るが、原告らの「憲法改正・決定権」が新安保法制法の制定 8 そして、平和を願う全ての原告らが、日本が戦争をする国、 によって侵害されたと考えた。すなわち、新安保法制法の制 できる国になることによって、自らの生命・自由・財産の被 定は、憲法改正手続を経ることなく、憲法九条を実質的に改 害を危惧するとともに、他国の人々への加害者となることに 変してしまった。しかし、もともと憲法の制定権は主権が存 耐えがたい苦痛を感じている。また、新安保法制法の制定・ 界 する国民にあり、国民は自らの意思に基づいて憲法の条項と 世実施により、日本が軍事優先の社会・経済・文化へと変質し 内容を決定する根源的な権利を有していると考えられ、憲法 かねないことから、個人よりも国家優先の考え方が優位とな 改正手続を定めた九六条の国民投票権はその表れである。だ り、弱者や福祉の切り捨て、表現の自由や知る権利の抑圧な から、新安保法制法の制定は、国民が自ら憲法を改正・決定 ど、日本の国のあり方が根本から大きく変貌してしまうこと する権利を侵害したものである。 に、大きな不安を抱いている。 ◆侵害される権利の法的性質 一差止訴訟の構成と内容 右にみたような原告らの被害、すなわち不安・恐怖・絶望 ◆何を請求しているか 等の精神的苦痛や生命・自由・財産等の侵害の危険は、法的 差止訴訟の請求の趣旨 ( 求める判決主文 ) は、要旨次のよう には、平和酌生存権及び人格権の侵害によるものである。 なものである。 平和的生存権は、憲法前文が直接の根拠規定であるが、単 ①内閣総理大臣は、自衛隊法七六条一項二号に基づき自衛 に精神や理念の表明にとどまらず、全ての基本的人権の基礎 にあってその享有を可能とする基底的権利であり、とくに憲隊を出動させてはならない。 ②防衛大臣は、重要影響事態法に基づき、後方支援活動と 法九条に反する政府の行為によって国民・市民の生命・自由 して自衛隊による物品及び役務の提供を実施してはならない。 等が侵害されるとき、これに対する救済の法的根拠として具 ③防衛大臣は、国際平和支援法に基づき、協力支援活動と 体的権利性を有するものと理解される。 して自衛隊による物品及び役務の提供を実施してはならない。 また人格権は、憲法一三条の「すべて国民は、個人として ④被告 ( 国 ) は、各原告に対し、金一〇万円を支払え。 尊重される」との規定に表される、近代憲法の基本的人権保 ①は、集団的自衛権の行使の差止請求である。新安保法制 障の根幹をなす包括的な権利である。 法は、日本が直接武力攻撃を受けなくても「我が国と密接な そしてもう一つ、本件訴訟では、耳慣れないことばではあ
それでは、我々は、憲法の条文の意味内容をどのようにし ても戦争をすることはできない。つまり、九条はやはり「戦 て見定めたらよいのか。憲法の条文を素直に読めばよいとい 争放棄」条項として提案されたのであった ( 九条一項が自衛戦 争を放棄したものでないと説かれたことは、同項が一九二八年の不戦条 う意見があろう。しかし、事はそれほど単純ではない。条文 約と同様の思想に立脚するものであったことを示している。したがって、 を構成する一言語の辞書的意味を理解できたとしても、法文の 世意味を理解したことにはならない。我々が追求すべきは、条九条の革新性は一一項にあったといってよい ) 。 文を構成すゑ一一口語の意味ではなく、その一一一口語を用いて何が定 当時、戦争の惨禍に対する悔悟と反省の気分は制憲議会に められているのかということである。特定の条文において何横溢していた。そのことは審議録を読めば明白である。侵略 が定められているかを知るためには、憲法の制定者 ( 以下戦争はもとより、たとえ自衛のためであっても、戦争に訴え 「制憲者」という ) の意図を探求しなければならない。日本国 るべきではないという点では制憲議会メンバーの間に幅広い 憲法の場合、制憲者の意図の探求は、」、 憲議会に当たる第九 一致があったといってよいであろう。しかし、同時に、制憲 〇帝国議会の審議を中心に行われるべきである。