274 また前出の『歴史のある文明歴史のない文明』の中の基調報告、 川田順造「″歴史への意志〃をめぐってーアフリカの無文字社会が提起するものー」 をも見よ。 マヤ文明の文字と暦については、次を見よ。 八杉佳穂『マヤ文字を解く』 ( 中公新書六四四、中央公論社、一九八一一年 ) グアテマラの「ポポル・ヴフ』には、次の日本語訳がある。 林屋永吉訳、・レシ 1 ノス原訳『ポポル・ヴフ』 ( 中公文庫一九、中央公論社、一九七七 イスラム文明の時間の観念については、次のものがわかりやすい 片倉もとこ『イスラームの日常世界』 ( 岩波新書一五四、岩波書店、一九九一年 ) 第 2 章対決の歴史ーー地中海文明の歴史文化 ヘーロドトスの『ヒストリアイ』の日本語訳は、次のものが、意訳に過ぎて厳密を缺くという批 評はあるが、それだけに読みやすい。ただしギリシア語の固有名詞の長母音を、ことごとく短縮 して表記している。 ヘロドトス、松平千秋訳『歴史上・中・下』 ( 岩波文庫三三ー四〇五、岩波書店、一九七一 5 一九七二年 ) 『旧約聖書』とユダヤ教については、次の二つを見よ。
1 ろ 2 彼らの住処は夏は樹蔭で、冬には樹に白いフェルトの覆いをかける。 このアルギッパイオイ人の国までは、スキュタイ人もギリシア人も訪れることがある。 これから先については、さらに東方にイッセドネス人が住んでいることだけが確実である、 とへーロドトスは言っている。 先に紹介した通り、スキュタイ人が黒海の北に移住したのは、マッサゲタイ人の攻撃を 避けるためであったが、ヘーロドトスによると、スキュタイ人の移住は、マッサゲタイ人 でなく、イッセドネス人の攻撃の結果であったという説もあったのである。 それによると、アリステアスという不思議なギリシア人がいて、その作詩した叙事詩 かみが ( 『アリマスペイア』 ) の中で、自分がアポッローン神によって神懸かりとなり、イッセドネ ス人の国に行ったことを述べ、イッセドネス人の向こうには一つ眼のアリマスポイ人が住 み、その向こうには黄金を守る怪鳥グリュプスの群、さらにその向こうにはヒュベルポレ オイ人 ( 「北風のかなたの人々」の意味 ) が住んで海に至っている、と語っている。ヒュペ ルポレオイ人を除いては、アリマスポイ人をはじめとして、これらすべての種族は、絶え ず近隣の種族を攻撃していた。ィッセドネス人はアリマスポイ人によって国を逐われ、ス キュタイ人はイッセドネス人に逐われ、さらに南方の海 ( 黒海 ) 近くに住んでいたキンメ リア人は、スキュタイ人の圧迫をうけてその地を離れたと、アリステアスは言う。 スキュタイ人が伝えるところによると、イッセドネス人の風習は次のようなものである すみか
歴史の父ヘーロドトス 地中海文明の「歴史の父」は、前五世紀のギリシア人、ヘーロドトスである。へ 1 ロド トスは、アナトリアのエーゲ海岸の町ハリカルナッソス ( 現在のトルコ共和国のポドルム ) の出身で、その著書『ヒストリアイ』は、ベルシア戦争の物語である。 「ヒストリア」 ( 単数形、「ヒストリアイ」は複数形 ) というギリシア語は、英語の「ヒスト 丿ー」、フランス語の「イストワ 1 ル」の語源だが、もともとは「歴史 , という意味では ない。ギリシア語の「ヒストール , は「知っている」という意味の形容詞、「ヒストレイ ン , は、「調べて知る」という意味の動詞である。それから出来た名詞が「ヒストリア」 で、本当は「研究」という味である。ヘーロドトスは、自分が調べて知ったことについ て語る、という意味で、著書に『研究』という題をつけたのだったが、これが地中海世界 で最初の歴史の書物だったために、「ヒストリア」という言葉に「歴史。という意味が付 いてしまったのである。このことは、ヘーロドトス以前には、歴史の観念が、まだ存在し なかったことを示している。 へ 1 ロドトスは、ベルシア戦争の物語を、次のように、古い古い大昔から書き始めてい る。
