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検索対象: 無頼のススメ
149件見つかりました。

1. 無頼のススメ

こんでいるのです。 「いま警察に通報したらちょうどいいそー 私は走って家に帰り、台所の母に「ゴンタクレが、銭湯で女風呂のぞいてるよ」と見 たままを言いつけました。 「えつ、上に登ってのぞいてるの ? 」 る母はそう言ってから少し間を置いてこう続けたのです。 て「よっほど何か、せんない事情があるのよ 生「ジジョウって何だよ。だって、法律やぶってるじゃないか」 抱「そうじゃないんだよ。誰かよっほど好きな人がいてどうしても会いたいとか、その姿 を を見たいとか、そうい、つことかもしれないじゃない。だから、ほっときなさい それが、私が「事情」という言葉をはじめて覚えたときでした。 で母は田舎では結構な家の生まれ育ちで、韓国では名家だったんだと自慢していた父の ほうが、じつは大した家の出ではなかったことは後で知りました。その母が父のところ 月 3

2. 無頼のススメ

みんな、そうロをそろえますが、どこまで医療にすがってもいっかは死ぬのだし、死 ぬときは一人で死ぬ。 何をもって「健康。だというのか。今の自分の健康は医者や検査が決めること ? 絶対に違います。人の健康というのは結局は自分が決めることで、少々悪いところが あるのは当たり前だろう、統計や数値とは合わないだろうよ、ぐらいに考えておくのが 妥当。こんな自分だからダメなところ、おかしいところもあるだろう、そう覚屠してお くことです。 物乞う人に与え続けるか 私の父は、「人に物乞いをしたら、もう廃人と同じだ」と徹底して言っていました。 家では年に一度、かって父を助けてくれた日本人漁師のお墓参りに行って、おかげさ までこうして無事に全員生きています、と報告するのが慣わしで、家族全員が揃って出 かけるその日は外食になるから、子どもたちにとって楽しみな行事でした。

3. 無頼のススメ

この当たり前の大原則を心にとめておけば、他人からどう言われようかかまわないだ ろう。他人の評価を気にせず、一人で歩いているうちに、ああ自分の足で歩けるんだ、 という実感を大事にするようになるはずです。 それは真のリべラリズムに近いものだろうと私は思います。 もとより無頼はイ 也人に押しつけるものではない。周囲に合わせてできるだけ平均的に 生きたい、そのほうが安全な人生を送れるだろうと考える人は、それで生きればいい。 人には人、自分には自分のやり方というものがあるから、無理に誰かを引き込もうとは 考えない。それはニヒリズムではなくて、自分はこうだと思うが他人には干渉しないと いうのが、他者との関わり合い方だろうと思うからです。 それでも、最終的にはほどほどに生きてもタカが知れてるぜ、ということは一一一一口えるか もしれない どうも自分は人目ばかり気にして生きている、何だか堂々めぐりの人生で と思、つなら無頼という生き方がある、ということです。 嫌だから何とかしたい、 私は世間では「無頼派作家」と呼ばれているようです。

4. 無頼のススメ

芥川龍之介の短編『蜘蛛の糸』ではありませんが、これまで自分がどう生きてきたか を振り返ってみても、自分はあの盗賊カンダタがいた地獄へ行くんだろうな、としか思 えないのです。もちろん、仏様が糸を垂らしてくれるとも思いません。 「来世というのはどんなかしら」 信心深いクリスチャンの家人がときどき一言ったりします。 「ああ、そうだねえ。もし五百年後に俺がゴキプリに生まれ変わったら、お前に出会っ て『やめろ、俺だ ! 』というヒマもなく、スリッパか何かでバーン ! と叩かれて一巻 の終わりかな。そんなことなら生き返りたくないねーー」 ちなみに家人は虫が大の苦手で、ゴキプリ一匹に悲鳴は上げるわ物は投げるわで、虫 頼 てのほうかかわいそうになるぐらいなのです。 っ 「そ、ついうことを言ってはいけません、罰か当たります 舸牧師さんはそう言うけれど、私には私の考え方があって、今さら変えようがない。 ゴキプリならそれでもかまわないし、人生がこんなに虚しいものなら、もう一度は這 187

5. 無頼のススメ

ろうか。それと同じようにギリシア神話は神でなければ、 いったい誰がどうやって考え だしたのか。そんなことを考えることがあります。 世間では、ト説は才能が生み出すものと考える人は多いようです。 けれど、わが身になぞらえて一 = ロうなら、ほとんどは気力と体力で、かって吉行淳之介 さんに言われたように、そこに宿る何ものかにすがって最後の一行まで書き上げること を繰り返してきたにすぎません。 時々、これは失敗作だな、と自分では思うことがあっても意外と売れることもある。 何とか作家として食べていられるのも、やはり運がよかったのに違いない。

