したがって、もしも仮に経済学者に、今日の日本経済について論評を依頼したとしま しよう。ある経済学者はいうでしよう。「今日の日本では、まだ非合理な日本型経営慣 行が支配しており、人々が能力に応じた報酬をもらっていない。日本型の経営はもうや めるべきだ」。また別の経済学者はいう。「政府が無駄な資金を公共部門で使用していて、 必要なところへ資本がまわっていない。公共投資はやめるべきだ」。 また労働経済の専門家はいう。「労働の生産性を高めるには労働市場を流動化して、 賃金を競争的にすべきだ」。また金融の専門家はいう。「資金を必要なところにまわせば、 日本経済の生産性はもっと高まる。そのためには金融市場を自由化すべきだ」と。 これらはすべて専門家の「科学的」なアドバイスです。それぞれの専門の立場から、 市場を自由化し、規制を廃止すれば、日本経済はいっそう効率化して成長可能となるだ ろうといっているだけです。 それは先の市場経済学の基本的な命題にほかならない。「科学的な命題」です。いっ てみれば「教科書化」された命題です。だから、「正しい」はずです。 しかし、ここには事実上、価値判断が持ち込まれている。効率性の達成、生産性の向 上、経済成長の追求という価値観が持ち込まれている。われわれの気がっかないうちに、 174
ったのです。 しかも、このような変化は、実は日本だけのものではなかった。それは世界的な規模 で、年代に生じたいわば歴史的な変化でもありました。そのことを明らかにしたのが、 これまで何度かとりあげてきたピケティの『幻世紀の資本』だったのです。 前章でも論じたように、年代以降、世界の先進国経済は、もはや十分には成長でき す せいぜい年から年にかけ カ長できた 破なくなっているのです。戦後 を れは、あの戦争によって産業もインフラも破壊されてしまった ての年間であっ がからだったのです。戦後復興が年率数 % の成長率を可能としただけだ、というのです。 、ヨンを起こしても、もはや十分な成には結び 社それが一段落つくと、いくらイノベー な づない、円成長経済から脱成長経済 ( の転換こそが求められていたのです。 で にもかかわらず、「アメリカニズム」「個人の自由」「経済成長」の三点セットは、 ま年代以降も日本を支配してきた。年代に人って、「アメリカ的市場競争」がまさに標 準化されてしまい「構造改革」が論壇を占拠します。集団主義的な日本的経営は「個人 + の自由」を抑圧するとして、規制緩和論がでてくる。そしてまた「成長戦略」です。 何も変わっていないのです。より安く、より早く、より便利に、というわれわれの欲 205
これらの価値観へと誘導されているのです。 そして、これらをすべて合わせれば、日本型経営をやめ、労働市場を流動化し、金融 市場を自由化し、能力主義を採用し、公共部門を縮小し、 . 規制を撤廃し、ということに なる。そうすれば市場競争はもっとも高い効率性を実現し、日本経済は成長できる、と いうことになる。 こうなると、もはや、誘導などというものではありません。いつのまにか、われわれ は、効率性の達成や経済成長の追求という価値を至上のものとしたシステムに、閉じ込 められてしまうのです。市場競争システムに縛りつけられてしまうのです。誰もが意図 傲してそれを選択したわけでもないのに。 学何とも奇妙なことといわねばなりません。誰も、特定の価値判断をしたわけではない のです。成長路線でゆくのか脱成長か、あるいは、効率性追求か社会的安定か、短期的 な生産性向上か、それとも長期的な持続か、といった価値選択など決してしてはいない ア のです。議論さえしていません。にもかかわらず、自動的にひとつの価値観へとくくり 八つけられてしまうのです。 それもこれももとを正せば、「科学としての経済学」から始まっている。果たしてこ 775
