観月は、彼を睨んだ。「も、つここにはこ して押しのけた。その拍子に、観月はデスになった。 ないで ! わたしの前から消えてよ ! 」 クワゴンにぶつかり、よろけて床に倒れまたインタ 1 フォンが鳴った。 、 ) 0 インターフォンが立て続けに鳴った。 観月は、片手でトートバッグの持ち手を 「こっちで稼いだ金があるだろ ? どこに握ったまま、もう一方の手でそばにあった直紀は、壁に取り付けてあるインターフ クッションを手に取り、直紀の顔を思い切オンの画面を見た。 置いた ? 」 「またあの男か ! 」 直紀は、デスク周りを探し出した。「通り 叩いた。そして、直紀が怯んだ一瞬、ト 「動かないで ! 近づいたら、ケガするわ ートバッグを奪い取った。 帳とかあるんだろ ? 給料が振り込まれて トートバッグを抱えた観月は、近づいてよ」 るはずだ」 くる直紀から逃れて対面キッチンに回り込再びインターフォンが鳴った。続いて、 ひと通り見た後、彼はまたポストンバッ グに近づき、中を漁り、せつかく観月が詰むと、手近にあったカゴや箸、鍋をかたっ玄関のドアががたがたと音を立てた。 観月は、直紀に顔を向けながら、後ろ歩 ばしから彼に投げつけた。 めた物を荒々しく出し始めた。 かば きで玄関に向かった。玄関のシューズケー その時、インターフォンが鳴った。今度顔を庇った彼の腕に鍋が当たった。 がびよう スを開けて中にあった釘や画鋲の箱を取る なにすんだよ ! 」 こそ日紫喜が来た ! 「やめてよ、やめてって言ってるでし直紀は怒鳴り、今にも飛びかかってきそと、廊下にばら撒いた。包丁を外へ持ち出 ためら うだったので、とっさに観月はそばにあっすのは躊躇いがあったので、シューズケー スの上に置くと、後ろ手で鍵を外し、ドア 観月は、直紀の腕を取って止めようとした包丁を握り締めた。 美 貴 を開けて飛び出した。 たか、かえって腕を振り払われ、突き飛ば「とっとと出て行ってー 友 「誰かいるの ? さっきもの凄い音が村 された。それから、直紀は室内をくるりとそれから、思い切りワイングラスやコッ 見回し、椅子に置いてあるトートバッグをプを手あたり次第、直紀の足元に投げつけ 見た。直紀がトートバッグを椅子から持ちた。ガラスは激しい音を立てて割れ、周囲勢いよく開いたドアに日紫喜がのけぞり月 る れ 上げたので、観月はト 1 トバッグに飛びつに飛散した。直紀は、飛び退きながら、後ながら言うのを観月は遮った。「早く ふ 直紀がこの中に。包丁を持って追ってく ずさった。 陽 肩にト 1 トバッグをかけると、観月は両る ! 」 「放して ! 」 太 手で包丁を握り締めた。息は荒く、心臓の観月は、日紫喜の腕を引っ張り、廊下を 「財布くらい入ってんだろ」 走ると、階段を駆け下りた。エレベーター 観月は、直紀とトートバッグの取り合い鼓動が耳の鼓膜に響いている。 ひる
だ。ィッキに渡さず、残金すべてを我が物「あの男に直紀の裏切りがばれたら、どう 直紀は、眉を寄せて観月を睨んだ。 にしようとしている。そのためにイッキにするの ? きっと黙っていないわよ。執念 「観月こそ現実を見てないよ。前にも言っ たけど、僕に自分の理想を押し付けてるよ協力するふりをしてあの男の動きを把握深い男だから」 ーマンみし、あわよくば先んじようと考えた。最初「妙な行動を起こすようなら、警察に突き ね。あれもこれもなんて、スー たいなまねはできない。観月は、僕というからそのつもりで、わたしを捜していたの出してやる」 そんなことはできないくせにと思った 人間を見ていないんだ。こうあって欲しい という幻影ばかり見て。