願わくば七難八苦を与える 短期間で集中的に伝授されました。それは空海に語学の才も詩文の才も飛びぬけたもの があったから可能だった、と世の人は考えるかもしれません。 しかし空海には、「自分は弱くて怠け者だが、今こそやってやるんだ」という姿勢が あったにちがいないと私は考えています。 甘やかさない。苦労はさせるもの。ここぞというときに頑張る。 それが、その後の人生に実りをもたらすのです。
何百年かに一人の天才とは 「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむー 三好達治の「雪」という有名な詩は、生きものの気配さえ消えた雪国の夜の沈黙を語 っているのか、子どもたちの安らかな眠りを伝えたものか、あるいは時間と静寂をうた ったものか、様々な解釈があるようです。 詩というものは考えるほど、説明するほどに、本質から外れるような気がしてきます。 例えばランポーの詩にも、字句を読んだだけではよく分からない難解さがある。でも、 人類などカニみたいなものだ 170
「頼るものなし」ということ 正義など通らないのか世の中た 正義を声高に語るなイデオロギーは若者の流行病 生きものとしての勘を磨く 違和感を大切にするビギナーズラックを忘れない すぐ役立つものはすぐ役に立たなくなる 情報より情緒を身につけよ早さと要領ばかり考えない 人とつるます、「孤」を知ること 金持ちの八割は悪党と思え自分の正体を見きわめる 願わくば七難八苦を与える 苦労は買ってでもしなさい 金は熱いうちに打て「ここぞーで頑張れるか 理不尽こそが人を育てる 人は基準から逸脱する建前は裏切られる面倒な作家が編集者を伸ばす
苦労は買ってでもしなさい サントリーの佐治 ( 信忠 ) 会長は、先代 ( 敬三氏 ) の存在があまりに大きかったから、 る 会社を率いていくにあたって、組織に必要なことは何かよくよく考えたという。その結 え を論というのが、「どんなに辛くても、戦っている限りは最後まで立っている、そういう 苦 八社員を育てていくことだったそうです。 実際、戦っている社員には徹底して優しいが、他人をアテにして甘えている社員に対 わしては伝統的に厳しいところがある。それぞれが甘えすにちゃんと「個」として立って 願 いて、それが足並みを揃えて太い軸となるから集団として常に戦うことができる。そこ 願わくは七難八苦を与える
みんな、そうロをそろえますが、どこまで医療にすがってもいっかは死ぬのだし、死 ぬときは一人で死ぬ。 何をもって「健康。だというのか。今の自分の健康は医者や検査が決めること ? 絶対に違います。人の健康というのは結局は自分が決めることで、少々悪いところが あるのは当たり前だろう、統計や数値とは合わないだろうよ、ぐらいに考えておくのが 妥当。こんな自分だからダメなところ、おかしいところもあるだろう、そう覚屠してお くことです。 物乞う人に与え続けるか 私の父は、「人に物乞いをしたら、もう廃人と同じだ」と徹底して言っていました。 家では年に一度、かって父を助けてくれた日本人漁師のお墓参りに行って、おかげさ までこうして無事に全員生きています、と報告するのが慣わしで、家族全員が揃って出 かけるその日は外食になるから、子どもたちにとって楽しみな行事でした。
そもそも私に言わせればギャンプルはすべて記憶のスポーツ、記憶の遊びです。 確か、前にもこれと同じ状况があって、そのときはうまくいった。だから来る。 逆に、この状况で負けた記憶があるから、みんなが買っても自分はハネよう。 面白いことに、そうした記憶のほとんどはその人がギャンプルを始めた初期にある。 ギャンプルには、「必ず当てまっせ」みたいな、宇宙の法則より不思議な「初心者向け の窓口」みたいなものがちゃんとあるということです。 ところが長くやっているうちにみんなそれを忘れてしまう。 「ビギナーズラック」というと、単なるマグレ当たりみたいに聞こえるかもしれません が、私は、それこそが今まで人類が生き延びてきた原因ではないかな、と考えています。 ヒトは生まれ出でてたちまち死ぬようにはできていない。 何とか自分の目で見て、感じて、危険を乗り越えて生きようとする。 それこそが原始から人類に与えられているビギナーズラックというもので、生きもの としての直感をいかに働かせるか、磨いていくか、それが人生のあり方を決めていくの
