ジェノヴァ - みる会図書館


検索対象: コンスタンティノープルの陥落
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1. コンスタンティノープルの陥落

「ひとまず、時間をいただけないであろうか。使節をスルタンの許に送って、スルタンが、 ジェノヴァ居留区の中立を認めるだけでなく、ヴェネッィア居留区とも講和する気持がある かどうか、ただしてみるためだが ディエドは、このようなことがこの期におよんでまったく不可能であることを感じていた 日が、軽蔑したような表情をしただけで、なにも言わなかった。 ところが、会見を終えて再び小舟に乗ろうとした三人は、居留区の城門がすべて閉じられ 最 カているのを発見したのだ。しかし、居留区のジェノヴァ人の中にも、眼前のコンスタンティ ノノープルで起っている不幸に、無神経でいられる者は多くなかった。その人たちが開けてく テれたので、三人のヴェネッィア人は、再び小舟に乗ることができたのである。居留区の船着 タ場でも、スルタンの約束を信じないで逃げると決めたジェノヴァ人やその家族が、次々と船 ン に乗りこんでいた。 コ 章三人がコンスタンティノープル側の船着場にもどってみると、そこでは今まさに、救出作 第業が最高潮に達していた。後から後から逃げこんでくる人で、さして広くはない船着場はた ちまち人であふれ、中には押されて海中に落ちる者もいる。その中でも船乗りたちは冷静さ を失わず、一人ずつ、船上に引きずりあげていた。 太陽が、真上に近づきつつあった。船着場にあふれていた人々は船に乗りこみ、船着場に 向って逃げこんでくる者も、その頃では数が減っていた。だが、ニコロは、負傷者の治療に 209

2. コンスタンティノープルの陥落

ある。一瞬立ちすくんだ彼の右のふとももに、第二の矢が突きささった。倒れた若い武将の かっちゅう 銀色の甲冑のつぎ目から、おびただしい血が流れだした。ジュスティニアーニは、激痛に耐 えかねて悲鳴をあげ、駆けつけた部下の一人に、自分の船に運ぶよう頼んだ。部下も、内城 壁へ、そして市内に通ずる出入口は、すべて鍵で閉ざされているのを知っている。彼は、皇 もと 日帝の許へ走り、鍵をくれるよう願った。 後外城壁と防柵の間の通路を駆けつけてきた皇帝は、倒れているジュスティニアーニのそば ルにひざをつき、その手をとって、ここから離れるなど思いなおしてほしい、 と頼んだ。だが、 あれほど勇敢だった武将は、あふれでる自分の血を見て、にわかに自らの年齢を思いだした テようだった。戦線離脱を求めて、皇帝の懇願にも耳をかそうとしない。やむなく鍵が、ジュ タスティニアーニの部下にわたされ、彼らの手で、ジェノヴァ人の武将は運びだされていった。 ン コ だが、この事故は、ジュスティニアーニ直属の配下の五百のジェノヴァ兵を、動揺させな 章いではすまなかった。彼らは、傭兵と呼ばれる戦争屋である。それだけに、勝ち戦さでは勇 第敢でも、敗戦と感ずれば逃げ足も早い。彼らは、運びだされる自分たちの大将を見て、戦い もこれまでだと思いこんだのである。ジェノヴァ兵は、ジュスティニアーニを運びだした後 まだ閉めていなかった出口に向って殺到した。それを、皇帝をはじめとするギリシア兵が、 必死にとどめようとする。この、城壁内で起ったときならぬ騒ぎを、堀のふちにいたスルタ ンが気づいた。二十一歳の若者は、これまでついぞだしたことのない大声をあげた。

