仕事 - みる会図書館


検索対象: 新潮45 2016年8月号
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1. 新潮45 2016年8月号

続けながら日常を取り戻すことができた。 そんな身の上にも拘わらず、一一人の息もかなりの心理的なダメージだと思うの げばく そのあたりの詳しいことは、拙著『解縛子の長期留学のために、思い切ってオー で、部屋をきれいにしておくのがせめて 、母の苦しみ、女の痛み』 ( 新潮文庫 ) ストラリアに引っ越してしまった。夫はものおもてなしだ。遺品整理をする夫の をお読み頂きたい。 家事と育児とに専念し、私は日本と手間も考えて、なるべくものは少なく。 現在、その歳となった私は、死ぬのオーストラリアを 3 週間すっ往復する出出かけるときには、このまま戻れなかっ が怖くて仕方がない。理由は一一つある。稼ぎ生活だ。他人の人生に巻き込まれでたときに人に見られても大丈夫かどうか 一つは、漠然と芻ぐらいで死ぬと思ってもしない限り、発想の転換はできない。 を考えて点検する。脱いだ下着が落ちて いたから。そしてもう一つは、 3 年前に今は私の代を奴のデュアルライフにいたり、飲みかけのコーヒーがテープル 夫が仕事を辞めて今は私が唯一の働き手巻き込んだ夫への恨みは咸対に変わってに置いてあったりすると、いかにもつい であるというプレッシャーだ。 いる。こんな面白い暮らし、あなたが仕さっきまで生きていたという生々しい印 病気と育児と仕事で激動の代をなん事を辞めなきや思いっかなかったねと。象になってしまう。なるべくきっちり片 とか終えた時には、これでやっと平穏な自分が一家を支えるなんて、うかつに付けて擁機的な印象にしておけば、多少 もまるで人生の「主疋になかった。プレツなりとも妻惨さが軽減されるのではない 日常が訪れると嬉し涙にくれたものだ。 なのにその翌年、夫が仕事を辞めた。おシャーで久々に。ハニック発作がぶり返しかと思うのだ。 いおい、差刄読めよと言いたくなるが、 た。寝不足で死ぬんじゃないかというぐ 健やかで自由な心持ち 決めてしまったものは仕方がない。こうらいハードに働いているので、身体的な しかし片働きになって、楽になった一 して、想定外の女片働き世帯となった。危機感もある。代は何があっても不思 面もある。輝くために働くとか、仕事の それにしても世の畧が、これほどま議ではない。 でにしんどい思いをしているとは知らな出稼ぎ中、束示の一人暮らしの部屋で発とか、どうでもよくなったのだ。と かった。一家を養うってことの重さを初べッドに入って目を閉じるたびに、このにかく一家を養う。ご飯を食べさせ、学 めて実感した。まして不安定なタレントまま目が覚めなかったらどうしようと思校に通わせ、家賃を払う。そのためだけ 繁。明日仕事があっても来年は無職かう。だからいっ何があってもしくなに働けばいいのだから、「私にとって仕 もしれない。もしも私が倒れたら、と考いよう、常に部屋を片付けている。どな事って ? 」なんて悩む必要はない。どう えるだけで足がすくむ。 たかわからないが一を見つけるだけでりで畧誌に「俺と仕事ーなんていう特 かか August 2016 30