ぎり、勝負事には勝てません。自分のフォームとは、不意に空から落ちてくるものでも なければ、誰かが与えてくれるものでもない。失敗を繰り返し、人に笑われたり、あき れられたりしながら少しずつ自分でこしらえていくしかないものです。 も、つ一つ言うと、色川さんはあくまで「先行有利」という考えで一貫していました。 例えば、井上陽水さんみたいに、若くして一気に富と名声を手にしてしまう人がいる。 それを見て、「あまりうまくいくと、後がたいへんだ」と考える人も多い。トントン拍 子で下積みの苦労をしないと、将来何かしつべ返しがくるだろうという理屈です。 しかし、「それは全然違うねーと色川さんは言っていました。 「若いうちに先行したら、それだけ有利。無我夢中で分からなくても、人の何倍もやっ たことで早くその位置に立てるのなら、それが生きる上で大事なことなんだ だから競馬でも追い込み馬は絶対買わなかったし、競輪でも先行する選手を中心に買 っていました。 「だって、走っていたら何が起きるかわからないから」 734
ヒトに備わるビギナーズラック、生きものの勘を働かせるという意味では、そこには 一つも「答え」がありません。あるのは「らしいよ」という話だけで、この店が美味し ( らしい ) とか、どういう人なり場所 ( らしい ) ということ。もしそれを正解だと考 えるようだったら、人間としてかなりアブナイと思います。 どれだけ調べるのが早くなっても、「検索」をしただけではたちまち忘れ去る。 それは自分でも分かります。何か調べたり知ったりするというのは、自分の手でペー ジをめくって考えながら指で追う、という身体を使う過程があるから身体の中に入って きて長く残る。細かいことはいちいち覚えていなくても何がしかの芯は残る。だから私 は、電子書籍が紙の本を凌駕することは絶対にないと確信しています。 メールは手つ取り早くて便利なものですが、読む相手の、いに何かを伝えるということ では手紙に遠くおよばないし、その手のことでどうにかなるような恋愛などニセモノだ ろうと私は思います。 ツィッターもフェイスブックも面白いのかもしれないが、進んで苦痛に身を置くべき
ぐらいに美しかった。「美はかくも残酷と隣り合わせなのかーとため息が出ました。 夜の空襲で焼夷弾が落ちてくるのを見て綺麗だったと話す人がいるように、戦時中に 同じ経験をした人は南方戦線などでもたくさんいただろうと思います。 私が数年前まで海外に美術作品を訪ねる旅 ( 「美の旅人、シ 「美」はどこにあるのか ーズ ) を続けたのは、万人が美しいと思うものの正体が何なのか、絵画を通してそれ る を知りたいと考えたからでした。 私には大して知識もテキストの蓄積もありませんから、ひたすら数を見ていくだけで 立 したが、それでも実際に自分の目で見た量が増えるにつれて、ホンモノは全然違うんだ すな、とい、つことがわかってきました。 の だから「美しい」といわれるものは画面ではなく、できるだけ肉眼で見てほしい。 っ スマホというのは携帯電話というよりパソコンみたいなものだそうですが、ネットの 立 中には気配がない、風が吹いていない、匂いもしない。幽霊だって気配ぐらいはあると す いうのに幽霊でさえない。無機質なデータと色があるばかりです。
持ではなく、「どちらともいえない」、「わからない」が多数を占める。要するに、「変化 と言っているようです。 は好まないし、決めたくない」、「わかろ、つとしていない 少子化の問題にしても、出生率が 2 以下になって、このままでは人口は減る一方だと いうことは何年も前から繰り返し言われてきました。 経済成長に終わりが見えて格差や貧困が浮かび上がり、就職するのも働くのも、結婚 して家族を持っことも、もはや当たり前ではなくなってきた。子どもを産むのも育てる のもたいへんなのに、国は無策ではないかーー・そうマスコミでは報じられます。 じ 同しかし本来、子どもを持ってリスクがない時代は、昔も今もこれからもありえない。 廃国や自治体あるいは企業のサポートにせよ、そういう「頼ろうとする」べクトルが、今 の日本人一般のものの考え方の七 5 八割を占めていて、その点は若者も老人も同じでは すないかと思うのです。 中庸に立っ基準となるのは、いずれにせよ自己という「個、です。そこが定まらない 物 と、わが身が安全かどうか、他の人はどう考えるか、あるいは借り物のイデオロギーに