イエス - みる会図書館


検索対象: 西洋名画を読み解く
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1. 西洋名画を読み解く

群像を分ける斬新な構図と 天才的な人物描写 ているのです。また弟子たちをただ均等 イエスによる衝撃の告知 に並べるのではなく、 3 人ずつのグルー 緊迫のトラマを捉えた大壁画 プに分けて左右対称に配しています。 長らく修復中であったが、 1999 年個々の人物は動きに満ちていますが、こ の修復完了によって大きな話題を呼んだ のグルーピングにより、画面全体に調和 《最後の晩餐》。公爵ルドヴィーコの菩提のとれたリズムが生まれています。さら 寺サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ に裏切り者のユダは従来、テープルの反 修道院の食堂を飾るために描かれこの絵対側に描かれることが多かったのですが、 は、現存するレオナルドの作品のなかで ここではペテロとヨハネという重要な使 は、最大かっ唯一の壁画である。 徒と一緒に置いている。そこに緊張感に 最後の晩餐は、福音書の有名なエピソ あふれたドラマが生まれてくるのです ードだ。使徒の一人ユダの密告により逮 この絵のもう一つの特徴は、人物描写 捕される前夜の晩餐の席、イエスはユダ が素晴らしいということです。イエスが の裏切りを弟子たちに告げる。驚く弟子裏切り者の存在を告げたその瞬間、弟子 たちに、自らの肉と血としてパンと葡萄たちの間には動揺がさざ波のように広が 酒を与えるイエス。食堂に飾られる最後 っていく。ある者は驚いて立ち上がり、 の晩餐の絵は、食事の度に、人間の罪深ある者はその言葉の真意を問いかける 自分ではないと訴える者、憤る者、顔を さを感じさせると同時に、それを超越し た主イエスの恩寵に思いを至らせる重要見合わせ議論を始める者。ここには同じ な意味をもつ。繰り返し描かれたテーマ表情や動作を見せる者は誰一人いませ だが、当然ながらレオナルドは伝統的な ん。これほど動きに満ちた、また多彩なアンドレーア・ 描き方には満足せず、習作を繰り返し、 感情を見事に描いた《最後の晩餐》はこ 小ヤコブ・ 熟考を重ねて独創的な画面を生み出した。 れまでありませんでした。レオナルドは バルトメロオ・ 「まず特筆すべきは、斬新な構図でしょ よく人物を観察して素描を重ね、身振り う。消失点はイエスの顔にあります。すや表情で心理状態を表わすことに優れて べての直線が、いま運命の言葉を発した いましたが、それがこの絵でも遺憾なく イエスへと向かいます。厳密な遠近法の 発揮されている。まるで演劇のクライマ 構図が、場面をドラマチックに盛り上げ ソクスを見るように、この物語のもつ重 フィリッホ↓ 大ヤコブ・ トマス・ シモン・ タダイ・ マタイ↓ イエス・ ヨハネ↓ ペテロ・ ユダ・ グループ 0 イエス ユダ フィリッポ ペテロ イ走の筆各ペテロ。思わずナイエスの言葉に思わず身を引き、・夏の結果、ロをあけているこ イエスの方に身を乗り出し、懇 イフを握りしめ、言葉の真意を銭袋を握りしめるユダ。影となとがわかり、衝撃の言葉を発し願するような表情を見せる。胸 確かめようと、隣のヨハネに耳った顔と視線は、じっとイエスた、まさにその瞬間であることにあてた手は、自らの潔白を訴 打ちをしている。 に向けられているようだ。 か日月らかになった。 えるものだろうか。 グループ① 数学的比率により 多彩な感情表現を 調和させた構図 弟子たちは 3 人ずつにグル ープ分けされ、イエスを 1 とすると、両脇グループが 2 、その外側が 3 の割合で 広がるように構成されてい る。リズミカルな画面構成 が、様々な青を見せる人 物たちにま財口を生み出して いるのだ。 グループ② グループ 3 イエス 8 2

