大したものに思わなくなるであろう。たとえばもし君が美しい声の旋律を各音に分析し、 その一つ一つについて、「こんなものにお前は心を奪われているのか」と自分に尋ねて見 れば、そうだというのは気がひけるだろう。 ( 中略 ) ・ : ・ : 物事をその構成部分に解体して 根底まで見きわめ、かように分析することによって、これを軽視するに至るべきことを忘 れてはならない このようにできるだけ自分の解釈を加えずに素のままで物を見ると、今までとは異った側 面が見えてくる。 アウレリウス帝は、常識や世俗的な観念、先入観を捨てることによって、物事の本質に至 ることができる、と考えた。先入観によってわれわれの思考は害されているから、それをと り除けば、物事を直視できると考えた。そのためには、三つの方法がある。 ①余分な附加物、装飾物をとり除き、裸の事実を見る ②自分の解釈を加えず、物事の外形・形態のみを見る ③物事を分解して見る
紛争の勝利ではない引 3 イエス・ノー思考を頭に居着かせないーー一一分法の病理 ヒトラーの「見せかけの選択肢」 / 二分法のワナは日常生活にもある / 目標 が精神論にすり替わるとき 4 ひらめかないときの処方箋ーーオプション発想のポイント 感情の縛りを解く方法 / 発想の「生産方式」を覚えるた / 極論を考える 敗を活かすための考え方ーー日々のオプション思考間 小さな問題から発想の領域は大きくなる間 / 事務所拡張の選択肢爲 / 成功法則 を見つける 第 3 章疑、ことで心を自由にするーー直視する 1 ロいかける相手はまず自分自身ーー直視と即物的思考 権威・伝統との距離のとり方 / 疑う力が法律家の成熟度を示す える習慣をつける 新 / 自分で考
残念ながら、ビジネス社会では、他者との相互関係 ( 市場 ) の中に価値の大半を求めざるを 自分が「評価の対象にすぎない」と見切るのは不愉快きわまりない。だが「他人にとって の自分の価値」を冷静に見る冷めた目がないと、この世を上手に渡っていくことはできない。 われわれは、他人にとっては、行きずりの「路傍の石」にすぎないのである。 ぞうり 仕事の本質は、「豊臣秀吉の草履とり」にあり、「自分は能力が高いのに、こんな仕事しか たけし 与えられていないーと愚痴るのは間違いである、と解剖学者の養老孟司氏も言っている。 自分を見ることの難しさ 自分を見るもう一人の自分を「メタエゴ」という。 「メタ」とは「越える、超越する」という意味である。自分を見つめるもう一人の自分をイ メ 1 ジすることで、自分を見る目が深まる。 若いときには「私の考える自分ーと「他人の目に映る自分ーとのギャップに気がっかない。 それは、自分こそがこの世界の唯一の解釈者であるからである。だが、五〇代を過ぎると、 他人の目に映る自分は、「私の考える自分ーとはまったく異なることを知るようになる。 138
分を評価するのは、果たして適切なのだろうか ? 孤島に住むロピンソン・クル 1 ソ 1 ならともかく、社会で生きていく以上、自分の評価は 他人がするものである。たとえば、会社では上司が部下の成績を評価する。法律事務所では 1 トナーが若手の成績を評価する。これが社会の基本である。 ところが、この点を考え違 組織では上司に評価権があり、自分は評価の対象にすぎない。 いしている人が多い。 伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎氏は、若き日をこう述懐している。 ある日課長に「君は一つ心違いをしている。人間は自分で自分を評価するものではない。 他人が君を評価するのだ。君自身がいくら自分はよくやっていると自負しても、他人が、 義あいつはだめだといえばそれが君の評価だ。逆に自分ではだめだと思っても、他人がよく のやっているといえば、それが君の評価になる」といわれ、とても大きな衝撃を受けました。 ( 年肥月 4 日付朝日新聞 ) 人は、自分は他人の評価とは無関係に独自の価値をもっと思っている。これは幻想である。 137
◎ーー自分の頭で考える条件 ぶ 結 固 自分の頭で考えていない人を見つけ出すのは簡単である。なぜなら、多くの人は自分固有 を の考えをもっていると信じているが、実はマスメディアの圧倒的影響を受けている。自分独 カ 戦自の考えをもっている人はきわめて少数である。 A 」 若い弁護士の意見書を見ると、学説や判例を手際よくまとめてあるが、自分の考えが入っ カ るていない 考 われわれが相談を受けるのは、あくまで一回的、個別の特殊な個性をもった事件である 章だから、事案に即した対応策が必要である。学説や判例はあくまでも一応の参考にすぎない 第 それなのに、過去の判例や学説を目前の事件にそのまま適用してしまう。だから、若手の意 自分の頭で考える 「受け売り思考ーを徹底的に削る 197
