か、女子高校生の意見などバカにしているのか、などという人がいるかもしれません。 もちろん、まったくの見当はずれです。本当に笑ってしまったのです。いかにも朝日ら しいなあ、と思ってしまったのです。 朝日のあざとさ 別に女子高校生の意見などどうでもよい、といっているわけではありません。それど ころか、これは、集団的自衛権に反対する護憲派のひとつの典型なのです。ためしに街 後角でインタビ = ーでもしてみれば、集団的自衛権に反対する人の大半は、おおよそそう いうことをいうでしよう。「戦場に行くのは今の男子高校生たちじゃないの。あの無邪 の 気で元気な高校生に血を流させるなんてとんでもない」というおばさんの声が聞こえて な のくるようです。だから、別に「制服向上委員会」女子が場違いなことをいっているわけ 新 でもなく、未熟なことをいっているわけでもありません。 朝 しかし、これを歳前後のおばさんの意見として載せれば、やはり誰もが「あれ、オ 二バサン、それでいいの」と思ってしまうでしよう。関西風にいえば「オバハン、やつば、 世界の動きとかアメリカはんとのつきあいとか、もうちょい考えといた方がええのとち
権をめぐるかなりややっこしい話を詰めたって、どうせ読者はわからないだろう、と考 えているからであり、女子高校生をバカにしているというのは、こんな素朴情緒的反対 論は、ナイープな ( はずの ) 女子高校生にしゃべってもらえば大丈夫だろうと思ってい るからです。この女子高校生はいわばダシに使われている。もちろん、朝日の記者に真 意を聞いても誰も「いや、そんなことはない」というでしよう。しかし、私には、ここ に、彼らの半ば無意識の計算と意図を感じてしまいまスルいのてす 本 少し、私自身のインタビューに引っ掛けて朝日新聞を槍玉に挙げた感がありますが、 別に朝日に文句をいいたいわけではありませんし、「オレのインタビューはなんでこん の なに小さいんだ」などと愚痴をいいたいのでもありません。朝日についていえば、この な の件はあくまで社会面でのことですから、文化面ではまた扱いも違うでしよう。識者によ 新 る「クオリティ」の高い論説もあるのでしよう。だから朝日新聞に苦情を提出するのが 朝 本稿の目的ではありません。いや、それ以上のことを言いたいのです。これは実は朝日 二だけではなく、、後日本人のもつある重要な性癖であり、陥穽であり、問題なのではな いかと思うのです。
ぞ、引引記事に・凵てぐんリた。社会面の下の方にこぢんまりとインタビ = ー記事がで ました。しかし私のインタビューは東京本社や大阪本社では使われませんでした。名古 屋限定です。「ういろ」みたいなものです。そして、その隣にもうひとつインタビュー が出ていて、それは「制服向上委員会」なる「肩書き」をもった歳の女子高校生のイ ンタビューで、そもそもの見出しが「男子に血を流させるな」です。内容は「 の話に熱中したり、お弁当のおかずがいつもより一品少なくて落ち込んだりする、そん な愛すべき男子を戦場におくりこんで、血を流すことはやめてもらいたい」という趣旨 です。 ついふき出してしまいました。朝日新聞にもこんなにユーモア感覚があったのか、と 思ってしまいます。私のインタビューとこの女子高校生の意見を並べてのせるというの もなかなかのセ。ゾ ' ズ、だど臥・つ ' 。でしまいました。とはいえ、扱いは格段に違っていて、大 きさからして私の方は半分以下、誰がみても「制服向上委員会」女子の方が私を圧倒し ており、朝日がこちらに力を人れていることは一目瞭然なのです ( 2 014 年 7 月 1 日 付、朝日新聞名古屋版 ) 。 こんな風に書くと、お前は扱いの上で女子高校生にやられたからくやしいのだろうと
ゃいまっか」と思ってしまうでしよう。ついでにいえば「いまどきの高校生、そんな無 邪気でかわいい奴いまへんで」ということになるでしよう。しかし、これが歳の女子 高校生なら、そのまま通るのです。何の違和感もないのです。大人がいうと、さすがに ちょっと気恥ずかしいことを女子高校生に代弁させておいて、ほら、この子たちも考え ているじゃないの、この子たちのいうことも聞きましようよ、といいたいのです。 引・い引どゴタに・私囮朝印のあ & どさを感じてしまいます。それを全部、計算してい 」をのです・。。「制服向上委員会、より、私の方がりつばなことをいっている、 といいたいのではありません。私は、西洋政治思想を多少は勉強もしてきたので、その 職業的関心から話したに過ぎません。どちらの意見の方を大事だと思うかは新聞社の判 断です。そして、この場合、朝日新聞は、私の意見より、「制服向上委員会」女子の意 見の方がはるかに大事だといっているのです。 しかもさらにいえば、私のような意見は圧倒的に少数派なのです。保守系においてさ えも少数なのです。へたをすれば、日米安保をやめて国民皆兵にせよ、ととられかねな いような論調は保守派でも少数派なのです。もっとも、先に書いたように、私は、それ が「近代主権国家」の原則で、そこに原則があることさえも戦後には隠されてしまった、
