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検索対象: コンスタンティノープルの陥落
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1. コンスタンティノープルの陥落

「コンスタンティノボリス と呼ばれるようになったのである。これが、「東ローマ帝国あるいは、「ビザンチン帝 国しと呼ばれもする、ギリシア語を話すローマ帝国の、一千一百二十三年間にわたった首都 になる ここでは、日本では最も普及した呼び名であるという理由で、英語式発音のコンスタンテ 落イノープルで通すことにするが、この都が健在であった一千年余りもの間も、コンスタンテ イノボリスというギリシア、ラテンの名称だけで通用していたのではない。この都となんら プかの関係を持った民族は、それぞれ自国語式に発音していたのである。例えばこの都の晩年 ノには緊密な関係にあったイタリアは、イタリア語式にコスタンティノーポリと呼んでいたし、 テ / 現代では公式の都市名となっている「イスタンプルも、コンスタンティノボリスのトルコ ス語式の呼び方が、長い歳月を経た結果、原語を想像するのが不可能なほどに変化した呼称に コすぎない。 アドリアノボリスが現代トルコ語では「エディルネ」となっているのと同じである。しか し、もともとはハドリアヌス帝の都という意味のアドリアノボリスも、この文中では、すで に百年も昔からトルコの首都であるという理由で、このギリシア、ラテン式の呼び名を使う ーいかない。力といって、当時ではトルコ人さえもまだこのように呼んでいないので、 史料では最も多く使われている呼び名である、イタリア式発音「アドリアーノボリ」で統一

2. コンスタンティノープルの陥落

ゲォルギオスは、すでにトルコの支配下に入っている国々に住むギリシア正教徒の信仰の 強さが、彼の考えを実証していると信じていた。長い間の伝統を捨て、東西教会のにわか仕 立ての合同が成ったとしても、その結果、これに反対する各地のギリシア正教徒が離反し、 結局は消滅してしまうよりは、 いっそのことトルコ人に征服されたほうが、信仰を守りつづ けるのにはよいのではないだろうか。これが、ビザンチン帝国を愛することでは誰にも劣ら ないと自認している、ゲォルギオスの達した結論だったのである。 ちその彼にとって、形としての国が滅びることは、相対的な問題でしかなかった。彼の考え 人に賛同するギリシア人は多く、彼の住む僧院は、合同反対派の本拠のようになっていた。 場 現 章 第 一四五ニ年・夏コンスタンティノープル ゲォルギオスの僧房を訪れる人々の中に、一人のイタリアの若者がいた。ウベルティーノ という名の、二十一歳になったばかりの学生である。ヴェネッィア共和国領になっている北 イタリアのプレッシアの生れで、イタリアでギリシア哲学を学んだ後、どうしても本場でそ あこが れを深めたいと、憧れの地コンスタンティノープルに来たのは二年前の春であった。ゲォル ギオスに師事しはじめてからでも、一年はすぎている ギリシア哲学とギリシア語を学ぶのが目的なのだからと、コンスタンティノープルに住む

3. コンスタンティノープルの陥落

塩野七生著 ルネサンス期、初めてイタリア統一の野望を チェーザレ・ポルジア いだいた一人の若者ーー〈毒を盛る男〉とし あるいは優雅なる冷酷 てその名を歴史に残した男の栄光と悲劇。 一五二二年、トルコ帝国は遂に「喉元のトゲ」 塩野七生著ロードス島攻防記ロードス島の攻略を開始した。島を守る騎士 団との壮烈な攻防戦を描く歴史絵巻第一一弾。 一五七一年、無敵トルコは西欧連合艦隊の前 塩野七生著レバントの」毋戦に、ついに破れた。文明の交代期に生きた男 たちを壮大に描いた三部作、ここに完結 / 浅薄な倫理や道徳を排し、現実の社会のみを 塩野七生著マキアヴェッリ吾彖直した中世イタリアの思想家・マキアヴ , 。その真髄を一冊にまとめた筬言集。 「声なき少数派」の代表として、皮相で浅薄 な価値観に捉われることなく、「多数派」の安 塩野七生著サイレント・マイノリティ 直な″正義″を排し、その真髄と美学を綴る。 生身の人間が作り出した地中海世界の歴史。 塩野七生著イタリア亠退聞そこにまつわるエピソードを、著者一流のエ スプリを交えて読み解いた好ェッセイ。

