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検索対象: 小説すばる 2020年12月号
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1. 小説すばる 2020年12月号

雷」が、日本人の集落や墓に関する話題だ 私は訊き返した。 「墓を暴いたの ? タチアナは目を閉じた。長いまっげがうとしたら、私にはどうすることもできな 「まさか」 す青い瞳をおおい隠し、なぜか私はほっとい 「あなたじゃない。ギルシュよ」 した。 この島にいる理由を訊ねたとき、彼女は 「そんな真似はしていなかった」 「お金」と答えた。私はそれを露ほども信 「そうね。もう帰って。治療は終わりよ」 「じゃあ何をしていたの、ギルシュは」 じてはいなかった。 タチアナは告げた。 本当のことはいわないほうがよいような 彼女がこの島にいる本当の理由は、私が 気がした。 踏んだ「地雷」と関係している。であるか 「わかりません。偶然、会ったので」 らこそ、彼女は私の調査に協力する、とい タチアナは疑うように私の目をのぞきこ よこやま んだ。 宿舎に戻り、北海道警察の横山からの連った。 このみじめさの原因は、タチアナに冷た 「この島のロシア人は、あそこに日本人の絡を待つあいだ、タチアナの変化について 考えていた。 くされたからではない。今朝の情熱の正体 墓があったのを皆知っているのですか , 私とギルシュが日本人墓地の跡で会ったが、私から情報を引きだすためだったとあ 「さあ [ タチアナは首をふった。私はイワンをふことを告げたときから、タチアナは態度をつけなく判明してしまったからだ。 りかえった。 島内携帯が鳴り、どきりとした。タチア 硬化させた。 特に日本人集落があった場所について訊ナがかけてきたのかと思ったのだ。 「知らないな」 『さっきは冷たくしてごめんなさい、イワ ねたときの変化は、不自然なほどだった。 イワンも首をふった。 「ちなみにかって日本人の集落があった場この島にいる楽しみがようやく見つかったンの目があったから』 そういってくれるのを期待して耳にあて 喜びは、わずか数時間で消えてしまったよ 所を知っていますか」 「何を捜しているの ? タチアナの顔が険しくなった。私はタチひどくみじめな気分で、私は島内携帯を「はい アナと見つめあった。 見つめていた。タチアナに電話をかけ、私「パキージンだ。島の歴史に詳しい人間を ひとり思いついた」 「ニシグチを殺した犯人です。他に何を捜の何がいけなかったのかを訊きたい。 していると思うんです ? 私は「地雷」を踏んだ。だがその「地事務的な声が聞こえ、私の胸はしばん

2. 小説すばる 2020年12月号

「会社に、取引先から苦情が入っていてでつり革につかまり、自分の身の振り方を向き合うことになった。二人が話していた加 ね」 考えていた。 対象は、私だったのだ。 「苦情 ? インターネットが普及して以降、情報の女性は慌てて私から目を逸らした。見て 「あんな情報を流出させるような不注意な流出で人生を誤った例は多くある。際限なはいけないものを見てしまったかのよう 社員がいる会社と、今後の取引はできない く拡大していく情報は、消せば消すほどあに。 と言われてね」 ざ笑うように増殖してゆく。「解決」に至 もしかして : いらた 苛立った時の部長の癖で、拳でコッコッる道筋は存在しない。ただ、情報の海の底流出した私の「情報」は、会社の同僚た と机を叩く音が、私の耳にうつろに響い に沈んでゆくのを、じっと待っしか : ちだけではなく、既に見知らぬ他人にまで だが私はまだ、自分のどんな情報が、ど知れ渡っているというのだろうか ? 「そうですか : うやって流出したのかも知らないのだ。原カップルの言葉で、周囲の人々も、私に 立て続けの予想外の事態に、私はもう、因もわからないのに、解決法が見つかるは気付いたようだ。あちこちでひそひそ話が 反駁する気力を失っていた。人はこうやつずもなかった。 始まった。下車する駅ではなかったが、私 て、追い詰められていくのだろう。 「あっ、あいっ : はいたたまれなくなって、俯いて車両から 「とにかく、近日中にこの問題が解決しな 斜め前に立っていた若いカップルの男性飛び出した。扉が閉まると、男の嘲笑も遠 いなら、君の今後の進退も含めて、会社との方が、何かを発見したように呟いた。 ざかった。私はほっとして、動き出した車 しても考えざるを得ないことになるな」 「よくもまあ、表を歩けるよな」 両を振り返った。 言葉の意味するものは、私にもわかる。 喉の奥で、押し殺したように嗤ってい 心臓が止まりそうになった。 だが、私にはど、つしよ、つもなかった。 列車に乗る乗客すべてが、私を見てい さげす 「ちょっと、やめなよ , た。憐れむように、蔑むように、あざ笑う ◇ 連れの女性は、不躾な態度をたしなめるように : シートに座る者まで、わざわ ように、彼氏の袖を引いた ざ背後を振り返って、私を凝視していたの 拷問のような就業時間を終えて、私は職「だってあいつ、ほら、例の : 場を後にした。今夜のうちに事態を打開し「えつ、ホントに ? やだっ ! 」 電車はスピードを上げて、ホームから遠 なければ、私は会社を追われることになる女性が息を呑んで絶句してしまった。何ざかった。それでも彼らが、私を見つめて いるのがはっきりとわかった。 のだろう。地下鉄の車内で、やっとのこと気なく顔を向けた私は、真正面から女性と はんばく る。 わら 、よ」 0

