木村 - みる会図書館


検索対象: 小説すばる 2020年12月号
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1. 小説すばる 2020年12月号

くいのですが、潮が引くと、はっきり見え 「なぜ驚いたんです ? きつけてきて、木村も私もフードをかぶつ 「どうしてそんなことを知っているのだろます。 O 棟が建つ前なら岩場伝いにあそこ うと思ったからです。ョウワが発電所の設まで降りていく道があったのですが、今は 「見えますか ? 木村が腕をのばし、岩場を指さした。冷計、施工に加わったときにはもう、この島それがなくなってしまいました」 しぶき 岩場の上に建った 0 棟が、洞窟への進入 たい飛沫が顔にあたった。岩場にあたる波に日本人の集落があった痕跡はありません でした。西口さんは始め、この南側にある路を潰してしまったようだ。 の飛沫が風で運ばれてくるのだ。 砂浜に集落があったと思いこんでいまし「あそこにはどうやっていくんです ? 」 「何が、です ? 」 木村は岩場の上をずれ、私を手招きした。私がそれを訂正しました。波の打ちあ私は木村に訊ねた。木村は首をふった。 と。彼「いけません。少なくとも地上からは難し た。足もとは海から四、五メートルほど高げる砂浜に住宅を作ることはない、 さのある崖だった。つき落とされても即死はど、つやらおじいさんから、この島のこと 「海からならいけますか ? 」 はしないだろうが、溺死する可能性はあを聞いていたようですー る。 「そのおじいさんのお父さん、ひいおじい 「小型のポートで、波が静かなときなら近 さんが、かってこの島で漁師をしていたよづけるでしよう」 「もっとこっちにきてください うです」 「西口さんにもあれを教えたのですかー 「何があるか、先に説明してください」 私はいった。木村は私の険しい口調に驚私も海鳴りと風に負けないよう、大声で木村は頷いた。 いたのか、目をみひらいた。眼鏡のレンズ告げた。フ 1 ドをかぶっているせいもあ「集落は残っていないけれど、日本人が生 活していた痕跡があの洞窟にあるかもしれ に点々と滴がついている。手でメガホンをり、怒鳴りあうような会話になった。 ないと教えました」 「道理で。ごらんくださいー 作り、木村はいった。 ほらあな 在 沢 「なぜそう思ったのです ? 」 「洞穴です」 木村は再び岩場を指さし、今度はそれに 大 したがった。 「洞穴 ? 」 私たちは岩場から 0 ー棟を回りこん 「西口さんはこの島の地理に詳しい者を捜 0 棟の土台となる岩場が海面と接するとだ。海からの風が建物にさえぎられただけ塔 うらた の していました。浦田くんからそれを聞いたころに、ふたっ、もしかするとみつつの穴でほっとした。フードを脱ぐ。 私が、何を知りたいのかを訊ねたら、島のが口をあけている。 「建設工事が始まる前の、この島を撮った漂 どうくっ 航空写真を見たことがあるんです。 0 棟の 東側に日本人の集落があった筈だというん「洞窟ですかー です。驚きました」 「ええ。今は潮が満ちているのでわかりに建つあたりに、日本家屋らしき建物が何軒

