らね。レーフ・クルーとばくとは、子どものころは仲よしだったが、学校を出てからは、イン ゅうぼうこうざん トであうまで、一どもあったことがないんだよ。そのころ、ばくは、すばらしく有望な鉱山の むちゅう ことで夢中になっていた。クルーも夢中になった。その仕事が、あんまり大しかけですばらし かったものだから、ふたりとも、頭がすこしおかしくなっていたんだね。あえば、鉱山の話し かしなかったよ。子どもを、どこかの学校へいれたということだけは知っていたが、どんなと きに、その話を聞いたかさえ、おばえていないくらいだよ。」 こうふん キャリスフォード氏は、だんだん興奮してきました。まだなおりきらない頭で、失敗したと きのことを思いだすと、かならず興奮してくるのでした。 カーマイクル氏は、心配そうに友だちをみまもりました。聞いてみなければならないことは ありましたが、それは、よほど気をつけて、しずかに聞きださなくてはなりませんでした。 「しかし、その学校が、パリだったと考えるのには、なにか理由があるのかね ? 」 「そうなんだ。子どもの母親が、フランス人だったし、子どもをパリで教育したいといった 、丿にいるということは、ありそう ということも、聞いたことがある。だから、その子どもがノ 1 なことだと思うのだ。」 「そうだね、おおいにありそうなことだね。」と、カーマイクル氏はいいました。 インドの紳士は、まえにのりだし、ひょろながくやせた手で、テープルをたたきました。 しんし なか しつばい
ン先生の、いには、、 しままで考えてもみなかったようなことが、いろいろと思いうかんできたの です。けつきよく、自分は、とんでもないまちがいをしてきたのではあるまいか。だれからも ゅうりよく かまいつけられなかった、この子どもには、かわりものながら有力な味方がついていたのでは しんるい なかろうか , ーーまえにはわからなかった親類でもいて、それが、急に子どもの居場所がわかっ ほ - フほ、つ おく たために、こんなおかしな気まぐれな方法で、物を贈る気になったのではあるまいか。親類と どくしん いうものには、ときどき、みようなのがいるものだ。ことに、金もちの年とった独身のおしさ んなどというのは、そばには、子どもをおきたがらないくせに、そういうことをしたがるもの だ。そういうたちの人間は、遠くにいて、親類の子どもが、しあわせになるように、せわをす るのがすきなのかもしれない。 しかし、そういう人間にかぎって、ひねくれもので、気みしか はら だから、すぐに腹をたてる。もしもそんなのがいて、セーラの洋服が、うすくて、ばろばろな ことだの、たべものがたりないことだの、仕事がつらいことだのがわかったとしたら、これは、 あまりおもしろいことではなくなる。先生は、まったく、みような気もちになってきました。 そしてまた、、い配にもなりました。そこで、ちらりと横目でセーラのほうを見ました。 「そうですね、」先生は、セーラのおとうさんが亡くなってから、一ども、だしたことのな いような声でいいました。「どなたか、たいそう、ごしんせつなかたがいるようです。こうい 5 うものを送ってきて、いたんだら、またとりかえてくださるというのだから、あちらにいって、
ったりしているのでした。その日も、子どもたちは、おとう たりしながら、お話をしたり さんのまわりにまつわりついていましたが、おとうさんは、腰をおろしてはいませんでした。 それどころか、へやのなかは、たいへんざわっいていました。だれかが旅行にでかけるところ のようでしたが、それは、モンモランシーさんでした。玄関のまえには、馬車がついていて、 大きなカバンがしばりつけてありました。子どもたちは、はねまわったり、ペチャクチャしゃ けっしよく うつくしいおかあさんは、 べったり、おとうさんにぶらさがったりしていました。血色のい おとうさんのそばに立って、いろいろと、さいごの相談をしていました。小さい子どもたちは、 だきあげられ、大きい子どもたちは、かがんでもらって、それぞれ、キスをかわすのを、セー ラは、立ちどまって見ていました。 「ながいこと、おるすになるのかしら。」と、セーラはいました。「カバンは大きいようだ わ。まあ、あの子どもたち、どんなにさびしくなることでしよう ! あたしだって、さびしく なるわ。 あのかたは、あたしのことなんか、ちっとも、ごぞんししゃないんだけど。」 玄関があいたので、セーラは、いっかの六ペンスのことを思いだして、歩きだしました。で ひろま ・も、 いよいよおとうさんがでてきて、あたたかい、あかるい広間をうしろに立っているのが、 見えました。大きい子どもたちは、まだ、そのまわりをうろうろしていました。 「モスクワは、もうすっかり雪でしようか ? 」と、ジャネットが聞きました。「どこも氷ば げんかん
