フッサール - みる会図書館


検索対象: 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学
26件見つかりました。

1. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

えたのか不審に思いましたし、ブレンターノがあまり気に入らずすぐ捨てたらし ひょうぼう いこの言葉を、どうしてフッサールが自分の思想的立場を標榜するために使おう という気になったのか、うまく納得できませんでした。 ; 、 カそのときは通説に従 ってそう書いたのですが、その後あれこれ調べているうちに、フッサール自身一 九二八年の「アムステルダム講演 , で、この用語がマッハの「現象学的物理学」 に由来すると述べていることに気づき、すっかりあわててしまいました。 そこで、フッサールがマッハ / アヴ = ナリウスを批判した『論理学研究』第一 巻も、よく読みなおしてみますと、彼はそこで、批判は批判として、マッハ / ア ヴェナリウスの二人に深い敬意を表明してもいるのです。フッサールはある注で こんなふうに言っています。 「私が本章でアヴェナリウス哲学の主要傾向に対しておこなわざるをえない 否定的批判は、あまりにもはやく学問から引き離されたこの研究者に対する、 また彼の学術研究の純粋な熱意に対する全幅の尊敬と立派に両立するもので あるー ( 『論理学研究』第一巻、立松弘孝訳、みすず書房、一九七五年、一一一五ペ

2. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

論文 「フッサールにおける時間意識と意識の時間性」『文化』第二三巻第一号、一九五九年 三月 「生の世界の現象学 ( 一 ) フッサールからメルロポンテイへ」『中央大学文学部紀要』 第二三号、一九六一年四月 「生の世界の現象学 (ll) メルロ日ポンティのフッサール解釈ー『中央大学文学部紀要』 第三一号、一九六三年三月 「現代哲学と芸術」『哲学雑誌』第七八巻第七五〇号、有斐閣、一九六三年一〇月 「フッサールと ( イデガー」『みすず』第六巻第三号、みすず書房、一九六四年三月 「メルロ日ポンティと構造の概念ーー覚え書き」『中央大学文学部紀要』第五一号、一 九六八年三月 歴 略「肉体の形而上学、『理想』第四六五号、理想社、一九七二年二月 元 「現象学と弁証法」『中央大学文学部紀要』第六五号、一九七一一年三月 田 「現代哲学と言語の問題」『言語』第一巻第一号、大修館書店、一九七一一年四月 「シェリングとニーチェ 〈自由の体系と永劫回帰〉」『現代思想』第一巻第四号、青 土社、一九七三年四月

3. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

ルな思考作用の解明によって解ぎ明かすことはできないと、論理の自律性を主張 し、この「思考経済説」を厳しく批判します。 て 世紀の大革命家レーニンと、二〇世紀の思想家中もっとも厳密な思索をしたフ っ アヴェナリウスという ツサールが口をそろえて批判するくらいだから、マッ ( のはロクな思想家ではあるまいというのが、一九六〇年代くらいまでの一般的評 マ 価で、当然私たちもマッ ( になど見向きもしませんでした。 ス ン マッ八とフッサール 工 学 ところが、あれこれ読んでいるうちに話が妙なことになってきました。私のば 文 あい、永いあいだフッサールにはじまる現象学を勉強してきたわけですが、肝腎 学 哲 の〈現象学〉という用語の出どころをさぐっていくと、これがどうやらマッハら 演しいということが分かってきたのです。昔はこの〈現象学〉という一言葉は、フッ 終サールの先生のブレンターノに由来するということになっていました。私も岩波 新書の『現象学』ではそう書いたのですが、そのときも、ブレンターノが講義ノ ートのなかで一度だけしか使っていないこの言葉を、どうしてフッサールが知り かんじん

4. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

112 ろう。〔 : ・ : 〕といのも、神は世界を作りながら、この世界は別様でもありう るだろうと考えているのだからーと書いているそうです ( 大川勇「可能性感覚の 射程」、前掲『ムージ思惟する感覚』所収、二九九ページ ) 。この大川さんも書い ているように、むろこれはライプニツツの『弁神論』を裏がえした考え方です が、一方、ムージルこの〈可能性感覚〉にはフッサールの〈本質直観〉に近い ものも感じられますフッサールの言う〈本質〉というのも、現実的なものが生 起してくる際にのつるべき規則のようなものであり、彼はこれを、ゆるがしが たいものとされる現を相対化するための手段として使っているのです。後期の 『デカルト的省察』〔一九二九年〔においても、フッサールは自分の〈現象学〉を、 「純粋な可能性 ( 純、な表象可能性、純粋な想像可能性 ) の領域のうちに身を置く ア・プリオリな学、 : つまり超越論的存在の現実性についてではなく、むしろ そのア・。フリオリな口能性について判断し、そうすることによって同時に、もろ もろの現実にア・プリオリな規則を予示するような学」〔『フッサリアーナ』第一 巻、五六ページ〕と定しています。彼の言うア・プリオリな本質の領域とは、 ムージルの言う「 いだ目ざめぬ神のもくろみーに当たるようです。

5. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

と、このマッハとアヴェナリウスの関係も実におかしな関係で、これほどっねに セットにして名前を挙げられ、おたがいにその思想の親縁性を認めあい、尊敬し あい、手紙で親交を深めてもいたというのに、この二人、生前一度も直接会った ことがないという不思議な同志なのです。 ところで、この時代にやはりマッハとアヴェナリウスをセットにして批判した もう一人の哲学者がいました。現象学の提唱者のエドムント・フッサール ( 一 五九 5 一九三八年 ) です。フッサールは一九〇〇年に出した『論理学研究』の第 一巻「純粋論理学のためのプロレゴーメナ」で、マッハ アヴェナリウスの説く 「思考経済説ーを批判しているのです。マッハとアヴェナリウスは共に進化論を 作業仮説として前提にしているので、人間の思考作用も動物が環境に適応するた めの認知機能の一つとしてしか認めていません。したがって、彼らにとって思考 作用に真偽の違いはなく、あるのは環境への適応にどれほど有効かという有効性 の度合の違いだけです。最小の出費で最大の適応を可能にするような思考作用が デンクエコノミー すぐれた思考作用だということになります。そこから「思考経済ーという考えが 出てくるわけです。ところがフッサールは、イデア的な性格をもっ論理をレアー

6. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

ろがあり、これがのちに彼らの道を分けることにもなったのです。 一方のハイデガーも、フッサール門下の兄弟子ーー当時すでにフッサールから 破門されていたとはいえーーのシェーラーの影響をかなり強く受け、その影響下 に『存在と時間』既刊部の構想を立てたところがあり、したがって、同じシェー ラーの影響を受けたメルロⅱポンティを読むことによって『存在と時間』の理解 が深まるということもありえたのです。むろんハイデガーもメルロポンテイも シェーラーから承け継いだものを、それそれが自分なりに考え深め、自分の哲学 の根幹に据えたからこそ、そうしたことも起こりえたのではありますが。 このことについては話しはじめればきりがありませんし、幾度か本に書いたこ ともありますので、ここではこれ以上立ち入らないことにいたします。 八イテガーの性格の悪さ もう一つ、そのころ私が『存在と時間』の理解を深めることができた大きな動 機は、ある時期からハイデガーの伝記めいたものがしきりに書かれるようになり、 それも、彼のナチスへの積極的なコミットを暴露するような伝記が書かれるよう

7. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

くない。カントやフッサールを読んでも、ヘーゲルやハイデガーを読むときのよ うな血湧き肉躍るといった面白さは味わえないものです。私もひところは、、 デガーは読むもので書くものじゃない、なんて自分に言いきかせていました。 ですから、ハイデガーについて書いたのは、読みはじめてから三三年もたって から、一九八三年になってからです。岩波書店の「世紀思想家文庫ーの一冊と して書いた『ハイデガー』 ( 一九八三年 ) が最初でした。 メルロ日ポンテイからの示唆 さすがにこのころは、「存在了解ーとか「世界内存在 . といったハイデガーの 基本的概念の意味もだいたい呑みこめてきていて、それで書くことができたので すが、これも、ハイデガーだけを読んでいて分かったのではなく、むしろメルロ ⅱポンティを読んでいて、ああ、そうかと分かったのでした。 このころ、ハイデガーでは論文が書けず、フッサールで書いたり、今日も来て くれている先輩の滝浦静雄さんと一緒に読んだり翻訳しはじめたりしていたメル ロⅱポンティで書いたりしていたのですが、そのメルロ日ポンティの処女作の

8. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

104 訪問しています。さに翌一九〇七年一月一二日付でフッサールがホーフマンス タールにその訪問に、する礼状を書いているのですが、その手紙のなかでフッサ ールの説く反自然主義的な詩人の美的直観と、「あらゆる ールはホーフマンス 実在的な態度を遮断る」自分の「純粋に現象学的な精神態度」とには深く通底 するものがあると書ています。 あいさっ これがただの挨拶」とどまらなかったことは、この同じ一九〇六年の四月にダ ウベルトとフィッシーというミ = ンヘン在住の弟子たちがゲッチンゲンのフッ サールを訪ねた折、美的客観性」について語りあい、これがフッサールの「現 象学的還元」の着想」大きく寄与したということが確かめられていることによっ ても裏づけられましう。同じマッ ( の影響を受けた詩人と哲学者がこんなふう に共鳴しあったといのは、まことに興味深いことです。 ムージル 〈マッ ( とニーチ = に共感し、その影響を強く受けたもう一人の文学者がロー ベルト・ムージル ( 一八八〇—一九四一一年 ) です。ムージルは〈若きウィーン派〉

9. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

45 最終講義 ドイツでも ) がみな分かっていなかったようです。いや、いまでも分かっている ハイデガーの言葉 人はほとんどいないのじゃないか。みな、そのへんにくると、 かんじん をお経のように繰りかえしてるだけのようです。いちばん肝腎のこういう概念が 分からないのじゃ、話になりません。私も、ハイデガーについてはさつばり書く ことができませんでした。次々に出る彼の論文集や講義録は丹念に読んでいまし たが、論文一つ書くことができないでいました。書く方は、フッサールやメルロ ⅱポンティで書いて誤魔化していたのです。 読肝腎なことが分か 0 ていないということと、もう一つ、 ( イデガーという人は、 一ものすごくレトリークが強い。そのレトリークからはずして、彼の言っているこ デとを自分の言葉で言いなおそうとしても、なかなかうまく一一 = ロえません。これはヘ きようじん ーゲルと似ています。カントやフッサールにはそういった強靭なレトリークはな いので、彼らの考えていることを自分の言葉で考えなおすことができますが、ヘ ーゲルやハイデガーは、それが難しい。言おうとすると、結局彼らの言っている ことを一言葉どおり繰りかえすことになってしまいます。しかし、読んでは面白い。 読んで面白いものは、なかなか書けない。書けるものは、読んでもそれほど面白

10. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

人間としての姿勢、世界と一体化できる人間の姿勢への変化ーといちおう規定し ながらも、そうも言いきれない微妙な、だが本質的な変化だと付けくわえられて て ついます。 め 松本さんの言っておられることを、はたして私がちゃんと理解しているかどう を か問題なのですが、しかし、ホーフマンスタールがその四年後の一九〇六年にお マ こなった『詩人と現代』という講演のなかで、「詩人にとっては、人間も物も、 冖思想も夢想もまったく同じである。詩人が知っているのはさまざまな現象だけで あるーとか、「詩人はあらゆる物の傍観者なのである。いや、彼はその隠れた同 学志であり、無ロな兄弟なのであるーとか言ったりしていることを考え合わせると、 社『チャンドス卿の手紙』についての松本さんの解釈が適切であり、そして、この 『手紙』や『詩人と現代』には、徹底して内在の立場に立とうとしていたマッハ の影響が見てとれるように思われます。 終 最 ところで、ホーフマンスタールは一九〇六年の一二月初めにゲッチンゲンでも この講演をしているのですが、当時ゲッチンゲン大学にいたフッサールがこの講 演を聴きにいき、一二月六日にホーフマンスタールがその返礼にフッサール邸を