「うむ、調べてみる必要アリでござる」 甘み成分のテアニンがたつぶり含まれた玉露をすすりつつ、主水と十兵衛は苦い顔で呟いた。 「そろそろだな」 はすむ と、椿家の斜向かいにある路地に身を潜めながら、主水が十兵衛に向かって囁いた。 「うむ : : : あっ、出てきたでござる」 頷きかけて、十兵衛が小さく声を上げる。 視線の先には、遊恋子と連れ立って椿家から出てくるひだりの姿があった。傍目から見る限 り、どうやら遊恋子は外出するのを渋っているらしく、しきりに椿家の方を振り返っていたが、 それをひだりが半ば引きずるようにして家の外に連れ出していた。 その後、一一人が往来の角を曲がるのを確認してから、 曲 舞 「よし、ここまでは予定通りだな」 ス「それがしたちも急ぐでござるよ」 主水と十兵衛は神妙な顔で頷きあった。 ダイ一一ングでの作戦会議の結果、ひだりが遊恋子を誘き出す役、主水と十兵衛がその隙に敬 話 介から事情を聞き出す役ということに決まり、一一人は一旦帰るフリをして椿家のそばで待機、 てはず ひだりが遊恋子を連れ出すのを見届けてから再突入という手筈になっていたのだった。 おび はため
と、操の説明をまとめた。 「あ、えっと、はい・ そう、どす」 操は一瞬何かを言いかけるような顔をしてから敬介の言葉に頷いた。そのまま申し訳なさそ 、つに、つつ亠ひ′、。 敬介は自分のことを軽蔑しただろうな、と操は考えた。それはそうだ。結果的に許嫁の約東 を利用したのと同じことなのだから。 だから操は、事ここに至った以上、素直に椿家を出ようと思った。他に頼るべき当てなどな かったが、だからといってこれ以上椿家の人たちを巻き添えにするわけにはいか 「旦那はん、あの、ウチ・ : そう思って操が口を開きかけた瞬間、 「で、これからどうする ? ガコンと、敬介は飲み終えたペットボトルをベンチ脇のゴミ箱に放り投げながら言った。 「まだガソリンあるし、幸い買い物の金預かってるから、逃げようと思えば一「三日くらい逃 げられると思うぜ。まあ、いっぺんひだりたちに連絡入れとかないといけないけど」 「えっ ? 」 あぜん 敬介の口から飛び出した予想外の台詞に、操は唖然とした。 が、敬介はケロリとした顔で先を続けた。
ノ 62 そう呟いて敬介はひょいと窓に目をやり、自室の真向かいにあるひだりの部屋の窓を眺めた。 うすもも うかが ひだりの部屋の窓は薄桃色のカーテンで閉め切られていて、中の様子を窺うことはできなか った。 同じ頃、ひだりは自分の部屋に戻ってきていた。 勉強机の上に学校の鞄を置き、制服を脱いで部屋着に着替えてから、このところご無沙汰し ていたべッドの上に腰を下ろす。 といって、椿家に居候するようになってからもちよくちよく着替えを取りに戻ったりしてい たので、特別懐かしくもなかったが。 けれど、常に誰かの話し声が絶えない椿家の生活にすっかり慣れてしまったせいか、一人き りの自宅はひどく静かに思えた。 「ふう : 何となくタメ息をついてポフッとべッドに仰向けに倒れ込む。見慣れた天井が視界に映った。 「ん、ウチの天井って、こんなに高かったつけ ? 」 ところがそれを眺めているうちに、見慣れたはすの天井がだんだん違うもののように見えて きて、ひだりは小さく独りごちていた。なんだか天井がひだりの顔を見忘れて、用心して遠ざ かっているみたいに思えた。
