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検索対象: チャタレイ夫人の恋人
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1. チャタレイ夫人の恋人

たぐい きようじん とし、彼の炭坑を改善しようとするときには、彼はほとんど類のない鋭敏さと強靱さと鋭い 直撃力を示した。あたかも、大いなる母に対する受動性と身売りそのものが、物質的な実務 どうさつりよく に関する洞察力と、一種の目を見張るような非人間的な力を、彼に与えているようにさえ思 おぼ えた。自分だけの感情に溺れ、男としての自我を土足で踏みつけたことが、彼に冷酷な、ほ とんど人間とも思われぬ、実務能力という第二の天性を賦与するに至ったもののようであっ た。実務において、彼はきわめて非人間的であった。 この点で、ポルトン夫人は勝ちほこった気持ちになっていた。「まあこの人はなんという 人 恋やり手になったことだろう」と彼女は誇りをもって自分に言ってみるのであった。「これは、 人みな、私のしたことだ。チャタレイ夫人では、とてもこんなことはできなかった。あのひと は男を前進させるようなひとではなかった。あまりにも、自分のことしか考えないひとだっ タたのだから」 けいべっ チ 同時に、不気味な女性の魂の片隅で、彼女はどんなに彼を軽蔑し、嫌っていたことだろ う ? 彼女の目に、彼は腰の抜けた獣として、這いまわる怪物として映った。力をつくして 彼を助け支持する一方で、彼女は昔ながらの健全な女性の深い心の底で、彼をとどまるとこ ろを知らぬほど荒々しく軽蔑した。とるにたらぬ放浪者でも彼よりはましだった。 コニーに対する彼の出かたは妙だった。彼はどうしてももういちど彼女に逢うと言いはっ た。そればかりか彼は、ラグビー邸に彼女を来させようとした。この点で、彼の決心は動か す余地がなかった。コニーは、ラグビー邸へ戻ってくると心から誓ったからだった。

2. チャタレイ夫人の恋人

220 ては優しくしてくれなかった。ところがあの男はコンスタンスとかチャタレイ夫人などには あいぶ 関心をもたず、ただ彼女の腰や胸を優しく愛撫したのだ。 やまあいはしばみわいりん 翌日彼女は森へ出かけた。曇った、静かな午後で、暗緑色の山藍が榛の矮林の下に拡がっ かしわ ていた。すべての樹木は音も立てずに芽を開こうとっとめていた。巨大な槲の木の樹液の、 あが しやくどういろ たか ものすごい昂まり。上へ上へと騰って芽の先まで届き、そこで血のような赤銅色の、小さな 焔かとも思われる若葉となって開こうとする力を、彼女は今日は自分のからだの中に感じた。 ふく それは上へ上へと脹れあがり、空に拡がる潮のようなものだった。 人 恋彼女は空地へ行ってみたが、彼はいなかった。彼女も彼はいないかもしれないと思ってい きじひなめんどり とりか′」 人たのだった。雉の雛は雌鶏が気遣わしげに鳴き立てている鳥籠から、昆虫のように軽々と、 すわ イ 外へ出て走りまわっていた。コニーは坐ってそれを見まもりながら待っていた。彼女はただ レ タ 待っていた。雛鳥たちにさえもあまり眼をやらなかった。彼女は待っていた。 ャ チ 時間は夢の中のようにのろのろと過ぎて行ったが、彼は来なかった。彼女は、あるいは彼 彼よとうとうその午後は現われなかった。お茶の時間 は来ないかもしれぬとも思っていた。 , 。 には彼女は帰らなければならない。だがそこを立ち去るのは、自分を追いたてるようにしな ければできなかった。 ひひ 帰途、霏々として細雨が降ってきた。 「また降ってきたのかね ? ーと彼女が帽子の雨滴を切るのを見てクリフォードが言った。 「霧雨ですわ . うしお こんちゅう ひろ

