服姿の月衛隊員を眼にすると「不映る。 その恰好でターミナルから ~ 暈に乗り、 安」になるからと、どんなに着用反対派法を越えて彼らを縛りつけているもの。 現地に行って駐屯地が近づいてくると、 がシュプレヒコールを上げてみても、そそれこそが、日本社会という「世間」を 彼は近くのコンビニに人り、出てきたと きは佐官の階級章が光る幹部月衛官に早うした恰好でいることをやめさせる、強いまなおすつぼり覆い、規定している、 変わりしている。そして取材が終わって制力を持った手立ては現実鬮ないだろ「戦後日本」という独特の歴史空間であ 制服姿で駐屯地を出ると、再びコンビニう。せいぜいが、月衛隊は思の存在だり、そこから醸しだされる差刄」であ に直行である。タダでトイレを借りるのからと瞽の場に持ちこみ、その是非をるように私には思えるのだ。その差刄の 中で、月衛隊は長く「後民主主義」の 日う・ことくらいだ。 は申し訳ないからと、会賞風に戻った それに、月衛隊員が制服や服を着落とし子として「日蔭者」呼ばわりされ 彼は、缶コーヒ 1 やお茶の人ったビニー ル袋を下げ、どうぞ、と一本私に差し出ていることを理由に車里早に乗るのを拒否つづけ、世間の冷たい罎や関心に耐 してくる。 された、なんてことになったら、それこえながら、ひたすら任務に励んできた。 只の街中や暈の中で制服を着ていそ「市民団体」や「知識人」とくくられ〈己れの本分を守り、黙々としてっとめ ることが月衛隊内では好ましくないとさる人たちが日頃から神経をとがらせていることは、中傷に対する最大の答えであ れ、そうした場では制服を着ないことがる、ある種の「差別」ということになりる〉というジョージ・ワシントンの言葉 を、見事に身を挺して体現してみせた生 不文律となっているのか、いずれにしてかねない。 もそこまで世間の視線を気にし、「場」では、どうして禁じられてもいないのを芳だった。 に、月衛隊員は少なくとも制服姿で銀座 というものを読むのかというくらいの、 なぜ制服が「こわい」のか や渋谷、霞が関のメインストリートを歩 徹底した使い分けである。 だが、月衛隊員が制服や齧服を着て、いたり、新繽や山手線、あるいは飛行だが、昭和が終わってすでに三十年近 街を歩いたり ~ 暈に乗ることを控えるよ機に乗ったりすることを差し控えているくになろうとしているのに、なぜ月衛隊 うに定めた法律など、どこにも存在してのだろう。それは自分 2 で控えてい員は未だに堂々と制服や服を着れな いないし、逆に、月衛隊法施行規則では、るというより、何か巨大な力を憚り、差いのか。 月衛官が「常時」制服を着用しなければしさわりがあることを懼れて、制服姿に人々に不安を与えるから、戦一予感 ならないことが謳われている。 なるのをあえて避けているように私にはさせるから。そうした答えが間違いなく 151 兵士に聞けふたたび
みず困難に立ち向かおうとする勇気は、れるようになっていくだろう。月衛隊 0 「言霊」を理由に忌み嫌い、その結果、 として、後輩についてはあまり心配し原子力災害を拡大させてしまったような 他者への優しさがあるからこそだ。 掃群の中でも、当初、行方不明者ていないが、一方で政府は、国民はどう愚を繰り返してはならない。 四十年ほど前、「人の命は地球より重 だろうか。 の捜索に怯む隊員はいた。士長ばかり これまでも月衛隊には職務中の事故でい」と言った首相がいた。命の尊さとい ではなかった。しかし被災地の人々から 「ありがとう」という言葉を聞くたび、亡くなる者がいたが、彼らは「殉職」でう凜では、これは正しいのかもしれな 彼らは強くなっていった。この人たちのあり、「戦死」ではない。しかし今後、い。しかしそれは、「事に臨んでは危険 ためにがんばろうと奮起したのだ。私は月衛官の戦死者が出ることを鷦疋しておを顧みず」と服務の ~ 日蓍をした月衛官の 未曾有の災害に立ち向かった隊員たちに、く必要がある。