4. コンスタンティノープルの陥落

「きみも、イタリアへもどってはどうかね。かの地では評判が悪いにちかいないわたしだか ら、紹介状は書かないが、きみほどのカの持主なら、良い師や勤め先を求めるにも苦労はな いだろう。ギリシア哲学を学ぶには、今ではもしかしたら、ここよりもヴェネッィアやフィ レンツェやローマのほうが適しているかもしれない。教師も書物も、イタリアのほうが豊富 だからね」 落ウベルティーノは、師の心づかいに感謝する言葉だけ述べて、僧院を出た。言われてみれ ば、当り前なのである。利権を守る必要のある商人とちがって、留学生の彼には、強いてこ とど 力といって帰 プこに留まらねばならない理由はまったくない。しかし、ウベルティーノには、 国の決心もっきかねていた。なぜだか、彼にもわからなかった。ただ、すぐにもはっきりと ン決めることが、なんとなく自然に反しているように思えてしかたがないのである。どうやら ス自分も、細部に執着して大局を見失うとラテン人が悪口を言う、ビザンチン式考え方に染ま ン ほお おもかげ コったのかと思った時、少年の面影がほの見えることもある若者の頬には、久しぶりのほがら かな笑いが浮ぶのだった。 一四五ニ年・夏ガラタ ガラタの丘にそびえ立っ塔からは、眼下に横たわる金角湾の向うに、コンスタンティノー

5. コンスタンティノープルの陥落

コンスタンテ〃ープレの陥落 Ⅲ市朝戸” 0 ・ツ勺 コンスタンティノープルの陥落塩野七生ー新潮文庫 塩野七生 Shiono Nanami 9 7 8 41 01 1 81 0 5 5 東ローマ帝国の首都として一千年余 も栄えたコンスタンティノープル。 独自の文化を誇ったこの都も、しか し次第に衰え、 15 世紀後半には、オ スマン・トルコ皇帝マホメッドー世 の攻撃の前に、ついにその最期を迎 えようとしていた 。地中海に君 臨した首都をめぐる、キリスト教世 界とイスラム世界との激しい覇権闘 争を、豊富な資料を駆使して描く、 定価 : 本体 438 円 ( 税別 ) 甘美てスリリングな歴史絵巻。 新潮文庫 塩野七生の本 愛の年代記 チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷 コンスタンティノープルの陥落 ロードス島攻防記 レバントの海戦 マキアヴェッリ語録 サイレント・マイノリティ イタリア遺聞 イタリアからの手紙 人びとのかたち 野七 のノ 1937 ( 昭和 12 ) 年、東京生れ。学習院 大卒。 ' 69 年、『ルネサンスの女たち』 で登場以来、イタリアを中心とする 地中海世界の歴史を独自の視点から 描出。 ' 70 年、「チェーザレ・ポルジア あるいは優雅なる冷酷』で毎日出版 文化賞、 ' 82 年には『海の都の物語 ほかで菊池寛賞受賞。 ' 92 年より『ロ ーマ人の物語』 ( 巻 I 「ローマは一日 にして成らす」で新潮学芸賞受賞 ) を年一巻ずっ刊行中。ローマ在住。 1 9 2 01 9 5 0 0 4 5 8 0 / い朝 0 トな写 , 上 0 , し . . 、 ・。 " 代 0 イを I S B N 4 ー 1 0 ー 1 1 8 1 0 5 ー 9 C 0 1 9 5 \ 4 5 8 E カバー装画 ベルトランドン日ドラⅡプロキエールの 「海外の旅」写本より リ国立図書館蔵 レれ気心 カバー印刷錦明印刷デザイン新潮社装幀室 \ 438

