ことは長城建設の労働量を減退させることになるから、その点いくらかの注意が払われた。が、 こんば、フ 私たちが鞭や剣や棍棒のまえではただの一個の生温かい息を吐く肉の袋にすぎない根本的な事 実はみじんもゆるぐものではなかった。まったくそれは石より堅固な事実であった。 しかし、いつ。ほう兵士自身も恐怖にさらされていたのであゑ法務大臣は彼らを絶望的な時 間との競走に参加させることを考えついた。徴発地から首都までと、首都から北方辺境までの 距離はこまかく分離されて、兵士たちはそれそれの受持区のなかを独立的に往復しなければな らないことになったのだ。 / 彼らは必要人員をきめられた日時に目的地へはこばねばならない。 もしそれが果たされず、遅れたり欠員ができたりすれば、兵士たちは到着地の現在時をもって こんば、フ 死刑、または流刑に処せられる。いまのいままで私たちに棍棒をふるっていた人間がたちまち ふえきしゅう 夫役囚に転落してしまうのだ。 , 彼らは病人でも老人でもかまうことなく歩かせ、倒れればその 場で切り殺し、欠損を埋めるために畑へかけだして百姓をひつばってきた。この員数主義が知 れわたると私たちの姿は沿道の町村にはげしい不安を地下水のように浸透させた。百姓も商人 すき も通行人も街道のむこうに・ほろぎれのかたまりを発見すると、たちまち鋤や牛をすてて走った。 私たちは広大な無人地帯を歩くこととなった。すると兵士たちは、今度は、できるだけ欠員を しゅうじん 来たさないよう配慮しなければならなくなった。 , 彼らはいままでのように衝動にかられて囚人 を殺すことができないのだ。 , 彼らの死活をにぎるものは私たちの足なのだ。私たちの憎悪と兵 士たちの憎悪は等質かっ等量になった。しかも法のまえにおいては指揮の将校から一兵卒にい たるまで、ことごとく同資格である。いっさいの階級差なく彼らは無力なのだ。もちろん私た
間は右と左から迫る二つの力をなんの労力もなく殺しつつ走れることになるのだ。ひしめきあ う雑踏のなかでそのカの地図を瞬間的にさとった人間だけが逃走に成功した。あとはみな逮捕 された。私はひとりの兵士がまっしぐらに走ってくるのを見て、背をおこし、殴られるまえに 綱のほうへ自分から歩いていった。 隊長の命令はきわめて忠実に果された。綱から右の男はことごとく犯罪者にされた。左地区 に住んでいながらたまたま道路の中央より右にたっていたものも、一瞬まえまで左にいたのに 綱を張られるときにおしのけられたためにころんで右へ入ったものも、また右でもなく左でも ない城外の百姓がたまたま野菜職を道路右寄りにおろして立話をしていたためとか、あるいは たったいま道路を右から左へよこぎろうとしていたのにとか、さまざまな哀訴の声を私は列の なかで聞いたが、隊長や兵士はなんの注意も払わなかった。はじめに綱をもって走った兵士が 城壁から体をおこし、道路のまんなかにずらりとならんだ私たちをひとりずつ縛ってつないで いった。ほかの兵士たちは彼がどんなに手間どっても知らん顔で、藁をくわえたり、空を眺め たりしていた。発条はすでに死んで、ゆるんでいた。 , 彼らの顔や肩や腕にはついさきほどまで 記の狂暴さが一刷きものこっていなかった。 , 彼らはことごとく第一級の戦士としての筋肉、握カ 亡 や脚力や正確ぎわまる技能をもっていた。 , 彼らの腕にふれて嘔気を感じなかったものはひとり っち 流 もない。走っているときの彼らの体は刃や槌なのだ。それほどの狂暴さが笛の一吹きでなんの 準備もなくとっぜん発動し、一瞬で高頂に達し、目的を果したとたんに死ぬのだ。これはいま までの兵士ともちがう型である。いままでの兵士はかならず兵士であった。しかし私たちを狩 はきけ わら
