いでゆけるかとなると、そうはいかないでしよう。となると、アベノミクスの今後に楽 観できないのも当然のことなのです。 「アベノミクス」成否の真相 アベノミクスはいったい、うまくいっているのか、それとも挫折しつつあるのか。い ったいどちらなのでしようか。安倍首相はデフレ脱却と景気浮揚のためにできることは 何でもやる、といいました。それがこの異次元的な政策なのであれば、アベノミクスが うまくいかないとなるとたいへんに深刻な事態になります。他に打てる手はもうないの です。方策は出尽くしてしまうのです。安倍首相 ( および黒田日銀総裁 ) としては何が 何でも成功させなければなりません。しかし本当に成功するのでしようか。 アベノミクスの「わかりにくさは、この政策に矛盾するような考えがいくつか含ま れているからです。だからその基本的な考え方がもうひとっ理解しにくいのです。 まず、第一の矢は、超金融緩和によって 2 % 程度のインフレを実現するというもので した。これは、貨幣供給量を増やせば物価があがる、つまり、貨幣供給量と物価水準に は一定の関係がある、という理屈です。経済理論では、この考えはマネタリスムといわ
す。一強多弱といわれたり、争点がないといわれたりしますが、もう本当の意味で野党 などというものは見えなくなってしまいました。 争点は、一応、 2 年間の安倍政権の信任であり、その中心になるのはアベノミクスの 評価でした。アベノミクスは十分な効果を発揮せず失敗だったというのが野党の主張で したが、ではどうすればよいのか、明快な対案は出せませんでした。もともと民主党も 維新の党ももつばら政治改革・行政改革だけを訴えていたからです。安倍首相はあきら かに政治を一歩前進させたのです。もはやただ政治改革というだけではお話になりませ ん。経済政策も集団的自衛権もエネルギー政策も野党は対案を出せないのです。アベノ ミクスにしても、何がどう失敗したのか、説得力ある意見を提示できないのです。 しかし実は、ここに、アベノミクスのいささかやっかいな、あるいは奇妙な性格があ ります。おそらく大多数の人はアベノミクスに一定の評価を与えながらも、今後の展開 については確信がもてない、といったところでしよう。確かに、安倍政権になって経済 のムードはおおきく変わった。これは明らかに安倍首相の功績です。「異次元の金融緩 和」や「機動的な財政政策」は、民主党政権では決してありえなかった大胆な政策であ り、脱デフレという明確な目標設定も適切なものでした。そして、脱デフレと景気回復
とって、インフレをもたらすために貨幣量を増やそうとしているのです。 かくて、第一の矢と第二の矢はまったく違った経済学の上に乗っている。モンタギュ ー家とキャピュレット家のようなものです。そう容易に姻戚縁組できるはずもない。 かに、デフレ脱却のためには何でもありというわけです。安倍首相みずからそう 宣言している。だから、大とサルを同じ檻に人れ仲良く共存させようという政策もあり うる。もしも、両者のプラス面がでれば万々歳でしよう。マネタリズムよって価水 があがり、ケインズによって景気が回復すればよい。大成功です。 しかし両者ともに相手を批判しています。もしもこの批判がお互いにオていたら どうなるのか。金融緩和はただただ金融市場で投機的なバブルを引き起こし、実体経済 にはほとんど影響も与えない。一方、賦政政策赤宅御が房を増や 7J ・てさしたる景気回 復効果をもたない。こうなると、目も当てられません。いや、目をふさぎたくなります。 いったい、どちらになるのか。残念ながら誰にもわかりません。やってみないとわか らないので そこ三の矢をつ経済成長経路に持ち上げよう しかしこれ がまたよくわからない。ここでもまた、やれることはすべてありといった様相で、一方 700
