思い - みる会図書館


検索対象: 小説新潮 2016年12月号
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1. 小説新潮 2016年12月号

けるなと思ったよ。これ以上は無理だろ 里子の場合は、己に非があるというはつうがそのうちわかってくれると、簡単に考 う、って。でも、まさか会社を勝手に辞めきりとした自覚があった。おれから離れてえてた。おれは、人との付き合い方を知ら て島から出ていくとは思わなかった。そん里子が幸せになるならそれでいいと、他人ないんだ。松太郎さんが去り、里子が逃 なに島の生活がいやだったとは、おれも辛事のように考える自分がいた。そんな小五げ、そして啓太もいなくなった。みんな、 いよ」 郎だからこそ里子は去っていったのであおれから離れていくんだ」 耕一はぼそぼそと喋る。耕一自身がくが り、やむを得ないことだったと諦めがつい 涙は出なかった。しかし、悲しみがしん まったろう 出身だからこそ、自分のことのように責任た。松太郎を選んだ里子を、見る目がないしんと胸の底に積もっていくのを感じてい た。悲しみだけがおれを満たしていく。お を感じるのかもしれない。要約すれば、こなと嗤ってやりたい気持ちもあった。 んな島にいられるかと啓太は出ていったの しかし今回は、避けることができたのでれはどこで間違い、何を捨ててここまで来 だ。後足で砂を引っかけられた側の人間とはないかという悔いがある。啓太の鬱屈てしまったのだろう。そんな問いが、悲し しては、悲しさと不快さ、そしてもどかしは、かなり前からわかっていた。わかってみが積もる心の中で反響した。 さを抱えてこらえるしかない。啓太のためいたのにどうしてやることもできず、啓太「そんなことを言うな、小五郎。おれがい にもっと何かできなかったのかと、小五郎の意見を受け入れもせず、結局は追い込んるじゃないか。おれは去らないよ。おれは は今も自問している。 でしまった。己の狷介さを、これほど疎まずっとここにいるから。お前が悪いんじゃ 「おれ、あいつの言葉にまるで耳を貸さなしく思ったことはなかった。 ない。人が去っていくのは、定めだ」 「いや、おれはそうは思わないよ。前にも かったかな。あいつの言うことを、ことご そうだ、耕一がいる。耕一がいてくれ とく撥ねつけてたかな。だから、悩んでて言ったけど、啓太は甘えてたんだ。公平にる。究極の悲しみが孤独なのだとしたら、 も相談もせずに、いきなり去っていったん見て、小五郎の方が正しいことばかりだつおれはまだ悲しみに呑み込まれてはいな だよな」 たよ。意見を聞いてもらえないからってい い。むしろ、こんな友を持てた定めを幸運 に思うべきだった。 人に去られるのは初めてではない。比較じけるのは、啓太が子供だったからだ」 「ありがとう」 すれば、里子に逃げられたときの方が辛か耕一は慰めてくれる。だが、まだ小五郎 ったはずだ。しかし、何度経験しても慣れの胸には染み透らなかった。 小五郎は万感の思いを込めて、礼を言っ るものではない。さらに言えば、里子のと「子供だからこそ、もっと気を使ってやるた。小五郎の思いが、耕一に伝わったかど きよりも今回の方が傷ついている気がし必要があったんじゃないかな。おれは、あうかはわからない。ただ耕一は、よけいな いつをわかってやろうとしなかった。向こ ことはつけ加えずに「うん」と頷いただけ さとこ

