聖母 - みる会図書館


検索対象: 西洋名画を読み解く
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1. 西洋名画を読み解く

ベストの時代に絶大な信仰を集めた 幼な子キリストを抱く慈愛に満ちた聖母マリア像から、 巨大な姿と大きなマントで災悪から信徒を守る異形の聖母まで、 キリスト以上の人気を集めた聖母マリア像はさまざまな姿で描かれた。 = 聖母マリア′ フィリッポ・リッピ 「聖母子とニ天使」 1460 年頃 マリアがキリストに合唱する聖母子像は、「マ - ドレ・ピア = の聖母」というタイプ。 の美しいマリアのモデルは、画僧だったリッ ピか駆け落ちして得た妻とも言われる。 ウフィッィ美術館 Photo:Bridgeman/ アフロ 第 聖母マリア像の誕生と、 図像の変遷 幼児キリストを抱く、若く美しい聖母 マリア。信仰の対象としても、キリスト をしのぐ人気を誇る存在だが、驚くこと に、彼女の図像が描かれるようになった のは、 6 世紀以降のことであるなぜな ら、マリアは「人間キリストの母ではあ るが、神としての位格ではない」とされ てきたからだ。しかし 431 年、エフェ ソスの公会議が、彼女を「キリストを産 んだ聖なる女性」と承認。マリアの図像 は、やっと公に普及するようになった。 7 世紀には、「玉座の聖母」と呼ばれる、 玉座に座った荘厳な聖母子像が現れる が、貶世紀以降に聖母信仰が高まるにお よんで、キリストを抱いた多くの母性的 な聖母像が、教会の祭壇に安置された と同時に、その頃から聖母の姿は、純潔 さを表す薔薇園の中や、生命の泉の横に たたずむなど、豊かなバリエーションを 持つようになった。中でも、世紀半ば にピエロ・デラ・フランチェスカの描い たいくつかのマリア像は特徴的だ。 まず、 1450 年代、ピエロがモンテ ルキの墓地礼拝堂に描いた《出産の聖母》 (a«ä)0 文字通り妊娠した聖母を描いた きわめて珍しい図像である。本来は死者 の復活を約東する聖母と思われるが、当 時マリアは安産の守護聖人ともされてい たために、この作品は安産を願う妊婦た ちの信仰を集めた。マリアが民間信仰の 中で愛されていたことを物語る作品だ。

2. 西洋名画を読み解く

聖母マリアは、昇天 した後に、「天空の 女王」として戴冠し たという。冠姿のマ リアは、礼キ象とし 、、ての絵画や彫刻に見 ることができる。 ファン・エイク「ゲン トの祭壇画」より 聖母マリ方すイエス。 小道具 & シンボル 小道具 & シンポル 聖なる植物や事物など、聖母マリアを象徴するシンポルは主人公ゆえに必ずわかりやすく描かれているキリストだが、彼 りない。下に挙げた例びメ也にも、、泉、三日月 と多をとりまく様々なシンポルは、キリストの受難をより鮮日月にビ 彩な小道具やシンポルが描かれている。 ジュア丿ヒしてくれる。 赤と 茨の冠 青の衣 ー聖母は普通、赤し畩 キリストの受難で笞 打ちのあとにかぶら に青いマントを身に つけている。天を象 された茨の冠は、拷 徴する青色は、「天 問具というより、ユ 空の女王」でもある ダヤの王をかたった 聖母の役割をあらわ キリストへの嘲りの している。 しるし。 ラファ工ロ「牧場の グリュ - ネヴァルト 「磔刑」より ノヾンと ' ワイン パンはキリストの体、 ワインはキリストの 血を象「最後の 晩餐」に出てくるキ リストとイ走の食事 の風景は、教会にお けるミサの原型。 ポントルモ「エマオ の晩餐」より キリスト教絵画の約束事・アトリヒュート ( 持物 ) に隠されたメッセーシを解読する 聖書を読めない人への イエスと聖人たちを暗示する 布教のため、多くの場合 キリスト教絵画には、 人物や場面の意味を 暗示する持物が描かれる のめ よ スるたキ日らた月 リすれた自せ さ一 キ - さっ 入ッ 聖の一給沁 ~ 謎の小道具 & シンボル図鑑 4 聖母」より 白百合 処女 1 台したマリア のシンポルで、「受胎 告知」の場面の必須 アイテム。純絮の象 徴である白百合は、 童貞聖人や処女聖人 なども示す。 カンヒ。ン「受胎告知」 より 三・ 絵画の登場人物を見分ける アトリヒュートを知る 前述したように、キリスト教絵画は、 聖書の読めない人々の布教目的で描かれ = 一一 た。いわば「読む」絵画でもあるキリス ト教絵画には、登場人物を見分けるアト リピュート ( 持物 ) に始まって、描かれ一朝 た人々の性格や作品の意味を伝えるシン ポルなど、ヴィジュアル的な情報がたっ ぶりと盛り込まれているつまり、キリ スト教絵画の決まりごとを知っておけ ば、解説などに頼らなくても「赤と青の 衣を着て、百合の花が近くに咲いている 女性 : : : 、それなら聖母マリアだろう」、 と人物を割り出し、そこから絵画の内容 を推測することもできる 図像を読み解くシンポルには、神との 契約の成就を示す「虹」や、キリストを 暗示する「仔羊」など、自然現象や動物 もあるが、キリストの弟子を含めた聖人 たちは、たとえばマグダラのマリアなら、 キリストの足をぬぐうのに使った「香油 壺」、裏切り者のユダなら「銀貨の入っ た袋」と、生前のエビソードにちなんだ アトリビュートを手にしている。ちなみ に上の図鑑では、聖ルカを、絵を描く姿 で特定しているが、彼の名をいただく「聖 路加病院」 ( 東京・築地 ) があるように、 もともとの職業が医者だったことや、優 れた福音書記者であったことから、外科 医の道具や巻紙などが彼の主なアトリビ ュートとされている。また、「キリスト の逮捕」の時にナイフを持っていた使徒