3. 小説すばる 2020年12月号

かしいなあ。セールスで行ったことがあ全集の代理店をしていた我が家には在庫るのもお手のものだった ) 、ある美術館に る」と、思い出話が返ってきたものだ。よが山と積まれていた。世界の名画のカラー連れていってくれた。それが大原美術館だ くもまあそんなところに行ったものだ、と図版が載った美術本は、私のよき遊び相手つた。日本を代表する私設美術館であり、 になってくれた。私は自然と絵を描くよう数多くの傑作がコレクションに収められて 感心するほど、地方の小さな町も訪ねてい 、」 0 いる。父の予言通り、私はすっかりこの美 になり、気に入った絵があれば、それをチ ラシの裏に描き写したりした。私が生まれ術館に夢中になった。中でも衝撃を受けた その父が、この夏、永遠の旅路につい て初めて「この絵はすごい」と感動したののが、パプロ・ピカソ作「鳥籠」。この作 と聞は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・品の前で私は身動きできなくなった。ショ 享年九十、穏やかな最期だった かされた。そのとき、フーテンの私は、やリザ」であった。必死に「モナ・リザ」をックだったのである。「こんな下手くそな チラシの裏に模写したのは ( 出来栄えはヘ絵が美術館に展示されてるなんて : はり旅先にいたのだった。 のへのもへじだったが ) 確か三、四歳の頃と。そして「私のほうがうまい」とまで思 、その後、ピカソをライバル視して猛然 振り返ってみると、自分の人生においてのことである 大事なことの多くは、父に与えられ、教えそんな私を見ていた父は「この子は絵にと絵を描くようになった。っていい加減に 興味があるのだな」と理解したのだろう、しろ私、と自己ツッコミしたくもなるが、 られた気がする ートで催される父はまたそんな私を注意深く観察し「この田 私がアートに親しむようになったきっかときおり私を美術館やデパ 原 展覧会へ連れていってくれた。画集ばかり子はピカソに興味があるのだな」と理解し けを作ってくれたのは父だった。 私が幼い頃、父は美術全集のセールスマではなく、本物のアートに触れる機会を与たのだろう。ある朝、父は自室でまだ寝て マ いた私の枕元に立って「おい、起きろ」と ンをしていた。昭和四十年代のことであえてくれたことは、決定的だった。アート の ン るいまのよ、つに、。、 ノソコンでポチッとすはその後、私の「人生の友、となったのだ声をかけた。そして、寝ばけまなこの私に テ 向かって、やおら「ピカソが死んだぞ」と一 れば数日内に欲しいものが届けられる、なから。 私が小学四年生のとき、父の単身赴任先告げた。私は飛び起きて、茶の間のテレビた どというのは夢か ()n の世界の話であっ た。父は全集の見本を持って全国を飛び回の岡山へ母と兄とともに出かけていった。の前にすっ飛んでいった。朝のニュース番て り、学校や家庭を訪問して「お子さんの情父は私に「岡山にはすごい美術館がある組で「ピカソ死去 , と報じられているのを帰 ヒカソが死んでしまっ 操教育にいかがですか」と先生やお母さんぞ。絶対にお前は気に入るはすだ」と言っ見て、愕然とした。。 : これから誰と闘えばいいんだ ? と たちを口説いて回っていた。 て ( そんなふうに期待を高める前口上をすた : 、」 0 ◆