2. 新潮45 2016年8月号

て一目置かれていただけに、彼の「お別 をないし忘却して働いてきた。しか合わないのだろう。 し最近は、増え続けるガン死や災圭屍の私自身は「死にとうもない」と言うかれ会」には大勢の人々が詰めかけていた。 せいか、誰もがある種の死生観を求めてもしれないが、檀家さんを送り出すにはそんな中、上司がスピーチをして彼のこ とを悼んだのだが、周囲からは「お前、 いるのを感じる。「生」も「死」も個人それでは困るので、本当に困る。 よくいけしゃーしゃーと : : : 」といった 化し、ありあわせの。ハッケージでは間に 一一一口葉も出た。 彼の自殺の理由は「失恋」とされてい たが、一部の人からは会社の仕事が大変 訪「仕事ごどき」て で、この上司が彼をに追い込んだ といった話も出てきたのだ。だから、直 接の自殺のきっかけとなったかもしれな 品身を戚ばすな い人物なのに、上司という立場があるだ た 1973 年東京都生まれ。一橋大学商学 ぬ 部卒。博報堂、ライター、雑誌編集者をけで登場し、追悼の言葉を述べた。 中川淳一郎 経て現職。著書「ウェブはバカと暇人の 死 「なんで死ぬ必要があったんだよ : ・ : ・」 ネットニュース編集者もの」「好きなように生きる下準備」等。 と誰もが思ったのだが、この時、仕事 昨今、「プラック労働」により、体力る限り、 2 人の死者が出た。一人は先輩というものの重さと辛さを実感すること 的な盟で死んだりな限界から自で、自宅に帰り夕食を食べていたとになる。いや、仕事というよりも「カな 殺をする例が多数報じられている。ここころ、突然嘔吐し、そのまま死んだといネ」かもしれない。人生ってなんなのだ齟 で考えたいのが、果たして「仕事ごとうものだ。相当忙しかったらしいが、どろうか。我々はたまたまこの世に生まれ身 で き」でわざわざ自分の人生を終わらせてこまで身体に不調があったのかは分からた。読者のも、すべてお名前を持ち、 いいのか、ということである。 ない。もう一人は、とあるホテルで首をこれまでの人生を過ごしてきた。なぜ、 自分はメキシコに住むホセさんではない仕 私はかって激務で知られる会社・博報吊って自殺した同期の畧だ。 堂で働いていたが、在籍していた 19 9 彼は筋骨隆々のイケメンで、将来を嘱のだろうか。なぜ、自分はスイスで自宅 7 年から 2001 年の 4 年間で自分の知望されていた。我々の中では人格者としに核シェルターを持ち銃を持っデビッド なかがわじゅんいちろう 国

3. 新潮45 2016年8月号

未来はいつも頭の中にしかない。過去は、現在しかない。どうにも切羽詰まつのふえた当節演劇事情のおかげで、まっ も同様だ。かって私はあんまりそれらにていて、運命も叩も、呑気なファンタたく仕事をすることなく劇場に出かけな ければならない日が増えて、いまさらな 苦しめられた。そして今、生きることはジーでしかないのである。 がら家内の靃さが身にしみる。 悩むことから、働くことになった。私に 妻が身体の不調を訴え、ステージ 4 の 胆嚢癌で肝、リン。ハ節転移も認められる 方 と、都立駒込病院で診断されたのは昨年 三月だったが、麋通院は語、外出や ふだんの買物にも出来得る限り付きそう 妻のいない日々 集 ようっとめた。 この療養中、シアターイースト『蜜柑 た 19 3 5 年東京生まれ。文化学院卒。新 劇劇団の演出部員を経て、「精選落語会」 とユウウッ』、三越劇場『十三夜』、帝国 ぬ 矢野誠一 をプロデュースする。著書に「戸板康ニ 死 劇場『エリザベート』と三本の観劇をと 演劇評論家の歳月」『昭和の藝人千夜一夜」等。 もにしている。観劇は読書とともに彼女 たまに米飯を炊くこともあるが、殆んの趣味で、いつもは友人と一緒かひとり 妻が旅立って、八ヶ月になる。 で出かけていた。年に一一〇〇本からの芝 一人暮しに馴れましたかと訊ねられるどが。ハン食で、それに目玉焼にサラダ、 ことが多いが、正直馴れたとも、馴れなシリアル、珈琲が加わる簡単なものだ。居を仕事で観ている私は、妻と並んで劇 いとも言い難ねている。馴れる馴れないそれでも用意して、食べて、薬をのみ、場の十に坐ったことが、まったくと言 にかかわらず、ひとりで取る朝食のため食器を洗い、棚に収めるまでほぼ一一時間っていいほどなかった。だいたい私の仕 事に関しては一切口をはさむことがなく、 に費す時間だけは、真底勿体ないと思う。を費す。 常時服用しなければならない薬剤を、数夜はに仕事をしないときめて、既相当の読書家でありながら、私の書いたれ 回に分けることなく朝食後にまとめてのに五〇年になる私にとって、午前中の一一ものについては誤植を指摘するくらいで、の むよう調剤してもらっているので、朝食時間はすこぶる貴重で、原稿の一一、三枚他人の著作のように感想を述べることも は書ける時間だ。しかも圧倒的にマチネなかった。そんなわけで、ともに暮した は欠かせない。 やのせ 国

