二秒もしないうちに、毒舌丸がクラブ・チェアから立ち上がった。 「いっこちらへ ? 」 冷めた目を双子へむける。しかし、額に「内』、一文字眉、三本ヒゲのトリプル落書き をされているため、彼女特有の鋭さをまったくといっていいほど感じない 双子は、毒舌丸の卩 いにこたえず、理刀へ顔を近づけてきた。そして、シイちゃんも含 め、べたべたと顔や体を撫で始める。 「な、なにするんですか ? 」 理刀は、なんとかふたりの手から逃れようと、体を捩った。シイちゃんも、嫌がってバ タバタと暴れている 「なるほど、ふむふむ。へえー、珍しい 「ふんふん、これって、もしかしてアレじゃない ? 」 「カオティックだねえ 強「リアルだねえ ふたりで顔を見合わせ、楽しそうに微笑み合っている ス なにが珍しくて、なにがおもしろくて、かおていつくとかリアルとか、いったいなんの シ 章ことなのか、ふたりは説明もしないまま、勝手に納得した顔で理刀から離れた。 四 「どうしたの ? 騒がしさに、よ、つやくキュートが目を覚ました。 ほほえ
だが、キュートは顔を動かそうとはしない。ただただ立ちすくんでいるだけ。 りと 理刀はずっと、そんなキュートから目をそらさなかった。彼女は、こちらの視線に気づ きながらも、決して顔をむけよ、つとはしない だから、待った。 キュートの表情から、疲れと、あきらめと、怯えが消える瞬間を。 くろひめ かばん 黒媛が、鞄から取り出したマジックを手にして、寄せ書きにレタリングされた『スキュ ース・フォンターナさんへ』という文字の上に横線を二本引いた キュートの顔が、再び下をむく。 そのため、彼女には見えていない。黒媛が、消したレタリングの下に書き足した、『キ ュート・フォンターナさんへ』という文字が 黒媛が、キュートの薄い胸へ突きつけるようにして、寄せ書きを差し出した。 、っち 「考えてみれば、いまの亜威家があるのも、キミの父上の助けがあったればこそ、みたい 42 もか だし : : : それなのに、契約を反故にしてしまって : : : 百香の魂は絶対に渡すつもりはない んだが、、 てきれば : : : これからもずっと友人でいてほしいー 「え ? 」 キュートが、弾かれたように顔を上げた。 間を置かず、 「これ : : : 腕輪の、代わり」 おび
246 「たまたまねー 「それでも、キミは恩人だ」 くろひめ 、ノカチで妹のロを拭いてやりながら、言った。 黒媛が、ノ、 「キミがいなかったらと思うと : : : 本当に感謝してる」 みみつ 「オレは、なにもしてないよ。美々津さんとキュ 1 トのほうが、ずっとがんばってた」 ともえ ・も、もか 理刀は、カプチーノをちびちびと飲んでいた巴に顔をむけた。黒媛と百香も。 みんなの視線が集まってきたことに慌てた様子で、巴がプルプルプルと首を振った。そ ほおあか して、頬を紅くしてうつむいてしまう。 そんな彼女と理刀を交互に見つめ、 「巴ちゃんと春日さんがいてくれたから、わたし、助かったんです。黒姉様がいて、キュ ートさんもいたから : 百香が、テ 1 プルの上に目を落とした。そのまま、ほっりとつぶやく。 「キュートさんと、もっとおしゃべりしたかったな」 彼女が視せられていたのは、一魔界の至宝と呼ばれているスキュース・フォンターナ である。キュートの素顔を直接目にしたのは、今朝の十数分だけだ。しかも、暗い顔と泣 いた顔だけ。 百香だけでなく、黒媛も巴も心から笑ったキュートとは出会っていない。 知っているのは、理刀ひとり。
