「お前は存在自体がミスティクだ、この失敗作 ! 」 「そんなに父さんのこと悪しざまに言うんじゃあない。そんなに責めると父さん泣いちゃう いいのか、父さんはなあ : : : 一度泣き出すとなかなか泣き止まないぞっ ! 」 「どんな脅し文句だよ ! 」 世界一アホな親子喧嘩を眺めながら、ひだりはやれやれとタメ息をついた。一一人の喧嘩の巻 き添えにならないようにチャーハンの大皿を抱えて退避しながら、さて今度はダイニングの後 片付けか、果たして明日その新しいお母さんがくるまでに間に合うかな、なんてことをばんや りと考えていた。 「ふう 5 」 テ と、ひだりは自分にあてがわれた部屋の中で一息ついた。 どとう 一日目からいきなり怒濤のよ、つな展開だったな。自宅から持ってきた荷物を整理して布団の 上に腰を下ろしたひだりはそんな感想を抱いた。 押 普通父子家庭のお宅に年頃の娘さんが入居してきたら、それはかなりのウェートを占める主 話 加要なイベントに位置づけられる気がするが、アッサリそれを上回るイベントが起こったせいで ずいぶんおざなりになってしまった。そりゃあ下にも置かないおもてなしを期待していたわけ
「ほら、俺半年前までレッドピーク本社で働いてたじゃん。つっても今は子会社に出向させら れちゃったけど。あ、そ、ついやひだりちゃんとこのご両親も飛ばされちゃったねー 「ぶっ飛ばすぞ、このクソ野郎オオ ! 」 「お、落ち着け、ひだり ! キャラ変わってるー 攻守交替、今度はひだりの方がキレた。慌てて敬介がひだりを抑える。 「飛ばされちゃってません ! ウチの両親は本社の資材調達部だからタイに赴任したんですっ」 ちなみに楽太郎とひだりの両親は同じ企業の社員である。椿家と涼原家が家族ぐるみの付き 合いをしている理由の一つにはこういう事情も関係していた。 「ま、とにかく子会社に出向させられるのが決定したときに知り合ったんだよねー。人事部で 辞令渡してくれたのが彼女だったんだ。いやはや、そんときや目を疑ったよ、何で巨大コング させん も、つ左遷とか ロマリットの本社ビルにおとぎ話の女神様がいるんだろうってね、たは 55 ! テ どうでもよかったね、ぶっちやけ。いやあ燃えた燃えた。ほら俺、体の関係の方は年中無休で 営業してるから特に不自由してなかったけど、恋愛なんて昔京都に単身赴任したときに愛人作 凵って以来実に八年ぶりだからさあ。超久々に告白とかしちゃった、テヘ。向こうもバツイチな くど 押 んだけどね、ま 55 これが、身持ち固い固い。口説くのにムチャクチャ苦労したよ。毎日マメ 話 第 にメールしたりしてさあ。まあ、俺ド気質だから焦らされるのは苦じゃないんだけど。おっ とと、話が逸れちゃったな。ま、そんなこんなあって先日夜景のきれいなホテルでメシ食って、
「うん、好きなように呼んでくれて構わない 小唄はこっくり頷く。それからひだりの顔を覗き込み、 「なんだかシャキシャキしないな。寝不足なのではないかね ? 「は、ははは : : : そんなことないよ」 ひだりは疲労の浮いた顔にぎこちない笑みを作って応える。 「そうかそれならばよい」 一方の小唄の方は実にあっけらかんとした顔つきである。とても昨日あんなことを口走った とは思えない。 「あ、あのさ、小唄。昨日のアレ : : : 」 「うん ? ああ、食事のときの話かい ? ド 「う、うん。アレって」 「本気だ」 サクサク。まったく訊いている側の方がためらいを覚えてしまうほどアッサリとした受け答 えだった。 「あ、あのね、小唄。それってつまり、兄妹で、だから : : : 」 「そのようなこと、ひだりに言われずともちゃんと承知しているつもりだよ」 「だったらなおさらっ ! 不謹慎だよ、インモラルだよ ! 」