そしてひだりの予想通り、いくばくもしないうちに、林の中から男たちの「ぐわっ ! 」とか 「ぎゃあっ ! 」とか一一一一口う悲鳴が聞こえてきた。 続いて、熱帯植物をかき分けて現れた人影は、やつばり椿敬介であった。 「敬ちゃんー 「ひだり、無事かー とりあえずひだりの姿を確認し、敬介が安堵した様子で声をかけた。 「椿イイイ ! テメ工よくもひだりちゃんの、ひだりちゃんの純潔をオオ ! 」 その直後、ひだりの隣で宮崎が叫んだ。 「ああ ? 宮崎じゃん。オイオイ、どうなってんだ、一体 ? 伊豆には俺のクラスメートを集 結させる磁力でもあんのか ? ていうか デ ていうか、なんでお前が伊豆に、と訊ねるより早く宮崎が敬介の元に駆け寄り、 ナ セプウンツ ! 情 慕 と、次の瞬間、長い脚を旋回させ、敬介めがけて回し蹴りを見舞った。 む 「おおわっ ? おま、いきなり何しやがんだっ ? 」 湯 思わぬところで出会った級友に思わぬ奇襲を受け、敬介は一瞬ギョッとなったものの、わず 話 第かにしやがみ込んで軽々とそのキックをかわす。 「まだまだあっー
敬介はバツが悪そうに呟いた。 みやざき 「うーい、今日も欠席は宮崎だけだな」 しのづか 翌日、相も変わらず覇気のない篠塚先生の低音ポイスを聞くともなく聞きながら、敬介は居 心地の悪そうな顔で自分の斜め前の席を見つめていた。視線の先には、ホームルームが始まっ てからずっとおさげをいじくっているひだりの後ろ姿がある。 すずはら 結局、昨日ひだりは椿家を飛び出したまま涼原家に帰ってしまい、敬介は今朝に至るまで彼 女に話しかける機会を持てずにいたのだった。 無論、これまでもひだりが着替えや荷物を取りに自宅に帰ることはあったのだが、一晩中戻 ってこないことは一度もなかった。夕方にはきちんと戻ってきて、椿家の夕食の支度をするの が常だったのである。 チ であるだけに、今回のひだりの「里帰り」は彼女が相当おかんむりである事実を如実に表し プ ていた。 戸 岩 の これはしばらく様子を見た方がいいな、と敬介がひだりの背中を眺めながら判断したとき、 天 「ねえねえ、敬介」 話 第前の席のツバメが、敬介の方を振り返り小声でささやいてきた。 「あ ? どした ? 」 によじっ
られているのを感じた。彼の馬鹿には人を傷つける力はない。彼の馬鹿は親しい人に向けられ る親愛表現の一つなのだ。 「けどさ、俺はこんな性格だからさ、本当に、つくづく自分が嫌になるけどさ、言ってやれね えんだ。無理すんなって。ことあるたんびに喧嘩するばっかで : : : 。あいつは馬鹿だ、どうし ようもねえ馬鹿だ。新婚のときに買ったでつかいダイニングテープル指差して、これがぎゅう ぎゅうになるくらい子作りに励むって誓った話とかガキの時分の俺にしやがるくれえの馬鹿だ。 ・ : そんで離婚して、一人でさびしそうにテープル座って、お袋が座ってた椅子眺めてたんだ」 初耳だった。あの能天気な楽太郎がそんな風に落ち込んでいたことも、それを見てぶつきら ほうの敬介がそんな風に考えていたことも。長い時間を共有してきたことで、同じ時間を共有 してきたのだと錯覚していた事実を、ひだりはこのとき初めて実感した。 デ 自分の知らないところで、敬介が、楽太郎が、壊れそうな家を必死でつなぎとめようともが ナ セ いていたことを知った。 「でも、もう違うんだ。家族旅行は全員参加、メシは全員揃っていただきマッスルなんだよ。 む こいつらが来てくれたおかげで、ウチのテープルは : : : 満杯なんだよ」 湯 そう言って、敬介は不意に布団の中で眠る家族たちの方に視線を向けた。 話 第ひだりは何か言葉をかけようとした。でも一言葉が見つからなかった。多分これは、椿家の親 すずはら 子にしか立ち入れない問題なのだろう。涼原家の娘で、椿家のお隣さんだったひだりが介入で
