部屋 - みる会図書館


検索対象: 裸の王様・流亡記
44件見つかりました。

1. 裸の王様・流亡記

134 くりトスカニーニでも聞こうじゃないですか」 じちょう 趣味家の柔和な眼にふとさびしげな、自嘲ともとれるいろを浮かべて局長はそういうと、課 長をしたがえて部屋をでていった。 あとにひとりのこされた俊介は緑金砂をぬった薄い壁ごしに聞える雪どけ水のはげしい川音 に耳をかたむけた。窓のすぐしたを川は流れていた。彼はそのむこうの夜の底にひしめくけも のたちの歯ぎしりをひしひしと体に感じた。 彼は放送局の録音室を思いださずにはいられなかった。その部屋の静寂は異様である。壁と ガラスとカーベットによってそこには完全な静寂が保たれている。放送局以外には地上のどこ にも存在しない状態である。人びとは厚いガラス窓ごしに室内の人間に命令をくだす。命令を 受けた人間は部屋が爆破されるその瞬間まで壁の外にひしめくいっさいのエネルギーの気配を 知らずに演技をつづけるのだ。局長が彼に命じたのはこの部屋の扉を閉ざすことではなかった 、刀 使い古された手だ。これは局長の独創でもなんでもない、使い古された手だ。いままでに指 導者たちは過度のエネルギーを発生するたびに何度もこの手を使い、自分に肉迫する力をすべ て幻影に仕立てて大衆の関心をそらしたのだ。そしてそのあとではきまってどこかで爆発が起 ったのだ。 ( やつばりあいつの方が当ったな ) 俊介は、いっか酒場で農学者のいった忠告を思いだした。そのとき玄関で課長が局長に別れ

2. 裸の王様・流亡記

みあげられ、絵具会社の社員らしい男たちが汗だくで運びだしていたが、そのかたわら部屋の 入口からはたえまなく新しい荷物が運びこまれて、流れはひきもきらなかった。部屋のなかに は日光と色彩が充満し、無数の画からたちの・ほる個性の香りで空気が温室のような豊満さと息 、 - とうやら大田氏はみごとに成功したようである。・ほくは部屋の床に流れ 苦しさをおびてした。・ るおびただしい量のチ、ーブと瓶と箱を感じた。 「やあ、きてくれましたな」 ぼくの姿をめざとくみつけて大田氏が部屋の奥からでてきた。彼の手は絵具でよごれ、息は ひじ 葉巻のしぶい香りがした。彼はシャツを肘までまくりあげ、額は汗にまみれていた。・ほくは彼 に粉絵具の礼をいった。彼は約束を守って、どれほどぜいたくに使っても半年は優にもっくら いの粉絵具と画用紙を気前よく贈ってくれた。あとはデンマークからくる作品をもらえば取引 は完了だ。 「どうです、トラックに六台分も集まりましたよ」 大広間の講壇には臨時に休憩用のテー・フルと椅子がおかれていた。大田氏は・ほくをそこに誘 うと、活気にみちたホールをさしていうのだった。 「よく描いてくれたもんです。先生もたいへんでしようが、子供もよくやってくれましたよ。 これだけ集まればデンマークにも顔がたっというもんですー 彼は眼をきらめかせて精悍な笑声をたてた。レストランや書斎で会ったときのあの達人めい た紳士ぶりをすてて彼は自信と闘志を全身から発散させているようであった。 せいかん

