ウインストン・チャーチルは、第と六七年に欧州経済共同体 ( 十年余の時間が過ぎたのである。そ 二次世界大戦終結の翌四六年に有名 u) への加盟申請を行ったが、二回の積み残されてきた問いが、今回、 とも拒否権を持っド・ゴールから却再び行われることになった国民投票 な「鉄のカーテン」演説とともに、 もう一つ重要な演説を行った。そこ下されている。米ソに対抗する第一一一で投げかけられているのである。 で彼は、大戦で疲弊した大陸諸国に極を目指していたド・ゴールは、 「ヨーロッパは統合して一つになり「イギリスは、アメリカからのトロ 誰が残留を支持するのか なさい。ただし、私たちは参加しまイの木馬となる」とその理由を語っ せんが」と言うのだった。あくまでている。 今回の「プリグジット」の是非を も「プリテン・アンド・ヨーロッ イギリスのへの加盟申請がよめぐっては、日本の報道では、 うやく受理されたのは、バリの五月離脱による経済的ダメージの大きさ バ」であって、「プリテン・イン・ 革命でド・ゴールが失脚した六九年ばかりが強調されるが、現地で重視 ヨーロッパ」ではないのだ。 他方、イギリス人のアイデンティのことである。当時のイギリス政府されているのは、やはりアイデンテ ティの中枢を占めていたのは、アメは、前述したような経済的事情からイティの問題である。 たしかに、国境管理を行わない リカ合衆国との " 特別な関係。であ進展する統合ヨーロッパへの一日も り、さらに身近なのは豪州・カナダ早い参加を望んだ。しかし、そこでの制度を利用して、移民やテロリ ストがイギリスに入ってくる。さら など旧植民地を含めた白人のアングも終始、「本当にこれでよいのか . に、本部のある「プリュッセル ロサクソン・コミュニティである。 という人々の自問は続いた。 イギリスとヨーロッパは、こうい官僚」によって、イギリスの国家主 大陸ヨーロッパ側にも、イギリス のヨーロッパへの帰属意識を多分にう関係性だったのだ。そして「我々権がこれ以上制約されてよいのか、 疑問視する声があった。その筆頭はヨーロッパなのか」という英国民という懸念もある。しかし、その根 は、フランスのシャルル・ド・ゴー の心の奥底にひそむ問いに、いまだ底にあるのは、「我々はヨーロツ。ハ ル大統領である。イギリスは六三年に明確な答えを見つけないまま、四と運命をともにしてよいのか」とい ( 162 )
勘」と呼んでいるが、こうした背景繰り返し述べた。脅迫あるいは内政的だ。研究者の世界でも、私がかっ を知っておくことが現代の情勢分析干渉すれすれの言葉だが、「イギリて留学したように、イギリスの大学 スは、あくまでヨーロッパとアメリ でも重要なのである。 や研究機関は魅力的だ。いずれも大 、こ力をつなぐバイプ役になれ」という陸ヨーロッパとの地理的、政治経済 一方、「プリグジット」で大し。 困ることになるのは、アメリカだろドライなイギリス観が表れていた。的な結びつきによって、イギリスの しかし、これを意識したのか、あ価値が高められていたのである。 う。かってド・ゴールが指摘したよ うに、「トロイの木馬 . たるイギリのトランプが五月中旬、英テレビの「プリグジット」をめぐる今回の動 スを通じてヨーロッパに影響を与えインタビューで「私が英国人ならきによって顕在化した世界秩序の多 ていたアメリカは、その足場を失残留は望まないだろう」と語って極化傾向は、仮に国民投票で「残 いる。ウォール街も割れているのだ留」が決まったとしても、今後も国 う。すなわち、イギリスの離脱によ 際社会を揺がし続けるだろう。 って欧州大陸がアメリカの影響圏かろうか。 