下りていく。そして、毒舌丸へ、 「登校準備を、って : : : その顔 : ・・ : ど、つしたの ? やっと、彼女の顔の落書きに気づいたようだ。 キュートの反応を受け、毒舌丸が背広の胸ポケットから携帯用の手鏡を取り出し、それ のぞ を覗き込んだ。直後、普通にしていても冷たい目の温度がさらに下がった。ぐんぐん下が っていく。どんどん下がって下がって、絶対零度に限りなく近い目になったところで、ゴ ルゴンゾラとパルメザンのふたりへ視線を移した。 パリン、と彼女が手にした手鏡が割れ、破片が足下に散らばった。 「やあ 5 ん、毒ちゃんが怒ったあ 「こわ 5 い、噛みつかれそう」 「「それでは、ごきげんよお 5 」」 金と銀の髪を揺らし、双子が色つほく身をくねらせる。次の瞬間、ふたりの姿が消え失 襲 強せた あまりにも鮮やかな逃げつぶりである タ ス キュートが、大きなため息をついた。 シ 章毒舌丸は、凍りついたようにその場を動かない。相変わらずの無表情だから、怒ってい あき 四 るのか呆れているのか、はたまた悲しんでいるのか、判断が難しい。 理刀は、苦笑いを浮かべながらべッドから下りた。そのとき、顔にゆるやかな風を感じ どくぜっまる
亜威姉妹が、顔を見合わせる。 とも、え 巴は、目を細めてキュートの顔を見つめたまま動かない じゅ 「スキュース様は、お仕置きの意味でキュートお嬢様に石化の呪をかけられました。です から、完全な呪式を組み込まれてはいないはずです , 」も、もか うな 毒舌丸の説明に、百香が「う 5 ん」と唸りながらも、とんでもないことを口にした。 「眠ったお姫様を起こすときは、やつばり王子様のキスかなあ おい、キスって : オ、オレが、キュ、キュキュ、キュートと ? つばの 理刀は、ゴクリと唾を呑み込んだ。 かいじゅ 「魔界では伝統的な解呪法です」 みじん 表情を微塵も崩さす、毒舌丸が理刀へ視線を突き刺してきた。 伝統的って : : : ここは魔界じゃないんだけど : くろひめ 女 少続けて黒媛も、視線で理刀を射抜いてくる 「春日、男だろ」 コ確かに男だけど、こんなに人がいる場所で、キ、キッキキ、キスなんか : ラ巴が、顔を赤くしてうつむいている。だが一方で、百香がドキドキワクワクといった表 情で理刀を見つめている。 章 理刀は、キュート へ視線を移した。 かわい 石化の呪をかけられ、動けなくなった彼女は、それでもやつばり可愛らしい。プルンと
ふたりの違いは、髪の色だけ。 整ったきれいな顔も、スレンダーな体も、黒革のベストとパンツとプーツも、すべて同 じ。どう見ても双子であり、おそらく、いや間違いなくキュートの姉たちである きのうの朝はデリへル・シスターズで、今朝はツインズか : 理刀は、起きるべきか否かを迷いつつ、彼女たちの様子を窺った。 双子が、クスクスと笑いながらべッドに近づいてくる かわい すえこ 眠っている可愛い末っ妹を、やさしく驚かせるつもりなのか ? だとしたら、このまま 寝たフリを続けてあげるのが礼儀である。下手に起きれば、彼女たちをがっかりさせるか もしれない 座ったまま動かない毒舌丸を見下ろし、双子が顔を見合わせてニャリと笑った。 なんだか怪しい。毒舌丸が、侵入者に気づかないのも変だ。 金髪のほうが、。 へストのポケットからなにかを取り出した。マジックである。「油性』 襲 強という文字が目に飛び込んでくる。 ひとみあお よく見ると、双子の瞳は碧一色に染まっていた。なんらかの魔力を使っているようだ。 ス 金髪のお姉様が、マジックのキャップを外して、毒舌丸の顔に落書きを始めた。 シ 章おいおい、いいのか ? 油性だし。 四 「ねえ、これでよかったつけ ? 」 金髪が、毒舌丸の額に「内』という漢字を書き入れる。 、つ・つカ
