物理学 - みる会図書館


検索対象: 西洋名画を読み解く
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1. 西洋名画を読み解く

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2. 西洋名画を読み解く

0 朝、 0 介ロ 理 →霊三 : 辷ィャ れ分 . パたか 想 リ。れ 制 フい道 作 都市計画 建築学と様々な技術を活かした総合芸術 建築の探究をさらに進めたものが都市計画だ。ベスト流行の一因が都市構造の問題にあっ たこともあり、レオナルドは 1480 年代に集中して、幾何学的で合理的かっ衛生にも考 慮した理想都市を構想した。晩年はフランス王のための築城や都市計画も手がけている。 OA 肭 / アフロ

3. 西洋名画を読み解く

アフロ いで告発されたことがあるが、それが青る。同時に、光学、地質学、植物学、解 剖学、数学、物理学、天文学、水力学、 年時代の彼のほぼ唯一の「事件」だった。 ルネサンス期のイタリアを旅し、 やがて才能あふれる「親方」画家とし航空力学など様々な探究を行い、これを 葛藤し続けた年の生涯 て独立したレオナルドであったが、突如 手稿に記録していった。年近くに及ぶ ミラノ滞在は、様々な探究を進めるとい として、大作《東方三博士の礼拝》の制 ルネサンスの黄金期を切り拓いた天才・レオナルド。たがその生涯は、 作を途中で放棄し、ミラノへと出立して う面でも、また各分野での師や友人を得 常に向上を目指す努力の連続たった。その苦闘の足跡をたどる しま ) っミラノ公ルドヴィーコ・スフォ るという面でも大きな意味を持ってい た。だが、その生活もフランス軍の侵攻 ルツアが計画中だった騎馬像の制作のた により終結、戦火を逃れたレオナルドは 間代半ばで父の友人だったフィレンツェ めとも一一一口われるが、転居の理由は知られ フィレンツェ、ミラノ、ローマ ていないわかっているのは歳となっ 「遍歴の時代」を迎えることになる。 の芸術家ヴェロッキョの工房に弟子入り 活躍の場を求めた遍歴の日々 た彼が野心に満ちていたことだ。このと フィレンツェに帰還したレオナルド し、才能を発揮した彼は、歳で一人前 の画家として認められる き彼は、軍事技師としても、また建築や は、軍人チェーザレ・ポルジアに仕え、 レオナルド・ダ・ヴィンチは、 145 2 年 4 月日、ヴィンチ村の公証人の家 《受胎告知》などを制作するかたわら、 彫刻、絵画の担い手としても優れている諸国を周遊する。その後、フィレンツェ ヴェロッキョやフィレンツェの文化サー という自薦状を持参していた。 に庶子として生まれた。誕生の日時がは に戻り、代表作《モナ・リザ》や《聖ア つきりしているのは、祖父が記録を残し クルから、建築、彫刻、数学、工学、音 ミラノに落ち着いたレオナルドは、《岩ンナと聖母子》のほか、政庁を飾る壁画 たためだ。実母はその後、他家に嫁ぎ、 楽、文学、解剖学など、後の探究の基礎窟の聖母》や《最後の晩餐》などの代表《アンギアーリの戦い》に着手。だが、 となるものを学んだと考えられる。美貌作を描いて、画家としての名声を不動と この壁画も未完のまま、フランス支配の 父は年若い女性と結婚した。レオナルド ミラノへ戻り、今度はルイ世の庇護下 の出生には複雑な家庭事情があり、幼年で堂々たる体躯の持ち主、しかもお洒落するかたわら、ミラノ宮廷のために騎馬 に。さらにローマに転じ、教皇の弟ジュ だったと言われる彼は、一度、男色の疑像や、舞台美術、建築装飾などを手がけ 時代の詳細はわかっていない。ともあれ、 リアーノ・デ・メディチに仕える。しか しローマでのレオナルドは、優れた芸術 弋たイめも終なる しッじに、摯家として敬愛されつつも、画家として充 ネは日は真 工をド、も分な活躍の場は与えられなかったようだ。 」をヴスのルだと 、プ地ナたた ラ 常に探究に努め、よりよいパトロンと 跡都 アル各オ。し 、ヴァめレた旅 足な ラ レてト 仕事の機会を求め続けたレオナルドが最 な主 ャ 主の跡ナ求御だな 後に落ち着いた地は、皮肉なことに、母 の期 工 ) のる オをやだ面 ドス足 国ではなく、フランソワ一世から招きを 脈ージナ ルの一尊鑓 = を る ナサチ辞口を = る界 受けたフランスだった。「王の画家」と ロ 0 . . レ・′ オンをし事に イ身ノまと 今な して城の建築や都市計画を手がけた彼 な には / スレ ヴて窈 ノでた 家 は、 1519 年、ロワーヌ地方アンボワ タとパラたや州駄 オなミま当以、 生アも育 。スは ーズで静かに没する生涯ひとところに のキなの ンド 。るン彼 安住することも、家庭を持っこともなく、 な蹶おむいてフ 0 ン村はカ 各所を彷徨しつつ、芸術と学問の探究を ヴン「レ ン・ 住レは長当を会 定ア立焉 ダヴい馭 続けた年の生涯だった。 ウエネッィア マントウア ミラノ フィレンツェ ウインチ村 ローマ コル ヴァチカン 8