当然ながら、日本にとっても、 例えば、イギリスは中国が主導す ら離れ、ドイツの比重が大きくな り、地政学的にはロシアに引き寄せ「プリグジット」は他人事ではすまるアジアインフラ投資銀行 られてしまうことになる。それは、 されない。まず短期的には、アメリ p) への参加をいち早く表明した が、これも「プリグジット」問題と アメリカがもっとも怖れている事態力と同じように日本のヨーロッパに だ。経済的にも、アメリカが主導すおける「足掛かり」を失ってしまう背中合わせの関係にある。 というのも、アメリカ一極のグロ ことが大きい。 るドル基軸体制や金融・貿易ルール ーバル社会では世界銀行やアジア開 のグローバル化に従わない、脱米的イギリスは、ヨーロッパにおける ほば唯一の英語圏である。日本企業発銀行 (<Qn) といった特定の機 な経済圏に変質してゆこう。 がヨーロッパに進出する際はイギリ関にとかく機能が統合されていく。 オバマ大統領が四月に訪英した 際、テレビの記者会見で「からスに拠点を置き、報道各社が欧州総それに対して、中国があえて「機能 離脱したイギリスは優遇しない . と局をロンドンに構えているのが象徴がかぶってもかまわないではない ( 168 )
し込まれていたバンフレットだ。い やされた福祉国家は、「英国病ーとった」と実感できた出来事だった。 まも大切に保管しているその表紙に揶揄される対象になっていた。スーそして必ず問題は再燃するはず、と ーマーケットの店頭からは輸入品 この時に確信した。 は、〈ヨーロッパにおけるイギリス である砂糖や果物が消え、街灯も大胆に国策の根幹を国民の選択に の選択〉と書かれている。 これは、その二年前の加盟を次々と間引かれ街の治安は悪化の一委ね、その上で一軒一軒にバンフレ 正当化したイギリス政府の広報文書途をたどった。文字通り英国の「暗ットを配布して国民的な議論を喚起 するというイギリス政治の迫力とと だ。実は、七五年の六月、イギリスい時代」だった。 では離脱を問う国民投票が行わそうした中でに参加したのもに、外からは見えてこないイギリ れたのだ。その判断材料として、こは、「経済の再生のために、欧州市スと大陸ヨーロッパの複雑な関係性 の文書とともに「イエスと投じる理場を利用したい . という藁をもつを論争の中から感じ取ることができ 由」「ノーと投じる理由」の両方がかむ思いからだった。しかし一方たからだ。 地図の上でも、あるいは歴史的な 公平にも添付されていた。それだけで、名誉あるイギリスの国家主権が 制限されては、という強い思いも国経緯からしても、「イギリスはヨー 政府に余裕があったということだ。 民にはあった。結局、切迫した経済ロッパの一部である . ことは紛れも る 「暗い時代」に w0 加盟情勢のゆえか、からの離脱を問ない事実であるように思える。しか う国民投票は六七 % が「留まるべし、それは一般的なイギリス人の認 破 界当時のイギリスは、著しい経済苦き」、三三 % が「離脱すべき」との識ではない。日常会話の中でも「先 世 、バリに行ってきた」とこちらが 境に陥っていた。国家財政も毎年赤結果に終わった。ヨーロッパ統合へ週 字を垂れ流し、国際収支も大幅なマの参加は、広汎な支持を得たわけで言うと、「そうか。ヨーロッパに行 ってきたのか . と相槌を打つ。イギ イナス。労使紛争が絶えず、産業競ある。 しかしこの国民投票は、私にとっリスがヨーロッパの一部であるとい 争力もかっての面影を失っていた。 「ゆりかごから墓場まで」ともてはてはじめて「イギリスのことが分かう感覚はないのだ。 ( 161 )