2. 小説新潮 2016年12月号

2 回目です。 地に行ってお話を伺ったり、昔の録音ればという思いがあったからです。予 椎名高校生でしたね。 テープを聞いたり、資料も読み込んで想以上にたくさんの方に手にとっても らい、共感していただけて、わたし自 中脇高校 3 年生でした。 くので、膨大な時間が掛かりました。 椎名すごいよね。あんな作品をよく 椎名そうでしたか。でも、ここ数年身が救われた気持になりました。 書きましたね。 活発に書いておられますね。 中脇はい。 中脇本当ですね。自分でもそう思い 坊っちゃん文学賞の独自性 昔話以外に絵本も出版さ せていただいていたのですが、最近、 ます。今は書ける気がしません。 椎名あの大賞受賞作品「魚のようすべての子どもに幸せな子ども時代を椎名僕は最初から審査委員長だった には、ものすごく才能あふれてい 送ってほしいという思いかとても強く から、毎回、どんな作品が受賞して、 どういう傾向になったかはずっと目撃 て、しかも、その年頃の感性でなけれなりまして。『きみはいい子』 ( ポプラ しています。そんな僕にとっても「魚 ば書けない作品。我々審査員は、「こ文庫 ) で、子どもの虐待や、高齢者問 題、障がい者の問題を書いたのも、つのように」は衝撃的でした。若い人向 れはすごい新人が出てきた」と驚い のです。その後は余り書いておられな らい思いを抱える人が少しでも救われ ( に可能性の門戸を開いている賞で、 かったの ) 中脇全然書いていなかったわけでは ないです。受賞作は高校 3 年生のとき に書いた短編 1 本と合わせて 1 冊とし て刊行していただきました ( 『魚のよ うに』は新潮文庫刊 ) 。ただ、わたし自 身は大学に進学して民俗学を勉強して いたんですね。卒業後もいくつか書い てはいたのですが、一方で、昔話の再 話にも取り組んでいたのです。その土 4 椎名誠・ しいな・まこと 0 。 = コ 1944 ( 昭和 19 ) 年、東京生まれ。東京写 : に真大学中退。 1979 年「さらば国分寺書 店のオババ」がベストセラーになる。 89 年「犬の系譜」で吉川英治文学新人 賞、 90 年「アド・バード」で日本 SF 大 賞を受賞。主な著書に「岳物語」「中国 の鳥人」「わしらは怪しい探険隊」「わ しらは怪しい雑魚釣り隊」「ぼくがい ま、死について思うこと」「超常小説 ベストセレクション I 、Ⅱ」「本人に訊く ( 壱 ) よろしく懐旧篇」 ( 共著 ) など。 297 青春文学の王道を突っ走れ

3. 小説新潮 2016年12月号

等、組織改革に力を人れていた。全員が新 来た後輩で、昌夫は何かと可愛がっていう」 た。同じ大卒組で、年も二つちがうだけで森が口を挟んだ。森は中央線の三鷹に家しくなろうとしている。 そのとき机の内線電話が鳴った。みなの ある。 を建てたばかりである。 「実は、女房が目を付けたのが松戸の常盤表情が一瞬にして硬くなる。岩村が飛びつ ここに揃った七人が五係の刑事だった。 くように受話器を取り上げ、「はい、捜査 刑事部は係同士が張り合うため、結果とし平団地なんですけどね」 昌夫はこの機会だから言ってみることに一課五係です ! 」と声を張り上げた。 て絆が深まり、家族同然の関係となった。 「はい。全員揃っています。はい。ただい 昌夫にとってもチームの六人は、何を置いした。率直な感想も聞きたい。 ま代わります」 ても助けなければならない仲間であり頼れ「おい、松戸は千葉県じゃねえのか」 「でも来年、地下鉄の日比谷線が開通する岩村が受話器を手で押さえ、宮下に向か る兄弟である。 「おい、ところでオチよ。おまえ、団地のんですよ。そうなると北千住から霞ヶ関まって「係長、田中課長代理からです」と言 った。宮下が電話を取り、眉間を寄せて話 で乗り換えなしで、一時間で来られるんで 募集に片っ端から応募してんだってな」 宮下が扇風機に当たりながら聞いた。係す。お言葉ですが、三鷹よりも近くなるわを聞いている。 「はい、殺しですか。わかりました : : : 」 に一台の扇風機は、たいてい係長が独り占けで : : : 」 そんなやりとりが聞こえた。 めしている。 「でも千葉ってえのは : : : 」 「いいんじゃねえのか。課長にいっぺん相「おい、在庁番はどうなってんだ」 「はい、そうですが」 「なんなら警察の家族寮を当たってやって談してみろよ。小さい子供がいるんだ。空森が言った。在庁番とは、事件が起きれ もいいぞ。小さな子連れは優先的に人れる気の綺麗な郊外で育てたいって気持ちは刑ば真っ先に出て行く班のことである。 「未明に品川で放火があって出動してる 事だって一緒だろう」 そうだ」 「いや、せつかくですが、うちの女房、ど宮下がそう言ってくれたので、昌夫は救よ」と倉橋。 「じゃあ次はうちか。頼むぜ。もうすぐ楽 われた。 うしても団地がいいって」 東京オリンピックの開催が近づくにつれしい盆休みだろう」 昌夫が身を縮めて答えた。 仁井が顔をしかめ、ひとりごちた。それこ 「そりやまあ古い木造住宅より、鉄筋コンて、日本人の心の中に、自分たちも変わら クリートの団地がいいやな。若い奥さんなねばならないという意識が芽生え始めていぞれ同じ気持ちだったが、言葉には出さなの た。警視庁も数年前から、オリンピック警かった。これが刑事の日常である。 ら尚更だ」 4 「オチ、団地だと桜田門から遠くなるだろ備に備えて採用枠を拡大し、労働時間改善電話を終えた宮下が立ち上がった。

