328 を越えてしまうまでに「文明」化していたからなのですね。その抽象的で普遍的な 技術をアメリカは受け入れて、大量生産方式をつくりだす。その最初の成果が、 e 型フォードでした。これが、第一次大戦前の一九〇八年にアメリカで造られます。 もちろん、ヨーロッパでは十九世紀のうちから、様々な蒸気自動車やガソリン自 動車がつくられています。たとえば、イギリスのロ 1 ルスロイス、ドイツのダイム ラーやべンツ、フランスのルノー。ただし、それらはすべて手作りのため非常に高 価で、貴族や一部の富裕層にしか手が届かなかった。一言でいうなら、貴族や金持 ちの道楽に過ぎなかったわけです。そのなか、型フォードが何といっても画期的 だったのは、流れ作業による大量生産方式を確立したことで、低価格化を可能に し、自動車を庶民が乗れるものにしたことです。以後、フォード生産方式が自動車 生産の世界標準となっていく。のやり方もその改良ですし、それが結局は今日 のトヨタを生むわけです。産業革命の生みの親であるイギリスは、標準化に取り組 まなかったことで逆に後塵を拝することになる。すなわち、近代的な産業技術とそ の成果はヨーロッパの「文化のなかで育まれたものの、普遍性を帯びることで 「文明ーになり、生みの親に対する逆襲を許してしまったわけです
民たちは、もはや本来の意味での財産主ではありえない。こうして、アメリカ資本 主義の再定義がどうしても必要となってきます。 この新しい経済の典型的な形態が機械制生産であり、大企業体制でした。土地財 産の上に自由な経済を基礎づけるのではなく、機械技術と集団としての組織の上に 経済を基礎づけるということですね。ここに、現代文明としてのアメリカを特徴づ ける技術主義が出現します。しかも技術主義的な思考は、ただ機械制生産に適用さ れるだけではなく、もっと広範な影響力と意味をもっています。特にアメリカの場 合、それは、移民社会としての新たな民主主義の理念とも不可分なのです。 大量生産方式がもたらした消費社会 そのことを、もっともわかりやすいかたちで示しているのが、自動車会社フォー ドによって大規模に導入された大量生産方式ですね。二十世紀のアメリカが生み出 しわゆるフォード自動車の生産システムといってよいでし した技術主義の典型は、、 フォード自動車の生産システムは、自動車を細かいパ ーツに分割し、作業を可能
266 重要なことは、このフォ 1 ドの方式は、決してフォード自動車に限定されたもの ではなく、もっと広範な経済システム全体に拡張可能なモデルとなっていたという ことです。大量生産によってコストを低減する、それによって労働賃金を引き上 げ、大量消費を引き出す。大量消費によってさらに大量生産が可能となるーーこ、つ いうプラスのフィードバックをもった循環回路が形成されました。 これは、従来のヨーロッパの階級関係に基づいた市場経済の考え方と大きく違っ ていた。十九世紀ョ 1 ロッパの市場経済の考え方は、あくまで二つの階級を前提と しており、そこでは、資本家が上げる利潤と労働者が獲得する賃金は原則的に対立 するとみなされた。だから、資本家が利潤を獲得しようとすれば、労働者の賃金を 下げる以外になかった。十九世紀のイギリスでは、労働者はたいへん低い賃金で長 時間働かされます。まさにマルクスが問題にした状況が生じているわけです。 大量生産、大量消費というフォードのやり方は、一方で、ヨーロッパの従来の資 本主義の観念を大きく変えることになり、他方で、土地財産に基づいた個人の自立 という従来のアメリカ資本主義の観念をも大きく変えたのです。このフォードのモ デルによる経済拡大の循環的メカニズムは「フォーディズムーと呼ばれますが、こ
