彼らフェニキア人は、語るべきでないところで民族の誇りを語ろうとしたから、強者 に潰されたのではなかったか。 そもそも、誇りとか名誉というのは人に一一一一口うものではありません。他人に自話をし たがる人は騙り者と考えた方がいいし、自話のほとんどは自分に都合のいいそらごと です。いくらか事実が含まれていたにしても、自したところで何の役にも立たない 単にその人が、他人の評価を気にしすぎているという証拠にすぎないのです。 同時代を生きる者の責任 少し前に「週刊文春ーの連載で、例の朝日新聞の従軍慰安婦報道についてどう思うか と質問があって、ほとんど一ページを使って回答したところ、多くの共感の声をいただ きました。それは、次のような内容でした。 確かに捏造証言は戦後ジャーナリズムの汚点で、歴史認識を歪めた朝日の罪は重い。
実体験を持っ戦争世代はともかく、戦後生まれの人にとっては想像力と嗅覚が頼りで 「これは危ないぞ」、「それは違うのではないか」 いち早くそれを感じとる直感というのは、マスコミの情報やイデオロギーに頼ってい るかぎりは得られない。やはり、頼るものなし、と覚語を決めてこそ本当の個としての 判断力が身についてくるはすだと思うのです。 話は変わりますが、最近の日本を見ていると、古代フェニキア人を思い浮かべること を 象かあります。 éフェニキア人には土地も資源もありませんでしたが、航海術を駆使して貿易で栄え、 哘海洋民族として地中海を制した。その中心都市ティルスはアレキサンダー大王への恭順 は、り・つけ を拒んだことで最後は男子二千人が城壁に磔にされ、フェニキア人は散りぢりになって わしまう。その歴史は、あるところ日本の典型みたいにも思えます。 終 何もない国、何も持たない民族がどうすれば生き延びていけるか。 す。
ないように感じます。当時は三百年近くも泰平が続いて、武士も庶民も戦闘意欲が失せ ていたこともあると思いますが、それは現在にも通じることです。 それに加えて今は、戦争というものの具体的な実像が分かりにくくなっています。 最近の中国や韓国との問題、集団的自衛権でも、イスラム国でも、マスコミはどこを 見ても、談合でもしてつるんでいるのかと思うぐらいに横一列、似たような映像と、大 差のない〃平和主義的″コメントを垂れ流します。 アメリカやイギリスによるシリア北部イスラム国への空爆にしても、モニターに映し 出された標的にミサイルが命中する。その下で何人もの人が死んだり吹っ飛ばされたり している様子は何も見えなくて、ピッピッピッという電子音とともにドン ! と爆発が 起こって「攻撃は成功しました」と伝えられる。国境を接するレバノンへのシリア難民 は百万人を超えたという。百万人が歩いてくる光景というのはすごいものだろうと思い ますが、モニター画面と洒落た服を着たアナウンサーが伝える数字を聞いているだけで は、戦争の実像が想像できなくなっています。
今までだって、人類の歴史には常に戦争がともなっている。歴史の授業で覚えさせら れるのは、「 xx の乱・△△年」とか、戦乱の年ばかりだし、それが事実、歴史の節目 となってきたのです。言葉は悪いが、一度ガラガラボンして心を入れ替えて生きるとい う側面があったのは間違いないだろうと思います。 ーンをはじめ外 百五十年ほど前の明治維新の頃の日本に関しては、ラフカディオ・ ノ 国人たちの記録がたくさんありますが、イギリスの女性紀行家イザベラ・ 「どこに行っても『お人好しの日本人』は、意味もなく笑いながら人の流れる方へざっ を 勧と寄って集まってくる」ということを書いています。その日本人観の根底にあるのは、 「日本人は常に大勢に流れる」という分析です。 絎幕末、黒船に乗ってやってきたペリーに開国を迫られたときは、「たった四杯で夜も 眠れず、という戯れ歌が作られるぐらいに恐れおののき、それ以前にもロシアの捕鯨船 わの船長が、「日本人は脅せば何でも一一一一口うことを聞くと日記に書いています。 終 要するに、外圧に弱く、どうも大勢に流れやすい。その基本的性質は今も変わってい 8
たな」ということがよく起こるのです。 もうこのぐらいにしてやろうか、で終わるのと、血まみれでぶつ倒れてしまったとい うのは大きな違いで、戦いはいったん始まったら、腕の一本や二本折られてもかまわな いが、とにかく「最後まで立っている」こと。それが無頼の基本です。 ところが近頃は若者も年寄りも、すぐ何かに頼って横になりたがる。 大丈夫なのかね。 怖がって大勢に流れる 十九世紀初め、イギリスによってセントヘレナ島に流されていたナポレオンは、沖縄 を調査に行った英人船長から「琉球という国には武器がない、戦争がないそうだ」と聞 いて、「バカ言え、武器を持たない人間などいるものか」と言ったそうです。ナポレオ ンらしい反応ですが、もちろん戦争は起きない方がいいにきまっています。 しかし、人間にはど、つしよ、つもない愚かさかある。