2. 西洋名画を読み解く

ロンドン、ナショナル・ギャラリー版 《岩窟の聖母》 といニノ攜はいくらか解決されたようだ。 そして、陰影に富む第一一作目では、聖母も イエスも少しおとなびて感じられる。 さて、 2 つの絵の持っ違いは、同じ絵 がつくられた理由を一小す A. 言う人もいる。 なぜなら、同信会が、最初の絵を気に入 らず受け取りを拒否したという説もある からだ。当初から同信会は絵の内容を詳 しく規定していたが、レオナルドはそれ とは異なる独自の画面をつくった。そこ で会の意向に沿う第一一作がつくられたと も考えられるのだ。だが一方で、当時レ オナルドが仕えていたミラノ公ルドヴィ ーコが聖母像を所望したためコビーがっ くられたという説もある。ミラノの支配 者である公爵には逆らえず、修道院は代 替作品を受け取ったというのだ。だが、 真相は藪の中。謎の解決のためには、新 たな資料の発見を待たねばならない 聖母マリア 洗礼者ヨハネ 天使 ヨハネは後にイエスに 洗礼を施す聖人で、し はしば十字架をもって 描かれる。第一作では 2 人の幼児の区別がつ きにくかったため、追 加されたのだろうか ? イエス 指し示す手は、聖ヨハ ネへの注目を促し、殉 教する彼の運命を暗示 する。なせ後年作では 描かれなかったのかは イ月だ寺に天使の 視線も変えられている。 聖母マリア ロンドン、ナショナル・ギャラリー版 ヨ / 、ネ 天使 イエス 手と視線で会話する 4 人の登場人物 ヨハネをカしつつ、イエスの頭上に手をかざし守る要母マリ ア。守護するヨハネを示しつつイエスを支える天使、イエスに ネはするヨハネと、ヨハネを祝福するイエス。その複雑に交 する人物たちの視線と手の青が見る者を惹きつける。 光の卓越した扱いから 生まれる徹妙な青。 より柔らかく優しく見 える第一作に対し、陰 影に富む第ニ作は少し 大人びて見える。光輪 の有無も違いのひとつ。 ヨハネをまっすぐ見つ めるイエス。洗礼のポ ーズは同じだが、第ニ 作の方が体つきがむっ ちりと大きめだ。顔も 少し大人びて、しつか りして見えるだろうか。 CA 物レアフロ 《手と腕の習作》 1483 年 紙、黒チョーク、白ハイライト 15.3x22cm イギリス、 ウインザー城王亟書館

3. 西洋名画を読み解く

ロンドン、ナショナル・ギャラリー版 《岩窟の聖母》 1491 ~ 1508 年頃 ルーヴルの〈岩窟の聖母》とほぼ同寸、剛図の 作品。どちらがオリジナルかカ ~ を呼んだが、 現在は、こちらがコピー作品で、レオナルドの キ酎軍のもと、前作の共同野乍者だったプレディ スが描いたとされている。祭壇画のため、天使 を描いた両翼がっし、ている。 板、う彡 189.5X120Cm ロンドン、ナショナル・ギャラリー 日 1 / アフロ きつけられるのです」 ( 裾分先生 ) 確かにこの聖なる空間に集まる人物た ちの微妙な視線や手の表情は謎めき、見 飽きることがない印象的なのは、天使 が画面の外にいる私たちに視線を向けな がら、向かいの幼子を指さしていること だ。幼子は一一人おり、聖母が支えている ことから、一瞬、この左の子がイエスか と錯覚するが、実はこちらが後にイエス に洗礼を施す聖ヨハネ。指さす天使は、 このヨハネに注目するよう、私たちの注 意をうながしているのかもしれない。一 方、聖母はヨハネを守ると同時に、左手 をイエスの頭上にかざす。教会の屋根の ように我が子イエスを庇護しているとも いうのだが、それにしてもなぜ彼女は我 が子と距離を置いているのだろうか 精緻な表現のなかの謎ーーーそれがレオ ナルドの絵の特徴とも言えるが、実はこ の絵には大きな謎がもうひとつある 「それはほば同じ絵が 2 点あることです 2 点とも同じ形で、ほぼ同寸、同構図の ため、どちらがオリジナルかという議論 が長く交わされてきました。報酬を巡る 訴訟があり、文書記録は残っていますが、 その内容が矛盾するため、さらに議論は 紛糾しています。わかっているのは、現 在ルーヴルにある絵がレオナルドの描い た第一作目、もう一点のロンドンにある 絵が第一一作ということです」 第一一作はレオナルドの指揮のもと、主 にプレディスが制作したコピー作品とさ れるのだが、では、絵はなぜ 2 点つくら れ、そして両者はどこが違うのだろうか