3. チャタレイ夫人の恋人

167 はしばみわいりん 車椅子は進んで行った。榛の矮林の中に柳の花がうすい金色をして垂れており、陽の当た るあたりにはアネモネが満開で、人間が昔その花を見たとき、花とともに生の喜びを叫ぶこ とができたころのように、アネモネの群れは生命の歓喜を叫んでいるようだった。それはか りん′」 すかに林檎の花を思わせる匂いを漂わせていた。コニーはクリフォードに二、三本摘んでや っ一」 0 彼はそれを手にしてふしぎそうにながめていた。 なんじ せいひっ 人 「《汝いまだ犯されざる静謐の花嫁》」 ( 訳 シア古甕賦」 ) と彼が引用して言った。「ギリシアの つぼ 恋壺なんかよりもこの花にふさわしい句だ」 おそ 人「犯されるというのはなんて怖ろしい言葉でしようね ! 、と彼女が言った。「いろんなもの イ を犯すのは人間だけね , レ かたつむり タ ャ 「さあ、僕にはわからない : : : 蝸牛や何かは」と彼が言った。 みつばち チ 「蝸牛だって食べるだけだし、蜜蜂も犯しはしませんもの」 彼女は、どんなことにも名句を引きあいに出す彼に腹をたてていた。菫がジュノーの瞼で、 アネモネは犯されざる花嫁、といったぐあいである。それらの言葉が彼女と生活のあいだに 立ちふさがるのが実にいやだった。それの働きはただ犯すことだけだった。これらの既製品 の名文句は、あらゆる生きものから生命の液を吸いとるのであった。 クリフォードとの散歩はあまり楽しくなかった。二人のあいだには一種の緊張感があって、 それを両方で気にかけないふりをするのだが、やつばり出てくるのであった。とっぜん、彼 にお

4. チャタレイ夫人の恋人

か、いまどこにいてなにをしているのか、わかりません。しかし三月までじっとしていた わずら ら、自由の身になれると思っています。あなたもクリフォード卿のことで心を煩わさない でください。もうすぐあの人は離婚したくなります。ほっておいてくれるのだけでも幸い としなければなりません。 「僕はエンジン通りの古い田舎家の、なかなか良い部屋に下宿しました。主人はハイ・パ ひげ ークの機関手で、背の高い、髭を生やした、がんこなプロテスタントの男です。主婦はち よっと鳥を思わせるような女で、上品なものならなんでもお気に入りで、言葉遣いにうる 人 恋 さい、絶えずごめんあそばせと言っている女です。しかし一人息子を戦争で失ったので、 の さび 人家庭は穴があいたように淋しいのです。のつばで間抜けな娘が一人いて、学校の教師にな イ ろうとして勉強しています。その娘にときどき教えてやるので、僕は家族同様に待遇され レ タ ています。家の人はみないい人たちで、僕にはとても親切にしてくれています。あなたよ ャ チ り僕の方が大事にされているのではないかと思っています。 「農場の仕事は気に入りました。わくわくするというほどの仕事ではありませんが、別に めうし そんなことを望んではいないのですから。馬や、牛には慣れてきました。牝牛はひどく女 性的なもので、僕の気持ちをなごやかにしてくれます。牝牛のお腹に頭をつけて乳をしば っていると、心に慰めを感じます。ヘリフォ 1 ド種のりつばな牛が六頭います。ちょうど 燕麦刈りが終わったところです。手が荒れたし、それに雨が多くて困りましたが、それは 愉快な仕事でした。ほかの連中とはあまりつきあいませんが、うまくはやっています。た 555

5. チャタレイ夫人の恋人

「ではなぜこれをそのままにしておくの ? 感傷的な理由 ? 「いや、おれはこれを見ることなどはなかった。あったことも忘れていた。おれたちがこの 家に来たときからずっとそこに掛かっていたんだ」 「なぜ焼いてしまわないの、と彼女が言った。 彼はまた首を曲げて写真を見上げた。写真は金と褐色の混ざった悪趣味な額に入っていた。 ひげそ かなり高いカラーを着けてきれいに髭を剃った快活なごく若い青年と、黒味がかった繻子の ひさし 上衣を着て、縮れた髪を庇にした、ふとりぎみのきかぬ気の顔の女とがそこにいた。 人 恋「それも悪くないね」と彼が言った。 人彼は靴を脱いでスリッパをはき、椅子に上がって写真をおろした。そのあとの緑がかった 壁紙に大きな白い跡が残った。 レ ほ、 1 り タ 「いま埃を払うことはない」とそれを壁によせかけて彼が言った。 ャ かなづちくぎぬ チ 彼は台所へ行って金槌と釘抜きを持ってきて、さっきのところへ坐って、大きな額縁から 裏紙をむしり取り、背板をとめている釘を抜きはじめた。彼は例のごとく、仕事をはじめる とすぐに熱中して物も言わなくなった。 彼はすぐ釘を抜きとった。それから背板をとり去り、次には丈夫な白い台紙に貼られた引 き伸ばし写真をとり出した。彼はおもしろそうにそれに見入っていた。 「若いころはこうだったのだな。年若い牧師というところだ。そしてあの女もまたこのとお 輛りの横着者だった」と彼が言った。「しゃれ者と横着者だ」 しゆす