の中央ューラシアの草原の道 草さて、ヘーロドトスによると、スキュタイ人の国の東の境であるタナイス河 ( ドン河 ) 創のさらに東方には、スキュタイ王に属しない、別種のスキュタイ人が住んでいる。ここま 史での地域は、いずれも土壌の深い、平坦な土地であるのに対し、ここから先は小石や岩だ ふもと 世らけの荒れ地がつづく。この荒れ地を過ぎると、高い山脈 ( ウラル山脈 ) の麓に、アルギ はげあたま ッパイオイ人という、男も女も生まれながらの禿頭であるという種族が住んでいる。獅子 鼻で顎が張り、服装はスキュタイ風だが、独自の言語を話し、木の実を常食としている。 銅器を使用する、騎馬の遊牧民であった。ヘーロドトスはスキュタイ人についてこう言っ ている。 「彼らを攻撃する者は一人として逃れ帰ることはできず、また彼らが敵に発見されま いとすれば、誰も彼らを捕捉することはできない。それも当然で、町も城塞も築いて おらず、その一人残らずが家を運んでは移動してゆく騎馬の弓使いで、生活は農耕に よらず家畜に頼り、住む家は獣に曵かせる車である。そのような種族にどうして、戦 って勝っことはもとより、接触だにすることができよう。」 ほそく
ヘーロドトスも、この説明の無理は自覚している。「アジアとアジアに住む非ギリシア 諸民族、を一まとめにして、「ヨ 1 ロッパとギリシアとは、それとは別個のものと考えて いる」のは、「ベルシア人の言い分」だと言うが、これは、実は自分の「一言い分」である ことを隠すためである。 対決の歴史観 この『ヒストリアイ』の書き出しでヘ 1 ロドトスが、ベルシア人の学者の説にかこつけ て打ち出している見方は、世界はヨーロッパとアジアの二つにはっきり分かれ、ヨーロッ パはアジアと、大昔から対立、抗争して来たものだ、という主張である。この見方が地中 海世界の最初の歴史書の基調であったために、ヨーロッパとアジアの敵対関係が歴史だ、 という歴史観が、地中海文明の歴史文化そのものになってしまった。 、中世、近代をして、現在の国際関係の基 この敵対の歴史 調であり続けているが、あまりにそれが普及し過ぎたためにかえって西ヨーロッパ人も、 1. 我々 . 旧本人も一ーそ . の他の国民も、そういう歴史観が地球上をおおっている事実にさえ気が 付かずに暮らしている。しかしこのヘーロドトスの歴史観と、それが創り出した地中海文 明の歴史文化は、これまでに世界中で多くの不幸な事件を引き起こして来たし、これから も多くの悲劇の原因になり続けるだろう。
ったのは、ほとんど全世界を支配する強大なベルシアに対して、統一国家ですらない弱小 のギリシア人たちが、絶望かと見えた最後の瞬間に、ゝゝ し力にして奇跡の勝利を収めたか、 ということだったのである。 ヘーロドトスの著書が、地中海文明が産み出した最初の歴史であったために、アジアと ョ 1 ロッパの対立こそが歴史の主題であり、アジアに対するヨ 1 ロッパの勝利が歴史の宿 命である、という歴史観が、不幸なことに確立してしまった。この見方が、現在に至るま で、ずっとアジアに対する地中海世界、西ヨーロッパの人々の態度を規定して来ているの である。 「旧約聖書」の歴史観 ヘーロドトスとは別に、もう一つ、地中海世界の人々の歴史観に深刻な影響を残したも のに、『旧約聖書』がある。『旧約聖書』は、言うまでもなく、ユダヤ教の文献であるが、 たまたま一世紀に、ユダヤ教からキリスト教が分離して、しかもそのキリスト教が三九一 年に、ローマ帝国の法律によって国教と定められたために、『旧約聖書』は地中海文明で は、極めて重要なテキストになってしまった。 ユダヤ教の日い書』の内容は、律法 J ・ス = ⅱ・ラⅱ「ä謝・「預言者」 ( ネビイー の書の、一つの部分 , 分かれている。律法の書とは、「モ 1 セの とも呼ばれる「創
きぬと思うと、おしなべて人の命はなんとはかないものかと、わしはつくづくと哀れ を催してきたのじゃ。」 むち 「クセルクセスはヨ 1 ロッパに渡ると、軍勢が鞭打たれながら海を渡る有様を眺めて いた。遠征軍は寸時も休まず七日七晩にわたって海を越えた。クセルクセスがヘレス ポントスを渡り終えた時、ヘレスポントスに住む住民の一人がこう言ったという。 なにゆえ 『ゼウスよ、ギリシアを滅ばすのがお望みならば、何故にベルシア人の姿をとり、名 したが もゼウスに替えてクセルクセスと名乗り、しかも世界中の人間を随えてまでそれをな 化 文 されますのか。あなたならばそのような手間をおとりにならずとも、お望みどおりに 史 歴 なされますものを。』」 の 明 文 海 ベルシア軍はギリシア本土に侵入し、テルモピュライの戦いで、スパルタ王レオ 1 ニダ 中 地 ースの指揮するギリシア人の同盟軍を破って、アテ 1 ナイの町を占領した。ギリシア人の きわ 史運命も窮まったかと見えた時、サラーミスの海戦でベルシア艦隊は敗れて、クセルクセー のス王は大急ぎでアジアに引き揚げる。このベルシア帝国に対するギリシア人の勝利をもっ 対て、ヘーロドトスの『ヒストリアイ』 ( 研究 ) の叙述は終わる。 この筋書きだけからでも分かる通り、ヘーロドトスの『研究』の対象はギリシア人の世 界ではなくて、もつばらアジアとアフリカをおおうべルシア帝国である。彼が叙述したか