6. コンスタンティノープルの陥落

る。僧たちは、ウベルティーノに一瞬イタリアの修道院を思いださせたほど、内庭を囲む回 廊を静かに行き来していたり、菜園の土に、おだやかにくわを入れていたりする。 とびら ゲォルギオスの僧房の扉を開けたウベルティーノを見て、師はやはり驚いたようだった。 だか、まだ居たのか、という問いは言葉にせず、それまで向っていた書見台をわきに押しゃ り、弟子に木の椅子をすすめた。そして、しばらく会わなかった間に、若いとばかり思って いたこのイタリアの若者が、五歳は年とって見えるのが、哀れに思えたのかそれとも喜んだ のか、少しの間、ウベルティーノをじっと眺めていた。ウベルティーノのほうは、師か少し カ のも変っていないのか、また、まわりに狂信的に話すギリシア人が一人もいないのか、心から ・菱うれ 贏嬉しかった。 章「どこにいる」 第 若者は、ベガ工門の守りについていると答えた。師は、ゆっくりと低い声で話しだした。 「包囲網がせばまる一方なのは、きみも知っているだろう。市中では、食糧が不足しはじめ てきた。ガラタの居留区から運ばれてくるのが頼みの綱だが、居留区の全員が、この援助に 同意しているわけではない」 ウベルティーノは、ヴェネッィア隊にいる。この種の情報には通じていた。黙ってうなず く皮に、師はつつける。 「今日の早朝、スルタンの使者が訪れた。マルモラ海側の船着場から秘かに上陸したから、 165 ひそ

7. コンスタンティノープルの陥落

揮をまかされたジュスティニアーニも、また海軍の総司令官を勤めるトレヴィザンも、戦場 できたえあげた男たちだけに、、、 シェノヴァ人でありヴェネッィア人であるよりも、まず武人 であったのだ。 逃亡船を告げた時と少しも変らない冷静な言葉っきで、トレヴィザンは、海軍の現勢力に ついても報告した。船長だけでなく、漕ぎ手に至るまで残留の意志を確認しての数字という 落ことだった。それによると、 の ジェノヴァの大型帆船、五隻 プ ヴェネッィアの軍用とより大型の商用ガレ 1 、ロ、 ま五隻 クレタの商用ガレー船、三隻 テ ン イタリアの海港都市アンコーナ、スペインのカタロニア、フランスのプロヴァンスの タ ス 帆船が一隻ずつで、三隻 ン コそれに、ビザンチン国籍の船十隻を加えて、計二十六隻になる。しかし、船の大きさと操 縦技術からして、この艦隊の主力は、五隻のジェノヴァ船と同数のヴェネッィア船とするの が現実的だった。 トレヴィザンはつづけて、トルコ領のガリーポリで二百隻もの船が建造中という、ヴェネ ひろう ツィアのスパイのもたらした情報を披露した。イタリアの海洋都市国家の船乗りの航行技術 は、他の追従を許さないほどに優れており、商船の伝統のないトルコの船乗りとは比較にな

8. コンスタンティノープルの陥落

のが決まりだった。もしかしたら、この慣習は、名の記入の前にもう一度自分の運命を預け る男の顔を見、その後で最終的な決心をさせるためかもしれない。 船乗りの長い行列を後にしながら、ニコロは、船乗りたちとこの自分は、自ら納得してト レヴィザンを選んだ点で、まったく同じなのだと感じていた。 一四五ニ年・夏ターナ ち 人黒海の最も北、アゾフ湾の一番奥に位置するターナでは、秋も末になると湾に氷塊が漂う たれ ねこ 場こともあって、秋中には南へ向けて出港しなければならない商船の準備で、夏は、誰もが猫 章の手も借りたいほどのにしさですごす。なにしろ、ヴェネッィア人を主体にするイタリアの 第商人にとって、最北東の商業基地であるターナは、ドン河にそって北上すれば行けるモスク どれい ワよりも、祖国のイタリアへ行くほうかはるかに遠いのである。だが、ここは、奴隷、毛皮、 しおづ 塩漬けの魚や小麦の大産地をひかえているために、西欧の商人にとっては、長い厳しい冬に 耐えても充分に魅力のある拠点だった。 そのターナの、人や積荷でごったがえしている船着場を、一見して西欧の商人とわかる里 い長衣を潮風になびかせなから、一人の男が歩いてきた。フィレンツェ商人の、ヤコボ・テ ひょうひょう しましが ダルディである。歩き方はいつもの飄々とした彼のものだったが、彼の頭の中は、

