力行使が許されるのは、わが国に対する急迫不正の侵害に対 ことは、重要な憲法解釈を示した政府見解の読み方として到 処する場合に限られるのであって、他国に加えられた武力攻底許されるものではない ( ここでも文一「ロ自体ではなく文言を用いた 者の意図が重要であることを強調しておきたい ) 。 撃を阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は憲法上 許されない。 第二に、仮に七二年見解①②の「自衛の措置」に集団的自 安倍内閣は、この七二年見解の①と②を「基本の論理」と 衛権の行使が含まれるとすると、「必要最小限度の範囲」で 称し、それを、「わが国を取り巻く安全保障環境が根本的に あれば集団的自衛権の行使も許されるということになってし 変容した」今日の事態に「あてはめる」と、七二年当時の上 まうであろう。しかし、七二年当時もそれ以降も政府はその 記③とは異なる結論ーーすなわち、同盟国等に対する外国の ようなことを容認していない。「自衛の措置」が「必要最小 武力攻撃を阻止するための集団的自衛権の行使も憲法上許さ 限度の範囲」にとどまらねばならないというのは個別的自衛 れるーーーが導かれると主張する。しかし、これは無理筋とい 権の行使に関してのみ説かれてきたことである。集団的自衛 うものである。 権の行使はそれ自体が「必要最小限度の範囲」を超えると考 えられてきたのである ( 一九八一年五月二九日第九四国会政府答弁 第一に、七二年見解の①②にいう「自衛の措置」とは個別 的自衛権の行使を指している。歴代政府は、憲法九条を、国 書 ) 。この点からも、七二年の「政府見解そのものの組立 際紛争を解決するために武力を行使しないという原則を定め て」を根拠に集団的自衛権の行使を正当化することは許され たものと捉えつつ、自国防衛のための個別的自衛権の行使と ないことが分かるであろう。 しての武力行使だけは例外であるという解釈論を展開してき 次に、砂日 , 事件判決 ( 最高裁一九五九年一二月一六日大法廷判 た。①②の「自衛の措置」の中に集団的自衛権の行使も含ま 決 ) である。安倍内閣は、この判決で最高裁が「わが国が、 そし れると解することは牽強付会の誹りを免れない。 これに対し 自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な て横畠内閣法制局長官は、国会審議の中で、七二年の「政府自衛の措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として 見解そのものの組立てから、そのような解釈、理解ができ 当然のこと」と述べた点を捉えて、そこでいう「必要な自衛 か の る」 ( 二〇一五年三月二四日参議院外交防衛百会 ) と強弁している。 の措置」には集団的自衛権の行使が含まれると主張する。し た しかし、七二年見解の当の作成者が正反対のことを証言して わ かし、このような主張には全く根拠がない。 変 いるにもかかわらず、それを無視して、あえて「政府見解そ 砂川事件では旧日米安保条約に基づいて日本に駐留する米 憲のものの組立て」に着目して独自の主張を繰り広げるような 軍が憲法九条一一項でその保持を禁止されている戦力に該当す
使のあり方を規制する要件であり、これを満たさない自衛権どうか、すなわち、制憲者の意図Ⅲ当該条項の趣旨・目的に 反することなく、その枠内で、本来の意味 ( 原意 ) を具体化 の行使はやはり許されないこととなる。 し、補充するものであるかどうかの一点に尽きる。このよう 国際法上、国家は個別的自衛権とともに集団的自衛権を有 な観点から見るとき、今回の安倍内閣による憲法九条解釈の するとされる。しかし、歴代政府が自衛隊による武力の行使を 変更が解釈として許される限度を超えた不当なものであるこ 世個別的自衛権の行使としてのみ容認されるものと解していた とは明白である。 ことは明白である。憲法制定当時論議された自衛権は、もちろ 安倍内閣は九条解釈の変更にあたって、同条が本来どうい ん自国防衛のための個別的自衛権である。敗戦後完全に武装 う規範的意味を有する条項であったか、その趣旨・目的は何 解除されて行使すべき武力を持たず、しかも「戦力」の不保持 かを一切問うていない。