4. 小説すばる 2020年12月号

「爆弾ーのような真実を、同僚の口から聞 まった。 「いや、そんなことは : : : 」 ロごもって目を逸らす態度は、見たと言き出す勇気はなかった。 「徳永、おはよう」 しかたなく私は、同期入社の徳永に、そっているも同然だった。 ◇ 「教えてくれ。いったい俺の、どんな情報 の「おはよう」を再度向けてみた。 が流出しているっていうんだ ? : 、おはよ、つ」 「あ、ああ・ : そむ 徳永は顔を背けた。いつもならば、通勤徳永は覚悟を決めたように、ようやく私その日、私は部長から、営業先に向かう 途中で読んだスポーツ新聞のネタでも振っと正面から向き合った。沈痛な眼差しを向ことを禁じられた。それどころか、電話に 出ることすら許されなかった。私は職場に て来て、仕事に取りかかるのを少しでも先け、私の肩に手を置いた。 いや、友人だからこいながらいないことにされ、急ぐ必要もな 「同僚だから : ・ 延ばししようとするお気楽な奴だ。それな い統計資料の整理を任せられた。 のに、今日は小難しい顔をして、始業前かそ、言わせないでくれないか頼むよ」 切実な口調から、痛いほどわかった。私同僚たちは、私と同じ空間にいることが ら外回りの準備をしだした。 「なあ徳永、何かあるなら、言ってくれなに恥をかかせないために、彼が言っている気まずいようだった。普段ならぐすぐずと 社内に残る者たちもみな、始業と同時に残 のだとい、つことが 周囲に聞こえないよう、押し殺した声で私は反射的に、徳永から身を離した。相らす、壁のポードに「外出」の札を掲げ 水を向けてみた。なぜだろう ? 徳永は焦変わらず、流出した私の「情報、についてて、事務所を後にした。 は判然としない。だが、気の合う同僚であ一人だけ残ったアルバイト事務員の女の ったように周囲を見渡した。まるで誰かに る彼ですら、そこまで私を避け、ロにし子も、私から最も離れた別の社員の席に座 助け船を求めるように。 たくないと思うような情報だということって動こうとしないあからさまに私を避記 「いや、何もないよ : : : 」 けていた。 崎 その声自体が、動揺を余すところなく伝 それはきっと、私が直接見聞きしたとしその日の午後、私は再び部長室に呼びつ えた。彼を一夜にしてそれほどまでに変え 出 それは、一つしか考たら、眼や耳を塞ぎたくなるような、胸をけられた。 てしまった理由 : えられなかった。 掻きむしって、知ってしまったことを悔や「困ったことをしてくれたねえ : 「お前、俺の流出した情報を見たんだむような、恥辱を曝け出す情報なのだろ昨日以上に、部長の表情は険しかった。流 それが、私を心配してのものではないこと な ? もちろん真実は知りたい。だが、そんなは明らかであった。 私は徳永に詰め寄った。

