線を撫でた。 彼女はハンカチを捜し出して、夢中になって顔を拭おうとしていた。 「小屋へ入りますか ? ーと彼が、静かな、淡々とした声で言った。 そして彼女の上腕をそっと持って立たせ、静かに小屋に連れて行った。彼女がはいってし まうまで彼は手を離さなかった。それから椅子とテープルをのけ、兵隊用の褐色の毛布を道 具箱から取り出して静かにひろげた。彼女はじっと立ったまま、彼の顔を見た。 彼の顔は蒼ざめて無表情で、運命に従う人のように見えた。 人 とびら 恋「そこへおやすみなさい , と彼はもの柔らかに言って扉を閉めた。それでそこは、暗く、真 人っ暗になった。 ふしぎな従順な気持ちで彼女は毛布の上に横たわった。やがて、柔らかい、さぐるような、 レ タ 欲望をおさえきれないような手が彼女の顔をまさぐり、からだにさわるのがわかった。その いしゃ チ 手は彼女の顔を柔らかく、柔らかく、撫でた。それは無限の慰藉と救いであった。そして最 ほお せつぶん 後に彼女は頬に柔らかい接吻を感じた。 彼女は一種の眠り、一種の夢の中に身じろぎもせず横たわっていた。すると彼の手が静か に、彼女の服の中を、不器用に間違えたりしてさぐってくるのを感じて、彼女はふるえた。 しかしその手はまた、その場所場所で彼女の服を取りのけることを知っていた。彼は薄い絹 の下着を、細心にゆっくりと下げていって彼女の脚から脱がせた。それから彼は強烈な喜び 駟に身震いしながら、あたたかく柔らかな体に触った。そして彼女の臍に短く接吻した。そし あお ぬぐ へそ
120 コニーはためらった。出てゆくべきだった。だが彼女はある種の驚きのようなもので、こ の清潔に手入れされた淋しいほどの小さな居間を見まわしていた。 「あなたはたったひとりでここにお暮らしなの ? ーと彼女がきいた。 「まったくひとりです、奥さま」 「でもお母さまは : 「村の自家にいるのです」 「子供さんとごいっしょですか ? ーとコニーがきいた。 人 恋「子供といっしょです ! 人そして彼のやや疲れた、美しいというほどでもない顔には、意味の捉えにくい冷笑が浮か イ んだ。 , 彼の顔はしよっちゅう見当もっかないほど変わるのだった。 レ タ 「と言いましてもーと、コニーがなんと言っていいかわからなくなっているのを見て、彼は ャ チ 言った。「母が土曜日ごとに掃除に来てくれるのです。それ以外は自分でやっています」 彼の眼は少しからかい気味ではあったが、また微笑を浮 コニーはもう一度彼をながめた。 , かべていた。それは、暖かい青い色で、どことなく親切な感じがあった。どういう人かしら 彼よズボンの上にフランネルのシャツを着て灰色のネクタイをしていた。 と彼女は思った。 , ー あお 髪は湿っていてしなやかに見え、顔は蒼いぐらいで、疲れたようなところがあった。笑いが 消えたときの彼の眼は、かって大きな苦悩を味わった人間だが、しかし暖かみは失っていな という趣があった。だが蒼ざめた孤独感が彼の顔に現われていたーーー彼にとって彼女は とら
「それではロンドンへ連れて行こうと思います。そうすればいい医者がいると思いますか クリフォ 1 ドは煮えくりかえるほど腹をたてていたけれども、何も言わなかった。 「今夜はここでごやっかいになって」とヒルダが手袋をぬぎながら言った。「明日ロンドン へ連れて行こうと思います」 クリフォードの顔は憤怒でまっさおになった。そして夜になると彼は白眼のところまで妙 に黄色くなって見えた。彼は自制できないほどになっていた。だがヒルダは相変わらず鄭 人 ちょう 恋重でつつましくしていた。 人「あなたの身のまわりのことは看護婦か何かにさせなければなりませんわね。ほんとうは下 イ 僕がいいのでしようが」とヒルダは皆で食後のコーヒ 1 を飲んでいるところで、もの静かな レ タ 顔で言った。彼女の言いかたは柔らかな、一見しとやかなものであったけれども、それを聞 ャ チ いたクリフォードは、棒でまっこうから殴られたような気がした。 「そう思われますか ? ーと彼は冷然と言った。 「ええほんとうにそう思います ! そうでもしなければなりませんわ。そうしていただけな ければ、私と父とでコニーを二、三カ月のあいだ、どこかへ連れて行こうと思っています。 こんなふうでは続きそうもありませんもの 「何が続きそうもないのです ? 」 「あなたはあの子の顔をごらんになったことがないのですか ? ーと彼をじっとにらみつけな 138 ら ふんぬ てい
するとまったく静まりかえった、何かを待ちうけるような表情が彼女の顔に浮かんでいた。 彼から見れば、それは待ちうけている人間の顔であった。するととっぜん彼の腰部、彼の背 骨の根元から、焔の薄い小さな舌がひらめき出した。そして彼の魂はうめき声をあげた。彼 は人間相互の接触をくりかえすことは、死のような、ぞっとすることとして怖れていた。彼 は何よりも彼女がここを立ち去ってくれること、自分ひとりになることを欲した。彼女の意 がしゅう 志、彼女の女性としての意志、現代的な女性の我執がこわかった。何よりも、彼女の冷たい 上流階級的なわがままなあっかましさを怖れた。というのも、けつきよく彼は雇い人にすぎ 人 恋ないからであった。彼。彼女かそこにいることに憎しみを感じた。 人 コニーはとっぜん不安を感じてわれに返って、立ちあがった。もうタ刻に近かった。だが 夫 ゅううつ イ 立ち去ることができなかった。 , 彼女は彼の方へ近寄っていった。彼は疲れたような顔を憂鬱 レ タ にこわばらせて彼女を見つめながら、命令を待つようにたたずんでいた。 ャ チ 「ここは静かでいいところね」と彼女が言った。「ここは始めてよ」 「さようで、こざいますか 「これからときどき来ようと思うの」 「けっこうです」 かぎ 「あなたがいないときは、この小屋に鍵をかけておくの ? 」 「さようでございます 「ときどきここへ来て休めるように鍵をいただけない ? 二つはありませんの ?
