兵士 - みる会図書館


検索対象: 裸の王様・流亡記
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1. 裸の王様・流亡記

い活動をした。指揮者の命令を待っているあいだは歩き疲れた埃りまみれの行商人としか見え きしフぼ、つ なかった彼らがひとたび運動をはじめると兇暴な能率が筋肉を占めた。迷わず、ためらわず、 彼らは殴るべき人間を殴り、蹴るべき人間を蹴った。 , 彼らの生地の粗い服のしたにひそむ筋肉 が技術と効果のためにだけ、ただそれだけのために形をあたえられつくりあげられたものであ ることがはっきりと了解された。誰ひとりとして彼らの眼と手から逃げられるものはなかった。 家に逃げこんだものはひきずりだされ、城外へ走ろうとしたものは城壁に追いつめられ、家に かくれていた男は病人も老人もかまうことなくひきずりだされた。 異様な光景であった。兵士たちは綱の右側にいた人間を骨の砕けそうなほどの音をたてて殴 つば りながら、左側の人間には唾ひとっかけないのであゑ町は静寂と混乱の奇怪な混合となった。 綱の左にいた人間は兵士たちが行動をはじめたとたんいっせいに逃けだしたが、やがて彼らが 綱をくぐってやってくる意志のないことをさとると、家や倉庫からそろそろ這いだし、寝てい たものまでおきて、おそるおそる綱にちかづいた。兵士たちは殴りたおした男たちをひとりず ったたせて綱にそって一列にならばせると、今度は一軒一軒家に入っていってべッドのしたか 記ら物置のなかまで、徹底的に捜索した。 , 彼らの厚い体がドアのなかに消えると、やがてあちら こちらの壁のなかでけたたましい男女の叫声がおこり、人びとはくちびるから血をしたたらせ ながらよろよろと道にでてきた。 隊長はそのあいだ広場の中央にたって部下の行動を・ほんやり眺めていた。 , を 彼よ疲れたような もも ゅ、 2 つつ 表情ですこし口をあけ、指揮棒で軽く腿をうちながら、ときどき土けむりや叫声などに憂鬱な

2. 裸の王様・流亡記

から、やがて、びたりと市場通りのさきをさしてとまり、しばらくじっとして、カなくおちた。 幻私は店さきにたってすべてを目撃していた。 棒をおろすと、男はポケットから笛をとりだし、たくましい胸を橋のようにふくらませてす るどく吹き鳴らした。それを合図にひとりの男が綱をもって市場通りを全速力でかけたした。 彼は片手に綱をにぎり、通りにひしめく人びとをおしのけ、はねのけて、ただひたすら一直線 に走って、またたくまに通りのかなたの城壁にたどりついた。綱は。ヒンと張られて町を正確に ばうぜんたたず 二つに割った。人びとが茫然と佇んで綱を眺めていると、笛を吹いた男がめんどうそうな、慣 れきった動作で広場のまんなかにでてくると、皇帝の命令によって必要人員を徴集する。綱よ り右半分の区域にたち、そこに住み、現在時そこにいる者のうち十八歳以上の男は即刻集合せ まゆ こ、、まのいままでたらしなく陽に眉をしか よ、といった。 , 彼の〈哭がおわるかおわらないか冫し めて爪をかんでいた兵士たちがいっせいに体をのばし、綱にそって眼にもとまらぬ速さで走る 彼らは綱から左側の区域にいる男た と、十メートルおきにたって人びとを狩り集めはじめた。 , ちには、どれほどたくましく、どれほど綱に接していようと、まるつきり見むきもせず、指一 カ右側の区域の男にたいしては全身的な力をふるったのである。 本ふれようとしなかった。。 : 人びとはおそいかかる兵士から逃げようとして必死になって走った。サイコロがとびちり、鳥 職がふみつぶされ、牛や豚が悲鳴をあげて走るなかを人びとはわけもわからすロぐちに叫びか わしながら壁の穴や路地や倉庫のなかへ走りこもうとした。兵士たちは右にとび、左に走り、 ひざ 逃げる男をつかまえて顎を殴ったり、膝で腹を蹴ったり、正確に急所急所を狙ってめまぐるし ねら とり