で、政府が率先して成長産業を生み出し、地方を活性化し、人口減少を食い止める、と いう。しかし他方で、労働力を自由化し、い 0 そうの規制緩種鴈しグ〉町円 - 円ー ってゆくという新 自由化路線を推進するという。前者は、政府が主導して そう〕又な続なのです。 虚いうまでもなく、構造改革は、新自由主義と呼ばれ、市場原理主義と呼ばれました。 それはただケインズ主義と対立するだけではなく、政府が特定の産業の後押しをしたり、 戦略的に経済を牽引することを排除すべしと主張したのです。すべては市場競争に任せ、 市場活力を引きだそうというわけです。い 0 。アベノミクスの車政府凶釜ー 鹹かす主導的役割を演じる戦略的経済にあるのか、それとも、構、〕改革をいっそう進め 争 競争のか、どちらにあるのでしよう。 ル 繰り返しますが、安倍首相みずからできることはすべてやる、といっていますから、 真意など問うても意味はないのかもしれません。結果がすべてということでしよう。そ グ して実は、この対立するようなふたつの考えは、少・なぐ・とも安倍首相の・論理でば決してー 章 第 101
たいへんに危険な道 それはどういうことかというと、結局のところ、成長戦略がめざすものは次の一言に 収斂するからです。「この激しいグロー。ハル競争に勝っための競争力をつける」という ことです。今日の世界は、グロ ーバルな市場をめぐって資源や資本や市場の獲得競争か かってなく激化している。だからこのグローバル競争に勝たねば成長できない、という のです。 このグローバル競争に勝っためにはあらゆることをする。政府が主導して成長産業を 生み出すという新重商主義的・戦略的政策も必要だ。市場競争を強化するという新自由 主義的な政策も必要だ。こうして一見したところ矛盾し対立しあう政策を両方ともに包 括するものは、まさにこの「グロ ーバルな競争に勝って成長する」という論理なのです。 かくて、「グロ ーバリズム」「競争力」「成長追求」の三つがキーワードになったのです。 だから、ヶ国以上の歴訪という「地球儀を俯瞰する外交」と称する何かコロンプス の時代を思わせるような外交も、グロ ーバルな経済戦略と結びついたものであって、確 かに、この各国歴訪には安倍首相の覚悟のようなものを感じさせました。これは決して 民主党や他の政治家ではできなかったことて はなりません 702
的に地方を疲弊させます。もしもかっての高度成長時代のように、全体の。ハイが大きく なってゆけば、東京も地方も活性化することは不可能ではなかったでしよう。しかし、 ほぼゼロ成長にあり、おまけに人口減少社会となれば、人とカネの東京への集中は、地 方での人とカネの喪失を意味しているわけです。 正しい偏見のもちかた こういう政策を年も続けてきたのです。そして、今でもまだ市場競争の強化や構造 て改革の継続ということがいわれている。一方で、地方を劣化させる政策をかくも長期に とわたって続けていながら、今頃になって、地方創生を唱えることのちぐはぐさをわれわ をれはもっと自覚すべきでしよう。その意味では、別に安倍首相の責任ではありませんが、 東京オリンピックの開催は、とりあえずはいっそうの東京集中を引き起こすもので、こ れ れもへたをすれば地方活性化と逆行しかねないのです。 わ 失 話が脱線しますが、東京オリンピックが決定したとき、メディアのあまりのはしゃぎ 三ぶりとお祭り演出を見ながら、私はある地方新聞に次のようなことを書いたことがあり ます。かって 1964 年の東京オリンピックは確かに敗戦から復活し、成長軌道へ乗っ
ふるさとを創出することなどできません。 1988 年から年にかけて竹下登首相が 「ふるさと創生」を唱え、各市町村に 1 億円をバラマいたことがあります。それがいっ たい何に使われたのか。 イカの巨大モニュメント ( 函館市 ) 、純金のこけし ( 青森・黒石市 ) 、純金のカツォ ( 高知・中土佐町 ) 、世界一巨大な狛大 ( 岐阜・瑞浪市 ) 、日本一長い滑り台 ( 山梨・丹 波山村、 3 日後には抜かれたそうです ) 、自由の女神像 ( 青森・おいらせ町、ニューヨ ークと緯度が等しいそうです ) 、さらには村営キャパレー ( 秋田・美郷町、赤字で廃止 になりました ) 苦労のあとがしのばれます。