945 年 ) に生まれた「戦後君」にとっては、戦後日本とは、平和や民主主義を掲げて、 もつばら経済的な豊かさを追求し、世界のなかで「名誉ある地位を占める」ことを目指 してきた、ということになるでしよう。そして、使 - が・珥・ -0 ど・ぎに・東京・オ・切・・ン。ビ・・ゾ・、久、・ 開かれ ) 歳のときに大阪で万国博が開催され、歳あたりで、日本経済は。ハプルの頂 点に達するのて しかし、その後となると、日本の経済は低迷し、 1995 年あたりから日本経済はデ フレにあえぐようになります。「戦後君」はいうでしよう。「自分の個人史を振りかえる と、おそらく日本のもっともよい時代を経験した」と。しかしまた、いささかの危惧の 念をにじませながらいうのではないでしようか。「だけど、これから日本はどうなるの だろう。自分の子供や孫の世代は果たしてうまくやってゆくのだろうか」と。 確かに、表面上、戦後日本は、それなりの安定と繁栄を実現したといってよいでしょ う。しかし、それも、ここへきていささか怪しくなってきました。戦後の日本は、それ きなりの平和も、民主主義も、経済的豊かさも実現した、といってもさしつかえありませ えん。しかし、その結果はどうでしようか。 ま もはやますます不安定化した世界のなかで、おまけに近隣国からの脅威にさらされて
いるにもかかわらず、日本はいささか硬直化した一国平和主義から抜け出すことができ ません。民主政治は、世論と」う不可視の魔物に翻弄され、そして、「後日本 0 最大 0 誇りであった経済成長は、もう年以上ほぼゼロという状態なのです とすれば、改めて、「し出」 ' 体何だ・ ? たのが 6 それは今、大きく変わろうとして いるのではないか、と問いたくなります。この場合、やはり最大の問題は、「輯倒印本ー 主たる関心が、もつばら経済成長と物質的な豊かさにしカロけらていなかった、とい うことではないでしようか。ともかくも、しい技術を開発したな市場を生み出し それを大衆的な消費に結びつけることで経済を発展させるということにわれわれはも つばら精神を集中してきたのです。 もちろん、これは、日本だけのことではなく、アメリカを中心とる自由主義経済全 凩に、い心引ど・です。戦争が終わってから、どの国もすべて経済成長をめざした。 しかし、そのなかでも、戦争によって資本を大きく破壊された日本は、字、りゼロ らの再建にまい辷したわけです。 このことは冷戦体制下ではそれなりに意味はあったのかもしれません。しかし、それ が終わってみれば、グロ ーバルな大競争が加速し、そのなかで日本は自らの立ち位置を
たとえば、アメリカへ留学して日本へ戻ってきた若い日本人学者は、日本の経済の現実 をみて、教科書との違いに改めて驚くでしよう。会社に対すな誠ん当、どこを見て も教科書には書いていません。終身雇用も年功賃金も、教科書にはない。政府の行政指 導などという概念も教科書にはありません。そこで、これらの非合理的で不透明な制度 を批します。日本型経済は特殊なもので、市場の普遍的な形態ではな」、と」う批判 です 端的にいえば、アメリカの教科書を読みながら、日本経済の現実を批判しているので す。教科書が正しく、現実は間違っている、といっているのです。なぜなら、教科書は 科学だからです。 こうなると、つい噴きだしたくもなります。理論と現実が食い違ったとき、理論が間 違っている、というのが「科学」というものでしよう。それを、現実が間違って というのですから。だけれども、現にこのような倒錯がたいへんな事態を招いてしまっ たのです。それが年代の「構造改革」だったのです。 いうまでもなく、教科書になっているから科学だ、などということはありえません。 誰か、有力な経済学者があっかましくも、自己流の考えを教科書に仕立て上げてしまい、 170
、日本ではグローバル競争に勝 だからこそ、 ( ー・・化以の日本経済の失速に関し てるような新たな産業が育たない、新たな企業活動が阻止されている、日型経営では 独創的なイノベーションは起こせない、規制のおカげでべンチャーが生まれない、とい によって競争条件を整備すれば新 たな きると主張したのてオ ロ という概念は救世主のよ 新自由主義者にとっては、シュンペーターの「リ うなもので、新たな技術創造と、旧態の技術やシステムの破壊にこそ、資本主義の原動 力がある、 実際 8 年代にはってから、次々と新たな技術が開発されました。—e 革命と金融 叩を主導することでいき 革命がその代てす。アメリ した。また、—e や金融工学を使って金融市場で大きな利益を生み出すシステムを作り 出した。 これらは事実です。しかし、それにもかかわらず、、は分には成長しなかったの です。 ピケティの示したところによると、新自由主義者の「競争とイノベーションによる経 182
