技術 - みる会図書館


検索対象: 反・幸福論
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1. 反・幸福論

「技術」はそれ自体が予期できない災いをもたらす可能性をもっている。特に今日のよ うに、やたら次々と新技術を開発する時代にあっては、技術そのものが「想定外」の事 態を生みだすことはいくらでも考えられるでしよう。 今日盛んな技術にしても、果たして連日。ハソコンをいじっていたら人体に甚大な 影響を及ぼすかもしれません。少なくとも精神的にはすでに様々な影響がでてきている ようです。ケータイなどの電磁波によってめまいや疲労が生じる「電磁波過敏症」の子 供は相当な数になります。将来を嘱望される遺伝子操作技術やバイオテクノロジーにし てもそこから何がでてくるか予測不能でしよう。新薬の開発についてはいうまでもあり ません。 にもかかわらず、技術はある「想定」を置かないと開発もできず実用化もできません。 技その「想定」が甘かったかどうかという検討は必要でしようが、大事なことは次のこと 解です。われわれは常にある「想定」の内側で生きている、と同時に、技術そのものが常 に「想定外」を生みだしてしまう、ということなのです。 章 八 この意味で、われわれは、一種のディレンマというか、矛盾のなかで生きているとい 第 うほかない。技術文明のこの矛盾をまずは理解しておかねばなりません。 797

2. 反・幸福論

きれいな野菜を作るのはよいがクローンのトマトはよくない、という理由もありません。 これらは一連の技術文明の流れなのであって、人間もこの歴史的必然性のなかにからめ とられているのです。 だから、今さら、反技術主義を掲げて農耕生活へと退却することはできません。 しかし、ここで実はある大事なことに気がつくのではないでしようか。 そもそも近代技術は、われわれ人間が自然を支配し、自らの手で自らの幸福の条件を 作り出すためのものでした。技術によって、自然の脅威や制約から逃れ、自然を支配し て、理想的な ( イデアルな ) 社会を実現してゆくはずでした。 ところが、今日生じていることは、人は、様々な専門科学と結合した技術が生みだす 明一 文強固な機械的システム ( ハイデガー的にいえば「立て組み〔ゲシュテル〕」 ) の中にから 技めとられているのです。水力発電が一フィンの水を建屋に塞ぎ人れるのと同様に、人も、 この発電・配電・電力供給システムの技術体系にからめとられているのです。われわれ の生活は、この技術の体系に依存し、従属し、その意味で、決して自然を支配などして 八いないのです。 これは原発の場合にはもっとはっきりするでしよう。原発は、核物理学、原子力工学、 279

3. 反・幸福論

はあくまで潜在もしくは伏在するだけでイデアというような理念的本質ではありません。 そして、彫像家は、この伏在するものを彫り出し、明るみにだすだけなのです。 それをまた言い換えれば、この彫像は、自然のなかから生成し発現するということに なるでしよう。彫像家の仕事は、この自然の運動の手助けに過ぎず、その手助けを「テ クネー」というわけです。だから、「テクネーとは、自然を発露させ、うち開かせる 作用で、「技術」というだけではなく、「職人仕事」や「芸術」とも深くかかわった概念 なのです。 だがこの「ギリシャ的な思考」はわれわれ日本人にはむしろなじみやすいことなので はないでしようか。 日本ではかっては自然は「じねん」であり、「おのずからなるもの」でした。ギリシ ヤの発想は、むしろ、日本の「自然 ( じねん ) 」に近い。 じっさい、一流の仏師は、仏を制作するのではなく、木を彫ることで、自ずと現生し てゆく仏を取り出す手助けをしたのです。 また、日本の華道は、西欧のフラワー・アレンジメントが制作者の個性を出そうとす るのとは違い、制作者の個性を殺すことで自ずと「花」が自らを作品として現れ出てく 274

4. 反・幸福論

由を説明するのは難しいのです。 被害の大きさでいえば、今まで原発事故で死んだ人は数名程度です。それならば世界 中で交通事故で死ぬ人ははるかに多い。飛行機事故の死者もはるかに多い。ではどうし て、自動車や飛行機には反対しないのか。電力にしても、火力発電のための石炭採掘で きわめて多数の人が事故死し、水力発電のための黒部ダムエ事でも相当の人が死んでい ます。 つまり、技術文明そのものにわれわれはどうして反対できるのか、ということです。 あるいは、ひとたび技術文明を認めれば、自動的にそれは原発まで行き着いてしまうの ではないか、ということです。どこかに線を引くことのできる決定的な理由は果たして 文あるのでしようか。 技 解今、問われる技術の意味 実は、技術文明そのものを哲学の主題にして思索した人がいます。世紀最大のドイ 八ツの哲学者ハイデガーです。彼は、西欧の哲学史の見直しという大作業のなかで技術の 意味を問い直す、という重要な試みを行った。

5. 反・幸福論

また、産業化は、耕作を動力化し、効率性をもとめる食品産業に仕立てあげる。それは 人間にとって役立っという有用性の狭い領域に押し込められる。 同様に、ライン河がせき止められ、そこにダムを作り、せき止めたところに無理やり 穴をこじ開けて放水し、タービンをまわす。このことは、電気工ネルギーの一連の機械 的な仕立て ( プロセス ) のなかにラインの流れも組み込まれるということなのです。水 力発電所はラインの流れに即して作られたのではなく、ラインの流れが、発電所という 建屋のなかへと塞がれてゆくのです。 近代技術は、物理学という専門科学とともに生まれる。物理学に支えられた近代技術 は自然からエネルギーを取り出すのだが、それは自然に即したものではなく、自然を 文「挑発」するという形で、自然を機械的なプロセスへと組み立て、有用性や効率性へと 技送りだすのです。そして、その究極の延長線上に鉱物 ( ウラニウム ) から作り出された 解原子力というものがでてくる。 ここに現代の「技術」の性格がある。それは、本来の「自然」が内蔵しているものの 八発現を手助けする「テクネー」ではなく、自然に対峙し、それを支配し、それに挑戦す る。物理学が出てきたときに、それと結合した技術が「近代技術 ( テクノロジ↓」と ふさ 277

