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検索対象: 20世紀とは何だったのか : 西洋の没落とグローバリズム
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1. 20世紀とは何だったのか : 西洋の没落とグローバリズム

230 す。ふつうのモノは、まず使用価値をもっているのですね。 使用価値があるから、市場に出した場合に交換価値が生まれてくる。だからふつ うの商品は、使用価値と交換価値の二つの次元をもっています。二つの次元のうち 基底にあるものは、あくまで使用価値です。 ところが、貨幣だけはいっさい使用価値をもたない。交換価値しかもっていな い。ほかのモノと交換されることによってしか、貨幣は意味をもたないのですね。 ほかのモノと交換されることを考えなければ、貨幣というものは意味をもってこな い。ですから貨幣とは、純粋に交換価値から成り立っている特殊な商品なのです。 モノとはまったく次元の異なった存在なのですね。モノの交換のなかから自然に発 生してくるというようなものではありません。 しかし、使用価値がなくて交換価値しかもたないというのは非常に不安定です。 つまり、相手次第といった性格があって、ほかの商品とうまく交換されることによ ってのみ、そのつど価値が決まってくる。相手との関係性のなかでしか価値が決ま ってこない 。これはきわめて不安定なものです。 モノは一応、そのモノ自体の有用性があって、性能がよいとか、すぐ壊れると

2. 20世紀とは何だったのか : 西洋の没落とグローバリズム

( 一八六四 にどういう方向に向かっていったのでしようか。マックス・ウェ 5 一九二〇 ) によれば、ヨーロツ。ハの近代社会は「呪術からの解放 [ によって進展 していったはずです。すなわち、ニーチェが劇中人物に語らせたように「神は死ん だ」のが近代だったわけです。そして、神に代わって人間が価値の中心になった。 ヒューマニズム ( 人間中心主義 ) の登場です。人間は自分自身を価値にしてしまっ たのですね。 これはニーチェも言っていることですが、ニヒリズムによって最高の諸価値を崩 み壊させたとしても、人間は、完全に無価値の状態で生きることはできない。何がよ くて何が悪いのか、そういう価値判断をしていかないと、日常生活が成り立たない からですね。社会、共同体をつくったときには、共同体の規範としてルールをつく 超 : レールをつくる前提には価値判断がなければなら らないと共同体が成り立たなしノ の ない。だから、「最高価値」を葬り去ったとしても完全に無価値ば状態になること 一はありえない。では何を価値にするかというと、自分自身を価値の中心に据えてし 附まったわけです。自分自身、つまり「人間ーそのものをもっとも高貴な価値とみな した。これは、ニーチェからすれば非常に低い価値ということになるのですが、現

3. 20世紀とは何だったのか : 西洋の没落とグローバリズム

306 る。これが現代の民主主義なのです。市民主権なり国民主権の民主主義というもの です。だから、自由平等の政治思想からできあがる国家体制というのは民主主義に ならざるをえないし、その政治はどうしても行政サーヴィス化するのです。 すなわち、民主主義とは、価値と切り離された政治制度なのです。一人ひとりの 人間の主観や欲望を超えたと , 、ろに重要な価値がある、という考え方を否定して出 てきた政治思想なのです。政治は、重要な価値については、もう問わない。万人に 与えられた自由平等という権利を価値から分離させ、それをもつばら技術的にコン トロールするのが政治ということになってしまったのです。 このように、科学であれ政治であれ、本来、超越的な価値に包摂され「善」と一 体となって追究されてきたものが、価値から分離独立し、価値を問わないものへと 変容していったのが近代だと、シュトラウスはとらえた。それを彼は「近代のプロ ジェクト」と呼びました。そして、価値判断を放棄した「近代のプロジェクト」運 動は必ずや失敗するだろうと、約五十年前の講演のなかで予言した。私も、この考 えに基本的に賛同します。その後の五十年間を振り返ってみると、現代社会は、大 きくいってシュトラウスが危惧した方向に向かっているのではないかと思います。