ロ ー。ハルな競争力という議論カカ たもオオからて構造改革にも 様々な面はありますが、その基本的な発想を「グロ ーバル経済で競争力を確保するため の市場競争強化」というものだとすれば、構造改革にあけくれた約年は、まさに日本 経済に「グローバル競争力」をつける持続的な実験だったのです。そしてどうなったか。 それがデフレの十数年であり、格差の拡大であり、停滞の年だったのです。 だから、「市場中心主義によってグローバル競争力をつける」という方向には根本的 な疑問がでてくるのです。少なくとも、日本がとるべき方向は、新帝国主義的状況でグ ローバル競争へ飛び込むことではないのです。 そのことを知るには、そもそもこの十数年にわたるデフレ経済がどうして生じたかを 考えてみましよう。 囲年代の半ばから日本はデフレ経済化してゆきますが、もちろんその原因は様々あり ます。日銀の金融緩和の不徹底、改革の遅れ、所得格差などが指摘されたりしました。 しかし、直接的な原因はともかく、それをもたらした構造的な要因ははっきりとしてい るでしよう。 第一にあげるべきは、人口減少、高齢化社会の到来です。 2008 年をピークに日本 704
とりわけ数学的には形式化されてしまうのですが、実際の経済のありようは国によって 異なっている。同じ先進資本主義国でも、アメリカ、日本、ドイツ、イギリス、フラン スでは、 た、済構造をもっているのです。当然のことで、その国の歴史、文化、 社会構造、そして国民的な価値観が違うからです。この違いを無視することはできませ ん。 しかしそうすると、経済現象は、実は、社会現とも治現象とも人間心理ともかか わっており、各国の歴史や文化とも不可分です。ただ「市場経済」だけを切り離して論 じることはできないのです。 こんなことは、わざわざ述べるまでもなく、当たり前のことでしよう。しかし、その 当たり引のことカ 、とりわけその中心にある経済理論には通用しな とすれば、本当に必要なのは、広い意味での社会分析、もしくは総合化された社会科 学、ということになる。経済学はあくまでぞが。「留であるべきなのです。そして間年 代の日本では、際に・そ、う・した社会科学・é合他喞引ん、その試みもなされていた のです。 166
するほかありません。だから、価格破壊はやがて雇用破壊になるのです。すると、雇用 者所得が減るために決して消費は伸びないでしようし、仮に消費者は得をしたとしても、 労働者は状況が悪化するのです。消費者はまた勤労者であるという、あまりに当然のこ とがここではすっぽりと抜け落ちているのです。 それだけならまだかまいません。ただ経済だけの話です。しかし、賃金が下がり、雇 ートにで 破用が不安定になるとどうなるか。たとえば、これまで専業主婦だった女性も。ハ 間かけ、家族がバラバラになってゆく。親子関係が希薄になる。また、競争は、人をいっ がそう個人主義にし、他人との信頼を崩してゆく。競争によって全体の。ハイが増大すると 社きはよいのですが、雇用が不安定化し、デフレ化する経済で競争を行うと、。ハイの取り な 合いになる。他人を蹴落とさなければ自分の生活が確保されない、という弱肉強食型に で なるのです。仮に、「人間」とは、ただ個人で生きるものではなく、他者との信頼を基 琺にした社会的存在だとすれば、これはまさしく「人間破壊」になるのです。 しごく当たり前のことです。しかし、当時、価格破壊、規制緩和、日本型経営の終焉 十などというスローガンの前に、こんな主張は全くかき消されました。 この市場原理主義の前提になっているのは、「消費者絶対主義」とでもいうべきもの 207