なかぎり単純化して、流れ作業のラインシステムを構築したことでよく知られてい ますが、それは生産システムの革新にとどまらない大きな意味をもっていました。 大量生産という新方式がどうして重要なのか。それは、フォ 1 ドの発想に依拠し ます。フォ 1 ドは一方できわめて職人的なマインドをもった技術者であると同時 に、きわめて愛国心の強いアメリカ人です。彼は、アメリカ人のだれもが、彼の技 術が生み出した自動車に乗れることを理想とした。つまり、アメリカ人ならだれも が乗る国民車をつくりたかったのです。 そこで彼はまず、自社の労働者たちが自動車を買えるようにする。そのためにエ 場で働いている労働者の賃金を引き上げるわけです。こうして労働者たちが車を買 肋えるようになる。その結果、自動車に対する需要が増え、大量生産が可能となる。 カ大量生産が可能となれば、さらに単位あたりのコストが低下し、価格が下がりま す。これはいっそうの需要の増加をもたらします。単位あたりコストを下げれば労 ア 章働者の生産性も高まる。したがって、さらに労働者の賃金を高く支払える。こうし 第て労働者の生活条件は改善し、より豊かになって、よい生活ができるという夢が現 実化します。
268 して、アメリカ経済は、平均人たちの消費意欲、物的な生活の向上心によって拡張 してゆくのです。確かにアメリカは、貧富の差はあるものの、階級は崩壊したので す。社会の中枢を形作るものは、同質的な中間層になったのです。国民的な規模で 生活を向上させることで、国内の市場が拡張してゆく。いわゆる消費社会の到来で すね。 そして、いうまでもなく、大量生産、大量消費によって消費社会をつくり出すこ とで経済を拡張していく循環メカニズムは、戦後の日本をはじめとする先進国、中 進国の標準的なモデルとなったわけです。 人間を生産プロセスの一環として管理する「技術主義」 いうまでもなく、フォ 1 ドが徹底して利用したラインシステムによる大量生産方 式は、二十世紀アメリカの技術主義を典型的に示しています。それは、ただ作業を 機械化していくだけではなく、人間の作業の完全な分割、合理化、分業化を徹底す るわけです。いわゆる「テーラーシステムーですが、ここでは、細かく分割された 作業をすべて時間で計測し、人間の配置や作業分割などを合理的で効率的なやり方
れはやはりヨーロッパではなく、アメリカという条件のなかではじめて可能となる ものだったのですね。そもそもヨーロッパの自動車は貴族の贅沢品ですから、大量 生産、大量消費できるようなものではなかったわけです。 興味深いことに、フォードは移民を集めてきて自動車工場で働かせますが、それ だけではなく、彼らのための学校を設けて英語を習得させ、アメリカの文化や政治 を学ばせ、彼らをアメリカ市民にするための教育を行います。移民たちの「アメリ カナイゼ 1 ション」ですね。 ここからもわかるよ、つに、フォーディズムは、まだアメリカに来てまもない、十 れ分に英語も話せない移民たちでも労働でき、賃金を得て生活できる。そのうえで、 のようやくアメリカ市民となってゆくというアメリカナイゼーションと不可分なので 力す。これは、フロンティアが消滅してもはやだれもが土地財産をもちえない、そし 刈て新移民たちが流入して移民国家化する二十世紀アメリカの新しい経済の様式であ り、また新しい社会の考え方だったのです。 章 第 しかし、大量生産、大量消費によってはじめて恒常的な経済成長が可能になりま した。ヨーロッパの経済が、一部の富裕階層の贅沢によって支えられていたのに対
278 ところが、型モデル誕生の数年後に、 ( ゼネラル・モーターズ ) のスロー ンは、大量生産、大量消費というフォードのコンセプトを生かしながらも、年次改 良モデルとグレードによる車種のランクづけを導入します。モデルチェンジと、大 衆車、中級車、高級車というランクづけです。 ここに、われわれが現代においてよく知っている自動車の多様なモデルが登場す るのですが、この方式によって、がフォードを抜いてトップの自動車会社にな ります。 では、 c-5 の何が新しいのでしよう。ここでがやったことを端的にいえば、 フォードの生産工程における徹底した技術主義的思考を、いわばわれわれの欲望の なかにまで導入し、消費欲望を方法化してしまったということなのです。人間の欲 望まで技術的なプロセスに巻き込んでいくわけです。 こうしてわれわれ自身も、方法化され階層化された自動車世界のなかに入ってい かざるをえない。まずは大衆車から始めて、最終的には高級車に乗る、あるいは、 社会的地位に応じてどのクラスの車に乗る、といったように、欲望が車によって適 切に分類され方法化されるわけです。欲望と社会的階層が対応づけられ、自動車が