4. 新潮45 2016年8月号

はもう船を出して漁に出かける。午後、して親会社から出資を受けたうえで運営を稼ぐ行為というのがまず最初にあり、 大漁だよ ! となると、浜辺で待っていをしている。こうした企業の中で軌道にその後に「自己実現」などが来るのであ た妻がその魚をおいしく料理する。料理乗ってきた会社の社長や取締役を取材し、る。 ここまで。へシミスティックになってし 人は、東示・青山や銀座に店を構える人これまでの同社の歩みをドラマ仕立ての まったものの、小学生時代の徒競走に始 気店のオーナーシェフ。その人がの文章に仕上げるのだ。 そこで社長に会うのだが、まだ代のまり中学生の定期試験に繋がって今に至 技で食材をとんでもなくおいしくする。 者はその料理を食べて「こんな食べ若者も多い。いかにして会社を成長させる競争の机にもう耐えられなくなって 方があるなんて感動しました」なんて言たいかや、これまでの挫折、先輩贄かしまったのだ。小学校までであれば、カ らの助言でハッとしたことなどを自信たネのために競争するようなことはなかっ つぶりに話す。この取材自体は新しい話たのだが、中学以降は高い内申点を取る さらに、この番組を作っているスタッ フにしても、遠くまで取材に行き、膨大を聞けて楽しいものの、毎度毟感を抱ための競争に突入する。 人生の多くの時間は競争に費やされて な時間の撮影を行ったうえで厳選した場いてしまう。 なんで、こんなにこの人達、向上心あおり、そこに勝利した者のみが穏やかな 面をし、分番組にまとめあげる。 どうだ、ここに登場する人々〈責が立派るの ? と。を見れば、新しい事死に向かう権利を獲得できる。 ではないか。さらに、彼らは自分の仕事業がスタートしやる気に満ち溢れたと書今となっては自殺した同期・ z 君の心 をより高みに上げようと日々努力を続けく人や、転職をして新天地でのさらなる情に近いかもしれない。 z 君と喋ったこ な 活躍を宣一一一口したりもしている。皆、キ一フとはあまりないが、私と同様に筋トレが ている。 す どうせ死ぬというのになぜここまででキラとした人生を世間に対して披露して趣味であり、そのべンチプレスの実力は 日本のものだった。そんな彼がなぜ身 きるのだろうか、と最近は自分以外の働いる。この状況にもう耐えられない。 仕事とは何なのか。就活をする学生か死んだのか。歳のあの時はただ悲しか く人々に対して畏怖の念しか覚えない。 今私はとある企業の社史を書く仕事をらすると「自己実現」や「社会をよりよったが、今になって思うのはもし彼が生 している。同社は様々な「丈ム社を傘下にくするための活動」といった話をするこまれ変わらなかった場合、それはそれで仕 抱えているが、こうした子会社はやる気とだろう。だが、本当のところは、自分苦痛が減ったのかもしれないな、という のある若手が手を挙げ、棗計画書を出の人生を少しでも長引かせるためにカネことである。

