見上げてごらん夜の星を - みる会図書館


検索対象: 大往生
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1. 大往生

中村八大さんは軍国少年の中で大きくなったら作曲家と言って、教官に叱られている。 同世代で二人とも一月二十日生まれ。 お互いのメロディを意識しあっていたが、例えば坂本九の場合、「上を向いて歩こう」 ( 中村八大作曲 ) でスターになるが「見上げてごらん夜の星を」 ( いずみたく作曲 ) を好んで 歌っていた。コンサートでいえば、「上を向いて歩こう」で幕をあけるが、その幕が降り る時は「見上げてごらん夜の星を」だった。 作詞をした僕には二人に気を遣う複雑な想いがあって、これが作詞をやめる理由のひと つになった。僕だけでなく、一一人に詞を提供した岩谷時子さん、青島幸男さん、山上路夫 さんたちも同じ思いだったと思う。 チンタオ ドイツの植民地だった青島で生まれ育ち、クラシックからジャズのトップピアニストに なった中村八大さん。 左翼演劇から組合活動、そして歌声運動を経てきた下町ッ子のいずみたくサン。 その基礎になる音楽の背景は対照的だったが、晩年はお互いの健康を心配しあっていた 仲良しだった。 八大さんはメロディを優先するので僕の詞はしばしばズタズタになり、原形をとどめな

2. 大往生

Ⅳ仲間 先輩であり、同時にのスターだったピアニストの中村八大さん。 そして、冗談工房のスタッフとして野坂昭如、桜井順、神津善行といった仲間の一人、 いずみたくさん。 そこでは僕が社長でもあった。 この関係は作詞作曲の仕事の上でも対照的に現われた。中村八大さんは曲を優先するた めに、僕の詞をズタズタにすることが多く、いずみたくさんは詞を優先することを徹底し てくれた。 そんな仕事の中でヒット曲が生まれる。 上を向いて歩こう 遠くへ行きたい こんにちは赤ちゃん おさななじみ 夢で逢いましよう などなどが中村八大さん。 見上げてごらん夜の星を 119

3. 大往生

Ⅳ仲間 「いずみさん、今朝、鹿児島から帰りました。 桜島は燃えていました。「君は燃えているか」。シリーズ・「にほんのうた」の鹿児島の歌 でした。 あなたは沢山の旅をしました。 あなたは沢山の作曲をしました。 あなたは沢山の舞台を作りました。 あなたは沢山のタレントを育てました。 あなたは沢山の酒をのみました。 あなたは沢山の結婚をしました。 そして、たくチャン、仕事を残しました。 僕はあきれていました。 いずみさんと僕の仕事はいつも最初で最後でした。三十五年前、二人で組んだ初めての ラジオドラマ「、つつかり夫人とチャッカリ夫人」、僕は一カ月でやめ、あなたは終わるま で十年間続けました。ミュージカル「見上げてごらん」、僕はこの一作でやめ、あなたは 一生続けました。「小劇場活動」やろうといったのは僕で、やったのはあなたでした。そ 115

4. 大往生

死 本当に足りないんですよ。 解剖の勉強は大切なんですから」 「亡びてゆくならさ、せめて綺麗に消えていきたいね」 ☆水の江滝子さんの「生前葬」は実に美しく楽しい葬儀だった。 「生きている間に、お世話になった方にお礼がしたい」 るという筋が通っていて、感動的だった。 翌日、亡くなった水の江さんに、お疲れさまの電話を入れた。 「あんたも死んでごらんよ。いい気持ちの朝だよ ! 」 「長生きしようってグループがありましてね。会員は年間一万円ずっ払うんです。別に何 もなくて、ただ払い続けるだけ。 ただこの気持ちを実現す

5. 大往生

てその日その日が死との対立である。なにも老人だけがそうなのではないと叱られるかも 知れないが、それはちがう。こっちはもう棺桶に片足つつこんでいるのだ。 私が今までに知り合った人たちの中には、夜、機嫌よく寝たのが夜が明けたら死んでい て、いい往生だななどと半ば羨望を感じるようなのもいるが、そうでなくまるでなぶり殺 しにでもされたような死にかたをした人もいる。私など何時どんな死に方をするのであろ 近頃は、孫たちがやって来たりして、他愛のないことを言ったり聞かされたりして、し ばしの時を過ごすのが楽しみでもある。しかし先のない老人の死についてはいろいろな事 を見聞しているので、その楽しみを自分ながら分析して見ると、或いはひょっとすると此 の子との逢う瀬は、これが最後になるかも知れないと、あらぬ思いが心の中にふとひらめ いたりすることがある。かなしみを底辺としたかりそめの楽しみ。かりそめの喜び。やっ ばり逢うは別れのはじめなのか 私は浄土真宗で育てられて来た。だから子供の時分から御仏前で合掌してお念仏を唱え ていれば、何時死んでも極楽浄土という所へ生まれさせて頂いて、いついっ迄も阿弥陀如 来さまのお膝もとで楽しく暮らすことができるのだと教えられて来たのだが、こっちがだ 188

