ール・シュル・グラヌ村に行って頭を垂れた。そこはナチスに侵攻され、今は住む人の 姿もない廃墟のような町だが、フランスはあえてそのままにしていて、そこに七十年た ってもドイツの大統領が謝りに来る。 それが戦争に巻き込まれた人間がいる限り、何度でも繰り返さなければならないこと。 私自身いつまでも謝れとし ) い売ける国交はおかしいと思うし、謝る側かもうたいが いにしたいというのも分からないではない。、、こか、 オ、従軍慰安婦などいなかった、みたい な主張をすると世界中から異論が出るばかりで、大切なのは、戦争が終わりのない愚行 だとい、つことを再認識することだろ、つ。 アウシュヴィッツ収容所の所長だったリーベヘンシェルがかってこう言った。 「今の若者には確かにかっての戦争の責任はない。しかし、戦争の真実を知り、再び戦 争を繰り返さないことに関しては責任がある」 つまり、他の人が戦争を始めた、他の人がまた繰り返してしまった、とは同時代を生 きる者として言ってはならないことなのだ。 9
ろうか。それと同じようにギリシア神話は神でなければ、 いったい誰がどうやって考え だしたのか。そんなことを考えることがあります。 世間では、ト説は才能が生み出すものと考える人は多いようです。 けれど、わが身になぞらえて一 = ロうなら、ほとんどは気力と体力で、かって吉行淳之介 さんに言われたように、そこに宿る何ものかにすがって最後の一行まで書き上げること を繰り返してきたにすぎません。 時々、これは失敗作だな、と自分では思うことがあっても意外と売れることもある。 何とか作家として食べていられるのも、やはり運がよかったのに違いない。
日常はいつだって壊れる あの日、仙台の自宅はぐらぐらという激しい揺れがずっと続いた。 , 刀 の 電気は途絶え、今この国がどういう状況になっているのか、自分の家と近所ぐらいし あか分からず、ラジオが唯一の情報だった。 て ん レし。こ亠丿↓よキい一 ( いに 0 いつでも飛ひ出せるようにとにかくオし 全「沿岸部に津波が迫りつつあります。 5 メートルから 7 メートル、すぐに高台へ避難し てください 安 アナウンサーか同じことを繰り返し呼びかけていた。 7 メートルと言ったら到達する 安心・安全なんてあるものか ノ 77
妻の願いであったことを知ったのは、死別して二年後のことでした。 最近では付き合いの長かった男が三人、次から次に亡くなりました。 彼らの死を小説で描いたとき、角田光代さんが、「伊集院は死を川の流れのように書 く」とどこかで書いていました。そうかもしれない、と思います。 近親者の死というのは、当人にしかわからない苦節を残します。それを経験した年齢 が若いと、それだけ心身をゆさぶられるものです。なぜ死んでしまったのか、という答 えの出ない問いを繰り返したり、時の経過や理屈とは別に不意に記憶がよみがえったり れもします。 えでも一つ言えることは、そのときは分からなくても、どんな哀しみにも終わりはある がということ。生き続けてさえいれば時間が解決してくれる。 の 時間がクスリという言葉はほんとうです。 人 る す 703
年頃の若者も、いい歳をした大人も、便利にこき使われる中毒者になってはいないか 便利なものには毒があり、手間ひまかかるものに良薬は隠れているのです。 早さと要領ばかり考えない 私が週刊誌で連載している身の回り相談のコーナーに、「自分はどうも本を読むのが る 遅くて心配です」という相談がありました。 たしかに、速読とか読書術について書かれた本がよく売れているみたいですが、何も 立 ル又 一時間で読んだからエラいわけでもないし、一週間や一ヶ月、いや五年十年かかったか すらダメというわけでもありません。 の私の周りにはそんな本が山ほどあるし、何度も繰り返し手にとる本もある。それでい つつこうにかまわないのです。 ル又 ′ィー そもそも生涯ほとんど本を読まなくても、まっとうな仕事をして、素晴らしい人生を す 送るという人はいくらでもいる。本ばかり読んで分かったような気になるのは、単に