この議会は、 議会では、わが国が一方的に戦争放棄を宣言しても外部から 政府の憲法改正草案要綱 ( いわゆる三月六日案 ) の公表後に実侵略されたらどうするのか、どのような手立てをもって対応 するのかといった懸念が少なからず表明されている。これに 施された衆議院議員総選挙を経て召集されたーーその限りで 民主的な承認を得たーー・機関であり、かっ、憲法が最終的に 対する政府の回答は、①憲法九条は自衛権を放棄したもので どのような理解の下に成立したかを示す場だからである。 はない、②国連の集団安全保障体制に期待する、③戦争以外 もとより制憲者の意図の探求は容易な作業ではない。 の方法でのみ防衛する、というものであった。おそらくこの し、上記の第一の契機における作業として制憲者の意図を可 ような説明は上記の懸念を完全に払拭するものではなかった 能な限り明らかにしていくことで解釈論上の無用な混乱を回 であろう。当時、国連が期待どおりの役割を果たすことがで 避できる場合も少なくないと思われる。 きるかどうかは未知数であったし、「戦争以外の方法」が何 ・憲法九条の原意と自衛隊 であるかは具体的に示されることはなかったからである。し かし、制憲議会では、いわゆる芦田修正 ( 一項冒頭に「日本国 制憲議会における憲法九条に関する政府の理解は、次のと ( 7 ) 民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という一文を おりであった。憲法九条一項は侵略戦争を放棄したものであ 加え、一一項冒頭に「前項の目的を達するため」という語句を挿入した ) って、自衛戦争は放棄していない。しかし、同条一一項で戦力 の不保持と交戦権の否認を規定したから、自衛のためであっ が行われた後も、審議の過程に当初の政府理解が変更された
七日判決 ( 判例時報二〇五六号七四頁 ) 。 2 一一〇一五年五月一一八日衆議院平和安全法制特別委員会安倍総理 大臣答弁、同年六月一日同委員会中谷防衛大臣答弁。 3 最高裁は、大阪空港騒音訴訟 ( 昭和五六年一一一月一六日大法廷 判決・民集三五巻一〇号一三六九頁 ) において、高裁が民事訴訟 による飛行差止めを肯定したのに対し、差止請求は不可避的に航 空行政権の取消変更・発動を求める請求を包含するので、行政訴 訟としてならともかく、民事訴訟による請求は不適法だとし、第 一次厚木基地騒音訴訟 ( 平成五年二月二五日判決・民集四七巻一一 号六四三頁 ) においても、自衛隊機の運航に関する防衛庁長官の 権限の行使はその運航に必然的に伴う騒音等について周辺住民の 受忍を義務づけるものであり、周辺住民との関係において公権力 の行使に当たると判示し、民事訴訟による差止請求を不適法とし て却下した。そして第四次厚木基地騒音訴訟 ( 行政訴訟 ) につい ての東京高裁平成二七年七月三〇日判決 ( 判例時報一三七七号一 三頁 ) は、この最高裁判決の論理に沿って、防衛大臣の権限によ る自衛隊機の運航は周辺住民に騒音等の受忍を義務づける事実行 利為としての公権力の行使であると位置づけ、行政事件訴訟法三七 の条の四の差止めの訴えとして、自衛隊機の運航の一部差止めを認 た めた。これは、防衛大臣の自衛隊機運航命令は自衛隊内部のこと 私 た だが、それによる自衛隊機の運航という事実行為が周辺住民に騒 害 音の受忍という不利益を強制する公権力の行使 ( 行政処分 ) だと がするものである。 制 本件差止訴訟も、基本的にこの論理構成により、例えば集団的 法 保 自衛権の行使としての防衛出動命令は自衛隊に対してなされるも 安 新 のであるが、それによる防衛出動や武力の行使という事実行為 7 が、原告ら国民の平和的生存権・人格権等を侵害し、その侵害状 態の受忍を強制するものだと構成している。なお、このような行 政内部の命令等で国民を名宛人としていない行為についてまで、 公権力の行使だとして民事訴訟による救済を認めない最高裁判例 については、学説上強い批判がある。 