6. 大往生

I 老い 活力にしている場合もある。 結論として、最後に笑えればそれが幸福というものだろう。 「朝食に何を喰ったかは忘れてもいい。朝食を食べたことを忘れなければそれでいいんで ☆夜、寝る前にその日の朝から食べたものを全部思い出してみる。これは呆け防止にと ても役に立つ、という話を聞いた。ここで読書を中断して、昨日一日、食べたものを 思い出して、先に進めますか ? 「寝るっていうのは、結構エネルギーが必要なんですよ。老人が早起きするのは、そのエ ネルギーがないからです」

7. 大往生

父 若き日の父と語るや夜長かな 九十歳の父の遺志は「源氏物語」の現代語訳だった。仏教学者として仏典と紫式部の思 想を照らしあわせた訳を出版しておかないと、妙な現代語訳ばかりだからと言っていた。 父の遺志を継ぐ教養のないことがとても恥ずかしい。 「お父さんは立派なのに君は : ・ : こという言葉にも慣れている。 その父の句で結ばせていただく。 純白の角封筒や今朝の秋 ちちろ鳴く夜の老妻の老婆心 山茶花や妻をたよりの昨日今日 浅草や酔えば女は足袋を脱ぎ とここまでメモしたら未亡人になりたての母の句も並べたくなった。 157

8. 大往生

「舞台が終わったら報告に来ます ! 」 耳元で叫ぶと、八大さんは黙って僕を見つめた。この春から聴覚が弱っていることは知 っていたので、僕は大声で叫んだのだった。 その夜、モーツアルトホールは八大さん抜きの舞台が進行し、斉藤京子サンが、「芽生 えてそして」 ( 八大作曲 ) を歌っている時に、病院から亡くなったという知らせを受けた。 舞台の後半、僕は落ちついていたつもりだったのに、あきらかに動揺し、異様ですらあっ たとスタッフがいっていた。舞台の最後、客席と出演者に、僕は「ここにいるはずの八大 さんが亡くなった」と告げた。 目の前がほんやりして、幕が降りてきた。 僕が作詞をやめた理由は二人が亡くなった時にしか言えないと思っていたが、意外に早 く、そのチャンスが来てしまったことがとても哀しい。 早稲田の先輩中村八大さん。 三木トリローの冗談工房の仲間、いずみたくさん。 118

9. 大往生

父 故人の遺志でできるだけ質素にという、たったそれだけのことが思うようにいかない。 花環はすべてお断りしたが、断るのはいただくよりずっと辛い応対が続く。葬儀屋さんの プランの中には、白い鳩を飛ばすとか、池をつくって白と黒の鯉を泳がせるとか : : : 他所 で見かけた演出があったが、できるだけ何もしないという線で通した。 ながすみ 亡くなって十日目、父が席亭の「永住亭」 ( 毎月、第一水曜日の夜に開席 ) もいつものよ うに開催するのだからと、その姿勢を示した。遺族の固い拒否がないと、葬儀が派手にシ ヨーアップする傾向にあるのがよくわかった。 父は遺影を飾るのはもとより、法名すらつけないようにと言い残していた。 「十七世釈忠順」という文字だけの、白木の位牌が置かれた。 法名または戒名というのは戒めの名前であって、戒めを守って生きれば本名のままでい いというのである 花環は一つも並ばなかったが盛花が並んだ。この頃は都内の花屋が横に連絡しているの か、同じ型の盛花が並ぶ。こうなると名札の字の上手下手がとても目立つものだ。自分が 花を出す立場になったらせめて自分で小さく名前を書こうと決心する。 書くといえば、父と共著の初めての本は毎日新聞からの「旅・父と子」「街・父と子」 155

10. 大往生

秋山裕一 日本酒 自然科学Ⅲ 小鳥はなぜ歌うのか小西正一 生物進化を考える木村資生孤島の生物たち 野幹雄生命とは何か 岡・鎖目訳 岡田節人 高橋裕からだの設計図 都市と水 栽培植物と農耕の起源中尾佐助 林博神経内科 がんの予防 山田吉彦 小長谷正明ファープル記 ゝポルトマン 林博 がんの治療 人間はどこまで動物カ高木正孝訳 尾山カ 痛みとのたたかい 時実利彦 人間であること 吉川政己スポーツと健康石河利寛 老いと健康 時実利彦 脳の話 柳田友道干潟は生き・ている栗原康 うま味の誕生 よ リ、ビリテーション砂原茂一 藤田恒夫ノ 書腸は考える 星野一正医者と患者と病院と砂原茂一 波医療の倫理 岩 浜田茂幸 現代ウイルス事情畑中正一虫歯は ど、つしてできるか 胃がんと大腸がん榊原宣 神山恵、三 森の不思議 山内逸郎 未熟児 Z << と遺伝情報三浦謹一郎 ポケの原因を探る黒田洋一郎 山内逸郎 新生児 タバコはなぜ 林貞作 宮里勝政ゴマの来た道 やめられないか つくる漁業佐藤重勝 今堀和友サケー 老化とは何か への挑戦 季羽倭文子 がん告知以後 アレルギ 矢田純一 シュレーディンガー (M) ( 1995. 3 )