4. 西洋名画を読み解く

もうひとつの《聖アンナと聖母子》 《聖アンナと聖母子》は 2 点現存する。もう 1 点はロンドンにある画高だ。構成は似てい るが、画高では、子羊のかわりに洗礼者ヨハネが描かれ、核となるアンナの姿も違う。 アンナと聖母の顔カ洞じ高さに並ぶ高では、三角幵身満図の安定感に欠ける面もある。 06 ュ品コ円くアフロ 聖アンナの目線 優しく見守るう彡に対し、 画稿の方は何かを諭すよ うな強い視線を送る。 聖母の表情 共に優しい表情だが、油 彩の聖母はイエスを案じ てか、より憂いを含む。 アンナの左手 画高のアンナは指を立て、 天を示す。イエスの役割 を示しているのだろうか。 ヨハネが子羊に 大きな違いは洗礼者ヨハ ネが子羊になった点。イ 、、一 = ェスの位置も違。ている。 ロンドン、ナショナル・ギャラリー版 ルーヴル版より以前に描かれた画稿 原寸下絵と考えられるが↓写し取って本画を描いた 痕跡は認められない。旧所蔵家名にちなみ、「バー リントン画高」とも呼ばれている。 ロンドン、ナショナル・ギャラリー @Bュ品也1ミくアフロ 三角形の中に 人物が収まる 安定した構図 聖母が母親の膝の上に座るとい う、無理な姿勢の大胆な翩内だ が、画面を自然に見せている理 由の一つが、構図の安定感だ。 アンナを軸とした三角形の中に、 聖母、イエス、羊のすべてが収 まっている。 ます。それによって、聖アンナから聖母 へ、そしてさらにイエスへと続く宗教的 受肉の系譜の概念を、目に見えるかたち で表わしているのです」 ( 裾分先生 ) もちろん構図以外にも、この絵の見ど ころは多い。 背景はレオナルドに特有の 岩山と水辺。空気の薄いべールに包まれ たように青く霞む景色は、おなじみの空 気遠近法とともに、彼が地質学や気象学 への探究をさらに進めていたことを表わ している。この作品以前に描かれた現存 の画稿との比較からは、レオナルドが何 を目指していたのかが推察できるかもし れない晩年のレオナルドは、いまだ飽 くなき探究の道の途中にいたのである 《聖アンナと聖母子》 のための習作 1501 ~ 1510 年頃 紙、ペン、インク、黒チョー ク 121 x 1 ヴェネッ ィア、アカデミア美術館 登場人物の 位置関係に悩んだ習作素描 ルーヴル版の習作素描。画高と比べると、構成はか なり近い。だが、アンナの顔の位置などが未で、 試行錯誤の様子がうかがえる。さらにう彡では、イ 工スがマリアの膝から降りることになる。