4 前記イラク派遣訴訟・名古屋高裁判決は、前記最高裁大阪空港 判決を引用して自衛隊のイラク派遣の禁止を求める差止請求を民 事訴訟として不適法だとしつつ、行政訴訟としてもイラク派遣は 原告らに直接向けられたものではなく、日本において原告らの生 命、自由が侵害されまたは侵害の危機にさらされ、あるいは、現 実的な戦争等による被害や恐怖にさらされ、また、憲法九条に反 する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるまでの事態が生じ ているとはいえないとして、原告らの差止めを求める法律上の利 益 ( 原告適格 ) を否定している。また、同様の理由で、損害賠償 を認めるに足りる被侵害利益の存在も否定した。 この点、イラク派遣訴訟における自衛隊の活動は、イラクにお ける「人道復興支援活動」等としてなされ、これに対するイラク 等からの反撃が日本の領域に対してなされる可能性は考えにくか ったと思われ、また、訴訟の位置付けも、標語として「強いられ たくない加害者としての立場を ! 」というものであった ( 『自 衛隊イラク派兵差止訴訟全記録』一一頁・風媒社二〇一〇年 ) 。 これに対して本件は、集団的自衛権の行使等によって日本が戦争 当事国となる等により、日本においても生命・身体の危険を含む 原告自身の権利が侵害されること、すなわち加害者となるだけで なく被害者になる危険の差止めに重点を置いている点に、性格の 違いがあるように田 5 われる。
2 0 9 人格権・平和的生存権・憲法改正決定権 福田護 ふくた・まもる弁護士。安保法制 違憲訴訟の会。一九七四年、東京大学 法学部卒。一九七四年より七九年、衆 議院法制局在職。一九八一一年に弁護士 畷」 5 彗 ~ 」 - 登録。神奈川総合法律事務所所属。 より、その廃止に向けて、なにがしかの寄与ができることを 安保法制違憲訴訟の提訴 願って、去る四月一一六日、東京地方裁判所に、国を被告とす 二〇一五年九月一九日に国会で成立したとされたいわゆる る二件の訴訟を同時に提訴した。 安保法制によって、恒久平和主義を基本原理とする憲法秩序 一件は、安保法制に基づく集団的自衛権の行使等の差止め が破壊された。これを放置すれば、日本は再び戦争をする国 を求める訴訟 ( 原告数五二名。以下「差止訴訟」 ) 、もう一件は、 へと変貌し、社会構造や価値体系まで含めた国のあり方が根 安保法制の制定による精神的苦痛の損害賠償を求める国家賠 底から変わってしまう。私たちはこれを食い止めなければな償請求訴訟 ( 原告数四五七名。以下「国賠訴訟」 ) である。 らないが、行政府と立法府が破壊した憲法秩序の回復は、司 差止訴訟は、総理大臣や防衛大臣の公権力の行使の差止め 法府にその役割を果たすことを求めたい。 を求めるものとして行政訴訟という訴訟類型、国賠訴訟は通 そこで私たち「安保法制違憲訴訟の会」は、安保法制が違常の民事訴訟の類型なので、それぞれ別件として提訴し、裁 憲であることを訴訟を通じて明確にすることをめざすことに 判所でも別々の部が担当することになり、今後一一件の訴訟の 私侵新 た害安 , ちし保 : のた法 。権制 : 利法 世界 SEKAI 2 0 16.8
されないが、他国からの武力攻撃を阻止することは自己防衛 形跡はなく、また、この理解を正面から否定する意見も示さ れることはなかった。したがって、憲法九条は自衛戦力の保そのものであって、「国際紛争を解決することとは本質が違 持を禁じておらす、かかる戦力をもってする自衛戦争を許容 う」。③自衛隊はこの実力に該当し、憲法に違反するもので しているとい , ? ー・ー芦田修正により可能となったとされる はない。①は当初から一貫している。②と③については、た ーー理解が、最終的に九条の意味として制憲議会の承認を得 しかに、制憲議会においてそのような内容が明確に示された ことはない。しかし、だからといって、かかる政府見解は憲 たとすることはできないと思われる。 以上のことから、制憲者が意図した憲法九条の意味内容は、 法九条の解釈として誤っていると結論するのは早計である。 次のようなものであったということができる。