3. 裸の王様・流亡記

たけくず てうなずくと、竹屑に全身まみれた課員は弓のようにまがった背骨をミチミチと音をたてての ばし、順番を待っている夫役人たちに軽く手をふって見せて部屋をでていった。夫役人たちは まだ百二十斤にみたないであえいでいる役人の机へわれさきにと殺到し、ロぐちに名前を叫ん こうして犯罪者名簿に登録されると、つぎに私たちは衛生局〈まわ 0 てにいれずみをうけ た。ここでは大きな部屋のなかに十数脚の布張りの野戦用寝台がおかれ、医者がひとりずつつ いて、つぎからつぎへとやってくる夫役人たちの額を裂いていた。朝から晩までひっきりなし に作業をつづけるため医者たちはいずれも全身に血を浴び、屠殺夫のようになってはたらいて いた。三人の医者に一人の割合でとぎ屋がついて、床にあぐらをかき、わきめもふらずに砥石 でメスをといでいたが、私は刃こ・ほれがしてャスリのようになったメスを額につき刺され、ひ とえぐりえぐってからインキをしみこませた綿でぬぐわれた。夫役人たちはいくつもの長い列 をつくって部屋につめかけ、あふれた連中は廊下から建物のそとの広場にまではみだして・ほん やりと順番を待っていたが、医者は一日の割当分の百人の額を裂くと、さっさとメスをすてて 記帰ってしまった。残された囚人たちはそのまま廊下や階段や広場でねむり、翌朝、医者がやっ 亡 てくると、血だらけの床からむつくり体をおこし、ひとりずつ穴をあけられて部屋をでていっ かんよう 咸陽の町には魅力と狂気がたちこめていた。額を裂かれた徒刑囚たちは土埃りのように市と その周辺に群がり、軍用道路をつくったり、宮殿を築いたりしていた。道路はどんな兵車の重 0 - 」 0 っちばこ といし

4. 裸の王様・流亡記

250 およばなかった結論をくだしたのである。すなわち、全官庁職員は一日の執務量をきめられて、 一日に官公文書百一一十斤を処理しなければならないことになったのだ。 この数字はあくまでも数字である。それは徹底的に量であって、いっさいの問題の解決者は はかり 秤である。私たちは役所へいって、各課長の机のうえにおかれた、小さな、みす。ほらしい器具 を見た。背骨の穴のなかまで埃りがつもったかと思われるような課員たちはめいめいの机にむ こ、ったく てあか 彼らは手垢のために皮革のような光沢をおびたカ・ハ かって必死になって小刀をふるっていた。 , ちつかん ーを腕にはめ、前垂れを腰につけ、机のうえにおかれた竹簡へ文字をきざむことに没頭してい た。机の隅には竹簡の山が築かれ、課員たちは一枚きざみおわるたびに眼もあげずに左へ移し、 右から一枚とった。そこになにが書かれているのか私たちにはわからない。夫役の流刑囚たち はおどおどしたまなざしで部屋へ入ってゆき、自分の出身地と名前を告げた。役人はどんなわ かりにくい方言でどんなむつかしい名前をいわれてもたじろがなかった。はたして自分の名前 がそこにきざまれたものかどうか、まったく疑わしいかぎりである。部屋のなかには夫役人た ちの声と、小刀と、竹のきしみがみちているだけだった。人びとは入ってきてつぶやき、でて いって廊下にならび、部屋から部屋へ、廊下から廊下へと歩きまわった。役人たちはときどき 体をおこしてきざみおわった竹簡の山に魚の眼のようなまなざしを投げ、百二十斤にたりない と見てとるとふたたび小刀をとりあげてかがみこんだ。ときどきあちらこちらの机で小さな叫 声がおこって、役人がよろよろたちあがり、竹簡の山をかかえて課長のところへいった。課長 はおもむろに湯をおくと、秤をとりあげて、もちこまれた竹簡を計 0 た。彼が目盛を見

5. 裸の王様・流亡記

159 などとつぶやくのである。 うずたか 沢田が出入りするたびに部屋のなかにはくされィモが堆くつもっていった。堀内は自分の周 囲によどむ、熱い腐臭をかいで、劣等感をお・ほえた。だまっていたら沢田は村じゅうのイモを かきあつめ、その汚物や牛糞や堆肥にまみれた響を部屋い 0 ばいになるまでつみあげるかも しれない。 , 彼の精力はさいごの一個のためにあるのだ。百個や二百個のむだなど考えてみよう ともしないのだ。堀内はの熱と液の充満した部屋を想像して息のつけぬものを感じさせら れた。方向や節約を知らず、なりふりかまわぬ沢田の濃密な気配に彼は砂の斜面をずりおちる 自分を感じてくちびるをかんだ。 「食うて食えんちゅうことはないで。これでも結構いけるがな」 母屋の百姓からしようゆをもらってくると、沢田はそういって何枚かのしなびたキャベツの 葉をむさ・ほった。キャベツの葉は彼のつよい顎と長い歯にかかって新鮮な音をたてた。堀内が その音をつい信じて、ためしに一枚食ってみると、葉脈にはかゆのような腐液がみちていて、 彼は思わず吐いてしまった。そんな腐敗物を沢田がどうして早朝の清浄野菜のようにパリ。、 の と新鮮で栄養にみちた葉にかえてしまうのか。堀内は彼の奇怪な資質をみとめながらも、その 、も け構造をまったくつかむことができなかった。沢田は古畳にあぐらをかき、馬のように顎をゆっ くりとうごかした。キャベツをつかむ彼の大きな、ヘしやげた爪を見て、 ( : : : 百姓。これは百姓だ ) と堀内は思った。