だから、思い通り直紀の真意が透けて見えてくると、ますが、黙っていた。その代わり、 に動かない僕に怒りをぶつける。すべてのます彼への気持ちが冷め、観月は憎しみす「警察にあの男がお金のことを話したら、 あなたも調べられるわよ。樋口直紀にお金 問題はキミの中にあるってわからないのら感じた。 きっと直紀は、あっという間に散財し、を奪われましたって。それでもいいの ? 」 と訊いてみた。 「それは問題をすり替えてる。いつもあな悪くすれば膨大な借金さえ作るかもしれな 、 0 直紀は、少しの間考えた後、「なら、死 そうなった時、わたしはどうなるの ? たは、立場がまずくなると、別の視点で我 が身を守ろうとするわよね。じゃ、聞くけいや、それ以前にわたしはどのような扱いんでもらうか」とさらりと言った。 「え ? , 観月の背中を冷たいものが滑り落 を受けるのだろう ? ど、あの男をどうやって欺く気 ? 直紀や泰子、真木子のこれまでの態度をちた。「どういう意味 ? 「簡単なことさ。観月は姿を隠したままに して、僕は観月を見つけるのを諦めるとヤ思い出し、樋口家で隠れて暮らす未来を想「そうすれば、すべて丸く収まるだろ ? 美 貴 そして観月が持っている像すると、観月は身震いがした。頭の中「死ぬっていったい ツに一言、んばいい。 友 に、押入れに閉じ込められ、食事も満足に「僕たち二人であの男を殺すんだよ。どこ村 お金をそのまま持って長崎に帰るんだ」 「じゃ、わたしはすっと行方不明のまま ? させてもらえすに、ただ寝ている光景が浮か山林にでも埋めてさ」 わたしはいったいどこにいればいいの ? 」かんだ。暗く狭い空間で、痩せ衰え、横た「ちょっ、ちょっと待って。本気じゃない月 れ んでしょ ? 」 「樋口家に隠れ住んでいればいいよ。ほとわる自分の姿が見えた。 ふ だめだ。お金を渡したら最後、わたしの観月は、焦った。今にも直紀が実行に移 ばりが冷めるまでね。ャツも最初は疑うか 陽 太 もしれないけど、そうだなあ、二、三年も残りの人生はク飼い殺しクか、下手をするしそうな気がしたからだ。 : ・直紀無表情の直紀が怖かった。 と殺されてしまうかもしれない : 経てば、諦めるだろう ? 」 「冗談だよ、冗談 ! 要するに、あの男に 直紀は、わたしから残金を奪い取る気に、樋口一家に。 ヾ、」 0
けの大金を持っているはすだと聞いたの千万円にはならないだろ ? 東京暮らしでらしができる。それを元手に新たに事業だ輒 ね ? いろいろと使ってんだろ ? でもさ、最初って興せるし 「それがお前の不倫相手が会社から横領しは僕に肩代わりしろって、二百万円を取ろ嘘だ。直紀に、いや、樋口家にそれだけ うとしていたのに、逆にもらうんだよ。この大金を渡せば、湯水のように散財し、一一 た金だろ ? 」 れってすごくないか ? 」 年も経たないうちに使い果たしてしまうだ 「わたし、不倫なんてしてないけど ? 」 ろ、つ さも得意げに、直紀は笑った。 「どうだか ? 時々さ、帰りが遅くなるこ とがあったろ ? ィッキは、二億円の宝くじのことを話し「やつばりお金目当てじゃない。わたしを バイトの残業だとか言い 訳してたけど、ほんとは違うんじゃない ていないのだ。わたしが持ち帰ったポストあの男に売る気なのね ? 」 ンバッグには、およそ二億二千万円が入っ「渡すのは嘘の情報さ。残金は、僕たちの の ? 外出されると、こっちはわからない ていたことになるのに。直紀は、イッキをものにすればいい しさ」 くるりと直紀は反転し、観月と向き合う 「ほんとに残業だってば。それに、たまにやりこめたと思っているが、やはりイッキ とにんまりと笑った。 