6. チャタレイ夫人の恋人

328 チャタレイ夫人の恋人 彼の手は彼女のからだの曲線をしつかりと、欲望をともなわずに、だが優しく、親しく秘 たど 密の場所を辿りながら撫でた。 たそがれ 黄昏の中を家へ走り帰る途中、世界は夢のようだった。庭園の木立は膨れ上って潮の中で いかり 錨に引き止められた船のように揺れていた。そして屋敷に向かう斜面の膨みは生きているよ うであった。 第十三章 なしすもも 日曜日になると、クリフォードは森へ行くと言いだした。美しい朝で、梨と李の花が、こ きせき の世に現われた白い奇蹟のように、とっぜんここかしこに咲きだした。 世界じゅうが花咲いているのに、自分だけは人の手を借りて椅子から車椅子に移してもら わなければならないというクリフォ 1 ドは哀れであった。しかし彼は、それには気がっかず、 自分の脚の悪いことには眼をつぶった気持ちでいられるようにさえ見えた。動かない彼の脚 を持ちあげて移してやるのは、コニーの方がかえってつらかった。だが、今ではボルトン夫 人かフィールドがそれをしてくれた。 彼女は車道のいちばん高い山毛欅の防風林のところで彼を待っていた。彼の車椅子はから だを気づかうような慎重さで、ゆっくりと、エンジンの音を立てて登ってきた。妻のいると ぶな

7. チャタレイ夫人の恋人

のこぎり ん左側に空地が見えてきた。そこには枯れてもつれた羊歯とか、ひょろ長い若木とか、鋸で きこり 引かれた切り株とはびこった根だけになった死んだ大木があるだけだった。樵夫が雑木や木 くず 屑を燃やした跡が黒々と残っていた。 きよう ざんごう ここはジョフリー卿が戦時に塹壕用の材木を切り出した場所の一つなのだ。道の右側にな さび だらかに盛りあがっている丘全体が裸にされ、奇妙に淋しげに見えた。槲の木が立っていた まつぼ、つ′ 9 丘の頂は今では丸坊主だった。それで、そこに立てば、森の向こうにある炭坑鉄道やスタッ クス・ゲートの新しい工場が見えた。コニ 1 は前にそこに立って見たことがあった。そこは、 ゆいいっ 恋完全な隠れ場所となっているこの森の唯一の裂け目だった。そこから外界が侵入してくるの 人であった。だが彼女はそのことをクリフォ 1 ドには言わなかった。 この伐採された場所に来るとクリフォ 1 ドはいつも妙な腹立ちをおばえた。彼は戦場にい ャたし、戦争というものがなんであるかも見てきた。しかし、この裸の丘を見るまではほんと うに腹をたてたことがなかった。彼はいまそこに新しく植林をさせていた。だがそのために 彼は父がきらいになってしまった。 すわ 車椅子がゆっくりと登ってゆくあいだ、クリフォードは固い顔をして坐っていた。道の頂 おうとっ 上まで来ると彼は車椅子を止め、そこから先の、長い凹凸の多い斜面を下ろうとしなかった。 彼は緑に囲まれた長い下りの乗馬道を見ていた。それは羊歯と槲の間をくつきりと走ってい た。そして丘のふもとで曲がって見えなくなっていた。だがその道の曲線はとても美しくな だらかで、馬上の騎士や乗用馬に乗った貴婦人などを思わせるものだった。 しだ

8. チャタレイ夫人の恋人

163 「遅くなりました、クリフォードー と彼女は帽子とスカーフを着けたまま盆の前に立って 摘んできた花を置き、茶筒をとりあげながら言った。「すみませんでした ! でもなぜポル トン夫人にお茶をいれさせなかったのですの ? 」 「それは思いっかなかったね」と彼は皮肉に言った。「どうもあの人がお茶の時間に女主人 の役をするとは思われないのだ」 「銀のティ 1 ポットは神聖でもなんでもありはしませんわ」とコニーが言った。 彼はふしぎそうに彼女を見あげた。 人 恋「午後ずっと何していたのかね ? 」と彼が言った。 すわ ひいらぎ 人「静かな場所にじっと坐っていましたの。大きな柊の木には今でも実がなっているのをご存 じでいらっしやる ? レ タ ャ 彼女はスカーフはとったが、帽子をかぶったまま坐って、茶をいれはじめた。トーストは すみれ チ もうべっとりしているだろう。彼女はティーポットカバーをかけた。そして立ちあがって菫 しお を活けるためにコップをとった。かわいそうに、菫は萎れた茎の上にうなだれていた。 「じき生き返りますわ ! 」と彼女がそれをコップに入れ、彼の前に押しやって嗅がせた。 うる 「《ジ = ノーの瞼よりも美わし》だ」 ( ア ) と彼が古人の文句を引用した。 「ほんとうの菫とは何の関係もないようですわ」と彼女が言った。「エリザベス朝の人たち は少し飾りたてる癖がありますわ」 彼女はお茶を注いだ。 まぶた

