時代 - みる会図書館


検索対象: 反・幸福論
39件見つかりました。

1. 反・幸福論

だった。特に、貴族社会のなかで周辺部におかれた女性のすぐれた感性が捉えた美感は、 男女の間柄、親子の間柄などの「はかなさ」でした。とりわけ「死」がこれらの間柄の 上にもたらす宿命的な力を前にした「はかなさ」だった。「死」がこの世の「縁」を運 命的に断ち切ってしまうのです。 この平安王朝風の「はかなさ」は、あくまで閉塞的な狭い共同社会において、その周 辺部にあった女性の感受性がとらえたものでした。 ところが、保元・平治の乱の時代になると、武士にとっては「死」は、男女の仲や宮 廷風の恋愛という貴族的生活のなかの理不尽な宿命というより、目の前にある日常の厳 然たる事実となってきます。 「死」という宿命的なものがこの世の「縁」を一気に断ち切ってしまう。それはきわめ て主観的な情緒に彩られ捉えられた「はかなさ」とか「あわれ」ではなく、もっと客観 的なこの世の実相なのです。武士にとっては、まさにそれこそが日常的な生そのもので、 この厳然たる実相に対して与えられたのが「無常ーという一言葉だった、と唐木はいう。 だから、「無常」という感覚は、平安末期の動乱の時代、つまり仏教でいえば「末法」 の時代になって、貴族の時代から武士の時代への変転期にでてくるものだった。この時 へいそく 102

2. 反・幸福論

この世で世俗を楽しみ、金が人った、出世したと喜んでいる。「有」の世界に浮かれて いる。 その意味では「生者」は「死者」に対してどこか後ろめたい気持ちを持つ。と同時に、 「死」の方から見ると、現世で浮かれている自分が罪深く思えてくるでしよう。もっと いえば、生きるということは、この罪深いことを快楽とみなすことにほかならないので す。罪深いことをしながらそれを楽しみ、それを生きがいだなどという「生」はかくて たいへんに空しいものというほかない。 しかしそう考えるには、まずそのことを「罪」だと思わなければなりません。「生」 を「罪」と思い、自分を罪深いものと思わねばなりません。だけどこれは普通のものに はきわめて難しいことなのです。なかなかそうは思えません。だからこそ、自分をまっ たく救いがたいほどに罪深い人間だと思う「極悪人ーこそが救われると親鸞は言ったの です。悪人正機とは私にはそういうことだと思われるのです。 しかし、人々が「生」とは「罪深い」ことだと思わざるを得ない時代というものがあ った。それこそが平安末から鎌倉にかけての「末法」の時代だったのです。 この乱世かっ天変地異の時代にはおそらく尋常なやり方では生きてゆくことはできな 792

3. 反・幸福論

昔から私は、この「無用者」あるいは「漂泊者」、「隠遁者」という日本人の生き方が 気になっていました。何が彼らを世捨て人に駆り立てたのか。 たとえば西行を考えてみましよう。よく知られているように、西行は、弓矢にすぐれ た武士の家系に生まれ、平安末期の時代にあって鳥羽院のもとで北面の武士としてもっ とも将来を嘱望された人物であり、武芸や学術の能力においてきわだった人物でした。 ところが彼はかぞえ歳の時にいきなり出家します。泣いてすがる 4 歳になる娘を縁 けお の下に蹴落としての出家でした。 西行に典型的に示される出家は、少し形が違いますが、いうまでもなく、吉田兼好、 かものちょうめい 鴨長明などの隠遁者へと続き、これも少し形は違いますが、法然、 、ら一遍へと 続く念仏者の系譜を生みます。長明が編集した『発心集』は、出家、隠遁の勧めのよう な本です。江戸時代になっ一」 ( 肌叫 ( 〕を旛し・窈自尾いが。 この時代の出家は、決して寺にこもって世間から隔絶されるわけではありません。 くの場合、西行や一遍が典型ですが、定住地をもたず、漂泊の旅にでて、念仏を唱えた り、歌を詠んたりして、世間との交渉を保っています。にもかかわらず、たとえば西行 さいぎよう しんらん けんこう 100