4. 小説新潮 2016年12月号

当然、過去のポーイフレンドのことは話していない。他は 差しつかえなどあるはずもない。 「本当に、あたしみたいなゆきずりの人間を気にかけてくれ 「ゆきずりなんて : : : さびしいなあ」桜井の快活な笑い声。 「カになりたいと思うのは当然です。それにおれ、フリータ ーだし、ひまだし : : : 」 涙が出そうになった。 「この件がかたづいたら、ちゃんと生活を昼間にもどして、 できたら仕事とかされたほうがいいと思います」 そうなれば、あなたはどこか遠いところに行ってしまうの よね、と口に出しかけて、その思いを飲み込んだ。 「事件が解決しても、友だちでいてくれますよね」別のいい かたで、尋ねた。 少しの沈黙。 「もちろんです」 力強い声だった。 彩子の心は、天までのぼった。もしかしたら、彼もあたし と同じ思いを : : : いいえ、ありえない。 そのとき、インターフォンの呼び出し音が聞こえた。 「いきなりドアを開けちゃだめですよ。まずモニターで顔を 確かめて : : : あと、この電話、切らないで」 テレビモニターをのぞいた。スーツ姿の男がふたり立って いる。ひとりは背が高く面長。もうひとりはがっちりした四 角い顔ーー、彩子は、その顔には見おぼえがあった。 「神奈川県警の、稲見と秋山です」 「インターフォン越しに、警察手帳を見せてくださいとおっ しやられたので安心しました。正しい対応です」 ふたりを客間にとおすと、長身の稲見刑事が笑みを浮かべ た。強面だが、なつつこい人物のようだ。 「ええ : : : まあ」彩子は、あいまいにうなずいた。秋山刑事 には面識があるように思えたが、モニター越しだと自信がな い。そこで、桜井のアド・ハイスに従ったまでだ。 ふたりの前にコーヒーの人ったカップを置き、向かいのソ フアに腰かける。 「ついでに、お教えしときますとね」稲見は笑顔のままだ。 「本物の刑事と偽の刑事の見分け方がありましてね」警察手 帳を、スーツのポケットから取り出した。「ほら、これ」 手帳に安全ピンがつけられ、ピンについたヒモがポケット まで伸びている。 「刑事は飲んべえが多くてですね。酔ってすぐ手帳を落と す。失くしたら大ごとですよ。それで絶対に手帳にヒモをつ けて、ポケットにつなげています」 「逆に、ヒモのない警察手帳を見せられたら、偽者だと思っ子 てください」以前訪ねて来た秋山が話を受けた。あのときはの 形式的で、半信半疑の態度だった。 うんちく 「それで、今日は : : : 」薀蓄なんかどうでもいい。彩子は不 あきやま