って、私たちが髪をつかんでひきおこしてから手を放すと、額が土にぶつかって木のような音 をたてた。生きのこっている者については難民たちの意志にしたがって町の誰かが処理をした。 彼らの叫声やうめき声はそのひくさにもかかわらず風や壁や塀をこえて町の夜のなかをさまよ い歩き、不浸透への欲望にとりつかれた将軍をいらたたせた。彼は兵士の感傷を恐れることを 口実に将校に命令をくだしたが、兵士たちは衰弱者を殺すことをあまり好まなかったので、た いていの場合、町の人間がでかけなければならなかった。でていってもどってきた者はそれか ら二、三日、ロをきかなかった。 このように町は生きのびることだけを考えて暮らし、将軍や兵士たちのいうなりになり、息 もたえだえの人間の首をしめてその日その日を送っていたわけだが、危険は私たちも難民もあ まりちがわなかった。ひとりの将軍が兵士たちをつれて去ると、ほとんどそれと踵を接するよ うにしてつぎの軍隊がやってくるのだ。どこの国のどんな人間なのかもわからない。彼らはと っぜん畑のかなたにあらわれると、金属で体をつつみ、をあげて殺到してくるのた。望楼 にけたたましい叫声があがるのを聞くと学校は授業をやめ、人びとはけいれんをおこし、あわ 記てふためいて貴重品や食料を壁や床や庭の穴のなかに投げこんだ。教師は老人や嬪嫐や幼児た 亡 ちといっしょに生徒をつれて町の裏門から逃げだし、はるかに遠い丘のかげへ退避した。しか あぜみち コウリャンばたけ 流 し、兵士たちの足は私たちよりはるかに速かった。高粱畑から高粱畑へ、畦道をウズラの群れ やり ようしゃ のように走る私たちを発見すると彼らは馬を走らせ、容赦なく弓をひき、槍を投げた。彼らの 矢のおそるべき正確さと気まぐれの記憶は忘れることができない。矢は乾いた、するどいひび くびす
224 に強盗におそわれたりしていたので、兵士たちがめぼしい品にありつくことはめったになかっ 彼らはあさるものがないとわかると、失望して、気まぐれに避難民を殴ったり、殺したり すすっちばこ して、ひきあげた。私たちは城壁のうえから兵士たちの暴行をつぶさに眺め、煤と土埃りにま みれた人びとが刀で切られて背にパックリと穴をあけながらなおもたちあがろうとして車輪に しがみついてはくずれおちるありさまを見守った。避難民たちの骨の砕ける音や叫声を聞かな かった人はひとりもいない。しかし、彼らを私たちの町に収容して宿泊させようといいだす者 もいなかった。兵士たちを養うためのあらゆる物資が徴発されて、商店は戸をしめ、穀物倉は からつ。ほになり、人びとは栄養失調からくる慢性の貧血症のためにやつれきっていたのだ。と ても避難民を養うことなど、できなか 0 た。のみならず、兵士たちは町が嫐のように蒼ざめ て薄暗いまなざしですわりこんでいるのを見て、このうえ食糧が不足することを恐れ、私たち に難民の救済をきびしく禁じたから、いよいよ彼らはしめだされることとなった。彼ら。尸 のそとに牛車をとめ、何日も野宿して壁がひらくのを待ったが、かんぬきがぬかれたことはっ いに一度もなかった。城壁がなければ私たちは彼らの刃のような不幸や苦痛にさらされてとう てい身をよけることができなかっただろう。難民たちは・ほろ布をぶちまけたように城外の畑や わら 街道に野宿し、たったり、すわったり、藁をくわえたり、横腹をかいたりして何日もすごした あげく、と・ほと・ほとどこかへ消えていった。 , 彼らの去ったあとにはしばしば瀕死の重傷者や病 人や赤ン坊が、足を折られた昆虫のようにのこされていた。私たちはむっと鼻をつく膿や垢や にお 乳の生温かい匂いのなかを歩きまわって脈をしらべたが、なかにはすでに死んでいるものもあ ひんし うみあか
