知識を得て帰った。 「奴さん、またなにか企らんでるらしいね。転にも審査員になれとかい 0 てきたよ 昨夜おそくまで作品に手を入れていたという山口の髪は乱れて、かすかにテレビン油の匂い がしみついていた。めいわくそうなことをいいながらも彼には児童画コンク 1 ルの審査員に抜 擢されたことをよろこんでいるらしい様子がかくせないようであった。 大田氏は終戦直後にそれまで勤めていた絵具会社をやめて独立し、自分で工場をたててクレ ョンやクレバスなどの製造をはじめた。工場といっても、創業当時はカルナ・ハ・ワックスやパ ラフィンなどの原料油を釜で煮て顔料とまぜあわせて、それをいちいち罐で型に流しこんで 水で冷やすというような手工業であった。それを彼は数年のうちに市場を二分するまでの勢力 に育てあげたのだから、おそるべき精力であった。その間、彼は妻子を故郷におき、自分はエ とうほんせいそう 場の宿直室に寝泊りして、昼夜をわかたず東奔西走した。彼は事業に熱中して妻子を忘れ、月 に一度仕送りをするときをのそいてはほとんど手紙もださず帰省もしなかった。自分が食うに 困るほどの破綻に追いこまれても仕送りをたやすようなことはぜったいしなかったが、それは あとになって考えると事務家としての正確への熱度が主であったようだ。妻が死んだとき、彼 こつつぼ は業者の会合で主導権をにぎるための画策に忙殺されて、かろうじて骨壺をひきとるために一 日帰省しただけであった。そして、足手まといになるばかりだからと称して太郎を自分の実家 にあずけたままかえりみようとしなかった。 父親の撫の記憶もろくにもたないですてられている太郎をひきとったのは、いまの大田夫 てき はたん にお
新体制の波及には時間がかかった。行商人たちは全国各都市の官庁においてめまぐるしい人 事異動がおこなわれていることを告げた。皇帝の命令は彼がいままでの王の何人よりも不浸透 性へのはげしい憧れにとりつかれていることを証明して、烈であった。彼は諸国を壊滅、統 一する困難な事業においては、国籍を無視して才能を狩り集め、動員したが、統一後もこの習 慣をすてなかった。彼は諸都市の腐敗しきった旧支配者を官庁から容赦なく追放して首都から 新人を派遣し、旧官僚たちがどれほど自分がその地方の実力者であり、地理と風俗に通じて有 能であるかを証明して利権にありつこうとしても許さなかった。彼は自分の任命した吏員たち が職務を完遂できるよう、地方的特性を無視した無数の法網を全国に張りわたした。さらに彼 どりようこう は能率と規格にたいする欲望から、それまで全国ばらばらだった度量衡を統一し、車と道の幅 こよ首都から送られた を一定にすることを命令した。そのため各県、各郡の主要都市の官庁前冫を 数表がかかげられ、槲や荷車の見本が展示された。違反者は理由の姙何によらず厳罰処分 ふえき として夫役に徴集されるので、行商人たちの話によれば、はるばる村や町からでてきた百姓、 ちょうだ 商人、職工たちが県庁前広場に長蛇の列をつくり、なかには展示場に入る順番を待っために道 記路に野宿するものもあるということだった。壁とカーテンと裸女のひしめきの奥でおこった皇 亡 帝の身ぶるいはそのようにして商店や工場や村にひびき、計量器や車や田の形をかえてしまっ 流 たのだが、ショックはやがて学校の教科書にもおよんだ。文字が統一されたのである。皇帝は 肪あらゆる意味において特性を排除しようとしているかのようだった。彼は自分が貴族階級の出 身であるにもかかわらず、採用した書体は最下層階級の奴たちの文字であ 0 た。このことに