あまりに独創的過ぎて、住民はついてこれなかったので はないか、と思います。まあ、これが「ふるさと創生」でした。これなら、道路整備で も河川整備でも、あるいは公共施設の建設でも、政府主導の公共事業をちゃんとやって いた方がはるかにましだったでしよう。 安倍内閣の「地方創生」がどんな形をとるのかはまったくわかりません。しかし、確 かなことは「ふるさと」を創生するなどということはできないのです。それはもう失わ れたものだからです。しかしまたそれは、われわれの記憶のなかに生き続け、たえず変
らもうやめにして、自然エネルギーす見避しようなどという気楽な選択ではない ということです。小泉純一郎元首相が突然、脱原発を言い出し、「脱原発によってこそ 成長できる」というようなことを述べていますが、そうではありません。脱原発が意味 するものはいわ、 てあり、もっといえば、「科学と技術の革新によって富を生み 出し無限に成長する」という近代社会の回国料引・・ ということなのです。 仮に原発推進派の主張が正しいとしましよう。原発を廃止することで、深刻な電力不 足に陥り、電力料金が高騰し、日本経済はグロ ーバルな競争力を失う、としましよう。 脱原発とはそのことを受け ならないので。それを、「いや、自然エネル ギーへの転換によってもっと成長できる」などという楽観でごまかすわけにはいきませ ん。また、脱原発デモをしながら、電気料金の値上げには反対だの、雇用不安が生まれ るだのというわけにはいきません。それらはある程度は受容しなければなりません。ま は一、、脱源発の結果、火力発電に戻ることで二酸化炭素排出が急増しているというドイツ の現実などをどう考えるのでしよう。 それならば、 ' ・ーををい 3 凵川 ~ ・で・す。そうすればよいのです。 グローバル競争から一歩身を引き、電力使用レベルを落とし、生活や消費のレベルを落
巨大ショッピングモールの哀しさ て 2014 年 9 月に安倍改造内閣 ( 第二次 ) が発足し、この政権の今後の政策課題は地 め 方創生にある、といわれていました。これは重要な課題でしよう。じっさい、地方の疲 を弊はすさまじいもので、たとえ県庁所在地の地方都市であっても、いかにもすさんだ光 故景を露呈している場所はいくらでもあります。中心部の大通りには人影はなく、商店街 れ はほとんどシャッターを下ろしたままで人通りはありません。しばらく前ならば、おそ わ 失 らくなかなか魅力的な街路でもあり、活気ある商店街であったろうと思われるのですが、 三この疲弊ぶりは目を覆うばかりです。 こうした状態を何とかしなければ、とは誰しも思うことでしよう。しかし「地方創生 第三章失われた故郷をもとめて
ば、物的な生産の増大が人々を幸福にする、という前提があります。 ある程度はそうでしよう。「生産が増え、富が増えて何が悪いのか」、「そもそも経済 が豊かでなければ、愉しいことは何もできないではないか」といわれれば、一応はそう でしよう。 しかし、ことはそれほど簡単ではありません。ある程度の経済水準に達したとします。 衣食住は足りるぐらいの水準には達しているとしましよう。もちろん、今日の先進国は こんなレベルははるかに超えている。今日、日本では、輸人される食料の % に当たる 量が廃棄されているありさまです。衣服にしても、いくらでも国内で生産できるのです が、もっと安価に人手したい、というわけで中国あたりから輸人している。 かくて、衣食住は十二分に足り、「一定の経済水準」をはるかに超え出ている。では われわれは満足できるのかというとそうではなく、今度は、より安く、より早く、より 便利に、という欲望に突き動かされ、ますます経済の拡張に邁進する。そのために、か ってなく忙しく働き、激しい競争に駆りたてられているわけです。 そしてそのことは、間違いなく、人間の心理や社会的あり方に対して、ある種の歪を 生みだすでしよう。目に見えないところで「人間」に大きなダメージを与えつつあるの 200