3. 裸の王様・流亡記

はよちょち歩きのころから出会った無数の死のひとつにすぎなかった。彼はおびただしい苦痛 を発散しながら衰弱し、しぼんで、死んでいったが、そのことで私はなにもかえられることが よ、つこ 0 父は殺されたのであゑ理由は不明だ。広場の全町民の面前で虐殺された服屋一家は苦痛の はるかかなたにお・ほろげな星のマークをもっていたが、父の場合はなにもなかった。ある秋の 午後、母が台所でを炊き、私がべッドにねころんで本を読んでいるとき、戸外で叫声が聞こ えた。家から走りでてみると、道のまんなかに父がたおれ、渋茶がころがり、五、六人の 武装した兵士が声高に笑いながら日光のなかをたち去ろうとしていた。私と母の足音を聞いて、 血まみれの手斧をさげたひとりが眼にもとまらぬすばやい身ごなしでふりかえったが、私たち こうしよ、つ を見ると、すぐ姿勢をゆるめ、聞きとれぬ南方語で哄笑しながら仲間のあとを追っていった。 のうしよ、フ 私がかけつけると、父は頭部を強打されてうめいていた。薄桃色の脳漿が耳のうえにこ・ほれる ほどの裂傷であった。母は笑声に似た叫声をたてて父の体にとびついた。 私は肩に淡い秋の日光を感じながら・ほんやりとたたずんだ。市場通りにはいつもの人ごみが 記あったが、人びとは私の視線をうけるとまぶたをおとすか、そっ。ほをむくかした。もちろん異 亡 国の兵士の背にむかって糾弾の声をあげるものはひとりもなかった。私の不幸は人びとの足の 流 うごきをすこしゆるめ、眼の暗度をすこし増し、ぎこちない沈黙をあたえたにすぎなかった。 それだけだ。ただそれたけだ。死は、もう、劇ではないのだ。父はそこにいた。兵士は斧をも っていた。だから殺されたのだ。父の頭髪は薄かった。灰色の珠は日光のなかに薄い皮を張り、 ておの きゅうだん おの

4. 裸の王様・流亡記

乾かし、固まるところを持って枠をはすすと煉瓦ができた。その土のかたまりを何百個、何千 個と、一個ずったんねんにつみあげて彼らは町の外壁をつくったのだ。この壁と、各人の家と、 どちらの建造がさきであったかは正確なことをお・ほえている人間がいまではみんな死んでしま ったから、わからないことではあるが、おそらく城壁のほうがさきだったにちがいない、と私 たちは信じている。伝説は賢人の大きな時代をつたえているが、私たちの町はそれよりはるか 以後に生まれたのだ。壁の心配のいらない日はかって訪れたことがないのだ。人びとは壁の中 で生まれ、壁のために生きた。。 とこの家でも、壁のためにはたらかずに死んでいったものはひ コウリャンばたけ とりもないのだ。高粱畑のなかからとっぜんあらわれる兵士たちはいつも新しい武器をもって いた。祖父の頃、刀は肉を切るだけだったが、父の時代になると骨を切られた死体が散乱した。 やり 槍の貫徹力は増大し、矢の飛行距離はのびるばかりである。毎年、壁のうける傷は、深く、大 きくなった。兵器だけではない。それはたえまない風のヤスリにもゆだねられているのだ。道 はひっきりなしに私たちの家をむしばみ、平野は町を犯す。風のなかで城壁は眼に見えずにじ りじりと沈み、低くなってゆくのである。 記城壁の改修作業は季節を問わずにおこなわれた。少数の役人と、富商と、豪農をのそく町の 亡住民は子供から老婆におよぶまでみんなはたらいた。その日は、畑仕事、商取引、家事、午睡 流 など、すべてが禁じられた。城外の畑へ黄土をとりにゆく牛車のきしみと、長い苦しい午後。 少年時代から青年時代にかけて出会った数知れぬ労働日を私は忘れることができない。学校は どちょう 休みになり、私たちは歓声をあけて城壁のうえを走りまわり、父の怒張する背の筋肉の地図に れんが ごすい