このように、ある意見が正しいか否かは、是非を誰が判断するかの問題、つまり「判断者 は誰か」の問題と切り離すことはできない 判断権のある中立の第三者がいない以上、「自分は正しいーと断ずるのは無意味である。 たとえ他人の意見が浅薄だったとしても、そのことと自分の意見が「正しいーということと はまったく別である。 裁判では、原告、被告のいずれも、「自分の言い分が正しいーと主張する。判決が下れば、 すいすれかの主張が誤りということになる。原告、被告どちらの意見がとり入れられ、どちら 制 つか排斥されるかが明らかになる 弁護士は、つねに自分の主張が「誤り。と判断されるリスクにさらされる。だからべテラ ンの弁護士は、自分の意見を腹の底から肯定しても、自説を特別視はしないものである。 の弁護士は、自分の意見に真っ向から反対する者に鍛えられるのである。 人 他ちなみに、裁判所の判断も「正しいーということではない。法制度として「正しいものと 章してとり扱、つ」とい、つことにすぎない。 第 裁判とは異なり、世の中では言いつばなしですむことが多い。エコノミストの景気判断と
権威・伝統との距離のとり方 経験主義哲学の開祖で自由主義者のジ「ン・ロックは、自分で考えることの大切さを、つ ぎのよ、つに五っている 学問、政治、宗教を問わず、何も考えすに権威のいいなりにな 0 てはいけない。また、 よく考えずに、伝統や社会的な規範にしたがうべきでもない。自分の頭で考えよ。事実を 直視しものごとの実際のありさまにもとづいて、自分の考えと行動を決めよ。 ( 前掲書 『知の歴史』 ) 間いかける相手はまず自分自身ーー直視と即物的思考
見書は使えないのである。 他人の意見や学説を理解することは簡単だが、自分の考えをもっことは難しい。 弁護士は、自分の判断力を売る職業である。弁護士の価値は、その判断のよしあしにある。 だから、理解できないことは、理解できるまで追求しなければならない。曖味なままに残 さす、自分の頭で考え、洞察し、判断に責任を持たなければ、依頼者の信用を得られない。 自分の頭で考えるには、最低限っぎの二つの要件を満たさなければならない 。これを満た さない場合は、単に状况に流されているだけで、主体的に考えているとはいえない ①関連する事実 ( 証拠 ) を確認する ②自分の判断の「根拠」を吟味する 「論より証拠」という諺がある。裁判でも証拠がすべてである。訴訟の勝敗は証拠と議論の よしあしによって左右されるが、準備書面でいかに深遠な議論をしてみたところで、議論だ けでは勝てない。証拠の裏づけがあってはじめて勝つのである。どんなすぐれた議論も、証 拠がなければ裁判には負ける。 大雑把にいえば、証拠のよしあしが七割、議論のよしあしが三割といってよいであろう。 198
判決の基礎となる証拠を提出する責任は当事者のいずれか、つまり原告または被告にある。 当事者が自分に有利な事実、証拠を提出しない場合には、敗訴となる。「法は権利の上に眠 るものを保護しないーのである。真実がどうであれ、しつかりした証拠がなければ、「正し い者ーでも敗訴の憂き目に合う。だから、裁判で敗れたからといって、必ずしも間違ってい たということではない。負けたほうが「正しい」ことは十分あるのである しかし、いったん判決が確定した以上、その判決は世間的には「正しいもの」と見なさな ければならない。そうでなければ社会は成り立たない。裁判とはそういうものである。 ところが、日本人には、このような考えはウケない。かなり修羅場を踏んだ経営者や法務 担当者でさえ、「裁判は正しい者が勝つ」とか「こちらに正義がある。必ず勝っーなどと現 実離れをした夢想をもつものである。 法律に書かれているからといって、権利が自動的に実現できるものではない。侵害者相手 に不断の闘争をしなければ、権利は確保できない。権利は日々の闘争の中から創造されるも のである。訴訟が「闘争ーというのはそういう意味である。 この世は舞踏会ではなく、ジャングルである。そのことを肝に銘じて戦うべきである 180
国会の答弁を見ても、ごまかし、はぐらかし、たぶらかしに熱中して、相手の意見に学ぶ ことをしない。少数者の意見が有益であるとの認識がない。多様な意見を闘わせて、より練 れた解決案を探る伝統がない。 多くの人が意見の対立を嫌うが、意見の対立は、むしろ健全な証拠である。合併にただ一 人反対した役員が、のちに多数派となることもある。 どんな反対であろうと、未熟、過激、非現実的な意見であろうと、参考になる意見を毛嫌 いしてはならない。結果的にそれが利益になる。 ◎ーー反対意見との共存 喫煙者に喫煙の害を説いても、ほとんど耳を貸さないそうである。頭ではわかっていても、 自分と反対の意見を聞くのは不快だからである。自分と違う意見を言われると、人は人格や 自尊心が傷つけられたように感じ、感情的に反発し、相手を非難する。自分と違った存在を 認めるのは難しいものである しかし、他人が自分と反対の意見を抱くことを禁止することはできない。強制的に意見を 128