マルクス主義 - みる会図書館


検索対象: 現代の哲学
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1. 現代の哲学

るしかもこれらゴ、・プ ' ・躍・粮が、それぞれ窈出左・ 0 ・マ ' ル・グ・ズ、主 - 義に、接・近し・つーっあ・・る・・の・で・あ・ る。こういった新しい布置を〈構造主義か人間主義か〉といった構図で捉えることができる のではないかと思うのであるが、思想界のこうした新しい動きについて、いくらかふれてお きたいわけである。まずマルクス主義の問題から考えてみよう。 もっとも、マルクス主義の分裂傾向ということを言い出せば、少なくとも今世紀に入って からのマルクス主義はつねに分裂の危機にさらされていたと言えよう。ことに、一九一七年 の十月革命以後は、マルクス主義がもはや単なる思想界の事件ではなく、現実に世界史を動 况かす一つの巨大な力となっただけに、その分裂も深刻なものとなった。社会民主主義と共産 状 主義、人民戦線と第三インターナショナル、スターリン主義とトロッキー主義、教条主義と の構造改革路線、さらには最近の中ソの対立や、ソ連と東欧諸国との複雑な関係といった政治 今的次元での宿命的とも言えそうな分裂傾向、そしてそれに、理論か実践か、ザインかゾレン か、科学かイデオロギーか、客観性か党派性か、自然弁証法か史的唯物論かといった理論的 次元での分裂が重なり合ってくる。もちろん、ここでは二〇世紀のマルクス主義の歴史的展 咫開を辿るのが目的ではないのであるから、こうしたすべてにふれるわけにはゆかないが、マ

2. 現代の哲学

191 V 今日の知的状況 法則は自然の構造をそのまま反映している できない。スターリン時代に ( といった主張さえなされたのである。 こうした独断的ないし教条的マルクス主義に対する瓢立が形成されてくるのは当然 であり、そして、これが今世紀のマルクス主義の新しい理論的発展をうながすことになるの である。そのもっとも早期のものとして、ルカーチ ( 一八八五ー一九七一 ) の「歴史と階級 意識』 ( 一九二三 ) に代表される、いわゆる西欧マルクス主義が考えられる。レーニン主義 対西欧マルクス主義の対立は、いわは唯物論ないし自然主義、証法的思考の対立であった 、新しい弁 が、ルカーチも歴 - 史・の・なが・ ( 〔一主」体・」 j 客体・ど・を徹、底 - 的に目対化させることに 証法的な真理概念を提出する、ある。 ルカーチにとって、弁証法の成立の場は純粋意 識でもなければ、裸の物質でもなく、人間的実践 を介して物質的諸力に精神的生命が賦与されると ともに、人間の存在が鈍重にされて一つの物質的 力になるような歴史的世界である。マルクスが、 資本は「物ではなくて、物によって媒介された人 と人との社会的関係である」と言ったときに考え ルカーチ ふよ

3. 現代の哲学

' に転じ、疎外ざれた労働を媒介にし・て ) 人間も自然も自己の本質から疎外されている。共産 主義社会の実現によってこの労働の疎外を克服し、人間と自然とにその本質を完成せしめよ うというのが、かれの言う「徹底された自然主義すなわち人間主義なのである。 ここに見られる〈労働の弁証法〉と〈疎外された労働の反弁証法〉およびその〈疎外の克 服〉が、「歴史と階級意識』において見られたルカーチの〈革命の弁証法〉と深く通すると ころのあることは、容易に知られるであろう。少なくとも、科学主義の装いのもとに公式的 な決定論を説く俗流マルクス主義とははっきり対立するものである。そしてまた、こうした 方向でのマルクス主義が、違った視角からではあるが、やはり人間の疎外状況を問題にし、 その克服を目ざす実存主義の志向とも一脈通するものをもっことも明らかである。 兄サルトルの最近の大著「弁証法的理性批判』 ( 一九六〇 ) も、この若いマルクスールカー 的チの思想の延長線上で〈疎外論〉を復活し、「マルクス主義の内部に人間を回復させること」 よみが 知 によって、実証主義化されて硬化しかかった弁証法に代えて真の弁証法を甦えらせようとい の 今うものである。ここでかれは、はっきりとマルクス主義だけを現代に生きる唯一の〈哲学〉 イデオロギー として認め、実存主義はいわばそれに寄生しつっその硬化を防ぐ一つの〈思想〉にすぎな いと主張し、実存主義と社会科学との独自な統合によって〈構造的・歴史的人間学〉を基礎 づけようと目ざしている。かれは、ここで、個人的実践を通じて捉えられる〈構成する弁証

