匂い - みる会図書館


検索対象: 裸の王様・流亡記
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1. 裸の王様・流亡記

亡や脱走ができないよう監視人が一一十四時間勤務をやっていた。しかし、私たちは脱走者が捕 % えられるとどんな烈な処分をうけるかということを辻や広場で見せつけられていたので、柵 のなかから逃げようなどとはついそ衝動に身をゆだねる気になれなかった。仕事から帰ってく ると、私たちは配給の雑炊を食うのもそこそこに天幕へもぐりこんた。若すぎる人間や老いす ぎた人間たちは食後の時間を散歩や譿にすごし、ときには残飯でつく 0 た密造酒に乱酔して 殺しあいをやったり、サイコロ賭博にふけって故郷の妻や家や牛を賭けたり、ひとこともしゃ べらずに何日も石に自分の名前を彫りつづけたりした。が、たいていの者は土に頭をおとした とたんに全身をしびれさせる泥睡のほうを選んだ。男たちはまっ暗な小屋のなかで着のみ着の ままたがいにかぶさりあってねむった。小屋のなかには寝具などひとつもなく、土のうえへじ かによこたわるのだが、つぎからつぎへと来ては去り、去ってはやってくる男たちの皮膚にこ あか にお すられて土はすっかり固くなめらかになり、汗や垢や精液の匂いをむんむん発散させていた。 その悪臭は、かりにこの天幕や小屋をとりはらって焼いたり灰をまぶしたりしてもとうてい消 すことができないように思われた。私たちは居酒屋のテープルのように汚れ果て、腐り果てた 大地に寝ているのだ。尿と精液の匂いはほどいてもほどいてもくりだしてくる巨大な毛糸の玉 しん のようにその厚く深い粘土や岩盤の芯からたちの・ほってくるのである。男たちは暗がりのなか で、たがいに手しあ 0 たり、横腹をかいたり、おくびでのどを鳴らしたり、夢のかけらと をもぐもぐかみしめあったり、とっ・せん叫んではねおきては絶望にふたたび沈みこんだりしな がら皇帝のもっとも小さな贈物である眠りをむさ・ほることにふけった。・ ぞうすい

2. 裸の王様・流亡記

あぜみち きをたてて空気を裂き、私たちの薄い体を狙って右に左につきささった。せまい畦道をわれさ ばてい きにと逃げるために私たちはおしあい、ヘしあいし、はげしい馬蹄のとどろきのなかでおたが きようばう いに兇暴な殺意に駈りたてられて殴ったり、蹴ったりした。兵士たちは組んずほぐれっしてい る私たちのまわりで馬を走らせ、ゲラゲラ笑った。 警報がでるとすぐさま私たちは退避したが、運よく兵士に見つからないで丘のふもとの横穴 へ逃げこむことに成功すると、教師は自分のまわりに生徒を集め、薄暗い、しめった穴のなか から外の明るい野原を眺めながら、むかしの話をした。あらゆる町に人と物がみちみちていた にお 日、その音楽や匂いや料理のうえに彼はうっとりしたまなざしを投げて、私たちを誘惑しよう きぬとばり とした。絹の帳にしむ茶の匂い、鳥のしたたらす金色のあぶら、中庭の夜をふちどる台所の女 たちの合図の声。祭日や歌や物売りたちの呼声などに教師の話は飾られていた。しかし、私た ちは広い畑を必死になって走ったために横穴のなかへ入っても息がきれ、欠食からくる貧血の 発作のためにしばしば眼のまえが暗く黄ばんで、めまいと深い墜落感におそわれ、とうてい教 くらやみ 師の話などに耳をかたむけていられなかった。私たちは暗闇に舞う無数の眼華のぎらめきを眺 はきけ めて嘔気をこらえながら、わいせつな一言葉で教師を露骨にののしった。 まったく悪い、小さな時代だった。町の人びとの息は古い藁の匂いがし、言葉は壺のかけら に似ていた。孤独や絶望や不安について特権をもつものがひとりもいなくなったし、街道や辻 で出会う眼やロやはおどろくほど似かよ 0 て、そこからなんの職業を読みわけることもでき っちすきうすはさみ なかった。あらゆる道具が作用を失ったのた。人びとは槌や鋤や臼や鋏をつかって生きてはい ねら け わら がんか