5. 裸の王様・流亡記

コウリャンばたけ 彼らは茂みのかげの細流か かから狩りだされた男たちが ~ 粱畑のなかをそろぞろ歩いていた。 , あぜみち らあらゆる水の脈管をつたって大河へおりてゆく魚群のように畦道から村道へ、村道から街道 へ、郡、県、市を通過していっせいに首都をめざして行進していた。綱につながれている一群 もあれば、に追われて歩いている一団もあり、道ばたにごろ寝する小隊もあれば、夜昼なし に歩きつづける中隊もあ 0 た。平野を網の目のようにう無数の道の交叉点で部隊と部隊が出 会うとそれはくつついてひとつになり、市庁、県庁の広場でさらにその地方の東西南北から集 った諸部隊に合流して大旅団となってつぎの旅行に出発した。私たちはやがて綱をとかれたが、 厳重な点検をうけて、およそ武器と目されるものなら革帯からビン一本にいたるまで没収され た。部隊が大きくなるにつれて私服の憲兵にかわって完全武装した兵士が私たちを監視するよ うになった。 , 彼らは馬や兵車にのって部隊の前後を守り、逃亡したり、抵抗したりするものが あればその場で切り殺した。病人や老人たちが過労にたえかねて倒れると、これまた容赦なく 斬殺し、死体をそのまますてて行進をつづけた。彼らは犠牲者が他界に再生することのないよ う、かならず首を切りおとした。沿道の町村の人びとはそのような死体を公墓地に葬る習慣を 記 もたなかったので、死体は陽に蒸され、雨にぬれて、とけたり、くずれたりするままになった。 亡私たちは・ほろぎれのようにな 0 たシャッと服のうえに一本をしめ、これらのもうもうとした 流 狂気の腐臭を発散する影たちといっしょに街道を歩いていった。 兵士たちは私たちのうえにいっさいの権力をふるった。法は彼らが恣意によってその運搬す る筋肉の群れを左右することをゆるしていた。もちろん、彼らが限度以上に私たちを虐待する ざんさっ

6. 裸の王様・流亡記

あぜみち きをたてて空気を裂き、私たちの薄い体を狙って右に左につきささった。せまい畦道をわれさ ばてい きにと逃げるために私たちはおしあい、ヘしあいし、はげしい馬蹄のとどろきのなかでおたが きようばう いに兇暴な殺意に駈りたてられて殴ったり、蹴ったりした。兵士たちは組んずほぐれっしてい る私たちのまわりで馬を走らせ、ゲラゲラ笑った。 警報がでるとすぐさま私たちは退避したが、運よく兵士に見つからないで丘のふもとの横穴 へ逃げこむことに成功すると、教師は自分のまわりに生徒を集め、薄暗い、しめった穴のなか から外の明るい野原を眺めながら、むかしの話をした。あらゆる町に人と物がみちみちていた にお 日、その音楽や匂いや料理のうえに彼はうっとりしたまなざしを投げて、私たちを誘惑しよう きぬとばり とした。絹の帳にしむ茶の匂い、鳥のしたたらす金色のあぶら、中庭の夜をふちどる台所の女 たちの合図の声。祭日や歌や物売りたちの呼声などに教師の話は飾られていた。しかし、私た ちは広い畑を必死になって走ったために横穴のなかへ入っても息がきれ、欠食からくる貧血の 発作のためにしばしば眼のまえが暗く黄ばんで、めまいと深い墜落感におそわれ、とうてい教 くらやみ 師の話などに耳をかたむけていられなかった。私たちは暗闇に舞う無数の眼華のぎらめきを眺 はきけ めて嘔気をこらえながら、わいせつな一言葉で教師を露骨にののしった。 まったく悪い、小さな時代だった。町の人びとの息は古い藁の匂いがし、言葉は壺のかけら に似ていた。孤独や絶望や不安について特権をもつものがひとりもいなくなったし、街道や辻 で出会う眼やロやはおどろくほど似かよ 0 て、そこからなんの職業を読みわけることもでき っちすきうすはさみ なかった。あらゆる道具が作用を失ったのた。人びとは槌や鋤や臼や鋏をつかって生きてはい ねら け わら がんか

