福田 1 1 号橋 福田 13 号橋 福田 14 号橋 福田橋 富士見橋 ホ本八幡橋 マ馬渡橋 、緑のかけ橋 / 、去 0 十喬 ヤ柳橋 山下橋 山田橋 ョ横浜水道 引地川水道橋 リ龍宮橋 ロ六軒支線 1 号橋 ワ若宮橋 [ 水源・支流等 ] 水源涵養林 水源地のしくみ ム 202 190 219 232 232 240 197 204 205 205 207 207 209 205 209 237 202 217 188 213 2 16 201 219 223 242 192 205 186 186 187 187 213 228 244 [ 神社 ] オ大庭神社 大庭神社旧跡 大庭天神社 御嶽山神社 カ柏山稲荷神社 将監稲荷 将監淵 亀井神社 烏森皇大神宮 キ鬼子母神 ク鵠沼伏見稲荷神社 熊野社 熊野神社 サ佐波神社 鯖神社 山王社 山王社 シ白山神社 神明神社 ス諏訪神社 タ田中八幡宮 テ天神社 天満宮 石灯籠 石造狛大 ヤ山神社 ワ若宮八幡宮 [ 伝説 ] 姥山伝説 舟地蔵伝説 224 228 224 200 231 231 231 218 235 203 242 212 190 222 222 209 222 214 207 218 203 222 211 211 2 1 1 192 207 208 227 泉の滝 水源 ( 地 ) 蓼川 小糸川 引地川の河口 引地川索引ー 1