4. 西洋名画を読み解く

もうひとつの《聖アンナと聖母子》 《聖アンナと聖母子》は 2 点現存する。もう 1 点はロンドンにある画高だ。構成は似てい るが、画高では、子羊のかわりに洗礼者ヨハネが描かれ、核となるアンナの姿も違う。 アンナと聖母の顔カ洞じ高さに並ぶ高では、三角幵身満図の安定感に欠ける面もある。 06 ュ品コ円くアフロ 聖アンナの目線 優しく見守るう彡に対し、 画稿の方は何かを諭すよ うな強い視線を送る。 聖母の表情 共に優しい表情だが、油 彩の聖母はイエスを案じ てか、より憂いを含む。 アンナの左手 画高のアンナは指を立て、 天を示す。イエスの役割 を示しているのだろうか。 ヨハネが子羊に 大きな違いは洗礼者ヨハ ネが子羊になった点。イ 、、一 = ェスの位置も違。ている。 ロンドン、ナショナル・ギャラリー版 ルーヴル版より以前に描かれた画稿 原寸下絵と考えられるが↓写し取って本画を描いた 痕跡は認められない。旧所蔵家名にちなみ、「バー リントン画高」とも呼ばれている。 ロンドン、ナショナル・ギャラリー @Bュ品也1ミくアフロ 三角形の中に 人物が収まる 安定した構図 聖母が母親の膝の上に座るとい う、無理な姿勢の大胆な翩内だ が、画面を自然に見せている理 由の一つが、構図の安定感だ。 アンナを軸とした三角形の中に、 聖母、イエス、羊のすべてが収 まっている。 ます。それによって、聖アンナから聖母 へ、そしてさらにイエスへと続く宗教的 受肉の系譜の概念を、目に見えるかたち で表わしているのです」 ( 裾分先生 ) もちろん構図以外にも、この絵の見ど ころは多い。 背景はレオナルドに特有の 岩山と水辺。空気の薄いべールに包まれ たように青く霞む景色は、おなじみの空 気遠近法とともに、彼が地質学や気象学 への探究をさらに進めていたことを表わ している。この作品以前に描かれた現存 の画稿との比較からは、レオナルドが何 を目指していたのかが推察できるかもし れない晩年のレオナルドは、いまだ飽 くなき探究の道の途中にいたのである 《聖アンナと聖母子》 のための習作 1501 ~ 1510 年頃 紙、ペン、インク、黒チョー ク 121 x 1 ヴェネッ ィア、アカデミア美術館 登場人物の 位置関係に悩んだ習作素描 ルーヴル版の習作素描。画高と比べると、構成はか なり近い。だが、アンナの顔の位置などが未で、 試行錯誤の様子がうかがえる。さらにう彡では、イ 工スがマリアの膝から降りることになる。