のほうが一一枚も三枚も上手だ 遠回りして帰ることもあったから」 「いい考えだろ ? ちゃんと暮らしを立て 観月には自分の優位性を信じて疑わない 「なんでそんなこと ? 」 「帰りたくなかったからに決まってるじゃ直紀が滑稽で、哀れに思えた。二億円のう直して : : : そうすれば、観月も僕と暮らせ ちの二百万円は、イッキにとって大した額るよ。観月はお金がないから、あの家を飛 ない。あの家にいたくなかったの ! 」 これみよがしに、観月は大きな息を吐きではないだろう。たとえそれが一千万円とび出したんだろ ? お金さえあれば、また 出した。 しても、イッキが手にするのはその何倍に 観月は、首を振った。「直紀、わたしは、 「それで ? 直紀はあの男にいくら提示さもなるのだから。 いくら残ってんだよ ? ここにああなたのそんなところがいやで家を出た れたの ? わたしの居場所にかかわる情報「で ? の。なにか問題が起こると、現実から目を んだろ ? 」 料として」 「二百万円。でも、僕のほうが立場は有利直紀は、部屋中を見回し、開け放たれた背けて、根拠のない耳触りのいいことばか だからね。結局は観月が持ち逃げした金額クローゼットの中を覗いた。それから、中り。わたしはそれを鵜呑みにして : : : ばか だった。その場しのぎだと、今ではわか を荒々しく物色し始めた。 の半分ってことで話がついた」 る。その後の具体的方策はなにも持ってい 「じゃ、一千万円ってこと ? 」 「ちょっと、なにするのよ ! 」 「二千万円くらいあれば、今よりましな暮ないって」 「今観月が持っている分の半額だから、一
こっちの嘘がばれなきゃいいんだろ ? な占めしようとしてるんだろ ? じゃ、なん 直紀は、当惑したように眉根を寄せた。 んとかなるって」 で、あいつがお前のことをつけ狙うんだ ? 「観月、家出をする時、家の中を荒らした よな ? 窓ガラスを割ったり 突然、彼はおどけて破顔し、クなんとか嘘までついてさ , 一瞬、観月は、言葉に詰まった。 なるクの一言で、策のなさをごまかした。 「そんなことしてないって ! 家の中を荒 あの男を殺す ? 考えたこともなかつ「言ったじゃない。あの男はストーカー らしたのはたぶんあの男よ。わたしの手が かりを得ようとしてやったんだと思う。窓 た。確かに死んで欲しいと思ったが、それよ。アルバイト先に電話をかけてきたり、 は自ら手を下すという意味ではない。漠然わたしをサンタのかっこうで追い回したりガラスを割ったのは、たぶん侵入するため と死を望んだだけだ。 : あなたは信じてくれなかったけど、ほよ」 いずれにせよ、直紀は頼りにならないとんとうに布かった。それに、わたしの連絡「そんな、まさか : : : 」 観月は改めて悟った。直紀の言う通りに実先を知るために、あの男は、バイト仲間の「あの男はね、東京でも詐欺まがいなこと をして会社を退職させられてるの。口がう 行したら、すぐにイッキにばれるだろう。携帯電話を奪って : : : 殺したのよ」 少し考えれば想像がつくからだ。そして、 「まさか。そんな嘘を誰が信じる ? まいのよ。だから、騙されちゃだめ」 ィッキが直紀を追求し、話の流れで二億円彼は、せせら笑って否定した。 「なんでそんなことまで知ってんだよ ? の宝くじの件を直紀にばらしたら : 「ほんとよ。クリスマスの頃に市内で女性「あいつがわたしにそう言ったから」以 お金に目が眩んだ直紀は今度こそわたしをがビルから突き落とされた殺人事件を覚え前、—について書かれた週刊誌の記事を思 裏切り、イッキと二人でわたしからお金をてない ? その後なのよ。