7. 裸の王様・流亡記

いっしか私もまた季節に体を浸し、そのまま静かにお・ほれ死んでいくかと思われた。 しかし、この安もついに冬の道の陽だまりのようなものにすぎなか 0 た。その温かみが服 ろっこっ の繊維をふくらませてから肉にしみ肋骨のあいだにやっとたまったところで、陽が消えてしま ったのだ。平和がいっ畑からたちあがってきたかということについては明確な記憶をもたない が、恐怖の訪れた日のことははっきりお・ほえている。それはいままでの軍隊のように銅鑼も鳴 やり らさなければ歓声もあげず、矢のうなりや槍のひらめきもなかった。すでに私たちは望楼に見 張番をたてることをやめていたので、彼らがやってくるのをあらかじめ発見したものはひとり もいなかった。ちょうど正午頃のことだったので、町の人びとは道ばたでサイコロばくちをし とうけい たり、闘鶏をしたり、ヒ・ハリの鳴きあわせや冗談話、牛の背をつまんだり、藁をくわえてぶら ぶらしたり、なんとなく日なたを歩きまわっていた。城門はししゅう出入りする百姓や家畜の 群れたちのために大きくひらかれたままになっていた。そこへ彼らは街道からまっすぐ入って きたのだ。 はじめのうち私たちは彼らが行商人の一団ではないかと思った。指揮者らしい男がひとり先 記頭にたってみじかい棒をもってはいたものの、あとの連中はみんなばらばらの服装で、日光に 亡眼をしかめたり、髪をかいたり、・ほんやり両手をぶらさげて屋根を見あげたり、のんびりした 流 彼らはしばらくそうや 様子をしていたからだ。とうてい彼らが兵士であるとは思えなかった。 , ざっとう って広場の人ごみや市場通りの雑踏の風景などを眺めていたが、やがて先頭の男は一「三人の 仲間を呼び、なにか耳うちして棒をあげた。棒は町の屋根のうえをあちらこちらとさまよって わら どら

8. 裸の王様・流亡記

230 ばうぎよぶつ なんの防禦物ももたず、むきだしで、もろくて、誘惑を発散していた。人びとは屋台のかげや 夕食のテープルで声ひくく兵士について話しあうだろう。彼らの陽気さ、多血質、おとなの体 あぜみち と子供つ。ほい衝動。そんなことについて話しあったあげく人びとは彼らもまた遠からず畦道で ばくさっ 撲殺される運命にあることをかそえてみじめに自分を暗がりにむかって解放するのだ。 父は、四日間、裂けめから土埃りといっしょに侵入した死を相手に見こみがないことのわか りきったたたかいを演じ、尿と汁と膿のなかで息たえていった。猫の背のような丘に私たちは 彼を埋めた。幾人かの人びとが集り、私と母は女に一袋をや 0 て泣かせた。女は麦をせび 0 たのだが、私たちは貧しくて、それだけのことしかできなかった。一路平安のうたごえは女の 泣声がやむと、風に散って、あとかたもなかった。 父の死後、数年たって、私が雑貨商として独立するようになってからようやく戦争がおわっ た。ある北方の貴族が帝国を完成したのである。あらゆる情報の発生点からはるかに遠い田舎 町の物資交換所の経営者にすぎない私にはその間の大陸全土の年代記を書く資格がない。諸国 の行商人がもちこむ話題と、町に起る大小の事実を見るよりほかに時代の意味や原則を知る方 法を私はもたないのだ。 東西南北から戦火の切れめをぬってやってくる旅商人たちの話はいつごろからとなく次第に ば′、り、書っ・ はんぎやくしゃ あいつぐ野心家や叛逆者の人名表であることをやめ、主題をひとりの若い貴族とその幕僚たち っちぼこ うみ

