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検索対象: 裸の王様・流亡記
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1. 裸の王様・流亡記

144 錆び、風が吹くと夏の陽にあぶられた藁と尿の熱い匂いが小屋にたちこめた。堀内はそのゆる やかな渦に豊満な性の香りをかぐ。 つめあと はじめて町から移ってきたのは三月の中頃で、堀内は体のすみすみに冬の爪跡を感じていた。 はんがいとうえり 彼は軍隊毛布でつくった半外套の襟をたて、空腹をこらえながら小屋の粗壁に這うッタを眺め た。そのときッタは枯れて葉をおとし、壁にしがみついてふるえていたのだ。しかし、五か月 たって春から夏になったいま、形勢はすっかり逆転してしまった。老人の手に浮く血管のよう だったツタはいまの小屋を厚い濃緑色の毛布でつつんでいる。無数の茎は入りみだれて壁を埋 め、鋼線のようにつよい網を張りめぐらしているのである。剥がそうとしてひつばってみると、 たちまち壁のあちらこちらにひび割れの気配がおこってくる。たったひとっしかないガラス窓 も緑の波におぼれかかっているのだ。毎日、堀内は植物が日光を浴び、雨を吸い、壁にやしな われてたけだけしい繁茂をつづけるありさまを手のつけられぬ気持で眺めている。 こば 堀内はハエを拒むこともできないのだ。堆肥がちかくにあるので彼らはひっきりなしにおそ ってくる。熱い空気のなかを彼らは栄養にまみれてとんできた。あぶらぎって青く光り、肥っ て、よどんで、たくましいギイ ( ェである。たたくと破裂して血やはらわたを流す。はしめの うち堀内は古新聞を折って一匹ずつ殺していたが、まもなく紙がやぶれるとともに執念をささ うじつば える力がくずれてしまった。蛆は壺のなかで青白い液にまみれ、日光に輝いて鳴動しているの ど。ハエは排泄物の白い粘糸をひきながら堀内の顔や手足をむさぼって歩いた。まぶたのうえ は よろいかぎ を這うハエの足や腹には剛毛が密生していて、堀内にはときとして彼らが角質の鎧や鉤で固め さ はいせつぶつ はんも わらによ、つ たいひ ふと

2. 裸の王様・流亡記

207 堀内が眼でうながしても後藤はすぐに口をきこうとしなかった。そして・ほんやりしたまなざ げきぶんは しで共産党の檄文が貼りつめられた食堂の壁をひとり眺めまわしてから、 「ちょっとお話し申上げたくて : : : 」 といったきり口をつぐんだ。 後藤の出現はあまりと その様子にはどこかしぶといものがあって、堀内はにが手に思った。 , っぜんで、堀内はなにか計算を感じさせられた。彼はずっとまえから背後から狙われていたの ではないかと思った。仲間たちはいまのいままで高声でしゃべっていたことがすっかり立聞き ろうばい されたのではないかと思い、あわてて口をつぐんだが、誰の眼や頬にも狼狽の表盾はかくせな かった。 , 彼らはだまりこんで眼をふせ、そっ。ほをむいた。テーブルのうえにしらちやけた緊張 が流れるのを後藤はしょん・ほりと肩をおとして眺めた。 沢田がおもむろに顔をあげた。彼はイモバンを頬張りながら、ずけずけした口調で聞いた。 「どないしたちゅうのや ? 」 の 「ちょっとお話ししたいことがありまして : , も け後藤はおなじことをいってから、 「どこかお部屋をあらためて : と女のようにささやいた。それはよわよわしいが、しかし、結局は相手をうごかさずにはお かない軋さをひそめていた。 はお ねら

