クラッチ・ヒッターの「弱点」 ここぞとい、つチャンスに強く、「クラッチ・ヒッター」と呼ばれた元ニューヨーク・ ャンキースの松井秀喜選手は、「努力できる・こどか才能」と言ったという。それは、彼 自身が自分の弱点を知っているから一一一一口えることだろうと思います。 逆説的な言い方になりますが、彼の弱点は「怠け者ーだということ。その弱点と隣り 合わせで、才能というものが存在しているということです。 甲子園や大学野球のスターとして活躍し、期待されてプロ入りした選手の多くが伸び 悩むのは、自分ならプロでも通用するはずだ、と考えてしまうからではないか。王貞治 努力、才能、そして運が左右するもの ノ 40
「いい人」のほうが恐ろしい 「会社の前でタクシーを待っていたら、髪を結ったアーティスト風の若い男がやってき ましてね、火のついたタバコをブッと玄関前に吹きだして、そのまま受付に入っていっ たんです。今から訪ねる会社の人の目の前でタバコを捨てるというのは、あまりに無礼 じゃないでしよ、つかーーー」 先日、ある編集者がそう貭既していました。 確かに、無頼と無礼とはまったく別ものです。 しかしまあ、少し前までの日本人一般を考えたら、そのアーティストもどきみたいな 人間は何をするかわからない生きものだ ノ 04
いつくばってでも生きたくないな : : : そんな気もしてくる。 自分は自分で打ち止め だいぶ前のことですが、海難事故で亡くなった弟の墓を受け入れてくれた寺の和尚に 聞いたことがあります。 「神さまって、いるんですかね ? 」 「わしも会ったことはないが、いたほうか何かと都合かいい」 私はこの和尚が好きでした。 私は親族にかぎらず人の家を訪ねて仏壇があれば手を合わさせてもらうし、奇蹟の地 に一丁けば祈りもします。でも、自分のために祈ることはいっさいしません。 仏教では輪廻転生、キリスト教なら天国と復活、話としては色々あって世界中の人の ざっと半分ぐらいはそ、つい、つものを信じているよ、つです。 何も神や仏を信じるのは馬鹿げているというのではないし、人間の考えること、する
ったし、国を変えるエネルギーの発火点になった。世の中をろくに知らない人が説くよ うな、生半可なイデオロギーとは次元が違います。 司馬遼太郎さんは、かってスターリンはイワン雷帝に、毛沢東は始皇帝にあこがれた ことを引いて、書斎のイデオロギーと現実はずいぶん違うのだということを書かれてい た。雷帝も始皇帝も、大きく国を作り変えた一方では暴虐で知られていました。 結論として言うなら、イデオロギーなど若者が罹りやすい流行病みたいなもの、おた ふく風邪とかはしかみたいに一度経験すれば免疫になる、そのぐらいに考えておけばい 中 の いものだと思います。 世 人間も世の中も、そう簡単なものじゃないからね。 ら 通 義 正
って話題の店のポップコーンを買いに行くとか、もしそこに央感を覚えているとしたら、 けっこう重度のビヨーキではないかと思います。 減亡の情念を忘れない 一つ大事なことを付け加えておくと、無頼に絶対に欠かせないのが「情念」です。 私がとりわけ競輪が好きなのは、情念が選手の行き先を決めていくから。つまり、そ こでお前は己を捨てられるか。若くてもその情念を出せるようなら必ず上がってくる。 けれどレースに勝ってこれをしたいあれもしたい、と考えてしまうやつはまず上がって こられない。そういうところが濃厚にあらわれるのです。 己の情念だけを持っていればいい。 その情念というのは、「滅亡の美」でもある。 みな同じように滅びるのなら、醜く死んでもかまわない、そういう情念の根というか、 「滅亡の情念」みたいなものがあってこその無頼だと私は思います。
基本的に悪党で、金儲けは悪いこと。そう考えておいたほうがいいのです。 金を持っている人間は常に自分が必要以上に持っているとは思わないものだし、わざ わざ手離そうともしないものです。聖書にだって、「金持ちが天国に入るのは、ラクダ が針の穴を通るよりむずかしい」と書いてあるぐらいだから。 仕事はお金だけのためにするものではない。 もちろん金は大切にはちがいないが、決して万能というわけではない。むしろ、人を 卑しくさせるという危険で厄介な力を持っています。 知金を儲けるのが悪いことだ、と一言うと変な顔をされることが多くなったけれど、他の を 人ができないのに、ちょっと頭を使って自分だけが儲けるというのは基本的に間違って いると私は信じています。 亠ま そんなこと言ってるから、あまり講演の依頼も来ないのかもしれませんが る っ 人