9. 裸の王様・流亡記

228 てしまうまで彼は庭の乾いたところに半裸のままねそべり、横腹をものうげにかきながら当時 のすべての人びとが願った幸福を夢想した。彼は牛が反芻するようにその想像をくりかえしく りかえし噛みしめて味わい、土に肌をびったりくつつけて何時間も・ほんやりしていた。彼は 供の私にむかっても、しばしば、その、首と胴がぶじにつながって死後の旅行をする楽しみに けいべっ ついてしゃべった。将軍や兵士や収税吏や富商たちを彼は軽蔑して、私がときたま彼らのこと を口にしても、いつも鼻を鳴らすだけであった。その軽蔑はすべて死後の旅行の豊かさと快適 やり さにたいする確信からきてした。 , : 彼のもっとも憎む恐怖は矢や槍ではなく、鋭利な刀に首を切 かつば りおとされてこの旅行、無数の人にみちていながらひとりもいないのとおなじように闊歩でき る金の舗道や、墜落しても死なない、花にみちた谷や、思いついた瞬間に思いついた距離だけ きせき ほうとうせん 飛翔できる奇蹟や金を払わなくとものれる鳳頭船などにみたされた旅行、ただそれがさまたげ られはしまい力ということにつきていた。 , 冫 彼こよればこの旅行の唯一の資格は首と胴がつなが っていることだけで、もし首がなければ他界に生きのびることはでぎないから、人は透明な影 となりながらなおかっ永久に閉じることのない傷を抱いて辻や戸口をさまよいつづけねばなら ないはずであった。兵より、重税より、なによりも彼はそのことを恐れていた。 父は身首の所を異にすることなく死んだ。希望がかなえられたわけだ。そのことだけをとる おんちょう と、当時としては例外的な恩寵であったかもしれない。体がたおれたとき、彼は希望にみちて ばうだい たちあがり、花や竜の彫刻にみちた、厖大な群集のひしめく薄明の門へいそいだことだろうと 思う。しかし、彼が死んでも私はとくにうごかされるものを感することができなかった。それ ひしよう はんすう

10. 裸の王様・流亡記

ち夫役人にとってもこれはかわらない。私たちの歩行能力は全将兵の運命を決する。それは事 実である。しかしこれは特権ではないのだ。皇帝の新体制においてはいかなる意味でも特権を もつ人間は存在しないのだ。もし私たちが長途の旅行の苦役にたえかねてサポタージュをおこ ない、日程が遅れたら、たちまち殺されてしまうのである。夫役人も兵士も、すべての人間が 時間の囚人となった。私たちの悪は肉のうちにとどまってよどみ、腐りはじめた。 いっぽう官吏たちのおかれた立場も奇怪なものであった。長城の建設計画が実施に移される と、中央と地方と、あるいは幹部と末端とを問わす、おびただしい事務が発生した。三十万の 辺境守備軍と数億人の労働部隊を維持し、活動させるための計算と管理の事務である。それは かんよう 想像するだけで私たちを硬直させてしまう。のみならず、咸陽に到着してからわかったことだ が、皇帝は壮大な宮殿の建築を人民に要求したのだ。彼は全国の建築学者を首都に呼びあつめ あぼうきゅ、つ て、阿房宮は世界の核たるべきことをいいわたした。その規模はかって私が行商人から帳場台 ばうぜん に略図を描かれて茫然自失した想像をはるかにこえるもので、各国首都の王宮そのままの様式 をもっ二百七十の宮殿から成り、ひとつひとつの宮殿は独立して、両側に壁のある舗道で連絡 記されるはずたという。そのために動員される人夫の数は七十万人、完成の日はいっか、誰にも 亡 わからない。さらにこの宮殿のほかに、首都から主要な地方都市に放射する、皇帝の温涼車の 流 ための軍用道路七千二百キロが決議され、工事に着手されたのであゑ国務大臣はこれらいっ 四さいの事務の洪水を解決するため、計算に計算をかさねたあげく、破天荒な法令を発布した。 ばうだい 彼はありとあらゆる角度から事態の厖大な複雑さを検討した結果、かってどんな為政者も思い