歴史あるチャンバ王国の聖地 オプショブル ツアーて Short ーソン遺跡 Thånh Dia MY Son map p. 109-A 70 を超える遺構が草木に埋もれるチャンバ 王国の聖地。世界遺産にも登録される魅惑 の遺跡を訪れ、そこに刻まれた歴史の重み と奥深さを体感しよう。 トウボン川或のジャングルにあるチャン ノヾ王国の聖地ミーソン遺跡。遺跡群は四 方を山で囲ま南に聖山マノ \ ーノヾルヴァタ がそびえる盆地の中央にある。その歴史は、 4 世紀後半にチャンノヾの王がシヴァ神 ( ヒン ドゥー教の破壊と創造の象徴 ) をまつった木 1909 年のフランス人研究者による 造の祠堂を建てたことに始まる。これが火災 報告書の中では、遺跡は A ~ N ま により焼失した後、 7 世紀にレンガを使って での記号で分類されている。見ご たえがあるのは B 、 C 、 D のグル 再建。初期のものは失わまたベトナム戦 ープ。 A 、 E 、 F 、 G のグループ の遺跡の多くは、ベトナム戦争に 争中には米軍機の爆撃に遭し、、破壊されてし よって破壊されている まった部分も多い。だが、現在でも 8 世紀か ら 13 世紀末までに建てられた 70 を越える遺 ジープに乗って、いさ遺跡観光へ 入口 ( チット売り場 ) 、ミーソン資料館、 タンフォンへ ジープ乗降所・ グループ H ( トイレあり ) 120 ミーソン観光オススメ情報 ! 見学の前に勉強しよう 0 0 ーソン道跡 Thånh Dia MV Sön 100m ミーソン資料館 遺跡の入り口脇にある 2005 年 3 月にオープン した資料館。入ってすぐのところには 4m 四 方の立体地図があり、操作ボタンを押すと遺 跡の名称と位置が表示される。そのほか、各 遺跡に関する写真付きの説明や、当時使われ ていた祭壇を再現したものなどがあり、遺跡 を見学する前にぜひ立ち寄っておきたい。開 館時間は 6 : 30 ~ 16 : 30 。 一ぶ グループ E 東屋■第管理小屋 あり ) - ウ ( チャム族の踊り ) ン ープ P グル グルー ループ B 0 を ( ごゴ ログループ L ここに立ち寄れば、遺跡観光もぐっと楽しくなる 0 グル ープ A ・
0 襯す ホイント 0 アンコールを訪れる人は現地ガイドなどの注意をよく聞いて行動した い。観光客が多いので気を緩めがちだが、遺跡周辺の林や森には絶対に 入らないこと内戦の地雷が残うている可能性があるからだ。 跡へのアクセズ 0 入場料 ( アンコールヾス ) 外国人旅行者が気羅気 1 、 にあるチェックポ写真入りで旅の記念にも 遺跡へ、向かう道中 エムリアップから ス」が必要だ。シ 「アンコール・バ 入場するためにま アンコール遺跡ハ、、 ーなどの準備もあるとなおよい。 コートなどの雨具や懐中電灯、虫よけスプレ 日差し除けの帽子なども必要。また、レイン が好ましし、。動きやすい服装や履き慣れた鞦 足場カい遺跡ばかりなので、身軽な軽装 ■服装と持ち物 遺跡観光でのま意事源 えないのカ見状だ。 に遺跡周辺を歩くのはまだ危険といわざるを いつ治安が悪化するとも限らず、特に日測麦 り戻しているとはいえ、国内の情勢次第では ておくべきであろう。また、最近は平静を取 の時間帯が遺跡の訪問時間であると認識をし は 5 : 00 ~ 17 : 30 なので、外国人旅行者は、 ている。しかしチェックポイントの開閉時間 なく、地元庶民はいつでも自由に出入りをし どの遺跡でも扉が閉ざされるということは ■開閉時間 いように大切に保管しておくこと。 提示を求められることがあるので、紛失しな 入り口にも係員がいて、アンコール・ノヾスの を見せなければならないほカ \ 主要な遺跡の い。遺跡 / 、、、向かうには毎回、ここで必ずノヾス 撮影するので、事前に準備しておく必要はな 念にもなるだろう。