これを私達は首薊に考え任務遂行を否定するものではないはずだ。 真の強さを秘めた「武士道を見たなくてはならない。月衛隊を戦場 ( と送世界のどの国も、国家のためにその尊い ように思っている。月衛官の勇気は、まり出す政府は、国民は、果たして「戦命を捧げた者は永遠に顕彰され、そのた さに国民の負託によって支えられている死」を受け入れる宀が本当にできていめの施設が整っている。そこには他国の るだろうか。もし戦死者が出たことで時元首も訪れる。翻って日本はどうか。国 のだ。 の政府がひっくり返るようなことにでも民は、死ぬことを従容として受け入れたか 今後、「真に戦える自衛隊ーとして、 日本も国際社会の中で役割を果たしていなれば、月衛隊は戦うことなどできない自衛官を忘れずにいるだろうか。またあ かなければならない。またそれを求めらのだ。最悪の事態を想定することを、彼らを弔うに相応しい場所があるだろ れ 入 東京下町から海外まで、 雄 8 8 受 カメラを携えて街を歩く。 目的もなく時間を気にせ一房 死 0 E ず足の赴くままに。目に書 戦 靴底の 入った光景を書きとめた摩 の 文章と写真が織りなす、 フォト & ェッセイ集。 咸りかた海 ・本体 2000 円 + 税
イマイマイスム 見聞録 ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ 今井第 ライター 矢追純一セミナー 第 54 回 「宇宙塾」 の蹶の「 sLJ 1 0 立 0 ⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ 矢追純一。私は「ちょうど」その世代に始まっているコースの第一一回で、中途 の人間であるが。幼日に、例の日テレの半端なところからの参加になりますよ」 に心躍らせたもんである。 「です」「 : : : 参茄費、一回 2 万 5 千 幻に人ってからはとんとご莎汰円になりますよ」「けけけ、結構です ! 」 であった矢追純一であるが、金取ってセ「では当日お待ちしております」。むう。 ミナーをやっているのをネットで発見。には自由参茄コース以外の値段は一 その名も「宇宙塾」。ネタに困った時の切提示されておらず、中級コースが全部 ストック用にと思っていたのだが、今月でいくらなのかも聞いてないまま言い値 は他の取材がどれも空振りに終わり、で受けてしまったが。何かこう、 早々に貯金を使うハメに。 山バリアという凜でふつかけられてる で : : : いざ申し込もうとしてで詳気が。でもまあ仕方ない二長、今回 細を見てみると、なんと初めての人間向経費高くてすみません。引してから当 けの月イチの「自由参茄」のコース日、会場へ。 ( 一回 3000 円 ) は、 6 月、 7 月、 8 代々木駅からすぐの、小さな雑居 月、 9 月分ともにソールドアウト。「現ビル内のレンタルスペース。ここで 在川月四日分受付可能です」って、そんの時分から時分までされる な先まで待てませんわ。今行きたいんだ中級・第一一回。エレベーターで乗り合わ 今 ! ということで、ダメ元での問 せた際「まさかこのセミナーに来た人じ い合わせ先に。近い日に予定やないよな」と思っていた、普通の主婦 の「中級・第一一回」に参加できないかとつぼい中年女性一一人と一緒に会場へと吸 聞いてみる。「初めての方には、まず自い込まれる。 由参加の方をオススメしてまして」「わ入り口には、「宇宙塾」とだけ書かれ かってます。でも川月まで待てなくて。たペラ一の紙が張り出されているだけで、 どうしても今受けてみたいんです」「既ことさら「矢追純一色」強調の雰囲気は