6. 裸の王様・流亡記

うことだけは事実です。不器用だから画が描けないのじゃないんです。このままだと、いくら やってもむだですよー 大田氏はだまって葉巻をくゆらせた。部屋の空気は緊張して重くなり、・ほくは体に圧力を感 「あなたがかまわなさすぎるようですし、奥さんがかまいすぎるようにも拝見できます。あ こく んな小さな子にビアノをやらせ、家庭教師をつけ、そのうえ画までやらせるというのは酷で とっ・せん大田氏は体を起すと、テー・フルのはしについたベルのボタンをおそうとして手をの ばしかけたが、思いとまって、ロのなかで小さく舌うちした。あきらめの表情が彼の顔をかす めた。部屋の灯がすこしかけったような気がした。大田氏はしばらくもの思いにふけっていた が、やがてそれをふりきるようにして顔をあけた。 , 彼の眼は澄んで、裕福な商人の自信ある微 笑がもとどおりにただよっていた。ぼくは毛ほどの傷も彼にあたえることがでぎなかったのを 知った。 様「お礼になにかさしあげたいんですがね」 王 の 裸「展覧会のあとの画はもちろんさしあげますが、それだけではどうもあなたの企画をただと りするようだから : : : 」 「粉絵具と画用紙で結構です」

7. 裸の王様・流亡記

解説 「飼育室にはさまざまな小動物の発散するつよい匂いがただよっていた。その熱い悪臭はコ ンクリート の床や壁からにじみでて、部屋そのものがくさって呼吸をしているような気がし かぎ オいくつもの飼育箱は金網やガラス戸がはめられ、鍵がかけられてあったが、動物の尿は 箱からもれて床いちめんに流れていた。入口からさした光線と人間の気配に動物たちはいっ せいにざわめきだした。どの箱でもとじこめられたけもののたてる足音や金網をひ 0 掻くル がさわがしく起 0 た。 えさ 『餌不足でね、連中飢えてるんでサ』 ニック ) 飴と課長のさきに立 0 た飼育係が説明した。」 ( パ 開高の文学の特質は、たとえばこういう文章の中に、すでに鮮かにあらわれているはずだと 思う。読者はここで、灰色のコンクリート の壁にかこまれた、無機的な部屋に案内される。部 説 おり 屋の中には檻にとじこめられた動物たちがいて、獣特有の臭いをあたりにたたよわせている。 解 しかしそうしたにおいも、「床いちめんに流れているー尿も、ある限度をこえた生臭さをとも 行なわないことに、読者は気がつくだろう。抑制された文体に導かれて、・ほくらはどうかすると、 その檻の中にさえ、コンクリートと同じような、ある無機的なものを感ずる。つまりここには、 にお によう