のぞ 言いかけて敬介はふと真剣な表情になった。そのままひだりの顔をじっと覗き込む。 ひだりの心拍数が一気に跳ね上がった。まさか、そんな、ホントに。でもまだ一日目で。 「け、敬ちゃんっ 「 : : : ひだり、鼻水出てるぞ」 と、敬介は言った。 「ふえっ ? 」 ひだりが慌てて鼻に手をやる。指先に、忘れもしない長年連れ添った粘着質の感触がした。 ぐしゆっ。 ひだりは鼻をすすった。 そうしてあからさまに不機嫌な顔つきで言った。 「で、なに ? こんな時間に」 「うん、いや : : : っ 1 かお前なんか怒ってないか ? 「怒ってません ! 」 いぶか 敬介はちょっと訝しそうに首をかしげてから、 「うん、いや、まあ、その、なんだ : : : を、な」 歯切れ悪くもごもごロの中で呟いた。
その使用を許可するものである』ってさ」 あんしよう あいづち 楽太郎もまたしたり顔で相槌を打つ。どうしてこの男は憲法前文を暗誦できる知識をこうい うべクトルにしか活用できないのかと敬介ははなはだ疑問に思った。 「そうそう、なので危機的ジョーキヨーなのです、ボクは今」 「うむ、よしよし。あいわかったよ。ともあれ、眼鏡から服から生理用品に至るまで必要なも のまとめて買ってもらいなさい。敬介に」 「は ? 敬介はもう一度唖然とした顔で言った。 「ヨロシク、敬ゃん」 とツバメはニッコリ一言った。 ス : ツバメちゃんと二人きりで買い物行くの ? 」 「け、敬ちゃん ! え ? プ「あん ? こんなもんわざわざ大人数で行く必要もねえだろーーー . 」 鉄 「 : : : み、認めません ! 断固不可なのですよ ! 」 私 「休日に一一人でお買い物だなんて、そんなデートみたいなシチュエーション到底許すわけには 話 第いかないね」 いなずけ 「あかんあかん、あきまへんえ ! 許嫁のウチかてまだやのにい」
〃 4 敬介に追い立てられ、プープー言いながらも娘たちが部屋をあとにしようとした。 そのとき、 ピンポ 1 ン。 階下からインターホンの音が聞こえてきた。楽太郎が帰宅したらしい。 と・つ 「ちゃ、お義父はんや。しめた」 「ふむ、将を射んとすれば何とやらでいくか」 ・ : ここでねじ込むのです」 「えええ、なにその執念 ! みんな、どんだけ腹黒いのつ ? 途端、四人が我先とばかりに玄関に駆けて行った。ひだりはともかくとして、どの娘も楽太 こんたん 郎に上手いこと取り入って相部屋の件をねじ込んでやろうという魂胆に燃えていた。 「だあああっ、待てコラ ! 」 慌てて敬介も後を追う。無論そんな企ては断固阻止せねばならない 「おかえりなさー と、玄関から聞こえてくる四人の声が大根をぶった切るみたいに途切れた。 階段を下りる途中だった敬介はなんだろうと首を傾げ、 「あん ? ど、つし : : : 」 玄関に到着して、四人と同様ブツツリ言葉を切った。そうして無言で玄関の光景を見つめる。
いや、まだ時間あるし、別に急ぐこともねえけど 「あん ? 「ほら、早くいこ ! 」 そで 引っ張んなよ、袖伸びんだろ ! 」 「おわっ ! あかみね 「じゃね、赤嶺さん。また休み明けにね」 「いででつ。ココ、そんなわけだから。悪イな」 「 : : : ハイです、さようならなのですよ。敬介サマ、ひだりセンパイ」 とまあ、放課後こんなやり取りがありつつ、敬介とひだりは途中スー でから帰宅した。 「け、けけ、敬介、ど、どうしよう、父さん緊張してきた ! 」 い「レレレレレレッ 1 ノ 1 ノー′ 1 ′ 1 ′ 1 / らくたろう 週末だというのにさっさと仕事を切り上げて帰ってきた楽太郎は、ダイニングに腰かけ工事 テ 現場のドリルみたいな貧乏ゆすりを繰り返している。 そすう 三 : : : 素数は一と自分の数でしか割ること 「素数だ、素数を数えて落ち着くんだ、俺 ! 一一、 凵のできない孤独な数字 : : : 五、七、父さんに勇気を与えてくれる。十一」 押 ド - レレレレレレッ 話 第 「るっせえ ! ちっとは落ち着け ! 」 怒鳴りつつ、敬介も先ほどからそわそわして落ち着きがない ーで食材を買い込ん
