ひいき 「美」というのは人それぞれ違った考えがあると思いますが、例えば、人を贔屓するな ら最後まで支持してやる、ということ。 アイツはたいへんな悪党だといわれても、一度世話になったことは生涯忘れず。 おとし あの女はヒドイ女だとけなされても、一度寝てくれた女を貶めることは生涯言わず。 たとえ人を殺したとしても、そこには殺さざるを得ない理由があったはずだろう、贈 しみから殺したということなら殺人者には殺人者なりの事情があるものだーーそういう 論法で見てやるしかない。そういうことではないかと思います。 少しやわらかい話もしておくと、お洒落をするならスーツで何度も失敗すること。 A 」 雑誌で見たモデルを真似るのではなく、自分がそのスーツにたどりつくまでにどれだ åけ身銭を切って無駄金を使ったか、それが大人のお洒落の勝負を分ける。靴のようない 無 つも長く身につけるものには特にお金をかける。 同じよ、つこ、 ししい店を知るには自分のお金で何回も失敗すること。 例 ネットで評判のいい店を探したり、雑誌の紹介記事を見て行ったところで、迎える側 6
「こっちが朝から晩まで必死で原稿書いてるってのに、お前は何そんな音楽の聴こえる ところでゆうゆう飲みながら待ってやがるんだ。せめて音楽が聴こえないところで電話 しろよ。でも ? だから ? いや ? そんなことも気がっかないから、お前と仕事する と接続詞ばっか多くなるんだよ ! 」 こんな調子ですから、まあ、われながら理不尽だと思います。 でも、楽しんでお金をもらえる仕事なんてないのだから、当たり前ではないかな。 理不尽ということで、思い出した話があります。少し前に母に、「今まで一番布かっ たことって何 ? と聞いたことがありました。 「そんなになかったけど、機関銃を撃たれた時は怖かったわねえ」 「えっ何だよ、機関銃 ? だって、ずっと日本にいたんでしよう」 驚いて聞き直すと、何でも父が闇商売をしていた頃のおそらく一九五〇年代、福岡に あった駐留軍の基地でのことらしい。向こうに話はつけてあるから基地の柵の向こうに 何か投げ込むように言いっかったのを、母は相手を間違えて巡回中のに向かって投 6
基本的に悪党で、金儲けは悪いこと。そう考えておいたほうがいいのです。 金を持っている人間は常に自分が必要以上に持っているとは思わないものだし、わざ わざ手離そうともしないものです。聖書にだって、「金持ちが天国に入るのは、ラクダ が針の穴を通るよりむずかしい」と書いてあるぐらいだから。 仕事はお金だけのためにするものではない。 もちろん金は大切にはちがいないが、決して万能というわけではない。むしろ、人を 卑しくさせるという危険で厄介な力を持っています。 知金を儲けるのが悪いことだ、と一言うと変な顔をされることが多くなったけれど、他の を 人ができないのに、ちょっと頭を使って自分だけが儲けるというのは基本的に間違って いると私は信じています。 亠ま そんなこと言ってるから、あまり講演の依頼も来ないのかもしれませんが る っ 人
というのもありました。学校というのは出たらそこでおしまいだから、私は同窓会な ど行かないし、世の中に出た大人たちが何をしているか、そちらのほうがよほど面白そ うに見える。とうの昔に卒業した学校の仲間と何年もたってつるんでみても仕方ないだ ろ、つ、と田 5 、つのです 自分が今つきあっている彼氏や彼女のこと。 進路をどうするか、会社の所属部署が気に入らない、取引先とうまくいかない 背が高い、太っている、クセ毛だとか、自分の身体に関すること : 何かもっと他の読者にも通じるような普遍的、相対的な悩みとい、つのは浮かばないの かね、と田ハってしまいます。 も、つ一つ気になるのは、お金を儲けている人イコール偉いのだ、とのつけから信じて いる質問が多くなっていることです。 「世の中で金をたくさん儲けたやつの八割は悪党だと思っておけ」 それが私の理論で、昔も今も世の中では悪党のところに金は行く。金を儲けるやつは
情緒はいくらお金を出しても買えるものではない。 だからこそ、無頼な人ほど情緒を大事にしているものだと私は思います。 情緒や清念は、人間にとっての「美ーとも深く関わります。 ソクラテスは「美や徳というものはどうすれば培えるか」と問われて、「そうではな ) 0 人間は美しいと思う心、徳とする精神のあり方をもともと持って生まれてきている のだ」と答えたそうです。 私はその考え方が好きで、大と一緒に星を眺めていると、「お前もよかったな。哲学 的なものに触れられて」なんて考えたりします ( ちなみに私に一番なついている大はペ ットショップの売れ残りで、原稿を書いていても酒を飲んでいても横にいる ) 。 以前、旅先のチリで一気に海中に崩れ落ちていく氷河を見たことがあった。一年のあ る時期だけに見られる巨大なプルーの崩落を見て、ガガ ーリンの「地球は青かった」で はないけれど、「ああ、滅亡していくものは美しいな」と感じたものでした。 二〇一一年三月十一日の夜に見た星空も、周囲の灯が消えているせいもあって、怖い