の共同作業の感覚それ自体のなかにもとめるよりほかにないのではないかと私は思う。兵士た ちょうしよう きようばう ちの嘲笑もそこからきているのである。彼らは絶望を感ずるのだ。流れたたよう、孤独で兇暴 し書っ、、フ れんが な点にすぎぬ彼らは壁を見て焦躁をさそいだされるのだ。蟻のようにせっせと煉瓦をはこぶ仕 事場の私たちに彼らがニンニク臭く生温かい痰を吐きかければ吐きかけるほど私たちはそのこ とを確認した。私たちは苦痛を土に流しこむために夢中になってはたらいた。家畜を盗まれた 百姓、ふいごをこわされた嵂屋、漑を割られた居酒屋、男、女、老人、子供、すべて・ほう ふらのような町の住民たちがただ黙々とはたらいた。壁は私たちの恥や汚辱や無気力を水でこ ねて、ねって、つくられたものである。そのほかに私たちはどんな抵抗の方法も思いつくこと ができなかった。妻や娘たちの傷、やぶられた穀物倉、裂けた畑、それらのものについては、 あいぶ にがにがしい説得力に富んた時間と愛撫と、黄土の受胎力を期待するよりほかにしかたがなか コウリャンばたけ そのころはしじゅう避難民の姿が見られた。街道や高粱畑を人びとは牛車をひき、袋や傘を もってさまよい歩いた。私たちの町を占領した兵士たちは城壁から避難民の列を発見すると、 記ときどきでかけていって彼らを殺した。たいていの避難民は武器をとって抵抗したために町を 亡 破壊されて追いだされた人びとであったが、すでに疲労しきっていて、兵士たちに追われても 流 ろくに逃走することもできず、むざむざに刺しつらぬかれた。兵士たちは彼らのこわれかか った牛車におそいかかって、酒や食物や貴金属品などを奪った。しかし、大部分の人びとはす でに町をでるときに無一物同様になり、あちらこちらの町にしめだされて街道をさまよううち たん あり かさ
242 まなざしを投けた。重い顎とたくましい後頭部を彼はもっていたが、がつくりおとしたその厚 彼よ両手をうしろに組むと指揮棒をぶらぶらさせなが い肩からは無智と孤独が発散していた。 , を ら右に五歩ほど歩き、ゆっくりもどってきて左へ十歩ほどゆき、日光を楽しむ散歩者でもなく、 人を待つ人間のようでもなく、女や男の泣声、叫声、頭のぶつかる音や肉の鳴る音、あわただ 彼の無関心さはいたるとこ しい荷車のひびきや家畜の悲鳴などのなかをだまって往き来した。 , ろに見いだされた。はじめに綱をもって走った兵士は市場通りに綱を張りわたしてしまうと、 あとは城壁にもたれてだらりと腕をたらしたまま仲間たちの運動をぼんやり眺めているだけで、 追われた町民が綱をくぐって左地区へ入ろうとするのを見ても眉ひとつうごかさなかったし、 右地区のなかを走りまわる兵士たちも右に左に走っているように見えながらよく注意すればひ とりひとりはきわめてせまい活動面積しかもっていないことがわかった。はじめに彼らは十メ ートルおきぐらいにわかれてたったので、狩りこみをはじめてもその間隔内でしか活動しない のだ。 , 彼らは自分の領域内にいる町民には無な精力を消費したが、他人の受持区域の人間に はほとんど関心をしめそうとしなかった。追う人間より追われる人間の数のほうがはるかに多 いからカを分散させないように、という計算からかもしれない。しかし、あきらかに彼らの狂 暴さは粘着力をもっていなかった。な・せなら、ほとんど右地区の人間が逮捕されたなかで二、 = 一人のものだけはたくみに兵士それぞれの領域線上だけを縫「て走 0 たために左地区へ 逃げこむことに成功したからだ。兵士は領域線まで追いつめても相手が他人の受持地区のなか へとびこむのを見とどけるとそれ以上積極的に追おうとしなかった。そのため領域線を走る人