歪曲された神話 ところでヘーロドトスは、ギリシア神話をずいぶん強引に歪曲して引用している。 最初のイオーの誘拐の話は、普通の神話ではこうなっている。ここで王になっているイ ーナコスは、本当はギリシアのアルゴス地方の河の神で、その娘のイオーは、女神ヘーラ ーの巫女であった。ヘーラーの夫である天空の神ゼウスが、美しいイオーを愛して、彼女 を牝牛に変えた。嫉妬深いへ 1 ラーは、百眼の怪人アルゴスをしてイオ 1 を監視させた。 あぶ 文ゼウスはヘルメース神に命じてアルゴスを殺させた。怒ったへ 1 ラ 1 は、虻を送ってイオ 歴ーを苦しめた。虻に追い立てられて、イオーは地上をあまねくさすらい歩いた後、エジプ トに至り、そこで人間の姿にもどって、エバポスという息子を産んだ。イオ 1 はエジプト 海の女神ィーシスとなり、エバポスは牡牛の神アーピスとなった。工パポスはヘーラーにさ らわれてビュプロス ( レバノン海岸のジュべイル ) に行き、イオーはこれを追って行って同 史地で再会し、フェニキアの女神アスタルテーとなった。 この神話は、ギリシアのアルゴスと、エジプトと、フェニキアの三つの地方に関係して 斌いて、古い時代の地中海貿易を反映していることは確かであるが、登場人物はすべて神々 である。これを人間界の話にして、フェニキア人のしわざに変えてしまったのは、神話を 史実に置き換えたがる、ヘーロドトスのさかしらに相違ない わいきよく
ところでヘーロドトスの『ヒストリアイ』 ( 研究 ) は、ギリシア人がギリシア語で書い た最初の歴史なのに、ギリシア人の歴史など、どこにも書いてない。書いてあるのは、ペ ルシア帝国の歴史だけである。先ず最初にリューディア王国 ( アナトリア、前七世紀 5 前五 四六年 ) の物語があり、次にメ 1 ディア王国 ( イラン北部、前八世紀 5 前五五〇年 ) の物語 がある。この二つの王国は、次に現れたベルシアの初代のキュ 1 ロス王に統合されるので、 こうりゅう この部分はベルシア帝国の興隆 ( 前五五〇年 ) の前置きである。 それからはキューロス王の征服戦争の物語で、アナトリアの海岸のギリシア人の町々の 文仼匱、ヾ、 ノヒュローンの征服の後、マッサゲタイ人 ( 中央アジアの遊牧民 ) への遠征でキュ 歴 ーロス王が戦死する箭五二九年 ) 。第二代のカンビューセース王はエジプトを征服する の 明 箭五二五年 ) 。ここでエジプトの歴史が叙述される。カンビュ 1 セ 1 ス王が死んで、第三 文 海 代のダ 1 レイオス王が即位し、国内の政治を整えた後、スキュティア ( 北コ—カサス、ウ 中 地 クライナ ) に遠征する。ここでヘーロドトスは、この地方の事情を詳しく説いている。次 にベルシア軍のリビュア ( アフリカ ) 遠征に関連して、この地方の事情を語った後、ヘー 史 のロドトスはいよいよ『ヒストリアイ』の本題に入る。 斌すなわち、ベルシア軍がギリシアの北隣りのトラーキアとマケドニアの両地方を攻略し、 いよいよギリシア本土に危険が迫ったので、ギリシア人の町々は連合してベルシアにそむ しようしゅう く。そこでベルシアの第四代のクセルクセ 1 ス王は、帝国の全土の全民族から召集した百 こうりやく
28 ろあとがき 歴史は文化である。歴史は単なる過去の記録ではない。 歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体 験できる範囲を越えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことで ある。人間の営みさえあれば、それがそのまま歴史になる、といったようなものではない。 地球上に生まれたどの文明のなかにも、歴史という文化があったわけではなかった。歴 史は、地中海文明では紀元前五世紀に、中国文明では紀元前一〇〇年頃に、それぞれ独立 に誕生した。それ以外の文明には、歴史という文化がもともとないか、あってもこの二つ の文明の歴史文化から派生した借り物の歴史である。 歴史という文化を創り出したのは、二人の天才である。地中海世界では、ギリシア語で 『ヒストリアイ』を書いたヘーロドトスであり、中国文明では、漢文で『史記』を書いた 司馬遷である。この二人が最初の歴史を書くまでは、ギリシア語の「ヒストリア」 ( 英語 いまのわれわれが考える「歴史」という のヒストリーの語源 ) にも、漢字の「史」にも、 あとが、