ただ単に、一九七二年の政府見解と を謳う九条を審議している時に、他国防衛のためにわが国が 一九五九年の砂川事件最高裁大法廷判決を援用するのみであ 武力を行使する集団的自衛権が話題に上るはずもない。戦争 る。はたして、このような政府見解や最高裁判決は今回の九 放棄を宣一言した憲法九条の下で個別的自衛権の行使のあり方 条解釈の変更を正当化する根拠たりうるであろうか。 を模索していた政府が最終的に到達したのが上記の見解であ まず、七二年見解は、それまでの政府見解を踏襲し、その り、それは憲法九条の枠内ではあるけれども、同条が許容する 上に立って、憲法上集団的自衛権の行使が許されない所以を ぎりぎりの線であったといえよう。憲法九条の下で集団的自 説明したものである。すなわち、①憲法は自国の平和と安全 衛権の行使は許されないというのは、論理必然の帰結である。 を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置を執る ■集団的自衛権の行使容認に係る「新解釈」の成否 ことを禁じていない。②しかし、平和主義を基本原則とする ところが、安倍内閣は、七・一閣議決定により、憲法九条 憲法がこの自衛の措置を無制限に認めているとは解されず、 の下でも集団的自衛権の行使は容認されるという見解を打ち それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由 出し、あっさりと従来の政府解釈を変更してしまった。この 及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事 憲法解釈の変更に対しては既に多くの批判が寄せられている。 ただ、ここで注意を要するのは、一般論として言えば、政府態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむをえない が従来の政府の憲法解釈を変更すること自体は許されないわ措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は この事態を排除するため執られるべき必要最小限度の範囲に けではないということである。問題は、その解釈変更 ( 変更 とどまるべきものである。③そうだとすれば、憲法の下で武 後の新たな解釈 ) が当該条項の解釈として妥当なものであるか
安全措置等に限定されたものではなく、他国に安全保障を求 8 るかどうかが問われた。最高裁は、その点について次のよう めることは憲法上禁じられていないということ、である。ま に判示している。①九条二項でその保持を禁止された戦力と た、最高裁は、同じ箇所で、憲法九条二項が自衛のための戦 は、わが国がその主体となって指揮権、管理権を行使し得る 力の保持をも禁止したものかどうかについては慎重に判断を 戦力をいうのであって、日本に駐留する外国軍隊はここにい 留保している。自衛隊の存在やその「戦力」該当性は全く問 世う戦力には当たらない。②米軍の駐留が憲法に違反するかど うかを判断するにあたっては、その駐留を基礎づける日米安題にされていない。要するに、上記①では、自国防衛のため に外国の軍隊の力を借りることが憲法上許されるか否かとい 保条約が憲法に違反するかどうかの判断が前提となるが、安 うことだけが論じられているのである。 保条約のように「主権国としてのわが国の存立の基礎に極め もとより、国連憲章五一条は、その加盟国が「個別的又は て重大な関係をもつ高度の政治性を有する」条約については、 集団的自衛の固有の権利」を有することを承認しており、旧 「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、 安保条約もそのことを確認している。しかし、この条約で 裁判所の司法審査権の範囲外のもの」と解すべきである。③ 「これらの権利の行使として」表明されているのは、自国防 安保条約に基づいて駐留する米軍は外国軍隊であってわが国 衛のための暫定措置として日本に米軍が駐留することを日本 自体の戦力ではなく、その駐留の目的はもつばらわが国およ 国が希望するということであった。