いちもん 「あれは、ぬけめがなくて、よくばりなフランス女だからね、父親が死んで、一文も送って ばら おお もらえなくなった子どもを、うまいぐあいにやっかい払いしたと思って、ただもう、大よろこ おもに しようらい びだったんだよ。ああいうたちの女は、自分の重荷になりそうな子どもの将来など、、い配して くれるものではないんだ。子どもをもらった両親のほうは、それからすがたをけして、ゆくえ がわからなくなったものらしい。」 「しかし、きみは、『もしも』その子がばくのさがしている子なら、というのだろう。『もし』 というのだからね。たしかではないんだ。ど、、 オししち、名まえもちがっているようだ。」 ふじん 「パスカル夫人は、キャルーといってたようだね、クルーとはいわなかった、 しかし、 きようぐう 発音のち力しオ。 ・、、どナしゃないのかな。境遇はふしぎなほど似ていたよ。インドにいた、イギリス しかん ざいさん 士官が、母親のなくなった子どもを学校にあずけたというのだ。おまけに、その士官は、財産 をなくして、急に死んでしまったというんだよ。」 カーマイクル氏は、そこでふと、なにか思いついたように、ロをつぐみました。 「子どもが、ハ リの学校にあずけられたというのは、たしかなのか ? たしかにパリだった のかね ? 」 「きみ、きみ、」と、キャリスフォード氏よ、、 。しらいらした声で、せつなそうにいいました。 「たしかなことなんか、一つもないんだ。ほくは、子どもも、母親も、見たことはないんだか
4 ロ テ じゅく セーラが、こんなたちの子どもでなかったら、ミンチン塾で十年間も暮らすのは、すこしも よいことではなかったでしよう。セーラは、ただの小さい子どもではなくて、まるで、学校の だいしなお客さまのように、とくべつなあっかいをうけました。もしも、セーラがうぬばれの つよし、 ( 、まりたがる女の子だったら、こんなにあまやかされたり、ごきげんをとられたりば かりしていては、・、 カまんのならないほど、いやな子どもになったかもしれません。また、もし も、なまけものの子どもだったら、なにひとつ、おばえないでしまったかもしれません。ミン チン先生は、心のなかではセーラがきらいだったのですが、たいへんよくばりなひとでしたか ら、こんな、塾のためになる生徒に、よこ オ。かいったりして、学校をやめたいなどという気をお こされたりしてはたいへんだと思っていました。セーラが、おもしろくないとか、つらいとか、 おとうさんのところへ知らせたりすれば、クルー大尉は、すぐにも、セーラをよそへつれてい ってしまうということを、先生はようく知っていました。子どもなんて、いつもちやほやして おいて、したいほうだいにさせさえすれば、いやになるはずがない、 というのがミンチン先生 の意見でした。ですから、セーラは、勉強ののみこみが早いといわれ、おぎようぎがいしとし ッ せいと たいい
うしてそうつけたかというと、家族のひとたちが大きいからではなくてーーーーそれどころか、小 さいひとたちのほうが多いのでした 人数がたくさんだったからです。「大きいおうち」に けっしよく は子どもが八人もいました。それから、ふとって血色のいいおかあさんと、ふとって血色のい めしつか いおとうさんと、やつばりふとって血色のいいおばあさんと、それから、たくさんの召使いと がいました。八人の子どもたちは、かんしのいいばあやたちにつきそわれて、歩いたり、乳罎 ぐるま 車にのせられたりして、散歩につれていかれることもありました。おかあさんといっしょに、 、 0 、 0 、 ノのおむかえに玄関にとんで出 馬車ででかけることもありました。また、タがたになると 力し て、キスをしたり、はねまわったり、外とうをぬがせてあげたり、おみやげはないかと、ポケ まど ットをのぞきこんだりすることもありました。それからまた、子どもべやの窓に頭をよせて、 おもてをながめたり、きやっきやっと笑いながら、おしあいをしたりしていることもありまし にあ つでも、 その子どもたちは、ほんとうに、「大きいおうち」に似合わしいような、い なにかしら、たのしそうなことをしていました。セーラは、この子どもたちがだいすきになり しようせってき ました。それで、みんなに、本のなかから名まえをつけてやりました。たいそう小説的な名ま えです。「大きいおうち」とよばないときには、「モンモランシー家」と、よんでいました。レ ぼ - フし ースの帽子をかぶった、ふとってきれいな赤ちゃんは、エテルベルタ・ポーシャン・モンモラ ンシー、そのつぎの赤ちゃんは、ヴィオレ・コルモンドレ・モンモランシーです。ふとったあ さんぽ わら げんかん 189