2. 小説すばる 2020年12月号

管理部門かと思ったのですが」 カロフの銃把をつかんだ。 し、木村について訊ねることを考えた。 「建設用地の選定はオロテックの管理部で が、そうすれば、木村が捜査協力を申しで「石上さんですか」 すが、設計については日本人職員が生活す ただけだとしても、その事実が中本に伝わ男がいって、フードを脱いだ ることを想定したものです。ちなみに建物 ってしま、つ。 「木村さんですねー 中本を容疑者から除外できない状況では度の強そうな眼鏡がフードの下から現わの外見は似ていますが、棟の内部は中国 れた。坊主頭にしていて、四十四、五に見人向けの設計で、少し異っています」 避けるべきだった。 興味深い話だが、寒空の下で聞くべきこ 大急ぎで顔を洗い、衣服を着けた。マカえた。 ロフの遊底を引き、薬室に初弾を装填した「そうです。朝からすみません。でも電話ととも思えなかった。 「実は西口さんが 0 棟が建つ、このあたり 上で安全装置をかけた。万一罠だった場じゃ説明が難しくて」 木村はいった。長身で私より上背があのことを私に訊きにこられたのです」 合、すぐに発砲できる。 「どんなことをですか , 部屋をでて、エレベーターで一階に降りる 「こちらへ た。三棟並んでいる中の一番奥が私のいる「何の説明です ? 」 マカロフから手を離さず、私は訊ねた。 木村は港の方向へとのびる地上の道を歩 o- 网棟だ。木村がどの棟からくるのかわ からないので、私は中央の 0 ー网棟の地上木村からは特に敵意のようなものは感じなきだした。すぐに港湾部を囲んだフェンス につきあたる。フェンスに沿って進むと、 かったが、 用心に越したことはない。 出入口の前に立った。 地上にも道はあるが歩く者はいない。百「私が設計部だというのは申しあげたと思道は右の管理棟方向にのびていた。木村は います 反対の左手に足を踏みだした。最も手前に メートルほど離れた正面に港のフェンスが 「はい 見えた。今にも雪が降りだしそうなほど空 ある O ー棟を回りこむように東側に向か 「設計部というのは、発電所の設計や施工う。 は暗い。風はあまりなかった。 中央の 0 ー棟から水色の制服の上に防を管理してまして、建物が本職なんです。「ビーチ」が右前方に見えたが、道はつな 寒着をつけた人物が現われた。フードをす実はこの 0 棟の設計も、私どもが担当しまがっていない。 0 棟の東側は、海からそそ りたっ岩場だった。 つほりとかぶっていて、顔がよく見えなした」 、 0 先を歩いていた木村が足を止めた。 0 棟 話の要旨が見えなかった。 私は防寒着の内側に右手をさしこみ、マ「そうなのですかてつきりオロテックのを回りこんだとたんに激しい風が海から吹 ゅうてい 318

3. 小説すばる 2020年12月号

「私にもわかりません。ですが O 棟が建てになってしまって、どうしたものか迷ってっていたとは思いませんか」 「わかりません。でも入っていたなら、私 いたんですー られた結果、洞窟の存在がわかりにくくな に教えてくれたと思います」 り、アプロ 1 チもできなくなった。何らか木村はうなだれた。 「木村さんがあの洞窟の存在を西口さんに木村は答えた。 の意図があったと考えられませんか」 教えたことを、他に知っている人はいます「日本人の集落になぜそこまでこだわって 木村は考えていた。 いるのか、西口さんは木村さんに話しまし 「エクスペールトなら何か知っているかもか」 しれませんね。ただし訊いても教えてくれ「いえ。ここに西口さんを連れてきたときたか」 は二人きりでしたし、他には話していませ木村は首をふった。 るかと、つか 「だいたい、この島に日本人が住んでいた 私は頷いた。パキ 1 ジンにそれを訊ねるん 「地上からは近づけないと考えた西口さんと知っている人間も少ないんです。若い 場合はタイミングを選ぶべきだろ、つ。 「西口さんはあの洞窟に興味をもっていまが船を手配しようとした可能性はあると思うちの者など、昔からロシア領だったと思 いこんでいるのもいますから。そういう意 いますか」 したか ? 」 「さあ。でも西口さんはロシア語を少し話味では、ひいおじいさんですか、そういう 「ええ。どうやったらいけるかを考えてい ました。あまりに表情が真剣なので、岩場せたようなので、試しはしたかもしれませ先祖がいたからこそだったのでしような」 木村は九十年前の事件については知らな を降りるのは無理だといいました。万一落ん」 いようだ。私たちは O 棟の出入口まで歩い ちて、怪我ならまだしも亡くなりでもした私は考え、いった。 ら、私の責任ですから。でも、あんなこと「亡くなる前に、あの洞窟に西口さんが入ていった。 在 沢 税 大 の 一書楼弔堂帋京極夏彦 ( 砂 時は明治三十年代。移ろいゆく時代の只中で、迷える人々を導く書店「書楼弔堂」。 漂 体 田山花袋、平塚らいてう、乃木希典 : : : 彼らは手に取った本の中に 本 何を見出すのか ? 待望のシリーズ第一一弾。 、集英社の本夘 11 月 25 日発売 京極夏彦を 日、炎昼 あなた 足りぬ部分を埋めるのは、責方様でございます ろ、つ とむらい ど、つ