3. 裸の王様・流亡記

147 キロちかくあった。彼はそれをかぶって町を歩き、指定の特約文具店のまえをとおるたびにい ちいち道へよこにたおれて張りポテをぬいでは店主から通行証の印をもらわねば会社に帰って も給料がでなかった。そのときはそれよりほかに仕事がなかったのだ。彼は十日間ほど、毎日、 会社の命令どおりにたおれたり、・おきたりしながら町を歩いた。子供たちは潜水夫のような彼 かっこう の恰好をめずらしがってうしろについてきた。彼らが棒でなぐると、ブリキ箱はけたたましい 悲鳴をあげ、堀内は箱のなかに反射する騒音で失神しそうだった。彼は木枠に首をしめられ、 三十キ。を肩でささえ、直径三センチほどの穴からそとを見ながら電車通りを警笛や罵やき しみに追われて歩いた。 契約のさいごの日の午後、ブリキ箱のなかで堀内はある衝動におそわれた。彼は発作のつよ きびす さに窒自 5 しそうだった。 , を 彼よそのまま踵をめぐらすと表通りから辻を折れ、住宅地をぬけて運 河のほとりにでた。汗にまみれて彼はインキ瓶を町工場のうらの空地へはこんた。彼は雑草の なかへ瓶ごとたおれ、あとずさりに這いだして、そのまま草むらにうつぶせた。土は機械油と ゴムの匂いがし、運河からは老衰の泡がたちの・ほっていた。堀内は体をふるわせながら空地を も眺めた。暗い冬空のしたで、スレート屋根のすみずみまで錆びついた町工場が電燈をともし、 りよう かん け ベルトをはためかせていた。草むらのあちらこちらではドラム罐や古タイヤや旋盤台が土に凌 ま よじよく 辱されてなかば沈みかかっていた。その風景は堀内のなかでとっぜんとまり、定着されてしま ったのである。 インキ瓶をぬいだときに堀内は失墜した。彼は単語や刃やメリケン粉からはなれてしまった にお

4. 裸の王様・流亡記

125 声をたてるところたった。彼は人夫に箱をおろさせ、そのイタチをしげしげと観察した。イタ チの耳にはまぎれもなくマークがついていた。いそいでほかの箱をしらべるとおなしようなマ ークのついたイタチは何匹もいた。 , ( 彼ま箱を投げたすと資材課の部屋へ走り、購入伝票を検査 した。・ との伝票も乱雑な判コでまっ赤になっていたが、日付をしらべて彼はすっかり事情がの みこめた。イタチの伝票はことごとく彼の出張中に発行され、山林課長の承認を得ているのだ った。どの伝票にも彼の判はなかった。 彼はたまって伝票と帳簿を資材課員にもどすと、その足で山林課の部屋へいった。運よく廊 下の途中で便所からでて来た課長に出会ったので、彼はさりげなく寄っていき、いっしょに肩 を並べて歩きながら世間話の間へ探針を入れてみた。 「こないだイタチの野田動物とお飲みになったでしよう ? 」 意外なくらい相手はやすやすと餌に食いついた。 「うん、ちょっと個人的なっきあいでねー 「あれは気前のいい男ですね。ちょっとむこう見すなところもありますが : 課長は唇に針がかかったことにまだ気のつかない様子だった。 「だけど、根はいい男なんたよ 「どうでしようかね、その点は。あんなに気前のいい奴は危険じゃないですかな」 課長は立ちどまると顔をあげて俊介の眼を上目づかいにじっと眺めた。あいかわらす胸のわ るくなるような口臭だ。顔をそむけて俊介は短剣を相手の心臓に打ちこんだ。

5. 裸の王様・流亡記

塵のなかにねむっている。 城壁にかこまれてはいるが、町は、それ自身、ひとつの黄土の隆起にすぎなかった。どれほ どにぎやかな町の中心部にたってもこのことは感じられた。町の中心の広場は市場になってい かご て、城外からくる百姓たちがニワトリや野菜を籠につめて売っている。役人が歩き、職人が道 具の音をたて、女たちは野菜の匂いのなかで笑ったり、叫んだりしている。そのすべての人と 物の匂いのまわりにあるのは土だ。土の珮、土の壁、土の門、どの家もみんな土でつくられて ある。人家の礎石はもともと敷かれなかったか、あるいは土の底深く沈むかして、家と道を区 別するものはなにもないのだ。私たちにとって家とは道の一部が腫れてふくれてまるい背を起 ありづか したものである。蟻塚にすぎないのである。家が大地への抵抗であることをしめすものはなに かんごく もない。戸口にも、辻にも、町にあるのは黄土だけである。石はかろうじて役所の建物と監獄 の壁と数軒の富裕な商人の私有墓地に使われているばかりである。私たちは死んでも自分の名 を人びとの記憶のほかにきざむべきものをなにももたないのである。 私たちの地方では石はひどく高価な素材であった。山ははるかに遠くて、行商人の口から聞 = = ロ くほかに町でじっさいに見たものがほとんどいない。丘はあるが、これも黄土の凸起にすぎな コウリャンばたけ 亡 城壁から見晴らしても眼に映るのはただ広大な高粱畑と、黄いろくかすんだ地平線だけで 流 ある。行商人たちは取引をすませると声高に諸国の見聞記をつたえてくれたが、私たちの誰ひ とりとして山についての正しい像をもっている者はなかった。まして海や湖など、はたして町 の人間の何人が死ぬまでに見ることだろうか。私たちの国はそれほど広大で、およそ限界とい ちり にお