4. 反・幸福論

幸 の 中 これから何回かにわたって「幸福」について考えてみたいと思います。どういうわけ の か、今日の日本では ( そしてアメリカでも ) 「幸福論」が大はやりです。だいたい「幸 熱福論」がはやるというのは、多くの人が何か不幸だと感じているからでしよう。その意 味では、この時代は決して良い時代とはいえません。 授 しかし、戦後日本をざっと振り返ってみても、明らかに、社会は豊かになり、人々は はんらん 自由になり、権利の幅は広がり、ケータイなど便利なものは氾濫し、幼児死亡率は低下 ン サ し、衛生状態はよくなっています。しかしそうなればなるほど、幸福論が求められると 一いうのはどういうことでしようか。幸福になろうとすればするほど、どうやら不幸にな ってしまうという「法則」にわれわれも捉えられてしまっているようにもみえます。ど 第一章サンデル教授「白熱教室」の中の幸せ

5. 反・幸福論

なって放置された場所はいくらでもあるのです。だからこそこういう自省の念もわきあ がってくるのです。 尖閣を守れというなら、古賀村が放棄されて以降、どうしてだれもこの島に関心をも たなかったのか。じっさい、「実効支配」しようともしていないのです。漁業基地か自 衛隊の演習基地でも作っておればともかく、沖縄以南の衛はもつばら米軍に任せつ。 ロ ~ カ命権を主張しだして初めて、尖閣は日本の領土だ 件なしにしてきたのが のということになったので 幸実効支配とは、その場所を必要とするということであり、本来は、そこに住んでそれ なりの愛着をもつ、ということです。日本だって、江戸時代前の国取り合戦の時代には、 る 実際にある場所に人が住んでいなければ、すぐに他国に取られてしまったわけでしよう。 をだから、メドベージェフは、わざわざ国後島まで住民にハツ。ハをかけに行ったのでしょ 義 のつ。 国 章 第 「義を守る」 ところで、最後に述べておきますが、私は、だから尖閣を中国に与えてもよい、など

6. 反・幸福論

幸 しかし、末法といえば、今日もまた末法なのではないでしようか。 い ーヾル化する世界のなかで我利を 信じるにたる理想も思想も価値も失われ、ただグロ カこほどでてくる 時代は、・・、末法と・いえば末法なの・です。何やらやたら楽しげで騒々しく、しかも表面的に 四は繁栄のきわみにある末法なのです。末法とは、煎じつめれば、人々が頼るべき確かな礦 価値が見失われ、人生に対してうまく意味づけることができなくなった状態です。 があったということでしよう。 生きていること自体がどこか「罪」を生み出すものだ、という考えは、表面的にいえ ばわれわれ現代人にはまったく理解できないように見えます。そんなマイナス思考は、 せいぜい仏教的な厭世感がもたらした末法思想のなせるわざで、現世の幸福を肯定する ところから人生は始まる、というのがわれわれの思考でしよう。 確かに、厭離穢土という考えはとりわけ浄土系の仏教に特徴的ではあります。この世 は弱肉強食、陰謀渦巻き、世情不安、人心は変転する、という時代でした。末法なので す。 えんりえど

7. 反・幸福論

うような感覚がありました。 これも、高度成長のただなかにあった学生のいい気な自己満足といえばその通りです。 % しかし、少し大げさにいえば、貧しくて不幸であることこそが人間存在の本来のありよ うだ、という了解があったのです。不幸の中にいなければ、そもそも幸せなどわかりま せん。人間の存在そのものがどこか哀しみを帯びている、ということです。 もうひとつ、こちらは超有名曲ですが、かぐや姫の「神田川」。例の同棲している男 女が風呂屋にいって「小さな石鹸、カタカタ鳴った」という歌です。この歌に「何も怖 あなた くなかった。ただ貴方のやさしさが怖かった」というフレーズがあります。このささや かな幸せもやがて壊れてしまうという予感があったのです。 私には、今という時代は、あまりに「暗さ」や「哀しさ」を忘れた時代のように思わ れます。いや、忘れた、というよりも、「暗さ」や「哀しさ」をあたかも悪であるかの ように無理に排除しようとしているように見えるのです。対照的に「明るさ」「元気さ」 が過剰に求められているようにも見えるのです。「暗さ」や「哀しさ」は不幸そのもの であり、不幸であることは悪いことだ、そして人は明るく元気でなければならない、と でもいうように。 せつけん