第一に、侵略で 制憲議会では、他国からの武力攻撃に対して全くの無防備・ あれ自衛であれ、一切の戦争を放棄すること、第二に、自衛権無抵抗を貫くべしとの立場が積極的に表明されたわけではな は否定されていないが、その行使の方法は戦争以外のものに 戦争をするのに必要な力としての軍備戦力は一切持た ないという前提の下、自衛権の行使としていかなる措置を採 限定されること、そして第三に、そのような自衛権行使の方 ( 8 ) 法の具体化は後の世代に委ねられた課題となること、である。 りうるかは将来の課題として残されていたのであり、上記の こうして見ると、その後の歴代政府の憲法九条解釈は、必ず政府見解はこの課題に答えて憲法九条の意味を具体化し、補 しもこの九条の原意に反しているわけではないことが分かる。 充したーー新たな具体的状況における九条の意味を明らかに ものと見ることができる。 日本国憲法制定後に設置された警察予備隊、保安隊、自衛 隊といった実力組織について、政府はこれらを憲法九条の下 そして、何より重要なことは、政府が自衛隊を自国防衛の ための必要最小限度の実力として正当化した際に、自衛権行 でいかにして正当化することができるかという問いを突きっ けられたわけであるが、これに対して、一九五四年の自衛隊使の要件を明確に定めたことである。よく知られているよう に、それは、①わが国に対する急迫不正の侵害があること、 発足以来、政府は次のように答えている ( 一九五四年一二月二 ( 9 ) 一一日衆議院予算委員会、大村清一防衛庁長官答弁等 ) 。①憲法は自衛②これを排除するために他に適当な手段がないこと、③必要 か の 権を否定していない。②憲法は戦争を放棄したが、他国から 最小限度の実力行使にとどまるべきこと、という三つの要件 た である。このうち①と②は、自衛権を発動する要件であり、 わの武力攻撃に対し国土を防衛するための手段として必要最小 は限度の実力を保持し、これを行使して抗争することは認めて これが満たされない限り、そもそも自衛隊による武力の行使 法 いる。「国際紛争を解決する手段として」の武力の行使は許 は許されない。③は、一旦自衛権が発動されたのち、その行
国籍を取得した人もアウト、外国籍の妻がいる人もアウト、 て、「帰化しないのは民族心があって日本が嫌いだからでし 敵対する国に留学した人もアウト。こうやって、際限なく よ」となる。私が私として生きることを、私の人生の初めか 「国家の敵」が作られる。 ら今日に至るまで邪魔してきたのは、有権者であるあなたた そして今度は刑事訴訟法の改悪だ。集団的自衛権、特定秘ちだ。 密保護法、原発再稼働、刑事訴訟法改悪、マイナンバー制度、 最賃デモで、最低賃金が一五〇〇円になれば病院に行くこ 派遣法改悪と、安倍自民党の暴走はとどまるところを知らな とも、体調が悪い時に休むことも、月一回一〇〇〇円以上の 食事をすることもできると語った若者たちの願いは、かって 日本人には指一本触れさせないと言いながら、日本人ジャ の私の、在日の願いと同じだ。戦後七〇年を経て、ついに日 ーナリストが捕まっても全くなにもしない。彼らが動くのは、 本人が朝鮮人化されたのだ。切り捨ててもいい命が、「国 日揮など国策企業の社員が捕まったときだけだ。 民」の中で選別されたのだ。 ナチス政権下、ガス室に送り込まれる人たちを日々見てい 中国経済に依存しながら中国を敵として国内を扇動し、都 合が悪くなれば打ち出の小槌の「北朝鮮」「拉致」を持ち出 た収容所の主計官が、後に自分の罪を問われて「私が何をし す。 たのでしよう」と泣き崩れた。何かをしたことではなく、な そして、在特会やネトウョと連動して、声すら上げること すべきことを何もしなかったことが彼の罪なのだ。 のできない在日を叩き続ける。ようやく成立した反ヘイト法 一方、この国の人たちは、戦後ただの一度も裁かれたこと には、「本邦外出身」と「適法に居住するもの」という限定 がない。だから泣き崩れもせず、これからも彼らは私を殺す だろう。 がついていた。ロうるさい沖縄や、世界がうるさい未資格滞 在者、難民など、煮て食おうが焼いて食おうが構わないとい 朝鮮人が強いられてきた状況に目を向けず、ウチナンチュ 責う意識なのだろう。 ーが置かれている現実に目を向けなかったその罪を、いま日 の 人 本人が問われているのだ。無権利状態の人の命が、あなたの そして、選挙権のない私は「国民」と呼ばれる有権者に全投票行動にかかっている。 る で権委任を強いられ、その結果の負債だけを負わされる。文句 その責任を果たしてほしい。 投を言えば「嫌なら出て行けーとか「帰化しろ」と来る。そし