写真は購入時に担当官が 顔写真も貼られていて、アンコール観光の記 券 $ 40 、 4 ~ 7 日券 $ 60 。 1 日券以外には イントで購入する。 1 日券 $ 20 、 2 ~ 3 日 ■トイレ 遺跡周辺には意外と多くのトイレが用意さ れているが、無料で利用するにはアンコー ル・ノヾスを提示する必要がある。遺跡から少 し離れた場所にあることが多いので、車で移 子ども ■物売りの 旨を伝えよう。 レに立ち寄りたい 動する際に、トイ 意を喚起するドクロ印の看板が今もあり、 中である。遺跡周辺の森林には、地雷への注 が行われているとはいえ、イ乍業はいまだ進行 った感もある「地雷」については、撤去イ乍業 カンボジアの代名詞的な存在になってしま 0 地宙に注意 ろう。 ことを日本人旅行者も肝に銘じておくべきだ どもたちは、もはや学校へは戻らないという 辺の路上で生きていく術を知ってしまった子 ことで取り囲まれてしまうわけだが、遺跡周 うかがえる。「日本人は優しいから」という 欧米人は毅然とした態度で接している様子が どもたちに取り囲まれることになるが、特に おり出没している。遺跡の周辺では大勢の子 おいてチップをせびる子どもたちは今もとき 場が禁止されているが、勝手にガイドをして 最近では物売りの子どもたちは遺跡へ . の入 ア ン コ 遺 跡 ア ン コ 跡 旅 情 報 185 うしたところへは 足を踏み入れない のはもちろん、人 気のないところへ は入り込まないよ う ) をすること。 哲 Li 印甘日 4 勹 1 ・ 3 「 ! ′ Mines!! 日本国大使館 ( プノンペン ) 6023-217161 ~ 4 ツーリストボリス 住チェックポイント脇
コ、リュエ ! = 石 3 まリ・じ辷 : 1 長い、」い第 北側にある池の手前から見るアンコールワット ホーチミンから空勺 1 時間のアンコール遺 跡は、近年ベトナムのツアーにプラスす るオプションとして人気を博している。 アンコールワット アンコールトム 朝アンコール遺跡へのアクセス 飛行機 0 ホーチミン・タンソンニャット国際空 港からシエムリアップ国際空港まで約 1 時間。 ハノイ・ノイバイ国際空港から約 2 時間 0 観光案内所 特に観光案内所と呼べるものはない 周辺の遺跡朝朝 。アンコ - ルワット 地図 p. 179 アンコール王都とは 発見」として騒がれた。こうして時を超えて 歴史の舞台に再登場したのだが、その後も、 クメール帝国が王都の中核として築いた石 国際情勢の渦に翻弄されて国内の混乱は続 造寺院がアンコールワットやアンコールト き、近年の内戦では戦場にもなっている。 ム。これらの巨大寺院を中心に何十も窈 うっそうとしたジャングルに包まれた神秘 物カ慥られたのち、帝国の艮とともに密林 的な古代の都は、ようやく今日、旅行者もそ の奥に忘れ去られる。それが 19 世紀に発見 の威容を目にすることができるようになっ され、一躍脚光を浴びることになった。 た。この巨大遺跡の全容はいまだに明らかで 1992 年には世界遺産にも登録されている。 はないものの、研究者たちによる地道な調査 日本では平安 ~ 室町髜弋にあたる 9 世紀か の結果から、少なくとも当時、世界の他の大 ら 15 世紀にかけて、インドシナ半島の中央 都市に比肩しうる巨大な城都が、この地に築 部にはアンコール王朝が君臨しており、現在 かれていたことは確かだ。東京都 23 区内の のシエムリアップに巨大な王都を構えてい 面積に匹敵するエリアからは、主要なものだ た。しかし盛者必衰の言圃り、王朝が滅亡 けでも 62 の遺跡が発掘されている。 するとやがてこの城都は放置さ払数世紀に わたって歴史の闇に忘れ去られていた。 神格化された王権 ] 9 世紀に入り、樹海に埋もれた巨大な遺 この巨大な王都はいったいどのようにして 踴群の存在がフランス人によって明らかにさ な特にアンコールワットについては、ギリ 築かれたのか。