9. コンスタンティノープルの陥落

ここ、イタリアの風光は飽くまで美しく、そ 塩野七生著イタリアからの手紙の歴史はとりわけ奥深く、人間は複雑微妙だ。 人生の豊かな味わいに誘うのエセー 青年大工イエスはなぜ十字架上で殺されなけ 。あらゆる「イエ 遠藤周作著イエスの生産ればならなか 0 たのかーー 国際ダグ・ハマーショルド賞受賞 ス伝」をふまえて、その〈生〉の真実を刻む。 十字架上で無力に死んだイエスは死後″救い 遠藤周作著キリストの誕生と呼ばれ始める・・ : : 。残された人々の心の 読売文学賞受賞痕跡を探り、人間の魂の深奥のドラマを描く。 もう戻っては来ないあの時の、まなざし、語 螢・納屋を焼く・ らい、想い、そして痛み。静閑なリリシズム その他の短編 と奇妙なユーモア感覚が交錯する短編 7 作。 老博士が〈私〉の意識の核に組み込んだ、ある 世界の終りとハード 思考回路。そこに隠された秘密を巡って同時 村上春樹著ポイルド・ワンダ 1 ランド 進行する、幻想世界と冒険活劇の一一つの物語。 谷崎潤一郎賞受賞 ( 上・下 ) カラフルで夢があふれるイラストと、その隣 、トウォー、、、 著ランゲルハンス島の午後に気持ちよさそうに寄りそうハ ングなエッセイでつづる編。 村上春樹著 安村 西上 水春 丸樹

10. コンスタンティノープルの陥落

陥落直後に、この若い勝利者との関係改善のために送られた、ヴェネッィア共和国特使マ ルチェッ口に随行した副官ラングスキは、八カ月におよんだ交渉期間中に得た印象を、次の よ、つに記している。 からた 「スルタン・マホメッドは二十二歳、均整のとれた身体つきで、身の丈は、並よりは高いほ うに属する。武術に長じ、親しみよりは威圧感を与える。ほとんど笑わず、嶼重でいながら、 落いかなる偏見にも捕われていない。一度決めたことは必ず実行し、それをする時は、実に大 の日一こ一丁、つ 0 月 / ィー レ プアレクサンドロス大王と同じ栄光を望み、毎日、ローマ史を、チリアコ・ダンコーナとも ノ う一人のイタリア人に読ませて聴く。ヘロドトス、リヴィウス、クルテイウス等の歴史書や、 イ テ ン法王たちの伝記、皇帝の評伝、フランス王の話、ロンゴバルド王たちの話を好む。トルコ語、 スアラビア語、ギリシア語、スラブ語を話し、イタリアの地理についてくわしい。アエネーア ン コスが住んだ土地から、法王の住む都、皇帝の宮廷がある町、全ヨーロッパの国々などが、そ れぞれ色分けされ印しをつけられた地図を持っている。 支配することに特別の欲望を感じており、地理と軍事技術に最も強い関心を示す。われわ れ西欧人に対する、誘導尋問が実に巧みだ。 てごわ このような手強い人物を、われわれキリスト教徒は相手にしなければならないのである」 才能に富むこの若者は、そのうえ、常時十万を越える軍勢を従えることもできた。これだ 244