149 なまけもの 沢田は一歩しりそいて堀内の体をもう一度ためっすがめつ観察した。 「まあ、しかし、ええとしようかい。雇うのはゃないねんからな」 こうかっ 彼はそういって狡猾そうに笑った。 堀内は沢田につれられて彼が臨時の見習工としてはたらいている圧延工場へ作業を見にいっ た。沢田は堀内に工場のなかを案内し、自分のやっている仕事を説明してくれた。巨大なロー ラーが床から吹きあがる火を浴びて回転していた。ローラーはたえまなく鉄板をくわえこんで は、のばして、床へ吐きだす。その吐きだされた鉄板を一メートルほどのヤットコではさみ、 すみへひきずって、つみかさねて冷却するのである。半裸の圧延工がヤットコをかまえてロー ラーが鉄板を吐きだすのを待ってした。 , 、 - 彼のたくましい筋肉は汗にぬれ、火を反映して金属の ように輝いていた。鉄板がとびだすと彼の手足は毎回寸分たがわぬ軌跡を描いて活動し、まる で毛布でも投げるようにかるがると鉄板をつみかさねてゆくのだ。力の節約と放出がその筋肉 の明滅のひとつずつにはっきり語られていた。 「どや、持てるかいな」 沢田が投げたヤットコをうけとめるのが堀内にはせいぜいだった。彼は長い鉄棒を抱えてよ ろよろした。 , 。 彼よ自分の肩の薄い筋肉が布のように張るのを感じた。うつかりおとすと足の指 を砕いてしまいそうなはげしさがその重量には充満していた。 「やつばり、あかんか ? 」 「だめだね。転むきじゃないようだ」
しよう。児童画による人間形成なんてお題目は結構だが、いざ進学、受験、就職となったら、 画なんてどこ吹く風というのが実情です。だから少々悪達者でも、とにかく画を描かせること。 このほうが、目下の急務じゃないですかな」 彼はそうい 0 て軽く吐息をつき、かたわらのサイド・テーブルにあ 0 たウイスキー齪とグラ スをとりよせた。ぼくのと自分のとにつぎおわると、彼はグラスを目の高さまでもちあげてか るく目礼した。 「さびしいことです」 彼はウイスキーをひとくちすすってグラスをおくと、父親のような微笑を眼に浮かべて・ほく こな をみた。まるで牛が反芻するようにたっぷり自信と時間をかけて美徳が消化れるのを楽しむ、 といった様子であった。 どうやら・ほくは鼻であしらわれたらしい。あらかじめ彼は用意して待っていたにちがいない うそ のだ。彼はすっかり安心して微動もしない。彼のかかげる大義名分はどこかに嘘があるからこ しば そこんなみごとさをもっているのにちがいないのだ。彼の一言葉はよく手入れのゆきとどいた芝 生のように刈りこまれ、はみだしたものがなく、快適で、恵みにみちている。彼は貸借対照表 もう を・ほくにおおっぴらにみせびらかしたのだ。彼は自分の儲けを率直に告白し、損を打明けた。 彼は子供を毒するとみとめ、子供を解放しようという。教育制度をののしり、しかもなお巨額 の資金を寄付しようとするのた。この口実のどれをとりあげても、ぼくは歯がたたない。・ほく りじゅん には資料がないのだ。彼が美徳によってあげる利潤をつきとめる資料が皆無なのだ。完全さに はんすう
えて・ほくにすすめるなど、あれこれと気を配りながらも、手だけは一度もとめなかった。・ほく はそれをみて駅前広場の彼女の姿と思いくらべ意外な気がした。彼女の指は正確にとびかい、 ねら 左右にくぐりあい、糸を攻め、穴を狙って狂うことがなかった。彼女がそんな資質をもってい ようとはまったく思いもよらないことであった。なにか誤算したのではないだろうカ 自分の印象に軽い不安の気持を抱きながら、大田氏に訴えたのとおなじ内容のことを彼女に話 した。 「この頃はすこしかわってきたんですが、太郎君はすこし孤独すぎるようですね。一人息子 というのはべつになにもなくてもそれだけで充分異常な状態だと考えていいんですが、太郎君 はちっとも友だちのことを画に描かない。もうすこしみんなと遊ぶようにおっしやってくださ 彼女は毛糸を編みながらうなずき、しばらく考えていたが、やがて顔をあげると、 「おっしやるとおりでございますの。あの子はほんとに内気でしようがありません。それに 私が口をだしすぎるって、主人からもよくいわれるんでございますが、学校のお友だちであま 様りよくない人もいらっしやるので、そうそう放任ばかりもしてられないと思って、つい口をは 王 さみますと、あの子はもうそれでいじけてしまって : : : 」 の 裸 「子供には子供の世界がありますからねー 「ええ、それはそうでございますが : : : 」 「すこし手荒いんですが、太郎君なんか、いい子になることを教えるより、血みどろになっ