5. 新潮45 2016年8月号

次 目 橋本大ニ郎 兄が生きた年月をもう超えた 加藤廣 死刑判決「執行猶予中」の我が身 養老孟司 神は詳細に宿る 小島慶子 死ぬのが怖くて仕方がない 矢野誠一 妻のいない日々 高田明 人の死はその人のものではない 橋本ム 体を使いきって死ぬ 人生を謳歌する自死をした哲学者の話浅羽通明 最果タヒ“ 軽薄なきみでいて 坪内祐三 厄年にサイボーグになってしまった私 玄侑宗久 「往く」のではなく「還る」 中川淳一郎 「仕事ごとき」で身を滅ほすな 徳岡孝夫 老人は「気兼ね」ばかり 特集 〔表紙写真」 広瀬達郎 東京都 〔扉〕天牛高木亮・ 居酒屋チェコ亭 レンジタンドリーチキン オガワチェコ・ デサイン : : : 大野リサ + 川島弘世 目次・特集扉写真提供 : : : 時事通信社

6. 新潮45 2016年8月号

集がないわけだ。共働きの時は、仕事のいた。 は、自分で自分を幸せにすることができ 価値はやや観念的だったかもしれない。 自己評価が低く、夫に寄りかかっているという自信であった。 今は現実に足をつけた気がする。生きるないと自分を認めることなんてできなか それまで、私は夫を仏様のように崇め ことと働くことが、がっちりと ~ 旦結した った私が、一家を支えることになるなんていた。私のようなめんどくさい女を好 感じ。 て。でもやるしかない。夫にしても、経いてくれる纛な人はきっと世界に彼し もちろん、共働きだって十分しんどい。済的に相手に依存する立場は不安だろう。かいない。彼なしではきっと私は幸せに 保育園に人れるのも一苦労だし、女性のその相手がしよっちゅう泣き言を言ってなれなかったであろう、ああ、彼に出会 職場はままならない。まして畧のいたのでは一層不安が大きくなる。家族えてよかった、救済されたと。 育児休業の取得なんて白眼視されかねなが安心して生活するためには、お金と、 でも、ある日ふと思ったのだ。もし彼 い差刄だ。かなり恵まれた制度があったママなら大丈夫という信頼が必要なのだ。にめぐり合うことがなかったら、私は本 会社で働いていた私はなんとか乗り切るそう腹を決めたら、前よりもうんと仕事当に一人きりで寂しく死んでいったのだ ことができたが、それでも毎日へトへトの愚痴が減った。収人の不安に襲われてろうか : : : 案外、その時出会った人の中 だった。こんなしんどい思いをしているも、一人で膝を抱えて耐えられるようにから誰かを見つけて、それなりに幸せに のは自分たちだけ、という気分になる日なった。 なっていたんじゃないだろうか。そう初 もあった。でもどこかで、私が倒れても経済的にも覊にも一人で立っていめて思えたことに、心底驚いた。 夫がいるという安心感が支えになってもられるようになった私に次に訪れた変化生きることは到底私一人ではなし得な 牙たちは・こ ( 小熊英一一時評集 私たちはどこへ を・、・る・ー内第と・ 0 ・物をにみ 0 第・物 行こ、つとしているのか 一丁、」、つと 東日本大震災から 5 年、社会の変化が顕在化した。私たちはどこへ 定価】本体 1800 円 ( 税別 ) 小熊英ニ 行くのか。次の時代に向けた新たな試みが各地ではじまっている。 戦後 70 年 冷戦後 25 年 東日本大震災 5 年 小熊英二時評第 毎日新聞出版 〒 102-0074 東京都千代田区九段南 1 - 6 -17 http://mainichibooks.com/ 31 死ぬのが怖くて仕方がない