うものを持っているのだ、ということが、だんだんわかってきました。でも、そのほかのこと は、なんにも知りませんでした。 としつき いままで暮らしてきた短い年月のあいだ、セーラには、ひとつだけ気がかりなことがありま した。それよ、、 ( しつかは、つれていかれる〈あそこ〉のことでした。 きこう インドの気候は、小さい子どもにはよくなかったので、子どもたちは、旅行ができる年ごろ になると、そこからーーーたいていはイギリスに送りかえされて、学校にいれられるのでした。 セーラは、よその子どもたちがいってしまうのも、みたことがありますし、その子の親たちが、 子どもからきた手紙の話をしているのも、聞いたことがあります。それで、自分もいっかは、 いかなくてはならないのだ、ということも知っていました。ときには、おとうさんがしてくれ る船の旅の話や、知らない国の話に、心をひかれることもありましたが、おとうさんがいっし ょにいるわナ・一 ) よ、、 レ。。し力ないのだ、と考えると、、い配になるのでした。 「パパもいっしょに、〈あそこ〉へいらっしゃれないの ? 」セーラは、五つのとき、こう聞い たことがありました。「いっしょに学校にいっちゃいけないの ? あたし、 ハの勉強、おて つだいしてあげるわ。」 「でも、そんなにながいこと、あそこにいなくてもいいのだよ、セーラ。」おとうさんは、 いつも、そういうのでした。「小さいお友だちがいつばいいる、きれいなおうちへいって、み とし
それは、自分よりも、もっと、みしめな子どものすがたでした。ばろのかたまりといったほ 、つ・、刀しし 、くらいの、小さい子どもでした。そのばろのなかから、小さな赤いはだしの足が、ど ろだらけになって、のぞいていました。ばろが短くて、足までくるむことができないのでした。 かみ ばろの上のほうには、くしやくしゃな髪をした頭がでていて、顔はきたなく、大きな、おちく ばんだ目が、とてもひもしそうにしていました。 セーラは、それをひと目みて、これは、おなかのすいた目つきだと思うと、かわいそうでた まらなくなりました。 このひとは、あたしよりも、おなかがすいているの 「このひとも、人間の子なのだわ。 よ。」セーラはそういって、ためいきをつきました。 「人間の子ーといわれたこの子どもは、セーラをみあげると、すこし、わきへからだをよせ て、通れるようにみちをあけました。この子は、だれにでも、みちをあけるのになれていたの です。おまわりさんにみつかれば、「あっちへいけ。」といわれることも知っていました。 ぎんか セーラは、さっきの四ペンス銀貨をにぎりしめて、しばらくためらっていました。それから、 その子に話しかけました。 「あなた、おなかがすいているの ? 」 子どもは、ばろをひきずって、もうすこしわきへよりました。
をかんでいました。 「ねえ、きみ。」しばらくたってから、キャリスフォードさんは、ゆっくりと口をひらきま わす く力いっときも忘れたことがないつもりでいる、あ 「もうひとりの子どもが 第 - よ・つ、・フ もしかしたらーー・となりにいる気のどくなむすめさんのような境遇にお の子どもがだね、 いつめられている、というようなことも、ないとはいえないと思うかね ? 」 カーマイクルさんは、心配そうに、友だちの顔をみました。このひとが、この話を、こうい ちょうし う調子で考えだすのは、病人自身の頭のためにも、からだのためにも、なによりもいけないの だということを知っていたからです。 ふじん 「パリのパスカル夫人の学校にいた子どもが、きみのさがしている子なら、」と、カーマイ クル氏は、友だちの気もちをいたわるようにいいました。「その子は、ちゃんとしたせわをし いっしょに暮らしていることになるね。そのひとたちは、その子 てもらえるような人たちと、 なか が、死んだむすめの仲よしだというので、養子にしたという話だ。ほかに子どもはなかったそ うだし、パスカル夫人の話では、たいそう、ゆうふくなロシア人だということだよ。」 「あのばあさんは、あの子がどこへつれていかれたか、ちっとも知ってやしないんだ ! 」キ ャリスフォード氏はさけびました。 かた カーマイクル氏は、肩をすくめていいました。 ようし
聞こえていました。 ロッティは、なにかのはずみに、おかあさんのない子どもは、だれからもかわいそうに思わ れて、だいしにされるものだということを知って、それを、なにかというと使うのでした。た ぶん、おかあさんが亡くなってからまもなく、ロッティがまだずっと小さかったころに、おと なのひとたちが、なんべんもそんなことをいうのを聞いたからなのでしよう。それで、ロッテ イは、それを利用するくせがついていました。 セーラが、この子どものめんどうをみるようになったのは、こんなわけでした。ある朝、あ るおへやの前を通りかかると、ミンチン先生とアメリア先生が、ふたりがかりで、わんわん泣 いている子どもをなだめようとしているのが聞こえました。子どもは、なんとしても、だまろ はんこ、フ うとしません。あんまりもうれつに反抗するものですから、ミンチン先生のほうでも、どうし てもいうことをきかせようと思って、たいしたけんまくで大声をだしていました。 「なんだってそんなに泣くの ? 」先生は、かなきり声でさけびました。 「うわあんー・・・ーうわあんーーーうわあん ! あたち、おかあーー・ちゃんがいない ! 」 「まあ、ロッティ ! 」アメリア先生も、かなきり声です。「もうおやめなさいね、 から。泣くんしゃないの ! 泣かないでちょうだい ! 」 「うわあん ! うわあん ! うわあん ! 」ロッティは、なおも、はげしく泣きさわぎました。 な . し - し十 /