3. コンスタンティノープルの陥落

金角湾内の友船すべてに、われにつづけと信号を発しながら、ディエドのガレー船は、ま だ張られたままの防鎖に近づいていた。防鎖とすれすれになった時、一一人の船乗りが小舟を おろし、コンスタンティノープル側の塔の一つに結ばれていた、皮ひもを断ち切った。切れ た防鎖はたちまち波に乗り、ささえていたいかだの列が、海面に漂う。 日ガレー船は、そのすき間をぬって外海にすべり出た。そのすぐ後に、居留区からのも加え て、七隻のジェノヴァ船がつづく。そして、モロシーニ指揮のヴェネッィアのガレー船一隻、 最 プ ) し 大、で、もう一隻のヴェネッィアのガレー商船も脱出した。しかし、この船の航行ぶりは、 ノ他の船から見てもやっとという感じだった。陸上防衛にまわされた乗組員のうち、この船で テは百五十人以上がもどってこなかったのだ。ようやく金角湾を脱け出したこの船の後に、ト タレヴィザンのガレー軍船がつづいた。この船の乗組員不足は、前の船ほどはひどくなかった が、艦長が欠けている。次いで、ジェノヴァの船二隻がすべり出る。最後に、クレタの四隻 章か脱出した。この四船には、ギリシア人の難民が多く救出されていた。 第金角湾の中には、まだ少なくとも、ビザンチンの船が十隻、ジェノヴァ船が二、三隻、そ れに貨物専用のヴェネッィアの帆船も加えて二十隻ほどが、残っているはずだった。。 ティエ ドは、これらの船が遅れてきた人々を救出し、金角湾を脱出してくるのを期待して、あと一 時間よ、ぐ ホスフォロス海峡の出口近くの海上で待っことに決めたのである。だが、それ以後 逃げ出してきた船は、一隻もなかった。 211 せき

4. コンスタンティノープルの陥落

うことのほうが重大だった。湾側の城壁は、一重しかない。防衛側は、それまでは金角湾の 制海権を手中にしていたことで安心し、監視兵程度の守備兵しかおいていなかったこの一帯 を、このまま放置するわナこよ ) 、 し。 ( し力なくなった。ただでさえ、少ない兵しか持たない防衛軍 なのだ。どこからしばりだしてくるか、指揮官たちには、頭の痛い課題だった。ただ、不幸 中の幸いは、まだこの頃のトルコ兵は浮橋上での大砲の操作に未熟で、早急に対策を立てね 落ばならないほどの被害をもたらさなかったことだった。 たみ かんべき それでも、ヴェネッィア人もジェノヴァ人も、海の民であるだけに、海側の守りが完璧で プなくなった場合の防衛の困難は、知りすぎるほどよく知っている。夜の闇にまぎれて、ガラ タの居留区から救援物資を運んでくる小舟や、自らも戦うつもりで防衛軍に志願してくる 冖「ガラタの住人」の数が、一段と増したのであった。居留区の許可がないと船もつけられな スいガラタの船着場に、ヴェネッィアの船が砲撃を避けて逃げこんでも、以前のように気まず コい空気になることもなくなった。ヴェネッィア人も、ジェノヴァ非難のロを閉ざすようにな る。幸福も人々の心を開くのに役立つが、不幸もまた、同じ役目をすることがあるものだ。 ころ

5. コンスタンティノープルの陥落

二日前の海戦の勝利で、かってなかったほど団結していた人々も、たちまち、眼前の不幸 の責任を互いに他になすりつけるようになってしまった。ジェノヴァ人は、一一一一口う。 だれ 「スルタンは、トルコの陣営にいるヴェネッィア人の誰かから、十五年前にヴェネッィア共 和国か北イタリアで行なった、ポ 1 河からガルダ湖までの艦隊の陸上輸送を聴いて、それを 落参考にしたにちがいない ヴェネッィア人も、負けてはいなかった。 プ「われわれはきみたちとちがって、スルタンに対しての態度を明確にしている。スルタンと て、敵国人をそば近くおくこともなかろう。それどころか、マホメッド二世は、ガラタのジ テ ンエノヴァ人の中に、通報者を持っているというではないか。一四三八年のあの戦術をスルタ タ スンが知っていたとしたら、それは、トルコ陣営にいるあの古代学者か、主治医のヤコボ・ コダ・ガエタの二人のイタリア人のどちらかから聴いたか、そうでなければ、ジェノヴァ人の 誰かが忠義づらして、耳に入れたのにちがいない。 それに、自分たちの居留区の城壁のすぐ外で行われた工事に、居留区の住民が一人も気づ かなかったというのも解せないではないか。これは、気づいていながら、われわれに知らせ なかったと思、つしかない ギリシア人たちは、ロ許にわいてくる笑いを押さえながら、傍観していた。彼らビザンチ