5. 小説新潮 2016年12月号

に子供見てもらって、その言い方はないだ恵のことは好きだけど、蓮音を産んでかてこうなるのだろう。 英多は混乱して、黙り込んでしまう。 らちょっと変わってしまった気がしてい ろ。ちょっと目を離しただけじゃないか。 ちゃんと遊んでたよ。いいじゃん、たまにる。それまではもっと、優しくて丁寧な態いつもこうだ。喋るのは得意のはずなの 度で、いつも俺のことを気にしてくれていに、恵と話していると、脈絡がなさすぎ はチョコぐらい、子どもなんだし」 蓮音は恵の腕の中で反り返って泣いていた。今じゃなんでも子どもよりも後回して、どう答えていいかわからなくなる。女 る。せつかく一緒に機嫌よく遊んでたので、邪魔にされることすらある。こんなには子宮で考える、ってこういうことをいう 頑張って働いているのに、それでは報われのかな。なんでこの話になったのか、俺に に、台無しにしたのは恵じゃないか。 はさつばりわからない。さっきのアルミ箔 なんでたまの休日に、買い物させられない。 て、トイレット。ヘー。 のこともそうだけど、事実を全然見ようと ハーごときでダメだし 今日だって、本当はせつかくのオフなの されて、子どもと遊んだらこんな怒鳴られだから、のんびり好きなことをしたかっしないで、頭の中の心配事に振り回され なきゃいけないわけ ? 俺、ちゃんと手伝た。映画を見たり音楽を聞いたり、自分のて、ヒステリックになるのだ。蓮音がロに 好きなことをしたかったのに。恵には仕事人れたのは、ごくごく小さな、アルミ箔の ってて、結構偉いと思うんですけど ? 「腹減ってたのに、ママがでかけちゃったのプレッシャーもないし、毎日家にいての欠片じゃないか。実際に喉に詰まらせたわ から、俺もれおたんも頑張って、チョコ食んびりできるから、俺の気持ちはわからなけでもないし、チョコだって小さく砕けて いよな。 いて喉に詰まる大きさの物はないのだか べて待ってたんだよな ? 」 「私は、家政婦じゃないよ。英多のお母さら、現実としては何一つ危険なことは起き 息子の顔を覗き込んで言う。本当に腹ペ んでもない。毎日ゆっくり眠りたいし、自ていない。なのに、勝手に最悪の事態を コだ。早くお昼にしてほしい。 返事がないので見ると、恵は見たことが分の時間もほしい。仕事も思い切りした妄想して。ハニックになり、俺を責めるの ないような怖い顔でこちらをじっと睨んでい。誰かに褒めてほしいし、いたわってほだ。 なんでいつも、男が悪者なんだよ。 いた。この頃、どうしたのだろう。苛立っしいし、ありがとうって : : : 言われたい そんな思いを飲み込み、英多は精一杯明 て怒ってばかりで、正直言って気持ちが休よ」 え ? なんで今、急にそんな話を始める るく言ってみた。 まることがない。せつかく仕事が乗ってき 「とりあえず、飯食おうぜ ! 」 て、収人もアップしたのだから、もっと大んだ ? なんかすごい泣いてるけど、蓮音 にチョコをあげるな、って話から、どうし 事にしてくれてもいいだろ。 ( つづく ) イ 2 イ