こんせき たが、すでに体や顔にその固有の堅固な痕跡をとどめていなかった。道具は手から血管のなか くず にもぐりこんで顔や腰や背骨などにしるしを放射することをやめてしまったのだ。町長から屑 ひろ 拾いの老婆にいたるまで、町のすべての人びとがたったひとつの使い古した顔しかもたなくな だか ってしまった。やつれきった町のなかで兵士たちの甲ン高い酔った叫声が長い、うつろなこた まをひびかせ、くずれた土塀や暗い戸口や立木のかげなどにちらりとのそいて消える顔は子供 も老人も区別がっかなかった。 そのころの平均人の死の例をひとつだけあげてみよう。 私の父は半農半商であった。城外に彼は小さな畑をもち、城内で雑貨商をいとなんでいた。 雑貨商といっても、諸国の行商人たちのもってくるいろいろな品物を町の産物と交換する交易 所のようなものである。彼は一週の半分を小商人として送り、あとの半分を城外の畑で百姓仕 事をしてすごした。彼は老後をそこですごすつもりで、畑のよこに小さな家を建てた。学校が 休暇のときは私もよくでかけたが、ひくい土塀と小さな中庭のある、台所と寝室、一一室きりの、 僧院のような家であった。 ほかのすべての農民や小商人とおなじように父もまた季節のうえに死んでゆくべき人であっ 亡た。雑貨店の経営は仕入れのときに自分でたちあうだけで、あとは妻にまかせ、ひまさえあれ 流ば店のまえの日なたにしやがみこんで彼は白湯を飲みつつ市場通りの人や荷物のうごきを・ほん やりと眺めてすごした。ヒバリを飼い、祭日には銅鑼をたたき、行商人と冗にふけるのが 彼はなにより好きだった。城外の家では、一日の畑仕事がおわると、土が夜気ですっかり冷え = = ロ
282 や性格のニ = アンスをえがき分けることは、自然主義いらいの日本の小説のお家芸であり、作 家や批評家のよく口にする「人間が書けているか、書けていないか」という問題も、結局多く の場合、その微妙な皮膚感覚的ニアンスを、いかにうまく表現するか、ということに帰する のだが、開高はそういう描写を、むしろ意識的に排除している。人間をあたうるかぎり、力学 的な関係の中で、とらえようとするのである。 なお「流亡記」については、作者自身が中央公論社版の単行本に付した「後記」の中で、そ の意図を説明しているので、その部分を引用しておく。 「『流亡記』ははじめにデデイケートしておいたとおり、同じ主題のフランツ・カフカの断 片的メモを自分流につなぎあわせてみたくなって書いた。文体の訓練ということが目的のひ そかな半分でもあった。当時の長城そのものの建設法についてはほとんどデータがのこって いないらしいが、″史実〃として伝えられたデータをも故意にデフォルメした個所はあちら こちらにある。意識的にやったことである。」 「流亡記」でも、作品のいわば発条のような役割をなしているのは、やはり野性への愛着で 冫いたるところに あって、文中に、まるで中世の魔法使いの道具箱をひっくりかえしたようこ、 きようど どうけい ちりばめられている塵埃、筋肉、精液、骨、肉、などのことばや、匈奴への憧憬が何を語って いるかは、ここにいうまでもないだろう。 「パニック」や「裸の王様」はともかく、「流亡記」にさえも市民小説への努力を見ようと することに、読者はあるいは、けげんの念を抱くかも知れない。しかしこの評的な作品が、 じんあい