旧安保条約では、日本が び極東の平和と安全を維持することにあるから、米軍の駐留 武装解除されて平和条約の効力発生時に固有の自衛権を行使 は憲法に適合こそすれ、その違憲無効が「一見極めて明白」 する有効な手段を持たないことがその理由として掲げられて とは到底認められない。 いた。最高裁も上記②において旧安保条約の性格を論じるに 最高裁が「必要な自衛のための措置」に言及したのは、上 あたり、このことを確認している。それ故、日本が自らの武 記①の判決の一般論を示した部分においてである。ここで最 力を用いてアメリカに対する武力攻撃を阻止するという意味 高裁が述べているのは、憲法九条は「わが国が主権国として での集団的自衛権の行使が旧安保条約において想定されてい 持っ固有の自衛権」 ( を否定するものではなく「「憲法の平和 たとか、最高裁が砂川判決において集団的自衛権の行使を容 主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない」という したとかいうことには、いずれも根拠がないといわなけれ こと、したがって、わが国は自国の平和と安全を維持するた ばならない。 めに「必要な自衛のための措置」を執りうるということ、そ して、そのような措置は国連安全保障理事会等の執る軍事的
193 野坂泰可 憲法は変わったのか 〈憲法の解 . 釈〉と〈憲 ~ 法の変化〉 これは、国際情勢を直視する限り従来の憲法解釈を維持す はじめに ることはできないのであって、それを変更することが責任あ る政治家としてなすべきことであるという趣旨を述べたもの 一一〇一五年九月一九日未明、安全保障関連法案は、参議院 であろう。まさに二〇一四年七月一日の閣議決定 ( 以下「七・ 本会議において可決成立し、本年三月二九日施行された。し 一閣議決定」という ) は、このような考え方に基づいて、憲法 かし、これですべてが終わったわけではない。国会審議を通 九条の下で集団的自衛権の行使は許されないという、歴代内 じて明らかにされた法案の問題点は全く解消されないまま残 閣が長年にわたり維持してきた憲法解釈を変更するものであ されている。議論はまだ尽くされていない。議論のステージ った。日本を取り巻く安全保障環境が根本的に変容した今日、 が変わるだけである。 今般の安保法制をめぐる国会審議の過程で、安倍晋三首相国民を守るために、「これまでの憲法解釈のままでは必ずし も十分な対応ができないおそれがある」から、適切な解釈を は、「国際情勢に目をつぶって従来の憲法解釈に固執するの 検討した結果、従来禁止されてきた集団的自衛権の行使も、わ は政治家としての責任の放棄である」との発言を行った ( 二 が国が執りうる自衛のための措置として、「憲法上許容され 〇一五年六月一八日衆議院予算責会集中審議 ) 。 のさか・やすじ学習院大学法科大 学院教授。憲法学。著書に「憲法基本篳蜘珖 3 判例を読み直す』 ( 有斐閣 ) 、「新解説 世界憲法集」 ( 共著、三省堂 ) など。 世界 SEKAI 2 0 16. 8
になること等によって生ずるであろう生命・身体等の危険に ができないと訴え、ホルムズ海峡が機雷封鎖されて石油の輸 入が途絶えたらどうするのかと迫った安倍首相の言説からす対する現在の脅威や不安を含むものである。 れば、ことの善し悪しは別として、被告国に、これら処分を 国家賠償法一条一項は、国の公権力の行使に当たる公務員 が、その職務を行うについて、故意または過失によって違法 行う蓋然性を否定する資格はあるまい ③の「重大な損害」要件については、いったん集団的自衛 に他人に損害を加えたときは、国がこれを賠償する責任を負 うと規定する。公務員の不法行為の責任は国が負うという規 権の行使等がなされて、日本が戦争当事国となり、またはそ の危険に陥ったときは、もはや完全に手遅れであり、処分が 定である。 なされることによる「重大な損害を生ずるおそれ」の存在は 本件の場合、安保法制法の制定に関する行為の中心的なも 明らかであろう。また④は、①について述べたように本件処 のは、内閣の行為として、従来確立されていた政府自身の憲 分が原告ら本人に向けられた処分である以上肯定されるもの 法九条の解釈を覆して集団的自衛権の行使等を認めることと であり、原告らの平和的生存権・人格権等の法律上の利益が した一一〇一四年七月一日の閣議決定、新安保法制法案を作成 侵害されることは、これまた明らかであろう。 