す。その普遍的なものを身につけ、合理的な思考を獲得することがアメリカ市民で あることの基本的な条件なのですね。 ここまで来ると、フォードの教育プログラムにまで技術主義という考え方を拡大 することができるでしよう。アメリカ市民になるための教育プログラムという発想 そのものが、やはり技術主義的なものなのです。 いいかえれば、移民たちが、彼らの出身国の文化的な背景や歴史的な経緯の違い を引きずりながらも、それとは異なった次元で抽象的な普遍性を設定しようとす る、そのための教育こそが二十世紀初めのアメリカナイゼーションの意味でした。 着アメリカ化するための基本的教育プログラムが構成され、それを移民たちに差別な の く共通に適用していく。この発想は、たしかにアメリカ的な意味で民主的といえる 明 力でしよ、つ。 しかし、それはまたきわめて技術主義的です。フォードのラインシステムによっ ア 章て規格化された e 型モデルが大量生産されるように、移民のアメリカ化プログラム によって「アメリカ人。もまた大量生産されるわけです。「標準的アメリカ人」と いうものが規格化されてゆくのです。これは育児から教育にまで及んでくる。教育
土壌で生育された「文化」だったといえるでしよう。 ところが、それら個々の探究が、普遍的な記号によって定式化され数式化される と、ニュートンがケンプリッジのトリニティ・カレッジでリンゴの木を見て引力を 見出したという話は何も意味を持たなくなる。それは国境を越え普遍的な「文明ー になっていくわけです。二十世紀以降の量子論、相対性理論などは完全に数学的に 表現される世界になっていますね。最初から普遍的。近代科学という「ヨーロッパ 文化」が「文明」に変化した証ともいえるでしよう。 み産業技術も同じです。産業革命を起こしたのはイギリスですが、そこで生み出さ 、つ れた技術をもとに大量生産方式を開発し経済活動に結びつけたのは、アメリカで す。イギリスは産業革命を起こしていち早く経済を発展させたけれども、大量生産 克 の型の機械化には遅れます。十九世紀を通じてイギリス経済を牽引したのは金融資本 なのです。ロンドンのシティーを中心にユダヤ系の金融業者が、大英帝国の植民地 一である海外に投資して、技術を移植し産業を興した。それでイギリスは収益をあげ 附たのですね。そういったなか、アメリカが産業革命の成果を実際に応用して経済活 動に結びつける。どうしてそれが可能だったかといえば、産業技術が普遍的で国境
よって自分の欲望を表現する、消費というスタイルそのものについての巨大なマニ ュアルができあがってしまったのです。ここに、「アメリカン・ウェイ・オプ・ラ イフ」ともいうべき生活スタイルが誕生します。生活様式そのものがスタイル化さ れ、方法化された社会なのですね。二十世紀のアメリカは、そのようなものをつく り出したといってよいでしよう。 技術主義の普遍化が行き着く先は故郷喪失 アメリカが生み出した消費のマニュアル化としてどうしても無視できないものが あります。いうまでもなく、マクドナルドです。 の マクドナルドは、簡単にいえば、フォードが開発した大量生産方式を食生活に持 明 ・リツツアという人が述べている カち込んだといっていいでしよう。これはジョージ メことですが、マクドナルドほど見事に方法化され、マニュアル化され、技術主義的 章なものによって支配された消費の場はありません。生産工程の流れ作業的管理を、 第食生活という消費プロセスにまで拡大したわけです。 そして、この徹底した方法化によって、マクドナルドは世界へ進出することが可