8. 裸の王様・流亡記

「少し離れていましよう 「人間の匂いがしてもいいのかい ? 」 「腹がへってるから、それぐらいはあきらめているでしよう。暗くしてやればでて来ます 彼は課長をさそって箱から離れると、窓ぎわにならんで立った。 飼育係が窓のいをおろして電燈を消すと、部屋のなかはま 0 暗にな 0 た。ふいに夜の野の くつものやわらか 気配が室内にみなぎり、あちらこちらでけもののさわぐ物音が聞こえた。い きば やみし い足が暗がりを駈け、木がむしられたり、牙の鳴ったりする音が闇を占めた。 電燈を消して三分とたたないうちに、とっぜん身近の暗がりを小さな足音が走った。それは 非常な速度で砂を蹴って駈け、ほとんど体重というものを感じさせなかった。それにつづいて するどい悲鳴と牙離が起 0 たが、さわぎはまたたく間に終 0 てしま 0 た。イ 夋介は満足感をお・ほ えて、小さく息をついた。 課長が耳もとでささやいた。 「やったナ」 「 : : : そうらしいですね」 ひめい 飼育係は有能な男だった。ネズミの悲鳴がやんだところですかさず電燈のスイッチを入れた ので、いままさに餌をくわえてとぼうとしていたイタチの全身がそのまま明るみにさらけださ れた。まるい、小さい頭を起して彼は部屋の隅にたたずむ二人の男を発見した。つぎの瞬間、 えさ

9. 裸の王様・流亡記

196 で野菜くずや飯粒が散乱し、・ほろをまとった人びとがあてもなく歩きまわっていた。はらわた の樽があり、煮こみの大鍋があり、賭博師や香具師や闇商人がするどい声で叫びあっていた。 かししようぎや 沢田は人ごみをぬけると、堀内を一軒の貸将棋屋につれこんだ。沢田は顔見知りらしく、そ の店の主婦をなれなれしく呼びつけると、二人の持物を全部わたしてしまい、さっさと部屋に あがりこんだ。薄暗い部屋のなかには煙草のけむりと人いきれがみなぎっていた。沢田は人ご みをかきわけると、やぶれた押入れの板戸をあけて、自分の家のように将棋盤をもちだしたの である。堀内がすわると、沢田はだまって駒の配置をおわると、煙草に火をつけ、眼を細めて 堀内を見た。 「どや、ごくらくやろ : : : 」 勝負を一番おわるあいだに堀内は沢田の口からいっさいの事情を聞きとった。沢田は油川に やとわれた日からまったくはたらいていないのだった。 彼は毎朝事務所をでると、まっすぐこの将棋屋にやってきて、将棋をさしたり、昼寝をした りして一日をつぶした。日によっては将棋屋もあれば麻雀屋もあり、ときには植物園の前庭で やみいち 昼寝をしたり闇市をぶらぶら歩きまわったこともあるという。そしてタ方になるとタスキをか け、腕章を巻いて事務所に帰り、後藤に「戦果」を報告してからごろっきと酒を飲んだという のだ。油川と後藤はこの男に将棋をさせるためにせっせと日当を払い、昼弁当をもたせ、煙草 をやっていたのだ。 たる おおなべ こま

10. 裸の王様・流亡記

125 声をたてるところたった。彼は人夫に箱をおろさせ、そのイタチをしげしげと観察した。イタ チの耳にはまぎれもなくマークがついていた。いそいでほかの箱をしらべるとおなしようなマ ークのついたイタチは何匹もいた。 , ( 彼ま箱を投げたすと資材課の部屋へ走り、購入伝票を検査 した。・ との伝票も乱雑な判コでまっ赤になっていたが、日付をしらべて彼はすっかり事情がの みこめた。イタチの伝票はことごとく彼の出張中に発行され、山林課長の承認を得ているのだ った。どの伝票にも彼の判はなかった。 彼はたまって伝票と帳簿を資材課員にもどすと、その足で山林課の部屋へいった。運よく廊 下の途中で便所からでて来た課長に出会ったので、彼はさりげなく寄っていき、いっしょに肩 を並べて歩きながら世間話の間へ探針を入れてみた。 「こないだイタチの野田動物とお飲みになったでしよう ? 」 意外なくらい相手はやすやすと餌に食いついた。 「うん、ちょっと個人的なっきあいでねー 「あれは気前のいい男ですね。ちょっとむこう見すなところもありますが : 課長は唇に針がかかったことにまだ気のつかない様子だった。 「だけど、根はいい男なんたよ 「どうでしようかね、その点は。あんなに気前のいい奴は危険じゃないですかな」 課長は立ちどまると顔をあげて俊介の眼を上目づかいにじっと眺めた。あいかわらす胸のわ るくなるような口臭だ。顔をそむけて俊介は短剣を相手の心臓に打ちこんだ。