関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が ④は、差止訴訟においても、国賠訴訟と同様、関連請求と 国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利 して、新安保法制法制定による精神的苦痛に対して損害賠償 が根底から覆される明白な危険がある場合」 ( 存立危機事態 ) の支払を求めるものである。 に、自衛隊が「自衛の措置」として防衛出動 ( 自衛隊法七六条 ◆請求の根拠としての原告ら自身の権利侵害 一項 ) をするという形をとった。しかしそれは、地球の裏側、 本件で原告らが差止めや損害賠償を求める基本的理由は、 例えばホルムズ海峡までも自衛隊が出動して他国の戦争に参新安保法制法が実施されることにより、自分自身の権利が侵 加することを意味する。 害されるという点にある。抽象的に、新安保法制法の違憲確 ②と③は、戦争をしている米軍など他国軍隊に対する自衛認を求めようとするものではない。 隊による物品及び役務の提供、すなわち兵站活動を一挙に拡 憲法九条は、戦後七〇年間、戦争の防波堤になってきた。 大したもので、②は重要影響事態 ( 我が国の平和及び安全に重要 先の大戦で、自ら戦火をくぐり、家族を失い、戦災孤児とし な影響を与える事態 ) 、③は国際平和共同対処事態 ( 国際社会の平 てのみじめで苦難に満ちた少年時代を送り、あるいは後遺症 和及び安全を脅かす事態で我が国が積極的・主体的に寄与する必要があ に苦しみ、それでも戦後を生きて、子や孫の命を育んできた るもの ) において、地理的限定なく世界中どこでも、また一 人々が、その支えとしてきたのは、二度とそのような惨禍を 定の要件の下で随時、「現に戦闘行為が行われている現場」 起こさない誓いとしての平和憲法であった。憲法九条は、苛 以外の場所なら、弾薬の提供など軍事行動に直接つながるも 烈な戦争体験の代償として得たかけがえのないものであり、 のまで含めて、兵站活動を実施しようとするものである。相平和を願う人々の人生の血肉となって、その人格の核心部分 の 手国からすれば自衛隊が当該米軍等と一体となって武力を行 を構成しているといえる。ここでは、平和のうちに生きる権 私使していると見られて当然であって、ここに「武力行使の一 利と人格権が、まさに一体となっている。そしてこのような た 体化」が生じ、自衛隊も、さらには日本の領域も、相手国か 構造は、他の社会的立場の原告も、現れ方や程度に差はあっ 侵らの武力攻撃の対象となる危険性が高い。「イスラム国」に ても、基本的に同様である。そして新安保法制法によって集 法 対する空爆の後方支援も、「政策判断」としては考えていな 団的自衛権の行使や後方支援活動・協力支援活動を行えるよ 制 保いが法律的には可能だというのが、政府国会答弁であった。 うになり、日本が戦争当事国となる機会と危険が拡大したこ 新テロの危険も、他国のことではなくなる。 と、さらにはそれが現実化することは、このような原告らの
1 つ人間が多いからだと推測され本当の教育ならば、自分たちで るが、仮に戦争をするときに最そのプログラムを作るべきだっ も邪魔なのは私たちのような人 たのではないか。いまの若い世 間である。それを裏付けるよう代が本当に協調性に欠けると思 一読者話室 に、 SEALD ・として立ち上がっ ったのならば、経験豊かな世代 世 が膝を突き合わせて、納得がい まず、日本は「集団的自衛た人たちには、いわゆる「ゆと 「ゆとり」を目の敵にして全体 くまで議論をすれば良いのでは 権 . の解釈改憲によって、これり世代」も多い。やや慣例を無 主義が幅を利かせる ないか。その努力は放棄して、 までのように他国との交戦がま視してでも、自分たちの言葉で 寺嶋清 ったくあり得ない国ではなくな意思をハッキリと伝える姿が印紋切り型の「研修」をおこなう った。