群雄割拠のクメール系諸国を 従えたジャヤヴァルマン 2 世は、 802 年に北 シャやローマの遺跡以上と、当時「世紀の大 西部に連なるプノン・クーレンにおいて、自 らを「クメール諸王の中の王」であるとし、 アンコール王朝の幕開けを宣言した。当時す でにインドの影響は色濃く、ヒンドウー教な どを取り入れて王権は神格化されていたが、 2 世王は国内を平定するために軍勢を送り込 むだけではなく、「現人神」として君臨しよ うとした。神々の住むヒマラヤ連峰に擬した プノン・クーレンに、王朝のいしずえを築い 数百年も樹海に埋もれていた
0 Ⅳ T どⅣ T アンコールワット アンコール遺跡とは 180 カンポジア入国と出国 ・ 182 アンコール遺跡旅黼 & ・ 184 見る アンコールワット ・ 188 アンコール遺跡を知るためのキーワード・ 192 アンコールトム ・ 194 周辺の遺跡 ・・ 198 ・シエムリアップ 街のあらまし / ハイライト / 見る・ ・ 200 食べる・買う・泊まる・ 201 トラへルインフォメーション ツアーの選び方 ( 出発日検討カレンダー ) ・・・ 204 ・日本での準備編出発前の情報収集と健康管理・ 206 / 旅の必需品・・・ 208 / お金の準備・・・ 210 / 服装と持ち物 ・・ 212 ・出入国編空港への行き方・・・ 214 / 空港利用 & 出国 ・ 216 / ベトナムへの入国・・・ 218 / 帰国・・・ 220 ・現地行動編国内交通・・・ 222 / 通貨と両替・・・ 224 / 電話・郵便・・・ 226 / 生活情報・習慣・マナー・・ 228 / 食べる ・ 229 / 買う・・・ 230 / 泊まる・・・ 231 / 現地でのトラブル・・・ 232 / 現地での健康・・ 234 ・レファレンス歴史と年表・・・ 236 地図さくいん 見る・ ・・ 114 食べる・・ ・ 117 ・・ 119 ショートトリップ ーソン遺跡 ・・ 120 泊まる・・ ・・ 122 179 A れ 9 k 0 「 W 表 t ハノイとへトナム北部 H ま N 0 i & N 0 「 t れ V ー・一れ a m ・ハノイ 街のあらまし ・・ 126 ハイライト / 市内交通・ ・・ 127 フリータイムの過ごし方 ・・ 134 モデルプラン ・ 135 王也オプショナルツアー情報 ・・ 137 見る ホアンキエム湖周辺・ ・・ 138 水上人形劇を鑑賞しよう ! ・・ 140 市街西部・ ・・ 141 ホー・チ・ミンの足跡・・ ・・ 142 旧街 ( 36 通り ) ・・ ・ 144 イあふれるストリート散策 ・ 146 ショートトリップ イ芸村を訪ねる・ 147 / ヾチャン 148 ドンホー / ヴァンフック・ ・ 149 ホアルー & タムコック / ホアヒン & タイ寺・・ 150 食へる・ ・ 157 工ステ・ ・・ 162 泊まる・ ・・ 163 ・ / 、ロン 街のあらまし 169 ハイライト / 主な宿ラ合 ・・ 170 見る・食べる・泊まる・・ ・サバ 街のあらまし / ハイライト ・・ 173 見る・食べる・買う・ ・ 174 ショートトリップおめトレッキングッアー 175 少数図鑑・・ 176 泊まる・ ・ 178 125 203 ー n f 0 「 m a ー i 0 れ T 「 a 2 ー M A P ー N 0 第凶 ベトナム・・・ ホーチミン・・ ホーチミン中心 ドンコイ通り周辺・・・ フアムグーラオ通り・・ チョロン・・・ メコンデルタ・・ カントー・カントー中′こ郵・ ファンティエット・・・ ニャチャン・・ ダラット・・・ ・・・ 89 フェ主要部・ ・・・ 93 フェ・ ・・・ 99 ダナン中心部・ダナン周辺・・・ ・・・ 109 ホイアン・・・ ーソン遺跡 ・・・ 120 ハノイ・・・ ・・・ 128 ハノイ中心郵・ ・・・ 130 旧街・ホアンキエム湖・・・ ・・・ 132 / 、ロン " ・・・ 169 ・・・ 173 アンコール遺跡群・ ・・・ 186 シエムリアップ・・・ ・・・ 201 ・・・ 77 ダイ