4. 小説すばる 2020年12月号

か写っていました。ほとんど朽ち果ててい降りられたのだと思います。もしかすると「地上からいく方法はどうです ? 」 ましたが」 「危険すぎます。ピトンなどを打ってロー プで体を支えない限り下降できません。し ようやくふつうの声で木村は答えた。 木村は言葉を切り、瞬きした。 「その写真を私も見られますか ? 「もしかすると ? 」 かも洞窟のま上には O 棟がありますから、 「獲った魚などを保管するイケスなどが作横から回りこんで岩場を降りなければなり 木村は首をふった。 「建設前のこの島の写真はロシア側がすべられていたかもしれません。天然の地形をませんしね。これが南の島なら、飛びこん てもっていて、見せられたのはその一度き利用してイケスを作るのは、古くからおこで泳ぐというやりかたもあるでしようが」 「ロシア側からあの洞窟について何か、聞 りでした。それも島の他の部分は消されてなわれていることですー いて、わからなくしてあり、それ以降島の「そうなのですか」 いたことはありますか」 え。そもそも洞窟があることじた 古い写真を見たことはありません。ひょっ 「ええ。千葉などでは岩場を四角くくり抜「いし いたイケス跡が、よく海岸にあります。大 とすると軍事機密だったのかもしれませ 知っている人間は少ないと思います。 ん」 漁だったときに魚をイケスに放しておき、今みたいに岩場から身をのりださないと見 「軍事機密 ? 不漁に備えたようです。おそらく浸食ででえないわけですから」 きた洞窟でしようが、中でつながって広く 「でも 0 棟の建設用地をこの場所に指定し 訊きかえすと木村は頷いた。 「勝手な想像ですが。昔の写真や地図が一なっている可能性もあります。そうであれたのはロシア側ですよね」 切ロシア側からでてこないからです。ロシば、舟を保管したりもできます。潮が満ち「ええ。島のどこにどんな施設を作るか は、あらかじめロシア側に決められていま ア側は無人島だったからもともと存在しなても、奥のほうまでは上げてこないでしょ 、つ、カ、ら いのだといい張っていましたが、私たちは した」 それを信じませんでした」 「木村さんは入られたことがあるのです「すると、あの洞窟に近づきにくくするた 軍の研究所があったというセルゲイの言かー めに 0 棟の建設用地を選んだとも考えられ ませんか」 葉を裏付けている。 木村は首をふった。 「いえ。入りたくとも手段がありません 「西口さんにもそれを話しましたか」 木村は首を傾げ、 「ええ。写真には岩場に降りる道が写ってロシア人と交渉しなければポートはだせま「そこまでする理由は何です ? と訊ねた。 いました。潮が引いているときなら簡単にせんから - 320

5. 小説すばる 2020年12月号

五十代のどこかだ。 い。当時は船主や網元などの差配が細部にた 「西口さんについて何か心当たりがあるの まで及んでいたと考えられるからだ。 ですね」 殺し合いと大量殺人、どちらが本当に起 「あのう、たいしたことではないのですけ こったのかあるいは実際には何も起きて 五日めの朝、私を起こしたのは島内携帯ど、彼が亡くなる何日か前に話をしまし いなかったのか もし何も起こっていなかったのなら、最の呼びだし音だった。きのうまでは六時過た」 盛期には百人近かったこの島の人口が、十ぎには起きていたのに、反射的に見た腕時「何を話したのでしよう ? 」 べッドから起きあがり、背中を壁にもた 数年後にゼロになってしまった理由は何な計は午前七時を示していて、寝坊したこと せかけて後悔した。傷の痛みが走ったから に気づいた。 のか だ。が、そのせいで目がさめた。 「はい 考えられるのは、乱獲による漁業資源の 「ええと、それは実際にお会いして話した 涸渇だ。かってニシン漁が盛んだった北海携帯を耳にあてた。 ごうしゃ と思います。石上さんは今、 0 ほうがいい 道では、網元がニシン御殿などの豪奢を競「あの : 棟ですか」 ったが、 乱獲でニシンが姿を消し、落ちぶ日本語が聞こえた。 「ええ」 「石上です」 れたといわれている。 「私も 0 棟にいるのですが、一階の出入口 私はいった。舌がうまく回っていない 殺し合いにせよ大量殺人にせよ、実際に おきたことなのかを確かめなければならな「木村といいます。すみません、おやすみにきていただけますか」 頭の中で警報が鳴った。木村という名が 。その上で、被害者の眼球が抉りとられでしたか」 「大丈夫です。木村さん、ですかお電話本名かどうかはわからない。私を呼びだ昌 ていたのかを知りたい。 沢 し、ク排除クするための罠ではないのか 西口の眼球は奪われていた。それには理いただくのは初めてですね」 大 「一階ですね、地下ではなく」 ョウワの設計部におりますー 由がある。過去この島で起きたできごとと「はい。 念を押した。地下通路にはカメラがある 「どんなご用件でしよう」 関係しているのかどうかは容疑者を絞りこ の 訊ねながら、三日前に発電所で自分の携が、地上にはない。 む上でも重要な条件だ。 砂 「はい」 漂 その夜は誰からも連絡はなく、私はパソ帯番号を告知したことを思いだした。 「十分後にいきます , コンのメモを眺めながら、ポテトチップを「ええと、西口さんのことですー つまみにウォッカをちびちびと飲んで寝声の印象は落ちついている。四十代から告げて、電話を切った。中本を呼びだ引 なかもと