あの男がわたしい出し、とっさにつじつま合わせの嘘をつ 奪い、そして : : : わたしを殺すかもしれなに電話をかけてくるようになったのは」 いた。「ネットで調べてみたら、あの男が 直紀は、なにか思い出したのか、ロを微かかわった犯罪のニュースが載ってた。確 さまよ かに開けたまま、目を彷徨わせた。 「直紀、お金を探しても無駄よ。あなたは か、不動産詐欺よ。だから、お金なんてこ ィッキに騙されてる。わたしは不倫もして「イッキが写真館を訪ねてきた時 : : : 最こにはないの。あなたはあの男に利用され いないし、そんな大金も持ってないんだか初、客だと思ってた。そしたら、観月のバ たのよ。ありもしないお金を餌にして、あ イト仲間だったって言い出して ら」 の男はあなたにわたしの居場所を探り出さ 眉間に皺を寄せると、直紀は観月に食っ観月は、激しく首を振った。「違うー せようとしたのよ」 てかかってきた。 店長に訊いてみてよ ! あの男はわたしと「嘘だ : : : そんなの嘘だ ! どこかにある 「持ってない ? に決まってる。どこだよ ! 」 お前こそ嘘言うな。独り働いたことなんてないんだから」
れから三か月経ってる。ィッキの言うよう 察が追ってるんでしょ ? 」 「あなたと ? 一緒になにするの ? 「決まってるだろ ? 観月を捜すのさ。お「僕は警察の動きまでは知らないよ。あのに警察が動いているなら、まずわたしがそ っと、誤解するなよ。まだ話は終わってな男がそう言っただけだから。ほんとはコンれまで暮らしていた直紀の家を訪ねるでし よう ? 」核心に迫ることにした。「ねえ、 いんだから。僕はあいつより観月の交友関ビニの店長に詳しく訊きたかったけど、か いったいイッキからなにを聞いたの ? 」 係がわかるだろ ? それで、あいつは僕とえって夫の僕まで疑われたらややこしくな 「観月がお金を持ち逃げしたって。コンビ 取引したいと言ったのさ。僕が有益な情報るからやめた」 ニの営業マンと不倫して、その男が横領し なぜここでアルバイト先のコンビニエン をあいつに渡したらお金を渡すとね。僕は 断った。その代わり、僕も捜そうと提案しスストアの店長が出てくるのだろう ? 観た約二千万円を持って、長崎から姿を消し た。そうすれば、やつの動きがわかるだろ月は、妙な引っかかりを感じたが、そのまたとー 観月は、眉根を寄せて首を傾げた。「な うと思ったから。それもこれも観月のためま聞き流した。 だと思ったからさ 「ところでさ。実家のお母さんは観月がやんなの、それ ? 観月は、彼の言い分を鵜呑みにできなかったこと、知ってんの ? 警察が聴取に行「なにつて、大金を持ってんだろ ? あの ってんじゃない ? 男がそう言ってた。それを資金にして豪遊 った。なにかある。それがこれまで彼と一 一ノ瀬の実家と連絡を取り合っているのしてるって」 緒に暮らした年月が教えてくれたことだ。 「ちょっと待って」 は直紀には内緒だ。 「それで、あなたはどうしたいの ? 」 観月は、片手で直紀を制すると、目を泳 「どうって : : : 観月を守りたいんだよ。あ「知らない。お母さんに電話してないし。 美 がせた。一瞬のうち、理解した。ィッキ貴 いつはさ、いかにも観月になにかしそうだじゃ、店はどうなの ? 警察は来た ? ったし、いざという時、僕がそばにいれば「いや、来てない。おふくろからも姉さんは、直紀に嘘をついたのだ。直紀を騙し、村 いいように使おうとしているに違いない。 からもそんな話はないし」 観月も安心だろう ? 」 直紀は、イッキを欺いているつもりかもし月 「あの男にわたしがここにいるって教えた「イッキが店を訪ねたのはいつなの ? 