8. 反・幸福論

こういう風潮には前から違和感がありました。そもそも人間には喜怒哀楽があります。 このなかで一番長く残るのが「哀」です。だから、「哀」というものを基調にすえない と人間の生などというものはどこか奇麗ごとになってしまう、という気分が強いのです。 そして、いわゆる日本的精神というものは、大方、この「哀」を軸にして展開してきた といってもよいでしよう。 こういう次第で、「幸福論」というものには私はあまり関心がありません。しかしま た「不幸論」を書くほど「不幸」な人生を歩んできたとも思えません。そこで、いくぶ んかは時代の風潮への批判的まなざしをこめて「反・幸福論」を書いてみたいと思った のです。「幸福ーでなければならない、というこの時代の精神に多少はあらがってみた かったわけです。 本書は雑誌「新潮菊」に連載されたものです。ところが、この連載中に東日本大震災 が起きました。一瞬のうちに、とてつもない人命が失われました。「哀」などでは済ま きない悲惨な状況が出現したのです。この災害は、改めて、日本人の「幸福観」に大きな 影響を与えたと思います。いや、そうであるはずなのです。人の生がとんでもない「不 あ 幸」と隣り合わせだ、という意識を誰もが持たざるを得なくなりました。とてつもない

9. 反・幸福論

という穢土を反照して浮かび上がらせる装置のようなものでしよう。それは実在するも のではないのです。 平安末期とは、諸悪が横行し天災が続いた末法の時代でした。たとえば源信の『往生 要集』が描き出すようなおぞましさに人々が恐怖していた時代でした。『往生要集』は、 地獄絵を使って、現世での悪と罪を人々に自覚させる教材だったのです。極楽浄土は、 汚れた現世を反照する鏡のようなものといってよいでしよう。 この現実を前にして、》・。いぐら偉くても学者 0 理屈・や知識人の学識など何の意ももた なか ? た。それどころか、理屈をこねたり、さかしらに物事を知った気になるほうがも 祈っと罪深いことだった。だが智者というものは、昔も今も容易にはその罪を自覚できな きいものです。 のそれよりも現実の生をただ生きている「一文不知の愚鈍の身」の方がはるかに罪を自 」覚できる。なぜなら、人々が生きることに精いつばいの乱世では、生きるということ自 畏 体が罪深いことで、殺傷をし、ものを盗み、人をだまし、身を売り、といったことの連 七続だったからです。 とすれば、ヘタに学問や知識など身につけない愚鈍のともがらの方がかえって阿弥陀 えど 783

10. 反・幸福論

私には、それは広い意味でコ陬〕 ' ・ど・い・う間題だと巴われますづ 広い意味での「宗教 的なるもの」です。ゴ」と「死」カ重なのみ。プ、 - てしま 0 たなかで「生」、の意味が失わ れてしまうという時、人は「宗教的なるもの」に触れを瞬間をもつのではないてしよう ゝ 0 今回の地震についての報道をもつばらテレビで見ていて、私がどうしても何か欠落し 、 2 ているとい 0 たのはこの物ー。とい 0 てよい。それは、深いところにある絶 望から立ち上ってくるような祈り、虚無感と一体となった哀感、何かに対する畏れ、と いったものなクでナ。 ' ' 何・が・そテい阜 , 心月がなかなか見・ない 恐るべき思想 ここでふと思うのは、あの平安末期から鎌倉時代へ移り行く時代状況です。当時は、 平安の王朝的で貴族的な文化や社会が壊れてゆき、武士の台ど上可上窈黜つ になる。 ていっ命を奪われるカわカら 保元・平治の乱ののち平家の天下になるものの、年もすれば平家の支配が傾き源平 合戦へと向かう。 776