して国会に提出することを決定した二〇一五年五月一四日の そして、⑤の処分の違法性とは、集団的自衛権の行使の違閣議決定と翌日の国会提出、そして国会の行為として、同年 憲性、他国軍隊の武力行使と一・体化する後方支援活動・協力 七月一六日衆議院、九月一九日参議院の採決により可決した 支援活動の実施の違憲性そのものである。 とされる立法行為である。これらの内閣構成員及び国会議員 の行為によって、原告らは右のような精神的苦痛を受け、損 国賠訴訟の構成と内容 の 害を被ったものである。 私◆権利侵害による損害の賠償 その制定行為は違憲であるから違法行為であり、違法に原 原告らは、新安保法制法の制定によって、前述のように平告らの前記権利を侵害して損害を与えたことになる。そして 害 侵和的生存権、人格権そして憲法改正・決定権を侵害されて、 これら内閣構成員や国会議員は、新安保法制法が憲法九条に 法 深刻な精神的苦痛を与えられている。その精神的苦痛は、新違反するものであることを、当然に知り、または少なくとも 制 知るべきであった。圧倒的多数の憲法学者や歴代元内閣法制 保安保法制法の制定自体によってすでに発生しているものであ 新るが、将来の集団的自衛権の行使等により日本が戦争当事国局長官や元最高裁長官を含む複数の最高裁判事経験者らが、
あること、などである。 戦争体験や、憲法九条に支えられた人生と人格それ自体の価 値を、真っ向から否定するものである。 これらについて私たちは、おおむね次のように考えている。 さらに、日本が戦争等にかかわることによって武力攻撃や ①の処分性というのは、一般に、総理大臣や防衛大臣など テロ攻撃を受ける危険は、原告らの直接的な生命・身体・財 の行政庁が行う行為が、国民の権利義務の範囲を形成したり 世産等の人格権侵害の危険である。このような危険も新安保法確定したりするものをいうとされているが、本件では、集団 制法の制定・施行によってもたらされたものであり、この権的自衛権の行使、後方支援活動の実施及び協力支援活動の実 利侵害も原告らの社会的立場や居住地域などによって差はあ 施が、前記のように原告らの平和的生存権や人格権や憲法改 っても、基本的に共通するものである。 正・決定権を侵害し、その侵害された状態を原告らに強制す 憲法改正・決定権については、新安保法制法の制定自体に るものであるから、原告ら本人に対する処分 ( 公権力の行使 ) よって原告らの憲法の条項と内容を決定する権利を侵害され であると考えた。他国の戦争への介入や加担により日本が戦 たのであるが、新安保法制法の実施として集団的自衛権の行争当事国になることまたはその危険は、原告らの平和憲法に 使や後方支援活動等が実際に行われた場合には、その侵害さ 支えられた人生や人格そのものを否定し、苦しめ、身の危険 注 4 にさらすものだからである。 れた状態が既成事実となって回復し難いものになってしまう。 ◆行政訴訟としての差止めの訴え ②については、たとえば集団的自衛権の行使についてみれ このような形で国民・市民の権利を侵害する国の行為の差 ば、密接な関係にある他国への武力攻撃によって「我が国の 止めを裁判所に求める場合、行政訴訟という類型の訴訟によ存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根 注 3 るべきだというのが、今の最高裁判所の判例である。そして 底から覆される明白な危険がある場合」などの処分発動要件 行政事件訴訟法 ( 三七条の四 ) が定める差止めの訴えには、い は、全て評価を伴うあいまいな概念で構成されており、政府 くつかの要件に当てはまることが求められている。主な要件国会答弁で繰り返されたように、結局は「政府の総合判断」 としては、①行政庁の行為が「処分」であること、②一定の によるから、政府の国際情勢判断一つでいつ行使されるか分 処分がなされる蓋然性があること、③処分がなされると国民 からない。米艦で紛争国から逃れようとしている母と子のバ に重大な損害を生ずるおそれがあること、④処分の差止めを ネルを示し、これは机上の空論ではない、米艦が日本の近海 求める法律上の利益 ( ロ適格 ) があること、⑤処分が違法で で攻撃を受けても今の憲法解釈では自衛隊がこれを守ること