6. 小説すばる 2020年12月号

ド顔を忘れても、 香りだけは忘れない。 人は忘れる生きものだ。学生時代の友人なんて、 長年会ってないと、顔も忘れるし、名前も忘れる。 しかし、香りでふと思い出すこともある。 街を歩いている時など、知っている香りがすると、 まるで学生時代に戻った懐かしい気持ちになる。 さて、この香りも、いっか誰かの記憶を 呼び覚ますことになるのだろうか。 私の香り。 4711 ポーチュガル。 国内総代理店株式会社柳屋本店お客様相談室 TEL03-3808 ー 2654 雑誌 14747 ー 12 OShueisha 2016 Printed ⅲ J 叩 an 木村東吉 4 9 1 0 1 4 7 4 7 1 2 6 6 0 0 8 5 2

7. 小説すばる 2020年12月号

このとき、有島はキリスト教の信仰を持た 独歩は激しく、相手のことを考えるとこ この小説は『或る女』と改題して九年に ろが薄かったが、 歳月を経るにつれ人柄がっていただけに広に同情し、信子を憎ん わたって書き続けられ、大正八年に刊行さ 深みを増したようだ。 れて、有島の代表作となった。 独歩だけが、信子の自由な生き方を認め ( これは小説に書けるに違いない ) このころから文学に関心を抱いていた有『或る女』は、キリスト教婦人同盟副会長 ることができたのではないか。りようはそ さっきよう う思ったが、すべては取り返しのつかない島は信子に興味を持った。だが、その気持を母にもっ美貌で多感、才知溢れる早月葉 ことだった。 には不思議に有島の心をざわめかせるもの子の物語だ。葉子は従軍記者として名声を きべこきょ・つ はせた木部孤節と恋愛結婚するが、二カ月 ところで森広の友人にある文学者がいたがあった。 駆け落ち同然に結婚した独歩のもとかで離婚する。 ことが、信子の人生を数奇なものとした。 その文学者は広とは、札幌農学校で友人だら、わずか数カ月で逃げ出し、婚約者のもその後両親を失った葉子は婚約者木村の った、 とに向かう途中で乗っていた船の船員と恋待つアメリカへと船で向かうが航海の途 ありしまたけお 仲になって、婚約者のもとへ行かなかった中、事務長と恋愛して、そのまま帰国す ーー有島武郎 である。 女のことを考えると蔑みや憎悪だけでないる。 信子の人生がモデルとなっていることは 感情があった。 明らかだ。 なぜだろう 五 くら そう思ったからこそ、有島は信子を書こ帰国後、事務長は失職して行方を晦ま うとしたのだ。 す。葉子はその後、恋を重ねつつも心身と 有島は明治十一年 ( 一八七八 ) 、東京小 石川水道町に生まれた。学習院を経て札幌有島は明治四十年に帰国、その後、母校もに傷つき、下町の病院の一室で過去を後 農学校に学んだ。在学中にキリスト教に入の農科大学英語教師となり、結婚したが、悔しつつ死んでいく。社会の枠にとらわれ ふき うちむらかんぞう このころから信仰がゆらぎ、明治四十三ず、不羈奔放に生きた女性が敗れ去ってい 信し、内村鑑三の影響を受けた。 むしゃのこうじさね 信子がアメリカに渡り、そのまま帰国し年、棄教した。同時に友人の武者小路実くまでをリアリズムで描いた作品だ。 冒頭は葉子がアメリカ行きの切符を買う てから二年後、有島はアメリカに留学し篤らが創刊した、 ために古藤という青年と連れだって列車で ーー白樺 に加入して創作活動を開始した。この時横浜に向かうところから始まる 友人の広とアメリカで再会した有島は、 婚約者の信子が別な男のもとに走った辛い期、『或る女のグリンプス』と題して書きそして列車のなかで葉子は誰かに見つめ 始めたのが、信子をモデルにした小説だつられていることに気づく。離婚した前夫の 一件を詳しく聞いた。 あっ ことう 466