」 「年末 : : : いや、観月の話を聞いたのは正れないが、とんでもない勘違いをしていれ る。 「まさか ! そんなことするわけないだ月かな」 陽 「なに ? どうかした ? 「なら、警察は動いてないんじゃないの ? 太 ろ ? 僕は観月をあの男から逃がそうと思 ィッキがそう言ってるだけで。だって、わ「直紀はあの男からわたしがお金を持って ってここに来てるんだからー 「警察はどうする気 ? わたしのことを警たしが長崎を出たのは昨年の十二月よ。あいると、二千万円と言ったつけ ? それだ
「筋違いだろ。もらうなら、その女からも太い女だから、あんたは騙されてるんだ弡 「この勝負、俺の勝ちだな」 「いや、僕のほうが先に観月に接触してらえよ」 「ここでお金を取られたら、観月は無一文「観月は、大金なんて持ってない。部屋中 る。会ってるんだ」 を探してみたけど、そんなものはなかっ 「残念だなあ。接触するタイミングが問題だ。僕にお金を支払えなくなる」 じゃないからさ。あんたは俺に情報を流さ「そんなこと、知ったことか ! お前さ、 なかった。で、俺は自力でここまで行きつなんなの ? おかしいよ。変な理由をつけ直紀がそう説明すると、イッキは観月を いた。つまり、あんたの取り分はなしだ。て無心しようとしてさ。図々しいにもほど舐めまわすように見た。 「持ってない ? そんなはすないだろ。こ ま、もともとあんたは、俺に情報をくれるがある ! 」 ィッキは、棒立ちの直紀を頭のてつべんの女は隠してる。通帳があるだろ ? あれ 気なんてなかったんだろ ? あわよくば、 たんか この女の残金を独り占めしようって魂胆だから足の爪先まで見ながら、啖呵を切っだけの金額を現金で持ち歩くのは大変だか らな。銀行に預けたんだよ。それに、あん った。違う ? 人間の欲って恐ろしいなた 啼めてもらうしな大金を三か月そこらで使い果たすか ? あ。ましてや金に困ってるヤツなら、なお「とにかく契約は契約だ。言 「二千万円なら、月に七百万円弱だ。高額 のことだよね。だから、俺ははなからあんかないな」 ィッキは、冷淡にそう言い放った。 な商品を購入すれば、あっという間だ たを信用していなかった。あんたの行動を ろ ? ・ : なら、しかたないー 監視するつもりだった」 「そ、つか : 直紀は、自分の爪先を見た後、顔を上げ「二千万 ! 二千万か ! そりやいいや」 ィッキは、直紀の心の裏をしつかりと読 ィッキは、両手を広げて、大げさに繰り んでいる ! た。「一つ、あんたに訊きたいことがある。 彼の狡猾さに触れ、観月は、改めてイツ観月はほんとに二千万円を持ち逃げしたの返してみせた。 「そんなはした金じゃないさ、この女が持 か ? 」 キに恐れを抱いた っているのは ! 」 「そう説明したろ ? 「いや、お金はもらうよ 嘲り笑いを浮かべたイッキは、直紀を見 直紀は、平然と言い張った。「僕は観月「観月は、コンビニの金を持ち逃げしてい すえた。 との結婚生活をできるだけ長引かせようとないと言ってる」 努力したのに、こいつは一方的に切りやが「そんな嘘を信じるなって。この女の正体「二億円以上だ」 を知らないのか ? 夫婦なのに。神経が図 った。だから、慰謝料が欲しい」 こうかっ ( つづく )