返ってくるだろうが、どれもが人それぞ月衛隊の立ち位置はおそらく今後何十年の哨戒機ーをはじめ鬻艦などが れの感じ方であって、筋道立てて納得のたとうと変わらないのだと私は思う。 国境の海で常時監視能勢にあって、中国 ゆくように説明をつけられる類いのものただ唯一、世間を支配している「後艦艇の動向をマークしていることはメデ ではない。 日本」というこの「空気」や、その空気ィアを通じて伝えられている。 しかし、ある凜日本らしいと言えば、ゆえに月衛隊の制服や服に向けられそんな中、陸海空三月衛隊のふだんの いかにも日本らしい、合理主義とは一線ていたが、劇的に変わる瞬間がある。活動の様子が人々からもっとも見えにく を画したその刄」によって、メディ災害派遣である。 くなっているのが、月衛隊全体の約六割 アを含めたこの世間は支配され、月衛隊ふつうに街中で戦闘服を見たときのにのぼる隊員を擁する陸自と言えるのか は創設以来、その空気を読んで、事を荒「不安」は、や濁流の中では「安心」もしれない。フェンスの内側で隊員たち 立てないように立ちまわることで生き延に変わり、「こわい」という感情は、戦が日々何をしているのか、たしかに伝わ びてきたと言ってもいい。酷な言い方だ闘服が飲料水を運び、あたたかな食事をりにくい。 が、空気を読むことが習い性になってき配り、風呂を用意してくれる中では「頼しかし、地震、水害、土砂崩れなどの たのだ。そしてその本質の部分は、じつもしい」に切り替わる。そうしたの大規火害に見舞われると、人々の期待 さいのところ月衛隊の存在感が圧倒的に変化をいちばん感じとるのは、見られてを一身に集めるのはこの陸自である。自 高まったいまでも、さして変わっていないる隊員に他ならない。 衛隊の災害派遣と一一一口えば、ヘルメットに いような気がする。 だから、「災害派遣になると、部隊が迷彩柄の服を着た陸自の隊員たちが 逆に言えば、アメリカの意に沿って燃える」のだ。 腰まで土砂につかりながら倒壊した家屋 「安保法制」や「集団的自衛権」といっ 月衛隊が警察や消防ほどには人々にとを叩に捜索する様子がまず思い浮かぶ。 た、目新しいニューヨークファッション って「身近」な存在でなくとも、航空自日常の活動の様子はわからなくても、い の衣裳でどんなに着飾ってみたところで、衛隊の戦闘機が日夜スクランプルに備え、ざというときもっとも頼りにされる存在 肝腎の制服を着て、首都の街中を諸外国オキナワの空で中国軍機と緊迫の「やりなのである。 の軍人と同じく月衛隊員が何の気がねもとり」をしていることは広く国民の間に だが、被災現場での彼らの活躍に感じ なく、一Ⅱ張るわけでもなく、あたり前知られるようになっているし、空自ほど人ることはしても、なぜそうした場面で のこととして歩けるようにならない限り、の認知度はまだないにせよ、海上月衛隊隊員たちが持てる力をいかんなく発揮で August 2016 152
奮迅の働きをしたことはすでに多くの証 % 、という段階的な引上げはいわば既定まい。会は、参茄者から会費を徴収のも 路線であったはずだ。しかし香川氏はけと開催するのが恒例となっている。出席 言が認めるところだ。 高度経済成長の終焉とすれ違いに迫りつして楽観しない。第 1 段階の 8 % 引上者に聞けば、根も葉もないガセネタ怪文 くる咼齢少子化社会。な増加傾向げによって引き起こされる消費減退を最書であるのは一目瞭然であったが、とも にある社会保障費を前に、その制度見直小限に食い止め、景気条項 ( 景一贔花のあれ香川氏は同年の 7 月、木下康司氏 しと新たな安定財源の確保は物とされ際には消費税率再引上げの見直しを可能の後を受けて財務事務次官に昇格した。 た。この財政健全化を最重要課題とするとする ) を付した年川月の川 % への 官僚は矩を踰えず 財務省の悲願こそが、消費税なのだ。再引上げを確実なものにするまで、一寸 香川氏はこの悲願蔑までの一肋をつけたりとも気を抜くわけにはいかぬーー先安倍首相が個人消費の冷え込みを理由 るべく与党野党の別なく根回しに動いたの怪文書はそうした香川氏の思いに水をに、年川月に予定していた税率川 % 引上げの延期を表明した年Ⅱ月。