6. 小説新潮 2016年12月号

小五郎から言葉を奪った。何かを言おうとな学問ができないからと、島の者たちが金んなに遠いところじゃない。こっちが落ち しても、声が出ない。自分が今、最後に残を出し合ってくがに送り出し、学ばせたと着いたら、お前も一度遊びに来てくれよ。 った最も大切なものを失おうとしていると聞いている。時代が下っても、島にいい学歓迎するから」 いう現実の前に、小五郎は声すら出せなく校がないことに変わりはない。耕一の息子「ああ。それはいいな」 なったのだった。 である吉男が、一橋平太社長以来の神童で 自分が島を離れ、くがに住む耕一を訪ね 「おれの親も年を取ったから、本土で自分あるなら、当然くがのいい学校に通うべきる様を思い描こうとしてみる。まるで想像 だった。 たちだけで暮らしているのが不安になっ できない。おれがいるべき場所は、鍾乳洞 たみたいなんだ。少し前から、こっちに 「島には愛着があるから、なかなか決めらの暗闇の中だと改めて思う。九州の坑道の 帰ってこないかって言われてたんだよ。 れなかったんだけど、やつばり吉男のため中ならまだしも、華やかな東京は遥かに遠 い場所だった。 ただ、おれにとってはもう、島が故郷だを思えば本土に行くべきだと思ったんだ。 からね。いまさら本土に移り住む気にはそれでしばらく前から、転勤願いを出して その夜、小五郎と耕一は小学校以来の思 いとこ なれなかったんだけど、糸子が乗り気でいた。幸い聞き届けられて、本土への転勤い出をさんざん語り合った。思い出せるこ さ」 の辞令が出た。おれたちは一家で、本土にとには果てがなく、いつまでも話が続けら 糸子というのは、耕一の妻である。糸子引っ越すよ」 れそうだった。友と語り合うひとときが楽 の両親は島に住んでいるが、耕一の両親と「そうか。よかったな」 しければ楽しいほど、そこには悲しみが忍 同じく、いずれはくがに帰りたいという気安堵したことに、ようやく出た声は震えび寄る。小五郎の心の底に降り積もる悲し 持ちがあるのかもしれない。糸子は、自分ても掠れてもいなかった。ごく普通に、友みは、またひっそりとその嵩を増した。 がまず先にくがに帰り、両親を待っというの新たな生活を祝う言葉になっていた。こ 4 意図なのだろう。 れでいい。くがに移り住む耕一に、思い残 2 よしお 「それと、吉男のことがね。おれはこの島すことを作らせたくない。友は、笑って送 月日は流れ、人は老いる。足腰が弱くな が大好きだけど、吉男を育てるのにいい場り出したい。 所なのかどうか、迷ったんだ」 「お前とも長い付き合いだから、別れるの っていた父は寝込むようになり、やがて消 へいた 一橋産業の社長である一橋平太もまた、 は辛いんだけどな。ただ、お前も本土で暮え人るように身罷った。母はその後三年生 かって神童と呼ばれたそうだ。島ではろくらしたことがあるからわかるだろうが、そきたが、ある冬の朝に土間で倒れていると 330