5. 小説すばる 2020年12月号

撃音が襲いかかる なったのだろう。彼女はその場にへなへながり、出社の準備をした。 今度は扉を叩きだしたのだ。骨も折れんと座り込み、幼女のように身も世もなく泣マスクをつけた顔をさらに俯けて、世間 ばかりにカ任せに。鉄の扉は、割れ鐘のよき出した。 から隠れるようにして、混み合った通勤電 うな音を響かせる。これでは、周囲の住民もしかしたら、私の「流出」した情報に車に乗り込んだ。昨夜の乗客全員から向け も何事かと好奇の目を向けてくるだろう。 は、この女性に関わるものも含まれていたられた眼差しが、恐怖と共にまざまざとよ のだろうか 扉を開けるしかなかった。 みがえる。 」ゞ、ムこよと、つしよ、つ、もなかった。 「どう責任を取るわけ ? 」 駅を出た電車は、ポイントに差しかか 私の顔を見るなり、彼女はつかみかから 泣き続ける女性を置き去りにして、私はり、車両が揺れる。俯いていた私は、思わ んばかりの勢いで迫る。間近で見てもやは扉を閉めた。 すよろけ、隣に立っの足を踏んでしま り、見知らぬ赤の他人だった。 すすり泣く怨嗟の声が、私の心に鋭い爪った。 「あなたのせいで、私の人生はむちゃくちを立てる。 「あっ、すみません」 やよ。責任とってよ ! 」 私は頭を掻きむしり、 ハソコンのランケ顔を上げて謝った瞬間、 O と目が合 私がすべての不幸の元凶だとばかりに、 ープルを引きちぎった。そんなことをしてう。一瞬で鼓動が跳ね上がるが、彼女は私 爪のネイルが剥げかけた指を突きつける。 も何も変わらないことはわかっている。だを一瞥しただけで、すぐにそっほを向い 「ちょっ : : : ちょっと待ってくれ、いった が、そ、つでもしなければ、心が収まらなかた った。 い君は誰だ ? 」 他の乗客も、私を見向きもしない。たと 「誰だっていいでしよ。そんなの関係ない え私が裸だとしても、誰も気にもしないの じゃない ! 」 ◇ ではないだろ、つか ? そう思えるほどの、 誰かもわからないア 都会の無関心の場だった。 「関係なくはない ! ンタの人生を、僕がどうこうできるはすが部屋の隅で、まんじりともしないまま、 ないだろう」 朝を迎えた。 出社して早々、私の机には、部長室に向 「責任逃れしないで ! 私の人生は、あな しっそ会社を休んでしまおうかと思ったかうようにとのメモが置かれていた。 たのせいで取り返しがっかなくなっちゃっが、そうすれば、二度とこの部屋から外に 引導を渡される気分で、私は部長の前に たんだから」 出られなくなるだろうことは予想できた。立っ 極度の興奮のせいで、立っていられなく私は床から自分を引きはがすように立ち上「もう大丈夫だよ。君の流出した情報につ いちべっ 122

6. 小説すばる 2020年12月号

一気に広がったような気がした。この図書なく、気づけば結構な量の本を整理し終え間に、彼は立ち去ってしまった。 室の本を開くたびに、自分の住む世界のこている。 とまだ何も知らないんだと思い知らされ周りを見渡すと薫やスタッフのみんなは うーん、誰だったんだろう。私がもやも た。そんな壮大な世界の理に触れて、私の集中して作業を続けていた。私は一息つこやとしながら図書室に戻ってくると、その 好奇心は加速していった。 うと静かに席を立ち、休憩スペースの方へもやもやの原因である彼が閲覧席に座り、 と・回か、つ でも、気付くと私は立ち止まっている。 目を閉じている 科学者になって、宇宙に携わりたい。漠図書室を出ると辺りは静かで、改めて今 「え、さっきの男の子 ? 」私は戸惑い、思 然とした憧れが現実になろうとしていた。 日が休館日であることを思い出す。私は自わず声を上げてしまった。「どこから入っ それなのに、私の日々は輝いていなかっ販機で缶のミルクティーを買った。やつばてきたの ? 」 り、休憩には甘いものが一番だ 「普通に裏口からですー 戸惑い、周りを見るが、一緒に空を眺め ミルクティーを飲みながら、誰もいない 少年が薄目を開けてだるそうに答えるか たみんなはもう隣にいない。 休憩スペースに一人腰掛けた。南の窓からら、私はさらに混乱する どうやって、私は進んできたんだっけ。強い日差しが差し込んでいる。目を細めな「おー 、理奈」薫が困惑する私に気付い 私は何に憧れていたんだっけ。そうやつがら外を眺めていると、正面玄関の前に立てこちらに来た。「どしたの ? て、必死に思い出そうとしていたときに、 つ、一人の少年が目に入った。夏らしくよ「いや、この子が中に入って来てて」 なおや 館長が亡くなった。そして、私から離れてく焼けていて、学校帰りなのだろう月 、」匱「ああ、直哉君、夏休み満喫してる ? 」 いった祐人が、再び目の前に現れた。 を着ている。どこにでもいそうな高校生に話しかけられた彼は、不服そうな顔で薫 それでも私は、みんな、どこかへ行って見えるが、何故かその姿に見覚えがあつを見た。 しまったと感じるのだ。 た。少し考えてみるが、よく思い出せな 「こうやって、誰かさんに雑用を頼まれな 夢と区切りを付けたのが祐人なら、夢に い。その彼は玄関の前で中の様子を窺ってければ、ですけどね しがみついていたのが私だった。 いる。何か用事でもあるのだろうか 「えっと、こちらは直哉君。館長と乃々さ ふと、彼と目が合う。彼はペこりと頭をんのお孫さんよ」 ゴーンと、昔からここに掛けてある時計下げた。つられてこちらも会釈をするが、 「え ? が鳴り、我に返る。時計は三時をさしてい何か声を掛けるべきか、いやいやここから 私はその直哉君をじっと見た。確かに、 た。考え事をしていても手が止まることはじゃ話せないだろう、と私が戸惑っているその目元や口元は館長に似ている気がす 、」 0 220