8 0 8 しながらもその議事録は残していないという。朝日新聞二〇一六年四 月六日付朝刊参照。 ( 3 ) その意味で、藤田宙靖「覚え書きーー集団的自衛権の行使容認を 巡る違憲論議について」自治研究九一一巻一一号 ( 二〇一六年 ) 一六頁以 下が、安倍内閣による憲法解釈の変更の意味をまず理論的に正確に捉 界 世 えた上で検討を進めるべきであると説くことに同調する。ただし、同 論文のように、今回の憲法解釈の変更の意味を「理論的には旧解釈の 否定ではなく一部修正」と捉えてよいかどうかは疑問である。やはり 今回の憲法解釈の変更の本質は「旧解釈を新解釈で置き換える」とこ ろにあり、その新解釈を正当化するために旧解釈の基本的枠組みを利 用しているにすぎないのではなかろうか。 ( 4 ) 代表的な見解として、伊藤正己『憲法〔第三版〕』 ( 弘文堂、一九 九五年 ) 八八 5 八九頁参照。 ( 5 ) 藤田・前出 ( 3 ) は「議論の出発点に置かれなければならない法 解釈論上の『公理』」を三つ挙げている。筆者はそのいずれにも特に 異論はなく、以下の行論もそれを踏まえているつもりであるが、おそ らく憲法解釈方法論については立場を異にするものとなろう。 ( 6 ) 以下の私見については、さしあたり、野坂泰司「憲法解釈の理論 と課題」公法研究六六号 ( 二〇〇四年 ) 一頁以下を参照されたい。 ( 7 ) 審議の全容については、清水伸編『逐条日本国憲法審議録〔増訂 版〕 (ll) 』 ( 原書房、一九七六年 ) 四 5 一二三頁参照。 ( 8 ) 高橋和之「立憲主義は政府による憲法解釈変更を禁止する」奥平 康弘山口二郎編『集団的自衛権の何が問題か』 ( 岩波書店、二〇一 四年 ) 一九一一頁も、「九条に関する制憲者の解釈として、①自衛権を 放棄したものではないこと、②自衛権の発動としての戦争と交戦権は 放棄したこと、少なくともこの二点はルールとして確定したと考えね ばならない」という。 ( 9 ) 政府の憲法解釈については、阪田雅裕編『政府の憲法解釈』 ( 有 斐閣、二〇一三年 ) の解説が有益である。 ( 間 ) もちろん、戦力に至らざる実力とは何か、また、その限界如が 問題となる。理論上は「戦力」と「実力 , を区別しうるとしても、実 際上その区別は微妙である。しかし、このように自衛隊を「戦力」で はなく、自衛のための必要最小限度の「実力」として位置づけたこと が自衛隊の活動を不用意に拡大しないよう抑制する効果をもったこと は否めないであろう。 ( Ⅱ ) 奥平日山口編・前出注 ( 8 ) 、長谷部恭男杉田敦編『安保法制 の何が問題か』 ( 岩波書店、一一〇一五年 ) 、長谷部恭男編『検証・安保 法案』 ( 有斐閣、一一〇一五年 ) 、木村草太『集団的自衛権はなぜ違憲な のか』 ( 晶文社、二〇一五年 ) 等枚挙に遑ない。 ) この点については、小西洋之『私たちの平和憲法と解釈改憲のか らくり』 ( 八月書館、二〇一五年 ) 三一 5 四四頁が詳しい。 ( ) 「このこと自体で我が国が集団的自衛権を行使して米国を防衛す るということに言及したものだとは考えておりません」二〇〇三年六月 一一日参議院武力攻撃事態対処特別委員会、泉信也外務省条約局長答弁。 ( Ⅱ ) 一九六〇年六月に発効した改定後の新安保条約も、憲法九条の下 でわが国は個別的自衛権の行使しか許されていないという憲法解釈を 前提とするが故に、「共通の危険」に対する日米両国の共同対処を 「日本国の施政の下にある領域における」武力攻撃の場合に限定して いる ( 同条約五条参照 ) 。 ( ) 清水編・前出注 ( 7 ) 四八一 5 五四五頁参照。 ( ) もちろん、同性婚を合法的な婚姻の一形態として承認する場合、 その趣旨をより明確にするために憲法の規定を改正するということは 選択肢の一つとしてありうる。しかし、現行の二四条のままでも解釈 上同性婚を容認することは可能だということである。 ) この点については、阪田・前出注 ( 9 ) 八九 5 一〇四頁参照。 ( ) 柳澤協二『新安保法制は日本をどこに導くか』 ( かもがわ出版、 二〇一五年 ) 三七 5 三八頁参照。