武器を捨てれば平和が保たれる、という生半可な平和共存主義は、かってのフォーク ソングのような甘い感傷にすぎないと私は考えています。 覇権主義に抗うためには、まずは「怒りかわくという心の在りようがなくてはなら ない。私が若者の頃、寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」という言葉が流行りまし たか、私かいま一一一一口うとしたら、「依頼心を捨てよ、怒りを出そう」ということです。 そもそも怒りというのは、その人の品性なり品格、人として生きるプライドを守るた めの唯一の方法ではないか。お金や見栄ばかり守ろうとしたら、それはどんどん崩れて しま、つにちかいありません。 もう一つ心配なのは、世の中から公直のようなものが消え、誰かがウザイとか、気に こ A 」には 障るとか、あるいは自分の家の庭に隣の木の枝が出ているとか、どうでもいい " 怒り ~ をあらわしても、人としてあるべき憤りがはっきり失われていることです。 だから、子どもたちもいじめの現場を目にしても、ただ黙っている。自分にトラブル かふりかからないように、なるべく他の人と違わないように、というおかしな雰囲気が
、つものです。 父は、かって日本人が軍人になったときの姿を目で見て身体で覚えていた。大勢の中 には礼儀もあっていい軍人もいたけれど、大半は威張りちらすばかりで、軍隊の物資を 運んでいたこともあって何かと賄賂を要求されるし、日本人でないというだけで虫けら みたいにひどい扱いを受けたこともあったそうです。 軍人になると自すと現れてくる本性を実際に目にして、日本人はいっかまた戦争を起 こすだろうと言い、そのときのために子どもたち六人分の土地を、三年に一度ずつ韓国 を 勧に買ってもいた。戦争になったら、最後は自国へ逃げて、そこで田畑を耕してでも生き ろ、というのが父の考えでした。 へ 「日本人はみんな平和主義者だし、憲法九条だってある。日本はもう戦争をしないし、 愚 その土地に住むこともないよ」 わ「いや、それは違うぞ。日本人はいずれ戦争を起こす。その時、真っ先にお前たちは槍 終 玉に挙げられる。今は差別かないというが、そ、ついう根っこは簡単にはなくならない。
日本はまた戦争をするのか 私の父は十三歳で単身、朝鮮半島から日本に渡ってきて、教育というものを受けてい なかった。しかし、学がないから間違ったことばかり言っていたかというと、そうでは ありません。 身ひとつで商いを興し、家族を養い、六人の子どもを育て上げた父の言ったことのほ とんどは当たっていました。若い頃は確執があって父とは疎遠でしたが、今さらながら、 大した男だと思います。 そしてもう一つ、残されたテーマが、それは「日本人は必ずまた戦争を起こす」とい 終わリなき愚行への想像力を
物乞いをするのは廃人と同じ と分かっているのにあえて踏んづけるというのとも違います。 このまま行くと危険はあるけれど、避けてばかりいてもおそらく別の危険がある だったら無頼の一歩を踏み出してみよう。 そういう考え方かあっていいのではないか
持ではなく、「どちらともいえない」、「わからない」が多数を占める。要するに、「変化 と言っているようです。 は好まないし、決めたくない」、「わかろ、つとしていない 少子化の問題にしても、出生率が 2 以下になって、このままでは人口は減る一方だと いうことは何年も前から繰り返し言われてきました。 経済成長に終わりが見えて格差や貧困が浮かび上がり、就職するのも働くのも、結婚 して家族を持っことも、もはや当たり前ではなくなってきた。子どもを産むのも育てる のもたいへんなのに、国は無策ではないかーー・そうマスコミでは報じられます。 じ 同しかし本来、子どもを持ってリスクがない時代は、昔も今もこれからもありえない。 廃国や自治体あるいは企業のサポートにせよ、そういう「頼ろうとする」べクトルが、今 の日本人一般のものの考え方の七 5 八割を占めていて、その点は若者も老人も同じでは すないかと思うのです。 中庸に立っ基準となるのは、いずれにせよ自己という「個、です。そこが定まらない 物 と、わが身が安全かどうか、他の人はどう考えるか、あるいは借り物のイデオロギーに