7. 小説すばる 2020年12月号

出した。それを拭い去るように、大きく首のセーターを着た、六十代と思しき男性で立ち上がった。 あった。 を振った。 「結果的には、あなたに迷惑をかけてしま いましたが、私も意図しない形でなってし 「いや : ・ 、もういいじゃないか今さら取引先の誰か。学生時代の恩師。退職し 蒸し返さなくたって」 た会社の元上司 : ・ : 。記憶の中の知り合 いまったことです。どうぞ、ご容赦くださ と照合してみたが、心覚えはなかった。人 「だが : それでは : : : 」 彼は、私の肩に置いた手に押さえ込むよの顔を覚えるのも仕事のうちだ。だからこ男は背を丸め、世間の視線を遠ざけるよ そ断言できる。会ったことはないと うに力を込め、耳打ちした。 うにして、雑踏の中に紛れた。 まさか : 「俺だって早く忘れたいんだよ。お前も、 だが、男はまるで古くからの知人に会っ たよ、つに笑いかける。 忘れろ」 すでに見失ってしまった男の後ろ姿を追 「お互い、災難でしたね」 って、私は思わず立ち上がった。 押し殺した声に、それ以上を問い質すこ とはできなかった。 そう言って彼は、。 ヘンチの傍らに座っ もしかすると彼が、「流出」事件の真の 、」 0 被害者だったのではないか ? 彼の情報が 「あなたは ? ◇ 流出し、それが、私の情報と取り違えられ 私がそう言うと、彼は初めて、怪訝そうたのだ。 すべては、元通りに戻った。 な表情を浮かべた。 だが : : : 年齢も容貌も、私とは似ても似 部長からはその後、何の指示もなく、同気を取り直したように咳払いをして、周つかない赤の他人だった。そんな人物の情 僚たちとの関係も回復した。道端で見知ら囲を見渡す。そこにははっきりと、あの報が、どうして取り違えられ、親しい友人 おび ぬ誰かに陰口をたたかれることもない。 日々に私が身にまとっていた、「怯え」のすら、私の情報と信じて疑わなかったのだ 取引先とのミーティングの時間調整で、影が見えた。 もしかすると私は、私が思っているよ、つ 私は公園のべンチに座り、道行く人々を眺「 : : : まあ、もっともですな。あんな目に め続けた。それぞれに、「個人情報ーを抱あったんですから、私と関わりあいになりな「私。ではないのだろうか ? えた、見知らぬ他人たちを たくないというあなたの気持ちも、理解で男の姿は雑踏に紛れ、他の「誰か」と見 「ああ、こんな所でお会いするとは : きます , 分けがっかなくなり、見つけだすことはで 道行く一人が立ち止まった。総白髪で、 男は、すっかり身についてしまった諦めきなかった。 チェックのプレザーの下にタートルネックを持て余すように首を振って、べンチから ( 了 ) めぐ ただ かたわ けげん 124