6. 裸の王様・流亡記

194 けに事務所へもどってくると、沢田は酔いくたびれて、・ ( ネのとびだした長椅子のうえで泥睡 していた。厚・ほ 0 たい顔や大きな足から酒と汗の匂いをたて、あたりには腋やロ臭など、人 間のあらゆる分泌物の匂いが薄暗くよどんでいた。長い砂袋、血と脂肪と骨のつまった、重い 砂袋を見て、学生たちはそれまでの疲労をどうにかささえていた沢田への憎悪と侮蔑が力なく くずれてしまうのを感じた。 「ばかには勝てねえな」 「うらやましいようなもんだ」 彼らは舌うちしながら粘液質の異物のまえからたち去った。 彼らは後藤の命令で連呼にでかけるとき このときからはっきり学生たちは沢田とわかれた。 , は二人、三人と組になったが、沢田はひとりで行動した。どんなに夜おそくなっても堀内は郊 外の小屋へ帰ったが、沢田はなにかと飲む口実をつくって事務所に泊った。そのため、堀内は 沢田がなにをしているのか、まったく知らなかった。駅前広場のまんなかで絶句して血まみれ になった日、堀内は滅形にたえかねて、事務所へ帰るとちゅう、後藤の眼をぬすんでトラック から逃げだした。彼は埋立地や焼跡をあるきまわり、建築工事場のスチーム ( ンマーを眺めた。 てつつい それは荒野の地平線上で正確な上下運動をくりかえしていた。音もひびきも聞えないが、鉄槌 かんまん は緩慢につりあけられると、つぎにある予感をともなって落下した。鉄骨がそのたびに地殻を つらぬいて沈みこむ。堀内にはその一センチ、二センチのうごきが遠方からでも肉眼にハッキ リ映るような気がしたのだ。そしてその構図が自分を誘惑するのは、ただ二つの無機質な力し ながいす ぶべっ

7. 裸の王様・流亡記

せん ・ほくはそれに栓をして彼の手にもどしながら、いきなりこういっこ。 「太郎君の画をごそんじですかフ 大田氏はとっぜん問題が思いがけぬ方向にかわったことにとまどったらしく、一「三度眼を まばた 瞬いた。・ほくの語気に苦笑して彼は顔をそむけた。 「どうも、わしは忙しいんでね」 ・ほくは彼の表情につよい興味を抱いた。 あいさっ ・ほくは先夜も今夜も、彼が息子については通りいっぺんの挨拶をのそいてなにも積極的に発 言しようとしないことに気がついたのだ。二人の話はすべてビジネスに終始していた。のみな らず : ほくにはこの書斎と邸の静かさが異様に感じられたのだ。今夜も大田氏は会社から秘書 に電話をかけさせ、自分は書斎でひとりで・ほくを待っていた。邸の玄関で・ほくを迎えたのは太 郎でもなく、夫人でもない。五十すぎの黙な老女中であ 0 た。書斎の厚い扉が閉じられると、 あいさっ 広い邸内にはなんの物音も感じられなかった。挨拶をすませると大田氏はただちにゲラ刷りを とりだした。とちゅうで一度、老女中がコーヒーをもってきたときをのそいて、・ほくはまった く人の気配を感じさせられなかったのだ。夫人は留守かも知れないが、それにしても太郎はど こでなにをしているのだろう。・ほくは美しくて厚い壁と扉を眺めた。たしかにこれが藻と泥の にお 匂いをさえぎっているのだ。 「こないだ山口君から聞いた話では、学科は人なみだということでしたな」 「数字ではわかりませんよ。画ですよ。太郎君は画が全然描けないんです。というより、描