3. 裸の王様・流亡記

167 「なんそ喜ばしてもらえるねんやろな」 と、ずうずうしく、大きな手をすかさずさしだしてみせた。そして百姓の眼が感謝から狡智 にかわる、そのすばやい計算のまた先手をうって、 「酒なんか飲ましてもらわんでもええよってにな、米か、金か、なんそ実のある奴をな、た のむでえ」 などと、だめをおすのである。 百姓たちはこのあっかましい大学生をはじめのうちは不快がっていたが、そのうち彼がただ 貧乏なだけで、べつに悪気があるわけではなく、また、なにをやらせても百姓仕事がそれ相当 にできることがわかると、便利大工のように重宝がる者もでてきて、農繁期になると沢田はあ ちらの畑で三日、こちらの田ん・ほで五日といったぐあいに雇われていくようになった。 空腹で金さえなければ沢田はどこへでも気がるにでかけていってはたらいた。彼はたいてい ズボンの裾をからげ、はだしにな 0 て劜をつか 0 た。堀内はときどき小屋から這いだして、畑 にいる沢田を見にいった。沢田の鍬は土によごれているが、露出した刃の部分はナイフのよう のに薄く、するどく光 0 ていた。彼はあせらずたゆまずそれをうごかした。土を削るときはの け ように、の腹をなでるときは鏝のように、そのほか一本の鍬をさまざまに彼はつかいわけて、 ま 綿密な仕事ぶりを見せた。また、水田で雑草をむしるとき、彼の十本の指は水のなかを蛇より すばやく走りまわって根をまさぐり、茎にとびついた。彼は窒息している苗を発見すると、手 ぜんめい にその喘鳴を感じ、爪が満足を訴えるまで雑草の群れを飽くことなく殺しつづけて泥のなかを つめ ちょ、つほ、フ じっ こうち

4. 裸の王様・流亡記

間は右と左から迫る二つの力をなんの労力もなく殺しつつ走れることになるのだ。ひしめきあ う雑踏のなかでそのカの地図を瞬間的にさとった人間だけが逃走に成功した。あとはみな逮捕 された。私はひとりの兵士がまっしぐらに走ってくるのを見て、背をおこし、殴られるまえに 綱のほうへ自分から歩いていった。 隊長の命令はきわめて忠実に果された。綱から右の男はことごとく犯罪者にされた。左地区 に住んでいながらたまたま道路の中央より右にたっていたものも、一瞬まえまで左にいたのに 綱を張られるときにおしのけられたためにころんで右へ入ったものも、また右でもなく左でも ない城外の百姓がたまたま野菜職を道路右寄りにおろして立話をしていたためとか、あるいは たったいま道路を右から左へよこぎろうとしていたのにとか、さまざまな哀訴の声を私は列の なかで聞いたが、隊長や兵士はなんの注意も払わなかった。はじめに綱をもって走った兵士が 城壁から体をおこし、道路のまんなかにずらりとならんだ私たちをひとりずつ縛ってつないで いった。ほかの兵士たちは彼がどんなに手間どっても知らん顔で、藁をくわえたり、空を眺め たりしていた。発条はすでに死んで、ゆるんでいた。 , 彼らの顔や肩や腕にはついさきほどまで 記の狂暴さが一刷きものこっていなかった。 , 彼らはことごとく第一級の戦士としての筋肉、握カ 亡 や脚力や正確ぎわまる技能をもっていた。 , 彼らの腕にふれて嘔気を感じなかったものはひとり っち 流 もない。走っているときの彼らの体は刃や槌なのだ。それほどの狂暴さが笛の一吹きでなんの 準備もなくとっぜん発動し、一瞬で高頂に達し、目的を果したとたんに死ぬのだ。これはいま までの兵士ともちがう型である。いままでの兵士はかならず兵士であった。しかし私たちを狩 はきけ わら

5. 裸の王様・流亡記

210 彼はそうしたことをちょっとほのめかしてはだまりこみ、ひとしきり爪をかむと、またなに か暗示してひきさがり、あまりだまっているのであきらめたのかと思うと、またはじめからや りなおすのだ。いんぎんで、やさしくて、抑揚のない、陰湿なやくざ口調でからみつくのだ。 彼らはあがけばあがくほど身うごきならなくな 学生たちは湿って重くなり、ロごもりだした。 , しようそう るのを感じて、焦躁のあまり足踏みしたり、頭をかいたり、熱つぼい眼を見かわしたりした。 堀内は全身を白い、粘 0 こい糸でび 0 しりいかぶされるのを感じた。ほ 0 ておけば後藤は りよ、フせ、るい 一日でも二日でも、そこにそうやって両棲のようにすわりこみ、相手が疲れはててたおれる まで待ちつづけるのではないか。この精力はなんだろう。どんな世界にこの男はいままで生き てきたのだろう。後藤のやせた首すじには、色の薄いにこ毛が藻のように生えてからんでいた。 それを見て堀内は、いっか油川の宴席のすみで電話をかけていた彼の姿勢を思いだし、あらた めて、 ( : : : 猛獣 ) と感じた。 彼の視線に舐められた者はみん 後藤はすっかりだまりこんだ学生たちをひとりずつ羽めた。 , な顔をふせるか、くちびるをかむかした。堀内はすばやく顔を窓にそらした。後藤は、やがて、 学生のひとりになれなれしく呼びかけた。 「終盤戦のときは泣いていただきましたねえ」 というのだ。 つめ