4. 20世紀とは何だったのか : 西洋の没落とグローバリズム

そして、この自己超越の意志を人間がもっているかぎり、世界は決してあるバタ ーンにはまるように固定されたものではありえない。世の中はつねに変わっていき ます。生成してゆくわけです。しかし、この「生成」は、決して東洋的無常観のよ うな、自然のままの生成流転、生あるもの常ならずといった自然観から出たもので はなく、人間のカへの意志によってつくり出されるものであり、カへの意志の間の 闘争によって生成されてゆくものなのです。ニーチェのニヒリズムでは、成の田じ .. -. 「 " 」の意〔よ分かちがたく結びついています。 ロ 新たな価値を創出する亠扣一・一屮ズム J ・ る れ ところかここに、 ニヒリズムの新たな可能性が開けてきます。人間がカへの意志 迫 ををもっていることと、世の中が生成であることが切り離せないとすれば、カへの意 値志によって世界をつくり出してゆくことが可能となるからです。人間がカへの意志 価 をもっているとするなら、そのカへの意志によって人間は新たな価値を創出するこ 章 とができるはずです。価値創造が可能となる。ただ、新たな価値創造のためには、 第 まずは価値破壊と価値転換がなければなりません。そしてニヒリズムは、この価値

5. 20世紀とは何だったのか : 西洋の没落とグローバリズム

302 ) ) - っし ところが、近代の政治思想にいたると、ホッブズあたりが嚆矢といえるのでしょ うが、「善」の追究などは完全に放棄される。国家契約説、すなわち、人間は生ま れながらにして自由平等であり、その対等な個人相互の契約によって国家は成り立 っている、とする説に依拠して政治思想が展開されるようになるのですから、当然 です。つまり、「イデア」あるいは「善 [ に代わって、万人の有した権利である 「生存」と「自由平等ーこそが近代を貫く政治理念となる。その国家が「善ーであ るかどうかは問わない。ただただ人々の「生命」と「自由平等ーを保障することが 近代国家の役割とされるようになるのです。 哲学と科学の分裂、あるいは哲学から科学への移行という先ほどの話にそっくり だと思いませんか。政治も、もう「善ーや価値にはかかわらない。ひとつの共同 体、ひとつの国家が特定の価値や理想を追究するという議論はもうしない、という ことです。なぜなら、万人は自由で平等だから追究すべき価値も人それぞれ。そこ に政治はタッチしない、というわけです。これは、価値の相対主義ですね。自由平 等という政治思想は価値の相対主義を前提としている。価値は相対的であって、す べての人が共通して「これはよい と思えるような絶対的な価値など存在しない。

6. 20世紀とは何だったのか : 西洋の没落とグローバリズム

幻影である、ということです。 しかし、ここでいっているニヒリズムは、そ、つした東洋的観念とは異なります。 仏教的な意味での無常観、諦念観、それはここでいっているニヒリズムとは違う。 ヨーロッパのニヒリズムとは、これはニ 1 チェの定義を借りれば、「最高の諸価 卩イといってもよい。この定義か らわかるように、問題になっているのは諸価値です。東洋的無常観のように、この 世の中に存在するものすべてははかなく幻であるというような存在性の議論ではな 亠く、価値についての議論なのですド価値 . が崩落ー . 価 . 値の意味がなくなってしま う。しかも、そのもとになるのは「最高の価値」の崩落なのですね。 価値の基準を失い、世界は無意味化する 値価値とはいったい何かというと、われわれが世の中にかかわる際のひとつの態度 であり、世の中のさまざまな存在に対して意味づける方法、基準です。われわれが 世の中にかかわっていくとき、それがどの程度重要なのか、それが自分にとってい かなる意味をもっているのか、こうしたことをたえずわれわれは問うわけで、その

7. 20世紀とは何だったのか : 西洋の没落とグローバリズム

力、使いやすいとか、そういうところでそのモノの基本的な価値が発生する。人間 の生活のなかで有用性をもっており、そこで価値がでてくる。それが貨幣にはない のです。 お金や金融市場は集団心理に支えられている この貨幣の独特の性格が金融市場を特異なものとしています。なぜなら、金融市 場とはモノを交換する市場ではなく、お金を交換する市場だからです。正確には、 お金と、お金らしきものですね。株式とか債券とか定期預金などの証券はお金その 会 社ものではないが、 モノでもない。少なくとも、モノのように日常生活における有用 駄性はもっていません。それは、それ自体の実体的価値をもたずに価値を代理し表象 するものであり、その意味で貨幣と同類です。 済有用性や使用価値から分離したところで金融市場が成立している。モノの実体や 章使用価値をもたないで相互に交換されるという意味では、一種のヴァーチャルな市 第場といってもよい。 そうすると、この市場を動かすもの、それは集団心理です。金融市場を成立さ