8. 裸の王様・流亡記

ク てネズミの籠を見送った。 「よくなれてるんだねー 課長はキツネが猫のように媚びたしぐさで首を金網にすりつけるのを見て、ものめすらしげ につぶやいた。 イタチの箱の前まで来て俊介は立ちどまった。彼は課長に説明した。 さいぎしん 「こいつは、まだ山から来たばかりで、なれていないんですよ。猜疑心の深い奴でね、人の 足音がしただけでかくれてしまいます」 箱の床には砂がしかれ、がいくつもころが 0 ていた。砂には小さな足跡がいちめんについ ていたが、居住者の姿はなかった。 「どこにいるんだい ? 「巣箱にかくれてるんです。ネズミでおびきだしてみましよう 彼は飼育係の男に籠のネズミを五匹とも全部箱のなかへ入れるようにいし 窓のブラインドをおろして電燈を消すようにと指示した。 「奴は気むずかし屋で、おぜんだてがうるさいんでサ」 飼育係は課長に説明しながら、ネズミを一匹ずつ籠からつまみだして砂の上においた。ネズ ミは小きざみにふるえつつ小さな顔をおしつけて砂の匂いをかいだ。早くも恐怖を察したのか、 夋介は課長に 彼らはよちょちと箱の隅に行くと、五匹ともかたまって動こうとしなくなった。ー 声をかけた。 かご ねこ にお 、つけた。そして、 やっ

9. 裸の王様・流亡記

「少し離れていましよう 「人間の匂いがしてもいいのかい ? 」 「腹がへってるから、それぐらいはあきらめているでしよう。暗くしてやればでて来ます 彼は課長をさそって箱から離れると、窓ぎわにならんで立った。 飼育係が窓のいをおろして電燈を消すと、部屋のなかはま 0 暗にな 0 た。ふいに夜の野の くつものやわらか 気配が室内にみなぎり、あちらこちらでけもののさわぐ物音が聞こえた。い きば やみし い足が暗がりを駈け、木がむしられたり、牙の鳴ったりする音が闇を占めた。 電燈を消して三分とたたないうちに、とっぜん身近の暗がりを小さな足音が走った。それは 非常な速度で砂を蹴って駈け、ほとんど体重というものを感じさせなかった。それにつづいて するどい悲鳴と牙離が起 0 たが、さわぎはまたたく間に終 0 てしま 0 た。イ 夋介は満足感をお・ほ えて、小さく息をついた。 課長が耳もとでささやいた。 「やったナ」 「 : : : そうらしいですね」 ひめい 飼育係は有能な男だった。ネズミの悲鳴がやんだところですかさず電燈のスイッチを入れた ので、いままさに餌をくわえてとぼうとしていたイタチの全身がそのまま明るみにさらけださ れた。まるい、小さい頭を起して彼は部屋の隅にたたずむ二人の男を発見した。つぎの瞬間、 えさ

10. 裸の王様・流亡記

109 「そりゃありがたい。いずれ、もう少し情勢を見てからと思ってるんだがね」 「結構ですね。ついでに。ハチンコ・ワナやネコイラズの業者にも当っておきます。これはど うせいるものですからね」 「いいだろう。すぐ見積りをとるようにしてくれ給え」 えり つまよ、フじ 課長は彼の答えに安心したらしくそういうと服の襟から妻楊枝をぬきだした。いつもの癖で すきま ある。この男はいつも食事がすむと、まるで猟師がワナを見て歩くように歯の穴や隙間をシラ つまよ、つじ ミつぶしに点検しないではいられないのだ。夢中になって歯をせせり、ときどき妻楊枝を鼻さ きへもっていって軽く匂いをかぐようなしぐさをする。しばらくその様子を見てから俊介は椅 子から立ちあがった。ところどころに掻き傷のついた、髪の薄い相手の頭を見おろして、その 内部の暗がりにはたして何匹のネズミがのこっていることだろうかと俊介は思った。 部屋のなかには早春の陽ざしがみなぎっていた。新式の建物の内部にはまるで影というもの がなかった。温室のようにあたたかくて、巨大な窓には日光がいつばいに射す。血管のすみず みまで透けてしまいそうな明るさである。昼休みなのでみんな前庭へ運動をしにでたらしく、 広い室内には人影がなかった。窓ぎわにそって歩きながら俊介は厚いガラスを軽くたたいた。 = 体内にあふれたはげしい満足感と緊張感に彼はつよい酒をあおったあとのような気持になって たしかに彼の予想は的中したのである。予言はみごとに立証された。その小事件から日がた にお