「英国 E U 離脱」が世界を破滅させる ろう。そうなれば、は確実に立スが離脱すればかえって進みやすくチンの個人的関係もあり、ウクライ ち枯れしてゆく。そんな中、経済力なる。その統合軍のスキームはドイナ紛争にもかかわらず、独ロは近年 になく親密になっている。 ツが主導すべき」との趣旨である。 を背景に内で発言力を高めてい るのがドイツだ。イギリスが抜ける半世紀以上にわたって敗戦国の地位思えば、ビスマルクがドイツを統 ことで「ドイツのための」になに甘んじてきたドイツが、近年のめ一できたのはロ冫アの助けがあった ざましい国力の向上に大いなる自信からで、ゴルバチョフのペレストロ ることは間違いな、。 「ヨーロッパの覇権 . を狙うドイツを深め、「ドイツのヨーロッパ」作イカのおかげで東西ドイツが統一で きた。あるいは第二次世界大戦の伏 の野心は、英フィナンシャル・タイりへと動き始めたのである。 ムズ紙が今年五月にドイツ政府の国そして、こうした状況を歓迎して線になり、日本が見通しを誤る要因 にもなった、あの独ソ不可侵条約の 防文書をすつば抜いたことでも露わいるのは、他ならぬロシアである。 になった。それはヨーロッパ統合軍常にとの「東方拡大」記憶もよみがえる。この二国の結び を怖れてきたロシアは、が弱体つきが世界を大きく動かしてきた歴 に関する秘密文書で、「ヨーロッパ の安全保障は Z<+O ではなく、化することでもっとも利益を得るこ史があるのだ。このような視点から の枠組みで作っていける。イギリとになる。さらに、メルケルとプー物を見ることを、私は「歴史の土地 2 Q 0 0 ー」 のユ中 ・壮イも 線幅 ロ礪惆熱す・ 。一代 0 製爽温球 2 外増一 ・ ( 島 O 6 赤達ー 汗 - レ蟲護 標門レ番湯 れ x c < 遠深、 とフ畍 畿い o Ⅳ引の鳴 0 。、テ 安泄痩壯若 ・ . ・・ 1 温解和 線 球の回の使の全一 外 か固 号を想 セ 3 許 8 体理お経り外 ナ ′、 ( 遠サ工 保ン・身石ØØ マ ノが番 3 国 4 分すた違 ビ心一マ を強良性美好 米 百歳人生若く元気で ! 有機物・炭の 遠赤外線 効果 ■お問い合せは一く無料詳しい資料進呈〉 0120 ・ 01-7161 ( 167 )
持ち主でもある。最近日本語の翻訳ック ( 欧州懐疑派 ) 議員がこぞって言したことで世界的に注目を集め も出た彼の名著『チャーチル・ファ読み、国会質問で取り上げ、「イギた。首脳やイギリス国内の残留 クター』は、その証である。それもリスの国家主権が制限される」「こ派はいっせいにネガテイプキャンペ 当然で、彼はイートン校からオックんなに譲歩すると英国企業が不利益ーンを仕掛けたが、彼の発言の趣旨 スフォード大学の中でも成績優秀者をこうむる . と政府を追及する材料は、次のようなことだ。 しか入れないべリオール・カレッジとして重宝された。ペンで身を立「ヨーロッパを一つに統合しようと へ進学して、古典学を優等の成績でて、政治家の枠にとどまらない人気いう儚い夢を描くのはやめよう。ロ 卒業している。これはイギリスの学者という存在は、日本でいえば石原ーマ帝国が滅んでから、ナポレオン 歴序列からするとトップ中のトップ慎太郎氏に近いかもしれない。 も、無敵艦隊を率いたスペインのフ である。しかも、グラッドストーン このジョンソンが最有力の次期首エリペ二世も、あるいは一番最近で が所属し、チャーチルも演説するな相候補とされており、「ポスト・キはヒトラーもすべて悲劇的な結果に ど数々の歴史的舞台となってきた弁ャメロン」のライバルと目される終わっているではないか」 論部「オックスフォード・ユニオ残留派のオズボーン財務相 ( これは、イギリス人の歴史観から ン」の学生代表まで務めた。 との激しい争いが、より一層彼を駆すると、非常に真っ当で正統な解釈 大学卒業後は、保守系の全国紙デり立てている。彼は今回、自腹でバ である。伝統的なイギリス外交の勢 ィリーテレグラフに入社。