間、日本は、一人も戦争で殺し、殺されることなく、国際社 審理が並行して進むことになる。国賠訴訟の第一回裁判期日 は九月二日に予定されており、差止訴訟の方の第一回は本稿会でも平和国家としての信頼を築いてきた。ところが新安保 執筆の時点 ( 六月二三日 ) で未定であるが、九月末ないし一〇法制法は、集団的自衛権の行使はもちろん、重要影響事態法 の後方支援活動及び国際平和支援法の協力支援活動の拡大等 月頃が見込まれる。 世 によって、他国の戦争に参加したり他国の武力行使と一体化 また本件訴訟のほかに、現在までに全国で、福島地裁いわ することにより、日本が戦争の当事国となる機会と危険を大 き支部、高知地裁、大阪地裁、長崎地裁、岡山地裁、さいた きく拡大した。これは、日本が再び戦争加害者になると同時 ま地裁に同様の提訴がなされており、八月頃までにはさらに に、日本の領域や日本人が敵国や敵対勢力から武力攻撃を受 七、八件の提訴が続く見込みである。 け、テロの標的にされることも、私たちが覚悟しなければな なお、この訴訟の概要、集団的自衛権の行使や後方支援活 動等の違憲性、これらによって原告らが侵害される権利の性らないことを意味する。新安保法制が「戦争法」と呼ばれる ゆえんである。 質等については、本誌七月号に田村洋三弁護士の論稿「新安 今回の訴訟は、右のような集団的自衛権の行使及び後方支 保法制法は違憲である」があるので、重なる部分は必要最小 限とし、本稿ではこれら訴訟の法的構成を中心に、本件訴訟援活動等の実施による原告らの権利の侵害の救済を求めたも のである。なお、新安保法制法には、 A-EO における駆け付 がめざすものを提示しておきたい。また、関係法律の正式名 け警護等の新しい危険な任務の追加及び武器使用の拡大の問 称は自衛隊法以外はいずれも長いので訴状で用いた略称で表 示することとし、平和安全法制整備法 ( 自衛隊法など一〇件の法題や、自衛隊による米軍等他国軍隊の武器等防護の規定の新 設など、ほかにも憲法違反の問題が存在するが、今回の提訴 律の改正法 ) 及び国際平和支援法 ( 新規立法 ) をあわせて、以下 では対象としておらず、他日を期することとする。 「新安保法制法」と略称する。 もう一つお断りしておくが、本稿では、新安保法制法の違 新安保法制法による原告らの権利の侵害 憲性自体については所与の前提として、次の点だけを、問題 ◆原告らの訴え の核心として指摘しておきたい。すなわち、憲法九条の下で、 まず、原告らの訴え、すなわち新安保法制法による原告ら これまで日本政府も最低限の制約として集団的自衛権の行使 の権利侵害の具体的内容を紹介する。それは、今回の訴訟の と海外派兵は禁止されるとし、その枠組によって戦後七〇年
8 ると考えるべきであると判断するに至った」というのである。 主義の破壊であるとする批判が多く聞かれた。たしかに、 ここには二つの問題を指摘することができる。一つは、日 の間の安倍政権の振る舞いはあまりにも強引である。憲法解 本の安全保障にとって集団的自衛権の行使は本当に必要なの 釈の変更に際して内閣法制局による憲法審査も碌に行われて かということである。これは安全保障政策の問題である。も いなかったことが明らかとなっている。しかし、この閣議決 世う一つは、集団的自衛権の行使は憲法九条に違反するのでは定は、少なくとも表面上は、国際情勢の変化に適切に対応す ないかということである。これは憲法解釈の問題である。こ るために憲法を守らなくてよいと述べているわけではない。 の両者は密接に関連するものの、厳密に区別して論じなけれ従来の解釈を変更しても依然として憲法の許容する範囲にと ばならない。 どまっていると主張しているのである。まずは、そのような たしかに安全保障は国の存立にかかわる重大な問題であり、 主張として受け止めた上でこれに丁寧に反駁することが必要 ( 3 ) ではなかろうか。 国際情勢の変化に即応して有効かっ適切な安全保障政策を検 討し実施することは政府の重要な責務である。しかし、 第二に、安倍内閣による集団的自衛権の行使を容認する憲 に望ましい政策であっても、それが憲法の許容しないもので法解釈の変更に対しては、これを「解釈改憲」を行ったもの あれば、政府がその政策を実行に移すことは許されない。違 として批判する論調も目につく。しかし、この批判にはいさ 憲の指摘に対して当該政策の必要性を力説してみても、それ さか腑に落ちないところがある。