8. 小説すばる 2020年12月号

祐人は何も言わなかった。 「何で、何で諦めたのー そんな姿に、私は耐えられない 「それは : : : 」 「綺麗って、本気なの , 祐人は橋の欄干に弱々しく手を置き、俯 いていた。 気付くと口を開いていた。 私は祐人の腕を擱んだ。強引に、その腕 「私はこの空が何なのか、よく分からない よ。何で綺麗なの。祐人が何を考えてるを空へ伸ばす。 「その手を、どうして伸ばし続けなかった か、分かんないんだよ の。どうして下ろしちゃったの。どうし 祐人は困惑した顔で私を見る ごめん、でも、言わないと気が済まなて、どうして諦めちゃったの。 、 0 こうやって星を眺めるとき、隣にはいっ 「私はね、ずっとこの星空に憧れてたの。もみんながいた。祐人がいた。いた、はず この空が綺麗に見えていたのは、私がずつなのに。 と手を伸ばし続けてきたからなの。でも、気付けば私はひとりばっちだった。 悠 「祐人は、何でも出来たんだよ : : : 」 今、この空を眺めても、もう何が輝いてい 羽 私は祐人の腕を離し、カなく腕を下ろし青 たのか分からなくなっちゃったんだよ」 川のせせらぎが響く。一台の車が背後をた。祐人はそのまま、中途半端に左手を上 を げていた。 通り過ぎる。そして、再び沈黙が訪れる 手 悔しかった。ただ、どうにも出来ないこて 「祐人はさ、あのとき諦めたよね , そ とが悔しかった。 言ってしまった。 「文理選択で、私に何も言わずに文系にし「私がどう進めばいいか分からないとき、を たよね。別にそれは祐人の選択だから、私祐人はまるでお手本みたいに一歩を踏み出 にどうこう一言う権利はない。でもさ、そのしてくれてたんだよ。何でも出来た、祐人 祐人が、何でこの空を綺麗だなんて言えるには、何でも出来た、はすなんだ : ・ 最後は自分の涙声にかき消されてしまっ の。憧れ無しに、何で綺麗なんて言うの」

9. 小説すばる 2020年12月号

野々宮からパックを奪って、ゴールに向かれるからじゃないよ。それくらいわかるで さあ、と野々宮は首を傾げた。 : それなのに、俺なんかとか言わ 「そういう状況じゃなかったし : : : それよって投げた。ゴールに入ったパックは後ろしよ。 ないでよ。役に立てないならいないほうが り一番怖かったのは、自分が何をするかわの壁に当たって、コツンと床に落ちた。 いいとか勝手に決めないでよ ! 」 からないことでした。正気をなくして叫び「ぜんぜんおかしくないよ。つらかった話、 出すとか、気を失うとかしそうで。一刻も笑ってしないでよ ! 悲しかった話、冷静そう叫んだとたん、ふいに鈴江姉さんの にしないでよ ! ひどいめにあったら、怒声が頭のなかで響いた。 早く、あの場から抜け出したかった」 さくやがべンチに座っててくれるだ 野々宮はスティックでパックをすくい上んなきやだめだよ ! 不安だったら、ちゃ けで、どんなに私が心強いか、考えたこと げ、落とさないようにして空中でドリプルんと話してよ ! 」 ある ? 一つでは気がすまず、私は落ちていたパ を始めた。コンコン、という単調なその音 私は茫然とした。「私なんか」というの を聞いているうちに、なんだかすごく、腹ックを拾って、次々に投げた。 が立ってきた。 「バカなの ? 野々宮君。なんでわかんなは、「役に立てないならいないほうが」と いうのは、私がずっと、自分自身に言い続 いの ? もし、みんなが野々宮君のこと 「あのさ」怒りを抑えながら、私は言っ た「私にはわからないけど、試合が怖いで、困ったり、怒ったりするとしたら、そけてきた言葉だった。悔しさをバネにする のとか、どうしたらいいのかわからないけれは野々宮君のこと、真剣に考えてるからんじゃなく、笑ってごまかしていたのは、 だよ。どうでもいいやつのことで誰も悩ま私だったのだ。 ど、でもさ、やめることないよ。きっと、 私は手に持っていたパックを下に落とし ないよ。野々宮君が一人で黙って消えちゃ ど、つにかなるよ」 「そう言ってくれるのは、さくやさんだけって、みんなどんなに探したと思う ? 三た。野々宮はあっけにとられた顔で私を見 ですよ。俺知ってます。みんな、俺のことピリ戦って、ポロボロに疲れ果ててたけている。 子 おおくち 「なんで、そこまでするんですかって、さ でいろいろ困ってますよね。戸森や大口はど、それでも建物の隅々まで探して、遠く 千 原 露骨にいやな顔するし。俺はどういうわけのトイレの個室一つ一つ、ロッカーの扉まっき聞いたよね。理由は、野々宮君は、私 河 か人に合わせられなくて、迷惑をかけるんで全部開けて、戸森君や大口君は駐輪場のにとって、大事な後輩だから」野々宮の顔 ・ : ・ : 、つをまともに見られないまま、私は言った。音 で。自分ではそういうつもり、全然ないん自転車全部チェックしてくれたよ すけどね、野々宮はまた自嘲的に笑った。ちの部員たちは、まあ、ああいう人たちだ「私は大事な人が、よくわからない理由 から、直接言葉にはしないけどさ、野々宮で、ある日突然いなくなっちゃうのは我慢無 「試合で役に立てないなら俺なんかいない もう一一度と。ただそれだけ」 君のこと、本気で心配してた。それはさ、できない ほ、つか : : : 」 「ねえ、何で笑うの ? 」私は立ち上がり、野々宮君がスキルがあるからとか、点を取私は石油ストープのそばまで戻り、床に かし