6. 無頼のススメ

かのマキャベリは『君主論』の中でこんなことを言っています。 「そもそも人間は、恩知らずで、むら気で、猫かぶりの偽善者で、身の危険をふりはら おうとし、欲得には目がないものだ」 「なにごとにつけても、善い行いをすると広一言する人間は、よからぬ多数の人々のなか にあって、破滅せざるをえないー ( 池田廉訳、中公文庫 ) 私は、「どうしようもない人、と周囲に言われるほど、その人が無用だと思うことは 生あまりない。むしろ、世間から善人と呼ばれる人を見ているほうが怖いところがある。 実際、「いい人、と呼ばれる人たちのほうが、よっほど大きな害をなすことがあるの 耡が世の中です。 人間の抱える悪を見つめる 昔、私の田舎にたいへんな荒くれ者揃いの漁村があって、ヤクザでさえもその町の連 、と一言うぐらいでした。あるとき、その村の漁師の一人が、 中は相手にしないほうかいし 707

7. 無頼のススメ

時代に恵まれた、ということに尽きるのではないかな。 時代の性格、作品の「核」 マキャベリは『君主論』の中でこんなことを言っています。 「用意周到な二人の人物が、いつほうは目標に達し、もう一人はできなかったというこ とが起きる。 ( 中略 ) これは、彼らの行き方が、時代の性格とマッチしていたか、いな 議かったかの一事から生じる」 不才能があり、素晴らしい作品をいくつもこしらえているのに、時代に合わず埋もれて いった人はいくらでもいる。彼らには運がなかったのだ。そして歴史に名を残した芸術 逢家は、みな時代とめぐりあっているのです。 映画の世界でも、チャップリンがヒトラーと同時代を生きていなかったら、あれほど め の名優として活躍していただろうか。やはり、『独裁者』 ( 一九四〇年 ) があったからこ 時 そ、チャップリンは単なる優秀なコメディアン兼監督ではない、映画史上に残るような 767

8. 無頼のススメ

「ひどい どうしてあなたはそう疑い深いの」 後になってゴーストライターに無理に曲を作らせていたインチキがハレて家人のほう が頭を下げましたが、 要するに「違和感」があったということです。 似たようなことは、何年か前に民主党に政権がかわった時にもありました。 総選挙の少し前から、私が現在住んでいる仙台近くの山の中まで自民党の候補が連日 やってきてスピーカーで演説をしていた。十五年以上住んでいて初めてのことだったか ら、「ああ、今回は自民党は負けるぞーと言っても家人はピンと来ないようだった。 自分の周りに見たこともないような連中がうろうろしはじめたら、世の中が大きく変 磨 勘わる兆しだと考えなくてはいけない。おそらく戦争もそうだろうと思います。 の て人間は、実際に経験したことから直感が鍛えられていく。 そういう生きものなのだと思います。だから、菜っ葉服 ( 作業着 ) 姿でべ平連や新左 の き翼の言動を眺めていた時に感じたような直感ーーどう見てもこの顔ぶれはまともじゃな 生 いな。でも今からまた沖に出る酒臭いオヤジどもは、爆弾を運んでもとにかく生きよう

9. 無頼のススメ

自分の土地、国というのは変わらないものだ」 当時は、こんな平和な時代に何言ってるのかな、と半分馬鹿にしてましたが、自分も 長く生きているうちに、あれは間違いじゃないかもしれないな、と父の直感を否定しき れない気になることがあるのです。 己れの怒りを抱けるか 「伊集院さんは在日ですが、もし北朝鮮が攻めてきたらどうしますか ? 以前ある新聞のインタビューで、そう聞かれたことがあります。 「いや、在日だろうが何だろうが関係ないね。もし北が自分の家族を撃つようなら、私 は絶対に北に銃口を向ける。そしてやつつける。当たり前のことだと思います 私はそう答えました。すぐさま日本の右翼から賛同の意見が届きましたが、別に私は 何も特定の誰かやイデオロギーから支持を受けたいからそう言ったのではありません。 もしその人なりそのグループが私の家族を撃っというなら、同じ自分の手で今度はそい

10. 無頼のススメ

、つものです。 父は、かって日本人が軍人になったときの姿を目で見て身体で覚えていた。大勢の中 には礼儀もあっていい軍人もいたけれど、大半は威張りちらすばかりで、軍隊の物資を 運んでいたこともあって何かと賄賂を要求されるし、日本人でないというだけで虫けら みたいにひどい扱いを受けたこともあったそうです。 軍人になると自すと現れてくる本性を実際に目にして、日本人はいっかまた戦争を起 こすだろうと言い、そのときのために子どもたち六人分の土地を、三年に一度ずつ韓国 を 勧に買ってもいた。戦争になったら、最後は自国へ逃げて、そこで田畑を耕してでも生き ろ、というのが父の考えでした。 へ 「日本人はみんな平和主義者だし、憲法九条だってある。日本はもう戦争をしないし、 愚 その土地に住むこともないよ」 わ「いや、それは違うぞ。日本人はいずれ戦争を起こす。その時、真っ先にお前たちは槍 終 玉に挙げられる。今は差別かないというが、そ、ついう根っこは簡単にはなくならない。