「さて、私は良沢殿にどのようにすればよろしいのですか」 幸左衛門は、良沢の顔をのぞきこむように見つめた。 良沢は、首をかしげた。 「つまり私が申し上げたいのは、良沢殿が当地に来られた目的をおうかがいしたいの です。私は、貴殿のために出来るかぎりのことをして差し上げたいと存じております が、医術修業のためか、それともオランダ語を修得されたいためか」 鷹良沢は、幸左衛門の質問の意味を理解した。常識的に考えて、良沢は藩医の身であ 、藩主から長崎への遊学をゆるされたのは医術修業のためでなければかなわぬはず の であった。吉雄幸左衛門は大通詞であるとともに吉雄流を創設した大医家で、良沢が 冬医術修業のために長崎へきたと思うのも無理はなかった。 「オランダ語修得のため参りました」 おくだいらまさか 良沢は、きつばりとした口調で言った。そして、藩主奥平昌鹿に願い書を出し、正 式に許可を得てきたことを告げた。 「名君の誉たかい藩侯とはうかがっておりましたが : : : 」 幸左衛門は、感嘆したように口をつぐんだ。そして、しばらくすると、 「長崎へも多くの方々が参られるが、オランダ語勉学を目的に来られた方はただの一 ほまれ
かれは、思いきって藩主に長崎遊学を願い出ようと決心した。そして、その日願い 書を書きとめると筆頭藩医に提出した。 「医術修業ではなく、オランダ語をきわめるためと言われるのだな」 筆頭藩医は、書面に眼を落しながら顔をしかめた。 良沢は、不安になった。その願い書が藩主の不快を買って、おとがめをうけるので はないかと思った。 むね 鷹しかし、数日後、藩主昌鹿から長崎遊学を許可する旨の言葉が筆頭藩医を通じてつ たえられた。期限は来年一二月までであったが、意外なことにかなりの遊学費もあたえ の られた。 冬筆頭藩医の言によると、奥平昌鹿は良沢の遊学目的をただちに理解したという。昌 鹿は、洋学に関心をいだいていて、オランダ語修得が西洋医書を読解できることにも なり、結局は西洋医術を研鑽することに通じると解したらしい。そして、その修得に 要する費用も下附してくれたのだ。 良沢は、感激した。藩の財政は苦しく、その中で藩主が多額の金子を支出してくれ たことは良沢に対する好意のあらわれにちがいなかった。 かれは、藩主の期待にそうためにも全力をかたむけてオランダ語をきわめねばなら きんす
良沢は思った。 良沢は、勉学がはかどらぬことに焦慮を感じていた。 吉雄幸左衛門は多忙で会う機会がすくなく、楢林栄左衛門も留守の日が多い。かれ ら通詞は、昼夜当番でかならず出島にある会所に詰めなければならない。また二年前 の明和五年から長崎奉行所は、オランダ商館長に対してオランダ通詞の実力がどの程 鷹度であるかたしかめて報告するよう依頼している。そのため通詞たちは、世襲の通詞 という職をまもるため、時間を惜しんで修業につとめているのだ。 の 良沢は困惑して、栄左衛門から小川悦之進という通詞を紹介してもらい、その家に 冬もかようようになった。ただ悦之進は、会話がきわめてたくみだが読み書きは栄左衛 門よりさらに不得手だという弱点があった。 いつの間にか良沢は、デキショナールに強い関心をいだくようになっていた。楢林 栄左衛門の言によると、それはの順序で配列された一冊の書物になっていると いう。 青木昆陽の「和蘭文字略考」にならって自分も単語を思いつくままに質問してそれ を書きとめているが、そのような方法では無数にある単語を修得するのに多くの歳月 ふえて
もとむねけんぼう ことを知っていた。整骨法は、長崎の医家吉原元棟が拳法を参考に編み出した医術で、 幸左衛門もそれに着目して元棟の教えを乞い、それを吉雄流の外科にくわえていたの である。 えとく 良沢は、西洋医学にくわしくしかも整骨法を会得している幸左衛門こそ藩侯の母君 の治療者として最も適している医家だと思った。ただ異国から渡来した西洋医術を妖 いな じゅっ 術として忌避する傾向が一般的に強かったので、藩侯がその来診を許可するか否かあ 鷹ゃぶまれた。 むね しかし、他に良策もないので良沢は、藩主昌鹿にその旨を申出た。昌鹿は、ただち の に賛成した。