眼前に出現した悪の改造人間の姿を眺めながら、敬介はゲンナリした表情で呟いた。 「な、なんだと、椿っ ! もっぺん言ってみやがれー と、ピンク色のボディスーツを身にまとった宮崎がギロリと目をむいた。 「うわあああ : ・。だ、だっせえ」 「テメ工、本当にもっぺん言いやがったな ! 」 言われたとおりに敬介がもう一度繰り返したら、宮崎はますます怒り出した。 「仕方ねえだろ ! 変身カラ 1 は手術の時、ドクター ープルに勝手に決められたんだから よ ! 俺だってなあ、好きでこんな色やってんじゃねえや ! 」 「ああ、やつばりあの頭のおかしい科学者の仕業か」 宮崎の台詞の中で聞き覚えのある名前を聞き、敬介は納得した。もっとも、こんなふざけた デ 一手術を施せる科学者が他にいるとも思わなかったが。 セ「あ ? テメ工、ドクター ープルのことを知ってやがるのか ? 情 慕 と、宮崎が意外そうに訊ねた。どうやら、つい先日悪の秘密結社に所属したばかりの新米改 む 造人間の彼は、一一ヶ月ほど前敬介が電車でドクター ープルと一戦交えたことを知らないらし 湯 話かった。 第 「まあ、お前の入院中に色々あってな。っ 1 か、お前もずいぶん色々あったみたいだな ? 「まあな。へへ、椿。あらかじめ断っておくが、今の俺はめちゃくちや強いぜ ? さっきまで
その後、楽太郎のロ夂で敬介たちがどやどやと車内になだれ込む。続いて楽太郎も運転席に 乗り込み、最後に余韻さんが助手席に座って、一同は出発準備を完了した。 「楽さん、くれぐれも安全運転でお願いしますね」 「任せておくれ、ス 1 と、シートベルトを締めながらしつかりと念を押す新妻にそ、つ応えてから、 しゆっぱ 「それでは、伊豆旅行へ ! 出発あああっ ! 」 プアンプアンと楽太郎が景気づけに軽くクラクションを鳴らし、車を発進させた。 その後椿一家八人を乗せたエルグランドは、北池袋インターチェンジから首都高に上がり、そ おだわら とうめい あつぎ のまま東名高速に入り、三十分ほど走行して厚木インターチェンジから小田原厚木道路に乗り換 したみち せいしよう え。さらに西湘バイバスに移って石橋インターチェンジで一度下道の国道一三五号線に降りた。 まなづる あたみ そのあと海岸沿いを走る真鶴道路、熱海ビーチラインの二本の有料道路を経由して熱海入り。 そこから先は再び一三五号線に戻り、伊豆半島を四十キロほどひたすら南下して、椿家ご一行 あたがわ 様は無事、目的地の東伊豆、熱川温泉に到着した。 走行距離約 120 キロ。通行料金はしめて三千三百円。 い途中、一一度のトイレ休憩を含め、計三時間の移動であった。 「海だあああああああっ ! 」
202 「 : : : どうだ、驚いたか、子供たちょ。これぞ日産のインテリジェントキーシステム。なんと キーを所持しているだけで、ドアの開閉からエンジンの始動停止まで操作できるのだ ! ふつ ふつふ、日産の技術力は世界一イイイツ ! 」 と、その反応に満足したらしく、楽太郎がまるで自分の手柄みたいに説明した。そ、つい、つ自 慢はせめて車を所有してから言ってほしいものだが、最先端の機能にすっかり心を奪われた敬 介たちは素直に感心した。 「そりや ! 」 そ、つしても、つ一度ドアをスライドさせる楽太郎 「おおお 5 っー 再び歓声を上げる敬介たち。 「よいしょー 「おおお 5 っ ! 」 「も、ついっちょ ! 」 「おおお 5 っ ! 」 それからしばらく、ドアの開閉だけで楽しむ椿家一同だった。 「ようし、それじや乗り込めーい
子を見下ろしてから、顔を見合わせクスクスと笑った。 その後、遊恋子は「冗談だって , と敬介たちが諭しても一言うことを聞かず白線の上を歩き続 けたのだった。 その日の夕食時。 「いただきマッスル ! 」 居候娘たちがもはやすっかりおなじみとなった椿家特有の食事のフレーズを合唱し、 「はい、アニさん」 「 : : : どうぞなのですよ、敬介サア だんな 「ちゃちゃちゃ、旦那はん」 デ 「ん、敬介。あ 5 ん」 ナ ガチガチガチガチ ! セ 情 慕 「ぎゃああああっ ! 」 む 「こらこらあ ! みんな敬ちゃんにお皿押しつけちやダメだって ! 敬ちゃんが圧殺されちゃ 湯 うでしよ」 話 しれつ 新例によって例のごとく、誰が敬介にご飯を食べさせるかで熾烈な争いを繰り広げていると、 「えへんえへん。はー、、 しみんな一旦注目ー