7. 小説新潮 2016年12月号

るのも当然だ。小五郎自身も、探索が惰性れたんだろうから。啓太もそれはわかって と感心した。 になっていたことがないわけではない。こて、うちに就職したはずなのに」 「いくらくらい貯めたんですかー わかっていたとしても、くがを懐かしむ さすがにこの質問には、答えていいものこを乗り越えればまた気持ちが戻ってくる のだが、果たして啓太は乗り越えるだけの気持ちは抑えられないのだろう。啓太が気 かためらいを覚えた。耕一ならともかく、 の毒なような、こらえ性のなさを叱ってや 啓太相手に貯金の正確な残高は言いたくな執念を持ち続けられるだろうかと訝った。 りたいような、複雑な気持ちになった。こ い。その一事をもって、耕一と啓太は自分「あいっ最近、本土を懐かしがるようなこ んなふうに案じてやるのは、まだ啓太を弟 の中で同列の存在ではないのだなと自覚しとをよく言うんだよね」 た。小五郎にとって啓太はまだ、耕一と同ふたりきりのときに、耕一はそう教えてのように思っているからなのかと、己の気 くれた。やはり、と小五郎は頷く。もう啓持ちを再確認もした。 様に信じられる相手ではないのだ。 「まあ、向こう二年はまだ食っていけるか太は、御用金探しだけではなく、島暮らし何か目立った進展があればいいのだ。な そのものに倦んでいるのだ。くがの暮らしんらかの手応えがあれば、啓太の情熱は戻 な」 ってくるだろう。そう考える小五郎自身 少しぼかして答えたが、それでも啓太はを経験している小五郎には、理解できるこ とだった。 も、空しさを感じていないわけではなかっ ヒューとロ笛を吹いた。 「そんなに貯めたんだ。それなら、油の値「子供の頃にここに来たおれと違って、あた。この辺りで成果が欲しいと考えるの 段なんかいちいち気にする必要もないですいつは就職と同時に島暮らしを始めただは、小五郎の思いでもあった。 その願いが叶ったと言っていいのだろう よねえ」 ろ。最初は無我夢中で働いているからなん これは嫌みなのだろうか。初めて会った とも思わなくても、そのうちここでの暮らか。日曜日に三人で鍾乳洞に人っていると 頃の素直さが、どんどん薄れてきているよしに退屈し始めたんだよ。銀座や浅草にまきに、ついにそこに行き当たった。見つけ うに感じられる。かわいい弟、と思っていた行きたいなんて、愚痴っぽく呟いてる」たのは啓太だった。そのときは先頭を歩く 小五郎がカンテラを持ち、耕一が地図を確 たのは、いったいいっ頃までだったか。失「くがに転勤する可能性はないのか」 啓太のためを思って、そう尋ねた。もは認し、啓太が左右に目を配っていた。啓太 われていくものが悲しかった。 熱意や情熱が冷めているのが原因なのだや、啓太が仲間から抜けるのは仕方のないは「あっ」と声を上げ、立ち止まった。小 五郎と耕一も足を止め、振り返った。 ことと思えていた。 と、小五郎はわかっていた。啓太は明らか 「そこ、何か見えた」 「あるけど、啓太は当分ないだろうなあ。 に、御用金探しへの興味を失いかけてい る。なんの成果もないのだから、いやになあいつは最初から、島で働くために採用さ啓太は左側の壁を指差した。言われて小 321 邯鄲の島遥かなり

8. 小説新潮 2016年12月号

桜子が大きく頷いた。菊雄が天を仰いで ありがたいと思う反面、比呂海はまだ申ける。若いころの愛子そっくりの笑みだっ 8 いる。紅子の手が、そっと比呂海の背をさし訳なさに身の竦む思いのするときがあた。 する。 る。こんなにも他人に厄介になってよいも黙ったまま高志の顔を眺めていた愛子 「 : : : 今度、聴かせてくださいね、比呂海のか。わたしはじぶんを甘やかしすぎていが、やがてにつこりと徴笑み「お帰り、た さんのチェロ」葵のことばに、比呂海はゆないだろうか。 かちゃん。クッキー、焼けてるよ」、高志 つくりと目を上げた。 「ここにいたのか、父さん母さん」急に日の手にじぶんの手を重ねた。高志の目が潤 「楽しみに、しています」言って、葵がほ差しが遮られたと同時に、聞き慣れた声がむ。 ほ笑んだ。いままさに開いたばかりの花の降ってきた。まさか。驚きとともに振り仰「うん。いっしょに食べよう」 ような笑みだった。 ぐ。前に会ったときよりも、やや横に成長「そのあと合奏もしようね した息子の高志が立っていた。 「うん。すごい下手になっちゃったけど、 「暑くないかい、愛子」比呂海は車椅子に「高志 : : : 」あとのことばがつづかない。 おれ」 座る愛子の顔を覗きこんだ。無表情のまま高志は淡々と「急に出張が決まって、びつ 「だいじようぶ。あたしが教えてあげるか 愛子がかすかに首を振る。「そうか。陽も くりさせようと黙って帰って来たんだ。そら だいぶ翳ってきたからなーよっこらしよ、 したら家にはふたりともいなくて、えらい 「うん。だけどお手柔らかにね。ふだんは 声をかけて比呂海は横のべンチに座る。 威勢のいいおばちゃんがいてさ。おれのほ優しいのに、母さん、ヴァイオリンのこと 丘の中腹にある公園にふたりで来ていうがびつくりしちゃったよ。で、そのおばになると急に怖くなるからさ」高志が生真 る。雨の季節は終わりを告げ、初夏の太陽ちゃんに : : : 聞いたよ、ここしばらくのこ面目な顔で言い、愛子が声を立てて笑っ が眩しい季節になっていた。 とを」話した。 た。ああ。比呂海はくちびるを噛みしめ あの朝以来、 383 のメンバーがかわる「 : : : そうか」やはり短いことばしか返せる。愛子の笑い声なんて、いったい何か月 がわる手伝いに来てくれている。今は紅子ない。高志は、ふつ、視線を比呂海から外ぶりだろうか。しやがみ込んだ姿勢のま がタ飯の支度をしてくれているはずだっすと、愛子の正面に回り、膝を地面についま、高志が比呂海を見上げる。 ( 0 た。みなの助言を容れて介護サービスにも 「父さん、お疲れさま。そしてごめん。な 登録した。もう少し愛子の状態が落ち着い 「 : : : ただいま、母さん。長いこと留守しんのちからにもなれなくて。でもこれから たら、ディサービスも利用する予定だ。 ちゃってごめんねー愛子の手を取り笑いかはおれがいるからさ」