5. 西洋名画を読み解く

修復で浮かび 上がってきた絵柄 過去の加筆を除去する修復により、人物の表情や卓上の 品々が生き生きと甦った。テーカレクロスの模様まで精 織に描かれていたことやこ壁画上部の紋章入り装飾もレ オナルド作だったことカ痒怛月するなど、新発見も多い。 大な瞬間の緊張が、観る者に生き生きと 《最後の晩餐》は、すでにレオナルド の生前から損傷が始まっていた。通常の 伝わってきます」 ( 裾分先生 ) この絵についてはまた、レオナルドの壁画は、フレスコ画手法を用い、塗らし 制作ぶりを知ることのできる重要な証言 た漆喰の上に絵を描き、漆喰の乾燥とと もに絵の具を定着させる。だが短時間で があるそれによれば、彼は夜明けから 日没まで一度も絵筆を置くことなく、寝仕上げる必要があり、定着後は修正でき ないこの手法を嫌った彼は、自身の科学 食を忘れて打ち込む日があったかと思え ば、何日もまったく絵筆をとらずに作品 的な研究に基づき、油性テンペラという の前で何時間も考えていることもあり、 技法を用いた。その結果、充分に固着し また突然の衝動に駆られたように修道院なかった絵の具が剥落を招き、その後の にやってきて、画面に一筆か一一筆入れる度重なる修復・加筆と第一一次大戦の影響 と、また去っていくこともあったという などもあって、絵のオリジナル部分をほ レオナルドは寡作で知られる画家だが、 とんど見えなくさせてしまったのだ。だ また遅筆でもあった。構想にも時間をか が、世紀末の跚年に及ぶ修復によって、 けたが、制作にも熟考を重ね、一筆一筆加筆部分が除去され、レオナルドの制作 絵の具を丹念に塗り重ねて、独自の濃密時の状態にかなり戻ったと言われてい な画面を生み出した。そんな制作態度が る。幻世紀の私たちは、甦ったイエスや うかがえる興味深い証言だが、この壁画弟子たちの表情や、テープルの上に配さ に関しては、その手法が作品保存の問題れたパンや葡萄酒の描写の美しさなどを 目にすることが可能となったのである を生じさせたのも事実のようだ。 食卓の料理は 魚の切り身 魚は、晩餐図ではイエス の受難を象徴する。レオ ナルドは、その魚を切り 身に料理し、風味づけに - レモンかオレンジまで添 , キえていた。 壁のタベストリー は花柄たった フックの絵があったこと から、タベストリーと判 明。表面は別の絵柄で塗 り込められていたが、そ ーの一枚から色とりどりの 花幸羨が発見された。 習作から、構図を 試行錯誤したあとがうかがえる イタリアの伝勺構図は、弟子を一列に並べながらも、裏切り 者のユダだけはテーカレの反文報に置くものだ。習作から、当 初はその構図か踏襲されていたことがわかる。イ走の名前が書 き込まれており、本画の使徒名半断の参考となった。 《最後の晩餐》の習作 1495 ~ 97 年 紙、赤チョーク 26X39Cm ヴェネッィア、アカデミア美術館 イユ 工ダ スの / ーれネ か イエスのこめかみを 中心点にした構図 厳格な線遠遍去で描かれた画面。 中央で正三角形をつくるイエス の姿は、聖三位一体を表わすと , を ' ッこ もいう。修復の結果、イエスの こめかみに釘跡がみつかり、 こから紐を伸ばして作図が行わ れていたことカ痒用した。 ヨ / 、ネ Oa れ 0Ph60 S25 ) 8

6. 西洋名画を読み解く

鑑賞のポイシト プシュケーを示す アットリビュート「蝶」の羽を背負う プシュケーを描かれる際にアットリビ ュートして登場するのが「蝶」。の 中で蝶そのものか飛んでいたり、蝶の 羽をつけた女性として、心を象徴 するプシュケーが描かれることが多い。 ウィリアム・プーグロー 《プシュケを略奪する キューピッド》 油彩 1895 年個人蔵 表現するギリシア神話の特徴です」 冥府の眠りに落ちてしまったプシュケ ーのもとに現れたのがキューピッド。「眠 り」を小籀に戻し、プシュケーを蘇生さ せると、ただちにゼウスのもとに行き、 一一人の結婚の許可を願い出、ついにヴィ ーナスの了解を取り付ける。 結婚の宴の中で、プシュケーは不死の 酒アンプロシアを授けられ、人間の美少 女プシュケーは、長い遍歴の末に神々の 仲間入りをする幸せな結末を迎えた。 ーン・ジョーンズの作品《プシュケ ーの結婚》は、この祝宴をテーマとした ものだが、カンヴァスには女性ばかりが た描かれている。ゼウスが主宰した一一人の ・ ( 、結婚式は男の神々も集まっていたはずだ が、なぜだろうか ? 「それは・ハーン・ジョーンズは、男性よ りも女性を描くのが得意だったからでし よう。全員が美しい衣裳を身に纏ってい るのも、四世紀末という時代を反映させ ている特徴です」 と井出教授は話す。 一国の姫として生まれながら、たまた まその美しさが群を抜いていたために、 苦難の道を辿ることになった人間の娘プ シュケー。キュービッドへの変わらぬ愛 の姿勢を貫きながら、ヴィーナスから 次々と浴びせられる無理難題を乗り越え ていく様子は、まるで嫁と姑の確執を扱 った連続ドラマのようでもある。美しさ だけでなく、逆境に耐え抜くヒロインの 姿が、多くの画家にプシュケーを描かせ た要因なのだろう。 121