6. 裸の王様・流亡記

161 って歩く米兵の臀部はハムのようだといっているあいだはまだよかったが、そのうちに幻想が 汚穢におちこむのを彼はとどめることができなくな 0 た。彼は堀内の肩をたたき、駅のたん をさして、 「あれは生がきやそ。ストローで吸うてみ。水がはしめにスルスルとあがってきて、ちょっ とたんにひっかかる。それをグッと吸うと、ヌラリ、ツルッと、のどをこすときのさわりぐあ いが生がきそっくりやと思うんやがね」 と描写したあげくに、腕をゆすぶって、 「どや、一発けてみよゃないか。飲めるか飲めんか : などといいだすのた。彼から描写されてみると、堀内はキャベツのときとおなじ錯覚にひき こまれて、たん壺の白い、なめらかな琺瑯質と、そのなかにうかぶ青い粘体に奇怪な魅力を感 じだし、さして抵抗もなくそちらにむかって一歩踏みだしそうな予感をお・ほえた。早くもそれ を察してたちどまりかけた沢田に堀内は小さく息をつめて訴えた。 「かんべんしてくれ、は疲れてるんだ」 しよく の 沢田は薄笑いをうかべた。子供が工作粘土を見るときの嗜欲のかげを堀内は彼の眼のなかに ま読んだような気がした。 「ポン酢がわりにニコチンが入って、ホロ苦うて、ええと思うんやがねえ」 堀内のあとを沢田に軋にそんなことをくりかえしつつ追 0 てきた。 銭湯でも堀内はにがい失墜を味わった。 でんぶ ほ、つろ、つしつ

7. 裸の王様・流亡記

208 「うるさい奴ゃなー 沢田がパンを投げたのをきっかけに堀内たちはいっせいに子を鳴らしてたちあがった。そ して沢田をかこみ、二階の大講堂へあがっていった。 後藤の話は選挙違反の後始末のことだった。彼は講堂のべンチに腰をおろすと学生たちに選 挙中の礼をいい、油川が選挙費用の公定限度を超過した疑いをかけられて逃走中であることを 打明けた。彼はをはかるようなまなざしであたりをちらりとうかがい、声をひそめたので、学 生たちはどうしてもそのまわりへ集まらなければ聞きとれなかった。 「こんなことはままありがちなもんでして、ほんのちょっとした誤解なんですが、なにしろ 油川は落選しましてな。それで気がたって逃げずにもすむところを逃げて騒ぎを大きくしてる んです。根はあんな男で、それはもう、潔癖なもんでして : : : 」 後藤はくどくどと何度もだめをおしてから、ついては費用の明細書をつくって検察庁へ証拠 なついん 書類として提出しなければならないから、あらためて賃銀簿に捺印して頂きたいというのであ なついん った。後藤はそのとき、学生が一日四百円ではたらいていたのを五百円ということにして捺印 してほしいといった。そのことを沢田が聞きとがめて、 「嘘いいな。一日三百円やったがな」 すかさず指摘すると、後藤はちょっとあわてて、 「あ、そうでしたかな。なにしろ金の出入りが多いもんでして、つい すばやく訂正したが、そのとき彼の眼のなかを走って消えた、危険なひらめきに、堀内は暗 うそ