直紀は、観月の足元にあったポストンバ僕は平気だった。誰でもふらりと旅に出た彼は、吐き捨てるように言い放った。 くなる時はある。そうだろ ? 観月の帰る「もっと自分を客観的に見てみろよ。自分 ッグの中を漁り始めた。 ずれ戻ってくがなにを言ってるのかを。僕だって、これ 「やめて、やめてったら ! さっきわたし場所は樋口家しかない。い でも我慢してきた。夫を支え、家を守る妻 る、そう思っていた」 を守るって言ったじゃない 観月は、彼の表情をうかがいながら、低として不十分なところを。お互いさまだ 「守る ? 裏切ったのはどっちだよ ! 」 く落ち着いた声で話し始めた。「結婚したろ ? 」 直紀は、すっくと立ち上がった。 「なら、直紀は夫としてなにをしてきた らなんでも許されると思ったら大間違い 「僕がどれだけのショックを味わったか ! 見知らぬ男に、お前の妻は不倫の末、大金よ。あなたはやり過ぎたの。わたしは何度の ? 」 を持って家出したって言われてさ。それだもあなたに訴えた。わたしは樋口家の奴隷「もういいよ」 けでも惨めなのにいつの間にか市役所に離じゃないって。あなたはちっとも耳を傾け「ほら、そう言って、すぐごまかす」 「もういいって言ってるだろ ! うんざり 婚届が出されてる。どれだけばかにすればようとしなかった。他に行くところはない なんだよ。いつつも金、金、金って」 気が済むんだ ? 逆の立場になって考えてんだろ ? ここにいたければ稼いで来い 暗にそう言っていたのよね ? 寝る場所が「それはそっちじゃないー みろよ ! 」 直紀は、そこで両手の拳を強く握りし欲しければ、文句言わずに有り金を渡して「もういいって ! 」 め、拳を震わせながら怒鳴った。「そんな樋口家に無償で奉仕しろって。わたしが出顔を真っ赤にして彼は、怒鳴った。 「この社会では金を持ってるほうが偉く 女を守ろうと思うわけないだろ ! もう我て行かなければ、離婚しなければ、そんな 美 ・ : お前貴 虐げられた生活が死ぬまで続く。あなたにて、そうじゃない者は価値がない : 慢の限界だ ! 」 おのの は、わたしの訴えが一生通じないと思ったはそう言ってんだよ。資本主義に塗れた思村 観月は、慄いて思わず後ずさった。 想だよな。より多くのお金を生み出せる者 のよ」 「直紀、あの男の嘘と事実を混同しない こうべ 直紀は、鼻で笑った。「まるで被害者気が優れていて、そうじゃない者は頭を垂れ月 で。不倫は嘘なんだし ひざまず 「そんなの、関係ないね ! もうどうだっ取りだ。それで罪を重ねても許されると思て跪け。金を持ってこない者は存在価値れ ってんの ? ちょっとばかり夫より稼ぎががない、助け合うのは善意じゃなくて、経 ていいよー いいからって、ふんぞり返って、やれ、家済的にフィフティーフィフティーな場合だ太 直紀は、荒い息を整えた。いたたまれな 事をしろ、もっと稼いで来いとほざき始めけ。観月には、得か損かしか、人を見る時 い空気が二人の間を流れた。 の物差しがないんだ。そうだよな ? 結 「観月が家を出ても、結婚している限り、る。嫌みな女だよ、まったく」 まみ
局、観月は人じゃない、お金を見てるんざる者、あるいはクお金を生み出せない を置いたのさ」 だ。自分が一緒にいて楽ができるかどうか者ツは、持っている者から無下に扱われて 直紀は、淡々とした口調で続けた。「僕 をさ。それが夫婦か ? 家族かよ ? いつもじっと耐え、肩身の狭い思いをして生きにだって幻想があった。いろいろ不満そう も僕の稼ぎが悪い、外へ出て働けと僕を責ていくのだ、と だけど、観月が出ていかないところを見る めるけど、姉さんに稼いでくるように言え観月は落ちたくなかった。今以上に上がと、まだ僕のことを思ってくれているんだ と僕に訴えるけど、そっちこそ金の亡者りたかった : ろうって。でも、観月は、大金を持った途 だ ! お金のことしか頭にない むろん、直紀を好きで、一緒にいたいと端、家を出た。