5. 西洋名画を読み解く

修復で浮かび 上がってきた絵柄 過去の加筆を除去する修復により、人物の表情や卓上の 品々が生き生きと甦った。テーカレクロスの模様まで精 織に描かれていたことやこ壁画上部の紋章入り装飾もレ オナルド作だったことカ痒怛月するなど、新発見も多い。 大な瞬間の緊張が、観る者に生き生きと 《最後の晩餐》は、すでにレオナルド の生前から損傷が始まっていた。通常の 伝わってきます」 ( 裾分先生 ) この絵についてはまた、レオナルドの壁画は、フレスコ画手法を用い、塗らし 制作ぶりを知ることのできる重要な証言 た漆喰の上に絵を描き、漆喰の乾燥とと もに絵の具を定着させる。だが短時間で があるそれによれば、彼は夜明けから 日没まで一度も絵筆を置くことなく、寝仕上げる必要があり、定着後は修正でき ないこの手法を嫌った彼は、自身の科学 食を忘れて打ち込む日があったかと思え ば、何日もまったく絵筆をとらずに作品 的な研究に基づき、油性テンペラという の前で何時間も考えていることもあり、 技法を用いた。その結果、充分に固着し また突然の衝動に駆られたように修道院なかった絵の具が剥落を招き、その後の にやってきて、画面に一筆か一一筆入れる度重なる修復・加筆と第一一次大戦の影響 と、また去っていくこともあったという などもあって、絵のオリジナル部分をほ レオナルドは寡作で知られる画家だが、 とんど見えなくさせてしまったのだ。だ また遅筆でもあった。構想にも時間をか が、世紀末の跚年に及ぶ修復によって、 けたが、制作にも熟考を重ね、一筆一筆加筆部分が除去され、レオナルドの制作 絵の具を丹念に塗り重ねて、独自の濃密時の状態にかなり戻ったと言われてい な画面を生み出した。そんな制作態度が る。幻世紀の私たちは、甦ったイエスや うかがえる興味深い証言だが、この壁画弟子たちの表情や、テープルの上に配さ に関しては、その手法が作品保存の問題れたパンや葡萄酒の描写の美しさなどを 目にすることが可能となったのである を生じさせたのも事実のようだ。 食卓の料理は 魚の切り身 魚は、晩餐図ではイエス の受難を象徴する。レオ ナルドは、その魚を切り 身に料理し、風味づけに - レモンかオレンジまで添 , キえていた。 壁のタベストリー は花柄たった フックの絵があったこと から、タベストリーと判 明。表面は別の絵柄で塗 り込められていたが、そ ーの一枚から色とりどりの 花幸羨が発見された。 習作から、構図を 試行錯誤したあとがうかがえる イタリアの伝勺構図は、弟子を一列に並べながらも、裏切り 者のユダだけはテーカレの反文報に置くものだ。習作から、当 初はその構図か踏襲されていたことがわかる。イ走の名前が書 き込まれており、本画の使徒名半断の参考となった。 《最後の晩餐》の習作 1495 ~ 97 年 紙、赤チョーク 26X39Cm ヴェネッィア、アカデミア美術館 イユ 工ダ スの / ーれネ か イエスのこめかみを 中心点にした構図 厳格な線遠遍去で描かれた画面。 中央で正三角形をつくるイエス の姿は、聖三位一体を表わすと , を ' ッこ もいう。修復の結果、イエスの こめかみに釘跡がみつかり、 こから紐を伸ばして作図が行わ れていたことカ痒用した。 ヨ / 、ネ Oa れ 0Ph60 S25 ) 8

6. 西洋名画を読み解く

レ隠 《東方三博士の礼拝》 1481 ~ 82 年 30 歳でフィレンツェを離れたレオナルドか戮した未完の大作。聖書を題材とする伝統的 なテーマに革新的な構図を採用し、人物の多種多様な感情を見事に描いて新也を開いた。 板、う彡 243X246Cm フィレンツェ、ウフィッィ美術館 d 1 アフロ 熟考する男 聖母 三博士 天使 ? ヨハネ ? イエスを見守る聖母。レオナルドの聖母 右の若者と対釉りに、左の老人は画面内 手をさしのべるイエスに、受難を暗示す 指し示す指を天に向ける若者。翼がない 像の典型だが、以後、彼の成熟と共に、 側に目を向け、思索にふける。物語の意 る「没薬」を贈る三博士の一人。献身的に 天使とも、救世主の至屎を預言する瀰し 彼女も大人びていくことになる。 味を熟考する哲学者的イだ。 ひれふす老人の姿か卸象的。 者ヨハネとも言われている。

