いのわがままを見逃してもらわねば、どうして耐えられるものか その日から、遊恋子は毎日日が暮れるまで松の木に寄りかかって塀の上を眺め続けた。のど つぶ は潰れて、もう泣けない。涙は相変わらずとめどもなく流れ続けたが、もう泣けない。 とにかく敬介に会いたかった。そうすればまた泣ける。遊恋子はそう信じていた。 けれど、そんなときに限って敬介は一向に姿を現さなかった。 そうして時間だけが過ぎて、いよいよ出発の日を迎えた。 あと数時間で屋敷を離れねばならないというそのとき、 「おう、ココ。きてやったぞ」 いつもと変わらぬぶつきらほうな調子でその少年は塀の上に現れた。 「 : : : けいすけサマ ! 」 かすれた声で遊恋子は叫んだ。 「ひどいこえだな。どうかしたのか ? 訊ねる敬介の声もなぜか嗄れていた。それどころか、信じられないことに敬介の目には涙の 跡が残っていた。 「 : : : けいすけサマこそ、どうしたのですか ? 自分の立場も忘れて遊恋子は訊ねた。それくらい、驚いたのだった。 「ぐしゆっ。けいちゃんー
45 第 0 話押しかけクインテット 「え ? なになに ? 聞こえない 「いや、そのな、さいこ : : : わいを、だなあ」 「はい ? もう、ちゃんと言ってよ」 「うっせえな、せかすなよ ! だから、明日親父と新しいお袋さんの再婚祝いでもやろうかっ て言ってんだよ ! 」 促され敬介はヤケ気味に怒鳴った。 「再婚祝い ? 」 ひだりは意外そうな顔で敬介を見た。 「お、おう。なんだよ、文句あんのか ? 」 そう言いながら、今度は敬介の方が不機嫌そうに眉をしかめてそっほを向いた。その横顔は ガキ大将の頃のままだ。 「ううん、 いいよ。やろやろ、手伝うよ」 途端、ひだりはクスッと笑って言った。 「上手くいくといいね ? 「別に。親父のことだから適当にやるだろうよ」 「違うよ。 : : : 敬ちゃんと、新しいお母さん」 「 : : : ちつ」
320 「主水、どっか近くに忍び込めそうな場所はあるか ? - 「おう、こっからだと、体育館の入り口だな」 と、一行のナピ兼軍師役の主水は自信ありげに応える。 体育館は北校舎の東端と渡り廊下で繋がっている。そこから侵入しようというのである。 「当然見張りはいるだろうけど、さっきの騒ぎで賞金稼ぎの注意は玄関に向いてるだろうし、 あの辺りは比較的手薄なはずだぜ」 とい、つ主水の言葉に従い、 敬介たちは体育館の渡り廊下に向かうことになった。 一方その頃、中庭ではマドンナの「ライク・ア・ヴァージンーの着メロが鳴り響いていた。 「ちゃちゃちゃ、遊恋子はんのアホー なんでマナーモードにしてへんねん ! 」 「 : : : も、文句ならこんなときに電話をかけてくるひだりセンパイに言ってくださいましー と、口論しながら芝生の上をあたふた逃げ回っているのは、操と遊恋子の一一人である。 背後には無論、 「待ちゃがれ ! 」 「止まらないと撃っぞ ! 」 せりふ などと、お決まりの台詞を投げかける賞金稼ぎが続いていた。 「ちゃちゃちゃ、ほんまにもう、何でこうなるねん」
してどうにかなるわけねえだろ ! もうちょっと考えてからモノ言え ! 」 「まったくだ。あんまり俺たちを買いかぶってもらっちゃ困るぜ、ひだりちゃん ! ゆとり世 代を舐めるなよー 「自信満々に一一一口、つなっ ! ちっとも自漫になってないよ、馬鹿コンビ ! 」 変なところで自慢する敬介と主水にひだりは思わずツッコんだ。 「まあ、なんにせよ、倫子の奴がわざわざこんな挑戦的なイベント用意してくれたんだ。据え ぜん 膳前にして黙って引き下がるつもりはねえよ」 「かはは。実際なんだかんだでちょっぴり楽しみだよな。なんかこう、メタルギアソリッドみ たいな感じでさ」 と、一一人はまったく危機感を覚えていない様子で言った。