9. チャタレイ夫人の恋人

その場所に彼は立っていた。背が高くほっそりとして、黒の薄地の背広を着た姿は別人に よ、つぼう 彼女の階級の人間のようなきまりきった容貌 見えた。彼には生まれながらの品位があった。 / はしていなかった。しかしコニ 1 はすぐさま、彼はどこへ行っても立派に通る人間であるこ とを知った。彼は、ありきたりの型どおりの上流の人間よりはるかに立派な、生まれながら の品位をもっていた。 「ああ、来ましたね ! 元気そうですね ! 「ええ、でもあなたは元気がないのね」 人 なが 恋彼女は心配そうに彼の顔を眺めた。痩せて、頬骨が見えた。だが眼は彼女に向かって笑っ 人 ていた。 , 彼女は彼といっしょにいると気持ちがおちついた。そのとおり、とっぜん彼女の顔 夫 から、見せかけをつくろおうとしていた緊張が失われた。彼のなかから肉体的ななにかが流 タ れ出てきて、彼女の心を楽に、幸せにし、くつろがせてくれた。幸福を求める女性の敏感な ャ チ 本能で、彼女はすぐそれを受け入れた。《私はこの人がいれば幸福だ ! 》ヴェニスの太陽が どれほど強烈だったとしても、この心の豊かさと暖かさを彼女にあたえてはくれなかった。 たず 「たいへんだったでしよう ? 」テープルに向かいあって坐りながら彼女は訊ねた。彼は痩せ 細っていたーー彼女はいまそれに気づいた。彼の手は、眠った動物の手のようにだらしなく 無意識に投げ出されていた。彼女はそれを取って接吻したい思いにかられた。だが勇気がな かった。 「人間というものはいつも怖ろしいものだ」と彼は言った。 507 おそ ほおぼね せつぶん

10. チャタレイ夫人の恋人

ないのだったら ! 欲望がまた起こってきた。彼のペニスが生きた小鳥のように動き始めた。 それとともに、ある圧迫感が、自分と彼女とを、あの電光を放って憎々しく輝いている外界 の《物質》に曝す怖れが、彼の肩に重くのしかかってきた。あの哀れな若い女は、彼にとっ てまさに若い雌の生き物にすぎなかったが、同時に彼女は、彼がそのからだの中へ入って行 った、そしていま再び求めている若い女性なのであった。 欲情から生まれる奇妙なあくびをしながら、彼は背伸びした。四年間というもの、男から も女からも離れてひとり暮らしていたのだ。それから立ちあがってまた上着を着て、鉄砲を 人 恋手にしてランプの焔を細め、犬をつれて星空の夜の中へ出ていった。欲望と外界の悪意に満 人ちたものへの怖れに駆り立てられて、彼はゆっくりと静かに森を巡回した。彼は闇を愛し、 イ その中に自分を包みこんだ。一種の富とも言える彼の欲望に、夜の闇はふさわしいものであ レ タ った。彼のペニスはおちつきなく動き、彼の腰部には焔がもえていた。ああ、向こうで火花 ャ チ を発している電気じかけの外界の物質を退け、生活の優しさ、女性の優しさ、欲望の自然な 豊かさを護るために、共に戦う人間さえいたのだったら ! 共に戦う人間さえいたならばー しかし人間はすべてあの向こうの《物質》の中に得意然として入り込んでおり、あるものは 勝ちほこり、あるものは機械化された貪欲さに、あるいは貪欲なメカニズムの波の中に、踏 みつぶされていた。 いつばうコンスタンスの方は、ほとんど何ごとも考えず、庭園をつっ切って家へ急いだ。 まだ彼女は起ったことを考えてみる余裕がなかった。夕食の時刻には間に合うだろう。 217 さら ほのお