その上、勝手に離婚届を出 直紀の言葉は、観月の胸を貫いた。彼の思った時もあった「それがいっしか薄れ、したなら、もう僕なんてどうでもいいんだ 言い分は、ある意味、観月の深部を言い当もう一緒にいられないと思うようになったと思った。もう諦めるしかないよな。大金 てていた。世の中、物を持っている、持つのはいつの頃からだっただろう ? 思い出云々は関係なく、離婚届を市役所に提出し ていないという物差しで、人は区別され、せなかった。 た時点で終わりだ。去る者は追わない。だ 差別される。その価値観が子供の頃貧しさ「直紀、家族なら : : : 協力し合うものじやから、後はきちっと取れるものを取るだけ を理由にいじめられた観月に刷り込まれてない ? なんで、わたしだけが外でも内でだ。精神的な苦痛に対する慰謝料をね いる。お金がなければ周囲から見下され、も働いて、働ける人たちを養わなければな「勘違いしてない ? すべてわたしが悪い ぞんざいに扱われる : : : その強迫観念が観らないの ? それも経済的に余裕があるなみたいに言うけど、離婚届はそれまでのあ 月を追い立てるように働かせてきたのだ。 ら別だけど、まったく余裕がないのに。わなたのわたしへの所業の報いよ。いろいろ 長ずるにつれ、社会では、お金を持ってたしが言いたいことはそういうことよ 屁理屈を並べてるけど、やつばりお金じゃ いる者だと見逃されるような行為も、お金「生活のためにはお金が必要。それは僕もない。あなたがわたしに求めるのはお金な を生み出せない者が行えば、社会のお荷物認めるさ。観月は自活が難しいから、樋口のよ のくせにと批判され、蔑まれ、叩かれるの家にいたんだろ ? ならさ、家族じゃなく 「この鬱憤を晴らすのに、他にどういう方 を知った。お金を持つ者のほうが優れ、生て同居人でいいじゃん。自分を楽させてく法があるんだ ! ィッキから最初に話を聞 きている価値があり、そうでない者、たとれなければ家族じゃないという観月の定義いた時は、あの男を監視しながら観月を捜 えば、給料が低かったり、資産がなかった は、人としてどうなの ? 利己的で、虫がすのが目的だった。でも、途中で変わった り、稼ぎ出せない者は価値がないといった良すぎるよ。おふくろも姉さんも、そんなんだよ。離婚届のことを知った時に ! 」 無言の圧力も意識するようになった。持た観月の腹黒さにうすうす気づいたから距離直紀は、乱暴に観月を突き飛ばすように
る。だから、いろんな人と付き合っていそういう存在なのだろうか ? とどのつまえて警察に行ったほうがいい朝食はなに り、生きることとは、損得勘定をし、お金がいい て、いつも楽しそうと思われていたなら心 日紫喜が訊いた。 に振り回されて年月を過ごすことなのか ? 外かな」 そこで、日紫喜は腰を微かに浮かせて座それでは、あまりにも寂しいし、殺伐とし「ありがとうございます。でも、大丈夫で た一生ではないか。 り直した。 タクシーが池袋に到着するのに約一時間「大丈夫って : : : ここ、ピジネスホテル 「僕がお金を持っているとわかった途端、 で、ルームサーピスはないよ ? 朝食はど 人が寄ってくる。だから、一人でも信用でかかった。 きる人がそばにいないと、判断を誤る時が電車で移動したほうが、ずっと早いだろうしてるの ? 「外で適当に食べますから。それに、そこ あるね。前にも言ったように、どんなに忙うと観月は思った。 しく働いていても、なにげない瞬間に寂し「用心のために、ホテルの部屋までついてまでしていただくのは申し訳な 「気にしないで。観月さんはできるだけ部 さが過ぎる。一人でなにもかも抱える重圧行くから。