両者とも裏祭り参加の意思は固い ようである。 プ その様子にひだりは一一人の説得を諦めて、今度は居候娘たちの方に向き直る。 「三人はどう ? あたしテスト勉強協力するよ。わからないとこ教えるから」 線 戦 なにを隠そう、ひだりは学年でも常に上位一一十位圏内に入る成績の持ち主なのだった。家事 に加えて勉強もできる。この娘さん、何気に完璧超人である。 話 第「ちゃー、そ、つは言われても、ウチも今から勉強するんは正直しんどいもんやさかいに。それ 、こっちの方がなんや面白そうですやろ」
238 に入場してきた。ランキング一桁台ともなるとファンの数も先ほどの試合とは違うらしく、会 場のギャラリーから一斉に歓声が上がった。 そして、 「ランキング現在八位、さお : : : あ、失礼しました。え 1 とどうやら一身上の都合に よりお名前が変わったそうです」 という進行役の説明と共に藤村選手の後から一人の少女がコート上に姿を現した。 プカプカのツナギにべリ 1 ショートの娘の姿を確認した瞬間、椿家の面々は硬直した。 「改めましてご紹介します。ランキング現在八位、椿小唄選手の入場です , 「な、なにイイイイイイツ ! 」 きょ・つがく 会場の一角から驚愕の声が上がった。 「ラ、ララ、ランキング八位っ ? すとんきよう 驚愕のコーラスを終えた後、ひだりが改めて素っ頓狂な声を上げた。 「旦那はん旦那はん、八位やて ! す ) 」っ、八位って言ったら九位の上ですえ」 : つ、つまり小唄サマは池袋の中でも八番目に強い女の子ってことになるのですよ」 操と遊恋子も興奮して当たり前なことを言った。 「お、おう。そう言ってたな」 けた
266 容のものだった。 友人の女子などは小唄の報告を聞くたびに決まって、 「うええ 5 、なんでさ 1 ? もったいない。あの子結構イケてるじゃない」 と言ったけれど、小唄にはちっともそうは思えなかった。少なくとも告白の台詞を噛んでし まうような相手が「男」だとは到底思えない。何故あんなに情けないのだ。せつかく男に生ま れついたというのに。アレではまったく宝の持ち腐れではないか。 「小唄は理想が高すぎるんだよ」 とも言われたが、事実そ、つ思ってしまうのだからどうしようもない ( もし自分が男だったら ) 時に小唄は、身もだえするほど激しくそう思うことがあった。 物心付いた頃から母一人娘一人という環境に身を置いてきただけに、小唄の中には常にそう いう願望が渦巻いていた。強くなりたい、強くなりたい。母親を守っていけるように、世の中 に媚びずに生きていけるように。 、す そして、事実小唄の中には一人の男が棲んでいた。その男は小唄の道しるべのような存在だ った。清く正しくたくましい。そういう理想の男が小唄の中に確かに息づいていた。 小唄はこの男のことを「トシロウ」と呼んでいた。彼女が子供の頃に感銘を受けた日本映画 の俳優にちなんだ名前だ。
334 「う、う 1 ん : : : 曹操閣下 5 。ここはこの典韋に任せてお逃げくだされ 5 : : : ぐう」 あくらい 「つて、今度は悪来典韋かよっ ! なにこいつ、イタコっ ? 」 ツバメはいまだ寝ばけていた。 先程までの感動もどこへやら、敬介はペシッとツバメのデコをチョップしたが、ツバメはそ のままノンレム睡眠に移行したらしく、一向に起きる気配がない くだ むほん ちなみに悪来典韋とは、曹操に降った武将が謀反を起こしたときに、敵に囲まれた曹操を護 衛し全身に矢を受けながら直立不動で絶命したという三国志の猛将である。 その間に、気絶した小唄の身柄を階段下に運び込んだ主水とひだりが敬介の元にやってきた。 「まあ、ツバメちゃんのおかげで当座をしのげたんだからよかったじゃねえか」 「けど、この様子だと当分起きそうもないね。どうしよう ? 」 「仕方ねえ。このまま小唄と一緒に階段下に置いてこうぜ。帰りに拾ってきゃいいだろ」 と、安らかな顔で寝息を立てるツバメを眺め、敬介はやれやれとタメ息をついた。 雨音に気づいて、倫子は窓の外に顔を向けた。 見れば、夕方から止んでいた雨が再び降り始めていた。それで倫子は、そういえば天気予報 で夜半からまた雨になると言っていたのを思い出した。 生徒会室の時計に目をやると、時計の針は午後十時三十分をさしていた。 てん、