6. コンスタンティノープルの陥落

家でありながら、オリエント市場を争っての三百年来のライヴァルなのである。それがため に、コンスタンティノープルの西欧人社会を一一分する勢力なのに仲が悪く、両居留区の間で は、公式な連絡関係はないのだった。ヴェネッィア大使の訪問は、それに探りをいれる目的 もあったのだ。 ( 「ガラタのジェノヴァ居留区は、あいかわらずの中立維持でいくのでしようか。それと 一、もワ・ 皇帝は、苦しそうな表情でうなずいた。たか、弁護でもするように、すぐっづけて言う。 テ ン「代官ロメリーノは、できるかぎりのことはやると言ってくれた。誠実な男だから、それは 【信用してもよいと思う」 コ ミノットもトレヴィザンも、コンスタンティノープルの居留区にかぎれば、態度を明確に みしたヴェネッィアはそうでないジェノヴァを非難することもできるが、本国政府となると両 国とも似たようなものであるのは、言われないでもわかっている。それでも、大使は皇帝に、 章 三ヴェネッィア本国に居留区の態度決定を報告するためにおくる使者に、コンスタンティノー プルへの援軍派遣をあらためて要請させることを約束した。皇帝は、それにも礼を述べ、ヴ エネッィアが送ってきた食糧満載の十四隻の船が無事到着した礼も、つけ加えてくれるよう 頼んだのである。フランゼスは、皇帝の胸中が次々ともたらされる暗い情報で張りさけんば かりであるのを知っていたので、ほんの些細な援助に対してこれほどに感謝する皇帝が、哀

7. コンスタンティノープルの陥落

攻防戦がはじまってから二週間というもの、コンスタンティノープルを中心とする一帯は、 強い北風に吹きさらされていた。そのために、ローマ法王が資金を出して調達させた武器や くぎ の弾薬を満載した三隻のジェノヴァ船は、エーゲ海にあるキオス島の港に釘づけになったまま 海だった。三隻とも、大型の帆船である。逆風をついての北上は無理なのだ。それが、トルコ 章軍の第一回の総攻撃を境にして、今度は逆に、南風に変ったのである。待ちうけていたジェ 第ノヴァ船三隻は、早速ダーダネルス海峡に向って北上を開始する。海峡に入ろうとするとこ ろで、これも北上中のギリシア船と出会った。ジェノヴァ船よりもさらに大型のこの船は、 ろうじよう 皇帝があらかじめ籠城にそなえてシチリアへ送り、食糧を調達させていた船だった。そのた めに海運力がゼロにひとしいビザンチン帝国では最も大きく、また装備もととのった船で、 船員も、より抜きが選ばれて乗っている。四隻の船は合流して、ダーダネルス海峡に入った。 コンスタンティノープルの海上封鎖に全船力を投入しているのか、海峡にはトルコ船の影 ) 。合団は、風に恵まれ誰の邪魔もなく、海峡を通過することができた。海峡の出口に 、もなし・月 第五章海戦の勝利 せき だれ

8. コンスタンティノープルの陥落

は、ただちにこの「特別ニュース , を、ローマの法王、ナポリ王、ジェノヴァ、フィレンツ 工、フランス王、ドイツの神聖ローマ帝国皇帝、ハンガリア王等に知らせるため、各国へ急 使を派遣した。商業権益を守る必要のあるジェノヴァもヴェネッィアも、また宗教上の理由 からローマ法王も、コンスタンティノープル救援のための本格的な財政支出を決定した直後 へきれき の知らせだっただけに、陥落は、青天の霹靂と受けとられたのである。これほど早く、あの 落最堅固の城壁が破られるとは、誰も思っていなかったのだ。 ディエドやニコロ、それにテダルディ等の現場証人たちがヴェネッィアに着いたのは、ロ カレダンの送った快速船の到着の五日後だった。ただちに閣議に招びだされたディエドは、そ こで詳細な報告をさせられる。その後すぐに召集された元老院でも、同じ報告をくり返し、 ン議員たちの質問にも答えねばならなかった。ただし、この段階ではまだ、人的被害について スは、攻防戦中の戦死者だけがはっきりしていただけである。そして、ヴェネッィアではこの ン コような場合、たとえ商船の一船長であろうとも、帰国後報告を求められればそれに応ずる義 務があったから、ディエドも、二十日におよぶ船旅の間に、これにそなえてあらかじめ、く わしい報告書を作成していたにちがいない。ヴェネッィア政府も、彼の報告を受けてはじめ て、本格的な対策を講ずることができたのであった。 ヴェネッィアは、この時も、硬柔二面を駆使する対策を選ぶ。硬は、ただちにネグロポン