4. 現代の哲学

186 レーニン主義と西欧マルクス主義 われわれはこれまで、人間存在に問題を限って、見代哲学グ当を衂をさぐってきたわ けであるが、最後に、今日の知的状況とでもいったものに多少ふれておきたい。 とい、つの も、一九六〇年頃を境にして政治の領域においても、アジア・アフリカ第三勢力の抬頭や、 共産主義世界の分裂の傾向が顕著になり、従来の米ソ二大勢力の対立・均衡といった世界政 治の構図が崩れはじめたが、多少それと似たようなかたちでーーーというより、いすれも、比 較的安定した一九世紀の西欧社会において構成された諸カテゴリーの失効の結果と見るなら ふち ば、むしろそれと平行して 〈マルクス主義か実存主義か〉という従来の思想界の布置も 大きく様相を変え、いわは知的世界の再編追行喇で・み・を測・プにわん・を、引・ 0 をを。た とえば、マルクス主義それ自体の内部でも、疎外論を中心とする人間主義的立場といわゆる 構造主義の立場の対立が目ってきているが、同じような対立は実存主義のがわにも認めら れるのであってサルトルのようにあくまで主俶譱を判彊ずる実存主義本来の立場を貫 こうとする路線と、後期のハイデガーやミシェル・フーコーなどのように、 ) ゝ し力なる意味に マルクス主義哲学の問題曰

5. 現代の哲学

ルクス主義哲学が今日はらんでいる問題性を理解するために、今世紀のマルクス主義の理論 的展開においてもっとも重要と思われる事件、レーニン主義とルカーチに代表される西欧マ ルクス主義との対立について簡単に見ておきたい。 二〇世紀のマルクス主義の理論的展開を規定したもっとも大きな契機は、革命の進行とと もに、理論が理論として自由に探究されるのではなく、党派的結束をかためるための鉄の規 律として教条化されるとともに、実践の武器として通俗化されがちであったということであ ろう。革命には先立つが、レーニン ( 一八七〇ー一九二四 ) が『唯物論と経験批判論』 ( 一 九〇九 ) で提唱した素朴な反映論や、スターリン時代のマルクス主義の硬直化は、そうした 現われと見ることができそうである。ここではレーニンの反映論について考えてみよう。 レーニンが、この本を書いたのは、弁証法的唯物論も一つの唯物論であり、当然それは認 識についても唯物論的図式を想定するということを再確認するためであった。そこでかれ は、思考は脳髄の産物であり、脳髄を介しての外的現実の模写であるということをくりかえ し述べる。ここに見られるのは、ひどく素朴な実在論とひどく素朴な認識理論でしかないで あろう。たしかに、反映論と呼べそうなものはマルクスにもなかったわけではない。マルク スは『ドイツ・イデオロギー』の一節で、意識と存在との関係を次のような言い方で規定し ていた。われわれは「現実的に活動している人間から出発し、かれらの現実的な生活過程か

6. 現代の哲学

2 マルクス主義哲学の問題ローー人間主義と構造主義 構造と人間 原本あとがき : 「学術文庫、版あとがき : ・ 参考文献・ : 索引

7. 現代の哲学

法的真理概念ーー・・といっても、これはヘーゲルやマルクスの真理概念の再確認なのであるが がここに提出されている。ルカーチの根本の意図は、科学主義的・実証主義的な俗流マ ルクス主義によって人間的実践という核心を骨抜きにされたマルクス主義の弁証法を、もう 一度主体的人間の実践を貫くものとして、つまり革命の弁証法として再建するところにあっ たのである。 2 マルクス主義哲学の問題Üーーー人間主義と構造主義 ルカーチの「歴史と階級意識」は一九二四年七月二四日付の「プラウダ』において、正統 のマルクス・レーニン主義の立場から厳しく批判されたし、ルカーチ自身も後年、ここに収 められているいくつかの論文が革命期の楽天主義に調子を合わせすぎていて、歴史にその意 味を表現させるために必要な長い労苦を十分に考慮していないということを認めている。っ まり、「弁証法における決定的な問題が観念論的に解かれていて」、「弁証法の唯物論的側面 をその包括的な哲学的意義において正確に把握していなかった」というわけである。しか し、そうした自他の批判にもかかわらす、この『歴史と階級意識』の知的影響は、今日なお 強くその跡をとどめている。ことに、一九二〇年代の末頃から三〇年代の初めにかけて、こ