かれは進取の気象に富んだ藩侯で、洋学に深い理解をもっていたのだ。 冬良沢は、早速使いを長崎屋に派し、やがて幸左衛門が迎えの駕籠に乗って治療具を たずさえ邸にやってきた。 幸左衛門は、ただちに治療にとりかかった。その方法は、良沢の眼に斬新な方法と して映り、あらためて幸左衛門の医術が並々ならぬものであることを知らされた。 その後、幸左衛門は熱心に治療をつづけ、昌鹿の母君の骨折は快癒した。 治療のたびに立ち会っていた良沢は、幸左衛門と親しく言葉をかわすようになって いた。そして、幸左衛門も良沢が青木昆陽のもとにかよってオランダ語修得につとめ かいゅ ざんしん よう
語を教えこんだ。 つづりじ 元節の進歩はいちじるしく、一カ月ほどの間に、、 o 二十六文字の綴字の法も 修得し、母音子音の配合から発音の法を知るまでに達した。それは、常人が一年も要 してようやく習熟できることで進歩の早さに其馨は驚嘆した。 其馨は、ひそかに玄白のもとにおもむくとそれまでの経過を報告し、 「元節は、異常な才ある男です。私にももはや教えるべきものはありませぬ」 鷹と、言った。 玄白は、思案するように眼を閉じていた。かれは、元節が豊かな才能にめぐまれた の 弟子であることを見抜いてはいたが、オランダ語の修得は到底無理だと思いこんでい 冬た。しかし、其馨の言によると、元節は生れつき語学の才をそなえているらしい。 玄白は、喜びが胸にみちるのを感じた。もしも元節がオランダ語研究者になれば、 天真楼塾の内容は充実し、オランダ流医術はさらに進歩するだろう。自分に欠けたも のが元節によって埋められるかも知れぬ、とかれは思った。 その日、玄白は、元節にオランダ語修得を許可し、出来るかぎりの助力を惜しまぬ とったえたが、 「ただしオランダ語を学ぶことによって医の道をおろそかにしてはならぬ。医の道の
れには得るものがきわめて少いことに失望していた。 「今だから申し上げるが、貴殿がオランダ語修得のため長崎にきた折、その滞在期間 が百日ばかりと申されたのには驚きました。百日ほどでなにも得ることができないこ とはわかりきっていることです。しかし、その間にデキショナールに眼をつけられた ことは、さすがと申し上げたい」 幸左衛門はそこまでいうと言葉をきり、良沢の顔に眼をすえた。 鷹「よろしゅうござるか、良沢殿。百日ばかりの間にオランダ語をきわめるなどという 考えはお捨てなされ。勉学は江戸に帰られてからなさるべきで、当地では勉学の手助 けとなる洋書を手に人れることにつとめられるべきです。オランダ語修得は、一生か 冬かってようやくその一端をつかむことができるものでござります。百日ほどでオラン うんぬん ダ語云々などとは、僭越と申すもの」 幸左衛門の声は不意に荒々しく、その顔には憤りの色さえあらわれていた。 しゅうち 良沢は、全身が凍るような肌寒さを感じると同時にはげしい羞恥を感じた。かれ自 身も百日間でオランダ語を修得するなどとは思っていなかったが、それを幸左衛門に なんきっ 難詰されてみると、あらためて自分の不遜さが恥じられた。 「きついことを口にしてしまいましたが、思うままを申し上げたのでござる。貴殿は、 せんえっ はださむ ふそん
しさ て示唆してくれた。たしかに芸能の中には、人にかえりみられず消滅寸前のものがか なりある。 「人が捨ててかえりみぬもの」とはなにか、かれは医家を志すかぎりそうした医学の 分野に奥深く分け人ってきわめつくしたいと思った。 一般的な学問の修得も終えた良沢は、医学の勉学につとめるようになった。その間、 ひとよぎり 良沢は、伯父の言葉に影響されて、すたれかけている芸能に関心をいだき、一節截の 鷹稽古をはじめた。一節截とは室町中期に中国からったわった縦笛で、尺八に似ている が竹管はまっすぐで短い。素朴な管楽器で、それを吹奏する者は稀になっていた。 の 良沢は、一節截の稽古につとめ、その秘曲をかなでるまでに習熟した。 冬全沢は、そんな良沢を可笑しそうにながめていた。一節截の稽古についやす時間を 医学の修得にあてるべきではあったが、そのような素朴な笛にしがみついて奥義をき けんさん わめようとする甥の態度は、医学研鑽の上にも貴重な力になるとも思ったのだ。 よしますとうどう かっき 良沢は、当時劃期的な病理学説「万病一毒説」を展開していた吉益東洞の医術を信 じ、吉益流医学の修得に熱中した。 そうした良沢の学習ぶりは周囲の者の知るところとなって、宮田全沢の妻梅枝の義 ぶぜんのくになかつはん 兄にあたる医家前野東元の養子としてむかえ人れられた。前野家は豊前国中津藩につ けいこ むろまち そにく まれ