102 とも、え すると、昼休みになって一度も顔を上げず、ひと言もしゃべろうとしなかった巴が、ス ススッと自らの弁当箱をキュートの席に押し出してきた。 「あのう : も、もか それ以上は、顔を赤くしたままなにも言わない。代わりに、百香が口を開いた 「巴ちゃんも、おかずのとりかえっこがしたいみたいです」 りと ェニグマ 小さくうなずく巴を見て、理刀は一埜と呼ばれているネクロマンサーの意外な一面に 驚くとともに、微笑ましくもなった。どうやら、かなりの人見知りらしい 短い薄茶の髪を赤らめた頬に流した巴は、とてもきれいだ。 理刀は、ここぞとばかりに黒媛や巴ともおかずを交換した。 くろひめ うれ 黒媛が、嬉しそうに笑ってくれた。巴も、ほんの少しではあるものの、顔を上げてくれ た。百香はずっと笑いつばなしである。シイちゃんだって、うるさいくらい鳴いていた。 キュートも、どこか硬い表情を百香にむけながらも、笑みをつくってフォークを動かし 続けていた。 その百香が、邪気のない言葉を口にするまでは : 「スキュースさんって、一魔界の至宝一つて呼ばれてるんですよね ? すごいなあ。黒姉 様が時間停止できるのは一〇分くらいだけど、スキュースさんはどれくらいとめられます か ? 空飛んだり、空間渡ったり、わたしもスキュースさんみたいに強い力があったらな あ : : : 憧れちゃいます , あこが ほほえ ほお
150 ゆるものをガリガリザクザクと削り続けた。 唯一被害を被らなかったのは、べッドの周囲だけ。 竜巻の狂乱は、一分もしないうちに収まった。部屋に残されたものは、ゴミの山。あと、 どくぜっまる 理刀がっかまっているべッドと毒舌丸が腰を下ろしているクラブ・チェア。 つばの ポロポロになった部屋を見回し、理刀は唾を呑み込んだ。 『朝からビシッと気合いを入れるため、プレゼント置いといたから』 双子のどちらかが、軽い調子でロにしていた言葉を思い出す。 竜巻を「置くとは言わない。しかも、これってプレゼントじゃないし : 心の中でツッコミを入れつつも、腕の中のキュートと顔を見合わせ、顔が熱くなる理刀 だった。 こ、つむ
248 かわい くろひめ 言いながらも黒媛は、じゃれついてくる妹のことが可愛くて堪らない、 ている 「弱いから : : : 助け合うのー ともえ また、巴がささやくよ、つに言った。 その通りー と同意を示そうとテープルに身を乗り出した理刀の耳に、 かすが 「春日理刀さん、助けて下さい」 温度の低い、聞き慣れた声が入ってきた。 「は ? 「助けて、下さい どくぜっまる いつの間にかテープルの横に立っていたのは、毒舌丸だった。 彼女が、脇に抱きかかえていた荷物を理刀の目の前に置く。いや、荷物ではない。キュ ートである。 「キュート ? 「キュートさんだあー ももか 理刀と百香が、ほば同時に口を開いた 「お帰りなさ 5 い へ抱きついていく。か、 椅子から跳び上がるようにして立ち上がった百香が、キュ 1 ト すぐに顔をしかめ、素早く一歩下がったあと、銀髪や白い肌をジーツと注視する。 わき たま といった顔をし
もはや、一魔界の至宝一スキュース・フォンターナを演じる理由はない。 を見れば、素の自分に戻って魔界へ帰るつもりだったことがわかる ももか 理刀は、百香の肩越しにキュートへ声をかけた。 「なにも言えないなら、立っているだけでいいからさ。でも、下ばっかり見てたんじゃ前 が見えないだろ ? まずは顔を上げなきや」 かす キュートのツインテールが、微かに揺れた。 「ほら」 少しだけ、あごが上がる。 「も、つ少しー ようやく、顔が正面をむいた。それでも、だれとも目を合わせようとしない。 ひとみ 明るかった空色の瞳は濁り、白目部分が赤く充血している。昨晩は、泣いて過ごしたの かもしれない みじん だがいまは、その瞳に涙は微塵もなかった。代わりに、疲れとあきらめと怯えが色濃く 浮かび上がっている くろひめ そんな彼女に、黒媛がわずかに体を近づけた。 「キュート・フォンターナ。きのう、キミに渡した寄せ書き、返してくれないか ? キュートの体が、小さく震えた。 「わたしの、腕輪も : ・ ツインテール おび