7. 西洋名画を読み解く

15 0 2 、 16 年頃一、歳頃 聖アンナと聖母子 十数年の歳月をかけて構想した 大胆かっ不思議な構図の聖母子像 《聖アンナと聖母子》 1502 ~ 16 年頃 聖母の母アンナと聖母子の親子三代を 描いたレオナルド晩年の傑作。人物の 身体と視線カ各み合う構図カ叫芋勺で、 暗示的な作風から、ときに心理勺解 釈も行われる。 板、油彩 168X130Cm パリ、ルーヴル美術館 ーⅱ dg 日 1 旧 n / アフロ 《聖アンナと聖母子》は、晩年のレオナ ルドが長い時間をかけて構想した作品 だ。最 , 初のきっかけは 1499 年・、フラ ンス国王ルイ世が娘の誕生を祝うため に行った注文であったと考えられている 聖母マリアの母アンナは、彼女自身も無 原罪の状態でマリアを身ごもったと言わ れ、妊婦の守護聖人とされる。またアン ナは、フランス王妃の名前でもあった。 だが、レオナルドが、完成作を国王に収 めることはなかった。 3 作描かれた作品 のうち、現在ロンドンにある最初の画稿 は油彩画にされることはなく、 1501 年にフィレンツェで公開されて好評を得 たとされる下絵は失われてしまった。こ の作品は、その後、レオナルドが構図や 人物の配置の研究を重ねて描き続け、フ ランスまで携えていった油彩画である 「この絵の構図は極めて大胆です。アン ナの膝の上にマリアが座り、マリアはイ エスを抱きかかえようとしている。一方、 イエスは受難の象徴である子羊を抱えよ うとしていますから、マリアはそんな 子を危険から守ろうとしているようにも 見えます。聖母子は互いに見つめ合い その聖母子をアンナが優しく見守ってい る。かっての《岩窟の聖母》にも視線の 交錯がありましたが、ここではアンナを 構図の中心軸として幾層にも重なり、絡 み合うように描かれた人物たちが、こう した視線の結びつきにより一体化してい 重なる身体と視線の交錯が 生む親子三代の緊密感 2 3

8. 西洋名画を読み解く

群像を分ける斬新な構図と 天才的な人物描写 ているのです。また弟子たちをただ均等 イエスによる衝撃の告知 に並べるのではなく、 3 人ずつのグルー 緊迫のトラマを捉えた大壁画 プに分けて左右対称に配しています。 長らく修復中であったが、 1999 年個々の人物は動きに満ちていますが、こ の修復完了によって大きな話題を呼んだ のグルーピングにより、画面全体に調和 《最後の晩餐》。公爵ルドヴィーコの菩提のとれたリズムが生まれています。さら 寺サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ に裏切り者のユダは従来、テープルの反 修道院の食堂を飾るために描かれこの絵対側に描かれることが多かったのですが、 は、現存するレオナルドの作品のなかで ここではペテロとヨハネという重要な使 は、最大かっ唯一の壁画である。 徒と一緒に置いている。そこに緊張感に 最後の晩餐は、福音書の有名なエピソ あふれたドラマが生まれてくるのです ードだ。使徒の一人ユダの密告により逮 この絵のもう一つの特徴は、人物描写 捕される前夜の晩餐の席、イエスはユダ が素晴らしいということです。イエスが の裏切りを弟子たちに告げる。驚く弟子裏切り者の存在を告げたその瞬間、弟子 たちに、自らの肉と血としてパンと葡萄たちの間には動揺がさざ波のように広が 酒を与えるイエス。食堂に飾られる最後 っていく。ある者は驚いて立ち上がり、 の晩餐の絵は、食事の度に、人間の罪深ある者はその言葉の真意を問いかける 自分ではないと訴える者、憤る者、顔を さを感じさせると同時に、それを超越し た主イエスの恩寵に思いを至らせる重要見合わせ議論を始める者。ここには同じ な意味をもつ。繰り返し描かれたテーマ表情や動作を見せる者は誰一人いませ だが、当然ながらレオナルドは伝統的な ん。これほど動きに満ちた、また多彩なアンドレーア・ 描き方には満足せず、習作を繰り返し、 感情を見事に描いた《最後の晩餐》はこ 小ヤコブ・ 熟考を重ねて独創的な画面を生み出した。 れまでありませんでした。レオナルドは バルトメロオ・ 「まず特筆すべきは、斬新な構図でしょ よく人物を観察して素描を重ね、身振り う。消失点はイエスの顔にあります。すや表情で心理状態を表わすことに優れて べての直線が、いま運命の言葉を発した いましたが、それがこの絵でも遺憾なく イエスへと向かいます。厳密な遠近法の 発揮されている。まるで演劇のクライマ 構図が、場面をドラマチックに盛り上げ ソクスを見るように、この物語のもつ重 フィリッホ↓ 大ヤコブ・ トマス・ シモン・ タダイ・ マタイ↓ イエス・ ヨハネ↓ ペテロ・ ユダ・ グループ 0 イエス ユダ フィリッポ ペテロ イ走の筆各ペテロ。思わずナイエスの言葉に思わず身を引き、・夏の結果、ロをあけているこ イエスの方に身を乗り出し、懇 イフを握りしめ、言葉の真意を銭袋を握りしめるユダ。影となとがわかり、衝撃の言葉を発し願するような表情を見せる。胸 確かめようと、隣のヨハネに耳った顔と視線は、じっとイエスた、まさにその瞬間であることにあてた手は、自らの潔白を訴 打ちをしている。 に向けられているようだ。 か日月らかになった。 えるものだろうか。 グループ① 数学的比率により 多彩な感情表現を 調和させた構図 弟子たちは 3 人ずつにグル ープ分けされ、イエスを 1 とすると、両脇グループが 2 、その外側が 3 の割合で 広がるように構成されてい る。リズミカルな画面構成 が、様々な青を見せる人 物たちにま財口を生み出して いるのだ。 グループ② グループ 3 イエス 8 2