6. 反・幸福論

第七章畏れとおののきと祈りと 生者と死者の間に / 「意味の空白」 / 恐るべき思想 / 救い難い人たち / 死ねば死ぬだけのこと / 「生」の意味 第八章溶解する技術文明 お気楽な話 / 脱原発は、脱成長路線 / 技術文明との付き合い方 / 今、問われる技術の意味 / 自然を「挑発」する / ハイデガーの警戒と嫌悪 第九章民主党、この「逆立ちした権力欲」 わかりきっていたこと / 権力欲が権力を手にした時 / 知識層の病は深刻 / 暗い末来図 / 裏返された権力欲 / 正義の仮面 あとがき 3 2

7. 反・幸福論

いう専門科学の一変種として、産業化を可能としたのです。 産業化によって、人は物的な富の蓄積を幸福だとみなし、技術によっていくらでも富 を増進できるという技術信仰を生みだしました。これはまた、科学の専門主義への信仰 とも軌を一にしているのです。ハイデガーは、今日 ( 世紀の中葉 ) 、アメリカとソ連 こそがその代表的な国で、このふたつの国は体制は違うけれど、本質は同じだと述べて います。 ハイデガーの警戒と嫌悪 さて、ハイデガーは、あきらかに斤、術の暴走に対して強い警戒〕と 5 、を ていますが、、して時間を逆転させて、前近代の農耕社会へ戻ろうなどというわけでは 。 - み・の ' 之・・ル。「テクネー」から「テクノロジー へと移行したときに、われわれがすで に現代の高度な技術主義に取り込まれているというのは歴史の必然なのです。極端にい えば、プラトンから現代の産業社会までは一直線なのです。 水力発電はよくて原子力発電はだめだ、という特別な理由はありません。自動車はよ いけど飛行機やロケットはよくない、という理由もありません。人工の肥料や殺虫剤で 278

8. 反・幸福論

確かに、それは自然が生み出したものです。しかし、自然が「エネルゲイア」を生み だすとき、主体になっているのは自然の方であって、人間はその自然の生み出す作用を幻 せいぜい助けているに過ぎない。人間の方が主役になって自然の中からカを ( 「エネル ギー」を ) 取り出しているのではないのです。人間は、自然の発現するカ ( エネルギ ー ) の手助けをし、その力によって現実にあるものをそこにあらしめるだけなのです。 これが「テクネー」すなわち「技術」であって、そうだとすると「技術」とは、もと もと自然のもっている力が生み出す運動を人間が手助けすることにほかならない。自然 が現実の物を生みだす働きに寄り添うのが「技術」ということになるでしよう。それは、 決して、人間の幸福のために自然をねじふせ、それを支配する手段ということではなか っ〔。 たとえば、農夫が土地に働きかけそこから収穫を得る、これは決して自然に対立する ことではない。農夫の仕事は、穀物の種をまくことにあり、生育は自然の生長力に任せ る。彼はそれを見守るだけなのです。これは決して大地を「挑発」することではない、 とハイデガーはいいます。 ところが、その大地が石炭や鉱石の採掘に充てられると、その土地は「挑発」される。

9. 反・幸福論

しかしこのディレンマをうまく回避することは不可能です。 ただいえることは、常に「想定外」がありうることを「想定」しておくということぐ らいでしよう。 今回の原発事故が示したことは、ひとたび「想定外」が生じたときの被害があまりに 深刻だ、ということでした。かりに冷却装置をなんとか復旧させるなり新設するなりし て燃料冷却が可能となったとして、それでも一応落ちつくまでに数年、さらには十数年 はかかるのです。 しかも、すでに近隣に飛び散った放射性物質によって汚染された土地は放置するほか ない。人はただそれを傍観しているほかない。ここでは技術が自動運動を始めてしまい、 人はそのプロセスをもはや支配できないのです。 確かに異常な事態というべきでしよう。こうなると天災か人災か、などといってもし りま ようがなく、責任の体がどこにあるのかといっても ) それよりも、問題は、今日の技術が、何かわれわれが使いこなせる限界を超えてしま っているのではないか、という疑いを消し去ることが出来なくなってしまった、という 点にある。今日、近代社会が生み出した技術文明そのものにわれわれは強い不信感をも 798

10. 反・幸福論

土木工学、地震学、防災学、建築学それに経済学などの多種多様な専門家たちの高度な はつろ 共作です。徹底して自然を支配し、そのうちに潜むエネルギーを最大限に発露させよう とした。そのことによって、人間を自然から自立させ、自らの手で富を生み出そうとし ところが、まさにここで人間は、この自動化してしまったシステムにからめとられて しまったのです。建屋の中に巨大な格納容器を作って、そこに放射性物質を閉じ込めた つもりが、どうやらわれわれ自身が、原発システムという巨大な建屋のなかに閉じ込め られたように見えます。人は、決して近代技術の主人になることもなければ、自然を支 配することもできないのです。 ハイデガーは、そこにこそ近代技術の本質がある、といいます。 ともなければその奴隷になることもない。たとえ原 子力エネルギーを うことになるでしようか。断じてそうではない。管理が不可欠という事実そのものが、 とりもなおさず人間の行為の無能を暴露している、とハイデガーは言います。 ( 理想社 版選集第『技術論』の「日本の友に」より )