ずっと近くにいたらそれと気づかなくても、三年や五年も会わないでいると、世の中 にきちんと評価されるような仕事をしているといい顔になっているし、単に経済的に成 功しているという場合はどうも悪相になっている 経済の方面でいえば、学者ですが少し前に亡くなった宇沢弘文さんなどは、いい顔し てるなと思った数少ない一人です。数学から経済学に転じて先駆的な理論を打ち立てた あと、経済学は金儲けのためではなく人間のためにあるべきだという立場から、公害問 題や地球温暖化まで縦横に活躍した。大酒飲みで、ワインに酔ってローマ法王に説教し たという逸話もあるそうだから、無頼といってもゝ ししと田ハい 6 亠 9 。 もちろん、利益を求めることも資本主義では大切ですし、お金は粗末に扱えるもので ではありません。けれど、まだ若いのに金さえあれば何でも手に入ると公言したり、 観大人までがそう考えるようになってきたことは、気になります。 お金と、仕事を通した生きる信条は、やはり別の領域にあるものです。 お金第一主義の金融家や宗教家の顔が一様にいやしいのは、お金によって仕事への尊
本人はどうも国に頼らないと生きていけないのかね、という感じがします。 年金の支給額が減らされるとか、開始年齢が引き上げられるとか言いますが、払うと きに将来いくら年金として返ってくるかなんて考えてなかったでしように。お金をもら えるときが近づいてきたから騒ぎだしているだけで、今さら自分たちは苦労してきた、 もっとよこせ、なんて文句を一言うのはどうかしていると思います。 「だいたい、国がそんなことしてくれるはずがない」 齢を重ねて経験を積んでいるならそういう直感があっていいはずで、こう言いたくも なるのです。 「定年退職して、年金でこの先何年かをどう暮らしていこうか悩むより、今までずっと 働いてきたんだから、今度は女房を働きに出させたらいいじゃないですか。もらうお金 だけアテにしていたら、お金に頼るしかなくなって、ダメになっちゃ、つよ」 それに比べて北海の漁師やアラスカのエスキモー、オーストラリアのアポリジニ、ネ 顔をしているのはなぜなのか。 イテイプアメリカンなどの老人たちは、実にゝゝ
知っている」と言っていました。 業者のモラルもいい力し そういう土地に家を建てるのを許可する役所もいけないが、 んすぎると思います。 前にも話したように、もともと人間には優れた察知能力か備わっています。 ちょっと変だぞ。おや、これは見慣れない情景だな。 そう察知したらすぐに反応できる自分を作るためには、統計やデータよりも勘をしつ かり培っておかなくてはならない 文明に囲まれた暮らしの中で、野生の動物としての能力がだんだん薄れていくのは仕 方ないとしても、それをいくらかでも守る方法としては、予報や確率などより、れつき とした根拠のある先祖代々の言い伝えを大事にしておくことだと思います。 逆に = 一一口うと、新しい技術があるからといって、先祖たちがやろうとしなかったことを 無理にしてはならない。人間の技術は、自然を相手にしたときにそれほど信用できるも のではないのは分かりきったことなのだから。
「九勝六敗」を狙え ギャンプルについて人から色々聞かれることがありますが、ギャンプルは、これをす る人としない人がいる。役に立つわけでもなければ儲かるものでもない。古代ギャンプ ルが誕生して以来、ギャンプルで蔵を建てた人間もいないし、賭け事というのはお金を 投じながら自分を負の領域に置くことになるから、家族にも嫌われます。 以前、旅打ちの途中で、名人と呼ばれる車券師 ( 客に賭けさせて儲けたアガリで食べ るという妙な商売 ) に言われたことがあります。 「仕事というのは誰かの役に立ってこそ仕事なんだ。ばくち打ちは一から十まで自分だ 自分のフォームで流れを読む 732
って話題の店のポップコーンを買いに行くとか、もしそこに央感を覚えているとしたら、 けっこう重度のビヨーキではないかと思います。 減亡の情念を忘れない 一つ大事なことを付け加えておくと、無頼に絶対に欠かせないのが「情念」です。 私がとりわけ競輪が好きなのは、情念が選手の行き先を決めていくから。つまり、そ こでお前は己を捨てられるか。若くてもその情念を出せるようなら必ず上がってくる。 けれどレースに勝ってこれをしたいあれもしたい、と考えてしまうやつはまず上がって こられない。そういうところが濃厚にあらわれるのです。 己の情念だけを持っていればいい。 その情念というのは、「滅亡の美」でもある。 みな同じように滅びるのなら、醜く死んでもかまわない、そういう情念の根というか、 「滅亡の情念」みたいなものがあってこその無頼だと私は思います。