九〇年スを仕立てて、イングランドの西端カ均衡政策とは、大陸ヨーロッパが 代、プリュッセル特派員として、猛から全国キャラバンを始め、「一つの強大なパワーで統一され、イ 烈な反記事を次々とロンドンに から離脱しよう」と大キャンペーンギリスが孤立しないように、常に列 送っている。ちょうど創立を定運動を展開。その模様は、連日テレ強間の勢力をバランスさせる。これ めたマーストリヒト条約が成立するビによって放送されている。 が近代イギリスの「勝ちバターン」 前後のことである。ジョンソンの記そんな彼が、最近のインタビュー であったと言ってよい。ジョンソン 事は、保守党のユーロ・スケプティで「はヒトラーと同じだ」と発の主張は決して突飛なものではな はかな ( 164 )
ている。まだ最高裁の判決は出ていず、今や次々と韓国を離れつつあ一四年にはやや減少し、四百四社 で、進出が増えた米国企業と並ぶト ないが、もし賠償命令が確定すれる。 ば、最悪の場合、各企業の韓国内資韓国国税局の統計によると一三年ップタイの結果になった。これまで 産の凍結、強制執行などもありう時点で韓国に進出している外国企業記したような要素を勘案すれば、四 る。 は千七百七十社。そのうち日本企業年後までに日本企業の「脱韓国」は 特にこの問題は人権派弁護士出身は四百十二社で断トツだったが、翌さらに加速するだろう。 の朴ソウル市長の得意分野だ。彼は 九〇年代から日本の戦後賠償問題に ' 移民が地方創生 関わってきた。もし一つでもこうし た判決が確定すれば、日本企業の韓 上を支える 国への進出および投資は劇的に減少 するだろう。既に進出している企業 岸博幸 爆買いする中国人観光客 の間で「脱韓国」現象が起きること 少子化問題が深刻化するなか、解る。 も十分考えられる。 実は、外国企業の「脱韓国」は日決策の一つとして議論されるのが移 本に限った話ではない。アジアでシ民受け入れという問題。シリア難民日本を訪れる外国人観光客はこの ンガポール、香港の次に人件費が高が押し寄せたヨーロッパの混乱を見四年間で三倍以上に増えましたが、 い韓国は、既に生産基地としての魅てもわかる通り、一筋縄ではいかな同じような現象が、二〇二〇年に向 力を失って久しい。そして、強硬姿い政策だ。総務大臣秘書官などを歴けて、移民や外国人労働者でも起こ 勢と頻繁なストで有名な労働組合に任した岸博幸氏は「日本経済の成長る可能性はあります。 嫌気がさした外国企業は、職場閉戦略に、外国人の力は不可欠」だと国連では十二カ月以上その国に居 鎖、売却などの極端な対応を辞さして、外国人労働者の急増を予測す住すれば「移民」と定義していま 当タ きしひろゆき 慶応大学大学院教授 ( 284 )
である。 葉ではないけれど、「これ ( ベルナ以て体感されたであろう。それでも ベルナドットは在位跖年。ナポレドットの招聘 ) は危ない賭けだと思知識人たちは、自国での出世に拘泥 オンが失脚する一方で、彼らしく堅った。だがわかった。私はその賭けせず、招きを受ければ喜んで他国に 実にスウェーデンを発展させた。終に勝ったのだ」というところか。 赴いた。諸子百家の学問が花開いた 生スウェーデン語を話せなかったこ王でなくて、政治を司る宰相ならのは、かかる時代の特徴に由来す の国王のもとで、スウェーデンの人ば、人材登用の例は中国に多くの実る。 ロは増大し、 c.5Zp«も成長した。デ例がある。たとえば、群雄割拠する ジレとの間には次代の王、オスカル春秋・戦国時代を終わらせた始皇帝 外国人に頼った明治維新 1 世が生まれ、彼らの血脈が、現在の秦。この国は他国の出身者を積極 のスウェーデン王室を形成している的に宰相に登用することにより、超かえりみて日本である。さすがに ( ベルナドット王朝 ) 大国へと成長した。