.- 以第をぐを立ドを もヨ密 使リ林 れ主埋 た演も のれ ト遺 ア コ ム ワ ツ 舞ナ ト 台・ にジ けではなく、東西の巨大な貯水池バライへと つながり、河川の火や雨水を自由に調節す ア るためのものでもあったのだ。こうして米の ン ニ期作が可能になり、やがて人口も爆発的に 増加したことから、巨大な王都の造営が物理 的にも可能になった。アンコール遺跡は「水 の都」でもあるというわけだ。 跡 と ちょこっとカルチャー は 三島由紀夫はアンコール遺跡を訪れてその 存在感に刺激され、その体験はのちに戯曲 『癩王のテラス』として結実した。アンコー ル遺跡という小宇宙には多様な魅力があり、 どこに注目するかは各自の興味次第だ。 ・美術・建築上の価値を見る 自本のフォルム、内部の市、各部のレリ ーフなどいずれも一級の美術品であり、また 高い建築技術に支えられている。『王道』で 知られるフランスの作家アンドレ・マルロー が、その魅力のあまり盗み出そうとして捕ら えられたという女神像のレリーフは、「東洋 のモナリザ」と呼ばれ名高い。 ・いわれ、いわくを踏まえて見る 江戸髜弋初期の武士、森本右〕欣夫がアン コールワットに残した落書き ( 墨書 ) などは、 とくに日本人にとっては興味深いもの。 ・歴史や思想性を踏まえて見る 数々の遺跡は王朝の盛衰や王権の弋の象 徴でもある。また、当時のクメール人力の国 を地上に築いたものでもあり、彼らの世界観 や宇宙観が示されたものとしても興味深い。 ・遺跡だけでなく 「いまのカンポジア」を見る 観光の扎点となる町シエムリアップは、内 戦の痛手から立ち直りつつあり、市場や店々 に庶民の活気がよみがえってきた。 たのもそのためだ。神々の住む世界を地上に 見するため、王都の造営も始まった。やか てアンコールワットが建造され、 13 世紀に はインドシナ半島の大部分を支配下に組み込 むなど、王都は最盛期を迎える。 ただし、この王朝では王位継承のたびごと に内部が分裂して激しい抗争力髞り返されて おり、ひとつの大帝国力々と続いてきたわ けではない。実力で王位を勝ち取った周弋の 新国王は、競い合うようにして新たな城都や 大寺院を築き、既存の建築にもイ夏を加えて いった。それにより今日、旅行者の目にはい ささカ馥雑怪奇、ミステリアスにも映る巨大 な城都カ慥り上げられたわけである。 アンコールの地が長く王都であり得た理由 は、第一に王権の正統性を保証するためであ り、数多くの聖地を抱えるこの地でなければ ならなかったからである。当時の人々にとっ てはこの王都こそ、神々が降臨し五穀豊穣と 繁栄が約束されている土地だったのだ。 都市計画 栄華を極めていた王朝の様子は、元朝フビ ライの使節カした「真臘土記」にも描か れている。この王都の繁栄ぶりは、その背景 に、当時の世界でも最高水準の数々の技術が あったという事実を抜きにしては語れない。 この地方では毎年、乾季の水不足と雨季の 洪水が深刻で、王都の建設は、巨大な城壁を 構築するだけではなく、最盛期には 7 万 ha もの水田を潤したという優れた水利灌 ) 掲の 敷設とも H 本となっていた。王都を守る城壁 の外濠は、神々の住む世界を隔てるというだ 181 アンコール遺跡の楽しみ方