10. 小説すばる 2020年12月号

「 : : : わかりました」 「個人情報か : 流出していれば被害の恐れもあるが、そも 納得はしていない。だが、そう言うしかそう呟いて、私はパソコンをシャットダそも、たいしたお金を蓄えているわけでも なかった。 ウンした。消えることを拒むように、しぶないカードや通帳も問題なく使えてい とく画面は残り続けていたが、やがて命脈る。入浴中の裸の写真でも流出しているの が尽きたように、画面はプラックアウトしなら別だが、誰がただの三十男の部屋に隠 た。私と「世界中ーとのつながりが遮断さしカメラを仕掛けるというのだろう。 その夜、一人暮らしのマンションに戻っれる。 結局のところ、私自身のどんな「情報」 た私は、着替えもそこそこに、ヾ ノソコンを 当の本人が探し出せないような情報が、 が流出しようとも、私にも会社にも、何の 立ち上げた。部長は私の情報の流出先につ果たして他人に容易に見つけ出せるものな悪影響も及ばさないという結論に達した。 いて明言はしなかったが、考えられるののだろうか ? 私の個人情報の流出というのは、部長の勘 は、インター、不ット / らいのものだ。 パソコンを閉じて、改めて考えてみる。 違いだったのではないだろうか ? 検索サイトで、名前を打ち込んで調べて そもそも、私に「流出」して困るような みる。平凡な苗字と名前の組み合わせなの「情報。などあるだろうか ? ◇ で、検索結果は数千件が表示された。 不正な手段で利益を得た覚えもないし、 検索上位から順にチェックしてゆく。私女性関係で揉めた経験もない。犯罪に手を 私は、何の手がかりもっかめないまま、 と同姓同名の赤の他人の「個人情報ーだ。染めたりなど、するはずもなかった。もち翌朝、いつものように出社するしかなかっ 「釣り大会第三位入賞ーや、「インターハイろん聖人君子ではないのだから、一日すべた。 出場」、「喜寿のお祝い」など、若者から年てを見張られていれば、車のスピード超過フロアに入った途端、いつもの朝の雰囲 寄りまで、さまざまな同姓同名の「誰か」や、横断歩道の信号無視などはやってい気が一変した。 が、そこにいた。私自身も、学生時代のサる。だがそんな「違法行為ーは誰もがやっ 「おはよう」 ークルのホームページの名簿の中に、ているし、公表されたところで、私が社会誰に、という意図もなく発した朝の挨拶 その名前を見つけた。 的に抹殺されてしまうような類のものでもは、誰にも受け止められず、フロアの隅に だが、それだけだった。住所や生年月日ない 転がっていった気がした。まるで私の言葉 と組み合わせて検索してみたが、何の情報では、金銭的な面での被害だろうか ? が、その場の和やかな空気すべてを奪い去 もヒットしない。 もちろん、通帳やカードの暗証番号などがってしまったかのように、静まり返ってし ◇ 118