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検索対象: 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学
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1. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

61 最終講義ーーハイデガを読む それほど負け目を感じないですむようになりました。「反哲学ーというのも、大 ぶろしき 変な大風呂敷であるにはちがいありませんが、西洋文化や、それを素直に受け容 れ、追いつけ追い越せとやってきた近代日本文化を批判するにはかなり有効な視 点であるような気がいたします。 とは言うものの、結局私は、哲学が面白いから好きで読んできただけでして、 ま、好きなことだけやって一生生きてこられたのですから幸せだったと思ってい ます。 こ清聴あり をしいかげんな話になってしまいましたが、、 最終講義というにしてよ、 一がとうごさいました。 ( 一九九九年一月二三日於・中央大学文学部 )

2. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

い頃にドストエフスキーの小説を耽読した人たちが、少し歳をとってから、自分 の青春期の決算書を作るような意気ごみでドストエフスキー論を書くからではな いでしようか。本当にどれも読みごたえがありましたが、私がなかでも感動した のは森有正さんの評論でした。 ドストエフスキーとキルケゴール そのうち、そうしたドストエフスキー論の一つといった感じで、キルケゴール の『死に至る病』を読みはじめました。岩波文庫の『死に至る病』の名訳者の斎 一藤信治さんが、私の住んでいた鶴岡と同じ庄内地方の酒田にいらして、私の入っ デていた農専に講演にこられ、キルケゴールの話をされるのを聴いたのがきっかけ でした。結局私は、この斎藤信治さんに終生師事し、この中央大学に連れてきて 義 いただくことにもなったのですが、それは後の話になります。 講 終 八一三 5 五五年 ) は ドストエフスキー ( 一 一 5 八一年 ) とキルケゴール ( 一 最 一九世紀中葉のほとんど同じ時代を生きたというだけで、二人のあいだに直接の 関係はまったくありません。しかし、二人ともロシアやデンマークといったヨー

3. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

的容易に理解できるようになる。では、哲学者の思考スタイルをわがものとする にはどうすればよいか。彼のテキストを、しかも原書て、毎日丹念に読んでいく しうが先生の言オ 先生はこの教育方針を貫くには大学院の授業だけでは足りないというので、一 こうらくえん 九七二年から中央大学の後楽園キャンパスを会場として毎週月曜日に読書会を開 催しておられた。ここでやる気のある若手の講師や大学院生を徹底的に鍛えてや ろうというわけである。親友の生松敬三先生も一時オブザー ーとして参加して おられた。院生のあいだではこの読書会は憧れの的であったが、いざ入会すると 感激しているどころではない。しばらくすると読解の当番がまわってくる。当番 になった者は、みんなのまえでまず原文を一文章ずつ読み、それを日本語にしな ければならない。その翻訳が間違っていればただちに訂正される。初歩的なミス 説 をくり返していると、笑われるか怒られるかする。この重圧から最短でもまず一 」、つカトー ようが ' 絶対に・休めない 9 しかも、一」の読書会そのものがまず休まない。読書会が開かれ ないのは、盆と暮れ、正月の二、三週間だけである。 あこが

4. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

ハイデガーがもともとアリストテレス研究から、つまり哲学史研究から出発し たことはよく知られています。彼は根っからの哲学史家なのです。彼がアリスト テレスのテキストを、それこそ舐めるようによく読みこんてしたことは、講義録 を読んでみれば明らかです。そのアリストテレスにはじまる歴史研究をおこなっ ているうちに彼は 0 画洋哲 - 学哽を辷れまでとはま 0 たく違 0 た視角から見なおす ことを思し らい、たよです。のちに申し上げますが、それにはニーチェの示唆が 大きく貢献したにちがいなさそうですが。それはともかく、この西洋哲学史の根 む 本的な見なおし作業、これが『存在と時間』の最初の発想であり、その見なおし 読 一作業の拠点として〈存在と時間〉の密接な関わりが思いっかれました。つまり、 デどの存在概念もなんらかの時間的意味をふくんでいる。その時間的意味に目をと めることによって、西洋哲学の隠れた本性をあばき出そうと考え、この〈存在と 義時間〉の関係を第一部第三篇で問題にしようとした。そしてそこへの導入部とし て、第一部第一、二篇を、当時の思想的状況をも考慮に入れながら、かなり急い で書いてみた。が、それが失敗に終わった、ということなのだろうと思います。 ですから、書いた部分は失敗だったけれど、書かなかった第二部や第一部第三

5. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

でも、夏休みが終わるころには、高等学校からきた連中より読めるくらいにな っていたので、秋から数人でハイデガーを読みはじめました。はじめ『形而上学 とは何か』という薄いパンフレットを読み、その後『存在と時間』を読みはじめ ました。その頃は、人数ももう二人に減っていました。週に三回くらい二人で読 み合わせをし、自分ではどんどん先を読んでいく。寺島実仁氏のひどい翻訳だっ て無いよりましなので、それを頼りに読んだのですが、そのうち寺島氏の誤訳も 分かるようになってきました。 む 一〇月頃から三月頃まで半年ほどかけて読みあげましたが、期待にたがわず実 読 一に面白く、しまいには、だんだんべージ数の少なくなっていくのが惜しいくらい デ面白かったです。こういうテキストは毎日続けて読まなければならないもので一 日五、六時間、毎日読みつづけていると、だんだん身体がハイデガーの文体に馴 義染んでくるような感じで、そうなると言っていることもわりによく分かってくる 終 ものなのです。 最

6. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

くない。カントやフッサールを読んでも、ヘーゲルやハイデガーを読むときのよ うな血湧き肉躍るといった面白さは味わえないものです。私もひところは、、 デガーは読むもので書くものじゃない、なんて自分に言いきかせていました。 ですから、ハイデガーについて書いたのは、読みはじめてから三三年もたって から、一九八三年になってからです。岩波書店の「世紀思想家文庫ーの一冊と して書いた『ハイデガー』 ( 一九八三年 ) が最初でした。 メルロ日ポンテイからの示唆 さすがにこのころは、「存在了解ーとか「世界内存在 . といったハイデガーの 基本的概念の意味もだいたい呑みこめてきていて、それで書くことができたので すが、これも、ハイデガーだけを読んでいて分かったのではなく、むしろメルロ ⅱポンティを読んでいて、ああ、そうかと分かったのでした。 このころ、ハイデガーでは論文が書けず、フッサールで書いたり、今日も来て くれている先輩の滝浦静雄さんと一緒に読んだり翻訳しはじめたりしていたメル ロⅱポンティで書いたりしていたのですが、そのメルロ日ポンティの処女作の

7. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

構造を持え・新テとしているのだとす れば、この『存在と時間』こそ私の探しもとめている本だと思われました。これ を読めば、自分の絶望にももう少しうまく対処できそうに思われ、なんとしても これを読まずにはすまされない気持になりました。 昭和一四年だかにこの本の翻訳が一つ出されており、これは古本屋にいくらで もころがっていました。寺島実仁という人の訳した上・下二巻本で、下巻の「訳 フルヒト フルフト 者あとがき」を見ると、上巻では Furcht 〔恐れ〕と Flucht 〔逃走〕とをそっくり とり違えて訳してしまったので、読むときはそのつもりで読んでくれなんて書い てある恐ろしいような翻訳でしたが、これを買ってきて読もうとしても、さつば り分かりません。キルケゴールの『死に至る病』だって哲学書には違いなく、結 構難しいのですが、これは、あちこちめくっていると、それなりに分かるところ があって、それを手がかりに読んでいくと、ある程度まで自分なりに理解できる ものでした。しかし、『存在と時間』にはそうしたとっかかりも見つからず、ど うにも歯が立ちません。でも、なにかひどく重大なことが書かれているらしいこ とだけは感じられ、読みたい気持はつのるばかりです。

8. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

ゴリー、ゴーリキー、チェ その頃いちばん熱心に読んだのはロシア文学で、ゴー ーホフ、ツルゲーネフ、トルストイの短編ーー『戦争と平和』のような長編は読 そして最後にドストエフスキーを読みはじめました。 みませんでしたが ドストエフスキーに魅入られて 『罪と罰』『悪霊』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』『未成年』『永遠の夫』と夢中 になって読みました。『貧しき人々』『死の家の記録』『地下生活者の手記』とい った初期の作品も、初期短編集も『作家の日記』なども、なんとか探し出して読 みました。どんな版で読んだのかよく覚えていませんが、小説は戦前の岩波文庫、 『作家の日記』などは、質の悪い紙に印刷されていましたから、その頃出はじめ た翻訳全集だったのでしようか。椎名麟三や「赤い牧師」なんて言われた赤岩栄 しれい はにやゆたか や、埴谷雄高の『死霊』なんかが読まれた時代ですから、ドストエフスキーは大 はやりで、わりに早く翻訳の全集が出はじめたような気がします。 『悪霊』や『白痴』や『カラマーゾフ』は、どれも米川正夫訳の岩波文庫四冊く らいの大冊ですが、夜も昼も夢中になって読みつづけました。目が覚めれば読む、

9. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

時どき、いったい自分はなにをしようとしているのか分からなくなるものでした。 私は、そういうとき、殊勝なことに、初心に返ろうとして、ドストエフスキーの 小説と『存在と時間』を読みなおすことにしていました。そのころは、別に原稿 の注文もなく本を読んだり講義をしたりするだけですから暇もあったので、五年 に一度はドストエフスキーの主な小説と『存在と時間』を読み返すように自分に 義務づけ、四〇代の半ばくらいまでは、感心なことにそれを実行していました。 そうすると、自分がいったいなにをしようとしていたのか思い出せて、なんとな く落着きをとりもどせるものでした。 『存在と時間』の読み方 ですから、私は『存在と時間』という本は : すいぶん何回も読んできました。 大学院の演習で何年かかけて読んだこともありますし、ハイデガーについての本 を書くときにも、当然読み返します。そんなのを合わせれば、一〇回やそこらで きかないくらいこの本を読んできたことになります。そして、そのあいだに、読 み方もずいぶん変わってきました。今日は、私のハイデガーの読み方が、その間

10. 木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

哲学への深入り こうして、待望の『存在と時間』を読み、十分に面白かったし、それなりに分 かんじん かったような気にはなりましたが、しかし同時に、肝腎なことはなに一つ分かっ ていないということも分かりました。それに、どうもこの本は、これだけ読んで 分かる本ではなく、これを分かるためには、カントもヘーゲルも もニ・ーチェも、フッ ノもシェーラーもそれどころかプラトンとアリスト一 レスも読まなければならないということも分かってきて、そう簡単に哲学をやめ るわけこよ、 冫をし力なくなりました。 大学に入ったときには、とにかく『存在と時間』を読みさえすれよ、 をししこれ を読めば自分の身の処し方、自分の絶望への対処の仕方も分かってくるだろうか ら、そうすれば哲学なんかと縁を切って、別のことで食っていこう、と思ってい ました。まさか哲学で飯が食えるなんて思われなかったし、食うことに関しては、 闇屋の経験で妙に自信があったのです。しかし、こうなってみると、そう簡単に 哲学と縁を切るわけにいかず、ずるずると深入りすることになりました。