268 かんよう カそれはついにそれだけの射程で終ってしまったのだ。私は を咸陽から砂漠まで歩かせた。 : 、 瓦の重量のしたでおしひしがれ、日光にギラギラ反射する岩と砂のひろがりのなかに没し きようど 長城が匈奴の脳皮にどんな線や溝をひいたか、私には疑問に思えてならない。荒野に着眼し てしばらくのあいだ、私たちは作業場のはるかかなたを羊の大群とともに移動していく裸馬に またがった遊牧民の集団を見かけたが、守備兵たちがそのたびに襲撃して老幼男女を選ぶこと なく羊の群れとともに惨殺したので、やがて情報が知れわたると、彼らは姿を見せなくなった。 しかし、これはあくまでも白昼の視界に登場しないというわけであって、夜になると荒野の主 くらやみ 皮らは暗闇のなかを小集団をつくって駈けまわり、兵士や夫役人たちをほ 権は彼らに移った。彳 彼らの野戦術は高度に発達し、局地 しいままに殺し、天幕を焼き、穀物を盗み、馬を奪った。 , しようがいぶつ 戦や城郭戦になじんで塀や壁などの障碍物の利用で力を節約して効果をあげることに腐心して ほんろう きた私たちの農民出身の兵士を完全に翻弄した。私たちは彼らの接近の気配をまったくさとる ほふく こぶし ことができないのだ。 , 彼らは拳ほどの石かげに全身をかくして匍匐することができ、音もなく のろし ちょうやく しようへい しなやかに跳躍して哨兵をたおし、天幕に火矢をうちこんだ。たとえ狼火が望楼にあがっても、 彼らは援軍が到着するよりはるかに速く殺して疾過した。兵士たちはどうしてよいかわからず に、やがて、彼らがくるのを防ごうとするよりは去ったあとを追うことのほうに腐心するよう になった。私たちは毎日くたくたに疲れきって仕事から帰ってくると天幕村や駐屯所のまわり ほしよう はうき の荒地を箒で掃かされた。兵士たちはかがり火をたいて終夜歩哨をやった。私たちは一歩ずつ こ .
244 り・だした連中は兵士ではないのだ。彼らはまったく新しい職業人だ。はじめて私が出会い、そ の後数知れず出会った、皇帝の新体制が生みだした、まったく新しい職業人、顔や体からその 道具をうかがい知ることのまったくできない職業人であった。私たちは彼らにひきいられ、半 身不随になった町をあとに、正午すぎの街道へでていった。 いくつもの町を通過して私たちは首都にむかった。はじめの隊長は私たちを徴集した目的を まったく知っていなかった。彼は私たちを近郷のいちばん大きな市へつれていった。ここはっ いさいきんになって首都からの贈物をうけとっていた。すなわち、三つの大きな官庁の建物が あって、そこに市長と警察署長と税務署長がいた。この三人は皇帝が全国のあらゆる町にたい しておこなう組合わせ式贈物であった。下級官吏にはすべてその土地の出身者を採用したが、 こうてつ 指導者級の人間はみんな中央から派遣され、たえす更迭して彼ら自身の力がその土地に蓄積さ れないような仕組になっていた。私たちは隊長につれられて市庁前広場にゆき、つぎの係官に 身柄をわたされた。広場には地方のあちらこちらからおなじように狩りだされてきた人びとの 群れがいくつも集っていた。隊長とその兵士たちは私たちを市役所の役人にわたしてしまうと つぎの町を襲いにさっさと消えていった。その市を出発したとき私たちの集団は大きくなり、 護送の兵士の人数もずっとふえた。私たちは係官から訓示をうけ、はじめて北方の国境に長城 をつくる計画が皇帝から発表されたことを聞いた。