香川 人物であった。それ故に彼は「ミスター差すものだった。 消費税増税」、あるいは「増税の黒幕」もっとも、件の忘年会は筆者が主宰す氏は麻生財務相と共に首相官邸に乗り込 と呼ばれ、ときには痛烈な批判の矢面にる「マスコミ報道懇話会」の恒例行事でみ、ギリギリまで翻意を促した。 立たされながらも、財務官僚としての職ある。香川氏もスケジュールが許せば顔「増税の必要性について、最後は安倍総 務に心血を注いでいた。ところが肥年のを出してくれていたが、氏が主催者であ理も理解を示してくれたんだけど、菅さ 秋、病魔がふいに彼を襲った。食道がんれば、隣り合わせた某週刊誌長が後ん ( ( 旦房長官 ) がガンとして首をタテに 言 は一時休養を余儀なくするほどに進行し日誌面で香川氏を「財務省の 4 悪人。と振らない。そりやりすれば国民は喜 ていたが、手術は無事成功し、翌年 6 扱き下ろすことはなかっただろう。一方ぶかもしれないけど、後で必ずする 月、安倍政権下で財務省主計局長職に就で麻生財務相と筆者は同郷で、ベストセと思う。国のことを考えれば、政局にし事 財 いた。 ラーとなった著書『とてつもない日本』ちやダメだよね」 安倍政権は 3 党合意を受け人れ、アベ ( 新潮新書 ) の企画編集にも携わらせて後日、香川氏は気落ちした様子もなく 香 ノミクスの経済成長と財政健全化の一一兎いただくなど年ほどの付き合いがある。サバサバした様子でこう漏らした。 を追う公約をけて誕生したつまり、 敬愛する政治家の一人であるが、もちろ菅 ~ ( 旦房長官といえば今年 6 月にも鴈 年 4 月の消費税率 8 % 、年川月の川ん私の忘年会の財務担当まではしてくれ前回同様、財務省の頭越しに消費税率川
きるのか、そんな風に考えが及ぶことはと言っていいくらいにメディアに登場し失礼なもの言いのようにも思えてくる。 迂闊にも私自身なかった。その点は多くて、ひとしきり議論の的となるのが徴兵おそらく月衛隊にからめて徴兵制を持 ち出してみせる人たちの頭の中には、 の人々も同じだろう。警察や消防よりは制である。 るかに多くの人員を投人するから、人海その後の月衛隊の海外派遣に導肋をつ「赤紙」で成人男子を根こそぎのように 戦術で成果を上げられる。正直その程度くった、九〇年代初頭の。ヘルシア湾沖掃召集して戦場に送りこんだ旧帝国陸海軍 の考えしかなかったとも一一一口える。要する海艇派遣やカンポジア派遣をめぐのイメージがあるのだろう。だから軍隊 に陸自の隊員を、「頭数」でしか見ていっても、まるでメインディッシュの付けと言うと、イコール徴兵制で、月衛隊も 合わせのようにして、徴兵制という戦前軍隊だから、やがては旧軍のように若者 なかったのである。 角度を変えると、それは根っこの部分の豊夛が再びよみがえるのではという議たちを無理やり隊員に仕立てて海外に 送り出すという発想にゆきつくわけであ で、月衛隊と徴兵制を結びつける考え方論がメディアを賑わわせた。 徴兵制が話題になる都度、当の隊員たる。 の下地ともなっている。 だが、そこには、現実の月衛隊員はど ちがどんな風に受け止めているのか、そ 自衛隊と徴兵制 の反応については声らしい声がほとんどんな仕事をしているのかという視点が決 今回の安保法制にからめてもそうだっ聞こえてこないが、しかし私などからす定的に欠けている。月衛隊員を、たとえ たが、自衛隊の将が取り沙汰されるると、自衛隊と徴兵制を安易に結びつけば警窰昌や消防士と同じように特別な技 ような政治的贈が湧き起こると、必ずる発想自体、隊員にとってはずいぶんと能、能力が要求される職業、つまりプロ どんな夢も、手帳に書けば、計画になる。 あなたの毎日にかかせない バートナーへ。「 N 0 LT Y ~ ノルティ」はそんな願いから 生まれたブランドです 64 年の 歴史を持つ能率手帳の DNA を 引き継いだこだわリと品質で あなたのかけがえのない毎日 を、一番そばで支えていきます N ロ LTY S ー N C E 1 9 4 9 nolty. jp 153 兵士に聞けふたたび