途端、 「 : : : 敬介サマ、どうぞなのですよー アニさん。たんと召し上がれ」 「はい、 「旦那はん、はいな」 「うい、敬介。モリモリあ 5 ん、だよん」 テープルのあちこちから一斉に料理の盛られた皿を差し出され、敬介はタメ息をついた。ど うせさっきの一件でロの中を切ったせいで何を食べても血の味しかしないのだが、それでもど れから手をつけるべきか悩んだ。ただ、寝惚け癖のある長身の娘だけは「あ 5 ん」とか言って おきながら、料理ではなくしようゆ差しを差し出していたが。 「ちょ、ちょっとちょっとみんな。ほらあ、敬ちゃん困ってるじゃん。やめなよお」 名誉挽回というか汚名返上というか、おかつば娘が先ほどのミスティクを取り返すように仲 テ 裁に回る。 「 : : : そんなことはないのです。敬介サマは別に困ってなどいないのですよ」 凵「そうだね、誰の皿を受け取るかなど一考の余地もなく決まっている」 押 「そらもちろんウチの皿ゃんなあ」 話 「敬介。ほれ、男の子ならぐいっと行ってみようぜい」 ガチガチガチガチー
260 「ば、馬鹿だ ! 」 「柔道家は対戦相手を怯ませるために、わざと道着を洗濯せず、風呂にも入らず臭いまま試合 いつわ に出場するという逸話を、この前夢で見た : ・ : ・ような気がする」 「じゃあただの気のせいじゃあないか ! わざわざそんなもったいぶったウソ話を持ち出すな ! 柔道家の皆さんにも非常に失礼だっ ! 」 しょ・つき 「ともかく、これでお前は勝機を逸した」 と、藤村は残った方の靴も脱ぎながら言った。 「いきなりだったからちょっぴり驚いただけだ。つ、次は我慢するつ ! 」 「わかっている。こんな手が一一度通用するとは俺も思っていない。そういう意味ではない」 藤村はこくんと頷き、 「このクラブに以前何人かプロの格闘家が参戦していたという話は聞いたことがあるか ? 」 と、不意に話題を転じた。 「ああ、聞いたことはある。実際にお目にかかったことはないけれどね」 「それは彼らがランキング上位に食い込むことがなかったからだ。ルール制限の少ない路上で の戦いに馴れていなかったとか、ファイトマネーが出ないから本気で戦わなかったとか一時期 色々噂が流れていたよ。なるほど、確かにそれもあるだろう。しかし、だ。まがりなりにも彼 らはプロだ。基本的な身体能力で考えればトップランカーの仲間入りをしてもおかしくない。 ひる
/ 76 「何を一一一口うんだ、あんな毛先の広がった歯プラシじゃあちゃんと歯は磨けないよ」 「いいんだよ、その方が歯触りがナチュラルで ! 俺にとっては、毛先が広がり始めてからが ようやく使い頃なんだよ ! 」 と、敬介は大人げなく声を荒げた。どうやら自分なりのこだわりがあるらしい。 「柔らかすぎず硬すぎない、絶妙なフィット感 ! あの感触になるまでどれだけの時間と労力 を費やしたと思ってんだ ! 」 が、そんなこだわりが他の人に理解できるはずもなく、 「むあ。ガラガラガラ。うえつ。たかが歯プラシ一本でムキになるなよー、敬介 とツバメカど、つでもよさそ、つに一言った。 「たかがじゃあないっ ! 俺にとって使い慣れた歯プラシを奪われることはなあ、ヨ 1 ヨー マからバイオリンを奪、つことに等しいんだよ ! 」 「ヨーヨー・マはチェリストだぜよ、敬介」 しれっとツッコむツバメ 「 : : : 間違えたんだよっ ! なんか文句あっか ! 」 「うわっ、勢いで強引に押し切った ! 」 「ちなみにヨーヨー・マは主にヴェネッィアのモンタニャーナによる一七三三年製と、一七一 一一年製のダヴィドフ・ストラディヴァリの二台のチェロを愛用して