そのほうがいいよね ? 」 ホテルの前にタクシーが到着すると、日屋にいたほうがいいよ。僕が動くから」 を意識しながら、一人で闘う寂しさがね。 日紫喜のさりげない思いやりは、人とし そんな時、信頼できる人がいると心強い紫喜も車から降りた。フロントで観月がル て大切にされているという安堵感を観月に ームキーを受け取るのをエレベーターホー し、やる気の源にもなる。お金の損得で付 ルから見守りながら待ち、キーを手にした与えてくれる き合うのはビジネスだけで十分だよ」 わたしに親切にしたところで、彼になん お金の損得で付き合うのはビジネス観月に寄り添うようにエレベーターに乗り 美 の利益ももたらさないのに。 込んだ。 友 観月には、得か損かしか、人を見る部屋の階で降りると、日紫喜は廊下を見観月は、直紀との違いを否が応でも意識村 時の物差しがないんだ。そうだよな ? 結回し、観月が部屋に入るまで廊下を警戒しした。直紀はしてもらって当たり前の態度 局、観月は人じゃない、お金を見てるん続けた。そしてドアを開くと、日紫喜も中で、学生の頃からあまり変わりがなかっ月 た。その振る舞いに対して、観月が異を唱れ だ。自分が一緒にいて楽ができるかどうかに入り、ドアを背にして立った。 観月は、バスルームを開け、べッドサイえるようになったのはごく最近のことだ。 をさ。それが夫婦か ? 家族かよ ? ドまで行き、誰もいないのを確認した後、振り返ってみると、直紀に出会うまで他人太 ついさっきの直紀の言葉が耳に蘇った。 から大切にされる感覚もなく過ごしてきた 家族、夫婦はビジネスなのだろうか ? 家日紫喜に向かって頷いた 「なにか買ってくるよ。明日は、出社を控せいか、彼から好かれている自信がなく、 庭という会社が経営難に陥れば解散する、
執拗に追いかけてくるイッキと直紀に怯えながら逃げ回る日々。 この悪夢は覚めることがないのだろうか : いちのせ 品、ノ 1 トパソコンなどを無造作に入れていった。 「部屋までついて行こうか ? 一ノ瀬さんが荷物を持って出てく 携帯電話が鳴った。 るまで、ドアの外で待ってるよ」 「どう ? 荷造りは進んでる ? あと五分したら部屋の前まで行 「いえ、大丈夫です。ほんとに」 ひし みづき くよ」 観月は、両手の平を見せ、タクシーの後部座席の隣に座る日紫 日紫喜の口調は早ロで少し強引だったので、観月は「あ : : : は 喜を制した。 い」としか答えられなかった。 、パッキングが終わったら、僕の携帯電話に連絡して。荷 「なら ポストンバッグの中にとりあえず突っ込んだ物を整理している 物を取りに行くから , と、インタ 1 フォンのチャイムが鳴った。観月は、「はい。今、 吉祥寺のマンションの前にタクシーが停まると、観月は周囲を なおき 見回してから車外へ出た。エントランスまで小走りしたが、直紀行きます ! , と声を張り上げて返事をすると、立ち上がってドア に向かった。 が現れることはなかった。胸をなでおろして、二階の部屋の前ま 鍵を開けてドアを押しながら、 でくると、左右を確認し部屋の鍵を開けた。念のために鍵を閉め 「早いですね。まだ詰めている最中で て中に入り、電灯を点けた。 「観月、四日ぶりの帰宅だね」 真っ先に、デスクワゴンの引き出しを開けて—専用の携帯電 直紀 ! 彼を見た途端、反射的に観月はドアノブを引っ張っ 話、預金通帳と印鑑を取り出してトートバッグに突っ込んだ。次 にクローゼットの中からボストンバッグを出し、着替えや化粧た。すると、彼は手に持っ丸めた雑誌をドアの隙間に差し入れた 太陽にふれる月第九回大村友貴美 画・日端奈奈子 436