8. 20世紀とは何だったのか : 西洋の没落とグローバリズム

転換を準備するものなのです。 これまで自明のものとして信じてきた このとき、 カカっている世界はバラ 値を一度 り バラになります。世界や歴史の目的は存在せず、 はなく、真理は存しない。 玉「・・・まず「 - - -.. そ ....... ~ ,.. を . を知あぬはらな / 絶対的な価値の基準はこの世の中には存在し ないことを知る必要がある。 0 攵 . るここ 、われわれはそこから価値転換を図る。価値転換を第るため いに , も、カ に、まずは従来価値があるとさ ることに気づくしかし 人間は、なおかっ力への意志をもっていますから、いまある状況を抜け出して、よ 局いもの、より高貴なものを求める。そのために人間はしい価値を創出するこ は、だれもがくり出せるものではなくそれを行うのは「高貴な種の人間」、つ まり彼のいう「超人ーです。ですから「超人」の役割は、世界や他人を支配するこ ことにある。 とではなく、新たオ値の〔基一準を々に こうしてニヒリズムの時代とは、まさ , 一簓価輯拠要ど・すみ - る。人々

9. 20世紀とは何だったのか : 西洋の没落とグローバリズム

引 0 してきた超越的な「最高価値」から解き放たれ、人間本来の姿に戻ることだった。 これが、ニ 1 チェいうところの「価値転換」です。そうなれば、人間は、万物が目 的も意味もなく生成流転する世界へと放り出される。しかし、人間は、常にいまあ る状況を超えて、より偉大なものに向かおとする「カへの意志」を有した存在であ る以上、その生々流転の方向は、カへの意志相互の闘争によって決まっていくだろ う、ということです。そして、「カへの意志」によって新たな価値が創造されるだ ろう、と期待した。ただし、それには、新たな価値を万人に提示できるような「高 貴な種の人間つまり「超人」の登場が求められるのですが ニーチェの考え方を受け入れるなら、「西洋の没落ーがはっきりした後に生まれ たわれわれ現代人は、何よりも現代において自明とされてきた西洋近代の思想や理 念、価値、たとえば自由や民主主義、あるいは「歴史の進歩」などといった概念を ひとつひとっ疑ってかからなければならないとい、つことになります。 近代は近代の理念を駆逐する さて、では、ニーチェの孤独な思想的格闘とは別に、近代ヨーロッパは、現実的

10. 20世紀とは何だったのか : 西洋の没落とグローバリズム

ケゴールが「反省の時代」と呼んだように、理性によってすべてを判断しようとす る傾向が強まり、神は死に瀕する。 そういった時代状況のなか、ニーチェは「神は死んだ」として、イデアとか神と か、そんなものはすべて人間の勝手な思い込みであって、まず、これら「最高価 値」という幻影を突き崩さなければならない、と訴えたのです。古代ギリシャ以来 絶対的存在、絶対 ヨーロッパがずっと培ってきた、ヨーロッパ文化の礎となった、 . 的価値、人間を超えた絶対的価値として人間を支配する神という観念から解放され みないとダメだ、と。これが積極的ニヒリズムで、ニヒリズムはニヒリズムをさらに 徹底し完成させることによってしか乗り越えられない。だから、まずは、これまで ヨーロッパ社会を支配してきた諸価値、世界や歴史の「目的ー「統一」「真理」とい 克 った諸価値をすべて転倒させなければならない。それゆえニーチェは、自らの哲学 を「完全なるニヒリズム」と呼んだりしたのです。自分自身が価値の破壊者、ニヒ リストだったからです。 論 附 ここで重要なのは、ニーチェはニヒリズムを決してマイナスのものとして捉えて はいなかったということです。むしろ、それは、「イデア」以来、人間存在を東縛