・プ切プ 地図 p. 187- C 2 世王が創建したヒンドゥー教寺院のひと つで、死者をだびに付す石棺カされている ことから、火葬場の役割を担っていたとされ ている。中央祠堂からの眺めは雄大。 周辺の 【郊外】 0 催設〃加 s 3 地図 p. 187- C 、 L ・シエムリアッフ空港から車で IO ~ 20 分 ・料金や開園時間については p. 185 参照 ◎バンテアイ・スレイ ◎ロリュオス遺跡群 郊外にも注目の遺跡が 移動には車が必要だが、郊外にも見逃せな い遺跡がある。とくに、浮き彫りの装飾で知 られるバンテアイ・スレイは必見。 ・バンテアイ・スレイ 地図 p. 187- C ラージェンドラヴァルマン 2 世当時、バラ モンの高僧が建立したヒンドウー教寺完場 所は王都の北東、約 40kmo 赤色砂岩が多用 さ夕刻には寺院全体がバ ラ色に燃えるような輝きを放 っという。ヒンドウー神話を 題材とした浮き彫りの装飾は アンコール随一の至宝といわ な中央祠堂に描かれたテー ヴァダー ( 女神 ) 像は、「東 洋のモナリザ」と絶賛された ほど。近年まで内戦で近づけ なかったが、いまは人気の観 光スポットに仲間入り。市内 からの道中も整備され、 45 分ほどで行ける。 東洋の " モナリザ " ・ロリュオス 地図 p. 187- L 9 世紀初頭のアンコール王朝の誕生宣言以 来、 1 世紀ほど初代の王都 ( または王宮 ) と して機能していた場所で、町の中心部から国 道 6 号線を東へ約 13km の位置にある。国王 の両親を弔うために豈された「プリヤコー」 など、 9 世紀建造の遺跡カ残っている。 周辺の 【大回りコース】 地図 p. 186- B 、 p. 187- C 0 催″加 s 2 ・シエムリアッフ控港から車で IO ~ 20 分 ・料金や開園時間については p. 185 参照 ( ◎プリャカーン ◎ニャックボアン ◎プレループ ひと足延ばして周遊コースへ 余裕がある人は周辺の遺踴群をぐるっとひ と回りするコースへ。建築様式や彫像など見 どころの多いプリャカーンはおすすめ。 ・プリャカーン 地図 p. 186- B ジャヤヴァルマン 7 世が父親の霊を弔うた めに建てた仏教寺院。境内には王権の象徴 「プリャカーン ( 黄金の聖剣 ) 」を奉納する武 具館がある。アンコールう亦では珍しい 2 階 建ての石造建築。また、 囲壁の塔門脇には鳥神 ガルーダカ敵の虫它神 ナーガを捕えた勇まし い姿の彫像があり、 ギリシャ神殿を思わせるちらも必見た。 ・ニャックン 地図 p. 187- C 神々の聖池を見するため、 7 世王が造成 した沐浴池。大池と四方の小池で構成され、 小池の火口には東か ら順に、人間、馬、獅 子、象の顔がある。 ・タソム地図 p. 187- C ニャックボアンの中 央大池は一辺 70m 7 世王が修行僧のた めに建てた仏僧完浸食カしく、大規模な 修復を行っていたが、最近完了した。塔門に はバイヨン風の四面体の菩薩像がある。 ・東メボン 地図 p. 187- C 944 年即位のラージェンドラヴァルマン 2 世の創建寺完 2 世王は王イ立継承を巡る内紛 を決着させ、ヲ頁の民族統一に成功した名君。 この寺院は、現在は也だが昔は巨大な貯水 池だったという東バライの中心にあり、創建 当時は出入りに舟が必要だったという。 S P E C 一 A L アンコール遺跡 P 0 一 N T C IJ 一 D E S P E C 一 A L 注目 P 0 一 N T C U 一 D E 199 注目一 周辺の遺跡 ツーぐ
マーマイ通り ( 八ノイ ) ・・ ーアンく美安 > 温泉 ( フェ ) ・・ ーソン遺跡 ーソン資料館 ( ミーソン遺跡 ) ・ ミエウ島・ ミトー ( メコンテルタ ) . 笶学博物館 ( ノレイ ) ・・ 民族ダンスショー ( サノヾ ) ・ ミンタムフラワーガーデン ( ダラット ) ・ ミンマン帝廟 ( フェ ) ムイネーくファンティエット > ムン島 メコンデルタ モンキーアイランド・・ ニャチャンビーチ ( ニャチャン ) ・・ ニャチャン湾会館 ( ニャチャン ) ・・ ノンヌォックビーチくチャイナビーチ > ( ダナン ) ・・・ 108 0 : は ノ←ディン広場 ( ハノイ ) ・ ・・・ 14 ] 八イヴァン峠・ ・・・ 108 ノヾオダイ邸 ( ニャチャン ) 白馬祠 ( ハノイ ) ・・ ・・・ 145 ノヾスツー丿幵究所 ( ニャチャン ) ・・ ノヾチャン ・・・ 147 ・ 148 バック八一・サンテーマーケット・ ・・・ 175 八ノイ国家大学 ( ハノイ ) ・・・ 15 八ノイ大教会くセント・ジョセフ教会 > ( ハノイ ) ・・・ ] 5 ・ 139 バレスⅢくバオ・ダイの別荘 > ( ダラット ) ・・・ 89 八ロン湾 ( 八ロン ) ・・ ・・・ⅱ・ 170 ハンガイ通り ( ハノイ ) ・ ・・・ 146 八ンクアット通り ( ハノイ ) ・ ・・・ 146 八ンサ市場 ( 八ノイ ) ・・ ・・・ 145 八ンティエック通り ( ハノイ ) ・ ・・・ 146 ハンバック通り ( ハノイ ) ・ ・・・ 146 ハンマー通り ( ハノイ ) ・ ・・・ 146 ハンマン通り ( 八ノイ ) ・ ・・・ 146 バンメトート 耋崩専物館 ( ホーチミン ) ・・・ 48 崩専物館 ( 八ノイ ) ・・ ・・・ 143 非武装地帯く DMZ > ・・ ・・ ] 3 ・ 107 ビンタイ市場 ( ホーチミン ) ・・ ・・・ 49 ヒンドウー寺院 ( ホーチミン ) ・・ ・・・ 46 ファンポイチャウ記念 ( フェ ) ・・・ 100 フェ宮新専物館 ( フェ ) ・・・ 97 フェ教会 ( フェ ) ・・ フェ水上人形慮場 ( フェ ) ・ フォンニャケノヾン国立公園・ ・・ 1 1 ・ 107 福建会館 ( ホイアン ) ・・ ・・・ⅱ 6 フラッグタワー ( フェ ) ・・・ 97 プレイク 文廟 ( ハノイ ) フンフンの家 ( ホイアン ) ・ ベトナム軍事歴史 t 勿館 ( 八ノイ ) べンタイン市場 ( ホーチミン ) ・・ ホアビン・・ ホアルー・・・ ホアロー収容所 ( ハノイ ) ・ ホアンキエム湖 ( ハノイ ) ・ ホイアン民俗文化博物館 ( ホイアン ) ホイアン歴史文勿館 ( ホイアン ) ホ工ールアイランド・・ ホーチミン博物館 ( ホーチミン ) ・・ ホーチミンイ乍戦博物館 ( ホーチミン ) ・ ホーチミン市博物館 ( ホーチミン ) ・・ ホーチミンの家 ( ノレイ ) ・ ホーチミン博物館 ( ノレイ ) ・ ホーチミン廟 ( ハノイ ) ・・ ホーチミンルート・・ ポーナガル塔にヤチャン ) ・・ ホンチェン殿 ( フェ ) ・ ホンチョン岬にヤチャン ) ・・ ・・・ 146 ・・・ 94 ・・・ⅱ・ ] 20 ・・・ 120 ・・・ 53 レファレンス 4 ・ 0 ) 8 【 0 1 ーっ 8 239 チチ 休ホ一 寺場ト ム市ッ ランレ クシク ツンツ ャヤョ さくいん 8 8 8 ミミ 来遠橋く日喬 > ( ホイアン ) ・ ラオチャイ・ ラックティン屋敷 ( フェ ) ・・ ランオン通り ( 八ノイ ) ・ ランコー レーホンフォン校 ( ホーチミン ) ・・ 歴史 t 勿館 ( ホーチミン ) 歴史 t 勿館 ( 八ノイ ) ・・ ロンソン寺 ( ニャチャン ) ロンビエン橋 ( ノレイ ) ・・ ・・・ⅱ 4 ・・・ 175 ・・・ 94 ・・・ 146 ・・・ 108 ・・・ 49 ・・・ 1 5 ・ 138 ・・・ 79 ・・・ 139 アンコール遺跡の見どころ アキラ地雷博物館 ( シエムリアッ アンコールトム ( アンコール遺跡 ) アンコールワット ( アンコールミ亦 ) オールドマーケット ( シエムリアッカ・・ カンボジア文イグ寸 ( シエムリアッ 7) スラスラン ( アンコール遺跡 ) ・ タケウ ( アンコール遺跡 ) ・ タソム ( アンコー丿リ竸 ) ・ タブロム ( アンコール齪亦 ) ・ チャウサイ・テヴォダー ( アンコール遺跡 ) ・・ トマノン ( アンコール・ トンレサップ湖 ( シエムリアッ刀 ニャックボアン ( アンコール遺跡 ) バンテアイ・クディ ( アンコール〕亦 ) ・・ バンテアイ・スレイ ( アンコール〕か・ 東メボン ( アンコール齪亦 ) ・ プラサート・クラヴァン ( アンコール遺跡 ) ・・ プリャカーン ( アンコール遺跡 ) ・ プレループ ( アンコール遺跡 ) ・ ロリュオス 3 群 ( アンコール遺跡 ) ・・・ 201 ・・・ 194 ・・・ 188 ・・・ 200 ・・・ 201 ・・・ 198 ・・・ 198 ・・・ ] 99 ・・・ ] 98 ・・・ ] 98 ・・・ 198 ・・・ 200 ・・・ ] 99 ・・・ ] 98 ・・・ ] 99 ・・・ 199 ・・・ 198 ・・・ 199 ・・・ ] 99 ・・・ ] 99 ・ 143 ・・・ⅱ 4 ・・・ 143 ・・・ 15 ・ 46 ・・・ 150 ・・・ 150 ・・・ ] 3 ・ 139 ・・・ ] 38 ・・・ⅱ 5 ・・・ 78 ・・・ 15 ・ 47 ・・・ 48 ・・・ 46 ・・・ 14 ] ・・・ 143 ・・・ 141 ・・・ 79 ・・・ 99
ホイアンへの定番ツアーはこれだ ! ホイアンを訪れるツアーでは、 遺跡とホイアン市内観光をセットにした以 下のような 1 泊ツアーが基本となる。 ホイアンで名物料理のランチを楽しむ。 ・↑汁なしうどんのカオラウ →米粉の皮で工ビのすり 身を包んで蒸したホワイ トローズもホイアンの名物 ホイアン市内観光 ホイアン・ホテル ( → p. 124 ) 周辺で車を降 り、徒歩で観光。来遠橋 ( 日本橋 ) を起点に チャンフー通りを東へ向かい、グエンタイホ ック通りを西に戻るというコースが便利だ。 ホイアン・ホテルからシクロに乗車し、旧市 街めぐりを行う場合もある。 朝・ダナン空港に到着、ミーソン遺跡へ ホイアンには空港がないので、ダナン空港か ら車で移動することになる。空港から直接車 でミーソン遺跡へと向かう、約 2 時間の快適 なドライプだ。フェからホイアンへ入る場合 は、午後早い時刻にフェを車で出発し、その チャンフー通りの西端にある来遠橋 ( 日本橋 ) 日の夕方ホイアンのホテルにチェックイン。 翌朝、ミーソン遺跡を訪ねる。 18 時・ホイアンのホテル泊 9 時・ミーソン遺跡到着 ( → p. 11 、 12 の ーソン遺跡には一周約 2 時間の散策コース 翌朝・ホイアンからダナンへ がある。 中部をさらに周遊する人は、ホイアンから車 で次の目的地フェへと向かう。ハノイ、ホー チミンへ向かう人は、ダナンから空路でそれ それの目的地へ。 0 ・ Po A ⅵを・ ! ■ホイアン市内観光を午前中に、ミーソン遺跡観光 を午後にするというバターンも可能。ただし、 ソンにはレストランがないので、いずれの場合も食 事はホイアンでとることになる。 ■ミーソンに向かう途中、ダナンのチャム彫刻博物 館に立ち寄ることもできる。その場合はランチの時一 刻が 13 時過きと 少々遅めになる。 イアンに向かう 途中、車窓から 景勝地の五行山一解 ( マーブルマウ ンテン ) を眺め ることができる。信仰の山として親しまれる五行山 P L A N M 〇 D E L ホイアン 1 13 フリータイムの過ごし方 / モデルプラン -tj- ↓ゝ チャンバ王国の聖地、 11 時・ミーソン遣跡を出発 12 時・ホイアン到着 ーソン遺跡
ベトナム基礎知識 0 5 4 名 0 ) 。、い洋る雰。コ ド、岩遺ら 都都判すの一ム ッ ンしに奇界知 順ブ海の世で ・の古首の、在特タン帯 ′メのもる湾 ンヤホ 以持ム対あ杓ム持トビ物 エン上すン かリ g 林八る 側史ト治でト気ホホ非 加歴べ政地とべ囲 世静グが産れ 本書紹介工リア ー 20 第 X ′、ロン p. 11 、 169 ライステラスが広がる 山あいの避暑地 のどかな風景を眺 めながらのトレッ キングが人気。黒 モン族やザオ族な どの山岳少数民族 にも出会える。 