227 第 3 話メロコア FC 「うん、少しね」 一一階の方からひだりと小唄の話し声が聞こえてきた。 すぐにトントンと階段を降りる音がして、 「ママさん」 かちゅう リビングに渦中の人物である小唄が顔を覗かせた。 「これからちょっと出かけてくるよ」 きよそ と言う小唄の挙措に特に変わった様子はなく、平素と同じくいたって落ち着いている 「え、ええ。それで、いっ頃戻ってくるの ? 動揺を隠しながら余韻さんが小唄に訊ねた。 かぎ 「うん。始発で帰るから明日の朝になると思う。鍵は持ったから戸締まりの方はしてもらって 構わないー 「そう : : : 。気をつけてね」 「うん、ありがとう」 と言って、小唄は玄関に向かっていった。 そのすぐ後に続いて現れたひだりは小首を傾げ、 「小唄、どうしたんだろ ? キョトンとした顔でリビングに集まった一同に話しかけた。 のぞ かし
「確かに今朝方、敬介氏があそこの男子を一方的にフルポッコにしたのは事実でござるが、そ れは彼が部員たちに頼まれて敬介氏を狙撃したのがそもそもの原因でござる。校則で認められ ていないとはいえ、敬介氏ばかりが責められるいわれは 「被害者の証言と食い違うわね。彼は、今朝自分が一人サバイバルゲームに興じていると、偶 然流れ弾に当たった椿クンが激怒して、彼の謝罪に耳も貸さす一方的に殴りつけてきたと言っ ているわ」 「あー、なるほど。その手できたでござるかあ : 途端、事情を把握した十兵衛は語尾を弱めた。こうなると日頃の生活態度がものを一一一口う。十 兵衛は不利を悟って反論を諦めた。 「はああああっ ? テメ工、なに嘘八百並べ立ててんだっ ! 大体一人サバゲーってなんだよ ! 」 一方の敬介は芹沢に向かって怒鳴りかかったが、対する芹沢は過度におびえた表情で、小さ ねっぞう く悲鳴を上げた。こうなると、どう見ても敬介の方が芹沢を脅して事実を捏造しようとしてい るよ、つにしか見、んない 「やめなさい、椿クン。見苦しいわよ」 「ちがつ、倫ーー . 」 話 「キミに下の名前で呼ばれる筋合いはないわ」 と、敬介は言いかけてまたも倫子に一蹴された。
しゆたっと着地したツバメがのた打ち回るパープルを冷然と見下ろす。 「ぐうううつ、ジーザスファッキンクライスト ! ホワイなぜだ、完璧なパワ 1 ドスーツをま とった私が、なぜ、さっきからこうもワンサイド的につ ! 」 やがて頭に大きなこぶを作りながら起き上がったパ 1 プルはスーツの性能を確認するように 電車の壁に拳をぶつけた。 べコツー やすやすと車体に大きなへこみができる。 パアアアフェクトだ ! 」 「やはり ! 完璧だー 「問題はス 1 ツの性能じゃあない、お前の方だよ。パ ープル」 と、ツバメはパープルに向かってお尻を向けるように四つん這いになり、股の間から相手を 覗き込むようにして言った。 むろふし 「研究室に閉じこもってシコシコキーボード叩いてた頭でつかちが急に室伏みたくムキムキに なったって、ケンカに勝てるもんか」 そう言って、ツバメは無造作にパ 1 プルに近づいていった。 なかいたばし まもなく中板橋、中板橋に到着いたします。お出口は左側です。 ガタンガタンと静かに揺れる車内でツバメとパープルが睨み合う。 : くっ また