つくし めいわ 「実は明和六年に長崎へ遊学の途次、筑紫の太宰府天満宮に参拝いたしましたが、そ の折社前で一つの祈願をいたしました」 良沢は、枝の枯れ研がれた庭の樹木に眼をむけた。そして、重々しい口調で、 「私は、長崎へオランダ語修得に出かける心がまえとして、神に誓いを立てたのでご けんさん ざる。オランダ語の研鑽を深めることができますようにと祈るとともに、その修得は 決して名をあげるためではない。もしもこの学業を聞達の餌となすところあらば神明 つみ 鷹これを極せよと祈願いたしたのでござる。以上のような理由で、私は翻訳書に名をの せていただくことを御辞退いたしたい」 の と、言った。二人の間に、沈黙がひろがった。 冬玄白は、畳に眼を落し、良沢は庭に眼をむけていた。 「それでは、いかようにお頼みしてもかなわぬことでござりますか」 玄白の言葉に、良沢は、 「神明にそむくことはできませぬ故 : : : 」 と、庭に眼をむけながら答えた。 玄白は、しばらく口をつぐんでいたが、 「とりあえず今日は辞去させていただきますが、淳庵殿らとも相談の上、いずれお願 ながさき ゆえ だざいふてんまんぐう ぶんたっえ
玄白は、さらに言葉をつづけた。 「貴殿も御承知のごとく、源内殿は稀にみるあふれるような才にめぐまれたお方です。 が、その才能が逆に源内殿の欠点にもなっております。源内殿は、多くのものに異常 な好奇心をいだき吸収しようとっとめる。一言にして言えば、あわただしきお人でご ざる。そのような源内殿にとって、はたしてオランダ語修得などという地味なことに じっくり取り組むことができたかどうか。長崎に一年半遊学なされたというが、源内 鷹殿は単語をかきあつめることはしても、修得などはできずに終ったとしか思えませぬ。 根気などというものとは縁のない御性格で、前野良沢殿とは全く対照的な人物だと思 の います」 冬玄白は、よどみない口調で言った。 「そう申されれば、そうかも知れませぬ」 淳庵は、思案するような眼をしてうなずいた。 かれは、人づき合いがよく源内にも畏敬の念をもって接しているようにみえる玄白 が、内心では源内を冷静に観察していたことを知って驚いていた。それは冷淡とも思 えるが、玄白の判断は的を射ているようにも思えた。 はだ 川面を渡ってくる風は冷く、肌が冷えてきた。二人は、しばらく黙っていたが、ど 182 かわも まれ
て感じていた。玄白は、通詞などの助力もなしに翻訳しようと気負い立って言ってい たが、そのような言葉はオランダ語修得の至難なことを知らぬからこそ吐けるものだ と田 5 った。 玄白も淳庵も、腑分けされた刑死者の内部構造とターヘル・アナトミアの解剖図が 完全に一致していることに感嘆し、その興奮から翻訳をしたいと提案したことは疑い の余地がない。つまりかれらは、医家として医学の基本的な解明をはかるために翻訳 鷹の意志をいだいたのだ。 もっ 良沢も、目的はかれらと同じだったが、翻訳のむずかしさを身を以て体験している の ことが、かれらとは異っていた。玄白も淳庵も、江戸に出府するオランダ商館長一行 冬と接触して、西洋の知識を得ようとっとめてきたが、それは、珍奇な見世物にあつま る観衆と同じで、ただ西洋の文物を眼にし、風俗、風習を耳にして感心するにとどま っている。玄白、淳庵にとって、ターヘル・アナトミアもそれに類したものであるは ずだし、ただ医家の最大関心事である人体構造に関するものだけに翻訳を意図したに すぎない。 おおつうじ 玄白に対する不信感が、良沢の胸にきざした。大通詞西善三郎の一言におそれをな してオランダ語修得をあっさり放棄した玄白に、良沢も全く歯の立たぬターヘル・ア 145