後退して自分の足跡を消しつつ天幕村にもどり、兵士たちはほとんどうごかないか、たとえう ごいても彼らの靴跡はわか 0 ているので、朝になると馬にの 0 て砂に匈奴の足跡や蹴蹣がのこ っていないかどうか調べにでかけた。私たちが襲われなくても匈奴たちはいつのまにか天幕に ちかづき、かがり火のすぐそばまでしのびよっていることはしばしばあって、兵士たちは昨夜 あお あいくち 自分の背のすぐうしろに匕首が迫っていたことを朝になって発見して蒼ざめた。彼は砂の足跡 を追って捜索にでかけたが、いつも私たちの視界の範囲内だけを調べてもどってきた。たとえ 姿は見えなくても匈奴の戦士は荒野のどんな岩かげにひそんでいるかわからないのだ。深追い した兵士は単騎であろうと、小隊であろうと、きっと重傷を負うか全滅するかした。私たちは 城壁を築くとき、かならず間隔をおいて望楼をつくり、その望楼に守備兵の一隊をのこしてか らつぎの工事にさしかかるのだが、匈奴はしばしばこの後衛隊をみなごろしにして城壁をのり こえた。匈奴の居住地帯もまた広漠として限界を知らないのだ。私たちは城壁を中心にする視 界から彼らの家畜群を追いだすことに一応は成功したかも知れないが、戦士はあいかわらず昼 となく夜となく私たちを監視している。ときに彼らは示威のために城壁の内側の、私たちの領 土の荒野を白昼ゅうゆうと、しかも黄土地帯へむかって馬を走らせてゆく姿を見せつけたりす 亡るし、またときには後部地区からの牛馬の輸送隊を私たちのなかで襲撃することもある。 ばんり 流 これらのことから推しても私たちの結論はたったひとっしかでてこないのだ。万里の長城は 完全な徒労である。それはあきらかに私の故郷の町の城壁とおなじように御「物としての機能 を完全に欠いている。風にむかって塀をたてて風が消えたと信じたがっているのだ。しかも、 = = ロ
220 見るや否や彼らは私たちに城門をあけさせて逃げてしまった。私たちは無血入城した将軍を迎 えると、ただちに校庭や教科書や竿のさきや歌のなかから星をぬきとり、消しと 0 た。それ はあくまでも技術的な問題にすぎない。私たちは星を愛しもしなければとくに新しい感情で憎 むこともしなかった。それが空を駈ける虎にかわろうが岩角で羽ばたく鷲にかわろうが、知っ たことではない。服屋は不注意にすぎなかった。将軍は情熱を誇示したくてうずうずしていた のだから、危機というなら町の全住民がひとしく危機にさらされていたわけた。ひとりの兵士 が服屋の塀にあるひっかき傷とも画ともわからぬマークを発見し、将軍に報告した。事はその 場で決裁された。町の全住民が家から追いたてられて広場に集合を命じられた。服屋は一家八 人がひとりのこらず殺され、犯された。子供五人は首を切られた。父親は両眼をえぐられたう えに鼻を削られ、手と足をおとされた。老婆は背骨を折られ、母親は輪姦された。私たちはす おうと べてが完了するまで嘔吐や貧血の発作にたえながらそこにたっていた。子供たちの叫声はとん できて木材のように人びとの体にぶつかり、父親は血みどろになって土のうえをころがりまわ こ、つしよう った。排泄をおわった兵士たちの哄笑が広場のまわりの壁をゆりうごかした。私たちはだまっ て家にもどると、食事もしないでべッドにもぐりこんだ。広場からは、夕暮れの茂みに迷いこ んだ微風のような母親の泣声が聞こえてきた。 ひら 人生はドアのすきまをよこぎる白い馬の閃めきよりも速い、という一一一一口葉が、当時、平野のあ らゆる町を浸したのだが、私たちが指導者と軍隊をもたなかったことをお考えになるまえに、 ちょうしよう 彼らはどこかの野戦天幕の徴兵事務所でやとわれると、た 兵士の嘲笑を思っていただきたい。 , はいせつ ほっさ りんかん わし