7. 新潮45 2016年8月号

うに有名屈名にかかわらない仏像の修復近い随身像と 5 ほどの深沙大将といこともあった。 に携わってきた。では、なぜ彼はこの仕う仏像の修復が進められていた。作腕が折れ、指を失い、虫に酷く喰われ 事にこれほどまでの熱意を傾けてきたの業を担うのは佐 ~ 彦と西子の若いてポロポロになった仏像。 だろうか 仏師一一人で、ともに東韭云術工科大学で「その一体一体を時間をかけて復兀して 宇都宮線の土呂駅 ( 埼玉県 ) から講師をしていた牧野の弟子筋に当たるといると、何とかしてこの仏像を継承した しばらく歩いた住宅街の路地に、一戸だいう。佐藤は分解された随身像の巨体のい、という当時の人々の心の有り様が見 け木や植物の蔦がからまった家がある。 一部の部材を作り、西巻はお湯と薬剤でえてくる。焦げて炭になったものは、も もとは木材の倉庫だったという建物は緑深沙大将の表面の汚れと塗料を取り除いうそれそのものを直すことはできません。 に覆われ、淡い黄色の藤の花が屋上からている。ぐっぐっと湯の沸く音、木槌でしかし、同じ仏像を再び作り、中にその 炭を納めてまで継承しようとした人々の 樋を伝って咲き乱れていた。そして、ひ部材を叩く音、鋸の音がときおり響く。 ときわ目を引くのは、木々に覆われた玄 「こうして仏像と長くかかわっています思いに、日本人が仏像の素材に木材を選 関に置かれた木彫の河童像ーーそこが牧とね、ーー」と卓袱台でお茶をすすりながんだを私は感じます」 木は加工のしやすさはあるものの、そ 野の仕事場である「吉備文化財修復所」ら、牧野は話すのだった。 である。 「朝鮮半島や中国から伝来したときはれを拝む後の人々の努力なくして残すこ 「あの河童は私が芸大時代の卒業制作で様々な素材であったはずの仏像が、なぜとはできない素材だ。外に放り投げて放 す 作ったものでして、いろいろあって今は日本では木彫一本に集約されていったの置すれば、一年後には腐って土に還って 興 再 しまうだろう。現実に廃仏毀釈の時代、 ここに置いてあるんです。おかげさまでか。木材のように腐ってしまう素材で、 この通りは『河童通り』なんて呼ばれて日本人が自分たちの宗教観を表現し、維どれだけ多くの仏像がそのようにして消社 いましてねェ」 持してきた嶸を、自すと考えずにはいえたかは分からない。そのうちに、彼は犹 か こう自身に問いかけるようになった。 作務衣姿の牧野が飄々とした調子で言られなくなってくるんです」 う。凜とした佇まいに職人の迫力を感じ 例えば、多くの仏像の修復を手掛けて「直す」とは何か、仏像を「残す」とは修 仏 させるが、第一印象は人当たりの良いいると、その仏像が過去に何度も修復さどういうことか 「河童通りの仏師」であった。 れてきた痕跡が見つかる。ときには焼け「ちゃんと守らなければ、朽ちてなくな ひんやりとした場ではこの日、 2 焦げた像の残骸が、内部から発見されるる。しかし、きちんと守っていれば、永