その代表が商鞅万世一系の皇室をいただく我が国で 外国人を王様に。信じられないよである。衛の公族の出身であった彼は、いかに男子がなかなか生まれな うだが、素地はあった。ドイツ系のは、生国で用いられず、また魏に行い状況であっても、他国から天皇を ハプスプルグ家やフランスのプルポっても用いられず、秦で抜擢されて迎えるという展開はあり得ない。で ン家は自国だけでなく、ヨーロッパ 政治を任された。法家思想に則っては宰相、即ち総理大臣はどうだろ 各国の王を輩出した。高貴な血であ国政改革を進め、後の秦の天下統一う ? 外国人の総理大臣は「あり」 だラっ , っカ れば、外国人の王でもよし、というの礎を築いた。 伝統は存在した。とはいえ、平民出中国大陸が多くの国に分かれて争 いや、それも難しいだろう。とい 身のベルナドットのケースはレアでっていた春秋・戦国時代の「自国とうのは、日本は世襲の原理を重んじ あろう。でもスウェーデンのその後他国 . は、劣悪な交通手段に規定さる国柄だから。戦国大名のきり、軍 を見ると、ベルナドットと初めて面れての距離感からしても、現在の政に秀でた朝倉敏景は十七か条の法 会した際の、先代のカール昭世の言「日本と諸外国」以上の「遠さ」をを定め、「人物の器量や忠節を考慮 ( 248 )
ティティになっていると指摘されての準軍事組織、つまり諜報機関の出大革命が起こったとき、政治家やマ います。この指摘はすべて正しい。 身者で成り立っています。「シロヴスコミは中国文学の泰斗、吉川幸次 ロシアでは第二次世界大戦の勝利イキ」と呼ばれる彼らがプーチン政郎さんにこぞって話を聞きに行きま は特別な史実で、毎年モスクワの目権下で大きな影響力を持ち、政府がした。ところがいまロシアについて 抜き通りを封鎖して大々的なバレー軍をコントロールしきれていないとの知識を求めてロシア文学者の元に 足を運ぶ人はいないでしよう。人文 ドが行われます。ちょうど私の滞在いう筆者の指摘も見逃せません。 中に予行演習があったのですが、す井上となると、二〇〇七年に民学は用済みになってしまった ( 笑 ) 。 ごい迫力でした。ロシア国民にとっ 1 、 それも家具屋の社長から国防相山内いや、ロシア人の行動を分 て、自分たちこそが「世界をナチスに就任、軍内部の反対派を一掃しな析するときに文学や音楽の知識は必 の征服から救い、平和と秩序の安定がら人員削減など改革を進めていた須です。ロシアを単純な「軍事大国」 回復に貢献した最大の国家」。満州セルジュコフが、愛人問題で足をとと見るのは間違いで、エルミタージ やヨーロッパなど侵攻先でのロシアられて失脚したのも、軍にはめられュやトレチャコフといった一流の美 たのではないかと想像をふくらませ一術館があり、チャイコフスキーやト 軍の強姦や残虐行為は反省もしな ルストイなど芸術家を多く輩出して この信念は揺らぐことなく受けてしまいます。 いるロシアは「文明大国」でもあるの 継がれ、教科書でも再生産され続け山内確かに、国内版ハニートラ です。サンクトペテルプルクの小路 ています。ここが日本人にはなかなツブかもしれませんよ ( 笑 ) 。 を歩けば、ドストエフスキーなどの か理解できない。 片山そういう軍事国家としての ロシアの両輪は軍事と文明作中人物が飲んだくれ、たむろして いた建物があちこちに残る環境でロ 長い歴史の中でも、「プーチンのロ 井上この本を読んで、私は人文シアの政治家や軍人は育っている。 シア」はまた特異ですよね。 山内プーチン自身がの出学に「黄昏」を突きつけられた気がし戦前の日本はそこを見誤り、陸軍や 身であり、この政権は軍人やその他ました。一九六〇年代に中国で文化外務省で " ロシア語達者。は育成した ( 396 )