9. コンスタンティノープルの陥落

ルコ兵をはじめて見たわけではない彼でも、敵の隊長たちの武装の貧弱さには、驚かずには かっちゅう いられなかった。甲冑などっけている者は、一人もいない。指揮官でこれなのだから、一兵 卒の装備などないも同様だった。 それに比べて、防衛軍の兵士たちの武装は、西欧の甲冑製作技術の展示会を思わせる。銀 さま かと思うほどに光り輝やく鋼鉄製の甲冑が、城壁上にずらりと居並ぶ様は壮観で、これらの ミラノ製とひと目でわかる見事な甲冑をつけているのは、ヴェネッィアやジェノヴァの男よ るりも、ビザンチンの騎士たちのほうが多かった。この帝国には西欧第一の甲冑製造地として 知られるミラノから、ヴェネッィアやジェノヴァの商人の手で輸入されていたのである。 防しかし、医者であるだけにニコロは、装備の見事さに眼がくらむことはない。貧弱な武装 あり 章で蟻のように眼下に群らがるトルコ兵のほうが、数では圧倒的に優勢なのだ。そして、それ 篳がどの程度の数なのかを、正確に知りたいと思った。彼は、最も近距離に布陣した一隊の構 成員を数え、それで全軍を推測する方法をとった。この結果、ここからは見えないがガラタ 地区に四分の一の軍勢が配置されているとして、トルコの全軍勢は、固く踏んで十六万、と 判断したのである。 だか、このヴェネッィア人の医者の推測に同意したのは、大使ミノットとトレヴィザンの ヴェネッィア勢だけで、そんなはずはないというのが、他の人々の意見だった。フィレンツ 工の商人テダルディは、二十万と言い、皇帝側近のフランゼスも、それと同じ数字を主張し 129

10. コンスタンティノープルの陥落

人は、調髪が終るや店を出た。テダルディの足どりはしつかりしていた。彼は、船の予約を うけっ 受附けている一画には眼も向けず、商館を出た。ラテン区の中に借りている家にもどり、一 どれい 度はまとめた荷物をもう一度解くよう、身のまわりの世話をさせているロシア人の奴隷に命 ずるためだった。 ウベルティーノが知ったのも、商館の中である。同時に発表されたトレヴィザン提督の、 落南下予定の商船の出港は、トレヴィザンの許可さえあれば自由、との布告も知らされていた のから、彼にはまだ、出発の自由か完全にあったことになる。それでも、ウベルティーノは、 プ予約に行こうとはしなかった。彼もまた、残留組に加わることに決めたのである。師の顔が 浮んだが、 自分の決心を今すぐ師に告げに行くのは、なぜだか彼にはためらわれた。機会が テ ンあればその時でよい、と若者は思った。 タ ス ン コ ヴェネッィア居留区のくだした決定を報告に訪れた大使ミノットと提督トレヴィザンを、 皇帝の許に案内したのはフランゼスである。大使の話を聴き終った皇帝は、その温和な性格 をあらわにして、心からの感謝を述べた。そして、つい数時間前に会ったガラタの代官ロメ リーノから、五百の兵を満載したジェノヴァ船が近々コンスタンティノープルに到着すると いう報告を受けたことも伝えた。ジェノヴァとヴェネッィアは、同じイタリアの海洋都市国 め