「改憲」とは憲法を改める、 は筋違いというものであり、有効な反論とはならない。 つまりその内容を変更することを意味するはずである。した がって、七・一閣議決定によって容認された集団的自衛権の がって、「解釈改憲」とは解釈によって憲法を変更すること 行使が違憲であれば、集団的自衛権の行使を想定した安保法 を意味するであろう。だが、それは一体どういうことなのか。 制も、その限りにおいて違憲たるを免れないことになる。 解釈によって憲法改正と同じ結果を実現するということか。 安保法制の憲法適合性は国会審議の過程でも繰り返し取り はたしてそのようなことが可能なのか。安倍内閣による憲法 上げられ、論議された。また、国会の外においても多くの論解釈の変更を不当であると嘆じるのは分かるが、「改憲」に 者がこの問題について発言し、憲法論議が盛んになったこと ついてはもっと厳密に論じる必要があるのではないか。 は事実である。しかし、結果として議論は深まったであろう 第三に、安倍内閣による憲法解釈の変更に対する批判の中 か。残念ながら答えは「否」である。幾つか気になる点がある。 には、国際情勢の変化を理由に従来の確立した憲法解釈を 第一に、七・一閣議決定については、これを、端的に立憲軽々に変更することは許されないというものがある。たしか ( 2 )
〔 3 〕と〔 4 〕は多分に問題含みの法律であったが、時限立 安倍内閣による憲法解釈の変更については、これを「解釈 法であったから、間もなく役目を終えて失効した。ところが、 改憲」として批判する声があとを絶たない。「解釈改憲」と は何であろうか。その使われ方を見ていると、この言葉は、 安倍内閣は、特措法によるその都度の対応では急の間に合わ ないとして、〔 3 〕〔 4 〕の下で行ってきたような活動を常時憲法典の規定自体には変更を加えないまま、解釈によりその 世行えるようにするため、恒久法たる新法を提案し、これが成意味内容を実質的に変更することを指しているようである。 立するに至った。この法律は国際平和支援法と略称されてい しかし、憲法解釈は具体的な状況における憲法の意味を明ら るが、正式名称は「国際平和共同対処事態に際して我が国が かにする作業であるから、具体的状況が変わればそれに応じ て憲法の意味が実質的に変化していくのは当然のことである。 実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法 律」という。「国際平和支援」に反対する人はいないであろ この変化が」 伽憲者の意図Ⅱ当の規定の趣旨・目的に沿った、 う。しかし、その実態は、外国軍隊に対する協力支援活動で その枠内の変化である限り、それはいわば法の特性として織 ある。〔 3 〕〔 4 〕の下での自衛隊の後方支援活動について指 り込み済みのことであって、ことさら問題とするには当たら 摘された憲法上の問題点はここでは全く顧慮されていない。 。これを「改憲」と捉えたり「解釈改憲」と呼んだりす この新法もまた憲法九条との整合性に大きな疑問符がつくも ることは不適切である。問題となるのは、当該規定の趣旨・ のとなっている。 目的に反する意味の変更を「解釈」の名の下に主張する場合 である。安倍内閣が行った憲法解釈の変更は明らかに憲法九 憲法は変わったのかー結びに代えて 条の規定の趣旨・目的に反する不当なものである。では、そ れは「解釈改憲」なのか。 安倍内閣は、歴代政府が新たな事態を迎える度に憲法九条 といかに折り合いをつけるかに苦労しながら慎重に積み上げ 第一に、安倍内閣による憲法解釈の変更がそもそも「解 てきたものを一挙に突き崩してしまったといってよい。七・ 釈」として成り立たないものであることが確認されるべきで 一閣議決定で宣言された集団的自衛権の行使容認然り。「非 あろう。それは端的に憲法の誤読ないし曲解である。「解釈 戦闘地域」の見直し然り。武器使用基準の緩和然り。そして、改憲」という批判は、憲法九条の下でも集団的自衛権の行使 これらすべてが安保法制に反映され、この法制は施行される は可能であるという安倍内閣の見解が一つの「解釈」として に至った。では、これによって憲法九条は変わってしまった成り立つかのような誤解を与えかねない。 のであろうか。 第二に、憲法改正の手続を経ない「改憲」がありうるかど