176 屋から持ち出すのであった。 ひげ 「けさは私がお髭をあたってさしあげましようか ? それともご自分でなさいますか ? 」と 彼女の声はいつも同じように柔らかで、甘くて、献身的で、それとともに支配的であった。 「まだ考えていなかった。少し待っていてくれないか。そのときになったら呼ぶから」 「かしこまりました、殿さま ! ーと彼女は、ものやわらかに服従するように答えて引き下が った。だが突き放されるたびに、彼女は新しい意志の力を自分の中に蓄えるのだった。 しばらくして彼が呼び鈴を鳴らすと、彼女はすぐにやってきた。すると彼は言うのであっ 人 亦 ( 一」 0 の 人「けさはあなたに剃ってもらおうか」 イ そう言われると彼女の心は少し動揺し、彼女はいっそうもの静かに言うのであった。 レ タ 「かしこまりました、殿さま ! 」 ャ チ 彼女は柔らかにまさぐるような指先で、少しのろかったが、巧みに剃った。はじめは、当 たりの柔らかすぎる指先に彼は少しいらいらした。だが今では、だんだんそれが気持ちのい いものになり、彼女の剃りかたが好きになってきた。彼はほとんど毎日のように彼女に剃ら せた。自分の顔のすぐそばに彼女の顔があり、まちがいをしまいとする彼女の眼がじっと注 ほおくちびるあごのど がれている。そしてやがて彼女は自分の指先で、彼の頬、唇、顎、喉などを完全に探り分け ることができるようになった。彼は栄養もよく、手入れも行きとどいていて、顔や喉も充分 に美しく、申し分のない紳士だった。
「そら ! 」と彼は言った。「ここが勿忘草を飾る場所だ ! 」 彼女は自分のからだの下の方の、褐色の毛の中におかれた乳色の小さな花を見下ろした。 「かわいい花ね ! 」と彼女は言った。 「生命のかわいさだ」と彼は答えた。 つぼみ それから彼は紅い石竹の蕾を毛に挿した。 あしま 「そら ! これが忘れてはならない場所にいるおれだ ! 葦間にかくされたモーゼだ」 のぞ たず 「私、旅行に出ても ) しい ? 」と彼女は彼の顔を覗き込んで気遣わしげに訊ねた。 人 まゆ 恋しかし太い眉の下の彼の顔からは何も読みとることができなかった。彼は何の表情も見せ 夫なかった。 イ 「好きなようにしていし と彼が言った。 レ タ 彼はちゃんとした英語に戻っていた。 ャ チ 「でもあなたが望んでいなければ行かないわ」彼女は彼にすがって言った。 二人は黙っていた。彼はかがんで木片を火にくべた。焔は彼の無言の無表情な顔を照らし た。彼女は待っていた。、ゝ、 カ彼は何も言わなかった。 「私はクリフォードと別れるきっかけとして、それがいい方法だろうと思っただけなの。私 、は子供がほしい。旅は私にとっていい機会になるわ、その、そのーー」と彼女は再び言いは じめた。 「あの連中にいくらかの嘘の話を考えてもらうためにね」と彼は言った。 412 あか
103 それから歩いていくうちに彼女は人声を聞いてたじろいだ。人がいる ! 彼女は人間に逢 いたくなかった。だが彼女の敏感な耳はもう一つの声を聴きつけて、立ちどまった。それは 子供のすすり泣きであった。すぐに彼女は気がついた。だれかが子供をいじめている。 彼女は湿った道を激しい勢いで走って行った。むかむかと腹がたってどうにもならなかっ た。ひと騒ぎ演じても ) しいとさえ思っていた。 角を曲がると、向こうの道の端に二人の人間がいるのを彼女は認めた。それは森番と、紫 あやお 色の服を着、綾織りの帽子をかぶって泣いている女の子だった。 人 恋「もうやめないか、うるさい子だな ! 」と森番が言った。すると女の子はいっそう声をあげ 人てすすり泣いた。 イ コンスタンスはきらきら眼を光らせて近よった。 , 。 彼よふりかえって彼女を見つけ、冷淡に レ あいさっした。 , 。 ャ 彼ま腹をたてて蒼い顔をしていた。 チ 「どうしたのですか ? なぜこの子は泣いているんですの ? 」とコンスタンスは、少し息を 切らしながら、有無を言わせぬ態度できいた。 あざけりに似たかすかな微笑が彼の顔に浮かんだ。 「おめえのロでこいつに聞けよ、と彼は方言をむきだしにして冷やかに言った。 コニーは顔を殴られたような気がして、色を変えた。だが、やっとのことで威厳を取り戻 し、深い青い眼をばんやり燃えあがらせて、彼を見つめた。 「あなたにきいたのよ ! 」と彼女はあえぎながら言った。 あお