8. 小説すばる 2020年12月号

余。対する幕府軍別働隊は、少なく見積もはすでに総崩れとなっていた。南でも、真大坂の城下には、混乱が広がっていた。 ってもその倍はいるだろう。しかし、国分田隊が幕府軍と激しくぶつかっているとい豊臣軍敗れるの報に動揺した町人たちが、 荷をまとめて逃げはじめているのだ。その 周辺は小高い山が入り組み、道も狭い。寡う。 勢で大軍を迎え撃つには恰好の地形だつ「前軍の兵を収容した後、藤井寺まで後退混乱に乗じるように、豊臣軍からは多くの 脱走者が出ていた。 する」 だが、それも無理はない。わずか一日の だが、進軍は大きく遅滞した。夜明けと敗走してくる味方を迎え、追撃してくる ともに深い霧があたりを覆い、はぐれる兵敵に威嚇の銃撃を加えながら、来た道を引戦いで、後藤、薄田、木村をはじめとする が続出したのだ。すぐ近くにいるはずの真き返す。藤井寺まで戻ると、幕府軍を押し多くの勇将を失ったのだ。そして、大坂へ 田隊との連携もうまくいかず、自分たちの返した真田隊も合流してきた。敵は追撃を撤退したところで、籠もるべき城はその防 居場所さえも判然としない。隣を進む兵のやめ、道明寺から南の誉田村にかけて広く備のほとんどを失っている ど、つ考えても勝ち目などない。明日にな 顔さえも、はっきりと見えないありさまな展開し、こちらの出方を窺っている のだ。 夕刻になって、大坂から撤退の命が届いれば、幕府の大軍は大坂に押し寄せ、城は た。ろくに戦っていないにもかかわらず、炎に包まれるだろう。脳裏に、あの日見た 視界がほとんど利かない中での行軍は、 心身ともに負担が大きい。どこから敵が現武装しての行軍と絶え間ない緊張に、私は光景がまざまざと蘇る 母に手を引かれながら、振り返った佐和 れるかもわからず、私は身を強張らせなが疲れきっていた。 味方の損害は、かなりのものだった。前山の城。私が暮らした小さな屋敷も、毎日 ら一歩ずつ慎重に足を動かした。 きか どれほど霧の中を進んだのか、ようやく軍の後藤基次、薄田兼相は討死にし、麾下のように見上げていた天守も、禍々しい黒 視界が晴れ渡った頃、はるか前方から鉄砲の軍もほほ壊滅している。伊達政宗の率い煙に包まれ、焼かれている。口惜しさ。恐希 純 る大軍と正面からぶつかった真田隊も、長怖。無力な己への憤り。様々な感情が胸を の筒音が聞こえてきた。 野 天 掻き乱す。 こちらが霧の中をさまよっている間に、時間にわたる戦いで相当に疲弊していた。 前軍はすでに戦闘に入っていたらしい。勝八尾・若江方面に向かった味方も、多大私はほとんど一睡もできないまま、慶長 の な損害を受けたらしい。 永の下知で、行軍の足が速まる。 木村重成は討死に二十年五月七日の朝を迎えた。 とうどうたかとら こんだりよう 鬼 藤井寺村を抜け、誉田陵を右手に見ながし、長宗我部隊は幕府軍先鋒の藤堂高虎隊 画 らようやく道明寺に差しかかった。筒音とを圧倒したものの、敵中に孤立することを晴れ渡る青空の下、夥しい数の旌旗が林 かんせい 立していた。 喊声は、なおも続いている。しかし、前軍恐れ大坂へ撤退している。 せいき