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206 かれは、こうした構造分析の手法をさらに・神話やトー一ミズムの解釈に適用し、たとえば 古代ギリシャのエデイプス神話やそれと類似の構成をもっ北米インディアンの神話のうち に、きわめて論理的な構造を発し、またトーテミズムに、社会構成員の位置と機能とを示 す明確な引ン・ズ一デ 4 を・読み . ,. 、 .... , → とっ夫りすることに成功している。これらの分析を通じて、か のシ を発見し、具体的なもの、感性的なものを少しもそこ 戸ー 4 ↑ なわすに論理的思考のなかに置き換えてゆくその思考を、〈神話的思考〉と呼んでいる。か れの考えでは、こうした神話的思考は、文明社会の奥底にもかくさ・れてい・てい・るのであ る。 レヴィ日ストロース自身、『悲しき熱帯』のなかで、かれの思想の形成に深い影響を与え たものとして、地質学とマルクスと「ハゴイ冐の - 名をあけているが、たしかに構造主義には社 会の地質学とも言うべきマルクス主義や、意識の地質学とも言うべき精神分析学と深く通す るものがある。事実、すでに前節でも見たように、一方では、アルチュセールらによって構 八一 ) に見られ 造主義的マルクス主義の立場が提唱されているが、他方ラカン ( 一九〇一 るような構造の ) による精神分析学の再構成の試みも生まれてきている。 ラカンはごく最近、一九六六年にはじめて『著作集』という標題の著書を公刊し、それま

9. 現代の哲学

年以後の純科学的な問題意識とを混同すべきではなく、後者、こどに交拠価値を子がのロー カ造を厳密に科学的に分析せんとする「資論にこそ〈理論〉 資本、 Théorie としての真のマルクス主義を見いだすべきだ、ということになる。こうしてかれは 「理論的に言えば、マルクス主義は、同じ一つの動きによって、またその動きを基礎づける 主義なのである。 独自の認識論的切断のおかげで、反ヒューマニズムであるとともに 厳密には非ヒューマニズムであり、非歴史主義と言うべきであろう」。したがって、マルク スの弁証法をへーゲル弁証法の〈転倒〉として捉えるのは誤りであり、そこには本質的な点 で何の連関もない、と見るのである。 アルチュセールはこのような視点に立って、『資本論』がかかわっているのは純粋に理論 兄的に構築された構造的モデルだと考えるわけであるが、そこで捉えられている社会的全体と 状 は、「その統一が : : : あるタイプの複合性によって構成されているような全体である、つま のりその統一は、相互に区別され〈相対的自律性〉をもったレベルないし審級とでも呼べそう 今なものを含む構造化された全体の統一なのである。これらのレベルないし審級は、最終的 は経済のレベルないし審級によって左右されるところの特殊な決定方式にしたがって相互に 分節し合いながら、複合的構造をもったこの統一のうちに共存しているのである」。そして アルチュセールは、この社会の複合的統一をその社会のうちに存在する諸実践の複合的統一

10. 現代の哲学

198 法〉 dialectique constituante 、その〈反弁証法〉 anti ・ dialectique 、共同的実践によるその 乗り越えとしての〈構成された弁証法〉 dialectique constituée ないし歴史的弁証法という とうしゅう トリアーデを考えているが、これは、明らかに「経済学哲学手稿』の論理構造を踏襲するも のであろう。 サルトル自身も、かれのこの仕事を「スターリン以後の時代を性格づけている〈立ち直 り〉の知的表現だと言っているが、たしかに一九五六年のスターリン批判以後、若きマル クスやグラムシや初期のルカーチに依拠しつつ、物象化と疎外の概念を軸として人間的主体 の復権をめざすヒューマニズム的マルクス主義がさまざまに提唱された。ところが、ごく最 近、こうした立場に対して、もっと若い世代に属するアルチュセール ( 一九一八ー九〇 ) や ゴドリエといった人たちによって、さらにそのアンチ・テーゼとも言うべき、いわゆる〈構 造主義的マルクス主義〉が提起され論議をよんでいる。 アルチュセールによれば、マルクスは、人間を〈社会的諸関係の総体〉として捉える視 を確立した一八四五年の「フォイエルバッハに関するテーゼ』と「ドイツ・イデオロギー』 において明確な〈認識論上の切断〉を行なっており、したがって、それ以前のヘーゲルやフ オイエルバッハの影響下にあった時期の『経済学哲学手稿』 ( 一八四四 ) や『神聖家族』 ( 一 八四四 ) に見られる人間主義的なイデオロギーの混入した前科学的な問題意識と、一八四五