3. 西洋名画を読み解く

, ・以トの生を知れば西洋絵画 00 暗面百いし もうひとっビエロの忘れがたいマリア 像が《慈悲の聖母》 (ß*±) である。自 生あ すも らのマントを大きく広げ、信者たちを包 を徴 み込んでいる聖母の図像は、信者たちが 園象 のの ベストの難を避けるために描かれた 「ベスト除けの守護聖人としては、聖セ ハスティアヌスが有名ですが、聖母マリ はは で泉 アも大いに信仰されました。ヨーロッパ 中世の人たちにとって三大悪といえば、 にトか 以描戦争と飢饉と疫病です。とくにベストは、 神の審判のなせる業と考えられていたた め、人々は聖母マリアにベストからの庇 護を願いました。逆にいえば、中世、彼 女があれだけの人気を集めたのには、聖 母マリアが我らをベストから守ってくれ ると、人々が強く信じていたことも大い にあったでしようね」 ベスト除けに安産祈願と、各方面で大 活躍だった聖母マリア。彼女はルネサン ス期以降、母と子の濃密な人間ドラマの 中に描かれるようになるのだが、マリア 自身の姿も格段に美しくなっていく。 「もちろんパトロンの要求や最低限の絵 画の約束事はありましたが、ルネサンス 期に入ると、宗教画もしだいに画家が描三 きたいように描けるようになってきま す。画家がモデルにインスピレーション を受けることもあったでしよう。またこ の時代は美しければ美しいほどい いう価値観があり、それで成功をおさめ たのがラファェロでした。きっと私たち が美女の写真を眺めるように、当時の人 も美しいマリアの姿をうっとりと眺めた と思いますよ」 ファン・エイク「泉の聖母」 1439 年 、泉 = マリアから湧き出る生命の水は、キリス トをあらわす。聖母子の傍らに描かれた泉の 形は、カトリックの洗礼盤のようである。 をアントワーフ立美術館 Photo:Bridgeman/ アフロ