8. 裸の王様・流亡記

149 なまけもの 沢田は一歩しりそいて堀内の体をもう一度ためっすがめつ観察した。 「まあ、しかし、ええとしようかい。雇うのはゃないねんからな」 こうかっ 彼はそういって狡猾そうに笑った。 堀内は沢田につれられて彼が臨時の見習工としてはたらいている圧延工場へ作業を見にいっ た。沢田は堀内に工場のなかを案内し、自分のやっている仕事を説明してくれた。巨大なロー ラーが床から吹きあがる火を浴びて回転していた。ローラーはたえまなく鉄板をくわえこんで は、のばして、床へ吐きだす。その吐きだされた鉄板を一メートルほどのヤットコではさみ、 すみへひきずって、つみかさねて冷却するのである。半裸の圧延工がヤットコをかまえてロー ラーが鉄板を吐きだすのを待ってした。 , 、 - 彼のたくましい筋肉は汗にぬれ、火を反映して金属の ように輝いていた。鉄板がとびだすと彼の手足は毎回寸分たがわぬ軌跡を描いて活動し、まる で毛布でも投げるようにかるがると鉄板をつみかさねてゆくのだ。力の節約と放出がその筋肉 の明滅のひとつずつにはっきり語られていた。 「どや、持てるかいな」 沢田が投げたヤットコをうけとめるのが堀内にはせいぜいだった。彼は長い鉄棒を抱えてよ ろよろした。 , 。 彼よ自分の肩の薄い筋肉が布のように張るのを感じた。うつかりおとすと足の指 を砕いてしまいそうなはげしさがその重量には充満していた。 「やつばり、あかんか ? 」 「だめだね。転むきじゃないようだ」

9. 裸の王様・流亡記

殿様はさいごに山口が馬鹿とののしった画家の手から・ほくにもどされた。彼は神経質にハン ひとみ カチで顔のあぶらをぬぐいながら、澄んだ瞳にあわれみの表情をうかべ、 「アイデアはおもしろいけれど、これは理解の次一兀が低すぎるんですよ。アンデルセンほど ローカリズム 国際的な作家をこんな地方主義で理解させるなんて、これは先生の責任ですよ」 ・ほくはだまって彼の言葉をうけとり、彼がその場を去らないでいることだけをみとどけて満 足することにした。 「フンドシと王冠とどちらが生活的かなんて、わりきれたもんじゃないよ。子供の生活は絵 本と直結してるんだからな」 教育評論家かもしれず、指導主事かもしれない、ふちなし眼鏡の男がそういって・ほくをつめ たくみつめた。・ほくはこの男も計算に入れて指を折った。 「俺はこの画をみたよー そういいだした男がいたので・ほくは顔をあげた。赤ら顔のでっぷり肥った、頭の禿げた小男 であった。・ほくは彼のほくろの数までお・ほえこんだ。彼は・ハンドをゆすりあげながら気持よさ 様そうに眼を細め、ぼくをみて、刺すようにいっこ。 王 「この画はみたけどね、落したんだ。輸出向きとかなんとか、そんな大げさなことじゃない、 の へた 裸これは下手なんだ。だから落した。あたりまえじゃないですか」 一座は彼の口調に楽しそうに笑った。 そのとき、人ごみのうしろから大田氏が顔をたした。みんなはパトロンのために道をひらき、 ふと

10. 裸の王様・流亡記

202 議員の選挙は油川たちがおわったあとでおこなわれるはずだった。 後藤はその候補者に自分をマネージャーとしてつかってくれるようにたのみこんでいるのだ った。彼は耳を指でふさぎ、壁ぎわにしやがみこんで、ささやくように相手を誘惑していた。 それはただの取引にすぎなかったかもしれないが、堀内は暗く、重い直感を得た。彼は , きばつめ 後姿を見て、牙も爪も警戒色ももたないが猛獣であることにはちがいない、陰湿な小動物の姿 勢を感じた。その印象はほとんど確信にちかいものであった。 ( 死ぬまでに何人破産させるのだ : : : ) 後藤がたちあがると、電燈がその赤ちやけた細い髪をすかして、の線をク〉キリと影 にうかびあがらせた。堀内はその猫背の非力な小男が陰険な精力に充満しているのを感じた。 後藤は明るい電燈のしたで飲みくずれ、笑いくずれている油川を静かに眺めた。そしてなんの 表情もうかべずに背をむけると、足音をしのんで暗い階段に消えていった。 学生の生活苦のために延期されていた試験が新学期の九月におこなわれるので、堀内と沢田 は何か月ぶりかで登校した。さまざまな仕事場ではたらいていた学生が、さまざまな服を着て 廊下や教室をうろうろしていた。航空ズボンに半長靴というのもいれば、紺の背広にダンス靴 やみ というのもあった。職工服もあれば、兵隊服もあった。闇トラックの運転をしていた元航空兵 こふけ がケインズ理論のノートをかかえて、ダンスの助手をしていた法科生とイモの闇値の話冫 0 ていた。そして教室といわず廊下といわず、いたるところに学内細胞署名のビラがられ、 こん