9. 小説新潮 2016年12月号

いなのに、うんと年上の人と話してる気が彼女はくるっとふり向き、「その話詳しイー、サラダ、さらにはおにぎり、お刺身 するときがあるよ。もう性に振りまわされ く。また聞かせて」と、いった。 など、いろんな料理につぎつぎと振りまい る時期もすぎたって感じ」 梅村こほ、なんだかにくめない人だなとて魔法てきな美味しさに変えてゆくという 「はあ」 思いながらべッドに横たわる。梅村さんのものだった。 「私、夢の中で目的地がわからなくなってために眠るのだと思うとき、これから人っ それを眺めながら梅村さんがいうには、 さまよい歩いてたっていうの、欲求不満のていく眠りに親しみを感じ、眠りに落ちる「あー、この子もいいんだけどねー、僕ほ ひじま あらわれだと思う。恋人ほしい ! もう何までのほんの数分の時間が待ち遠しかつんとは火島イシャルラがよかった」 年も恋愛してない。どこに行けば素敵な人た。自分と相性のいいクライアントのため梅村さんがプライベートでは自分を がいるんだろう ? 人恋しいよーって。仕に眠るときに、こんなうずうずするような「僕」ということに、はじめはおどろいた 事にはなんの不満もないの。やりたいことよろこびがある。とびらをあけて、そこでものの、暖かくした部屋で e シャッとハ やらせてもらえてほんとうにありがたい。 見聞きすることが楽しみなような、クライ フ。ハンツの部屋着で、かっこいい長い脚を プライベートだけがもう、ずっと : : : 」 アントの中へ遊びにいくような気持ちになさらした彼女は少年のようで、すぐに違和 そのとき机のしたで、十五分に設定してれる。 感は消えた。 いるタイマーが震動した。 「火島イシャルラはちょっと影のある美貌 「すみません、相談時間は十五分と決まっ ですもんね。商品のイメージカラーの赤 ていて。またこれからふたコマ、四時間代 エリザベステトラ・ソルトのテレビコマと、ポリュームある料理がつぎつぎ出てく 理睡眠に入りますね」 ーシャルを、私は梅村さんの部屋で観た。 る食卓の絵に、びったりとはいいにくいか 「はい。よろしくお願いします」 年末から彼女は実家に帰省していて、一月も」 梅村さんは肩を落として、熱弁をふるつ 三日のきよう東京に戻ってきた。テープル 私がそういうと、梅村さんはソファーに 士 たせいか頬が紅潮していた。 もたれて口をとがらせた。 には梅村さんの故郷の地酒と近所のスーパ 眠 ーで買ってきたつまみがある。 代理睡眠室を出る彼女の背中に私はい 「まあわかってたけど。そうかんたんにイ み シャルラに会えるわけがないよね」 コマーシャルは、日焼けしたスレンダー 「私は老成してるとか達観してるとかじや美少女が真っ赤なミニ丈のワンピースを着梅村さんは火島イシャル一フがかなりすきや なくて、たんに経験値が小学生で止まってて、エリザベステトラ・ソルトをローストなようで、玄関にはいきなり彼女の大きな るだけだと思いますー チキンや魚のグリル、ステーキ、ス。ハゲテ 。ハネルがあるし、寝室にもポスターが二枚