9. 西洋名画を読み解く

建築学 幾何学や数学を駆使 しての建築設計 ルネサンス期窈憂れた芸術家は、 ジャンルを横断して活躍したが、 レオナルドも絵画や彫刻だけでな く、建築も手がけた。特にミラノ 時代に教会などの言十図や構想図 を多く描き、実際にミラノ大聖堂 のドームの模型制作や、パヴィア 大聖堂の再建に協力している。 、籌ⅵにや「 ・を′を 聖堂の鳥瞰図と平面図 1488 年頃 ミラノ時代に取り組んだ一連の聖堂言 t の -- - つ。中央部に祭壇を置く集中式の聖堂で、複 雑な幾何学システムが使われている。 「アシュバーナム手稿ーよりパリ、 フランス学士院図書館 印 1 / アフロ 塔の防衛用設計 1470 ~ 1519 年 建築学や土木工学のと経験は、 軍事技師としての仕事にも役だっ た。城や要塞等のまや言議、攻 撃やの計画に貢献したのだ。 「パリ手稿 B 」よりパリ、 フランス学士書館 0 in 町 i / アフロ

10. 西洋名画を読み解く

ミ上コ宀二一“お ~ C 0 N T E N T S タ・ヴィンチ、キリスト教絵画、ギリシア神話・裸婦像の見方が分かるー 西洋名画を読み解く 6 レオナルド・ダ・ヴィンチ 全作品に隠された暗号を解く 優れた素描力と緻密な描写カ 若き巨匠の清新なデビュー作 受胎告知 注文主の謎かいまた残る レオナルド最初期の肖像画 ジネヴラ・デ・べンチの肖像 聖人の魂の叫ひが胸を打っ 数奇な運命をたどった未完の絵画 聖ヒェロニムス 東方三博士のネ拝なに残した未完の大作 同じ絵柄の 2 枚の絵が謎を呼ぶ 聖なる空間の神秘なる聖母子像 岩窟の聖母 加世紀末の大修復により甦った レオナルドの探究と構想の集大成 最後の晩餐 神秘の微笑みを浮かべる謎の女性の モナ・リサ ( ラ・ジョコンド ) 世界中で最も有名な肖像画 十数年の歳月をかけて構想した 大胆かっ不思議な構図の聖母子像 聖アンナと聖母子 先礼者ヨハ、イレオナルド最後の作品 万物を研究するダ・ヴィンチの 」もうひとつの遺産「手稿」 ・解剖学・人体比例研究 ・建築学・都市計画 ・航空力学・天文学 ・軍事技術・水力学と流体力学