りません ようやく朝を迎え、地元新聞の一面を見てばうぜんとした。 子どもの頃にみた空襲後の廃墟の写真そのままの光景だった。 日常というのはいつだって突然壊れたり、狂ったりする。多くの日本人がそのことを 四年前に思い知らされました。日本列島は火山や断層の巣で、いつどこに大地震が来て もおかしくない。それは少し本を読めば誰でもわかることですし、今だってその手のニ のユースは日々報じられています。 あ避難や物品の備えはもちろんですが、心の備えも大事でしよう。また考えられないよ て んうな事態が起きるかもしれない、最悪のことは明日にもその日のうちにも起こりうる、 全 という想像力こそが大切です。 安 いつの時代でも、安心や安全は誰かが保障してくれるものではない。 安 それにほとんどの場合、人は人を救ったりすることはできないものです。
のも悪いものもたくさん抱えながら、何とかかんとか生きていく。そうでないと何も教 えられてないのに小説なんか書けるはずがないと思うのです。 書き手の考え方やものの見方が、学校にいた頃から少しも先へ出ていなくて、読者も そうだとしたら、単純さと平たい言い方しか好まない小中学生レベルの感性、人生観が 当たり前になってきているということかもしれません。 学校が教えるのは、人としての感性や本性より規範や論理だから、世間とは常に別も のです。学校というシステムは生きていく上で本質的なことを教えてくれるものではな い。そこで得たものは卒業した時点で一度捨てるぐらいでちょうどいいのです。 成績で人は見抜けない そもそも、子どもの時分から人はこうあるべきだとか、こうして生きるのだとか、そ ういうことをろくに考えてこなかった教師が、、 少々テキストを読んで勉強したぐらいで 子どもの教育なんかできるのかな、とも思うことがあります。 720
「そんなの無理だ、やられちゃう」と言っても、「向かっていってやられたっていいんだ。 後のことは後で考えればいいじゃないか」。 そう言ったものでした。最近は、いじめを目にしたり、知っていたりしても、ほとん ど他人事として避けたまま学校を出てくるようです。いじめた側の人たちも、その後グ レてヤクザになるわけでもなく、意外と成績もよくて、けっこう名の知れた会社で真面 目なサラリー マン生活を送っていたりすることが多いという。 いずれにしても、いじめのような「基準からの逸脱は人間につきもので、現実の世 の中では、人は人を殺したりもする。そういうことがありうるのだと想像し、予測して 対応することを身につけなければいけないのです。 建前は裏切られる 学校的な教えというのは、数学的なものの考え方の初期みたいなものです。つまり、 いくらの買い物をすればお釣りがいくらかという当たり前のことからはじまって、ウサ
しかし、頼るものなし、と最初から決めていると、まず他人に対して楽でいられる。 自分は、何かや誰かに頼って生きるのではない。 腹の底でそう決めておけば、他人にどう思われようかどうでもよくなってきます。 無頼でいることで、何か急な厄介事が起きても、いちいちじたばたしなくて済む。 もともと何ものにも頼っていないのだから、いちいち誰かに伺いを立てたり、策を弄 したりしなくても、後のことはなるよ、つになると落ち着いていられる。 「頼るものなし」 という姿勢ができると、周りに振り回されて右往左往することがなくなります。 例えば、私は人が長蛇の列を作っているところには絶対に並ばない。 近頃のコンピュータ車券と違って、昔は競輪場に行くと決められた車券の窓口がそれ ぞれあって、一番人気の車券のところにはたくさんの人が並んでいたものです。 しかし、人気があって列をなしているからハズレなのだ、そう考えてみる。 「人の行く裏に道あり花の山」