9. 小説すばる 2020年12月号

引秘ユ 集英社 ツィッターアカウント http://twitter.com/subaru_henshubu 説 椎名誠豕のヒミッ萼ラン 作戌井昭人 / 飯野友幸 / 前野健太 すばる海外作家シリーズ@ 上村亮平 ジュリー・オーッカ ◆すばる文学賞佳作受賞第一作 Diem perdidi 〈訳・解説〉柴田元幸 竹林美佳愛の単離 前田司郎 / 鈴木晴香 3 ブレイディみかこ いとも優雅な 回本、、′意地悪の教本 しカ / イ 広小路尚祈あ「の あのころの パラオをさがして 、寺尾紗穂 今福龍太 香】〈連載〉 の耶青野聰堀江栞 喜多ふあり旧男 1 の ッ沙若松英輔長島有里枝 ~ 田四方田犬彦中村佑子 や村安藤礼ニマリアム・タマリ 『君の名は。』論杉田俊介 伊藤俊治 + 前野健太 〈聞き手・構成〉 映画『あたらしい野生の地』 植島啓司小澤征良 管啓次郎ホキ徳田〈、〉 マルク・フェルケルク監督インタビ、ー 赤川次郎津村記久子ほか お近くに書店のない方は、年間定期購読をお申し込みください。年間定期購読料【一年間・冊】 年間定期購読のご案内 11 、 400 円 ( 税込 ) です。詳しくは本誌、または上記「すばる」ホームページをご覧ください。お問 送料無料リい合わせは・・・集英社読者購読係 *LLJ--1 03 ( 3262 ) 7688 ( 平日 9 時分 5 時・時ー時 )

10. 小説すばる 2020年12月号

「貴重な情報をありがとうございました」た。つまり、洞窟に渡ることを、誰にも知ルトウールは、西口が島の過去について調 べるのを手伝っていた。 「いえ。お役に立つでしようか。自分の胸られたくなかったのだ。 だけにしまいこんでおくのが嫌で、電話を西口を殺したのは、ポートの手配を頼まやはりアルトウ 1 ルが西口を殺したのだ れた人間か、それを知っていた人間というろうか。殺したとして、その動機は何なの してしまったのですが , 可能性が高くなった。 私は頷いた。 同時に西口が殺された理由とあの洞窟に洞窟にある何かをめぐって、西口と争い 「とても役に立ちますー になったのか 「それならよかった。じゃあ私はこれからは関係があると推定ができる。 それはない。 もしアルトウールが洞窟に 今朝は食堂にサンドイッチも並んでい 出勤しますので」 木村を頭を下げ、地下通路に降りていった。卵とハムのはさまったサンドイッチとある秘密を守りたかったら、西口をポート コ 1 ヒ 1 を買い、私は宿舎に戻った。心のには乗せない。洞窟に渡してほしいと頼ま た。私は食堂まで地上を歩いていくことに どこかでタチアナが電話をかけてくることれても、理由をつけて断わったろう。 した。 アルトウールに協力を拒否されたら、西 西口がなぜ早朝の暗い時間に「ビーチ」を期待していたが、それはかなわなかっ につながる道にいこうとしたのか、ひとった。もしかすると彼女にとり私は、べッドロには洞窟に渡る手段がなくなる。殺さな の相手から暗殺の対象にかわったかもしれくても、それで十分だ。 のク答クが、私の頭には浮かんでいた。 三月十日の朝、西口は洞窟に渡れると信 ポートだ。西口は誰かと話をつけ、ポ 考えすぎだ。タチアナはスパイかもしれじて「ビーチ」に向かったのだ。「ビーチ トであの洞窟に渡してもらおうと考えた。 ないが、ソビエト連邦の頃とはちがうし、には西口を渡すポートがつく筈だった。 「ビーチ」からポ 1 トに乗りこも、つとした 私は目をみひらいた。西口は実際、洞窟 私もジェームズ・ポンドではない。 にち力いない。 問題は、なぜ港から乗ろうとしなかった部屋に戻り、サンドイッチを食べコーヒに渡った可能性がある。そこで命を奪わ れ、目をくり抜かれたのかもしれない。ポ のか ーを飲んだ。 人に知られないようにするためだ。朝の西口がポートの手配を頼んだ可能性があートの上だったとも考えられるが、砂浜に 暗い時間帯を選んだことといい、他に理由る人物としてまっ先に思い浮かんだのはアつけられるような小型のポートの上で人を ルトウ 1 ルだ。ポートの操縦員であったア刺そうとすれば、転覆の危険が生じる は考えられない。 ( つづく ) ルトウールに頼まない筈はない。ましてア 西口はこっそりと洞窟に渡ろうとしてい 322