7. 西洋名画を読み解く

バリ、ルーヴル版 《岩窟の聖母》 2 つの作品の違いから、 ニ作目制作の理由か見える ? 「図版で見る限り、 2 つの作品は全体の 色味が随分と異な「て見えますが、実際一 にはそこまでは違いません。しかし、細、刀 部には様々な違いがある。またロンドン 版は、聖母の〈くの字〉を描く身体の傾ÅJ きや、首と肩の角度が不自然だと言う人十 6 もいます。そのあたりも、弟子が描いた とされる理由のひとつです」 ( 裾分先生 ) 母 両者を比べた場合、一番の違いは天使珈王 の姿だ。一一作目の天使は、指さすことも、 謎めいた眼差しを見せることもやめてし窟 まった。第一作では衣装に隠れていた翼 岩 もきちんと見える。ごく「普通の」天使 とな「た印象だ。一方、ヨハネは十字架の をもち、自身がヨハネだということを明 らかにしている。「幼子の区別がっかない」 洗礼者ヨハネ 洗礼者 ヨハネの 十字架 と光輸 イエス 天使像のモデルは 女性だった 《岩窟の聖母》の天使の習作とされる素描。モテルは女性だ。最 4 の線と陰影づけで、素早く捉えた女性の美しさカ年卩象的。レオナル ドは、柔らかい表現のできる銀筆を好んだ。 天使の 指し示す手 と視線 @A=「史 i' 、アフロ バリ、ルーヴル美術館版 聖母マリアの 顔の陰影と 光輸 《女性の顔のための習作》 1483 ~ 85 年頃 紙、銀筆、ペン 18.2X15.9cm トリノ王立図書館 イエスの 表情と 幼さ加減

8. 西洋名画を読み解く

厳格な線遠近法の手法 レオナルドは編近去を用いて背景の廃墟を杰と描 いた。線遠近法は画面の 1 点 ( 消先点 ) にすべての線を 収束させて、奥行きを生み出す手法。この習作では消 先点と補が見られる。 《東方三博士の礼拝》 のための遠近法素描 1481 ~ 82 年 紙、インク、銀筆 16.5X29cm フィレンツェ、ウフィッイ美彿館 キリスト教世界を拒否する自画像 ? P19 の画面右端で聖書の物語から目をそら す人物は、レオナルド自身という説がある。 彼は無神論者だったという。 感情表現を行い、 人物の内面性までも表 わした画家ですが、その豊かな表現力が 見られるのも、この絵の特徴です。ひれ 伏す献身的な博士たちのほか、驚嘆する 者、静観する者、思案する者、目をそら す者、禁欲的表情を見せる者、宗教的恍 惚感に打たれた者、熟視する者、天を指 さし預言的態度を見せる者など、画面か らは様々な表情が見えてきて、その多彩 さに圧倒されませんか」と裾分先生。 描きこまれた画面の読み解きは可能性 に溢れている。中央の木を救世主出現の 預言に登場する「エッサイの木」とする 人もいれば、廃墟はイエス以前の旧世界 の象徴と見る人もおり、また騎馬戦の激 しさは、後の幼児虐殺を暗示すると言う 人もいる。それに、はたして父ョセフは どこにいるのだろうか多くのレオナル ド作品と同様、この絵も謎ー、 こ満ちている だが、この絵の何よりの魅力は、聖母 像だろう。イエスを優しく見守る聖母は、 先の《受胎告知》に比べると格段に柔ら かく描かれており、次の《岩窟の聖母》 へと至る、レオナルドの典型的な聖母像 を示している。それにしても残念なのは、 この作品が未完に終わったことだ。絵を フィレンツェに残したまま、レオナルド はミラノへと旅立ち、再び故郷の地を踏 むまでに、年の歳月を要するのである

9. 西洋名画を読み解く

14 9 5 、 9 8 年頃一 最後の晩餐 、歳頃 世紀末の大修復により甦った レオナルドの探究と構想の集大成 《最後の晩餐》 1495 ~ 98 年頃 ミラノのサンタ・マリ ア・テッレ・グラツイエ 修 ; のための乍壁 画。最後の晩餐の席で イエスがユダの裏切り を告げた運命の瞬間を、 演劇的とも言える手法 で見事に描き、レオナ ルドの名声を不動のも のとした。 20 世紀末 の修復により新事実が わかり、話題を呼んだ。 既う彡テンペラ 420X 91 Ocm ミラノ、サンタ・マリ ア・デッレ・グラツイエ 修一 ( 食堂北壁 ) 0 日 Otopr S2008 ( 08 「 iC 日 n 出 1 / アフロ