ぎり、勝負事には勝てません。自分のフォームとは、不意に空から落ちてくるものでも なければ、誰かが与えてくれるものでもない。失敗を繰り返し、人に笑われたり、あき れられたりしながら少しずつ自分でこしらえていくしかないものです。 も、つ一つ言うと、色川さんはあくまで「先行有利」という考えで一貫していました。 例えば、井上陽水さんみたいに、若くして一気に富と名声を手にしてしまう人がいる。 それを見て、「あまりうまくいくと、後がたいへんだ」と考える人も多い。トントン拍 子で下積みの苦労をしないと、将来何かしつべ返しがくるだろうという理屈です。 しかし、「それは全然違うねーと色川さんは言っていました。 「若いうちに先行したら、それだけ有利。無我夢中で分からなくても、人の何倍もやっ たことで早くその位置に立てるのなら、それが生きる上で大事なことなんだ だから競馬でも追い込み馬は絶対買わなかったし、競輪でも先行する選手を中心に買 っていました。 「だって、走っていたら何が起きるかわからないから」 734
術の追求は、いっか大きな失敗をもたらすような気がしてなりません。 ある時期、私は「美を求めて絵画を探す」という名目で、五年間ぐらいかけて地球を 五周ほどもしました ( ついでに世界中のギャンプル、カジノを見る目論見もありました が ) 。当時、年がら年中、飛行機に乗っていてつくづく感じたのは、「人間というのはカ ニみたいなもんだな」ということでした。 陸地にへばりついてあっちに行ったりこっちに来たり、時々、縄張りを争って戦争す る。愚かだと言、つのは誰だってできますが、私が生きてきた六十数年の間でも、地球の のどこかでは必ず戦争をしていて、世界が平和だったことなど一度もない。 災害もそうです。海や陸が暴れたら大勢が死ぬ。火山もしかりです。 み上がったり下がったりするのは経済現象の鉄則であって、これまで何度も繰り返され どたように、また恐荒だって起こるにちがいない。 個人主義、自分探しがもてはやされますが、空の上から見た個人なんて、画面の中の 人 砂粒みたいなもので、財産がいくらあるとか、名家の血筋だとか、非の打ちどころのな 175
持ではなく、「どちらともいえない」、「わからない」が多数を占める。要するに、「変化 と言っているようです。 は好まないし、決めたくない」、「わかろ、つとしていない 少子化の問題にしても、出生率が 2 以下になって、このままでは人口は減る一方だと いうことは何年も前から繰り返し言われてきました。 経済成長に終わりが見えて格差や貧困が浮かび上がり、就職するのも働くのも、結婚 して家族を持っことも、もはや当たり前ではなくなってきた。子どもを産むのも育てる のもたいへんなのに、国は無策ではないかーー・そうマスコミでは報じられます。 じ 同しかし本来、子どもを持ってリスクがない時代は、昔も今もこれからもありえない。 廃国や自治体あるいは企業のサポートにせよ、そういう「頼ろうとする」べクトルが、今 の日本人一般のものの考え方の七 5 八割を占めていて、その点は若者も老人も同じでは すないかと思うのです。 中庸に立っ基準となるのは、いずれにせよ自己という「個、です。そこが定まらない 物 と、わが身が安全かどうか、他の人はどう考えるか、あるいは借り物のイデオロギーに
の天才のためにあるのではないか、ということです。 地球に隕石が大接近したらどうするか 待ったなしの地球温暖化をどうすればいしカ そ、つい、つことさえ解決できるよ、つな、何百年かに一度現れる人間とは田 5 えないような 天才がいて、世の中を。ハッと変えてしまう。まるで、といた卵に酢を一滴たらすと、一 かくはん 気に攪拌されるみたいにポツリと一粒、一人の天才がこの世に入ってくるだけで全体に 波紋が広がっていって、世の中全体の眺めが変わる。 それまでは間違いを繰り返しながら、右往左往するのが人類だろうと思うのです。 私をふくめて九九・九九パーセントは凡人で、せいぜい学校で足し算引き算、掛け算 割り算、読み書きぐらいは覚えたかな、ぐらいが関の山です。中には何十年もかかって 勉強と研究と発見を重ねる人もいるけれど、彼らには宇宙の成り立ちのような大きな発 見は最終的にはできない。大発見の前段階までの基礎工事をする人たちです。 それはどの分野にもいて、最後は天才的な誰かがプレイクスルーする。そこから画期
いキャリアだとか言ってみても、人類全体として考えたら、どうでもいい、取るに足ら ないような差でしかありません。 どれかとどれかがくつついたり離れたりしながら、せいぜい七十年か八十年か同じ画 面の中にある、その繰り返しにすぎない 這いつくばって横歩きに右往左往しながら、しばらくのあいだ生きている。 人間って、そういうものじゃないのかな。 176