「なにしろあんな馬鹿までいるんだからな。やりきれないよ」 彼のさすホールの隅には肥った長髪の男がハンカチで顔をぬぐっていた。 「唯だい ? 「ーーじゃないか、ぬり画の」 山口は吐きすてるようにつぶやいて顔をしかめた。男は有名な画家であった。ぬり画が子供 に悪影響をあたえるのはぬり画のフォルムが粗雑だからだという理論を流布して自分の描いた 「高級ぬり画」なるいかさまを売った男である。かねがね山口の論敵であった。 メンツ 「どうしてあんな馬鹿まで入れるんだっておやじさんに聞いたら、まあだまって面子だけは たててやってくれだってさ。しようがねえよ」 「面子じゃないだろう」 「じゃ、なんだね ? 「ぬり画だってクレ。ハスを使うからだよ。大田のおやじさんはクレバスが売れさえするなら 誰とだって握手するんだよ。このコンクールだって目的はそれだ。アンデルセンなんてつけた 様しにすぎないよ 王 山口は不興げな表情をかくさなかった。これはすこし意外であった。まわりに大田氏がいな の 裸いのだから・ほくは彼が賛成するものと思っていたのた。・ほくは自分の言葉が彼の審査員として の自尊心を傷つけたことを感じた。彼は審査員をののしりながらも自分は内心得意がっていた のだ。馬鹿とののしる男と結構仲よくやっていたのではないかという疑いと反感が・ほくの語気 ふと
いかに殿様がふざけた、趣味のわるい、そして下手な画であるかを口ぐちに説明した。大田氏 は細巻の葉巻を指にはさみ、にこにこ笑いながら画を眺めた。そして、彼は彼としてもっとも 正直な意見をのべた。 「たっふりぬりこんでいますな、なかなか愉决じゃないですか」 彼はそれだけいってひきさがった。 皮の眼には同情と和解の寛大な表情 すると、それまでだまっていた山口が体をのりだした。彳 彼まくの顔をみつめ、よく言葉を選んで静かにいった。彼は自信を回復し、 カうかんでいた。 , はを 余裕たつぶりで、ののしられたことなどすっかり忘れて譲歩もし、いさめもしてくれた。 「わかったよ、君。この子供は正直に描いたんだ。下手は下手なりに自分のイメージに誠実 だ。フンドシと王冠とどちらが地についたものか、それは大きな問題だけれど、とにかくこの 子はアンデルセンを理解した」 彼は微笑してすこし声を高めた。 「その理解の直接動機はこのコンクールなんだ。これがなければこの子はたとえアンデルセ ンを理解しても描かなかったかもしれない。また理解もせず描きもしなかったかもしれない。 しかし、げんにこの子はこうやって画を描いた。描くことは理解の確認なんだ。だからやつば ールはけっして無意味じゃない」 りその意味でもコンクールは必要だったんだよ。このコンク どうしてこう機敏なのだろう。彼はあきらかに自分の声と大田氏との距離を計算しているの だ。彼はこのチャンスを待ちかまえていたのだ。他の連中が自分の批評眼を弁護することに腐 へた
193 り飲ませた。そして、 「あんたはアホや、大アホや、底なしバケツで水汲んでるようなもんや」 などとやくざ口調でののしってみせたりするのである。 ごろっきと飲んでいるだけならまだよかったが、そのうちに彼は学生たちから決定的な憤怒 を買った。ある日彼はトラックにのってみんなといっしょに連呼にでかけた。その日は郊外の 農村地区が目的地だった。町の要所要所では油川が後藤に書いてもらった原稿をのそきながら 演説をしたが、そのあいだあいだは学生が連呼しなければならなかった。 , 彼らは油川と後藤に 見守られていやいやながらマイクを手にしたが、沢田は平然としていた。自分の順番がまわっ てくると彼はやおらたちあがった。そしてマイクに向うと、 油川より大きな声で叫んだのだ。 マイクのなかでその声が振動し、ふるえ、ぶつかりあって日光のなかへ拡散するのを聞くと 彼らは背後からとっ 堀内たちはいきなり全裸にひき剥がれたような衝動を感じて眼をふせた。 , しようそうろうばい の ぜんおそわれたような焦躁と狼狽に歯をかんだ。 , 彼らは自分たちの恥部が容赦なく公衆の面前 けにさらけだされたのたと思 0 て、花より早く衰弱した。堀内は外語生が青ざめた顔でうなだれ、 自分をかくそうとしてトラックの側板にびったり体をよせるのを見た。その日、夕方、事務所 に帰ると沢田は二階へあがった。堀内たちは後藤のム哭でそれからふたたびトラックで立会演 説会の会場へでかけなければならなかった、疲労と汚辱で重くなった血管を抱いて彼らが夜ふ