たしてあるのだろうか。現実をみれば、努力を放棄するわけにはいかない。そしったのか。徹底した市場競争中心の社会 これは苦しいといわざるをえないであろて、もしその努力が音味をもっとすれば、であった。年代以来、今日に至るまで、 それは、古代ギリシャ以来のきわめて伝国を、いや、今日では世界全体を支 しかし、それでもそういうものがなけ統的な贈へと回帰することだ、とベル配しつつあるのは、市場原理主義なので ある。ベルの公共計画はどこかへ吹き飛 れば、社会という巨大船はどこに向かつは述べるのである。 て航海するのかも不明であろう。とすれこの書物が日本で翻訳されたころ、アんだ。市場競争こそがすべてであり、効 ば、政治というものが成立するためには、メリカはスタグフレーションに陥り、世率性である、ということになった。ベル 何か共同社会にとってよきものがある、界は同時不況に襲われていた。私は、きはいったい間違っていたのか。それとも、 と想定しなければならない。政治哲学がたるべき時代は、ベルの述べたような専時代が間違っているのか。これはな 必要とされるのである。よきものとは何門的知識を公共的に活用する「情報・知難問である。そのことを改めて考えてみ たい。 ートスとは何か、それに識社会」であろうと漠然と考えていた。 か、政治のエ しかし、実際にやってきたものは何だ 「公共的美徳」とは何か。それを求める 0 8 月号 2016 第 35 巻第 8 号・通巻第 412 号 平成 28 年 8 月 18 日発行 ( 平成 28 年 7 月 19 日発売 ) ( 禁無断転載 ) 特別定価 920 円 編集兼発行者 三重博一 発行所 株式会社新潮社 〒 162-8711 東京都新宿区矢来町 71 電話 [ 編集 ] 03-3266-5445 [ 営業 ] 0 タ 3266-5111 印刷者 北島義俊 印刷所 大日本印刷株式会社 ◎ 2016 SHINCHOSHA Printed ⅲ Japan 来月 9 月号は、 8 月 18 日発売です。 ヤマハミュージックバブリッシング出版許諾番 号 16247 P
が目立って増えている。長く年長者を敬一度、渋谷駅のプラットホームから転落国の出だ。月衛隊とて例外ではない。 ってきた日本の家庭は今、父母、祖父母したこともある。滅多に出歩かないが、 目下、海外派遣は o ( 国連平和響 を重荷に感じ、その「始末」に窮し始め出るときは向こうが当っても「すみませ活動 ) がほとんど、大規模な災害派遣の ときもメンタルダウンする隊員がいない ている。高齢者には、これまでとは別種ん」と、こちらが謝ることにしている。 の気兼ねをしなければ生きていけない時家人からは嫌がられるが、仕方がない。わけではなかったが少数派で、世間の耳 「丘を越えて逝こよ」。気兼ね第一の世の目を集めるほどではなかった。しかし今 代が来た。 すでに記したように、私は半首である。中だから。 国後はどうだろうか。平和宀女全法制が成立 した今、前線か後方かはともかく、月衛 隊が「戦う部隊」として海外に派遣され る可能性は飛躍的に高まった。 0 や 訪自衞官の「戦死」を 災害派遣とは異なる→蘿な現場に向かう ことになるかもしれない。このとき求め 受け入れる覚梧があるか られるのは、何より「死」を受け人れる た 1957 年和歌山県生まれ。四年防衛大宀ではないかと私は田 5 っている。 学校卒 ( 期 ) 。在トルコ防衛駐在官、 福本出 ぬ かっての月衛隊は、存在するだけで意 株石川製作所東京研究所長呉地方総監部幕僚長などを経て、 2 。 1 死 元海上自衛隊幹部学校長 ( 海将 ) 。