4. 西洋名画を読み解く

ロンドン、ナショナル・ギャラリー版 《岩窟の聖母》 といニノ攜はいくらか解決されたようだ。 そして、陰影に富む第一一作目では、聖母も イエスも少しおとなびて感じられる。 さて、 2 つの絵の持っ違いは、同じ絵 がつくられた理由を一小す A. 言う人もいる。 なぜなら、同信会が、最初の絵を気に入 らず受け取りを拒否したという説もある からだ。当初から同信会は絵の内容を詳 しく規定していたが、レオナルドはそれ とは異なる独自の画面をつくった。そこ で会の意向に沿う第一一作がつくられたと も考えられるのだ。だが一方で、当時レ オナルドが仕えていたミラノ公ルドヴィ ーコが聖母像を所望したためコビーがっ くられたという説もある。ミラノの支配 者である公爵には逆らえず、修道院は代 替作品を受け取ったというのだ。だが、 真相は藪の中。謎の解決のためには、新 たな資料の発見を待たねばならない 聖母マリア 洗礼者ヨハネ 天使 ヨハネは後にイエスに 洗礼を施す聖人で、し はしば十字架をもって 描かれる。第一作では 2 人の幼児の区別がつ きにくかったため、追 加されたのだろうか ? イエス 指し示す手は、聖ヨハ ネへの注目を促し、殉 教する彼の運命を暗示 する。なせ後年作では 描かれなかったのかは イ月だ寺に天使の 視線も変えられている。 聖母マリア ロンドン、ナショナル・ギャラリー版 ヨ / 、ネ 天使 イエス 手と視線で会話する 4 人の登場人物 ヨハネをカしつつ、イエスの頭上に手をかざし守る要母マリ ア。守護するヨハネを示しつつイエスを支える天使、イエスに ネはするヨハネと、ヨハネを祝福するイエス。その複雑に交 する人物たちの視線と手の青が見る者を惹きつける。 光の卓越した扱いから 生まれる徹妙な青。 より柔らかく優しく見 える第一作に対し、陰 影に富む第ニ作は少し 大人びて見える。光輪 の有無も違いのひとつ。 ヨハネをまっすぐ見つ めるイエス。洗礼のポ ーズは同じだが、第ニ 作の方が体つきがむっ ちりと大きめだ。顔も 少し大人びて、しつか りして見えるだろうか。 CA 物レアフロ 《手と腕の習作》 1483 年 紙、黒チョーク、白ハイライト 15.3x22cm イギリス、 ウインザー城王亟書館

5. 西洋名画を読み解く

ーキリストの生涯を知れば絵画 ! 倍面ー鋼 . 食堂 かって教会関係者だけが入ることができ た修 ; の食堂には、聖餐のドラマを描 いた「最後の晩餐」の壁画が飾られる。 カスターニョ 「最後の晩餐」 1 “ 7 年頃 ルネサンス時代の画家カスターニョが、 サンタポローニア修の旧食堂に描い た〈最後の晩餐》は、上の部分に、キリス トび刑、復活、埋葬の受難三場面が描か れている。 フィレンツェ、サンタポローニア修 ; Photo:Bridgeman/ アフロ 主祭壇のある教会奧の「内陣」や、長 大な翼廊に描かれたのは、もちろんキリ ストや聖母マリアの事跡や、教会にちな む聖人たちの物語である。しかし、キリ ストが処刑される前夜に弟子たちと食事 をともした《最後の晩餐》は、よく修道 院の食堂に描かれている 「最後の晩餐は、教会のミサの原型です そのため、この主題は将来ミサをとり行 う修道僧たちの食事の場に描かれたので ところでこのような祈りの絵画は、教 会や修道院に行かなければ見ることはで きなかったのだろうか ? 「いいえ、たとえばヨーロッパの街角に は、道の奥まった壁などにも聖母マリア の像が描かれていました。きっと、教会 などに行かなくても、マリア様はいつで も私たちを見守ってくれているそんな 感覚で、当時の人は街角のマリア像を拝 んでいたと思います」

6. 西洋名画を読み解く

15 0 2 、 16 年頃一、歳頃 聖アンナと聖母子 十数年の歳月をかけて構想した 大胆かっ不思議な構図の聖母子像 《聖アンナと聖母子》 1502 ~ 16 年頃 聖母の母アンナと聖母子の親子三代を 描いたレオナルド晩年の傑作。人物の 身体と視線カ各み合う構図カ叫芋勺で、 暗示的な作風から、ときに心理勺解 釈も行われる。 板、油彩 168X130Cm パリ、ルーヴル美術館 ーⅱ dg 日 1 旧 n / アフロ 《聖アンナと聖母子》は、晩年のレオナ ルドが長い時間をかけて構想した作品 だ。最 , 初のきっかけは 1499 年・、フラ ンス国王ルイ世が娘の誕生を祝うため に行った注文であったと考えられている 聖母マリアの母アンナは、彼女自身も無 原罪の状態でマリアを身ごもったと言わ れ、妊婦の守護聖人とされる。またアン ナは、フランス王妃の名前でもあった。 だが、レオナルドが、完成作を国王に収 めることはなかった。 3 作描かれた作品 のうち、現在ロンドンにある最初の画稿 は油彩画にされることはなく、 1501 年にフィレンツェで公開されて好評を得 たとされる下絵は失われてしまった。こ の作品は、その後、レオナルドが構図や 人物の配置の研究を重ねて描き続け、フ ランスまで携えていった油彩画である 「この絵の構図は極めて大胆です。アン ナの膝の上にマリアが座り、マリアはイ エスを抱きかかえようとしている。一方、 イエスは受難の象徴である子羊を抱えよ うとしていますから、マリアはそんな 子を危険から守ろうとしているようにも 見えます。聖母子は互いに見つめ合い その聖母子をアンナが優しく見守ってい る。かっての《岩窟の聖母》にも視線の 交錯がありましたが、ここではアンナを 構図の中心軸として幾層にも重なり、絡 み合うように描かれた人物たちが、こう した視線の結びつきにより一体化してい 重なる身体と視線の交錯が 生む親子三代の緊密感 2 3