サ′、 p. 173 ′、ノイ p. 126 フェ p. 10 、 92 世界遺産を有する歴史の町 ベトナム最後の王 朝、グエン朝の都 が置かれた場所。 グエン朝王宮や帝 廟などが世界遺産 に登録されている。 ダナン p. 108 中部工リアーの商業都市 ハン川の河口にあ , 蕚、り、貿易港として 栄えた町。ホイア ンやミーソン遺跡 など周辺の観光ス ポットへの拠点。 ーソン遺跡 p. 11 、 120 ノスタルジック な町鼓みが魅力 にぎやかな観光ス ポットなどはない が、ゆったりと時 が流れるかのよう な古い町並みが人 気を呼んでいる。 ホイアン p. 10 、 110 ニャチャン p. 76 ベトナムきっての ビーチリゾート 海沿いに砂浜のビ ーチが約 6km にわ たって続く、ベト ナムを代表するリ ゾートエリア。 ダラット p. 88 ムイネー ( ファ万ィエット ) p. 75 ロマンチックな高原リゾート フランス統治時代 に開発された避暑 地のため、山間部 にありながら西洋 風のレトロな建物 が多い。 タイニン p. 50 クチトンネル p. 50 メコンデルタ p. 52 ホーチミン p. 30 活気あふれるベトナム経済の 中心地 フランス統治時代 の古い建造物と現 代的な高層ビルが 建ち並ぶ、ベトナ ムで最もエネルギ ッシュな町。
をひと通り回る際の所要時間は約 1 時間半 ~ 2 時間。 ミに言用反などはないので、ガイドイ寸きツアーがおすす めだ。川の手前にあの入り口で . 入 . 場券 ( 6 万 VND ) を買い、橋を渡って無料ジープで遊歩道の出発点ま 破風装飾の下に、祈る で行く。遊歩道は整備されているので普段の靴で十分だ 女性の姿が刻まれてい が、滑りやすいところもあるのでハイヒールなどは避け る。内部に装飾はない た方が無難だ。また、途中にトイレはないので、ジープ が、外壁を飾る彫刻は 乗降所にある土産物店兼休克魲斤または管理小屋のトイレ 見事だ で済ませておこう。遊歩道内には売店などもないので、 飲み物は事前に用意すること。 踴群が草木の中に眠っている。接着剤を使わ ずに擦り合わせて造られたレンカ健築の術 や、完成後にイ乍業を行ったとされる壁面の彫 刻など、チャンノヾの見事な文化をうかがし、知 ることができる。壁面を飾る女神像や海万に 置かれた石像、サンスクリット語やチャム語 の碑文などを探索しながら、いにしえの聖地 に思いを馳せよう。 ミを すいよう整備さ れている ホイアン ツアースケジュール 121 ショートトリップ ここでチケット を購入する 時 . ホイアン着 ミーソン遺跡発 観光 ミーソン遺跡着 8 時】ホイアン発 歴史と伝統を今に伝える 遺跡観光の思い出にぜひ ! 遺跡のミニュと記名切 ーソン訪問の記念に遺跡のミニチュアはいか が ? チャム塔のミニチュアから、レリーフに描 かれている模様をかたどったものまで、いくつか のデザインがある。値段は大きさによって異なり ーソン郵便局で 1 個 1 万 5000VND ~ 。また、 は、ほかでは手に入らないというう齦亦を描いた切 手セットを販売している。 音楽に合わせてチャム族の踊りを華麗に披露 聖地で一夜を過ごしたいあなたに タンフォン Thanh Phong HoteI 510-734028 遺跡の入り口近くにある簡易宿泊所。ノヾンガロー タイプで、室内には工アコン、ホットシャワー、テ ジープ乗降所から数百メートル入ったところにあ レビなどひと通りの設 る東屋で、民族衣装を身につけた男女のグループ 備カっている。値段 が、チャム族伝統の踊りと音楽を披露する。 15 分 は 1 泊 20 万 VND 。周 程度の短いものだが、伝統的な求婚の踊りや、チ 辺に人家などがないの ャム族の古老による笛の妙技など、一見の価直あ で、夜には満天の星空 り。上演時間は土曜日を除ぐ 0 ~ ⅱ時の間で、 を見ることができる。敷地内にバンガローが点在 人が集まると適宜開始する。料金は無料。 チム族の