彼女は顔を上げて彼を見た。 「心配しないで」と彼女はおちついて言った。「心配しないで。心配することはないのよ。 あなたはほんとに私といっしょにいたいの ? 彼女は、しつかりした眼つきで彼の顔を見た。彼は動きをやめて急に静かになり、顔をそ むけた。彼のからだは完全に静止した。だが彼は身を引き離さなかった。 彼はそれから頭をもたげ、例の妙なかすかな笑いを浮かべ、彼女の眼をのぞきこんだ。 「そうだ ! 」と彼は言った。「いっしょにいよう ! 誓うよ。いっしょにいよう ! 」 人 恋「ほんとう ? 、彼女は涙をあふれさせて言った。 人 . 「ほんとうだー 心もからだもペニスも」 イ まだ少し笑いながら彼女を見下ろしている彼の眼には、つらそうな様子と、軽い皮肉のひ レ タ らめきとが混じっていた。 ャ チ 彼女は黙って泣いていた。彼は炉辺の敷物の上で彼女のそばに横になって、彼女の中へ入 って行った。そしてふたりはいくらかの安らかさを得た。それから急いで寝床へ入った。と いうのは寒くなってきたし、互いに疲れ果ててきたからだった。彼女は彼に身を寄せて、 さく身を縮め、一緒にすぐ、深い眠りにおちた。そして身動きもせずに、太陽が森に昇って 朝になるまで寝ていた。 彼は目を覚まして日の光を見た。カーテンが引かれていた。森の中の鶫のけたたましい高 い啼き声を聞いた。朝は晴れるらしかった。いつも起床する時刻の五時半だった。こんなに 384 つぐみ
162 彼女は、彼がすてばちのような気持ちになっていることを見てとった。 「さようなら」 「さようなら、奥さま」彼はあいさつをして、あわただしく顔をそむけた。彼女のおかげで、 ふんぬ 彼の中に眠っていた、わがままな女性にたいする歯ぎしりするような、犬のような憤怒が目 ざめたのであ、った。だが彼は無力なのだ。無力なのだ。彼はそれを知っていたー そして彼女の方も、わがままな男性に腹をたてていた。使用人までが ! 彼女はふきげん な顔で帰途についた。 人 恋ポルトン夫人が自分を捜しながら、丘の大きな山毛欅の下に立っているのを彼女は見つけ ・人 ? 」 0 夫 イ 「もうお帰りになるのではないかと思いまして、奥さま」とポルトン夫人は快活に言った。 レ タ 「遅かったかしら ? 」とコニーが言った。 ャ チ 「えー : ただクリフォード殿さまがお茶を待っていられるものでございますから 「あなたがいれてくださればいいのに」 「でもそんなことまでしてはいけないと思いましたのですわ。クリフォード殿さまのお気に 召すまいと思いまして」 「私はいけないとは思いませんわ」とコニーが言った。 彼女はクリフォードの書斎にはいった。そこには古い銅の湯沸かしのたぎったのが盆に載 せてあった。
「僕たちは、さっきはいっしょにすませたね」と彼が言った。 彼女は答えなかった。 「あんなふうになれると ) しいものだ。たいていの人々は一生涯生きてもあれがわからずにい るんだーと彼はどこか夢見るように言った。 彼女は彼の考えこんでいる顔をのぞきこんだ。「そうなの ? と彼女が言った。「あなたは 満足なさった ? 」 彼は彼女の眼の中を見返した。 人 恋「満足したかって、そうさ。でも心配しなくていいからね、彼はコニ 1 にしゃべらせたくな かが 夫かった。彼は身を屈めて彼女に接吻した。すると彼女は彼に永久に、そのように接吻しても イ らいたいと感じた。 レ タ やっと彼女は起き上がった。 ャ たず チ 「一緒にすます人って少ないんでしよう ? 」と彼女は子供のような好奇心で訊ねた。 「たいてい、そうはならない。不満そうな顔を見ればわかるよ」彼は何気なく言ったが話し はじめたことを毎いていた。 「あなたはほかの女のひととあんな風にすましたことがあるの ? 彼は面白そうに彼女を眺めた。 「わからない」と彼が言った。「わからない」 245 それを聞いて彼女は、彼が言いたくないことは決して言わない人だということを知った。