8. 新潮45 2016年8月号

知事選出は成り立っている。 きた舛添さんは、これまで「『清廉潔白なることが、崖から飛び降りることと譬 知事の仕事は、まず第一に 2 万 419 ( つまり女にもてないということ ) 』だがえられ、その悲壮がかっこのよいことと 2 人いる知事部局の仕事を十分に評罷な政治家と、女たらしだが有能な政される選挙がまた続くのか。比喩におい 価し、彼らが相互に助けあって働きやす治家とどちらがよいか。答は後者に決まても、いくさ文化、大和魂文化は続いて い組織文化を創造することである。だが、っている。一億一一千万人の命を預るのがおり、市民社会の一一一口説とはほど遠い。 こんな組織リーダーの基本的仕事を自覚政治家であり、とりわけ局指導者であ知事の仕事の第一一は、都けの開放的・ した知事が、どれだけいただろうか。東る首相である。女たらしでも何でもよい、民主的な文化を創りつつ、選挙で主張し 京都といわず、他県の現知事で働きやすとにかくわれわれの命を任せるに足るリ た政策を、東示をさらに暮しやすい都市 い組織文化を創るという基本的仕事を自 ーダーでなければならないのだ」と言っにし市民が幸せに生きられる都市にする 覚している人が、どれだけいるだろうか。てきた ( 「新潮菊」 1990 年肥月号 ) 。には何をすればよいのか、議会、都、 舛添さんは年 2 月の知事就任時のあ「清黶白だが罷な政治家」か、「女た都民に語りかけながら実現していくこと いさつで、幹部を前に「都政は前知らしだが有能な政治家」。こんな一一極分である。 事のあのような辞職で、信頼を失った。類のが舛添さんの幼稚さをよく表わ 拍手されたい役者たち 幹部の皆さんが、私と心をひとつにしてしている。また現代政治は 1 億 2000 課題に取り組んでほしい」と述べた。万人の命を首相に預けているわけでもな こんな当り前のことがすっかり忘れら 1 をり乙 0 0-0 ) 「私の心」なるものも分らないのに、最い。私たち一人ひとりが、億 万れ、「時の人気」というつむじ風に向っ 初からどうやって心をひとつにするのか。人に、全人類に向きあっているのである。て、既成政党 ( 選挙屋さんたち ) 、知事 そもそも組織は心をひとつにしなければ さらに 7 月末の都知事選挙を前にして、候補 ( 俳優 ) 、東京都民 ( 観客 ) が巻き いけないものか。猪瀬さんへの信頼は失舛添さんが口を極め罵り続けた女性政治込まれるようになったのは、いっからか。 われたが、示都付政への信頼はまだ失家の一人小池百合子さんが、「崖から飛戦後 6 人目の知事、石原慎太郎 ( 19 われていなかった。それ故に新知事が選び降りるつもりで立候補する」と言って 99 年 4 月から 2012 年川月、 4 期 ) ばれたのである。舛添さんのこの一一一口説は、いる。都職員も、都民も、知事候補に崖からと考えられる。その前、青島幸男さ 都を自分の使用人とみなしている。 から飛び降りられると、大変困る。どうんは典型的なタレント知事であったが、 国際政治当工旧にして政治家を自負してやって助けにいくのか。あるいは知事に彼は 4 期務めた内務省・内閣宣房出身の August 2016 104

9. 新潮45 2016年8月号

4 億と試算された恒久施設費を計画ればそれで良かったということのようだ。 残らない。 せつかく世界都市・束示のトップらししたのは、石原ー猪瀬・、・舛添と継承され舛添さんは石原知事を首似て放埒を続 く、ファーストクラスで旅何しスイートてきた似た者知事と彼らを支えてきた自け、少しだけ石原知事が破壊したを ルームに泊り、湯河原の別荘への週汞通民公明政府であった。過大な計画を立て拾った。そして石原ー猪瀬知事がこだわ いもしてきたのだから、辞任表明の記者た側が、そに行き詰って内部った束示オリンピックを、自らの神殿、 会見 ( 年 9 月 1 日 ) で、鋭くするで破裂しただけである。大悪のなかでの祭典にしようと励んだ。舛添さんの心境 小さな修整、こんなことのために知事をに立てば、指摘された疑惑はそれだけの 記者に「私は自分自身を客観的に見るこ 些末なことなのに、「日本の恥」とまで とはできるんです。あなたとは違う」と選んだのか。 答えて退席した福田康夫さんのように自同じことは、石原慎太郎知事が、無意何故言われるのか、分らないだろう。石 滅すれば、東京都民の期待をまっとうし味に創った「新銀行東京」と地銀グルー原慎太郎に許されて、自分には許されな たことになったのに、彼は小才に溺れた。プとの経営統合についても言える。ずさいことがある。それはおかしいと思って 8 いるのであろう。 2014 年 2 月より 2 年 4 カ月、舛添ん融資で経営が行き詰まり、東京都は 0 知事はどんな仕事をしたのか。 6 月日年に 400 億円を追加出資していた。す 何のための知事か の都議会で辞職表明した彼は、自らの功でに隠しきれなくなっていた。だが新銀 績として、首都直下地震への備えを書い行示 ( 石原銀行ともいわれた ) の禾ここで束都知事の役割、仕事につい朝 11 の た防災ブック「束示防災」を挙げた。レから破綻までの調査、責任追及は束示都て再考してみよう。東都知事は、 事 ジ袋を使った簡易おむつなど避難生活でによっても、都議会によっても、ほとん 00 万人を超える束都に住む絽歳以上 の工夫を載せ、都内全世帯に萪配布しど行われていない。石原知事が解体したの男女有権者に直挙きれる人である。 た。ところで、どこかの一者、コンサ東示都立大学、新たに再粡した首都大学その候補者としての人選、および集票運る 動は既成政党に大きく依存しており、加考 ルタントに頼んでもよい仕事のために、東示については、何が破壊されたのか、 で 大政治家を知事に選出したのだろうか。何か創造されたものがあるのか、検証さえて選挙時にたまたま人気のある位置に 2020 年の束示五輪・。ハラリンピッれていない。四度も選出した石原慎太郎いただけの人が、勝っための有力候補と舛 クの会場計画見直し。これはそれなりのさまによって、示を掻き混ぜてもらっして人選される。つまり知事候補、東示 ただけであり、その時どきの話題性があ都民、既成政党、時の人気の 4 構成から 仕事として評価される。だが局 458