さらに昨年、防衛装備品象的だ。「上官だから従え」と発想の先には、暗雲が立ち込め 友人が航空自衛隊に「体験入 いう語気の強さだけでは、私た ている気がしてならない。 隊した」と聞いて、驚いた。た の開発・取得・輸出を一元的に ( 三鷹市・ % 歳・ ) しか、 . 府中市役所に勤めたはず担う機関である防衛装備庁が発ちは納得しない。 世間が「ゆとり世代」へ向け 足した。そして教育現場には、 だ。詳しく話を聞いてみると、 性的マイノリティはヘイトに屈 道徳教育の一環として「愛国る視線は冷やかだが、自分の頭 「三年目研修」というもので、 オし で考えるプロセスを学ぶことの 心」なるものが組み込まれると 「規律に厳しい自衛隊の訓練を 高木真琴 いわれている。 できる良い側面は知られていな 通じて、ゆとり世代があまり経 フロリダ州で悲劇が起きた。 。受験勉強型の「とにかく暗 自民党が強引におこなってき 験していない上下関係を学び、 記しろ」は、「命令に従え」と多くの人で賑わうナイトクラブ チームワークや積極性などの向た「改革」への批判はあらゆる が銃を持った一人の男性に襲撃 メディアが展開しているが、そ限りなく近いものだ。こうした 上につなげたい」 ( 読売新聞、五 されたのだ。犯人は三時間にわ 月二六日 ) という目的のために のこととは別に、「ゆとり教育理不尽さに慣れていない私たち たり立てこもったという。死者 おこなわれるのだという。 世代」と言われる私たちは、現だからこそ、訴えていける民主 四九人。これはアメリカ史上で 友人は「二泊三日だけだった政権が理想としているであろう主義もあるように思う。 府中市は上下関係がわかって も最悪の、銃による襲撃事件の から、思っていたより紳士的だ 「強い日本」から見て「不出来 いないぬるま湯の「ゆとり世ひとつになった。 な世代」と見られている疑念を った」と言っていたが、私は、 犯人は射殺され、事件の全容 これを研修とする府中市の決定ぬぐえない。それは上意下達の代」を軍隊にも似た環境で鍛え 解明はまだなされていない。犯 指揮系統から外れた強い個を持直したつもりかもしれないが、 に気味の悪いものを感じた。
などの措置の考察も含まれる。また、集団安全保障と国家安 << に続く米ロ間の核削減条約など実際的で効果的な 全保障は相補的で両方とも重要だ。とりわけ日本は北東アジ 法的要素を並行させながら実現することが一番の近道だ。こ アの厳しい安全保障環境の中にある。最近の協議では核保有 の〈アプローチ〉を含め、核軍縮プロセスに核保有国が参画 国と非保有国の対立が目立っている。これ以上対立を深めて することが不可欠だ。核保有国を含む参加国の安全保障への はならない。 この会議を全会一致ルールで運営することを要 考慮がなければ核兵器の削減は進まない」 求する」 ( 以上、五月九日 ) メキシコ「核なき世界へのアプローチについてさまざまな議 メキシコ「会場は現状を守ろうとする者と変えようとする者 論と提案があった。しかし、アプローチ論はこの会議の核心 に分かれている。〈前進的アプローチ〉の支持者の発言には ではない。どのアプローチにしろ、核兵器を無くすためには 新しい内容は何もない。現状維持で集団安全保障は守れない。 法的に禁止することが不可欠の要件だ。奴隷制でも同じ。そ 出席していない少数の国の特権を守るだけだ。誤解がないよ れは歴史の示すところだ。禁止すべき内容を特定することが うに言うが、メキシコは〈前進的アプローチ〉に含まれてい この会議に求められている。禁止の法的措置について交渉が る諸要素をほとんど支持してきた」 始まってからアプローチの議論をすればよい。議論は堂々巡 この 日本「対立した一一つの分岐がまとまる可能性は少ない。 りになっている。人道的側面を強調する議論は安全保障と別 まま核保有国抜きで進めると分裂が起こる。分裂は核軍縮義 ではなく、まさに安全保障の議論だ」 日本「、、ポスト新など、多国務を定めた核不拡散条約 ( ) の再検討プロセスに打撃 を与える。現状維持か変化かといった二者択一論に反対だ。 