7. 西洋名画を読み解く

ビエロ・デラ・フランチェスカ「慈悲の聖母」 1445-55 年頃 「慈悲 ( ミゼリコルディア ) の聖母」は、マントを広げて、信者を庇護する聖母を 描く。この図像は、ベスト患者を看病するボランティアのために描かれた。 サンセポルクロ市立美術館日 : アフロ

8. 西洋名画を読み解く

第一三棄一一す ( 一・】瞽 ) 0 三一三ッ ン美術史美術館 Photo:ARTOTHEK/ アフロ ラファ工ロ「牧場の聖母」 15 年 マリアがキリストを優しく見守る「マーテル・アマビリス = 愛すべき聖母」 の田園には天国のイメージが重ねられ、風景画としても楽しめる。

9. 西洋名画を読み解く

ポイスマン = ファン・プニンヘン美術館 Photo:PPS シント・ヤンス「ロザリオの聖母」 1480 年頃 「ロザリオの聖母」とは、周囲にマリアの伝承の諸場面が展開する聖母子像のタ イプ。中でも、シント・ヤンス窈乍品は、マリア窈云承の描き方が幻想的だ。

10. 西洋名画を読み解く

もうひとつの《聖アンナと聖母子》 《聖アンナと聖母子》は 2 点現存する。もう 1 点はロンドンにある画高だ。構成は似てい るが、画高では、子羊のかわりに洗礼者ヨハネが描かれ、核となるアンナの姿も違う。 アンナと聖母の顔カ洞じ高さに並ぶ高では、三角幵身満図の安定感に欠ける面もある。 06 ュ品コ円くアフロ 聖アンナの目線 優しく見守るう彡に対し、 画稿の方は何かを諭すよ うな強い視線を送る。 聖母の表情 共に優しい表情だが、油 彩の聖母はイエスを案じ てか、より憂いを含む。 アンナの左手 画高のアンナは指を立て、 天を示す。イエスの役割 を示しているのだろうか。 ヨハネが子羊に 大きな違いは洗礼者ヨハ ネが子羊になった点。イ 、、一 = ェスの位置も違。ている。 ロンドン、ナショナル・ギャラリー版 ルーヴル版より以前に描かれた画稿 原寸下絵と考えられるが↓写し取って本画を描いた 痕跡は認められない。旧所蔵家名にちなみ、「バー リントン画高」とも呼ばれている。 ロンドン、ナショナル・ギャラリー @Bュ品也1ミくアフロ 三角形の中に 人物が収まる 安定した構図 聖母が母親の膝の上に座るとい う、無理な姿勢の大胆な翩内だ が、画面を自然に見せている理 由の一つが、構図の安定感だ。 アンナを軸とした三角形の中に、 聖母、イエス、羊のすべてが収 まっている。 ます。それによって、聖アンナから聖母 へ、そしてさらにイエスへと続く宗教的 受肉の系譜の概念を、目に見えるかたち で表わしているのです」 ( 裾分先生 ) もちろん構図以外にも、この絵の見ど ころは多い。 背景はレオナルドに特有の 岩山と水辺。空気の薄いべールに包まれ たように青く霞む景色は、おなじみの空 気遠近法とともに、彼が地質学や気象学 への探究をさらに進めていたことを表わ している。この作品以前に描かれた現存 の画稿との比較からは、レオナルドが何 を目指していたのかが推察できるかもし れない晩年のレオナルドは、いまだ飽 くなき探究の道の途中にいたのである 《聖アンナと聖母子》 のための習作 1501 ~ 1510 年頃 紙、ペン、インク、黒チョー ク 121 x 1 ヴェネッ ィア、アカデミア美術館 登場人物の 位置関係に悩んだ習作素描 ルーヴル版の習作素描。画高と比べると、構成はか なり近い。だが、アンナの顔の位置などが未で、 試行錯誤の様子がうかがえる。さらにう彡では、イ 工スがマリアの膝から降りることになる。