10. 小説新潮 2016年12月号

ど、友だちとゆっくり話せないから、わた はしよっちゅうわたしの意見を訊いてくるんなふうに見える。だからこそ、オーディ しはやめて欲しいです。一度、友だちがい し、次はいつにしようかと、三人の予定をションに合格できるのかもしれない。 ばらばらと。ヘージをめくる。字が小さくない隙に、「もうわたしの友だちに関わら すり合わせているのもわたしだ。それなの に、いざ集まると、自分だけが場違いに思て、びっしり書いてあるから、何回読んでないで。友だちも、本当は〇〇くんのこ と、嫌いって言ってたよ」と、その男子に も新しい発見がある。服や髪型やメイク えて仕方がなかった。 手を伸ばして、近くのカラーポックスかや、そういうきらきらしたページも好きだ言いました。でも、全然分かってくれなく ら、十月号の『 can ・ Day! 』を取り出しけれど、わたしがよく読み返すのは、一色て、やつばりわたしたちにつきまといま ートの保健す。ろく兄、どうすればいいですか ? た。十日前に発売されたもので、昨日、明で印刷された読者ページだ。ハ たかなしみこ 日花から借りたばかりだ。高梨弥子ちゃん室という、悩み相談コーナーは、気分が落 ( 石川県歳 / まかろん ) 友だちとゆっくり話をしたいという気持 が表紙に写っていたり、特集などで大きくち込んでいるときにこそ目を通したくなっ 載っている号は、わたしが絶対に買うけれた。みんな、楽しいだけの中学生活を送っちも、人からずっと見られているのは嫌だ ど、そうではないときには、つい明日花をているわけじゃない。そう思わせてくれという感覚も、 ' それはきっと当たり前のも ので、僕にもとてもよく分かります。けれ 頼ってしまう。明日花のお小遣いは、わたる。 ども、まかろんさんはいくつかの大きな間 しの三倍だ。 違いをおかしています。ひとつは、その男 ◆友だちを好きな人 弥子ちゃんは、靴下の特集に出ていた。 顔が小さくて髪がふわふわで、本当に妖精わたしの友だちのことを好きな男子がい子に嘘を吐いたこと。そして、その子が傷 みたいだ。レースやフリルのあしらわれます。その男子は、友だちの隣の家に住んつくようなことをわざと言ったこと。それ た、淡い色の靴下がとてもよく似合う。どでいて、ニ人は幼馴染みです。ちょっと変から、友だちの気持ちをまかろんさんが勝 んな表情を浮かべていても、必ず少し目元な子で、ほかに友だちがいないからか、休手に判断したことです。どんな理由があっ が恥ずかしそうな弥子ちゃん。きっと、優み時間も放課後も、わたしとだちのあとたとしても、人を傷つけていいことにはな しい子なんだろうなと思う。弥子ちゃんがをずっとついてきます。そして、ちょっとりません。また、その男子と友だちとの付 離れたところからわたしたちを見て、にやき合い方は、あくまでニ人が決めることで 誰かに嫉妬したり、悪口を言ったりすると す。だからといって、まかろんさんが友だ ころは想像できない。いや、弥子ちゃんだにやしています。友だちは優しい性格で、 「〇〇くん ( その男子の名前です ) のお母ちとニ人で遊びたいという思いを我慢する けじゃなくて、『 Can ・ Day! 』モデルは、 みんな性格がよさそうだ。明るくて、親切さんに、よろしくねって頼まれてるから」必要はありません。自分の気持ちを丁寧 で、礼儀正しくて、はきはきしている。そと言って、その子の面倒を見ているけれに、言葉を選んで友だちに告げて、そして リノヾース & リノヾース