間、数か国間、二国間、一国的といったすべてのレ・ヘルでの 核軍縮は直線的ではなくてジグザグに進む」 ( 以上、五月一〇日 ) 実際的な法的措置を考慮すべきだ。 0 などに具体的な メキシコ「日本が説明の中で『核兵器の保有を正当化するか 水前進がないわけではない」 も知れない政治的考察』に触れたが、驚いた。どういう意味 のメキシコ「云々とマントラのように唱える者がある。 へ か ? 核兵器は本質的に不道徳であって、使用・使用の威嚇 止同じ議論を繰り返すためにこの会議を費やしてはならない。 的 だけではなくて保有そのものを禁止すべきだ。また、この会 また、安全保障は『核の傘』の下にある一握りの国ではなく、 法 議で全会一致ルールを主張するのは、会議を人質に取ろうと 器国連総会らしく集団安全保障を議論すべきだ」 する試みだ」 核日本「国連総会決議によれば、この部会の任務には 、、特集 2
シンポルやレトリックに自らを同一化さの体制そのものに反発していたとされた。が米国人ジャーナリストのエドガー・ス せ、集合行為に身を投じていった ( しか これに対して、最近の研究では、「造ノーに語ったように、全国各地で「全面内 し、これと毛沢東が文革を理想のために発動し反派」も実は「保守派」と同じように戦」に陥ったといわれる。大衆組織間の派 たかどうかは別問題である ) 。 「紅五類」家庭出身の学生幹部や「積極閥抗争を内戦さながらの武闘へとエスカ 加えて、当時人々は、同僚や先輩、上分子」が多かったことや、「造反派」がレートさせた原因は、一九六七年一月に 司による強い同調圧力と監視の目にさら実際には既存の秩序に挑戦していたとは毛沢東が出した「軍隊支左」政策であった。 いえないことが明らかになっている。学これは、全国各地に展開する人民解放軍 されていた。毛沢東・共産党の呼びかけ に積極的に応じることが「時代の空気」と生や労働者たちは、文革初期のめまぐる部隊に、奪権闘争を繰り広げる急進勢力 なり、さらには政治運動への消極的な態しく変化する政治情勢や次々と降りかか ( 「左派」 ) の支持を命じたものである。し 度自体が政権への疑念や不信感を表すもるリスクや機会に呼応し、決断を迫られかし、この「政策」は、激しく対立する のとして批判の対象となりかねないなか、るなかで、同じような社会的背景をもつ大衆組織のなかから「左派」を識別する 多くの人々は少なくとも表面的には「熱者たちが対立する派閥へと分裂していっというきわめて困難かっ政治的な判断を 狂的」な参加を装ったのではなかろうか。 た。そして何よりも毛沢東ら中央の指導地方軍幹部に課すこととなり、各地の軍 ■「造反派」は既存の秩序への挑戦者か者による分断的なレトリックや操作的手部隊 ( 特に省軍区系統 ) を混乱に陥れ、派 これまで、「造反有理」のスローガン法に翻弄されるなか、自らの利益と生存閥抗争を激化させる結果をもたらした。 に象徴される文革の造反運動は、既存ののために派閥抗争を繰り広げたというのよく知られているところでは、武漢の 年体制・秩序への反抗であると理解されるが実態であった。その証拠に、「造反「七・二〇事件」のように軍区と中央 ことが多かった。「造反派」とは、「紅五類」派ーは一九六六年末には毛沢東からお墨 ( 毛沢東・四人組 ) 、が考える「左派」に食 命 革 ( 革命幹部、革命軍人、革命烈士、貧農、下層付きを得て「保守派」に勝利したが、そい違いが生じ、派閥抗争を激化させた例 中農 ) 家庭出身ではない中間層、「黒五の直後の一九六七年初めには「奪権」をがあるが、問題はそれにとどまらない。 文 国 類」 ( 地主、富農、反革命分子、悪質分子、右めぐって再び内部分裂し、それまで以上毛沢東はさらに、「七・一一〇事件」の最中 中 一派分子 ) 家庭出身者、非正規労働者などに激しい派閥抗争を繰り広げたのである。に「左派を武装せよ」と、「左派」大衆 の既存の体制下で冷遇・迫害されてきた者■なぜ「全面内戦」は生じたか組織への武器供与を呼びかけ、大量の武 世たちであり、彼 ( 女 ) らは「実権派」や既存中国は一九六七年夏、後に毛沢東自身器を流出させた。また、地方軍区と四人