れでよいのです。お涙頂戴劇の主人公がここに現れてくれればよいので、絶対的な被害 者であってくれればよいのです。なんせこの被害者は「絶対」で、この最強のカ 1 ドを 持ち出せば、彼はいくらでも加害者を攻撃できるからです。害者無堀ん・「アー・ の女性でなければなりません。この人たちは無抵抗な「絶対的な弱者」なのです。かく てここでは、無垢でかわいそうな元慰安婦のおばあさんは、いわばダシにされており、 加害者である「日本人」を攻撃するために使われていることになる。こうして無垢な弱 者、無垢な被害者は、それだけで「絶対化」されてゆく。 本 後これが、今回の従軍慰安婦問題の背景的な心理なのではないでしようか。そして実は、 ~ これは戦後日本人を広く覆っている心理であり、ど・のわげ進歩派ど呼出んを人・に典型・ か的にられる屈折からでているのて の ついでにいえば、この心理は、先に述べた「制服向上委員会」の女子高校生の集団的 自衛権批判とも重なってくるでしよう。朝日の記者は、戦場へ送られる純垢ん高図・ 朝 。ど・い引ー一もちだし、女子高校生にそれを語らせて同情することで、可 二能的な加害者つまり安倍政権を批判しているのです。アジアの女性にせよ、高校生にせ よ、被害者は無垢な「弱 のです。
えば、現に朝日の記者に「あなたは集団的自衛権についてどう思いますか」と聞いてみ たとします。彼らが「あのできやっきゃいっているかわいい男子高校生たちを戦 場で死なせたくないから反対だ」などというわけはないのです。本気でそんなことをい えばたいしたものです。だけどまた本当にそう思っているのなら、新聞一どし。て論外てす。 即刻つぶれてもらわなければなりません。ましてや、それが日本におけるクオリテ 不」、 ' ・をみを新聞だと・すれば、それこそ彼らがいつも気にする ' 〕。鈊引いものにな るでしよう。 とすれば、彼らも、集団的自衛権について、本当は、かなり複雑で現実的、かっ思想 ' ' 的な議論が必要だと由 5 づて・い。をはずなのぞ引。私の見解に賛成か反対かはどうでもよい ことで、しかし心最低 10 程度の思想的議論も押さえておかなければならない、と 思っているはずなのです。 ' もなけ・れば・、ー進歩などという思想を唱える資格はありま せん。「クオリティ・ペ ー。ハー」も何もありません。 しかしそれを知っていて、「男子高校生を戦場で死なせるな」になってしまう。これ は実際には、「クオリティ」を語りながらご者をづ力に るはかりか、実はこ 女子高生を・も・パ・ガに・し・てい・をのそす。読者をバカにしているというのは、集団的自衛
といっているだけですが。 それに対して、「かわいい男子を戦場に送るな」は、少なくとも護憲的勢力のなかで は典型的な意見であり、多数派の意見なのです。ということは、朝日は、護憲勢力の多 数派の意見にただこびていることにもなる。立場は違うがこんな反対の見解がある、と 一苑るメ一アイ っ 0 AJ っ力、 / 、 いうことを掲 アイというものでし もっとも、へたをすれば、国民皆兵のススメともとられかねない私のインタビューを、 本 こぢんまりとではあれ、 ( 写真っきで ) 載せてくれた名古屋本社はありがたいというべ 2 きかもしれません。特にくだんの記者は、私の主張はよくわかってくれており、このど かうみても「反朝日」的な論調をよくまとめてくれました。 のしかし、ここで今いいたいことはそんなことではなく、ここに朝日新聞という戦後進 新 歩主義を代表する新聞のもつある種の体質がたくまずして表現されており、それはかな 日 朝 り一なことたとっ 一一もしも、朝日の編集局が、本心から、私の主張よりも、この女子高校生の意見の方が 大事だと思っているのなら、かまいません。しかし、本当はそうではないのです。たと 1 ロご一 9