10. 新潮45 2016年8月号

仲間とばかりつるむようになって、成績遅れで大学へ通って教職を目指すつもりじ職場の畧とくつつくケースが少なく だった。 はみるみるうちに下降。やがてまったく ない。沢井も沖縄に来て一カ月もしない ついていけなくなって、「もういいや」もう一人は、沢井愛由 ( 十九歳、仮うちに山岸と交際をはじめ、六月には同 と県内の通信制の高校へと転校した。だ名 ) だ。沢井は教師の娘として生まれ、棲を開始した。 が、そこでもアルバイトで知り合った恋上に姉が一人いる。外から見れば普通の妊娠が発覚したのは、同始から数 人と夜遊びをくり返す。年に一度のペー家庭だったが、母親が沢井を産んだ直後日後のことだった。沢井は中絶を考えた スで妊娠し、一回目は中絶、一一回目は流から重度の病で苦しみ、人退院をくり が、山岸からは「結婚しよう」と言われ 産、そして高校三年の一一学期に三回目の返した。家庭内の混乱は父親の綿も蝕た。沢井はそれを信じてホテルの仕事を 妊娠をした。 み、中学に上がった頃には両親ともに鬱辞めたが、山岸まで「俺一人で働くのが 当初、森本は中絶を考えていたが、不病になった。 バカバカしくなった」と突然仕事を辞め、 正出血を起こして病院へ行ったところ、 こうしたこともあって、沢井は高校一食費や家賃を要求してくるようになった。 エコーで胎児が生きている姿を見たこと年で非行に走る。家で病んだ親と一・緒に沢井は愛想を尽かし、逃げるように神奈 で、彼女は「こんなに一生叩に生きよいるのが嫌で、遅くまで外で友人と過ご川県に暮す祖母の家に移り住んだ。だが、 うとしているんだから産んであげたい」し、一一歳上の姉が東泉の大学へ進学してこの時すでに中絶可能な一一十一一週を過ぎ と思い直した。だが、恋人は「結婚するからは、ますますそれがひどくなった。 ていたのだった。 つもりはないから」と逃げるように去っそして高校卒業後は、一日でも早く家か そこで彼女はネットで見つけた ていった。彼女は、すべては自分が招いら離れたいと思い、派医社に登録し、 ぼけっとに連絡し、産んだ赤ん坊を た結果と受け止めることにした。そして沖縄県の観光ホテルのレストランで住み特別養子縁組に出すことにしたのである。 赤ん坊を産んで特別養十縁組に出し、一込みの仕事をはじめた。 お産後は再び祖母の家に移り住み、六月 から新たな人生を歩もうと決意した。 ホテルで出会ったのが、同じレストラからは婦人警官になるための鬲学校へ 彼女にとってはお産をすることが、こンで働く山岸健一 ( 三十一歳、仮名 ) だ人ることになっていた。 れまですべてをうやむやにしてきた自分った。観光ホテルの住み込みの仕事は岡田は、森本と沢井のことを思い返し に対する清算だったのだろう。そして彼往々にして流れ者が集まる場になっていながら言った。 女は妊娠中に大学に△屠。産後に一カ月る。そして、新しく若い女性が人ると同「あの一一人は若いし、ちゃんと前を向い August 2016 128