10. 西洋名画を読み解く

《洗礼者ヨハネ》 1513 ~ 16 年頃 おそらくレオナルド最後の作品。暗闇に 浮かぶ金髪・美貌・両生具有的な洗礼者ヨ ハネの微笑カ屋を呼ぶと同時に、光と影 のニュアンスのみで描かれ彡美か評 価されだ。 板、油彩、テンペラ 69X57Cm パリ、ルーヴル美術館 レ闇 ル旦 中性的な 雰囲気で微笑む謎 不思議な表情 のい 苦彳デ曽のように描かれるこ とが多いヨハネだが、この ヨハネは苦行とは無縁。男 性とも女性とも見える美貌 Ⅷ微 は謎を呼ばずにはいられな い。聖人の、す醐りを超越し 笑 た神性を表わすとも言われ るが、どうであろうか。 が か ぶ 1513 、・ 16 年頃一、歳頃 ん。したがって不自然さは謎のままです スフマートのほかし技法が生む ただこの絵からは、 >< 線調査により、レ 光と影と闇の絶妙なニュアンス オナルドの署名が発見されているので レオナルドの絵画にたびたび登場するす。そして、《モナ・リザ》で完成をみ 洗礼者ヨハネ。だが、《岩窟の聖母》や《聖たスフマート技法が、ここでも使われて アンナと聖母子》の画稿で幼いイエスの いる。暗闇に浮かぶヨハネは、光と影で 遊び友達のように描かれていた子ども描かれています。この微妙なニュアンス が、ここでは美貌の青年となっている は、レオナルドならではのものでしよう」 「聖母の従姉エリザベツの息子ヨハネ この絵が不思議な印象を放っ理由の一 マ は、イエスより半年ほど年長です。聖母つは、闇の中、光を浴びて浮かび上がる . ト の が神の子を宿したことを従姉に伝えにい ヨハネの謎めいた微笑だ。目をこらせば、 くと、その胎内にいたヨハネは喜んで踊彼が毛皮を着け、左手に十字架をもって の ったと言われます。後に荒野で修行をつ いることが見えてくるだがまず目に入 んだヨハネは、しばしば、らくだの毛皮るのは、輝く金髪の中性的な相貌と、画 を着て、葦の十字架をもった姿で描かれ面の中からまっすぐにこちらを見つめる ます。救世主の出現を預言し、イエスに 目と微笑、そして天上を指し示す指であ 洗礼を施したため〈洗礼者ヨハネ〉と呼る。さらに、もう一つの謎は、ヨハネが 聖使 ばれますが、最後はガリラヤ領主ヘロデ まったくの暗闇を背足としていることだ。 の天 に捕らわれ、その義理の娘サロメの願い これまでレオナルドが遠近法を駆使して によって斬首されました」 ( 裾分先生 ) 描いてきた煙るように美しい風景はもう 画 レオナルドが描いた最初の絵は、まさ どこにもない。はたしてレオナルドはな にそのヨハネによる洗礼を主題とした師ぜ、あれほど愛着をもっていた自然の風 とン ヴェロッキョの作品《キリストの洗礼》景をここに描かなかったのだろうか の天使像だったとされるが、奇しくも最 レオナルドの絵画制作は、通常は注文 後の作品は、ヨハネその人を描いたもの を受けて行われたが、この作品は注文主 た。ららる となった。もっともこの絵は、レオナル の存在も謎のままだ。そして晩年の彼は、 しるかえい 描あ界考て トの工房作とされた時期もあったという これをフランスに持参した。絵の持っ輝 ばももれ しのとら ばもかるね 「たとえば、肩から腕、手の表現が不正くような美しさと浮遊感は、丁寧に絵の し をなてに 確だと言われています。解剖学や遠近法具を塗り重ねて得られたものであり、レ 指でし者 を究めたレオナルドにしては確かに不自オナルドが長年にわたり手を人れていた し示 圧しカネをは 然です。晩年のレオナルドは手が不自由 と推察されている。画家が生涯保持し続 ョこ す . はたるの だったという証一言があり、以劇のように け、光と影で丹念に描いた絵ーーこの作 指ル加て 品もまた、《モナ・リザ》の神秘の微笑 をナな謎れ描けなかったと指摘する人もいますが、 オ、のまる 天レがこ生れ晩年の手稿を見ても字に乱れはありませ と同様に、深遠な謎 ( こ包まれている