年月に掃海隊群司令。年 8 月退官。味・があった。しかし ~ 果西ム印戦終蘰は実 際に運用できる組織やが求められ、 「湾岸戦争症候群」という言葉がある。出したという。「湾岸戦争症候群」、いわ現在では「真に戦える月衛隊」としての 一九九一年一月、クウェートに侵攻したゆる戦争ノイローゼである。いずれ、日訓練を行ない、多国輦とともに任務に イラクに対し、米国を中心とする多国籍本もこうした症状に対処しなくてはなら就いている部隊もある。だが、朝な刃 を持つだけでは、本当の亠嶸で強い武人 軍が空爆を開始、のちに「砂漠の嵐」作ない日が来るだろう。 戦と呼ばれた戦車戦など激しいを展こう書くと、多くの人がギョッとするにはなり得ない。実力を培うことは一一一口う 開した。終蘰、帰国した米兵たちには、かもしれない。それほどまでに今の日本までもないが、同時に、生と死について 綿に異常を来す者や自殺を図る者が続は平和で、戦争ノイローゼはどこか遠い首薊に考える必要があるだろう。海外派 ふくもといづる August 2016 60
新潮社新刊案内 〕ロシア日記 シベリア鉄道に乗って 高山なおみ絵・川原真由美 『犬が星見た』がバイブルだった。 私はページをめくるように旅に出た。 ウズベキスタン日記 ~ 空想料理の故郷へ 高山なおみ絵・川原真由美 言葉が通じないほうが、わかる 初めて会う、懐かしいひと、懐かしい味。 978 ー 4 ー 1 P333133 ー 9 978 ー 4 ー 1 P333134 ー 6 ん せ 武田百合子の名著『大が星見たーー ま ロシア旅行』。この本を愛してやまな お い高山さんは画家の友だち・川原れ さんと、航路で 6 月のロシアへ。シベ含 リア鉄道の寝台、サモワールのお茶、 バイカル湖畔の昼食。ツェントラリ消 ナャホテルの 226 号、百合子さん の泊まった部屋の扉が高山さんを招価 心ゆさぶられる夏の旅の示 表 記録。月四日発売◎ 1400 円 『大が星見た』をめぐる旅は続く。東 西文化の刻みこまれた古都を訪れ、 バザールで杏や風通しのいい衣服を 買う。記憶も飛ぶほど暑い砂漠で眠 り、ひなびた村で伝統料理を教わる。 「この切なさは恋心とちっとも変わ りない。私が少女だったら、せいせ いと、まっすぐに、恋をしただろう」 出会いに満ちた極上の旅の記録。 月四日発売◎ 1400 円
であい、ふれあい。 ・コミュニティバンク・ 助け合う気持ちが、 もっとひろがりますように。 あなな。 チカフに なりたい。 2016 年しんくみの日週間キャンペーン 小さな助け合いの物語 第 7 回 懸賞作文 2016 年 5 月 1 日 ( 日 ) ~ 9 月 3 日 ( 土 ) ※ 9 月 3 日 ( 土 ) 消印有効 信用組合は、協同組合組織の金融機関として、協同組合の精神「一人は万人のために、万人は一人のために」を大切にしています。 こうしたことから、信用組合では、「誰かに助けてもらった感謝の気持ち」、「人を助けることで感じた幸せ」、「助け合うことで達成 した目標」など、皆さんの体験した、聞いた「小さな助け合い」をテーマにした作文または工ッセイを募集します。 ー、員ロロ 1 編商品券 ( 副賞 ) 25 万円分優秀賞 3 編商品券 ( 副賞 ) ・ 5 万円分 しんくみ大賞 本仮屋ュイカ賞※ 1 編商品券 ( 副賞 ) 10 万円分入選 5 騙商品券 ( 副賞 ) 1 万円分 ※本仮屋ュイカ賞は、信用組合業界のイメー・ジキャラクターを務めている女優の本仮屋ュイカさんが選考した作品に対し、贈られる賞です。 ・応募宛先 : 〒 105-8691 日本郵便株式会社芝郵便局私書箱 39 号「第 7 回小さな助け合いの物語賞」係 詳細は一般社団法人全国信用組合中央協会ホームページをご確認ください。 http://www.shinyokumiai.or.」 p